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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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稲田病院が倒産した・・・木村草弥
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↑ 画像はイメージです

朝日新聞が三月五日にニュースを発信した。  ↓

 医療法人社団「湧水(ゆうすい)方円会」(稲田有史理事長)が4日、奈良地裁に自己破産を申請し、手続き開始の決定を受けたと東京商工リサーチ奈良支店が発表した。
同支店によると、負債総額は約1億7千万円。同会が奈良市大森町で運営する稲田病院(32床)も閉院した。同法人は2014年設立。
病院長の稲田理事長が今年2月に亡くなり、破産申請にいたった。

私が妻亡きあと、十年間にわたって支えてもらった「稲田京子」さんの二男の稲田有史が院長だった。
顕微鏡下での微細な手術 マイクロサージャリーの第一人者で、全国の医師の紹介で患者が来ていた。
京都大学再生医科学研究所「臓器再建応用分野」部門が開発した「人工神経」を臨床で使うために京大が白羽の矢を立てたのが、第一人者の彼だった。
詳しくは下記のWikipediaを見てもらいたい。
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Wikipedia の記事 ↓
稲田 有史(いなだ ゆうじ、1959年8月29日 - 2020年2月16日)は日本の整形外科医。奈良県奈良市生まれ。

マイクロサージャリーの中でも「末梢神経損傷に対するPGA-C tubeを用いた再生治療」のパイオニアとして注目される。

医療法人社団「湧水(ゆうすい)方円会」(稲田有史理事長)が2020年3月4日、奈良地裁に自己破産を申請し、手続き開始の決定を受けたと東京商工リサーチ奈良支店が発表した。同支店によると、負債総額は約1億7千万円。同会が奈良市大森町で運営する稲田病院(32床)も閉院した。同法人は2014年設立。病院長の稲田理事長が今年2月に亡くなり、破産申請にいたった。

経歴
1959年8月29日、稲田病院長で外科医の父・道夫と母・京子の二男として出生。1977年3月、奈良県立奈良高等学校卒業。1983年3月、久留米大学医学部卒業。

職歴
1983年5月、奈良県立医科大学(整形外科学)入局。1991年5月、整形外科専門医取得。医学博士号取得。1991年7月、ニューヨーク・コーネル大学医学部付属HSS (The Hospital for Special Surgery.NewYork) 留学。
1995年7月、奈良県立医科大学緊急医学教室講師。
2000年7月、G8九州沖縄サミット・デイゴ作戦(国家救急医療作戦)整形外科専門医チーム代表選出。
2003年4月、京都大学再生医科学研究所臓器再建応用分野非常勤講師。2013年現在講師。
人工神経の開発・臨床応用に参加。「人工神経誘導チューブ」(PolyGlocolic Acid-Collagen tube) の基礎実験・臨床応用を継続。
2004年1月、稲田病院院長。
奈良県立医科大学整形外科、麻酔科、耳鼻咽喉科、高度救命救急センター非常勤講師。
耳鼻咽喉科において-鼓索神経、顔面神経再建。
麻酔科ペインクリニック-複合性局所疼痛症候群 CRPS (Complex Regional Pain Syndrome typeⅡ:causalgia) 治療。

2004年9月人工神経誘導チューブが、末梢神経欠損に対するのみならず、神経因性疼痛に効果があることを発見。これらの結果は『NeuroSurgery』誌に論文採用され同誌の表紙を飾り、PGA-C tubeの世界初の臨床成功例として紹介された。自家神経移植例との比較実験も行い『Brain Research』に採用される。

