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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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藤目俊郎氏撮影「小塩山カタクリ」・・・木村草弥
DSC00840「小塩山のカタクリ」藤目俊郎氏撮影

      藤目俊郎氏撮影「小塩山カタクリ」・・・・・・・・・・・・木村草弥

藤目俊郎氏が美しい画像を送ってくださったので披露する。
元は大きい画像だが縮小したので、ご了承を。
有難うございました。


花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ・・・杉田久女
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    花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ・・・・・・・・・・・・杉田久女

この句は女性ならでは、の句である。昔の人は、皆、和服を着ていたから、特に女の人は着物を着るには、いろいろの紐が必要だった。
そこから、この句には一種のエロスが香り立つのである。
昨日付けで載せた中村汀女が、彼女に憧れて俳句を始めた、と書かれているので、ここに載せる気になった。

杉田久女 は鹿児島生れ。東京の高女を出てから、小倉中学校教師・杉田宇内と結婚。
「ホトトギス」で頭角を現すが、昭和11年「ホトトギス」を除籍される。その経緯などは判らない。

久女の句で、私の好きなものを抜き出してみよう。

 春の夜のまどゐの中にゐて寂し

 東風吹くや耳現はるるうなゐ髪

 燕来る軒の深さに棲みなれし

 バイブルをよむ寂しさよ花の雨

 照り降りにさして色なし古日傘

 足袋つぐやノラともならず教師妻

 右左に子をはさみ寝る布団かな

 ぬかづけばわれも善女や仏生会

 ちなみぬふ陶淵明の菊枕

 虚子留守の鎌倉に来て春惜しむ

 種浸す大盥にも花散らす

 ほろ苦き恋の味なり蕗の薹

 道をしへ一筋道の迷ひなく

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私は彼女については無知なのでWeb上に載る記事を引用しておく。

杉田久女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

杉田久女(すぎた ひさじょ、1890年(明治23年)5月30日 ~ 1946年(昭和21年)1月21日)は日本の俳人。
本名は杉田久(すぎた ひさ)。

生涯
高級官吏である赤堀廉蔵と妻・さよの三女として鹿児島県鹿児島市で生まれる。父の転勤に伴い沖縄県那覇市、台湾嘉義県・台北市と移住する。1908年(明治41年)東京女子高等師範付属お茶の水高女(現・お茶の水女子大学)を卒業。この間に一家が上京する。1909年(明治42年)中学教師で画家の杉田宇内と結婚し、夫の任地である福岡県小倉市(現・北九州市)に移る。

1911年(明治44年)長女・昌子(後に俳人・石昌子となる)誕生。1916年(大正5年)兄で俳人の赤堀月蟾が久女の家に寄宿する。この時に兄より俳句の手ほどきを受ける。それまで久女は小説家を志していた。『ホトトギス』に投句を始め、1917年(大正6年)ホトトギス1月号に初めて出句。この年5月に飯島みさ子邸での句会で初めて高浜虚子に出会う。

1922年(大正11年)夫婦揃って洗礼を受けクリスチャンとなる。1931年(昭和6年)帝国風景院賞金賞を受賞。1932年(昭和7年)女性だけの俳誌『花衣』を創刊し主宰となる。しかし、5号で廃刊となった。1934年(昭和9年)中村汀女・竹下しづの女などとともにホトトギス同人となる。

1936年(昭和11年)虚子よりホトトギス同人を除名される。しかし除名後もホトトギスへの投句を続けた。
1946年(昭和21年)1月21日、太平洋戦争後の食料難により栄養障害をおこし腎臓病悪化により福岡県筑紫郡太宰府町(現・太宰府市)の福岡県立筑紫保養院で死去、享年57。

愛知県西加茂郡小原村(現・豊田市松名町)にある杉田家墓地に葬られた。戒名は無憂院釈久欣妙恒大姉。1957年(昭和32年)長野県松本市の赤堀家墓地に分骨される。ここに記された「久女の墓」の墓碑銘は長女・昌子の依頼で虚子が筆を取った。

作品集
ウィキクォートに杉田久女に関する引用句集があります。
杉田久女句集(1952年 角川書店)
久女文集(石昌子・編 1968年 石一郎)
杉田久女随筆集(2003年 講談社)

関連作品
杉田久女(石昌子 1983年 東門書屋)
花衣ぬぐやまつわる…-わが愛の杉田久女(田辺聖子・著 1987年 集英社)
俳人杉田久女の世界(湯本明子・著 1999年 本阿弥書店)
大正期の杉田久女(米田利昭・著 2002年 沖積舎)
杉田久女(坂本宮尾・著 2003年 富士見書房)
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ネット上で、→ 「愛の旅人」という杉田久女について2007/03/31の朝日新聞の記事が出ている。
いい記事なのでアクセスして読んでもらいたい。



