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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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「信天翁」私信と抽出歌・・・神田鈴子
信天翁_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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       「信天翁」私信と抽出歌・・・・・・・・・・・・神田鈴子(「地中海」会員) 

世はまさにコロナウイルスに冒されて、すべての動きが止まったような日々が続いておりますが、お元気でいらっしゃいますか。
この度は第七歌集『信天翁』を出版なされ、おめでとうございます。
今年で九十歳を迎えられた木村様の老いを感じられない意欲に何より感動させられました。
巻頭の「信天翁」から順に心ひかれたお歌をいくつか引かせて頂きます。
その後の短詩も重みがあり、いつまでも頭の冴えと若さをお持ちの木村様に心から敬服いたしました。

心ばかりのケーキを焼かせて頂きました。
どうぞ、これからも意欲的に作歌を続けてくださいますよう、そしてお体お大切にお過ごしください。

      「信天翁」より十首

☆〈信天翁〉描ける青きコースターまなかひに白き砂浜ありぬ
☆もゆらもゆら夏の玉の緒ひぐらしの啼く夕ぐれはまうらがなしも
☆〈馬耳東風〉おそろしきかも十を聴き九を忘るる齢となりて
☆夕暮れた街 束の間切り裂いて 光と影が格子縞に象形する
☆時の移ろいに身をゆだねて ほっと息を吐き出す 誰か
☆レンブラントの光は可視化されているようでいて形而上の光である
☆一枚の絵の中で物語が時間をかけて浮き沈みする
☆言葉は究極の兵器。言葉は人を滅ぼす。言葉は要注意。
☆街を一冊の本になぞらえると、旅する人はみな読者だ
☆どうやら「卆」の字が私の目下のキーワードらしい
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神田さんから、お手紙と的確な抽出をいただいた。
また神田さんはケーキ作りの名手で、ケーキ教室を持っておられる。
私は本を出す度に、おいしいケーキを賜って賞味させてもらっている。有難うございました。
今度も、感謝を込めて即席の一首
     君つくるレモンケーキのロール一本切りて食(たう)べつ紅茶呑みつつ    草弥


内田正美詩集『野の棺』・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

     内田正美詩集『野の棺』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・澪標2020/03/10刊・・・・・・・・・

内田正美 略歴
1956年 兵庫県生まれ
1978年 香川大学農学部卒 
2011年 詩集『光降る街』 澪標
2015年 かなざわ現代詩賞 最優秀賞
「ア・テンポ」 「時刻表」 「風の音」 同人

内田氏は私には未知の人である。
版元である澪標の松村信人氏から送られてきた。

「帯」に たかとう匡子が書いている。
それによると内田氏は「牛飼いの牧場主」だという。
この「帯」文は多分にたかとう氏のセンチメントで書かれていると思うが、ここでは触れない。

題名になっている詩の一連を引いてみよう。

     野の棺     打田正美

   光のくる一点にわたしのこころは向かうが
   わたしの体は闇へはげしく曳かれている
   丘の上
   林の中に古墳がある
   木々の中に黒々とした岩肌が露出する
   その下に岩を組んだ石室と巨岩の棺の蓋
   地への深い刻印は
   富める者の権力のあかし
   冷たい岩肌に囲まれた 息苦しく狭い空間に
   埋められて長い時を眠った
   朽ち行く骸 さみしい魂
   勾玉 剣と馬具はすでに赤さびて
   時の風にさらされている
   死はいつだって心さみしい
   そこにいる nobody
   風化し続けるこころの叫び
   それはわたしの虚構
   わたしの先祖の消えていった闇
   魂は考古学者のゆめと入れかわり
   安らかな眠りにつく
   まだ見ぬ何者かによって
   蒼く蒼い空深く埋められて

   (生者は・・・        聖者 )
   古墳の林を下りると
   畑と住宅が広がっている
   かすかに聞こえる 建設の槌音
   チロチロと水の流れは住宅地へ下る
   風の中にも子供達の声がする
   水は小川となり流れ
   生まれくるいのちと
   死するいのちの
   あわくまじわる地の上で
   はてしない神々の無音の祝祭

