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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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木村草弥歌集『信天翁』書評・・・谷内修三
信天翁_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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     木村草弥歌集『信天翁』書評・・・・・・・・・・・・谷内修三
      ・・・・・・詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)2020/03/11所載・・・・・・・・

木村草弥『信天翁』(澪標、2020年03月01日発行)
 
 木村草弥『信天翁』は歌集。帯に、

〈信天翁〉描ける青きコースターまなかひに白き砂浜ありぬ

 という歌がある。
 非常に強く惹かれた。「まなかひにありぬ」は幾とおりにも読むことができる。ひとつは、砂浜を見ている。ひとつは、現実には見ていないが、目に砂浜が映っている。ひとつは、記憶(幻想)としての砂浜が目の中にある。ほかにも違った読み方があると思うが、私は三番目の読み方をする。そして、そう読むとき、また違ったものを感じている。
 描かれた信天翁には砂浜は映っていない。その砂浜は、木村の夢なのだ。信天翁が記憶(幻想)の砂浜を目の中に閉じこめてゆったりと空を飛んでいる。どこへいくのか。だれも知らないが、信天翁は知っている、ということを木村は知っている。
 そして、それは木村の夢であると同時に、その信天翁を描いただれか(画家)の夢でもある。画家は目の中に砂浜を描かなかったかもしれない。描いてなくても、この信天翁を見たら、そのひとは信天翁が見ているものが見えるに違いない、と信じて描いたのだ。
 そう考えるとき、木村が見ているのは、信天翁なのか、信天翁の夢なのか、あるいは画家の夢なのか、木村の夢なのか、渾然として、わからなくなる。すべては融合してひとつになり、また、その融合したひとつのなかから、瞬間瞬間に、その「ひとつ」があらわれてきて、ゆっくりと飛ぶ。どこへ行くでもなく、漂ってみせる。
 そんなことを思ったのである。
 歌集を開くと、この歌には「稲田京子さん死去」という前書きがついている。信天翁は、稲田さんか。白き砂浜は稲田さんが向かっている世界か。歌のなかで繰り返される「あ」の響きが、その世界が「狭い」ものではなく、どこまでも広がっていると教えてくれる。つまり、「希望」のようなものとして見えてくる。「死」が「希望」というのは矛盾しているかもしれないが、「絶望」とは違うかなしさがある。
 「兄・木村重信死去」という前書きの歌もある。

吉凶のいづれか朱き実のこぼれ母系父系のただうす暗し

 さらに、

つくつくよわが庭の木に産卵せよ黐(もち)がよいかえ山茶花よきか

 「産卵」ということばがあるが、なぜか「死」を連想させる。蝉は産卵して死んでいくからだろうか。

まどろみのみどりまみれぞ松園の春画に見つる繁き陰毛(にこげ)は

 この歌にさえ、死を感じる。セックス、エクスタシーが「小さな死」だからだろうか。いや、そうではなく、もっと巨大な「死」だ。「産卵」と同じように、「生」そのものと拮抗する「死」。
 信天翁の一首の「死」もまた「生」と拮抗し、その「生」は「死」と拮抗している。つまり、そこには「矛盾」のようなもの、「渾沌」のようなものがあり、それが歌を支えている。歌の「響き」を支えている。どの歌も、響きが強く美しい。

 この歌集では、私がいま引用した「信天翁」の連作のあと、口語自由律の短歌が書かれている。その歌も、響きが非常に強い。読んでいて(音読するわけではないが)、思わず背筋がのびる。私の肉体の中を「声」が走っていく。

水着を剥いで引き出したつんと尖る乳首、若い固い乳房。

贅肉のない鍛えた体幹、その真ん中の凹んだ臍が綺麗だ

 漢字のつかい方が堂に入っているというか、「音」を鋭敏にしている。「音」のエッジを尖らせている。その強さが、妙な不気味さを持っている。それが死を感じさせるのか、それとも死の歌を読んできたから、私が「誤読」するのか。
 どちらであるか、いまは判断できない。

服部信(はっとりまこと)が死んだと恵美子さんからハガキが来た 八十九歳の死

 この散文みたいな一首も、私は非常に好きだ。ありのままに、ことばが動いた。ことばが寄り道をしていない。そこに、強烈な「正直」がある。だれのための歌でもない。ただ木村自身のための歌だ。
 こういう正直の前では、私は、ただ息をのむ。語りかけることばがない。何を書いても、それは「嘘」になる。
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敬愛する谷内修三氏が「詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)」2020/03/11付で、私の本について書いていただいた。
同じ文章が、アマゾンの私の本の当該欄の「書評」でも読めるので見てください。
有難うございました。




なで肩のたをやかならむ真をとめがパットの肩をそびやかし過ぐ・・・木村草弥
e0123392_2344096なで肩

──再掲載──初出2006/02/21Doblog

    なで肩のたをやかならむ真をとめが
         パットの肩をそびやかし過ぐ・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』((角川書店)に載るものである。
この歌を作ったのは、もう二十数年前になるので、いま女の人の服の肩がパットを入れた「いかり肩」の流行になっているのか、どうか知らない。
当時は「いかり肩」が全盛期だったので、「私は、なで肩の女らしい方が好きなのになぁ」という気持で作ったものである。
掲出写真は「アカプルコの海」という昔のエルヴィス・プレスリーの1963年の映画のマギー役のエルサ・カルデナスのものである。
彼女は典型的な「なで肩」の美人と言える。
対照するために、同じ映画の、マルガリータ役のウルスラ・アンドレスの典型的な「いかり肩」の写真を出しておく。
因みに、外国人に圧倒的に人気があったのは、後者のアンドレスだという。 ↓

e0123392_2355559いかり肩

日本の女の人には「なで肩」の人が多いと言われている。
外国人の場合は、どうなのだろうか。
私は、そういう日本人の女の人の「なで肩」が好きである。
なで肩の線が、何ともなく、艶めかしくて、見ていても、いい気分になる。
それを、わざわざパットを入れて「いかり肩」にどうしてするの、というのが、この歌の趣旨である。

この頃では余り「ウーマンリブ」というような言葉を聞かないが、ひところは盛んに主張されたことがある。
そのことの良し悪しを、私は言っているのではない。
なで肩が好きという、あくまでも私の個人的な感想に過ぎない。
女性の社会進出は年々ますます盛んで、女性がそれぞれの分野で重要なポストを占めるようになってきた。
そんな時代になっても、女の人には「ユニセックス」のような状態にはなってほしくない、と私は思うのである。
社会の重要なポストを占めながら、なお「女性」としての魅力を失ってほしくはない、のである。
女としての魅力を「売り物」にする人もあるだろうが、それでも、いいのではないか。

なで肩の歌というのではないが、女の後姿その他の歌を引いて終わる。

   後肩いまだ睡れり暁はまさにかなしく吾が妻なりけり・・・・・・・・千代国一

   泣くおまえ抱(いだ)けば髪に降る雪のこんこんとわが腕に眠れ・・・・・・・佐佐木幸綱

   たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章をわれは思ひき・・・・・・・・近藤芳美

   とことはにあはれあはれは尽すとも心にかなふものか命は・・・・・・・・和泉式部
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この記事の初出は2006/02/21のもので、当時、この記事をご覧になったFRANK LLOYD WRIGHTさんが、下記のコメントを寄せられた。

<なで肩は、
中国で言えば、華南とか上海とか海沿いの地域はなで肩ですね。
つまり、海から離れた北京とかはいかり肩が多い。満州も内陸部はそうですね。
日本・韓国は、島国・半島国家ですから言わずとしたなで肩。海沿いです。
東南アジアはおしなべてなで肩。海に関係するからですかね?
インドなんて、北インドはいかり肩で、南インドはなで肩。ドラビタ系はなで肩が多い。
スリランカは、同じ家族でいかり肩、なで肩がとびとびに。
インドからの移住と現住のドラビタとの血の現れでしょうか?>

私には新しい知識だが、面白いので、ご紹介しておく。

この記事は上にも書いた通りの初出のものがベースになっているが、写真なども替えたし、旧記事通りではないので念のため。



稲田病院が倒産した・・・木村草弥
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↑ 画像はイメージです

朝日新聞が三月五日にニュースを発信した。  ↓

 医療法人社団「湧水(ゆうすい)方円会」(稲田有史理事長)が4日、奈良地裁に自己破産を申請し、手続き開始の決定を受けたと東京商工リサーチ奈良支店が発表した。
同支店によると、負債総額は約1億7千万円。同会が奈良市大森町で運営する稲田病院(32床)も閉院した。同法人は2014年設立。
病院長の稲田理事長が今年2月に亡くなり、破産申請にいたった。

私が妻亡きあと、十年間にわたって支えてもらった「稲田京子」さんの二男の稲田有史が院長だった。
顕微鏡下での微細な手術 マイクロサージャリーの第一人者で、全国の医師の紹介で患者が来ていた。
京都大学再生医科学研究所「臓器再建応用分野」部門が開発した「人工神経」を臨床で使うために京大が白羽の矢を立てたのが、第一人者の彼だった。
詳しくは下記のWikipediaを見てもらいたい。
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Wikipedia の記事 ↓
稲田 有史(いなだ ゆうじ、1959年8月29日 - 2020年2月16日)は日本の整形外科医。奈良県奈良市生まれ。

マイクロサージャリーの中でも「末梢神経損傷に対するPGA-C tubeを用いた再生治療」のパイオニアとして注目される。

医療法人社団「湧水(ゆうすい)方円会」(稲田有史理事長)が2020年3月4日、奈良地裁に自己破産を申請し、手続き開始の決定を受けたと東京商工リサーチ奈良支店が発表した。同支店によると、負債総額は約1億7千万円。同会が奈良市大森町で運営する稲田病院(32床)も閉院した。同法人は2014年設立。病院長の稲田理事長が今年2月に亡くなり、破産申請にいたった。

経歴
1959年8月29日、稲田病院長で外科医の父・道夫と母・京子の二男として出生。1977年3月、奈良県立奈良高等学校卒業。1983年3月、久留米大学医学部卒業。

職歴
1983年5月、奈良県立医科大学(整形外科学)入局。1991年5月、整形外科専門医取得。医学博士号取得。1991年7月、ニューヨーク・コーネル大学医学部付属HSS (The Hospital for Special Surgery.NewYork) 留学。
1995年7月、奈良県立医科大学緊急医学教室講師。
2000年7月、G8九州沖縄サミット・デイゴ作戦(国家救急医療作戦)整形外科専門医チーム代表選出。
2003年4月、京都大学再生医科学研究所臓器再建応用分野非常勤講師。2013年現在講師。
人工神経の開発・臨床応用に参加。「人工神経誘導チューブ」(PolyGlocolic Acid-Collagen tube) の基礎実験・臨床応用を継続。
2004年1月、稲田病院院長。
奈良県立医科大学整形外科、麻酔科、耳鼻咽喉科、高度救命救急センター非常勤講師。
耳鼻咽喉科において-鼓索神経、顔面神経再建。
麻酔科ペインクリニック-複合性局所疼痛症候群 CRPS (Complex Regional Pain Syndrome typeⅡ:causalgia) 治療。

2004年9月人工神経誘導チューブが、末梢神経欠損に対するのみならず、神経因性疼痛に効果があることを発見。これらの結果は『NeuroSurgery』誌に論文採用され同誌の表紙を飾り、PGA-C tubeの世界初の臨床成功例として紹介された。自家神経移植例との比較実験も行い『Brain Research』に採用される。

今なお年間1000例以上の外傷再建手術をこなし、指の再接着率は96%。

資格/日本手外科学会評議員。日本末梢神経学会評議員。公益社団法人日本整形外科学会認定整形外科専門医。

医療法人湧水方円会 稲田病院理事長・院長。

京都大学ウイルス・再生医科学研究所臓器再建応用部門 非常勤講師。
奈良県立医科大学臨床教授・整形外科・高度救急センター・麻酔科・耳鼻咽喉科。
関西医科大学生化学教室 非常勤講師。
AO EastAsia,soft tissue coverage member。
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手術後も、丁寧なリハビリで有名で、院長診察日には午前中だけで100人を超す外来患者が押し寄せていた。小さな病院だった、のにである。
私は2/16に彼が死んだと聞いたときに、ああ、これで稲田病院は終わった、と直感したが、その通りになった。
この病院は彼・稲田有史で持っていたからである。
病院の経営は苦しい。
稲田病院は、稲田道夫氏と稲田京子さんが、一代で築き上げた病院なのである。
稲田京子さんは、死んで、もう四年になるが、病院の倒産ということを知らずに、いい時に亡くなった、と今になれば思う。 嗚呼。



「信天翁」私信と抽出歌・・・貝沼正子
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     「信天翁」私信と抽出歌・・・・・・・・・・・・・貝沼正子(「未来山脈」会員)

暖冬で例年より桜の開花が早まりそうですが、お変わりございませんか。
歌集『信天翁』をご恵贈いただき有難うございました。
一昨年の詩集『修学院幻視』に続いてのご出版、益々のご活躍に驚いております。

   〈信天翁〉描ける青きコースターまなかひに白き砂浜ありぬ

歌集名にとられたお歌ですが、装丁もこの青いコースターに描かれた信天翁でしょうか。個性的でインパクトがあります。
帯に「この本は親しい人たちを失った喪失と諦念の書である」とあり、木村様の現在の切ない心境が語られていますが、信天翁の表情は光を背負いまっすぐ天に向かって飛び続けているようで希望を感じます。
作者を支えてくれた親しい方の死や、次兄・重信様の死は、どれだけつらく、悲しく、寂しく胸を締め付けられる思いをされたことでしょう。ご冥福をお祈り申し上げます。

「あとがき」にもあるように、木村様の作品は「散文の短詩」の形態が多く、私には批評が難しいので、心に残った作品を一部挙げさせていただきます。

(信天翁)から
   ・一病を持ちては永きたそがれか野の豌豆の花の白さや
   ・〈信天翁〉描ける青きコースターまなかひに白き砂浜ありぬ
   ・吉凶のいづれか朱き実のこぼれ母系父系のただうす暗し
   ・庭の樹につくつくぼふしが来鳴きけり酷暑のふつと弛める夕べ
   ・また地上に出でくるときは七年先まみえむ日まで命やしなはむ

(幻想的で不思議な感じ)
   ・ふしぎにかぼそい光のタペストリー 孤立するまばゆい無限空間
   ・象形は彩を失って 残像となり あなたは遠ざかる

(短詩の一連)
   ・街並み
   ・森の記憶②
   ・岩の造形
   ・誕生と死
   ・さざれ石
   ・都市の壁
   ・cogito , ergo sum
   ・「自由」というだけで何でや?今どきの若者よ、それが時代の狂気なのだ