藤原光顕の歌「雑詠20首」・・・木村草弥
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──藤原光顕の歌──(47)

     藤原光顕の歌「雑詠20首」・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・「たかまる」No.117/2020.4掲載・・・・・・・・・

          雑詠     藤原光顕

   冬の陽を全身に浴び赤ずきんの庭のこびとさん齢とったなァ
   夕焼けの町外れには野原があって野原にはたいてい土管があった
   そう言えばと過ぎてふりむく いつの間に消えてしまったブランコ一基
   崖っぷちの家は冷たい雨だった その後すぐに届いた訃報
   二十何年前の少女の煩ささでセーラームーンは起きろと騒ぐ(おもちゃみたいな目覚まし時計)
   今しばし生きてみよとや 財布カードガラケー救心鍵 そっくり戻る
   写真一枚一目でわかる原節子 八十五歳の証しのようで
   一度だけ逢ったけったいな『釜の詩人』裏町の二階座敷の裸電球
   なんとなくちょっと怖かった あの眼がわからなかったあの頃
   ≪癌宣告 神は冷雨の街を賜う≫あれはT氏を詠ったのだったが
   生温いところで生きてるんじやねえよ 見事な激辛女子の消え際
   兵隊さんはへいたいさんでは変換不可ただへいたいで入力すべし
   三匹の猫が順番に庭に来て顔を見て帰る 確かめるように
   冷たい雨が午後になる また読み返す宮崎信義歌集「梅花忌」
   念のためみたいに鏡の顔を見るたぶん昨日と変わらないはず
   宇宙の果てまで見たホーキングどんな時空へ消えたのだろう
   転居歴15回ならワシの勝ちやと笑った一郎 あの世は住みよいか柳原一郎
   きょうも一日よく喋りました 独り言ばっかりだったけれど
   原稿の催促一件 寒い午後のパソコン画面閉じる
   神様もほろ酔いあたりが好きそうで話が合ってお休みなさい
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いつもながらの光顕ぶし。 お元気そうで何よりです。
「太鼓山日記」によると、一月に家族と台湾へ行って来られたらしい。
立派なものである。
私はパスポートは失効し、足に自信がないので、遠出は無理である。
もっとも、藤原さんは私とは五歳も若い。私も五年前には海外に行っていたのだ。
私の第七歌集『信天翁』の広告も出していただいて有難うございます。では、また。


外にも出よ触るるばかりに春の月・・・中村汀女
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     外(と)にも出よ触るるばかりに春の月・・・・・・・・・・・・・・中村汀女

この句は昭和21年敗戦間もない時期のもの。
霞むような春の真ん丸い月が、わが身に触れんばかりに間近に昇って来た一瞬の驚きと喜び、それが思わず人に呼びかける句になって、心の弾みを、よく伝えている。
ハ行のフルルとハルの音の響きあいも快い。作者の代表作として、よく知られる句である。昭和23年刊『花影』に載る。

中村汀女は明治33年熊本生れの人。文化功労者にも選ばれた。
季節の句としては

 恋猫に思ひのほかの月夜かな

 ゆで卵むけばかがやく花曇り

 引いてやる子の手のぬくき朧かな

 蟇歩く到りつく辺のある如く

 滴りの思ひこらせしとき光る

 いつしかに座も満ち積むか春の雪

などが見られるが、以下に季節を問わずに好きな句を引用して終りにしたい。

 とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな

 稲妻のゆたかなる夜も寝べきころ

 芝を焼く美しき火の燐寸かな

 水打ちてよごせし足の美しく

 音もなくひとりめぐれる火蛾もあり

 秋の蝶黄なり何かを忘れよと

 しばらくは露の桔梗に座をまかす

 秘めごとの如く使へる扇かな

 汗ばめる母美しき五月来ぬ
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以下、Web上に載る記事を転載しておく。

中村汀女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中村 汀女(なかむら ていじょ、明治33年(1900年)4月11日 ~ 昭和63年(1988年)9月20日)は、日本の俳人。本名、破魔子。称号は名誉都民、熊本県熊本市名誉市民。

熊本県出身。熊本県飽託郡画図村(現熊本市江津1丁目)に斉藤平四郎・テイの一人娘として生まれる。

大正元年(1912年)、熊本県立高等女学校(現熊本県立第一高等学校)に入学。大正7年(1918年)、同校補習科を卒業。大正9年(1920年)に熊本市出身の大蔵官僚・中村重喜と結婚。以後、夫の転勤とともに国内各地を転々とする。