今なお年間1000例以上の外傷再建手術をこなし、指の再接着率は96%。

資格/日本手外科学会評議員。日本末梢神経学会評議員。公益社団法人日本整形外科学会認定整形外科専門医。

医療法人湧水方円会 稲田病院理事長・院長。

京都大学ウイルス・再生医科学研究所臓器再建応用部門 非常勤講師。
奈良県立医科大学臨床教授・整形外科・高度救急センター・麻酔科・耳鼻咽喉科。
関西医科大学生化学教室 非常勤講師。
AO EastAsia,soft tissue coverage member。
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手術後も、丁寧なリハビリで有名で、院長診察日には午前中だけで100人を超す外来患者が押し寄せていた。小さな病院だった、のにである。
私は2/16に彼が死んだと聞いたときに、ああ、これで稲田病院は終わった、と直感したが、その通りになった。
この病院は彼・稲田有史で持っていたからである。
病院の経営は苦しい。
稲田病院は、稲田道夫氏と稲田京子さんが、一代で築き上げた病院なのである。
稲田京子さんは、死んで、もう四年になるが、病院の倒産ということを知らずに、いい時に亡くなった、と今になれば思う。 嗚呼。



「信天翁」私信と抽出歌・・・貝沼正子
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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     「信天翁」私信と抽出歌・・・・・・・・・・・・・貝沼正子(「未来山脈」会員)

暖冬で例年より桜の開花が早まりそうですが、お変わりございませんか。
歌集『信天翁』をご恵贈いただき有難うございました。
一昨年の詩集『修学院幻視』に続いてのご出版、益々のご活躍に驚いております。

   〈信天翁〉描ける青きコースターまなかひに白き砂浜ありぬ

歌集名にとられたお歌ですが、装丁もこの青いコースターに描かれた信天翁でしょうか。個性的でインパクトがあります。
帯に「この本は親しい人たちを失った喪失と諦念の書である」とあり、木村様の現在の切ない心境が語られていますが、信天翁の表情は光を背負いまっすぐ天に向かって飛び続けているようで希望を感じます。
作者を支えてくれた親しい方の死や、次兄・重信様の死は、どれだけつらく、悲しく、寂しく胸を締め付けられる思いをされたことでしょう。ご冥福をお祈り申し上げます。

「あとがき」にもあるように、木村様の作品は「散文の短詩」の形態が多く、私には批評が難しいので、心に残った作品を一部挙げさせていただきます。

(信天翁)から
   ・一病を持ちては永きたそがれか野の豌豆の花の白さや
   ・〈信天翁〉描ける青きコースターまなかひに白き砂浜ありぬ
   ・吉凶のいづれか朱き実のこぼれ母系父系のただうす暗し
   ・庭の樹につくつくぼふしが来鳴きけり酷暑のふつと弛める夕べ
   ・また地上に出でくるときは七年先まみえむ日まで命やしなはむ

(幻想的で不思議な感じ)
   ・ふしぎにかぼそい光のタペストリー 孤立するまばゆい無限空間
   ・象形は彩を失って 残像となり あなたは遠ざかる

(短詩の一連)
   ・街並み
   ・森の記憶②
   ・岩の造形
   ・誕生と死
   ・さざれ石
   ・都市の壁
   ・cogito , ergo sum
   ・「自由」というだけで何でや?今どきの若者よ、それが時代の狂気なのだ

いま世界中に新型コロナウイルスが感染拡大し、病気はもとより、学校、経済、失業、貧困、移動の制限など多くの問題が山積しています。
戦争の歴史から学ぶように「時代の狂気」に振り回されないように、落ち着いた行動を一人ひとりが取るべき時と心得ます。
いろいろとご教示いただき有難うございました。

どうぞお身体をおいとい下さって、これからも作品作りに励まれることをお祈りいたします。
   令和二年三月九日    水仙の芽が伸びだした一関より     貝沼正子



水取りや氷の僧の沓の音・・・松尾芭蕉
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    水取りや氷の僧の沓(くつ)の音・・・・・・・・・・・・・・・松尾芭蕉

