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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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「潮」誌最近号から・・・木村草弥
潮_NEW

──新・読書ノート──

     「潮」誌最近号から・・・・・・・・・・・・・木村草弥

奈良の自由律の結社「潮」誌の最近号の恵贈をいただいたので紹介する。
藤本哲郎主宰が亡くなって、今は長く同伴者として走って来られた宮章子氏が後を継いでおられる。
この「潮」は、伝統的に学校の教員を主とした結社であり、今も、そうらしい。
宮さんは、梓志乃の「芸術と自由」にも所属して作品を発表されている。
ただ梓氏は、若い作者を発掘するのが下手で、会員は年寄ばかりになって先細りも甚だしい。
私は梓氏にも親しいが、季刊の冊子は、薄ぺらくてみすぼらしい。 (余談に脱線した。)

「潮」誌は隔月刊である。立派なものである。
「潮」第177号2019/11には、「潮いこま」の会員も含めて31人に作品が見える。 少し作品を見てみよう。

   ■一年間秘めていた思いか 彼岸には花蕊をぬっと出す彼岸花・・・・・宮章子
   ■糸くずのような蕊を支える逞しい茎 もう明日をみつめている

   ■たまたまの 必然の であいですね 昔がたりが するする くるくる・・・・・やひろ かおる
   ■ほんとの色は色鉛筆じゃ足りない それでも すき それだから かく

やひろ氏は「ひらがな」書きを多用する作家である。
「作品 Ⅰ」「作品 Ⅱ」欄は一人五首づつ出詠になっている。

   ■かすかな土鈴の音に目覚める どこから聞こえるのか薄汚れた慟哭・・・・・林貞行
   ■不定形の窓枠に映る阿修羅の顔 いえいえ痩せ蜻蛉の泣き顔です
   ■ミッキーマウスか宇宙人か 廃業した煙草屋の角を曲がって微笑む

林氏は独特の発想を持つ人である。
前主宰・藤本氏が存命中は、定期的に「潮」誌を頂いていた。私が碌に返事もしないものだから、いつしか頂くことがなくなった。
その頃から林氏の発想は特異なものがあった。

   ■自分の最後は自分で決める 草刈機に立ち向かうカマキリの意志・・・・・村田史子
   ■籾殻を焼く煙が立つ 捨てがたい昭和の臭いがする
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第177号と178号と続いて岡山県の笠岡で司法書士をしていた神信子氏の作品が連載されている。
彼女の旦那さんで短歌結社「龍」主宰だった小見山輝氏も亡くなって淋しくなった。ご両者が元気なときは歌集などを頂いたものである。

   ■じわじわと肉に食い込む疲労だけが今日生きている私の証・・・・・神信子
   ■風吹けば風に雨降れば雨に散り落とすもう魂なかではない万の枯葉

これらの一連は、彼女の晩年の体調の悪い頃の作品であることが、よく判る。哀しい一連である。

   ■あの田もその向こうも一面の雑草におおわれ 時代が傾いてきた・・・・・南りうこ
   ■空の青とトンボ イエスとかノーとかではなく暮らしがうつりゆく

   ■苔に美を感じた先達の卓越した意匠 押しつけではない感覚・・・・・井坂潤一郎
   ■じっと苔に見続けられている 生き抜いたから今があると

   ■予報の傘が陽ざしに変わる 横たわる憂鬱を懸命に掃き出す休日の庭・・・・・清水紀子
   ■台風が暴れ去った夜の中 月下美人に無数の雫が光る 静かに光る

   ■新しい仕事に就く朝故郷を歩く 真っ青な空にうろこ雲・・・・・ 橋本宗和
   ■コンバインと競争していた三人の吾子 長女はノルウエー次男はフランスに

新短歌クラブ「潮いこま」の作品も立派である。歌を引くことはしないが、「潮」の将来は明るい。絶えず「若い血」を注入する努力を。



「信天翁」私信と抽出歌・・・三好俊明。木下忠彦。天野和子。小畑庸子。小西久二郎。山下正子。永井章子。涸沢純平。
信天翁_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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     「信天翁」私信と抽出歌・・・・・・・・三好俊明。木下忠彦。天野和子。小畑庸子。小西久二郎。山下正子。永井章子。涸沢純平。