昭和9年(1934年)ホトトギス同人となり、最初の句集『春雪』を発表。戦後の昭和22年(1947年)には俳誌『風花』を創刊した。

有名な俳句では「外にも出よ 触るるばかりに 春の月」などがある。また、汀女は杉田久女に憧れていて、ファンレターも出していたらしい。


うすべにのゆく手に咲ける夕ざくら父なる我の淡きものがたり・・・木村草弥
entry_24しだれ桜円山公園
  
   うすべにのゆく手に咲ける夕ざくら
     父なる我の淡きものがたり・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るもので、自選にも採っているのでWebのHPでも、ご覧いただける。
掲出した写真は京都の円山公園のしだれ桜の夜景である。

私の歌は「夕ざくら」という具象に仮託して、父として生きて来た歳月を振り返って、家族の中で、どんな位置を占めてきたのだろうか、
極めて「淡いものがたり」にとどまっていたのではないか、という寂寥感を詠ったものである。
家族の中で、父親という存在は、家族の生活を担って生きて来た割には、母親に比べて極めて「淡い」存在であるように私には、感じられる。
それは男としての性生活でのありように大きく関係すると思う。
私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載せた歌

   後の世に残し得つるはこれのみか我が放精し生(な)せる三人娘・・・・・・・・・・・・木村草弥

のように、男性として子作りに参画したのは、精液の一雫のみであり、10ヶ月間も腹に子を抱いて、かつ分娩の苦痛をした末に産み落とす母親、
との「産みの記憶」がケタ違いにスケールが違うからである。
その故に、私は「父なる我の淡きものがたり」という自覚に至るのである。
世の男性諸氏、いかがであろうか。

今しも「桜」のシーズンであるから、以下、桜を詠んだ句を引いておく。

 夕桜家ある人はとくかへる・・・・・・・・小林一茶

 ゆふ空の暗澹たるにさくら咲き・・・・・・・・山口誓子

 生涯を恋にかけたる桜かな・・・・・・・・鈴木真砂女

 ひらく書の第一課さくら濃かりけり・・・・・・・・能村登四郎

 会ひ別れあと幾そたび桜かな・・・・・・・・六本和子

 遠桜いのちの距離とおぼえけり・・・・・・・・林 翔

 乱世にあらずや桜白過ぎる・・・・・・・・沢木欣一

 じつによく泣く赤ん坊さくら五分・・・・・・・・金子兜太

 桜咲くを病みて見ざりき散るときも・・・・・・・・草間時彦

 さきみちてさくらあをざめゐたるかな・・・・・・・・野沢節子

 命終の色朝ざくら夕ざくら・・・・・・・・小出秋光

 さくらさくらもらふとすればのどぼとけ・・・・・・・・黛まどか

 みどりごのてのひらさくらじめりかな・・・・・・・・野中亮介

 朝ざくら家族の数の卵割り・・・・・・・・片山由美子

 夕桜ふつくらと橋かかりけり・・・・・・・・大嶽青児

 婆と孫に筵一枚田のさくら・・・・・・・・竹鼻瑠璃男

 人に生まれ桜に生まれ星遠し・・・・・・・・三輪初子



石川美南歌集『体内飛行』・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

      石川美南歌集『体内飛行』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・短歌研究社2020/03/20刊・・・・・・・・

敬慕する石川美南さんから標記の本をご恵贈いただいた。
石川さんの第五歌集ということになる。
この本には何も書かれていないが、東京外国語大学のご出身である。
前歌集『架空線』ほかについては ← を参照されたい。
ずっと若いが、同じ東京外語出身の千種創一の歌集『砂丘律』には、石川さんの「評」が裏表紙に載っている。
この本については『砂丘律』 ← をクリックされたい。

この本に収録されたのは「短歌研究」誌2017年一月号から三か月おきに2018年十一月まで八回にわたり連載された一連「体内飛行」が元になっている。
これに同じ「短歌研究」2019年一月号、四月号に発表された一連「1980--2019」他を付加して280首からなっている。
こういうのは「ふらんす堂」などが十年ほど前から企画、実行しているもので、著名歌人、俳人を競わせて評判になっているものである。
石川さんも今を嘱望される作家で、こういう企画を持ち込まれるというのは喜ばしいことである。

この本には書かれていないが、石川さんは1980年のお生まれであり、晩婚そして四十歳前後での出産ということでである。
本の題名にも、そのまま採られて、文字通り、この本一冊は妊娠、出産の記録の歌ということになる。
前の本と同様に、極めてブッキッシュな編集で「引用」「前書き」なども一杯で、私の好きな本である。
基本的に、自分の体、生活に立脚したリアリズムの歌作りである。
難しい比喩表現などは無い。

少し本に立ち入って見てみよう。
発表の一連毎に表題がつけられている。
 ⒈ メドゥーサ異聞
 ⒉ 分別と多感
 ⒊ 胃袋姫
 ⒋ 北西とウエスト
 ⒌ エイリアン、ツー
 ⒍ 飛ぶ夢
 ⒎ トリ
 ⒏ 予言