いま世界中に新型コロナウイルスが感染拡大し、病気はもとより、学校、経済、失業、貧困、移動の制限など多くの問題が山積しています。
戦争の歴史から学ぶように「時代の狂気」に振り回されないように、落ち着いた行動を一人ひとりが取るべき時と心得ます。
いろいろとご教示いただき有難うございました。

どうぞお身体をおいとい下さって、これからも作品作りに励まれることをお祈りいたします。
   令和二年三月九日    水仙の芽が伸びだした一関より     貝沼正子



水取りや氷の僧の沓の音・・・松尾芭蕉
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    水取りや氷の僧の沓(くつ)の音・・・・・・・・・・・・・・・松尾芭蕉

この句には「二月堂に籠りて」の前書きがある。
奈良東大寺二月堂では、3月1日から14日まで修二会(しゅにえ)の行法が行われる。
2月21日から練行衆と言われる僧は精進潔斎をおこない、3月1日の夜から堂に参籠し、授戒、籠松明、お水取りなどの諸行を修し、達陀(だったん)の法で行が終り、15日の東大寺涅槃講を迎える。
二月堂の開祖・実忠和尚が始めたと言われる。修二会とは、2月に修するという意味で、旧暦の2月1日から14日間にわたって行われたもので、今の暦では、上に書いたように3月に行われる。「お水取り」は、そのうちの一つで、3月13日の午前2時頃から行われる。
二月堂で一年間仏事に用いる聖水を、堂の近くの閼伽井(あかい)で汲み、本堂に運んで五個の壺に納め、須弥壇の下に置くもので、この「あかい」の水は若狭国から地下でつながっていると伝えられる。この水で牛王(ごおう)の霊符を作り参詣の人々に分けるのである。

以上がお水取りの行法だが、これを拝観に人々が集まるのは、雅楽の響きの中、法螺貝を吹き鳴らし、杉の枯葉を篝火に焚き、僧が大松明を振りかざして回廊を駆け昇るのだが、クライマックスとなるのは3月12日午後8時頃に籠松明12本を次々に連ねて廻廊から揺りこぼす(関係者は「尻松明」と称するらしい)という壮観な行事である。
この大松明の振りこぼした「燃え残り」を拾って、家に持ち帰ると、ご利益があるというので、人々は競って拾うのである。写真は、その時の大松明の燃えさかる様子だが、どうして、お堂に火が移らないか、と不思議である。

関西では「水取りや瀬々のぬるみも此日より」の句にある通り、お水取りが終わらないと暖かくならないと言われ、事実、季節の推移は、そのようになるから不思議である。こういう感覚は、関東や西国の人には理解できないことかも知れない。

掲出した芭蕉の句だが、しんしんと冷える深夜、凍てついた氷さながらの僧の、森厳な修法の姿を端的に示す氷ついた沓音が響く。「氷」は「僧」にも「沓音」にもかかると見るべきだろう。
貞享元年から二年にかけての記念すべき関西への旅の体験である。出典は『野ざらし紀行』。
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修二会を詠った句を挙げて結びにする。

  廻廊の高さ修二会の火を降らし・・・・・・・・・岩根冬青

  修二会の赤き雪かな火の粉かな・・・・・・・・吉川陽子

  籠りの僧煙のごとしや走り行・・・・・・・・堀喬人

  女身われ修二会の火の粉いただくや・・・・・・・・斎藤芳枝

  修二会の奈良に夜来る水のごと・・・・・・・・角川源義

  修二会僧女人のわれの前通る・・・・・・・・橋本多佳子

  巨き闇降りて修二会にわれ沈む・・・・・・・・藤田湘子

  走る走る修二会わが恋ふ御僧も・・・・・・・・大石悦子

  法螺貝のあるときむせぶ修二会かな・・・・・・・・黒田杏子

  修二会果つ大楠の根を雨洗ひ・・・・・・・・針呆介

  雨音も修二会も鹿の寝(い)の中に・・・・・・・・志摩知子

  倶に寡婦修二会の火の粉喜々と浴び・・・・・・・・我妻草豊

  参籠の修二会に食ぶ茶粥かな・・・・・・・・大橋敦子

  ささささと火を掃く箒お水取り・・・・・・・・山田弘子

  火と走る僧も火となるお水取り・・・・・・・・銀林晴生

  お水取り青衣女人のまかり出る・・・・・・・・磯野充伯

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友人の井芹能一氏から提供頂いた、平成16年2月26日に行われた修二会のための「社参」という行事の写真があったのだが、ブログ移転の際に紛失してしまった。
写真は、先頭から和上、大導師、咒師、堂司とつづく行列であった。
場所は戒壇院前。「社参」は神仏習合そのもので、修二会が無事に遂行できるように、二月堂の守護神社を中心に八幡殿、天皇陵、開山堂を参詣するものという。
おわび申し上げる代りとして 「お水取り その1」というサイトをリンクに貼っておくので、ご覧ください。行事が写真入りで詳しく書かれており、文中から「その2」へと繋がって行く。
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(追記)3月15日に井芹氏からメールが届いて14日間の修二会の行が終わったことが書いてあった。
以下、井芹氏のメールを引用して紹介したい。

<行としては18日観音講の日を最後とするのですが、14日間の修二会が今朝方終わりました。 眠いというよりも、ある種の幸を感じる朝でもありました。 誰が名づけたか「名残の晨朝」、ここで聞く行中最後の観音経は「蛍の光」の曲と同じ感じ。大の大人が観音との別れを惜しみ唄ってもこうなるのでしょうか。名残の晨朝の時導師は総衆が勤めることに決っているそうですが、今年は名代の時導師で胸に迫りました。 東大寺では野ざらし紀行の「氷」と違って、「籠り」を採っているようです。これも東大寺の独自性を表わそうとしたものでしょうか。 二月堂と法華堂との間に行場の滝があり、その前に芭蕉の句碑が建っています。曰く「水取りや籠りの僧の沓の音」。 額に牛玉印を押し、達成した満足感を顔一杯に表わし、牛玉杖を抱え、満行下堂してくる練行衆を迎え、ああ!今年も終わったなと帰路についたのが、明け方の4時半。まさに堂内の和上が「よあけんたりや」と問うのに対して、堂童子が「暗し」と応えるのと同じ時刻です。>
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(以下は2004/03/12Doblog記事の再掲である。ご了承を。)
  
  東大寺修二会1253回お水取り
     ──参籠役のこと──井芹能一氏による──


東大寺修二会の行事について、井芹氏から資料を頂いた。井芹氏は京都府立山城郷土資料館の解説ボランティアを務める人だが、この近年、東大寺に日参し、もろもろの行事に精通しておられる。
井芹氏から頂いた資料により、平成十六年度の「東大寺修二会1253回お水取り」のことを、少し書いてみたい。

平成十六年修二会参籠役

 和上──森本公誠/清涼院・上院院長・東大寺学園理事長──参籠27回

和上は練行衆に戒を授ける。かつては四職の中で堂衆が勤めることが出来る唯一の役であった。

 大導師──上野道善/真言院・華厳宗宗務長・東大寺執事長──参籠29回

導師は修二会の最高責任者として法会を統括する。かつては学侶の所役であった。

 咒師──筒井寛昭/龍松院・大仏殿院主・福祉事業団理事長──参籠25回

咒師は呪禁師であり、結界勧請などの密教的修法を司り、神道的な作法も行う。かつては学侶の所役であった。

 堂司──平岡昇修/上之坊・勧学院院長──参籠19回

堂司は法会進行上の監督責任者。かつては学侶の所役であった。

以上が「四職」(ししき)という。
他に「北座衆之一」「南座衆之一」などの7役が居るが省略する。
これらの役割は、昨年12月16日に「良弁忌」の日に東大寺の名のもとに、二月堂に告知されたものという。

この資料を拝見していると、なかなか面白い。と申し上げては失礼かも知れないが、伝統的な行事というものは、なかなか大変な仕来りを経なければならないと思うのである。
例えば、「堂童子」という役割は、礼堂外陣閼伽井(あかい)屋などを掌握し、練行衆の勤行に付随する外縁作法を担当する、とある。
「駈士」とは湯屋を掌握し、雑法務にたずさわる。
「大炊」とは炊飯役であり、「院士」とは調菜役、「庄駈士」とは湯の番、のことという。
精進潔斎のご苦労も知らず、面白がっているのも、お許しいただきたい。
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3月18日付で新資料を頂いたので、参籠までの行事次第を以下に書き記す。

★2月末日の次第
2/29(28)
15:00 「追い出しの茶」を頂き、別火坊を出立。参籠宿所に向かう。
15:30 参籠「宿所入り」。「娑婆古練」と称し、東大寺の管長や修二会の四職を務めたことのある長老や、参籠経験のある僧の出迎えを受ける。
15:40 「内陣改め」。堂司が堂童子を伴い内陣の荘厳の具合を検分する。この後、内陣と外陣を分ける「戸帳」を設置。
16:40 「お湯布令」。「お湯屋にござれ」の掛け声で練行衆が湯屋に向かうが、新入りの参籠衆がいる時には別の作法あり。
18:00 「大中臣の祓」。咒師の意向を受けて、小綱の「お祓いにござろう!お祓いにござろう!」の掛け声で参籠衆を集め、咒師が登廊の下にある細殿の前で無言で行う「結界」作り。通称「天狗寄せ」。天狗も「何をしているのか」と興味を持って寄って来る、ということか。
3/1
00:45 「おめざ!」の掛け声で「お目覚」。
01:00 「受戒」。「小綱の房!小綱の房!大膳殿の出仕なら鐘をつきやれ!鐘をつきやれ!」の掛け声で食堂に参集。和上が自戒の後、参籠衆に沙弥の十戒の内、蓄金銀宝を除いた九カ条の戒を授けるが、その時、和上が「~を保つや否や」と問えば、参籠衆「よく保つ、よく保つ、よくたもーつ!」と応える。食堂内では、その他に七条袈裟の「袈裟給り(ケサタバリ)」が行われるようだ。
手松明に導かれ「開白上堂」。このとき練行衆が喜び勇んで、十一面観音に上堂を知らせる沓の音は、はじめて履いた沓を確かめるようでもある。
02:00 「一徳火」。真の闇の中で堂童子が火打石を打つ。代々この童子の名前が「一徳」であったために「一徳火」と言っているようで、後年には一発で火を得る童子を讃え、「一徳法師」の称号もあるらしい。ここで得た火を「常灯」に移し、行中および今後1年間の「火」とする。
この後、日中の行法に入り、修二会6時の行法が始まる。

★松明について
修二会では14種類の松明が使われるが、特に知られている松明は「上堂松明」「達陀松明」「蓮松明」かと思われる。
*「上堂松明」は練行衆が初夜上堂する時に先導する松明で、3月12日以外は10本で、3月12日の上堂のみ、一段と大きい11本の「籠松明」が上がる。通常上がる10本の松明の中でも、最後の日となる3月14日の松明は10本が間を置かずに上がるため「尻つけ松明」と言われている。
*「達陀松明」3月12・13・14日の「後夜」の途中、正確には13・14・15日の午前0時か午前3時に内陣で主役となる火天・水天をはじめ八天を勧請して行われる行法。火天が周りで吹かれる「ほら貝」に囃し立てられるがごとく、水天を相手に堂内を飛び跳ね、飛び回り、大人の火遊びにしても大き過ぎる松明を振り回す。通常の大きさではない。事実、寛文7年2月13日この火が原因と思われる火事により、天平勝宝4年以来のご本尊、経文、建物を消失している。それでも「行」を続けたとかで、凄いというかアホというか、「不退の行法」と言われる由来である。
*「蓮松明」は3月12日の「後夜」で「行」を中断して行われる「お水取り」に使われるもので、レンコンの一節に似ているところから、この名が出ているようだ。「お水取り」の最中には外陣の例時の間で雅楽の演奏が行われる。「お水取り」には咒師以下6人の練行衆が携わり、礼堂では行の途中のため五体板の上に片膝をついたままの総衆と、咒師を除く三役と「南座乃衆一」が待機している。
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以上が井芹氏から追加で頂いた資料であるが、古来からの仕来りで行われる「行」も大変である。
井芹氏から、折角貴重な資料をお送り頂いたので、その万分の一かの御礼に代えて、ここに記しておく。
私が書いた本文との異同の個所があれば、正しくは井芹氏の資料に拠られたい。




「信天翁」十首抄・・・三井修
信天翁_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
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     「信天翁」十首抄・・・・・・・・・・・・・三井修(「塔」選者)

   ■一病を持ちては永きたそがれか野の豌豆の花の白さや
   ■四月は旅立ちの月である。どこかで桜が咲いている。
   ■一枚の絵の中で物語が時間をかけて浮き沈みする
   ■カップの小粒納豆 糸を引くナッーキナーゼの効用信じて
   ■街並みの幾何学模様を、さらに複雑にしているのは「家」
   ■樹林一面に霧氷が付着して幻想的だった
   ■嫡子定規の凹凸が樹々の風景に整然と展開する
   ■幾億年かの昔、記憶にもない時代である
   ■高い山でもないし険しい山でもない黒部川源流の風景
   ■都市の歓びは自由にあちこち歩き廻れることにある





三月十一日の悲劇を忘れないために・・・木村草弥
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↑ 東電・福島第一原発3号機の爆発の写真。当初は余りの惨状に政府は非公開にしていたもの─アメリカの新聞が公開。

──再掲載──

       三月十一日の悲劇を忘れないために・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

今日は東日本大震災が起こって、地震と大津波が襲来した日である。
地震の被害もさることながら、大津波によって大被害が起こり、あまつさえ「福島原発」が大爆発し、核燃料が溶けるメルトダウンを起こした悲劇は今に続いている。
この「メルトダウン」については、チェルノブイリ発電所での事故と同様であるが、日本では原発事故当初から、「影響は少ない」という「ウソ」の報道が政府などからなされている。
爆発した原子炉の片付けが進んできた昨今になって、メルトダウンの状況が予想以上に深刻であることが判ってきた。
チェルノブイリでは解けた燃料を取り出すのが不可能なので、建物全体をコンクリートで覆って、いわゆる「死の棺」として数十年経ったのだが、経年劣化でコンクリートが崩壊しだしたので、それを更に再び覆う工事が着手されようとしている。
溶けた原料の塊は「象の足」と呼ばれているが、フクシマの場合も、その象の足と同様の状態であるらしい。
放射線が強くてロボットのカメラも壊れて実情を写すことすら出来ない、ということである。
これらの真実に鑑みて、この悲劇を忘れないために、これに関連する過去記事を再掲載しておくので読んでみてください。  ↓