この句には「二月堂に籠りて」の前書きがある。
奈良東大寺二月堂では、3月1日から14日まで修二会(しゅにえ)の行法が行われる。
2月21日から練行衆と言われる僧は精進潔斎をおこない、3月1日の夜から堂に参籠し、授戒、籠松明、お水取りなどの諸行を修し、達陀(だったん)の法で行が終り、15日の東大寺涅槃講を迎える。
二月堂の開祖・実忠和尚が始めたと言われる。修二会とは、2月に修するという意味で、旧暦の2月1日から14日間にわたって行われたもので、今の暦では、上に書いたように3月に行われる。「お水取り」は、そのうちの一つで、3月13日の午前2時頃から行われる。
二月堂で一年間仏事に用いる聖水を、堂の近くの閼伽井(あかい)で汲み、本堂に運んで五個の壺に納め、須弥壇の下に置くもので、この「あかい」の水は若狭国から地下でつながっていると伝えられる。この水で牛王(ごおう)の霊符を作り参詣の人々に分けるのである。

以上がお水取りの行法だが、これを拝観に人々が集まるのは、雅楽の響きの中、法螺貝を吹き鳴らし、杉の枯葉を篝火に焚き、僧が大松明を振りかざして回廊を駆け昇るのだが、クライマックスとなるのは3月12日午後8時頃に籠松明12本を次々に連ねて廻廊から揺りこぼす(関係者は「尻松明」と称するらしい)という壮観な行事である。
この大松明の振りこぼした「燃え残り」を拾って、家に持ち帰ると、ご利益があるというので、人々は競って拾うのである。写真は、その時の大松明の燃えさかる様子だが、どうして、お堂に火が移らないか、と不思議である。

関西では「水取りや瀬々のぬるみも此日より」の句にある通り、お水取りが終わらないと暖かくならないと言われ、事実、季節の推移は、そのようになるから不思議である。こういう感覚は、関東や西国の人には理解できないことかも知れない。

掲出した芭蕉の句だが、しんしんと冷える深夜、凍てついた氷さながらの僧の、森厳な修法の姿を端的に示す氷ついた沓音が響く。「氷」は「僧」にも「沓音」にもかかると見るべきだろう。
貞享元年から二年にかけての記念すべき関西への旅の体験である。出典は『野ざらし紀行』。
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修二会を詠った句を挙げて結びにする。

  廻廊の高さ修二会の火を降らし・・・・・・・・・岩根冬青

  修二会の赤き雪かな火の粉かな・・・・・・・・吉川陽子

  籠りの僧煙のごとしや走り行・・・・・・・・堀喬人

  女身われ修二会の火の粉いただくや・・・・・・・・斎藤芳枝

  修二会の奈良に夜来る水のごと・・・・・・・・角川源義

  修二会僧女人のわれの前通る・・・・・・・・橋本多佳子

  巨き闇降りて修二会にわれ沈む・・・・・・・・藤田湘子

  走る走る修二会わが恋ふ御僧も・・・・・・・・大石悦子

  法螺貝のあるときむせぶ修二会かな・・・・・・・・黒田杏子

  修二会果つ大楠の根を雨洗ひ・・・・・・・・針呆介

  雨音も修二会も鹿の寝(い)の中に・・・・・・・・志摩知子

  倶に寡婦修二会の火の粉喜々と浴び・・・・・・・・我妻草豊

  参籠の修二会に食ぶ茶粥かな・・・・・・・・大橋敦子

  ささささと火を掃く箒お水取り・・・・・・・・山田弘子

  火と走る僧も火となるお水取り・・・・・・・・銀林晴生

  お水取り青衣女人のまかり出る・・・・・・・・磯野充伯

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友人の井芹能一氏から提供頂いた、平成16年2月26日に行われた修二会のための「社参」という行事の写真があったのだが、ブログ移転の際に紛失してしまった。
写真は、先頭から和上、大導師、咒師、堂司とつづく行列であった。
場所は戒壇院前。「社参」は神仏習合そのもので、修二会が無事に遂行できるように、二月堂の守護神社を中心に八幡殿、天皇陵、開山堂を参詣するものという。
おわび申し上げる代りとして 「お水取り その1」というサイトをリンクに貼っておくので、ご覧ください。行事が写真入りで詳しく書かれており、文中から「その2」へと繋がって行く。
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(追記)3月15日に井芹氏からメールが届いて14日間の修二会の行が終わったことが書いてあった。
以下、井芹氏のメールを引用して紹介したい。