     「信天翁」私信と抽出歌・・・・・・・・三好俊明(「未来山脈」会員)

このたびは御高著『信天翁』を賜り誠にありがとうございます。
木村さんの独特な感覚は大いに参考になります。
   ■街を一冊の本になぞらえると 旅する人はみな読者だ
この一首を挙げて、まずはお礼に代えさせていただきます。 ご自愛ください。

     「信天翁」私信・・・・・・・・・木下忠彦(「未来山脈」会員)

拝啓。三月に入り陽ざしが一層明るく感じられる候となりました。
お変わりなくご活躍の段お慶び申し上げます。
この度は歌集『信天翁』をご恵贈賜り厚く御礼を申しあげます。
歯切れのよい短歌は深い学殖に裏打ちされているのだ、と感心いたしております。
どうぞ健康維持にご留意頂き、ご活躍を祈っております。   敬具

     「信天翁」私信と抽出歌・・・・・・・・天野和子(「塔」会員)

待ち遠しかった春の到来も、コロナ感染の騒ぎでたいへんなことになってしまいました。
が、春の花々は次々と咲いています。自然はいいなと改めて思うこの頃です。
第七歌集のご上梓おめでとうございます。ご恵贈ありがとうございます。
瑞々しいお歌の数々は「詠い続ける」ということの意味を示していただいているようです。
少し後に続く者として勇気をいただけます。第八歌集を楽しみに。 お礼まで。
   ■何十憶年かけて地球に届く星の光に自分か融けてゆく

     「信天翁」私信・・・・・・・・・小畑庸子(「水甕」前・選者)

木村様 この度は御歌集『信天翁』ご上梓おめでとうございます。
ご恵与にあずかりありがとうございました。今よりゆっくり拝読いたします。
ますますのご発展を心よりお祈り申し上げます。  かしこ

     「信天翁」私信と抽出歌・・・・・・・・小西久二郎(「好日」前・代表)

拝啓。本年も早 如月尽となり心忙しい事です。
この度は第七歌集『信天翁』の出版おめでたく、早速に御恵与下さいまして厚く御礼申します。
作品は、これより拝読する次第ですが、初めの方より好み二、三を抄出して御礼に代えます。
   ■一病を持ちては永きたそがれか野の豌豆の花の白さや
   ■もゆらもゆら夏の玉の緒ひぐらしの啼く夕ぐれはまうらがなしも
   ■また地上に出でくるときは七年先まみえむ日まで命やしなはむ
   ■村の見慣れた風景に眠つてゐる寓話をゆつくり呼びさましたらどうか
   ■一休の狂歌を引いてM君から「年賀をやめる」とハガキ
など繰り返し拝見。 折をみて充分味読いたします。
これを機に益々ご活躍を念じます。 とりいそぎ御礼言上まで。   敬白

     「信天翁」私信・・・・・・・・・・・山下正子

二月二十九日にご本を落手しました。
今度は読みやすく一気に読みました。
同じ年齢なので、最後の章、あとがきに共感しました。
皮肉の混じる豊富な知識に再度味わいたいと思います。
表紙のカバー信天翁の青空への飛翔、素敵です。ありがとうございました。

     「信天翁」私信と抽出歌・・・・・・・・永井章子(詩人)