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佐藤

──新・読書ノート──

     いつ爆ぜむ青白き光を深く秘め
            原子炉六基の白亜列(つら)なる・・・・・・・・・・・・・・・佐藤祐禎

         ・・・・・佐藤祐禎歌集『青白き光』2004年初版・短歌新聞社。2011年再版・文庫版いりの舎・・・・・・・・・

大熊町に在住され福島の原発を以前から告発し続けていた、歌集『青白き光』の佐藤祐禎(さとう・ゆうてい)さんは2013年3月12日に亡くなられた。 83歳であった。
初版の「あとがき」で
<七十五歳にして初めての歌集である>
と書いているように、遅くからの歌の出発であった。
「アララギ」から始まり、アララギ分裂後は宮地伸一の「新アララギ」に拠られた。序文も宮地氏が書いている。
「あとがき」にも書かれているが「先師」とあるように「未来短歌会」の近藤芳美の弟子を標榜されていて、桜井登世子さんと親しかったようである。
角川書店「短歌」六月号に、桜井さんが追悼文を書いておられる。

生前の佐藤さんのことは私は知らない。
原発の大事故のあと、事故前、それも十年ほども前に原発の事故を予測したような歌を発表されていると知って衝撃を受けた。
その歌集が『青白き光』である。
彼が短歌の道に入ったのは五十二歳のときで、遅い出発だった。
この歌集には昭和56年から平成14年までの歌511首が収録されている。
もちろん原発関連の歌ばかりではなく、羈旅の歌もあり、海外旅行の歌などもある。
ここでは、それらの歌には目をつぶり、原発関連の歌に集中する勝手を許されよ。

  いつ爆ぜむ青白き光を深く秘め原子炉六基の白亜列なる・・・・・・・佐藤祐禎

この歌は、この歌集の最後に置かれたものだが、題名も、この歌から採られているが、まるで「予言」のような歌ではないか。

彼・佐藤祐禎は再版に際して、別のところで、次のようなことを書いているので引いておく。 ↓      
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   『青白き光』を読んでくださる皆様へ    佐藤祐禎

私共の町は、新聞テレビで、充分世にまた世界にフクシマの名で知れ渡ってしまいましたが、福島県のチベットと蔑まれて来ました海岸の一寒村でした。
完全なる農村でして、一戸あたりの面積は比較的多かったのですが、殆ど米作りの純農村故に収入が少なく、農閑期には多くの農民が出稼ぎに出て、生活費を得た状態でした。

そこへ天から降って来たような感じで、原子力発電所が来ると知らされたのです。

この寒村に日本最大の大企業が来れば、一気に個人の収入も増え、当然町も豊かになるだろうと、多くの人は両手を挙げて賛成しました。
わずかに郡の教員組合などは反対したようですが、怒涛のような歓迎ムードの中では、表に出ることはありませんでした。
常識的に言って、これほどの大事業を興すには多くの問題が山積みするはずでしたが、ここでは全く問題は起きなかったのです。

先ず、用地ですが、ここには宇都宮航空隊の分教場があったのです。
敗戦となり、飛行場が撤収された跡には、面積92万坪つまり300ヘクタールの荒れ地が残っていました。
それが地元民の知らない内に、3分の2が、堤財閥の名義になっていました。
どのような経緯があったのかは未だわからないのですが、当時の衆議院の議長は西武財閥の祖、堤康次郎であったことを考えると、自ずから分かる気が致します。
あとの3分の1の殆どは、隣の双葉町7人の名義になっていました。

これらの土地は、全くの痩地で、生産性が殆どありませんでしたので、かつては、軍のために無償で提供した夫沢の地区の人らは顧みることもありませんでした。

当時、東京電力の社長・木川田は、福島県出身であり、建設省に絶大なる影響力を持っていた衆議院議員、天野は、ここ大熊町の隣の双葉町の出身だったのです。
そういう立場ですから、同県人として地元の為にと、木川田は考えたのだろうと思います。
そこに、天野は、俺の故郷には、うってつけの土地があると言いました。

立地条件として、第一に、相当広い土地。
第二に、1キロ以内に人家が全くないこと。
第三には、海水が充分確保できること。
第四に、土地取得に障害がないこと。
これらの条件が全て解決できるところが双葉郡大熊町夫沢地区だったのです。


東電の意志が県に伝えられ、双葉郡そして我が大熊町に伝えられ、トントン拍子に ことが運んだようです。
そんな訳で土地の価格が、驚くなかれ、一反歩「300坪」当時で5万円。
地上の樹木「矮小木」5万円。併せて10万円だったのです。
白河以北、一山百文といわれた東北でしたから、単に売買するとしたら一反歩5,000円か、1万円くらいにしか思っていませんでしたから、地権者は喜んで手放しました。
びっくりしたのは東電だったようで、後で聞きましたら、買収予算の4分の1で済んだとのことでした。
後に大きな増設問題が出ました7号炉、8号炉の建設予定地となった厖大な土地は、その余った予算で買った
ということです。

いよいよ工事が始まり、全てのものが大きく変わってゆきました。
数千人という作業員が入り、20キロ離れた山から岩石を切り出して、工事現場に骨材を運ぶトラックが延々と続きます。
労賃も飛躍的に上がりました。
今までは、小さい土木会社の手間賃が700~800円だったのが、数倍に跳ね上がったのです。
農家の人たちは早々と農事を済ませて、我がちに作業員として働き始めたのです。
年間の収入は飛躍的に増加したものですから、原発さまさまになって行きました。

それまでは収入が少なかったものですから、家を建てる時も村中総出で手伝い合い、屋根葺きなども「ゆい」という形で労力を出し合っていましたが、一日数千円の労賃が入るということで、助け合いなどすっかりなくなってしまったのです。
「町は富めども こころ貧しき」とも私は歌いました。

人口一万弱の町に、30軒以上の飲み屋、バーがあったといいます。
下戸の私などは一回か二回くらいしか行かなかったはずで、その実態などはよく分かりませんが大凡の見当はつきます。

原発に関する優遇税はどんと入りますし、原発に従事する人達の所得税は多くなりますし、何か箱物とか運動場とか施設を造る度に、原発からは協力費として多額の寄付金がありました。
いつの間にか県一の貧乏村が分配所得県一になってしまいました。

ここだけではありません。
となりの富岡町には、111万キロの原子炉が4基出来ましたし、そのとなりの楢葉町と広野町には、100万キロの火力発電所が4つ出来ました。
原発10基と火力4基から生み出される電力は、全て首都圏に送られ、地元ではすべて東北電力の電気を使ってまいりました。
東京の人達に、ここをよく理解してもらいたいと切に願うものです。

私の反原発の芽生えは、一号炉建設の頃、地区の仲間たちが皆そうであったように、どんな物だろうと好奇心を持って少しのあいだ働いた時です。
ある時、東芝の社員の方がこう言ったのを今でも覚えています。
「地元の皆さんは、こんな危険なものをよく認めましたね」という言葉でした。
その時は、変なことをいう人だなと思いましたが、だんだんと思い当たるようになったのです。

最初に気づいたのは、小さいけれども工事の杜撰さでした。
誤魔化しが方々にあったのです。
小さい傷も大きな災害にひろがることがあります。
それらは末端の下請け会社の利を生むためには、仕方がないというのが、この世界の常識だったらしいのですが、ただの工事ではないのです。
核という全く正体の分からない魔物を扱う施設としては、どんなに小さい傷でも大きな命取りになるはずです。
次第に疑念を持ち始めた私は、物理の本を本気になって読み始めました。
そして、それを短歌に詠みました。

   <この孫に未来のあれな抱きつつ窓より原発の夜の明り見す>・・・・・・・・・・佐藤祐禎
    
                                   (後略)
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この文章を読むと、かの地に福島原発が、大した反発もなく建設し得たのかの疑問が氷解する。
上の文章の中のアンダーラインの部分は、私が引いたものである。

「資本の論理」と言われるが、まさに巨大財閥と巨大企業による「犯罪」とも言える行為である。
こんなことは、事前も事後も、日本のマスコミは一行も書かなかった。

さて、本論の佐藤さんの歌である。
多くの歌は引けないので、はじめに掲出した歌を含む巻末の平成十四年の歌の一連を引いておく。

     平成十四年    東電の組織的隠蔽

  三十六本の配管の罅(ひび)も運転には支障あらずと臆面もなし

  原発の商業主義も極まるか傷痕秘してつづくる稼働

  さし出されしマイクに原発の不信いふかつて見せざりし地元の人の

  破損また部品交換不要と言ひたるをいま原発のかくも脆弱

  原発などもはや要らぬとまで言へりマイクに向かひし地元の婦人

  原発の港の水の底深く巨大魚・奇形魚・魔魚らひそまむ

  「傷隠し」はすでにルール化してゐしと聞くのみにして言葉も出でず

  ひび割れを無修理に再開申請と言ふかかる傲慢の底にあるもの

  ひび割れを隠しつづくる果ての惨思ひ見ざるや飼はるる社員

  埋蔵量ウランは七十年分あるを十一兆かけるかプルサーマルに

  法令違反と知りつつ告発に踏み切れぬ保安院は同族と認識あらた

  面やつれ訪問つづくる原発の社員に言へりあはれと思へど

  組織的隠蔽工作といふ文字が紙面に踊る怖れしめつつ

  原発推進の国に一歩も引くことなき知事よ県民はひたすら推さむ

  いつ爆(は)ぜむ青白き光を深く秘め原子炉六基の白亜列(つら)なる

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極めて不十分な鑑賞だが、この辺で終わりにする。 ぜひ取り寄せて読んでもらいたい。

この歌集の「初版」は短歌新聞社から刊行されたが、そのときに担当されたのが「玉城入野」氏であった。ちょうど、その頃、彼は短歌新聞社で編集者だった。
その後、短歌新聞社は社長の石黒氏の高齢のために解散されたので、初版本は絶版となった。
フクシマ原発事故の後、佐藤さんの「予言」のような歌を覚えていて、ぜひ再版をと働きかけて再版に至り、よく売れて、私が買ったものは第三刷である。
因みに、この玉城入野氏は、高名な玉城徹の息子さんであり、きょうだいに「塔」所属の歌人として有名な花山多佳子が居る。
玉城徹 ← については私の記事にあるので参照されたい。





武藤ゆかり歌集『異界伝説』・・・木村草弥
武藤_NEW

──新・読書ノート──

     武藤ゆかり歌集『異界伝説』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                 ・・・・・・・南天工房2010/09/23刊・・・・・・・

敬愛する武藤ゆかり氏から標記の本が贈られてきた。
武藤氏は多作である。この本も、2003年から2006年にかけて作られた765首のもので、新作と入れ替えたりなさった、という。
「あとがき」に、こう書かれている。
<・・・・・今回初の試みとして、恐怖を題材にした一連を発表する。
 ・・・・・私はこれらの歌の多くを、ふるさとの山間の村のさまざまな事象から拾ってきた。そこは愛すべき馴染み深い土地でありながら、まるで未知の世界、別の次元のように感じられる。
 日々の営みや人の生死もどこか物語めいていて、誰か昔の人の魂が異界からふっと憑依してきて私に歌を詠ませ、伝説を語らせるのである。>

ここに書かれる「恐怖を題材した一連」というのは、どれか、探してみた。
本書は第一部と第二部に分かれた章立てになっているが、第二部に載る「悪夢の通りゃんせ」40首が、それらしい。引いてみよう。

   ■お父さん学校怖い理科室の奥に開かない小部屋あること
   ■お父さん残業怖い節電の闇の向こうで再起動する
   ■お父さんとんねる怖い出た時に手形の残る助手席の窓
   ■お父さん病院怖い目撃談よくある事と笑う看護師
   ■お父さん鳥さん怖いぽたぽたと落ちて死ぬとこ一度も見ない
   ■お父さん旧家は怖い鉤の手に廊下をゆけば錆びた錠前
   ■お父さん黄昏怖い影法師少し遅れて手足が動く
   ■お父さん母さん怖い鏡台に誰の爪だか大量にある
   ■お父さん津波は怖い引き潮においでおいでをしている親子

多くを引きすぎたかも知れないが何分40首もあるので仕方がない。
ご覧のように歌の初句が、みな「お父さん」で始まっている。
この一連に関連して、先に引いた「あとがき」の続きには <・・・・・空想が肥大して異常なまでに私を刺激し、頭の中で一首一首に幻影が付与され、夜などは得体の知れないものが迫る予感に、布団から手足を出したままでは眠ることができなかった。今やっと解放された安堵感がある。・・・・・>と書かれている。
何を、大げさな、と思うが、作者にとっては、そういう思いがした、ということだろう。

何ぶん歌の数が多すぎて印象が雑駁になって不十分な鑑賞になるのをお許し願いたい。
あとは私の目に止まった歌を列挙したい。

   ■木星のありようもまた揺れている固体液体気体霊体
   ■あれがあの天狗の面の猿田彦はじめ細波やがては津波
   ■ひいよろと心任せに吹き鳴らし笛になりゆく田楽法師
   ■神猿に護摩餅いくつ炙らせてそのひび割れをいかに占う
   ■日本の家族写真の真ん中は普通は子供あめりかは妻
   ■ふところに氷育てて悲しかり白昼魔人街をさまよう
   ■仕事していないと死んでしまう人深海鮫とどこか似ている
   ■自らも粘土遊びをし始めて被膜の外へ逃げゆくところ
   ■何事もなかったように乳根を垂らして古き御葉付公孫樹
   ■道ゆけば見上げるほどの石仏時空の辻はここかと思う
   ■綿帽子かつらの上に膨らみぬうつむきがちの水平移動
   ■熱帯の珊瑚の海のねむりぶかあの生もこの生も僥倖
   ■のぎへんの私も仲間先の世は虫の褥を共に編みつつ
   ■悲しみの微弱電流に打たれけり想像もまた供養なりけり
   ■山鳴りは未明の空に一度きり響いて消える遠い空耳
   ■印度人笛吹き踊る絵葉書の中に未生の我もいるなり
   ■草陰に呼び掛けながら家出猫探す私を誰か探して
   ■へその緒を握り締めたる風体に犬と我がゆく山野行かな
   ■かりゆがの時代の末に居合わせて先の楽しみ増えた心地す
   ■岩肌のうしろ臨海副都心どこかあの世の遊戯庭園
   ■本当に怖い話は僕たちが離魂病だということなんです
   ■女もすなる花冠を編まむとて若草踏みてくる人もがな
   ■さみしさを二度と言うまい骨盤の壁の中なる永久凍土
   ■亡き人の長編叙事詩書き出しは星降る里の涌井のほとり
   ■自らの体に傷を付けながら海を砕いて進む船あり
   ■雨後の水たばしる沢はさんさーらさんさーらとぞ流れゆくなる
   ■漂えるこの世の悪しき想念を変換せんと鳴く雨蛙
   ■静寂も音のひとつと思うまで森に佇む一頭の馬
   ■いっぽんの花揺れて万の花揺れて私も風の墓標となりぬ
   ■羊より綿より軽く縁側にわたくしだけが見上げる花火
   ■いつか見た逆さま王女絵の中に米粒よりも小さかりけり
   ■草の葉に初めて降りた白露の君の冷たき額を思う
   ■おおぞらの記憶容量限りなし雲は声紋さよならまりりん
   ■二人して築きたかった城塞の未完の庭に射す月明かり
   ■幸せはひまわり動物病院へ小さな犬を連れてくる人
   ■目立たねどげんのしょうこの実のかたち人智を超えた業と思えり