<行としては18日観音講の日を最後とするのですが、14日間の修二会が今朝方終わりました。 眠いというよりも、ある種の幸を感じる朝でもありました。 誰が名づけたか「名残の晨朝」、ここで聞く行中最後の観音経は「蛍の光」の曲と同じ感じ。大の大人が観音との別れを惜しみ唄ってもこうなるのでしょうか。名残の晨朝の時導師は総衆が勤めることに決っているそうですが、今年は名代の時導師で胸に迫りました。 東大寺では野ざらし紀行の「氷」と違って、「籠り」を採っているようです。これも東大寺の独自性を表わそうとしたものでしょうか。 二月堂と法華堂との間に行場の滝があり、その前に芭蕉の句碑が建っています。曰く「水取りや籠りの僧の沓の音」。 額に牛玉印を押し、達成した満足感を顔一杯に表わし、牛玉杖を抱え、満行下堂してくる練行衆を迎え、ああ!今年も終わったなと帰路についたのが、明け方の4時半。まさに堂内の和上が「よあけんたりや」と問うのに対して、堂童子が「暗し」と応えるのと同じ時刻です。>
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(以下は2004/03/12Doblog記事の再掲である。ご了承を。)
  
  東大寺修二会1253回お水取り
     ──参籠役のこと──井芹能一氏による──


東大寺修二会の行事について、井芹氏から資料を頂いた。井芹氏は京都府立山城郷土資料館の解説ボランティアを務める人だが、この近年、東大寺に日参し、もろもろの行事に精通しておられる。
井芹氏から頂いた資料により、平成十六年度の「東大寺修二会1253回お水取り」のことを、少し書いてみたい。

平成十六年修二会参籠役

 和上──森本公誠/清涼院・上院院長・東大寺学園理事長──参籠27回

和上は練行衆に戒を授ける。かつては四職の中で堂衆が勤めることが出来る唯一の役であった。

 大導師──上野道善/真言院・華厳宗宗務長・東大寺執事長──参籠29回

導師は修二会の最高責任者として法会を統括する。かつては学侶の所役であった。

 咒師──筒井寛昭/龍松院・大仏殿院主・福祉事業団理事長──参籠25回

咒師は呪禁師であり、結界勧請などの密教的修法を司り、神道的な作法も行う。かつては学侶の所役であった。

 堂司──平岡昇修/上之坊・勧学院院長──参籠19回

堂司は法会進行上の監督責任者。かつては学侶の所役であった。

以上が「四職」(ししき)という。
他に「北座衆之一」「南座衆之一」などの7役が居るが省略する。
これらの役割は、昨年12月16日に「良弁忌」の日に東大寺の名のもとに、二月堂に告知されたものという。

この資料を拝見していると、なかなか面白い。と申し上げては失礼かも知れないが、伝統的な行事というものは、なかなか大変な仕来りを経なければならないと思うのである。
例えば、「堂童子」という役割は、礼堂外陣閼伽井(あかい)屋などを掌握し、練行衆の勤行に付随する外縁作法を担当する、とある。
「駈士」とは湯屋を掌握し、雑法務にたずさわる。
「大炊」とは炊飯役であり、「院士」とは調菜役、「庄駈士」とは湯の番、のことという。
精進潔斎のご苦労も知らず、面白がっているのも、お許しいただきたい。
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3月18日付で新資料を頂いたので、参籠までの行事次第を以下に書き記す。