御歌集『信天翁』をご恵贈いただきまして誠にありがとうございました。
実に興味深く拝読させていただきました。
いつもながらの博学のこと頭が下がります。
「信天翁」「象形」「岩の造形」等は短歌として読ませていただきましたが、あとがきに「散文の短詩」と書かれてありますように、型にはまらない自由な表現を確立されましたことは、まさに凄いことだと存じます。
どの御作も、すーと胸に届き、物知らずの私は、いろいろ教えていただく楽しさを沢山いただきました。
重ねて御礼申し上げます。

     「信天翁」私信と抽出歌・・・・・・・・涸沢純平(「編集工房ノア」社主)

卒寿の歌集『信天翁』御出版をお慶び申し上げます。
   ■波動し攪拌する意識に抗いむきだしになる感情を押しとどめ
   ■わたくしのいつもながらの朝の儀式 これから始まる春夏秋冬
をお過ごしください。 有難うございました。




     

「信天翁」私信と抽出歌・・・宮章子
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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     「信天翁」私信と抽出歌・・・・・・・・・・・・・宮章子(「潮」主宰)

一枚の絵の中で物語が時間をかけて浮き沈みする。
この度は歌集『信天翁』ありがとうございました。
「一枚の絵」どころか、一冊の本の中に木村様の人生の物語が「浮き沈み」しながら心に浸みて来ました。
   ■卒の略字「卆」は九と十。わたしは今年卆寿だという
   ■いちにちの始めの儀式この朝もミルクあたため「いただきます」
毎月お元気で歌を創り、素晴らしい歌集にまとめられた、その生活の様子が歌々の中から伺い知ることができます。
   ■一個の岩石は風や雨に晒されながら永遠の時を刻んだ
   ■哺乳類の奇形として出発した「二足歩行」の未来は?
   ■「自由」というだけで何でや?今どきの若者よ、それが時代の狂気なのだ
チクリチクリと時代への批評・批判が表現されていて、新短歌は、これを忘れてはならないと思いました。
一読させて頂いた感想です。また、じっくりと読ませて頂き、作歌のお手本にさせて頂きます。
ありがとうございました。
何かと不穏な日々、呉々もご自愛下さい。                  宮章子



木村草弥第七歌集『信天翁』鑑賞・・・三浦 好博
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   草弥の詩作品<草の領域>
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      that is the question. me free !
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      木村草弥第七歌集『信天翁』鑑賞・・・・・・・・・・三浦 好博(「地中海」編集委員)

木村草弥さんのたくさんの歌集や詩集をその都度読ませていただいて来た筈であるが、あらためてウィキペディアに掲載されている著書を読んでみて、その多さに驚いている。
『信天翁』は作者の言われる様に基本的には、自由律の「未来山脈」に発表された作品という事であったが、以前にも御歌集『樹々の記憶』等で自由律の作品を読ませて戴いていた。

   ・一休の狂歌を引いてM君から「年賀をやめる」とハガキ
   ・M君よ、それも分るが年賀状は年に一度の「生存証明」なのだ
   ・まあ、君のしたいようにすればいいことだが淋しいねえ
歌集の前の方にある歌であるが、実は私も作者にこれを出してしまった事があり、私もこの通りのお返事を頂いた。
このM氏は九十歳であるが、私(偶々私もMである)は未だ喜寿であるので余計身に沁みる。

   ・〈信天翁〉描ける青きコースターまなかひに白き砂浜ありぬ
   ・吉凶のいづれか朱き実のこぼれ母系父系のただうす暗し
角川「短歌」に発表された文語定型の、この歌集には例外的作品。
詞書きにそれぞれ「稲田京子さん死去」と「兄・木村重信死去」とあり、一首目の信天翁のこの歌集のカバー絵のブルー系の品格の良さは、稲田京子氏の筆になるものであろう。
二首目の兄・木村重信氏は高名な学者、美術史家であった。
作者には『免疫系』という詩集があり、生物学にも造詣が深いと記憶している。ミトコンドリア・イヴまで行かずとも、ひとは父系母系からそれぞれどれ位の割合で遺伝子を引き継いでいるのだろう。
さて、この歌集『信天翁(アルバトロス)』は当然以前の六つの歌集に繋がるもので、私には手に負えない歌が多々あったが、作者の博学について行けない歌は置いといて、解り易かった歌を更に挙げてみたい。