歌の数が多いので「小見出し」になっている歌を引いてみた。そこに作者の好みが籠っていると思ったからである。
しかし、いずれにしても歌の数が多いので、極めて雑駁な抽出になったことをお許し願いたい。
題名になった「異界伝説」という言葉に秘めた作者の琴線に触れ得たかどうか。
武藤さんは写真家でもあるので、カバー装の写真が題名と調和して素晴らしい。
この辺で、不十分ながら終わります。ご恵贈ありがとうございました。         (完)





指先をいつもより濃きくれなゐに染めてひとりの午後を楽しむ・・・鈴木むつみ
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     指先をいつもより濃きくれなゐに
            染めてひとりの午後を楽しむ・・・・・・・・・・・・鈴木むつみ


この歌は角川書店・月刊誌「短歌」2013年2月号に載る「指」という題詠に採用されたものの一つである。

一人暮らしの女の人の心情を、よく表現している。
今しも春めいてきて、心も浮き立つ季節の到来と言える。
掲出歌とは違う趣の歌群だが、いくつか引いて終わりたい。

   節高き指は女の勲章と自ら思ひ主婦の座守る・・・・・・・・西村麗子

   幼子の指絵のために取り置かむ冬の朝の硝子の曇り・・・・・・・梶田有紀子

   さ、よ、う、な、ら、指の先から逃がしつつひとは手を振るまた会うために・・・・・・木原ねこ

   指先を想像させる優美さよ腕を失くしたミロのビーナス・・・・・・波多野浩子

   常務派と専務派とあり遊戯にはあらぬこの指とまれの誘ひ・・・・・・山崎公俊

   指貫をゆつくり外し夕食のメニュー考へてゐるらし妻は・・・・・・・・加藤英治

   うろこ雲遠く遠くへ押しやりて秋風のなか指笛を吹く・・・・・・・・・・木立徹

   絵本読む幼の指のつと止まるつかえし文字は一つとばせよ・・・・・・・・中村佐世子




   
賞味期限切れた顔ねと言ひながら鏡の中の妻は紅ひく・・・木村草弥
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   賞味期限切れた顔ねと言ひながら
     鏡の中の妻は紅(べに)ひく・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
亡妻は、この歌の頃、体調を崩して体重も激減してやつれが目立つようになっていた。
「賞味期限」とは食品に付けられている期限の数字であるが、今では、日常会話の中でも、よく言われるようになっている。
亡妻が実際に、この言葉を言ったのか、それとも私が作品化するときに採り入れたのか、今となっては判然としないが、いずれにしても面白い歌に仕上がっている。
掲出した写真は、もちろん妻のものではない。この写真の女の人などは、まさに「賞味期限」最中である。
化粧品会社のサイトから拝借したものである。

女の人が、お化粧しているのを、こっそり眺めるのは面白いものである。
私の第三歌集『樹々の記憶』(短歌新聞社)の中で「化粧」という一連10首を作ったことがある。その中に

   私は化粧する女が好きだ 虚構によって切り抜けるエネルギー

   お化粧はゲームだ 化粧の濃い女の「たかが人生じゃないの」という余裕

   化粧はエロチックだ 女のナルシスムだと決めつけてはいけない

   化粧する女は淋しがりやだ。 化粧なしの素肌では不安なのだ

   素顔の女がいる「化粧をしなくても生きていける」勁(つよ)い女だろうか

   化粧台にむかう女を見るのは面白い、目をむいたり口をひんまげたり百面相

というような歌がある。この歌集は「自由律」のものなので定型をはみ出た自由なリズムで作っている。
いかがだろうか。
もっとも、この頃では男も化粧に精を出すような時代になった。
着るものも「ユニセックス」の時代と言われ、男性、女性という区別が明確ではなくなり、「中性」の時代とも言われている。
男性と女性とが「結婚」するという時代でもなくなり、同性同士の結婚が、法的に認められるところも出てくる、という時勢なのである。
私などは時代に取り残された「骨董品」的な価値しかないかも知れない。
それでも、私でも女の人に「まぁ、おしゃれね」と言われたら嬉しいのだから、何をか言わんやである。
この辺で、退散しよう。チャオ!



「信天翁」私信と抽出歌・・・阪森郁代。小野雅子。佐々木則子。松林尚志。伝田幸子。今井千鶴。
信天翁_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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      「信天翁」私信と抽出歌・・・・・・・・・・阪森郁代。小野雅子。佐々木則子。松林尚志。伝田幸子。今井千鶴。

      「信天翁」私信と抽出歌・・・・・・・・・・阪森郁代(玲瓏)

九十歳となられての記念碑的なご歌集。
なにより言葉の自在さに圧倒されました。
「言葉」 「街並み」 「都市の壁」 「cogito, ergo sum」が格別印象ふかく、惹かれました。
この集は、若者だけでなくすべての人へのメッセージ。そして美しい詩でした。
先日書棚から偶然お兄様のご著書『モダンアートへの招待』を見つけました。いいご本です。再読したくなりました。
くれぐれも御自愛下さいませ。御礼まで申し上げます。

     「信天翁」私信・・・・・・・・・・小野雅子(地中海)

このたびは御歌集『信天翁』のご上梓おめでとうございます。
歴史のこと、世界のこと、木村さまのご生活のこと、教えられること多く、興味ふかく読ませて頂きました。
香川進もうたわれていて時代を思います。
どうぞ、お身体を大切におすごし下さいませ。  かしこ

      「信天翁」私信と抽出歌・・・・・・・・・・佐々木則子(水甕)

1930年のお生まれとのこと今なお、作歌意欲に脱帽です。
☆一病をもちては永きたそがれか野の豌豆の花の白さや
☆≪信天翁≫描ける青きコースターまなかひに白き砂浜ありぬ
☆一枚の絵の中で物語が時間をかけて浮き沈みする
☆クオークから原子へ 原子から分子へ 分子からDNAへ
☆それは「時間」の創造物とも言い換えられるだろう
心に残った歌・詩篇を挙げさせて戴き御礼とさせて戴きます。
ご恵贈誠にありがとうございました。
新型コロナウイルスの猛威がふるう昨今、どうぞご身体くれぐれもご自愛くださいませ。

     「信天翁」私信と抽出歌・・・・・・・・・・松林尚志(俳誌「木魂」代表)

日増しに春めいてきました。
この度は歌集『信天翁』有難うございました。
「馬耳東風」の歌など身につまされました。
鎮魂、日常、思索と自在に智の世界が展開する感じです。
口語短歌の役割が見えてきます。
それにしてもブログなどネットの世界を自在にこなしていること羨ましい限りです。
小生書き散らしたもの多く整理が大変です。 御礼まで。

      「信天翁」私信・・・・・・・・・・・伝田幸子(潮音)

今年は長野市内も暖かで生活がしやすくて助かっております。
今年になって雪掻きをしたのは三回のみでした。
ご無沙汰いたしております。
この度は第七歌集『信天翁』のご上梓おめでとうございます。
先ず、表紙の装幀とタイトルがとても印象深く思われました。
これから大切に拝見させていただきます。
実は、光本恵子様主宰の「未来山脈」により、御作品は拝見いたしております。
過日、木村様には私の歌集『冬薔薇』についてブログにお書きいただき大変嬉しく有難く感謝いたしております。
どうか、お元気でお過ごしいただきたいと存じます。
有難うございました。

     「信天翁」私信・・・・・・・・・・今井千鶴

先日は歌集『信天翁』をお送り頂きましてありがとうございました。
教わることが多く興味深く拝見していまかーす。
因みに「信天翁」は、特別天然記念物、国際保護鳥に指定されているとか。
終わり近くの章に「」ぬやま・ひろしに触れられているのに涙ぐむ思いでした。
若い日所属していたコーラスグループのテーマ曲が「若者よ」で「その日のために体を鍛えておけ」を歌ったことを思い出し、同じ時代に青春を過ごされたのだと。
私は1932年生まれです。
昨年夫を亡くし、日が経つほどさみしく悲しく空しいです。機会があればお話ししたいと思います。



「信天翁」私信と抽出歌・・・島本融
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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     「信天翁」私信と抽出歌・・・・・・・・・・島本融(美学者)

『信天翁』ご上梓おめでとうございます。
歌集というよりアフォリズム集と思いました。
I .の信天翁 収載の何句かに惹かれるものがありました。

コロナヴィールスとか猖獗を極めると厄介ですね。
重篤な場合は、対応する技術がやや複雑で、特に処置が高価なのでは、どう切り抜けるのか。
vita brevis ars longa, もともとはヒッポクラーテス 、生きざまの技術。
要は医術が複雑多岐にわたって、習得に時間がかかるので、短い生涯ではこれに太刀打ちがむつかしい、
とかいう意味だったそうで、今日び身につまされます。
原文は当然ギリシャ語、歯が立ちませんが。
amo ergo sum などとかまえていられません。
しかしありがとうございました。

ご令兄のことときどき思い出します。

旧作譜
■兄さんと呼ぶ声がする暮れの秋しかし私に弟は居ない
■ちらちらちらと龍灯捧げ崖の島石磴ひとりゆくはたが子ぞ
■トイレへ立った父戻らぬと兄や母家なか探す夢のあかとき

ご健常祈念いたします。

木村草弥様                 島本 融
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これはメールで頂いたので、そのまま貼り付けてある。有難うございます。
島本融氏は美学者で大学で教えておられた。
そんな関係で次兄・重信のことは、よくご存じだった。
島本融氏は、未知の人であったが、偶然に私のHPを見た、と言ってメールを送って来られて交友するようになった。もう三十年も前のことである。
本人は何も仰言らないが、検索してみて、氏が河井酔茗、島本久恵氏のご次男であること、群馬県立女子大学教授であられたこと、東京工芸大学のことなどが、サーフィンの結果判った。
島本氏には上梓された歌集『アルカディアの墓碑』、句集『午後のメニスカス』などがある。
私のWebのHP「木村草弥 詩と旅のページ」で句集『午後のメニスカス』抄 が読めるのでアクセスされたい。



「信天翁」私信と抽出歌・・・藤原光顕
信天翁_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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       「信天翁」私信と抽出歌・・・・・・・・・・・・・藤原光顕(「たかまる」)

御歌集『信天翁』ご上梓をお祝い申し上げます。
老化のせいか、詩心の衰えを実感させられている昨今、口語自由律で書くことの意味もあやふやになり、いささか落ちこんでいるところでの『信天翁』拝受。
まことに有り難い賜物と感謝しきりです。

短歌としての形式をとりながら、一篇の詩としての構成など、「未来山脈」で拝見してはおりますが、その融通無碍ともみえる構成など、とても教えられます。

一首づつの飛躍と展開が面白く、完全な一首独立もさりながら、それぞれの歌が柔軟にもたれ合いながらの展開も、いわゆる連作とも違う意味で興味を深めました。
基本的に一首独立を指向してきましたが、もっと柔軟であってもいいのではないか、そんなことを思いました。
当分、この一冊を座右に置き、私なりに試行錯誤してみようか・・・なんて気がしております。
以下、何首かを抄出してお礼に代えさせていただきたいと思います。

   ・一病を持ちては永きたそがれか野の豌豆の花の白さや
   ・象形は彩りを失って 残像となり あなたは遠ざかる
   ・服部信が死んだと恵美子さんからハガキが来た 八十九歳の死
   ・どこかで別れの儀式があり、どこかで桜が散っている。
   ・目に見えない神の臨在を表すために垂直に注ぐ光を編み出した
   ・明るい表情が早くも身につけた曖昧な作り笑いに替わり
   ・その後の報道はないが、その胸のキティちゃんののんぴり顔が悲しい
   ・絵手紙が来た。みごとなカボチャ 陽に輝く
   ・サイコロ切りの豆腐半丁、ほうれん草を加え四倍濃縮だしでを足す
   ・いちにちの終りの儀式、ひとりで食べる今日の宴だ
   ・街を一冊の本になぞらえると、旅する人はみな読者だ
   ・旅人は通りから通りへ巡り歩いて何百とあるページをめくる
   ・街並みは、街を読み解くための記号である
   ・死と同じ重さの生 生と同じ軽さの死
   ・卒の略字「卆」は九と十。わたしは今年卆寿だという
   ・ああ、この夕餉に牡蠣に檸檬を絞りつつ思うことである
   ・都市は壁に囲まれたプライベートな見通しの悪い多細胞生命体
   ・cogito, ergo sum の一連                        藤原光顕
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敬愛する藤原光顕氏から的確な書評と抽出をいただいた。 有難くお受けする。有難うございました。




春愁やくらりと海月くつがへる・・・加藤楸邨
020くらげ

    春愁やくらりと海月(くらげ)くつがへる・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

明るく、浮き立つ春ではあるが、ふっと哀愁を覚えることがある。はっきりした「憂鬱」ではなく、あてどない物思いのような気持ちを「春愁」という。
春ゆえに心をかすめる淡い、かなしい、孤独な、物思いである。

春愁を写真にしようとすると、難しい。
だから「クラゲ」の写真を出しておいた。

俳句には「春愁」を詠んだものがたくさんある。少し引いておきたい。

 春愁のまぼろしにたつ仏かな・・・・・・・・飯田蛇笏

 春愁や派手いとへども枕房・・・・・・・・飯田蛇笏

 白雲を出て春愁もなかりけり・・・・・・・・中川宋淵

 いつかまたポケットに手を春うれひ・・・・・・・・久保田万太郎

 春愁のかぎりを躑躅燃えにけり・・・・・・・・水原秋桜子

 髪ばさと垂れて春愁の額としぬ・・・・・・・・三橋鷹女

 春愁に堪ふる面輪に灯りけり・・・・・・・・日野草城

 春愁の一端に火が燃えてゐる・・・・・・・・野見山朱鳥

 春愁もなし梳く髪のみじかければ・・・・・・・・桂信子

 春愁やせんべいを歯にあててゐて・・・・・・・・大野林火

 春愁のいとまなければ無きごとし・・・・・・・・皆吉爽雨

 ハンカチに鏝(こて)あてて春愁ひかな・・・・・・・・安住敦

 山椒魚の春愁の顔見とどむる・・・・・・・・後藤秋邑

 春愁やかなめはづれし舞扇・・・・・・・・鷲谷七菜子

 春愁や夫あるうちは死ぬまじく・・・・・・・・末広千枝


太宰治研究者の浅田高明氏が亡くなった・・・木村草弥
     太宰治研究者の浅田高明氏が亡くなった・・・・・・・・・・木村草弥

浅田高明氏が2020/02/11に亡くなった、と出版社・文理閣の社主から知らせがあった。
↑ 詳しくはリンクになっているのでWikipediaの記事を読んでもらいたい。