★2月末日の次第
2/29(28)
15:00 「追い出しの茶」を頂き、別火坊を出立。参籠宿所に向かう。
15:30 参籠「宿所入り」。「娑婆古練」と称し、東大寺の管長や修二会の四職を務めたことのある長老や、参籠経験のある僧の出迎えを受ける。
15:40 「内陣改め」。堂司が堂童子を伴い内陣の荘厳の具合を検分する。この後、内陣と外陣を分ける「戸帳」を設置。
16:40 「お湯布令」。「お湯屋にござれ」の掛け声で練行衆が湯屋に向かうが、新入りの参籠衆がいる時には別の作法あり。
18:00 「大中臣の祓」。咒師の意向を受けて、小綱の「お祓いにござろう!お祓いにござろう!」の掛け声で参籠衆を集め、咒師が登廊の下にある細殿の前で無言で行う「結界」作り。通称「天狗寄せ」。天狗も「何をしているのか」と興味を持って寄って来る、ということか。
3/1
00:45 「おめざ!」の掛け声で「お目覚」。
01:00 「受戒」。「小綱の房!小綱の房!大膳殿の出仕なら鐘をつきやれ!鐘をつきやれ!」の掛け声で食堂に参集。和上が自戒の後、参籠衆に沙弥の十戒の内、蓄金銀宝を除いた九カ条の戒を授けるが、その時、和上が「~を保つや否や」と問えば、参籠衆「よく保つ、よく保つ、よくたもーつ!」と応える。食堂内では、その他に七条袈裟の「袈裟給り(ケサタバリ)」が行われるようだ。
手松明に導かれ「開白上堂」。このとき練行衆が喜び勇んで、十一面観音に上堂を知らせる沓の音は、はじめて履いた沓を確かめるようでもある。
02:00 「一徳火」。真の闇の中で堂童子が火打石を打つ。代々この童子の名前が「一徳」であったために「一徳火」と言っているようで、後年には一発で火を得る童子を讃え、「一徳法師」の称号もあるらしい。ここで得た火を「常灯」に移し、行中および今後1年間の「火」とする。
この後、日中の行法に入り、修二会6時の行法が始まる。

★松明について
修二会では14種類の松明が使われるが、特に知られている松明は「上堂松明」「達陀松明」「蓮松明」かと思われる。
*「上堂松明」は練行衆が初夜上堂する時に先導する松明で、3月12日以外は10本で、3月12日の上堂のみ、一段と大きい11本の「籠松明」が上がる。通常上がる10本の松明の中でも、最後の日となる3月14日の松明は10本が間を置かずに上がるため「尻つけ松明」と言われている。
*「達陀松明」3月12・13・14日の「後夜」の途中、正確には13・14・15日の午前0時か午前3時に内陣で主役となる火天・水天をはじめ八天を勧請して行われる行法。火天が周りで吹かれる「ほら貝」に囃し立てられるがごとく、水天を相手に堂内を飛び跳ね、飛び回り、大人の火遊びにしても大き過ぎる松明を振り回す。通常の大きさではない。事実、寛文7年2月13日この火が原因と思われる火事により、天平勝宝4年以来のご本尊、経文、建物を消失している。それでも「行」を続けたとかで、凄いというかアホというか、「不退の行法」と言われる由来である。
*「蓮松明」は3月12日の「後夜」で「行」を中断して行われる「お水取り」に使われるもので、レンコンの一節に似ているところから、この名が出ているようだ。「お水取り」の最中には外陣の例時の間で雅楽の演奏が行われる。「お水取り」には咒師以下6人の練行衆が携わり、礼堂では行の途中のため五体板の上に片膝をついたままの総衆と、咒師を除く三役と「南座乃衆一」が待機している。
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以上が井芹氏から追加で頂いた資料であるが、古来からの仕来りで行われる「行」も大変である。
井芹氏から、折角貴重な資料をお送り頂いたので、その万分の一かの御礼に代えて、ここに記しておく。
私が書いた本文との異同の個所があれば、正しくは井芹氏の資料に拠られたい。




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