少し歌を引いてみる。
   ■メドゥーサの心にばかり気が行つてペルセウス座流星群の星見ず
   ■目を覗けばたちまち石になるといふメドゥーサ、真夜中のおさげ髪
   ■翼ある馬を産みたる悲しみのメドゥーサ、襟に血が付いてゐる        メドゥーサ異聞
   ■浅い雪 あなたと食事するたびにわたしの胸の感触が変はる
   ■逡巡の巡の音湿り、今週はあなたが風邪を引いて会へない
   ■夕暮れの薬缶覗けば大切な暮らしの中にあなたが暮らす
   ■眠りへと落ちゆく間際ひたすらに髪撫でてゐる これは誰の手     分別と多感
こうして彼女の「大切な」人が、彼女の中で育ってゆくのである。
 
         豆の袋に豆の粒みな動かざるゆふべもの食む音かすかにて   小原奈実
   ■『穀物』同人一人にひとつ担当の穀物ありて廣野翔一はコーン
   ■「燕麦よ」「烏麦よ」と言ひ合つて奈実さん芽生さん小鳥めく
同人誌創刊の光景である。この章には前書きや言葉書きが入る。いずれも的確。

   ■試着室に純白の渦作られてその中心に飛び込めと言ふ
   ■引き波のごときレースを引いて立つ沖へ体を傾けながら
   ■本棚に『狂気について』読みかけのまま二冊ある この人と住む
   ■二人して数へませうね暮れ方の蚊帳に放てば臭ふ蛍を
   ■勘違ひだらうか全部 判押して南東向きの部屋を借りる
   ■生活は新しい星新しい重力新しい肺呼吸
   ■柔らかなミッションとして人間の肌の一部に触れて寝ること
   ■慣れてしまふ予感怖くて皮膚といふ皮膚掻きむしりながら入籍
彼の愛に包まれながら、
だんだんと一緒に暮らす現実に慣らされて行くのである。

⒍ 飛ぶ夢 は、前書き、引用が多い。というより、すべてに引用が付く。

      燕燕は梢から飛び立ち、人々の頭上を回りながら滑空している。
        ひとしきり冷たい雫が落ちてきた。彼女が流した涙のようだ。   莫言「嫁が飛んだ !」

   ■医師とわたしのあひだボックスのティシュー置かれて、ひとたび借りぬ

      放心した自分の横顔に、富士の反射がちかりと来る   前田夕暮『水源地帯』
   ■をととひと同じ讃美歌、曇つては晴れゆく視界、はい、誓ひます
      濃淡さまざまの黄色に彩られた地球は、我が吊籠の周囲において徐ろにその円周を縮めつつあった。  稲垣足穂「吊籠に夢む」
   ■我が顔を心配さうに見下ろせる心配な心配なあなたよ
愛する祖母が、同じ頃に亡くなり葬儀があったのである。祖母を焼く儀式には出ずに婚礼支度をしていた。

   ■顔こする五本のゆびを見つめつつうかうか弾むわたしの声よ
   ■わたしとは違ふ速さに弾みゐる右心房右心室左心房左心室
   ■宿主の夏バテなんぞ物ともせずお腹の人は寝て起きて蹴る
   ■椅子までの八歩を歩む 立つたまま履けなくなつたパンツを持ちて
   ■つやつやの腹部ちらりと確かめて「ビリケンさんに似てきた」と言ふ
   ■陸亀のやうに歩めり「横顔」がいつも流れてゐた地下街を
   ■目を細め生まれておいで こちら側は汚くて眩しい世界だよ
   ■薄明に目をひらきあふときのため枕辺に置く秋の眼鏡を
ここまでが「体内飛行」の歌である。
そして「1980--2019」は石川さんの一代記の一年に一首づつの、誕生から現在までの連作である。
     1980 誕生
   ■廊に響く祖母の万歳三唱をわたしは聞かず眠りゐしのみ
     1990 小学四年一学期の保護者面談で
   ■「美南ちやんだけは女の武器を使はず戦つてゐて偉いと思ふ」
     1997 『短歌朝日』に投稿を始める
   ■岡井隆の顔写真 (その下にわたしが上げた小さな花火)
     2004 黒瀬珂瀾兄の結婚式に出席
   ■新郎の法衣はピンク 檀家さんが「いい男ね」とじわじわ騒ぐ
      2015 シンガポールで短歌朗読
   ■真夜中の樹を見に行かう この街ではストツキングを誰も履かない
      2018 「短歌研究」の作品連載始まる
   ■「会ふたびに薄着になる」と弾む声 五月、はためく蓮を見てゐた
       2018 出産
   ■うちの子の名前が決まるより早く周子さんがうちの子を歌に詠む
       2019 子どもの名前は透
   ■トーと声に出せば溢るる灯・湯・陶・問ふ・島・糖等、滔々と