私が浅田高明氏について書いたのは、下記のもので2019/01/26のものが最後である。
念のために、 ↓ 再録しておくので読んでみてください。
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──新・読書ノート──

       浅田高明『私の太宰治論』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・文理閣2019/01/30刊・・・・・・・


浅田高明氏から標記の本が贈られてきた。 赤字の部分は「リンク」になっているのでアクセスされたい。

この本は『探求太宰治「パンドラの匣」のルーツ・木村庄助日誌』 1996年  に次ぐ、太宰治研究としては五冊目のものである。

私と浅田氏との「なれそめ」は、浅田氏が私たちの長兄・木村庄助と太宰治との研究のために、当地にある昔の「傷痍軍人・京都療養所」─今の国立南京都病院に勤めていた某医師と同道して私宅を訪問されたことに始まる。
太宰治と木村庄助との関係は太宰治全集などで公知のことなので、ここでは繰り返さない。
太宰治関連の資料は、次兄・木村重信の方にあるので、そのことを伝えて兄宅に行ってもらったのだが、浅田氏が書かれた本の写真などに「間違い」があるのを指摘して、訂正してもらった、事ぐらいしか、私は関与していない。
後に兄・重信が「木村庄助日誌」─『パンドラの匣』の底本を復刻出版したときの解説を書いてもらったのも浅田氏である。
太宰治の研究者は何人も居るが、『パンドラの匣』に特化して実地に研究したのは浅田氏だけである。

この本の「あとがきに代えて」の中で
<在野研究の第一人者「太宰文学研究会」会長・長篠康一郎氏、木村庄助ご実弟で原始美術研究家の大阪大学名誉教授・木村重信氏、太宰治文学研究の泰斗・神戸女学院大学名誉教授・山内祥史氏の三先生には、今までに種々、格別のご指導教示を賜りましたが、惜しくも近年相次いでご他界されました。・・・>
と書かれている。
その浅田氏も心臓と腎臓に病を持たれて療養中で、病院のベッドサイトにPCを持ち込んで、この本の執筆と校正などをやられたそうである。
この本に収められた原稿は、あちこちに書かれたものを、まとめられたもののようである。まさに浅田氏の研究の集大成と言えるだろう。厚さ5cmにも及ぶ大部の本である。
「木村庄助日誌」─『パンドラの匣』の底本 を兄・重信が出した際には、私も校正の一端を担ったことがあるので、思い出ふかいものがある。
浅田氏は私と同じ1930年生まれ、本年「卒寿」となられる。病を癒やされ、お元気になられることをお祈りする。
中身に立ち入ることもなく恥じ入るばかりだが、ここに紹介して御礼に替えたい。 有難うございました。
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(追記2/5)
浅田氏からメールが来た。 旧メールは廃止されたので、新しいメル・アドである。
病床で「動く頭と指だけで書きました。遺書のつもりで書きました。疲れました。」と書いてある。
何とも、壮絶なメールである。
私の二通の手紙を見てくださったのである。 ご養生専一に願います。
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その後、病は小康状態になり、病院から娘さん宅に帰り療養されていたが、ついに力果てて亡くなられたという。
最後は畳の上で迎えられて、よかった。 ご冥福をお祈りするばかりである。 
私宅との縁などは、上の記事の赤字のリンクをクリックして読んでみてほしい。


木村草弥歌集『信天翁』に寄せて・・・武藤ゆかり
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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     木村草弥歌集『信天翁』に寄せて・・・・・・・・・・武藤ゆかり(「短歌人」同人)

 今年満九十歳を迎えた歌人木村草弥氏が第七歌集『信天翁』を上梓した。発行所は澪標。帯によると、本書は自由律の第三歌集『樹々の記憶』に連なるものだという。氏は詩人でもあり、巻末の略歴によると、詩集と紀行歌文集をそれぞれ三冊出版している。氏の旺盛な創作意欲は広く知られるところであり、京都の邸宅で編み出される作品を、ブログやフェースブックで全国へ発信している。
 本集は三部構成で、各章の扉にはラテン語の座右の銘が記されている。

vita brevis, ars longa
人生は短く、芸術は長い。
a fonte puro pura defluit aqua
清らかな泉から清らかな水が流れる
cogito, ergo sum
われ考える、ゆえに 我あり(デカルト)

 芸術を志す者は誰でも第一の箴言を心に刻まなくてはならない。そして、第二の箴言にある通り、清明な心から清明な文芸が生まれるのである。第三の箴言は、全てを疑っている自分の意識だけは確実に存在する、言い換えれば表現者としての自分自身は疑いようもなく存在する、という意味にもなるだろうか。歌人木村草弥の精神のありようが偲ばれる。

一病を持ちては永きたそがれか野の豌豆の花の白さや
<信天翁>描ける青きコースターまなかひに白き砂浜ありぬ
吉凶のいづれか朱き実のこぼれ母系父系のただうす暗し
庭の木につくつくぼふしが来鳴きけり酷暑のふつと弛める夕べ
村の見慣れた風景に眠つてゐる寓話をゆつくり呼びさましたらどうか

 巻頭の一連「信天翁」から五首を引いた。この連には親しい人との永遠の別れや父方、母方の系統への思い、小さな生命への慈愛がにじんでいる。いずれの歌も言葉の工夫に満ち、韻律も美しく、余韻嫋々たる悲しさを湛えている。この路線で一冊を貫くこともできる作者だが、定型短歌はこの連作だけで、次の連作からは自由律へと転じている。「村の見慣れた風景に…」は形式の変わり目に位置しており、転調著しい第二幕への序章ともなっている。定型が解きほぐされてゆく喜びを、歌の波に揺られて「ゆっくり呼びさまし」たい。

夕暮れた街 束の間切り裂いて 光と影が格子縞に象形する
波動する意識をとどめようとして 目を閉じた 明くる日
新たな季節の訪れの微かな気配 時の移ろいに身をゆだねて
波動し攪拌する意識に抗い むきだしになる感性を押しとどめ
攪拌し交差する意識の屈曲率 その透徹した美しさ

 連作「象形」から五首引いた。それぞれの歌が関連し合い、物語が進行するように歌の景色が移り変わっていく。「あとがき」には、本来短歌は一首で自立するものだが、本書では十行あるいは十二行からなる「短詩」のような形態であり、短歌ではなく「散文の短詩」として読んでもらいたい旨が書かれている。宗教と物理学が遠い彼方で交わるごとく、歌または短詩が物理学と出合ったような面白さがある。次々と差し出されるイメージに身をゆだね、無限空間に放り出される快感を、幸運な読者は感じればいいのである。

四月は旅立ちの月である。どこかで桜が咲いている。
水泳教室も新入生を迎えて活気づいている
華やかな花柄の水着に包まれた健やかな君のボディが立っている
贅肉のない鍛えた体幹、その真ん中の凹んだ臍が綺麗だ
どこかで別れの儀式があり、どこかで桜が散っている。

 本書の発行日は三月一日、桜の季節が目前である。連作「桜」から五首を紹介する。句読点がある歌とない歌が混在しているが、これも作品の自由度を高めた結果だろう。日本人にとって新たな旅立ちを意味する桜の花。そこから華やかな水着、健康的な女性と縁語のように歌が続いていく。結ばれた縁はやがて切れるもの。花の散華と共に「どこかで別れの儀式が」ある。本書は親しい人たちを失った喪失と諦念の書であると作者は言う。個々の離別体験は具体的には描かれていないが、語り尽くせぬ心情が背景にあると思われる。

風景とは自然が創り出した見事な「造形」である
それは「時間」の創造物とも言い換えられるだろう
砂漠に足を踏み入れ、暫くそこに身を置く
何十億年かけて存在している岩山と砂の一部になる
何十億年かけて地球に届く星の光に自分が融けてゆく

 悠久の時間と人間との対比が描かれる「岩の造形」から五首を選んだ。人間の想像を越えた長さを、岩石や砂漠に対峙して直感把握する男の姿が浮かぶ。それは星空を見上げる遊牧民のようでもあり、辺境を流浪する宗教者のようでもある。海外体験豊富な作者のこと、実際にどこかの砂漠へ足を踏み入れた時の印象なのだろうか。永遠と一瞬の間を自由律短歌が超高速で駆け抜けてゆく。個々の歌は独立して鑑賞できるが、読者はぜひ連作を最初の一首から味わい、作者の光のベクトルを感じて欲しい。
 最後に、歌集名『信天翁』にどんな意味があるか考えてみた。信天翁とは漢名から来ており、天に信(まか)せて一日中同じ場所で魚が来るのを待っている、翁のような白い鳥のことだという。直接的には、引用歌二首目のコースターの絵から取られたのかも知れない。しかし大胆に想像すれば、信天翁とは、居ながらにして精神を軽々と飛翔させ、大海の底にも銀河の果てにも自在に遊ぶ作者自身なのである。翁とは神仏に近い存在であり、神々は翁の姿で現れるという。歌の神はまさに今、歌人木村草弥として顕現しているのである。               (完)
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敬愛する武藤ゆかり氏が、私の本について、精細な書評を賜った。心から厚く御礼申し上げる。
メールの添付ファイルで頂いたので、そのまま原文通り転載する。
武藤氏との「縁」は、三井修氏のお世話で『昭和』を読む会を開いてもらったときに出席してもらったのが初めであり、三井氏がやっておられた『りーふ』誌に書評を書いてもらった時から、お世話になっている。
武藤氏については、このブログで何度も書いているのでくり返すことはしない。
原文を、読みやすいように「改行」などしようかと思ったが、敢えて、そのままにした。有難うございます。


丸まりて死をよそほへるだんご虫をいつ動くかと子らじつと待つ・・・辰濃恵美子
無題ダンコムシ
1058607289ダンゴムシ脱皮
 ↑ ダンゴムシの脱皮

      丸まりて死をよそほへるだんご虫を
             いつ動くかと子らじつと待つ・・・・・・・・・・・辰濃恵美子


この歌は角川書店・月刊誌「短歌」2013年3月号の一般読者から「待つ」という題詠で募集されて採用された秀歌のひとつである。
この歌はダンゴムシの様子や、それを取り巻く子供たちの態様を、よく捉えている。
今しも、あたたかくなってきて、虫たちも動き出す頃である。
子供の頃は、こういう自然界の虫たちの様子を観察するのが面白いものである。
子供の頃には、彼らを外に連れ出して、動植物に触れさせるのが、よい。
掲出した写真はネット上から拝借したものだが、特に二番目の「脱皮」の瞬間を捉えたのは、秀逸である。
私も田舎暮らしだが、ダンゴムシが脱皮するとは知らなかった。 

ここに載る「待つ」歌のいくつかを引いておきたい。

   待て待てと追ひかけゆけば転ぶまで逃げて幼なの鈴ふる笑ひ・・・・・・・・野原東子

   その昔半ドンといふ土曜ありて待ち合はせ駅裏「青春書店」・・・・・・・・華野浩子

   公園のベンチで待っている君に近づけば先に影がつながる・・・・・・・・・本川克幸

   百年間待っていたと言うように百合がひらく朝霧のなか・・・・・・・・・・・・・浦野かすみ

   長くなる立ち話を待つ犬どうし顔見合わせて白い息吐く・・・・・・・・・・・・・飯坂友紀子

   百歳の祝いの宴に癌だとは告知できない 明日にしよう・・・・・・・・・・・・・・堀内和孝

   園児らのかけゆく先に母の手が大きく待てり光の中に・・・・・・・・・・・・・・小野崎幸子

   薬缶の湯ぴいと鳴るのを待つ間三人の死を伝えるラジオ・・・・・・・・・・・・・・ユキノ進



わが一生にいくたりの族葬りしや春の疾風はすさまじく吹く・・・木村草弥
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  わが一生(ひとよ)にいくたりの族(うから)葬(はふ)りしや
       春の疾風(はやち)はすさまじく吹く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
この歌に詠んだように、私が物心つくようになってから何人の肉親を葬っただろうか。

はじまりは、昭和18年5月の長兄・庄助を22歳で送ったことである。
その同じ年の12月には庄助の名づけ主である祖父・木村庄之助が亡くなった。
そのお供に父の妹の婿養子・木村保次郎が亡くなった。この人は祖父と共にお茶の仕事をしていた人である。
引続いて母の兄・堀井東次郎が急死した。この人は小学校の校長だった。
その翌年昭和19年2月には私の長姉・登志子が亡くなった。このことは2月19日付けのBLOGで書いておいた。
そして敗戦後の昭和20年12月には私たちの末の妹・京子が結核性髄膜炎で亡くなった。小学校二年生だった。

このように親しい人々が短期間の間にバタバタと死んで、思春期の少年だった私には、この世は、一体どうなるのか、という「死」と向かい合う時期だった。
その後は少し肉親の死はなかったが、父と母を送った。父を昭和40年に送って51年。
先年、その五十回忌を命日の十月に営んだ。
また母が平成5年に死に、そして妻・弥生が先年亡くなって、先年十三回忌を済ませた。

庄助日誌
↑ 次兄・重信が復刻版として出版した本。この日誌を元にして太宰治が小説にした

春の疾風は季節の変わり目で、すさまじく吹く。
普通「疾風」はハヤテと呼ばれるが、私の歌に使った呼び方「はやち」は、昔の古い呼び方なのである。
疾風というのは映像にならないので、プリズムの画像を出しておいた。

ここで春の季語「春疾風」の句を引いて終わりたい。「疾風」は秋の季語なので俳句では「春疾風」と書く約束である。

 春疾風すつぽん石となりにけり・・・・・・・・・・水原秋桜子

 春嵐奈翁は華奢な手なりしとか・・・・・・・・・・中村草田男

 春颷ききゐて沼へ下りゆかず・・・・・・・・・・加藤楸邨

 春疾風屍は敢て出でゆくも・・・・・・・・・・石田波郷

 春嵐鳩飛ぶ翅を張りづめに・・・・・・・・・・橋本多佳子

 春嵐足ゆびをみなひらくマリヤ・・・・・・・・・・飯島晴子

 春疾風吹つ飛んで来る一老女・・・・・・・・・・山田みづえ

 なびきつつ女あらがふ春疾風・・・・・・・・・・松尾隆信

 煮え切らぬ男撫で切る春疾風・・・・・・・・・・石田静




北神照美歌集『ひかる水』・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

     北神照美歌集『ひかる水』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                 ・・・・・短歌研究社2018/11/13刊・・・・・・・・