   夜 窓辺に灯がともる
   天に輝く星座が移動をはじめる
   音もなく開いたパソコンがたちあがり
   カチ カチャ
   キーボードが鳴りはじめる
   (こんにちは
    わたしのことばたち・・・  )
   花として 種子として 棺にのせて
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多分に「予定調和」的な詩作りが見られるが、古墳のある風景は描写できているだろう。
現代の「牛飼い」というのは、苦しいもので、決して牧歌的なものではない。
農業にも言えることである。

この詩集には全部で二十五篇の作品が収録されている。
その中から作者の「身すぎ世すぎ」が、かいま見られる一篇を抄出する。

       詩の余白に墜ちる    打田正美

   秋は美しい季節
     ・・・(中略)・・・
   時だってとまる
     (永遠てあるの  )
   牧舎のすみ 野鼠が死んでいる
   餌の中の麦とトウモロコシに混ざって牛の臼歯が
   落ちている
   汚れた牛がいったりきたり
   畑ではキャベツの苗が植えられ大根の種が播かれる
   雀が死んでいる
   子芋が掘られる 稲刈りがはじまる
   いなご死んで干からびでいる
   蝉声はとうに聞こえない
   おびただしい生の残滓
   おびただしい死のにおいをはこびさる風
   ながれいく粒子 不変なんてどこにもない
   生れてすぐに死ぬ はたらくと言うつまらない宝物
      (そうかな)
   私たちが獲得した不思議ないのちの不本意な死
   種をまく いずれ収穫
   平凡な日常のためらいのない刃
   生きる為に殺し 殺されることで生きる
      ・・・(中略)・・・
   チラチラとこもれ日あびて 小さな体をよこたえている
   意識はうすれる
   力なく青い空をみている
   カラスが気づいた ぼくをみている
     ・・・(中略)・・・

   地に帰って行った仲間
   行方しれずの家族のこと
   土のにおい
   ざわめく生も遠ざかる
   蒼い空が下りてくる
   それからひとり
   だれもみることのない
   夢をみる
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全篇を通じて「死」という言葉が使われるが、使い方としては的確だろう。
決して明るい詩ではないが、われわれの「生」なんて、そんなもんである。
その点では、私も納得する。
まだまだ引きたい作品があるが、この辺で終わりたい。
受賞の栄誉に輝いた作者の今後に栄光あれ。     (完)




      
深海魚光に遠く住むものはつひにまなこも失ふとあり・・・堀口大学
2-5堀口大学

     深海魚光に遠く住むものは
        つひにまなこも失ふとあり・・・・・・・・・・・・・・・堀口大学


今日3月15日は詩人・堀口大学の忌日である。
先ず、彼のことをネット上から引いておく。
掲出歌に関しては、この引用記事の終りの方に書いてある。

堀口大學
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

堀口 大學(ほりぐち だいがく、1892年(明治25年)1月8日 ~ 1981年(昭和56年)3月15日)は、日本の詩人、フランス文学者。

略歴
1892年、東大生堀口九萬一(のち外交官となる)の長男として、東京・本郷に生まれる。大學という名前は、出生当時に父が大学生だったことと、出生地が東大の近所であることに由来する。幼児期から少年期にかけては、新潟県長岡で過ごす。旧制長岡中学校を卒業し、上京。

17歳のとき、吉井勇の短歌『夏のおもひで』に感動して新詩社に入門。歌人として出発する。

1910年、慶應義塾大学文学部予科に入学。この頃から、『スバル』『三田文学』などに詩歌の発表を始める。

19歳の夏に、父の任地メキシコに赴くため、慶大を中退。メキシコでフランス語を学んでいた時、メキシコ革命に遭遇。メキシコ大統領フランシスコ・マデロの姪と恋愛を経験。