結婚、我が子誕生、と、お慶びの連続する、作者にとっては「記念碑」的な一巻である。
お見事な歌いぶりで、何とも嬉しい気分になる本である。
歌作りと共に私生活でも充実した「生」を生きていただきたい。
九十歳の老爺からのお祝いのメッセージである。
ご恵贈有難うございました。               (完)
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これを読まれた石川さんからメールが来て、
<あとがきにも少し書いていますが、連載のタイトルを「体内飛行」にすると決めた時点では、
妊娠・出産はおろか、結婚も決まっていなかったのです。
あとから現実がタイトルに追い付いてしまって、びっくりしています。>
と書かれている。
「あとがき」には<第七回で「体内飛行」というタイトルに思いがけず実生活が追いついたときには、奇妙な問いさえ頭に浮かんだ>と書かれているが、このタイムラグの不思議さに、気が付かなかったのは私の間抜けだった。
ここに付記して、この符合に敬意を表して置こう。       (4/8記)





生欠伸とめどなく湧く昼さがり老いは近寄るつとさりげなく・・・木村草弥
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   生欠伸(なまあくび)とめどなく湧く昼さがり
     老いは近寄るつとさりげなく・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
春は若い者でも何だか眠いもので「春眠暁を覚えず」という諺もあるが、齢をとると「生欠伸」が出て仕方がないものである。そういう状況を、この歌は詠んでいる。
人間の生欠伸の写真を出したかったが、見つからないので、猫の生欠伸で代用する。

「欠伸」あくびというのは生理的には、体の中に酸素が不足しているので、それを補給するための「深呼吸」ということである。
「欠伸は伝染(うつ)る」と言われている。←このリンクを見てみられよ。

「あくびは伝染するか?」というアンケートをやった記録がある。Yesと答えた人は80%に及んでいるという。
テンプル大学のロナルド・バエニンガー(Ronald Baenninger)博士(1987年)によると、欠伸は脊椎動物のほとんどに見られる日常的な行動だという。ネズミや猫(最も頻繁に欠伸する動物とのこと)、犬、猿、馬、鳥など様々な動物に見られる反射運動で、多くの動物にも欠伸がまるで伝染するかのように他人からウツルことが認められているというが、そのメカニズムは不明(というより真面目に研究されていないのでは?)だそうだ。
動物学的には「緊張感の緩和」のためと言われている。
また「あくびと脳の酸素」の関係では、子宮内の胎児が「あくび」をする例があるそうで、そう考えると脳に酸素を送るためとも一概には言えないという。
医学実験では、生欠伸の回数と人間の意識レベル状態に相関があるとして実験や研究に生欠伸の回数を調べたりするらしいが、実態はナゾらしいという。
「あくびの発生する時刻」では、就寝時刻や昼飯の後に生じることが多いので、それらは恐らく「眠る」ことや「退屈」「満腹」と何らかの関係があると、論文などでは仮説されている。
フロリダ州立大学のマイク・メレディス(Mike Meredith)博士によると、欠伸それ自体の生理的機能は、呼吸する部位の筋肉を伸ばし、古くなった肺の空気を外に出すこと、と言う。

また「アニメのチンパンジーのあくびが本物に伝染、米研究」というユーモラスな記事もある。見てみてほしい。

長くなるので引用は、このくらいにするが、お読みになった皆さんは、いかが思われただろうか。
「欠伸」の私の歌からの、春の宵の連想である。





加太の海の底ひの鹿尾菜花咲くと・・・阿波野青畝
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       加太の海の底ひの鹿尾菜(ひじき)花咲くと・・・・・・・・・・・阿波野青畝

「ひじき」は大豆や油揚げなどと一緒に炊いたものがおいしい。
私の好物である。
字で書くと「鹿尾菜」「鹿角菜」「羊栖菜」などと難しいが、冬から春にかけて採取される。
俳句では「春」の季語である。 写真①は柔らかい芽ひじきである。
写真②は岩の上に流れついたヒジキの拡大で、「浮き」のように膨らんだ部分で水に浮く。
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ヒジキ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ヒジキ(鹿尾菜、羊栖菜、英語 hizikia、学名 Hizikia fusiformis)は、褐藻類ホンダワラ科ヒジキ属の海藻、海苔の一種。波の荒い海岸近くの岩場の低潮線付近に繁茂し、春から初夏に胞子嚢を付けて成熟する。