   ・水着を剥いで引き出したつんと尖る乳首、若い固い乳房。
   ・贅肉のない鍛えた体幹、その真ん中の凹んだ臍が綺麗だ  以上「桜」

   ・街を一冊の本になぞらえると、旅する人はみな読者だ
   ・歴史の古い町ほど、その本は分厚くなる
   ・旅人は通りから通りへ巡り歩いて何百とあるページをめくる
   ・街並みは、街を読み解くための記号である      以上「街並み」

   ・ウォーキングが流行っている。毎朝一万歩あるくという人も居る
   ・ヒトは霊長類の一種。サル類は一日中なにをしているのか
   ・移動は何のためか。採食と給水が主なものである
   ・「ヒトとは直立歩行する霊長類である」これが定義
   ・しかし、なぜ二本足で歩くようになったのか  以上「二足歩行」

   ・ユリシーズの時代には肉体が見事だというだけで英雄になれた
   ・今では貧弱な肉体の持ち主がコンピュータを操って巨万の富をかせぐ
   ・その昔「自由律」というだけで刑務所にぶち込まれた俳人が居る
   ・デカルトの研究者というだけで三木清は獄死した
   ・北原白秋に「時局」を諭され前田夕暮は自由律から定型へ復帰した
   ・香川進大尉は「自由律歌人」だからと陸士出の将校に殴打された
   ・「自由」というだけで何でや?今どきの若者よ、それが時代の狂気なのだ     以上「cogito, ergo sum」

Ⅲ章「cogito, ergo sum」の同名の小見出しの部分。私の属する前田夕暮系の「地中海」の創立者・香川進に触れている。
戦時下の治安維持法によって、考えられないような事が事件にされ命を落とした人々が居た。
しかし今日の日本でも、当時と似たような暗雲が立ちこめている事に警鐘を鳴らしている。    (完)
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敬愛する三浦好博氏から、精細な「書評」を賜った。
私の意図するところを的確に捉えていただき、作者冥利に尽きる、というものである。
一点だけ訂正させていただきたい。
この本の装丁は「目次」の末尾に明記してあるように「倉本修」氏の手になるものである。念のため。
なお読み易いように適宜「改行」したのと、三浦氏の勘違いの箇所は修正した。 有難うございました。




加山又造・前本ゆふ 画文集『ゆふ』・・・木村草弥
ゆふ

──新・読書ノート・・・初出Doblog2006/10/07──

  加山又造・前本ゆふ 画文集『ゆふ』・・・・・・・・・・・・木村草弥

つい先年、他のBLOGから、ハンドルネーム「ゆふ」という人が訪問されて、一時交信していた。「ゆふ」というのは九州の九重連山の「由布」岳に由来するらしい。
そんな「ゆふ」という名前からの連想で、「そう言えば、むかし『ゆふ』という画文集を読んだっけ」と思い出して書架から引っ張りだしてきた。1993年中公文庫。

はじめにお断りしておくが、そんないきさつだから、今日書くことと、ハンドルネーム「ゆふ」さんとは何の関係もないことである。

加山又造は1927年京都生まれの画家で「新制作協会」「創画会」などに所属。東京芸術大学教授を勤めた。彼の筆致は一目みただけですぐにわかる独特なものである。
前本ゆふは1949年生まれ。多摩美術大学日本画科の「加山教室」で、後に夫となる前本利彦に出会いモデルを始める。1970年、同大学を中退。1976年より加山又造のモデルを務める。自身も日本画家として個展を中心に作品を発表している。

事典には、次のように載っている。
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加山 又造(かやま またぞう、男性、1927年9月24日~2004年4月6日)は、昭和~平成の日本画家。