北神照美氏から標記の本を恵贈された。
北神氏とは、私の第五歌集『昭和』を出したときに、三井修氏のお世話で東京で『昭和』を読む会を開いてもらったときに出席して批評をしていただいたのが縁である。
これは2012/07/28の暑さのひどい時期で、「東京ノアール池袋西武横店マイスヘース」で開催されたことを思い出す。
その後、北神氏の第三歌集『カッパドキアのかぼちゃ畑に』をいただいて書評を書いたことがある。 ← リンクになっているので読んでください。

前置きが長くなった。
この本は北神氏の第四歌集ということになるが、昨年、日本歌人クラブの「優良歌集賞」と日本詩歌句協会の「短歌部門大賞」を受賞されたという。おめでとうございます。
こうしてスキャナで取り込むと判らないが、クリーム地に真珠色のきらきら光る「帯」が巻いてある。
この帯には「塔」選者の小林幸子氏の文章が載っている。画像で読み取れるだろうか。
念のために、その部分を書き抜いてみよう。

    <さざなみの近江に生い立ち、蒲生野に遊んだ少女のおおどかさ
     を、北神照美さんは、いまも失っていない。標野に薬草を摘ん
     だ女たちの末裔のように、薬学を学び仕事に就き、東京湾を見
     下ろす高層の部屋に暮らす。古代から現代へ、時空を超えて通
     うゆたかな水脈が折ふしにひかり、歌が生まれる。  小林幸子>

     いちまいのひかりが長く伸びてをり
    東京湾ね。 耳元に声


極めて的確な要約と言えるだろう。
この帯にも書かれているが、北神氏は京都大学薬学部を出られたという。大学でドイツ語を学んだ先生が、「塔」の創始者・高安國世だったと書いている。
今その結社に所属していると不思儀な縁があるのである。

先の歌集の上梓が2012年だったので、あれから、ほぼ八年の歳月が過ぎたことになる。
それらの長い年月に書き溜められた歌群なので歌の数が多い。何首あるのか書かれていないので分からないが何とか引いてみよう。
歌はⅠ Ⅱ Ⅲ Ⅳ の章建てに分かれているが、章の名前は無い。製作年次の順だろうか。
自分や旦那さんの入院などの歌が見られる。
   ■千葉の地の鯖街道に回り来し津波のはなしを聞く五人部屋
   ■白き部屋に麻酔のための台ひとつ置かれてわれが自分でのぼる
   ■死ぬでなく生まれるでなき手術台 小さき内臓われから去りぬ
   ■白い光の前にあなたの顔だつたぼんやり像をむすんだものは
   ■病室の入口は夜もほんのりと雪あかりする雪はやみしか
五人部屋とあるから深刻な病気ではなかったのだろう。何の病気かは分からないが、そういう病気が出てくる齢に作者もなった、ということである。

   ■ICUから今朝病室に移りました。感情抜きたる電話が来たり
   ■海に臨む病室の窓に光差しあなたの顎をさらに尖らす
   ■「ご主人は今病気です」と書き留むる猫がゐてほし入院十日目
   ■病みてのち顔色蒼きあなたにと春色セーター一枚選ぶ
これは何の病気かは分からないが、ご主人も病気されたのである。本の真ん中くらいに載っている。

   ■わが赤き車の屋根に濃きミルク投げたるごときは鳥の挨拶
   ■光の粒が踊る音符であるやうな海を見にゆくプジョーとばして
   ■いちまいのひかりが長く伸びてをり 東京湾ね。耳元に声
作者は車が好きなようだ。それもプジョーとは日本では珍しい車。
そして、ここに「帯」に引かれている象徴的な歌が載っている。佳い歌である。

北神氏の先師は「潮音」の藤田武だったという。そのご逝去の歌
   ■初めての歌の師にして獅子のごと髪立ててゐき われは背きし
   ■終となる対面すればおだやかな顔でありたり鋭き眼を閉ぢて
   ■焼かるる刻なり するすると扉閉づるときこゑを聞きたりしづかな母音
   ■茜さす素数に還りゆくのだと降りしきる雪の中で見送る

ついでに高安國世にまつわる歌を引いておく。
     高安國世・高安醇 父と子作品展 二〇一八年二月銀座
   ■國世歌集『光の春』のあかるさが小さき画廊に溢れてゐたり
      「茜さす雲ひとつなく昏みゆく稍きさらぎの夕暮れ長き」 国世
   ■ゆふぐれとおもへぬ茜の鮮やかさ息子が絵にする父の晩年
   ■教室を歩く横顔忘れえず ドイツ語習ふも歌人と知らず   五十年前 必修ドイツ語
北神氏の学んだ、ずっと前になるが、私も第二外国語としてドイツ語を選択したときに、高安先生に学んだことがある。
北神氏が生まれた頃の話である。
私も、その頃は短歌に縁がなかったので歌人とは知らなかった。先生は教室でも短歌の話はされなかった。
教室で「シェーン イスト ユーゲント ヴァイ フローエン ツァイテン」という歌を教えていただいた。青春は美しい、という歌だが、今でも歌えるから不思議である。
(脱線した。元に戻そう)
若い頃には「背いたり、反抗したりしがち」のものである。そこから、また学んだりするのである。  

「あとがき」にも書かれているが、前の歌集にはなかった「薬学」など仕事の歌が、いくつか見られる。引いてみよう。
   ■〇・〇一グラムまで秤量合はせたり薬は毒にもなるものなれば
   ■その量は体表面積にて決まる野焼きのごとき薬と思ふ
   ■薬袋に青きカプセル入れ走るおゆみ野はむかし狩場でありき
   ■かつて標野の紫草に射しし日は調剤秤をあかねに染めをり
   ■ただ広き国際会議場に佇つ研究生活送りし名古屋の
   ■言ひよどみああ警告のランプつくパワーポイント終はらないのに
   ■残薬をなんとかせむと論かはす若き薬剤師の白き歯光る
 
旅の歌としてはスリランカやロシアの歌がある。
   ■満月がスリランカの闇に昇りくる圧倒的なつよき黄の色
   ■茶畑は山いちめんに続きたり茶を摘むをみなのサリーの赤、青
   ■仏歯寺の祈りはうねる声の束たびびとわれも素足で歩む
   ■古き名をセイロンといふ国の春 密林に来て象の頭に乗る
   ■桃の尻ならぶるやうなるシンハラ語ぷるぷるたのし駅の掲示板

   ■道のさきラスコーリニコフの下宿なり 黒い帽子の出で来るところ
   ■エルミタージユの地下に猫たち飼はれをり鼠を食べる任務を帯びて
   ■樫の森の冷気に立つはプーシキン決闘に死ぬまぎはの姿か
   ■大小の古き鐘そらへ鳴り始む鐘のひびきのやさしさに泣く
   ■天に向くあまた尖塔に三日月を付けるこころよ さみしいかロシア
作者は旅が好きである。前の歌集はトルコのカッパドキアだった。

この辺で、とりとめもない鑑賞を終わりたい。雑駁な文章で失礼する。
作者にとって今が一番楽しい時期である。ご健詠をお祈りして終わる。    (完)


「信天翁」私信と抽出歌・・・高旨清美。市川光男。
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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     「信天翁」私信と抽出歌・・・・・・・・・・・・高旨清美。市川光男。

     「信天翁」私信と抽出歌・・・・・・・・・・・・高旨清美(「晶」「DOA」)

あたたかな冬でしたがねまだ寒暖差は続いております。
この度は御歌集『信天翁』を賜りましてありがとうございます。
現在は「未来山脈」に拠っておられるとのこと。
「信天翁」の一連、心にしみました。
   ■向うより径の来てゐる柿畑自が影曳きてさまよひにけり
「向うより径の来てゐる」がどことなく暗示的です。
そのほか「森の記憶」など、環境問題に触れたものに心ひかれました。
ご健詠をお祈りいたします。

     「信天翁」私信と抽出歌・・・・・・・・・・・・市川光男(「未来山脈」会員)

この度は歌集『信天翁』ご出版おめでとうございます。
   ■言葉は究極の兵器。言葉は人を滅ぼす。言葉は要注意。
   ■人間は生きるために樹木を必要とするが樹木は人間を必要としない
   ■「自由」というだけで何でや?今どきの若者よ、それが時代の狂気なのだ
言葉は鋭利な刃物。地球は人間を良しとしない。
「美しい心が逞しい体に支えられる日がいつかは来る」そう、私も信じたい。



「信天翁」私信と書評・・・笠原真由美
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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     「信天翁」私信と書評・・・・・・・・・・・・笠原真由美(「未来山脈」編集員)

寒冷地の諏訪にも温かい風が吹き始めました。関西はもうすっかり春でしょう。
この度は第七歌集『信天翁』を御恵贈いただき有難うございます。
さっそく拝読させていただきました。
特に印象的だったのは14ページからの「象形」で、わたくしの知らない「新短歌」の時代、宮崎信義や金子きみらが活躍したころの結社誌の熱気を彷彿とさせる、力強く重量のある自由律作品群に心奪われました。
「キティちぉん」、「言葉」などの連作については、これは短歌というより「詩」ではないのか・・、「詩もしくは「散文(独白)」を、ぷつりぷつりと切り離して一行づつ表記しているのではないのか・・そのような疑問を持ちましたが、「あとがき」105ページの記述を読み納得いたしました。
木村様には文語定型短歌の基本と蓄積があり、その上での実験や挑戦(遊び)が可能になっているのだと思いました。
(中略)
歌集の中から、特に心に残った歌を写させていただきました。        笠原真由美

   ■一病を持ちては永きたそがれか野の豌豆の花の白さや
   ■波動する意識をとどめようとして 目を閉じた 明くる日
   ■ふしぎにかぼそい光のタペストリー 孤立するまばゆい無限空間
   ■とどまろうとして なおも意識に墜ちてゆく どこへ

   ■白髭を蓄え口を開けて讃美しているのがシメオン
    その腕には幼子イエスがしっかりと抱かれている
    絵の中央で跪きながら二人を見守っているのがマリア

   ■水泳教室も新入生を迎えて活気づいている  (一番好きな作品です ! )
   ■峠を越えると突然、朝霧の歓迎を受けた
   ■砂漠に足を踏み入れ、暫くそこに身を置く

   ■白夜に近い状態だった 月だけが冴えざえと輝いていた
    氷雪の中に、雲霧の彼方に世俗を拒否する世界があった

   ■入り口に「プライペート」と書かれてしまえばおしまいである


 
水あふれゐて啓蟄の最上川・・・森澄雄
03080027ヒキ抱接①

  水あふれゐて啓蟄の最上川・・・・・・・・・・・・・・・・・・森澄雄

今日は「啓蟄」(けいちつ)である。
「啓蟄」は24節気の一つである。
「啓」は開くの意味。「啓蒙」という言葉があるが、これは蒙を開くの意味からきた熟語である。
「蟄」は巣ごもり、のこと。土中に冬眠していた虫が、この頃になると、冬眠から醒め、地上に姿を現しはじめる。
啓蟄を更に具体的に言った言葉に「地虫穴を出づ」「蛇穴を出づ」「蜥蜴穴を出づ」「蟻穴を出づ」などの表現がある。
この頃鳴る雷を「虫出しの雷」というが、そういうと昨晩というか未明に雷鳴とともに激しい雨が降った。
今ごろは、冬から春への季節の変わり目で、こういう気象現象が起りがちなのであろう。
いずれにせよ、地下の虫も動き出してきたか、という一種の感慨とともに、使われる言葉であり、季節感を、よく表現していると言えるだろう。
掲出写真は「ヒキガエル」の抱接だが、この類は、この頃に地中から出てきて抱接し、雌は水溜りに卵を生んで、また冬眠を続けるために地中に戻るという。
「交尾」と「抱接」とは、ちょっと違う。言葉の定義としては厳密に区別されなければならぬ。
交尾というのは雄が生殖器を雌の生殖器に挿入して受精するが、カエルの類は抱きあって、雌が放出した卵に雄が精子を振りかけて受精する仕組みになっている。
ついでに書いておくと、これと対応する言葉として「射精」と「放精」という言葉も区別して厳密でなければならない。
先年に或る未知の歌人から歌集が恵贈されてきたが、その中に「鮭の<射精>」という歌があって、この歌を今をときめく中堅の有名歌人が採り上げていた。
これは、上に述べたように言葉の使い方が間違っている。
魚類の生殖は交尾するのではなく、雌が産んだ卵に雄が精液をかける「放精」であるからである。
この有名歌人は大学の自然科学者であるから言葉には厳密であってもらいたい、と思ったことである。余談だが少し書いておく。

森澄雄は大正8年(1919年)兵庫県姫路市生まれ。昭和15年「寒雷」創刊と同時に加藤楸邨に師事。
彼は、戦後俳壇の社会性論議の域外にあって自分の生活に執し、清新な句境を拓く。
のち古典、中国詩、宗教書に親しみ、時間、空間の広がりの中に思索的な作品世界を構築した、と言われる。
晩年は体調を損ねておられたが、読売新聞の俳壇選者などを努めておられたが、2010/08/18に亡くなられた。
森澄雄の作品を少し抜きだしてみよう。

 チェホフを読むやしぐるる河明り・・・・・・・・・・・・森澄雄

 家に時計なければ雪はとめどなし

 明るくてまだ冷たくて流し雛

 雪夜にてことばより肌やはらかし

 雪国に子を生んでこの深まなざし

 田を植ゑて空も近江の水ぐもり

 春の野を持上(もた)げて伯耆大山を

 水入れて近江も田螺(たにし)鳴くころぞ

 火にのせて草のにほひす初諸子

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他の作家の啓蟄の句を少し挙げて結びにする。

 啓蟄の土洞然と開き・・・・・・・・・・・・阿波野青畝

 啓蟄や庭とも畠ともつかず・・・・・・・・・・・安住敦

 啓蟄の大地月下となりしかな・・・・・・・・・・・・大野林火

 啓蟄や解(ほぐ)すものなく縫ふものなく・・・・・・・・・・・・石川桂郎

 啓蟄を啣へて雀飛びにけり・・・・・・・・・・・・川端茅舎

一番あとの川端の句の啓蟄は、出てきた「虫」のことを指しているのである。


「潮」誌最近号から・・・木村草弥
潮_NEW

──新・読書ノート──

     「潮」誌最近号から・・・・・・・・・・・・・木村草弥

奈良の自由律の結社「潮」誌の最近号の恵贈をいただいたので紹介する。
藤本哲郎主宰が亡くなって、今は長く同伴者として走って来られた宮章子氏が後を継いでおられる。
この「潮」は、伝統的に学校の教員を主とした結社であり、今も、そうらしい。
宮さんは、梓志乃の「芸術と自由」にも所属して作品を発表されている。
ただ梓氏は、若い作者を発掘するのが下手で、会員は年寄ばかりになって先細りも甚だしい。
私は梓氏にも親しいが、季刊の冊子は、薄ぺらくてみすぼらしい。 (余談に脱線した。)