粘りの成分があるため、古くは食用以外にも、紙と紙を貼り合わせる糊としても使われた。

「ひじきを食べると長生きする」と古くから言われており敬老の日に因んで9月15日は「ひじきの日」となっている。

食材
ヒジキは、天日干しなどにより 干ひじき(ほしひじき)として販売されることが多い。生きている間は茶色~褐色だが、加工するにつれ真黒になる。干ひじきは、水で戻してから醤油、砂糖などで煮て食べる。「ひじきの煮つけ」(ひじきの磯煮)が有名。春物と冬物の違いは胞子嚢の有無で見分けられる。冬物は春物に比べ柔らかく、採取している地区も少ないため高価である。

春物は細長い茎の部分と葉や芽のように出ている胞子嚢の部分を分離して製品化されることが多い。茎の部分だけにしたものを長ひじき、茎ひじきなどという。茎以外の部分、あるいは、芽の部分だけにしたものを 芽ひじき、姫ひじき、米ひじきなどという。また、胞子嚢のあるものを米ヒジキ、冬物を岩場から生えた新芽を摘むため、芽ヒジキということもある。

安全性
2004年7月28日英国食品規格庁 (FSA) は、日本産ヒジキについて発がん性のある無機ヒ素を多く含有しているため食べないようにとする勧告を出した。それに対し日本の厚生労働省は、調査結果のヒ素含有量からすると、成人では継続的に毎週30g以上を摂取しない限り世界保健機関 (WHO) の暫定的耐容週間摂取量を上回ることはなく、現在の日本人の平均的摂取量に照らすと、通常の食べ方では健康リスクが高まることはないものと考えられる、との見解を示した。
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山口県の瀬戸内海、周防灘に浮かぶ離島「初島」もヒジキの産地として有名で、このHPを見ると写真などもたくさん載っているので、ご覧いただきたい。
このHPでは、刈り取りから茹でて製品にする工程や出来上がった製品など詳しく書いてある。
写真③は、その初島の磯の岩に生えるヒジキを持ち上げて刈り取るところ。
hijiki20b31初島ひじき

黒潮の洗う太平洋岸が産地らしく暖地性の海草らしい。
写真④⑤は「ヒジキの釜炊き」の様子。
080208hijiki20(2)1ヒジキの釜炊き

080208hijiki20(3)1ひじき釜炊き

炊きはじめると最初は緑色になり、だんだん黒くなるという。

2006_8_2ひじき野菜煮

以下、俳句に詠まれた句を引いて終わる。

 生鹿尾菜干して巌を濡れしむる・・・・・・・・・・富安風生

 日当れるひじき林をよぎる魚・・・・・・・・・・五十嵐播水

 ひじきうまし遠い目でみる昼の湾・・・・・・・・・・佐藤鬼房

 潮去れば鹿尾菜は礁にあらあらし・・・・・・・・・・倉橋羊村

 鹿尾菜刈岩の天辺昏れて来る・・・・・・・・・・大沢ひろし

 ひじき刈凪の挨拶かはしけり・・・・・・・・・・浜口今夜

 波来れば鹿尾菜に縋り鹿尾菜刈る・・・・・・・・・・土屋海村

 女衆の総出の鹿尾菜炊かれけり・・・・・・・・・・石田勝彦

 海暮れて火を落しけり鹿尾菜釜・・・・・・・・・・斎藤通子

 引く波が岩間の鹿尾菜くしけづる・・・・・・・・・・茂木連葉子

 地図にない島に住まひてひじき刈る・・・・・・・・・・神野島女

 手秤で買ふ腰越の生鹿尾菜・・・・・・・・・・高橋寛子



「未来山脈」掲載作品2020/04「或る夕餉」・・・木村草弥    
未来_NEW

shopping一人土鍋

shoppingおでん

images納豆

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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──「未来山脈」掲載作品──(28)

     「未来山脈」掲載作品「或る夕餉」・・・・・・・・・・・・木村草弥
                 ・・・・・・・・2020/04掲載・・・・・・・

          或る夕餉      木村草弥    

   わたくしのいつもながらの定番の昼夜兼用の夕餉が始まる

   カップの小粒納豆 糸を引くナットーキナーゼの効用信じて

   昔は関西では納豆を食べなかった 母は死ぬまで嫌がったものだ

   スライス胡瓜に沖縄のもずく酢 これに濃厚黒酢を少し足す

   今日は「おでん」だ 「おでんセット」の具を一人用土鍋に移す

   厚切り大根はんぺん蒟蒻ごぼう竹輪ひねり昆布、玉子が入っている

   ミニ・ウインナーを五、六本 老人には蛋白質摂取が必要なのだ

   サイコロ切りの豆腐半丁、ほうれん草を加え四倍濃縮だしを足す

   いい具合に土鍋が煮えて来たぞ。辛子を付けて食べよう

   いちにちの終りの儀式 ひとりで食べる今日の宴(うたげ)だ
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この作品まで、第七歌集『信天翁』に載せた。