1927年、京都府に西陣織の図案家の子として生まれる。京都市立美術工芸学校、東京美術学校(現・東京芸術大学)を卒業。山本丘人に師事。東京芸術大学名誉教授。日本画の伝統的な様式美を現代的な感覚で表現した。1997年文化功労者に選ばれ、2003年文化勲章を受章。

代表作品
「春秋波濤」(1966) 東京国立近代美術館
「雪」「月」「花」(1978) 東京国立近代美術館
「黄山霖雨・黄山湧雲」(1982) 京都国立近代美術館
「横たわる裸婦 '84(黒衣)」(1984)
「墨龍」 身延山久遠寺大本堂天井画
「濤と鶴」 ブリティッシュエアウェイズワールドイメージ尾翼デザイン
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学習研究社の出版で1983年に出た「裸婦」シリーズ全8巻というのがあり、第一回配本が加山又造だった。
名前の通り「裸婦」を描いた油彩、水彩、デッサンなど100ページほどのものである。
図版②は、その本から採った。

加山又造

話を画文集『ゆふ』に戻す。
この本の裏表紙に

<一人の女を描きつづけて十数年、選び抜いた素描150点と、画家とモデルの二人のエッセイによるユニークな画文集。裸婦画に独自の境地を拓いた加山又造氏とモデルをつとめるゆふさんが、互いの歩みと美の創造の過程を折々の心境をまじえて綴る>

というキャッチコピーが載っている。けだし的確な要約と言えるだろう。
図版③も「裸婦」シリーズからだが、下に引用する「ゆふ」さんの文章に関係するので、敢えて出しておく。

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この本のはじめの部分で「ゆふ」さんは書く。

<鶴見のアトリエ
 初めての仕事の日、私は丁寧にお化粧してでかけた。運転していった車の色や、着ていった青い服のこともはっきり覚えているのに鶴見のアトリエに着いてからのことはあまり覚えていない。・・・・・アトリエには、それまで先生が描いていたモデルのデッサンなどがあり、それらを見るにつけ私は不安になった。先生が描いていた女達のような、白く透きとおるパセティックなイメージを表現することは、マエモトサンのモデルをして養った「モデル術」を駆使しても難しいと思われた。私は、背も低く、女らしいやさしい体つきではなかったし、何より気になったのは健康的なことであった。夏と海だけを待ちつづけて残りの季節を過ごしていたような私の体には、十二月になってもくっきりと水着の跡がついていた。ちょうど、小麦色の肌に白い水着を着ているようだった。・・・・・先生はやっぱり少し驚いたように思えた。水着の跡を着た裸を珍しそうにみていたが、意外にもとても面白がって、さっそくスケッチに取りかかった。・・・・・三回だけの約束は延び延びになって、とうとう13年もたってしまった。仕事場は鶴見から藤沢に移り、あんなに焦がれた海沿いの道を通ってアトリエに通うようになったが、今では窓越しの太陽さえまぶしすぎる。私は、39歳になった。>

引いた文にも書かれているように、このデッサンにもはっきりと水着の跡が描かれている。
また違う個所の文を引いてみよう。

<アトリエの中
 自ら「屑屋の仕切り場」と称する先生のアトリエの中は、美大のときの「加山教室」そのままであったから、私には居心地が良かった。あらゆるものが雑然としている中で、私達もまとまりなく自由に仕事をした。先生はいつも京都弁独特のイントネーションで「自由にやろう」と言う。私達は仕事の合間にテレビを見たり、みどりさんが用意してくれるくだものやお菓子を食べながらお茶を飲んで話をする。しゃべってばかりでちっともはかどらないときもあるが、考えてみると話しているのは絵のことばかりである。・・・・・>

うらやましいような師弟として、またモデルとしての過ぎ行きが活写されている。
「ゆふ」さんとの交信から、むかし読んだ、ほのぼのとした本を再読させてもらった。




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