「潮」誌は隔月刊である。立派なものである。
「潮」第177号2019/11には、「潮いこま」の会員も含めて31人に作品が見える。 少し作品を見てみよう。

   ■一年間秘めていた思いか 彼岸には花蕊をぬっと出す彼岸花・・・・・宮章子
   ■糸くずのような蕊を支える逞しい茎 もう明日をみつめている

   ■たまたまの 必然の であいですね 昔がたりが するする くるくる・・・・・やひろ かおる
   ■ほんとの色は色鉛筆じゃ足りない それでも すき それだから かく

やひろ氏は「ひらがな」書きを多用する作家である。
「作品 Ⅰ」「作品 Ⅱ」欄は一人五首づつ出詠になっている。

   ■かすかな土鈴の音に目覚める どこから聞こえるのか薄汚れた慟哭・・・・・林貞行
   ■不定形の窓枠に映る阿修羅の顔 いえいえ痩せ蜻蛉の泣き顔です
   ■ミッキーマウスか宇宙人か 廃業した煙草屋の角を曲がって微笑む

林氏は独特の発想を持つ人である。
前主宰・藤本氏が存命中は、定期的に「潮」誌を頂いていた。私が碌に返事もしないものだから、いつしか頂くことがなくなった。
その頃から林氏の発想は特異なものがあった。

   ■自分の最後は自分で決める 草刈機に立ち向かうカマキリの意志・・・・・村田史子
   ■籾殻を焼く煙が立つ 捨てがたい昭和の臭いがする
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第177号と178号と続いて岡山県の笠岡で司法書士をしていた神信子氏の作品が連載されている。
彼女の旦那さんで短歌結社「龍」主宰だった小見山輝氏も亡くなって淋しくなった。ご両者が元気なときは歌集などを頂いたものである。

   ■じわじわと肉に食い込む疲労だけが今日生きている私の証・・・・・神信子
   ■風吹けば風に雨降れば雨に散り落とすもう魂なかではない万の枯葉

これらの一連は、彼女の晩年の体調の悪い頃の作品であることが、よく判る。哀しい一連である。

   ■あの田もその向こうも一面の雑草におおわれ 時代が傾いてきた・・・・・南りうこ
   ■空の青とトンボ イエスとかノーとかではなく暮らしがうつりゆく

   ■苔に美を感じた先達の卓越した意匠 押しつけではない感覚・・・・・井坂潤一郎
   ■じっと苔に見続けられている 生き抜いたから今があると

   ■予報の傘が陽ざしに変わる 横たわる憂鬱を懸命に掃き出す休日の庭・・・・・清水紀子
   ■台風が暴れ去った夜の中 月下美人に無数の雫が光る 静かに光る

   ■新しい仕事に就く朝故郷を歩く 真っ青な空にうろこ雲・・・・・ 橋本宗和
   ■コンバインと競争していた三人の吾子 長女はノルウエー次男はフランスに

新短歌クラブ「潮いこま」の作品も立派である。歌を引くことはしないが、「潮」の将来は明るい。絶えず「若い血」を注入する努力を。



「信天翁」私信と抽出歌・・・三好俊明。木下忠彦。天野和子。小畑庸子。小西久二郎。山下正子。永井章子。涸沢純平。
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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     「信天翁」私信と抽出歌・・・・・・・・三好俊明。木下忠彦。天野和子。小畑庸子。小西久二郎。山下正子。永井章子。涸沢純平。

     「信天翁」私信と抽出歌・・・・・・・・三好俊明(「未来山脈」会員)

このたびは御高著『信天翁』を賜り誠にありがとうございます。
木村さんの独特な感覚は大いに参考になります。
   ■街を一冊の本になぞらえると 旅する人はみな読者だ
この一首を挙げて、まずはお礼に代えさせていただきます。 ご自愛ください。

     「信天翁」私信・・・・・・・・・木下忠彦(「未来山脈」会員)

拝啓。三月に入り陽ざしが一層明るく感じられる候となりました。
お変わりなくご活躍の段お慶び申し上げます。
この度は歌集『信天翁』をご恵贈賜り厚く御礼を申しあげます。
歯切れのよい短歌は深い学殖に裏打ちされているのだ、と感心いたしております。
どうぞ健康維持にご留意頂き、ご活躍を祈っております。   敬具

     「信天翁」私信と抽出歌・・・・・・・・天野和子(「塔」会員)

待ち遠しかった春の到来も、コロナ感染の騒ぎでたいへんなことになってしまいました。
が、春の花々は次々と咲いています。自然はいいなと改めて思うこの頃です。
第七歌集のご上梓おめでとうございます。ご恵贈ありがとうございます。
瑞々しいお歌の数々は「詠い続ける」ということの意味を示していただいているようです。
少し後に続く者として勇気をいただけます。第八歌集を楽しみに。 お礼まで。
   ■何十憶年かけて地球に届く星の光に自分か融けてゆく

     「信天翁」私信・・・・・・・・・小畑庸子(「水甕」前・選者)

木村様 この度は御歌集『信天翁』ご上梓おめでとうございます。
ご恵与にあずかりありがとうございました。今よりゆっくり拝読いたします。
ますますのご発展を心よりお祈り申し上げます。  かしこ

     「信天翁」私信と抽出歌・・・・・・・・小西久二郎(「好日」前・代表)

拝啓。本年も早 如月尽となり心忙しい事です。
この度は第七歌集『信天翁』の出版おめでたく、早速に御恵与下さいまして厚く御礼申します。
作品は、これより拝読する次第ですが、初めの方より好み二、三を抄出して御礼に代えます。
   ■一病を持ちては永きたそがれか野の豌豆の花の白さや
   ■もゆらもゆら夏の玉の緒ひぐらしの啼く夕ぐれはまうらがなしも
   ■また地上に出でくるときは七年先まみえむ日まで命やしなはむ
   ■村の見慣れた風景に眠つてゐる寓話をゆつくり呼びさましたらどうか
   ■一休の狂歌を引いてM君から「年賀をやめる」とハガキ
など繰り返し拝見。 折をみて充分味読いたします。
これを機に益々ご活躍を念じます。 とりいそぎ御礼言上まで。   敬白

     「信天翁」私信・・・・・・・・・・・山下正子

二月二十九日にご本を落手しました。
今度は読みやすく一気に読みました。
同じ年齢なので、最後の章、あとがきに共感しました。
皮肉の混じる豊富な知識に再度味わいたいと思います。
表紙のカバー信天翁の青空への飛翔、素敵です。ありがとうございました。

     「信天翁」私信と抽出歌・・・・・・・・永井章子(詩人)

御歌集『信天翁』をご恵贈いただきまして誠にありがとうございました。
実に興味深く拝読させていただきました。
いつもながらの博学のこと頭が下がります。
「信天翁」「象形」「岩の造形」等は短歌として読ませていただきましたが、あとがきに「散文の短詩」と書かれてありますように、型にはまらない自由な表現を確立されましたことは、まさに凄いことだと存じます。
どの御作も、すーと胸に届き、物知らずの私は、いろいろ教えていただく楽しさを沢山いただきました。
重ねて御礼申し上げます。

     「信天翁」私信と抽出歌・・・・・・・・涸沢純平(「編集工房ノア」社主)

卒寿の歌集『信天翁』御出版をお慶び申し上げます。
   ■波動し攪拌する意識に抗いむきだしになる感情を押しとどめ
   ■わたくしのいつもながらの朝の儀式 これから始まる春夏秋冬
をお過ごしください。 有難うございました。




     

「信天翁」私信と抽出歌・・・宮章子
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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     「信天翁」私信と抽出歌・・・・・・・・・・・・・宮章子(「潮」主宰)

一枚の絵の中で物語が時間をかけて浮き沈みする。
この度は歌集『信天翁』ありがとうございました。
「一枚の絵」どころか、一冊の本の中に木村様の人生の物語が「浮き沈み」しながら心に浸みて来ました。
   ■卒の略字「卆」は九と十。わたしは今年卆寿だという
   ■いちにちの始めの儀式この朝もミルクあたため「いただきます」
毎月お元気で歌を創り、素晴らしい歌集にまとめられた、その生活の様子が歌々の中から伺い知ることができます。
   ■一個の岩石は風や雨に晒されながら永遠の時を刻んだ
   ■哺乳類の奇形として出発した「二足歩行」の未来は?
   ■「自由」というだけで何でや?今どきの若者よ、それが時代の狂気なのだ
チクリチクリと時代への批評・批判が表現されていて、新短歌は、これを忘れてはならないと思いました。
一読させて頂いた感想です。また、じっくりと読ませて頂き、作歌のお手本にさせて頂きます。
ありがとうございました。
何かと不穏な日々、呉々もご自愛下さい。                  宮章子



木村草弥第七歌集『信天翁』鑑賞・・・三浦 好博
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   草弥の詩作品<草の領域>
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      木村草弥第七歌集『信天翁』鑑賞・・・・・・・・・・三浦 好博(「地中海」編集委員)

木村草弥さんのたくさんの歌集や詩集をその都度読ませていただいて来た筈であるが、あらためてウィキペディアに掲載されている著書を読んでみて、その多さに驚いている。
『信天翁』は作者の言われる様に基本的には、自由律の「未来山脈」に発表された作品という事であったが、以前にも御歌集『樹々の記憶』等で自由律の作品を読ませて戴いていた。

   ・一休の狂歌を引いてM君から「年賀をやめる」とハガキ
   ・M君よ、それも分るが年賀状は年に一度の「生存証明」なのだ
   ・まあ、君のしたいようにすればいいことだが淋しいねえ
歌集の前の方にある歌であるが、実は私も作者にこれを出してしまった事があり、私もこの通りのお返事を頂いた。
このM氏は九十歳であるが、私(偶々私もMである)は未だ喜寿であるので余計身に沁みる。

   ・〈信天翁〉描ける青きコースターまなかひに白き砂浜ありぬ
   ・吉凶のいづれか朱き実のこぼれ母系父系のただうす暗し
角川「短歌」に発表された文語定型の、この歌集には例外的作品。
詞書きにそれぞれ「稲田京子さん死去」と「兄・木村重信死去」とあり、一首目の信天翁のこの歌集のカバー絵のブルー系の品格の良さは、稲田京子氏の筆になるものであろう。
二首目の兄・木村重信氏は高名な学者、美術史家であった。
作者には『免疫系』という詩集があり、生物学にも造詣が深いと記憶している。ミトコンドリア・イヴまで行かずとも、ひとは父系母系からそれぞれどれ位の割合で遺伝子を引き継いでいるのだろう。
さて、この歌集『信天翁(アルバトロス)』は当然以前の六つの歌集に繋がるもので、私には手に負えない歌が多々あったが、作者の博学について行けない歌は置いといて、解り易かった歌を更に挙げてみたい。

   ・水着を剥いで引き出したつんと尖る乳首、若い固い乳房。
   ・贅肉のない鍛えた体幹、その真ん中の凹んだ臍が綺麗だ  以上「桜」

   ・街を一冊の本になぞらえると、旅する人はみな読者だ
   ・歴史の古い町ほど、その本は分厚くなる
   ・旅人は通りから通りへ巡り歩いて何百とあるページをめくる
   ・街並みは、街を読み解くための記号である      以上「街並み」

   ・ウォーキングが流行っている。毎朝一万歩あるくという人も居る
   ・ヒトは霊長類の一種。サル類は一日中なにをしているのか
   ・移動は何のためか。採食と給水が主なものである
   ・「ヒトとは直立歩行する霊長類である」これが定義
   ・しかし、なぜ二本足で歩くようになったのか  以上「二足歩行」

   ・ユリシーズの時代には肉体が見事だというだけで英雄になれた
   ・今では貧弱な肉体の持ち主がコンピュータを操って巨万の富をかせぐ
   ・その昔「自由律」というだけで刑務所にぶち込まれた俳人が居る
   ・デカルトの研究者というだけで三木清は獄死した
   ・北原白秋に「時局」を諭され前田夕暮は自由律から定型へ復帰した
   ・香川進大尉は「自由律歌人」だからと陸士出の将校に殴打された
   ・「自由」というだけで何でや?今どきの若者よ、それが時代の狂気なのだ     以上「cogito, ergo sum」

Ⅲ章「cogito, ergo sum」の同名の小見出しの部分。私の属する前田夕暮系の「地中海」の創立者・香川進に触れている。
戦時下の治安維持法によって、考えられないような事が事件にされ命を落とした人々が居た。
しかし今日の日本でも、当時と似たような暗雲が立ちこめている事に警鐘を鳴らしている。    (完)
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敬愛する三浦好博氏から、精細な「書評」を賜った。
私の意図するところを的確に捉えていただき、作者冥利に尽きる、というものである。
一点だけ訂正させていただきたい。
この本の装丁は「目次」の末尾に明記してあるように「倉本修」氏の手になるものである。念のため。
なお読み易いように適宜「改行」したのと、三浦氏の勘違いの箇所は修正した。 有難うございました。




加山又造・前本ゆふ 画文集『ゆふ』・・・木村草弥
ゆふ

──新・読書ノート・・・初出Doblog2006/10/07──

  加山又造・前本ゆふ 画文集『ゆふ』・・・・・・・・・・・・木村草弥

つい先年、他のBLOGから、ハンドルネーム「ゆふ」という人が訪問されて、一時交信していた。「ゆふ」というのは九州の九重連山の「由布」岳に由来するらしい。
そんな「ゆふ」という名前からの連想で、「そう言えば、むかし『ゆふ』という画文集を読んだっけ」と思い出して書架から引っ張りだしてきた。1993年中公文庫。

はじめにお断りしておくが、そんないきさつだから、今日書くことと、ハンドルネーム「ゆふ」さんとは何の関係もないことである。

加山又造は1927年京都生まれの画家で「新制作協会」「創画会」などに所属。東京芸術大学教授を勤めた。彼の筆致は一目みただけですぐにわかる独特なものである。
前本ゆふは1949年生まれ。多摩美術大学日本画科の「加山教室」で、後に夫となる前本利彦に出会いモデルを始める。1970年、同大学を中退。1976年より加山又造のモデルを務める。自身も日本画家として個展を中心に作品を発表している。