この頃、肺結核を患う。以後も父の任地に従い、ベルギー、スペイン、スイス、ブラジル、ルーマニアと、青春期を日本と海外の間を往復して過ごす。

1919年、処女詩集『月光とピエロ』、処女歌集『パンの笛』を刊行。以後も多数の出版を手がける。その仕事は作詩、作歌にとどまらず、評論、エッセイ、随筆、研究、翻訳と多方面に及び、生涯に刊行された著訳書は、300点を超える。彼の斬新な訳文は当時の文学青年に多大な影響を与えた。三島由紀夫もまた、堀口の訳文から大きな影響を受けた一人である。

1957年に芸術院会員となり、1979年に文化勲章を受章。1981年、歿。享年89。

娘の堀口すみれ子も詩人でエッセイスト。

1967年、歌会始で(お題は「魚」)、「深海魚光に遠く住むものはつひにまなこも失ふとあり」と詠んだ。
生物学者である昭和天皇はたいそう喜んだというが、一部には天皇に対する、本人を目の前にしての批判であると解する向きもまたある。

著訳書
月光とピエロ(1919年)
パンの笛(1919年)
訳書・夜ひらく(1924年)
訳詩集・月下の一群(1925年)
砂の枕(1926年)
人間の歌(1947年)
夕の虹(1957年)
月かげの虹(1971年)
沖に立つ虹(1974年)
ルパン傑作集(翻訳年はかなり以前で近年再版されている。)
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はじめに、昭和25年、住んでいた高田を去るときに彼が詠った詩が詩碑として残っている写真をかかげておく。

hori2大学詩碑

高田に残す(堀口大学詩碑)

ひかるゝおもひうしろがみ
のこるこヽろの なぞ無けん
すめば都と いふさへや
高田よさらばさきくあれ
おほりのはすよ 清う咲け
雪とこしへに白妙に

堀口大学は父親が外交官であったために、家族として同行して海外生活が長かった。
外国語に堪能であったので、西欧詩の翻訳家として出発した。
引用したところにも書いてあるように「ミラボー橋の下セーヌは流れる」というのが有名だが、近年、詩の翻訳としては、その適否について、とやかく言われている。

人間よ

知らうとするな、自分が、

幸か不幸だか、

問題は今そこにはない。

在、不在、

これが焦眉の間題だ、

灼きつくやうな緊念事。

生きて在る、死なずに在る、

感謝し給ヘ、今日も一日、

調和ある宇宙の一點、

生きものとして在つたこと。

神にでもよい、自然にでもよい、

君の信じ得るそのものに。

知らうとするな、

知るにはまだ時が早い、

人聞よ、

墜落途上の隕石よ。

(人間の歌・隕石)の詩より。(詩集『人間の歌』昭和22年宝文館刊)

この堀口大学の詩は、人の世の愁色感と一種の軽快さ漂わせ、多くの人の青春を流れていった。
先に逝った詩兄弟・佐藤春夫に胸の張れる詩が出来たといった、辞世の詩

「水に浮んだ月かげです つかの間うかぶ魚影です 言葉の網でおいすがる 万に一つのチャンスです」

というのが知られている。

昭和56年、堀口大学は永い詩人生の最期を、春一番の風雨が去ったこの日正午、急性肺炎により葉山の自宅で妻の手を握りながら静かに迎えた。
89歳という長寿であったが、今は鎌倉霊園に眠っている。写真③が、その墓碑。

horigutidaigaku大学墓碑

以下は、この記事を書いた人のコメントである。

<ミラボー橋の下をセエヌ河が流れ われ等の戀が流れる わたしは思い出す 悩みのあとに楽みが来ると>アポリネール・ミラボー橋のこのあとにつづく、<日が暮れて鐘が鳴る 月日は流れわたしは残る>の一節は今になっても私の耳元に小波をうって渡ってくる。この高台の芝垣で囲まれた墓碑のある塋域には、広い谷から吹き上がってきた梅雨の風が抜けきれず、どことなく空しさを携えて残っていた。



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