独居老人である私の「或る夕餉」の光景である。
前に載せた「朝食」はパンを主にした洋食なので、それとのバランスということも心掛けているつもり。
この時は「おでん」だが、夏でも冬でも「納豆」 「胡瓜のもずく酢」 「豆腐」 「大根なます」 「ミニ・ウインナー」などは毎日食べる。
私は高血圧のケはないが、納豆は歌に詠んだように「ナットーキナーゼ」という酵素が有効なのである。
緑黄色野菜を摂れ、ということで色々やってみた末に「枝豆」を常用することにした。冷凍枝豆が市販されていて便利だ。
毎日スプーンに一杯「酢」を摂るといい、と言われるので「胡瓜のもずく酢」 「大根なます」などは、そのためである。
一人暮らしも長くなって、手抜きのコツも覚えたので、とにかく調理は「電子レンジ」は多用する、ガスを使った煮炊きは、なるべく、しない。
大豆関連のものが多いが、これで植物性蛋白質も摂れていると思う。
余計な鍋や皿は使わない、などである。
外食では「ギョウザ」が好きである。「餃子の王将」には、よく行く。
他には「ホイコーロー」 「マーボー豆腐」など。ホイコーローはキャベツがたくさん入っているし、など。
家での定番の食事プラス外食とのバランスということである。 おかげで体重もコンスタントに60㎏を保っている。
目下の私は、遠出できないので、外食と言っても街に出かけることはしない。
幸い今はまだ車の運転が出来るので、それだけが唯一の救いである。
以上「余談」である。




灰若布湯掻くたちまち海のいろ・・・渡辺輝子
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   灰若布(わかめ)湯掻くたちまち海のいろ・・・・・・・・・・・・・・渡辺輝子

「わかめ」は古くは「め」「にぎめ」などと呼ばれた。
日本特産の海草だと言われている。
北海道東岸以外どこの海でも採れるという。
長さは7、80センチ。三月から五月まで採取する。天然のものは船で海に出て、箱眼鏡で見ながら鎌のついた竹竿で刈り取り、海岸で干す。
今では各地で「養殖」されている。鳴門や三陸の南部ワカメが有名。
「灰わかめ」というのは、海から採取したらすぐに「灰」にまぶして天日干しにすると、使うときに水に戻したときに色が鮮やかになるからという。もっとも、土地によって製法は異なるらしい。
成熟した茎のまわりの襞状の胞子葉を「めかぶ」と呼ぶ。
「わかめ」効用などについては、このサイトに詳しい。
あわた水産のHPでは、製品化の様子などが動画で見られる。

写真②は「あわた水産」の「糸わかめ」の製品である。
ito_up糸わかめ

鳴門わかめは有名なので、つい最近、「偽の鳴門わかめ」が摘発されて騒動になった。
どの食品の分野でも、「にせもの」は横行していて、有名産地は苦労するのである。

古くから「わかめ」は日本人には馴染みの海草で、
「万葉集」巻16に

  角島の迫門(せと)の稚海藻(わかめ)は人のむた荒かりしかどわれとは和海藻(にきめ)

という歌がある。
「むた」とは古語で「~とともに」の意味であり、「他人には荒々しいかもしれないが、私には和やかである」という比喩の歌である。

写真③は、「わかめとグリーンアスパラの明太子和え」である。
dre003_photoわかめ和え

わかめは何にでも合う便利な食材であり、「干したもの」「塩蔵」など素材もさまざまである。

この日本人の大好きな「わかめ」が今、外国では厄介者として苦労しているという。
どうも船の安定を保つために「バラスト」というが船槽に貯めた日本の海水にワカメの胞子が紛れ込んで現地の海で繁殖したらしい。
日本人ならば、そんなものを見つけたら大喜びで摘まんで食べてしまうのに、彼らにはそんな食習慣がないので、宝の持ち腐れどころか厄介者だという。
世の中は広く、好悪さまざまである。