事典には、次のように載っている。
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加山 又造(かやま またぞう、男性、1927年9月24日~2004年4月6日)は、昭和~平成の日本画家。

1927年、京都府に西陣織の図案家の子として生まれる。京都市立美術工芸学校、東京美術学校(現・東京芸術大学)を卒業。山本丘人に師事。東京芸術大学名誉教授。日本画の伝統的な様式美を現代的な感覚で表現した。1997年文化功労者に選ばれ、2003年文化勲章を受章。

代表作品
「春秋波濤」(1966) 東京国立近代美術館
「雪」「月」「花」(1978) 東京国立近代美術館
「黄山霖雨・黄山湧雲」(1982) 京都国立近代美術館
「横たわる裸婦 '84(黒衣)」(1984)
「墨龍」 身延山久遠寺大本堂天井画
「濤と鶴」 ブリティッシュエアウェイズワールドイメージ尾翼デザイン
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学習研究社の出版で1983年に出た「裸婦」シリーズ全8巻というのがあり、第一回配本が加山又造だった。
名前の通り「裸婦」を描いた油彩、水彩、デッサンなど100ページほどのものである。
図版②は、その本から採った。

加山又造

話を画文集『ゆふ』に戻す。
この本の裏表紙に

<一人の女を描きつづけて十数年、選び抜いた素描150点と、画家とモデルの二人のエッセイによるユニークな画文集。裸婦画に独自の境地を拓いた加山又造氏とモデルをつとめるゆふさんが、互いの歩みと美の創造の過程を折々の心境をまじえて綴る>

というキャッチコピーが載っている。けだし的確な要約と言えるだろう。
図版③も「裸婦」シリーズからだが、下に引用する「ゆふ」さんの文章に関係するので、敢えて出しておく。

蜉?螻ア蜿磯??竭。_convert_20091020092848

この本のはじめの部分で「ゆふ」さんは書く。

<鶴見のアトリエ
 初めての仕事の日、私は丁寧にお化粧してでかけた。運転していった車の色や、着ていった青い服のこともはっきり覚えているのに鶴見のアトリエに着いてからのことはあまり覚えていない。・・・・・アトリエには、それまで先生が描いていたモデルのデッサンなどがあり、それらを見るにつけ私は不安になった。先生が描いていた女達のような、白く透きとおるパセティックなイメージを表現することは、マエモトサンのモデルをして養った「モデル術」を駆使しても難しいと思われた。私は、背も低く、女らしいやさしい体つきではなかったし、何より気になったのは健康的なことであった。夏と海だけを待ちつづけて残りの季節を過ごしていたような私の体には、十二月になってもくっきりと水着の跡がついていた。ちょうど、小麦色の肌に白い水着を着ているようだった。・・・・・先生はやっぱり少し驚いたように思えた。水着の跡を着た裸を珍しそうにみていたが、意外にもとても面白がって、さっそくスケッチに取りかかった。・・・・・三回だけの約束は延び延びになって、とうとう13年もたってしまった。仕事場は鶴見から藤沢に移り、あんなに焦がれた海沿いの道を通ってアトリエに通うようになったが、今では窓越しの太陽さえまぶしすぎる。私は、39歳になった。>

引いた文にも書かれているように、このデッサンにもはっきりと水着の跡が描かれている。
また違う個所の文を引いてみよう。

<アトリエの中
 自ら「屑屋の仕切り場」と称する先生のアトリエの中は、美大のときの「加山教室」そのままであったから、私には居心地が良かった。あらゆるものが雑然としている中で、私達もまとまりなく自由に仕事をした。先生はいつも京都弁独特のイントネーションで「自由にやろう」と言う。私達は仕事の合間にテレビを見たり、みどりさんが用意してくれるくだものやお菓子を食べながらお茶を飲んで話をする。しゃべってばかりでちっともはかどらないときもあるが、考えてみると話しているのは絵のことばかりである。・・・・・>

うらやましいような師弟として、またモデルとしての過ぎ行きが活写されている。
「ゆふ」さんとの交信から、むかし読んだ、ほのぼのとした本を再読させてもらった。




「信天翁」私信と書評・・・小西亘
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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      「信天翁」私信と書評・・・・・・・・・・・・小西亘

この度第七歌集『信天翁』を賜りましてありがとうございました。
いつもながらの、古今東西に亘る該博な知識、あふれる好奇心、対象に鋭く響く感性によって紡がれた作品を拝読し、豊かな時間を過ごさせていただきました。
連作の一首一首を読み進むうちに、ひとつの豊かな物語の世界に入ってゆくような思いになりました。
以下、思いつくままに拙い感想を記します。
「朝の儀式」 「或る夕餉」・・・・・このような日常の朝食・夕食を細かく描写し並べた連作が、不思議に詩としての力を持ってくるのですね。そこに意志のようなものも感じました。
「キティちゃん」・・・・・切ない物語でした。難民の微笑む、きちんと躾けられた少女、その洋服の「キティちゃん」を描いたところに、作者の少女への思いが伝わりました。
「オガダン・モド」・・・・・もうひとつの「キティちゃん」。モンゴルの風土に生み出された、われわれからすれば特異な感性を持つ少年。
「それは『オガダン・モド(巫女の木)』と呼ばれて信仰される」で結ばれる異質な世界。
「言葉」・・・・・言葉を崇拝し、言葉の力を解き、言葉人間の証と宣言する一文人の詩歌や書き物は、このような傾向にあると思います。
それに反して作者は、「若者よ、言葉にだまされてはいけない」 「物は嘘をつかない、物が語りかけるものは嘘をつかない」と言う。
「チョコ野郎」 「街並み」 「ヨーロッパの森」・・・・・絵入りの、ヨーロッパの物語風の歴史書・地理書を繙く思いでした。
われわれの憧れる、共通した歴史と文化を持ち、それぞれに多彩であるヨーロッパの国々。それを森やチョコという具体を通して。
「cogito, ergo sum」・・・・・ひろし・ぬやま・三木清・前田夕暮。「自由」という言葉だけで弾圧された俳人たち。
退職者となり、もの申さぬ人間となり、事なかれ主義の日々を送る自分を反省しました。
若者に日々触れる身、時代に生きた文人たちに自ら感じ、彼らを通して若者に伝えなければ、と。

冒頭の、稲田京子さんとお兄様を悼むお歌。「信天翁」のコースターのお話、改めて歌集を拝読して、このような死別の悲しみを直截に表さない挽歌も、あまり読んだことがないと思いました。
実景か心象風景か分からない、ある雰囲気をもつ描写を通して、故人とそれに関わる自分について、しみじみと思い、悲しみ、回想する情が窺えるようです。
詩心の無い私は、一首一首について、作者にお聞きしたいという気持ちが湧いて参りました。

勝手なことばかり書いて申し訳ありません。
蛇足ですが、「無駄な言葉がないなあ」という詠嘆の思いも持ちました。・・・・・        小西亘


「信天翁」私信ほか・・・田中成彦。松本昭子。那須信孝。山崎輝男。松宮行子。辻俱歓。
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   草弥の詩作品<草の領域>
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      「信天翁」私信ほか・・・・・・・・・・田中成彦。松本昭子。那須信孝。山崎輝男。松宮行子。辻俱歓。

      「信天翁」私信・・・・・・・・・田中成彦(吻土・主宰)

城南地方の春は殊に早い到来と拝察します。
変わらずご活躍のご様子お慶び申し上げます。
此度は新たな詩歌集のご恵贈まことにおめでとうございます。
巻頭の挽歌や、巻末の連作短詩には特に心惹かれました。
益々のご健詠をお祈り申し上げます。    <吻土>田中成彦

     「信天翁」私信・・・・・・・・・・・松本昭子(俳人・天塚)

「信天翁」ご上梓おめでとうございます。
歳を重ねてなほ変わらぬバイタリティに敬服しております。
自然体で自由にうたわれつつ広い知識も垣間みえ、深い思いも響いてまいりました。
勉強させていただきました。
新型ウイルスで不安な日々が続きます。ご自愛の上ますますのご健詠をお祈り申し上げます。   
                                   松本昭子

     「信天翁」私信・・・・・・・・・・・那須信孝(一行寺・前住職)

謹啓。世はコロナ伝染で種々の風評が乱れとんでいます。
フト戦時中の学徒動員等を想い出しました。
短い人生に数世紀とも言える経験をする時代に生かされている意義を知らされます。
歌集「信天翁」ご恵贈賜り有難うございました。
近親の方々の逝去にも拘わらず豊かな感性で多彩な精神的成長を続けられる貴兄に感心して居ります。
お互いに九十歳くれぐれも、お大事にご活躍ご精進お念じいたします。
有難うございました。                       那須信孝

     「信天翁」私信・・・・・・・・・・・山崎輝男(未来山脈)

『信天翁』のご出版おめでとうございます。何冊もの歌集を出されているのですね。
私もいつかは歌集を出版したいものと思っていますが、叶いません。
木村様の歌集を読んでいると、この様な表現方法もあるのだと大変新鮮な感覚を覚えました。
小生、いつも一首だけに固執して四苦八苦していますが、この様に詩のように表現することも可能なんだと感じました。
ゆっくり味わせていただきたいと思います。
歌集の中に川柳も出てまいりました。
私の友人に川柳を詠む者がおりまして、以前、同窓会の時にもらった面白い川柳を想いだしました。・・・・・
                                               山崎輝男

     「信天翁」私信・・・・・・・・・・・松宮行子(元・編集者。英語翻訳家)

お久しぶりです。歌集『信天翁』をお送りいただきありがとうございました。
一句一句読ませていただきながら途中で、あのバスの旅でお話をしたときのようにいろいろと問いかけておりました。
今年「卆」年。なんとはつらつとした句なのでしょう。
毎日のひととき、ひとときを丁寧に過ごされていることが、しっかりと伝わってきます。
このところ何かに(体力とか・・・)甘えてきている日常を反省しました。
先ず胸を張って歩かなくては ! ご本を手にとってはうなずいたり、はっとしたり。
そして久しぶりに丁寧に作られたご本を手に取り感激しております。
本づくりの考えられる限りのことが表現されていますね。ありがとございました。
これから、またじっくり読み返していきます。楽しみです。       松宮行子

     「信天翁」私信・・・・・・・・・・・辻俱歓(未来山脈)

歌集『信天翁』を御恵贈下さり、ありがとうございました。
素直で技巧をこらさなく、大変読み易いお歌の数々でございました。
木村様の素直なお心が、そのまま伝わって来るお歌の数々でした。
・・・・・
木村様は、奥様とお兄様を失われて、おさびしいかと存じます。でも未来山脈の仲間も居ます。
どうぞ長生きして下さいね。これからも短歌、読ませて下さい。         辻俱歓



雛の唇紅ぬるるまま幾世経し・・・山口青邨
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   雛の唇(くち)紅ぬるるまま幾世経し・・・・・・・・・・・山口青邨

雛祭は、もともとは旧暦の三月三日であったから、桃の花が麗しく咲き誇る季節であり、桃の花や白酒、菱餅などが供えられた。
九州の柳川では、この時期には「川くだり」の舟の中から見られるように家々が雛壇を飾るのが恒例である。
なお、男雛と女雛の置き位置が、京都と東京では逆であると言われる。調べられたい

今は太陽暦の新暦で祭るから植物的には違和感がある。
今でも女の子の居る家では「おひなさま」を飾るが、家の広さに制限があり、簡単な飾りで済ますところも多いらしい。
だから昔ほど、おひなさまを囲んでという光景は薄れたと言えようか。

雛祭の古い句としては

  とぼし灯の用意や雛の台所・・・・・・・・加賀千代女  

  雛祭る都はづれや桃の月・・・・・・・・与謝蕪村

  蝋燭のにほふ雛(ひひな)の雨夜かな・・・・・・・・加舎白雄

などが挙げられよう。
近代以後の句も歳時記にはたくさん載っているので、いくつか引いておく。
「雛」の字の読み方としては、前後の音数の関係から「ひな」と訓んだり「ひひな」と訓んだり区別する。

  いきいきとほそ目かがやく雛(ひひな)かな・・・・・・・・飯田蛇笏

  箱を出て初雛のまま照りたまふ・・・・・・・・渡辺水巴

  鎌倉の松風さむき雛かな・・・・・・・・久保田万太郎

  かんばせのひびのかなしき雛かな・・・・・・・・野村喜舟

  函を出てより添ふ雛の御契り・・・・・・・・杉田久女

  老いてこそなほなつかしや雛飾る・・・・・・・・及川貞

  雛の座を起つにも齢の骨鳴りて・・・・・・・・石川桂郎

  初雛の大き過ぎるを贈りけり・・・・・・・・草間時彦

  男(を)の雛の黛(まゆずみ)暈(かさ)をもちたまふ・・・・・・・・後藤夜半

  雛まつり薬缶も笛の音色して・・・・・・・・成田千空

  ひとり居の雛とぢこめて出勤す・・・・・・・・菖蒲あや

  木に彫つて寧楽七色の雛かな・・・・・・・・飴山實

  日の高きうちより点し雛の燭・・・・・・・・片山由美子

  灯すもの灯して寂か雛の間・・・・・・・・浜崎浜子

  雛壇を奥の一間に鮮魚店・・・・・・・・中間秀幸
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山口青邨は東京帝大工科採鉱学科卒で、のち母校の教授になるという経歴の持ち主。ホトトギス門下の逸材で、いわゆる「四S時代」の提唱者として知られる。
因みに、「四S」とは、東の秋桜子、素十。西の誓子、青畝を指す。

掲出の青邨の句は、雛祭の、雛出しの情景を彷彿とさせる佳い句である。
今の時期の青邨の句としては、

  本を読む菜の花明り本を読む

  啓蟄の蚯蚓の紅のすきとほる

  春の海一重の藪をもてへだつ

  白梅を怒涛と見れば日暮れたり

  森の中噴井は夜もかくあらむ

などの句が私は好きである。

山口青邨旧宅「雑草園」 ← リンクになっているので、クリックされよ。
蔵書は「日本現代詩歌文学館」に収蔵された。また長く住んだ「雑草園」も同館の別館として隣接地に移築・保存されている。
私も終活の意味も込めて、一昨年、詩歌関係の蔵書400冊余をここに寄贈したので永年保存され、同好の人たちに利用されるだろう。
当時の館長・篠弘から受領のリストが届いている。 → 蔵書寄贈
私的なことだが、ひとこと書き添えておく。




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