以下、若布を詠んだ句を引いて終わる。
「わかめ」は春の季語である。

 草の戸や二見の若和布貰ひけり・・・・・・・・・・与謝蕪村

 うしほ今和布(め)を東(ひんがし)に流しをり・・・・・・・・・・高浜虚子

 橋立の若布の束に雪六片・・・・・・・・・・長谷川かな女

 みちのくの淋代の浜若布寄す・・・・・・・・・・山口青邨

 魚は今鳥に似て若布を過ぎゆきし・・・・・・・・・・阿波野青畝

 家づとの鳴戸若布の籠も青し・・・・・・・・・・篠原梵

 地震(なゐ)ののち岩がはなせし屑若布・・・・・・・・・・加藤憲曠

 若布売天然物と念押せり・・・・・・・・・・千田一路

 時化あとの海境しるく若布寄す・・・・・・・・・・大屋達治

 海よりも風の眩しさ若布寄す・・・・・・・・・・山田慶子

 具足煮にそへたる島の新若布・・・・・・・・・・木村かつ子

 焙られて青さののりし若布かな・・・・・・・・・・大石登喜和

 蛸提げて襤褸の如く若布負ひ・・・・・・・・・・福田蓼汀

 若布売雲美しき坂急ぐ・・・・・・・・・・加藤夕雨

 若布負ひ歩く青空幾尋ぞ・・・・・・・・・・友岡子郷



三鬼忌や今日を盛りの山桜・・・和田富子
yamazakuraoiwai2ヤマザクラ
   
    三鬼忌や今日を盛りの山桜・・・・・・・・・・・・・・・和田富子

今日、四月一日は西東三鬼の忌日である。 
掲出の句は平成4年4月5日に開かれた三鬼の郷里である津山市での没後30周年記念「三鬼顕彰全国俳句大会」に応募した句の中から飯田龍太 選で選ばれた特選句である。
奈良の人である。
今年は桜の開花が早いので、掲出の満開の桜には違和感があるかも知れないが、ご了承を。
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なお、こんな句もあることを紹介しておく。 ↓ 残念ながら作者は先年お亡くなりになった。 合掌。

       裏山にミモザ縺るる西東忌      利普苑るな

西東三鬼(さいとう・さんき)について、引用しておく。

 新興俳句の旗手、鬼才と呼ばれた西東三鬼=本名・斉藤敬直=(1900-1962)は南新座の生まれ。津山中学に学び、両親を失った十八歳で東京の長兄に引き取られ、歯科医になる。患者に誘われて俳句を始めた。俳号、三鬼はサンキューのもじりだが、波乱の人生を送る彼のぺーソスとユーモアが潜んでいるような気がする。
 33歳で俳句入門して3年後の昭和11年、

   水枕ガバリと寒い海がある

を発表、その鋭い感覚が俳壇を騒然とさせるのである。「十七文字の魔術師」の誕生であり、「ホトトギス」的伝統俳句から離れた新興俳句運動の記念碑でもあった。
戦争への道を急ぐ日本。三鬼の

   昇降機しづかに雷の夜を昇る 

が世情不安をあおるとして弾圧を受け、無季を容認した新興俳句は三鬼が幕を引く結果になる。
 三鬼は、弾圧のショックを胸に東京の妻子を捨てて神戸に移り住む。

   露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す

 そんなスナップのある安ホテルで、特高警察の刑事につけ狙われながら雌伏する。NHKテレビドラマ「冬の桃」は、その時代の三鬼の随筆をドラマ化したもので、小林桂樹が三鬼に扮して好演、再放送されるほど好評だった。
 俳句がすべてだった三鬼は、昭和17年、転居した神戸市内の西洋館(「三鬼館」と呼ばれる)の和室の畳まで売り払い、「天狼」創刊運動費にあてるほど徹底していた。

終戦。三鬼は俳句活動を開始、同志と現代俳句協会を創設、昭和23年、山口誓子を擁して俳誌「天狼」創刊の中心になった。編集長になり、自分も「激浪」を主宰し、昭和28年ぶりに帰郷する。そして昭和37年、惜しまれつつ永眠する。空前絶後の俳壇葬で三鬼を見送った。4月1日は西東忌、三鬼忌として歳時記に不滅である。
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20050906-153056西東三鬼
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以下に経歴などを引いておく。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

西東三鬼(さいとう さんき、1900年(明治33年)5月15日 - 1962年(昭和37年)4月1日)は日本の俳人。本名・斎藤敬直(さいとう けいちょく)。

経歴
1900年5月15日岡山県津山市南新座に生まれる。
1915年(大正4年) 県立津山中学校(現岡山県立津山高等学校)に首席入学。
1919年(大正8年) 母を当時大流行したスペイン風邪で亡くす。同年、上京し青山学院中等部に編入するが中退。
1921年(大正10年) 日本歯科医学専門学校(現日本歯科大学)に進学する。
1925年(大正14年) 卒業、同年秋に結婚し、シンガポールに渡り歯科医を開業する。しかし、反日運動の高まりと、自身のチフス罹患のため1928年(昭和3年)帰国し歯科医院開業。
1933年(昭和8年)東京の神田共立病院に勤務していたとき、患者の薦めで俳句を始める。
1934年(昭和9年)俳誌『走馬燈』同人となり、新興俳句運動に傾倒。山口誓子らに師事。
1935年(昭和10年)「京大俳句」に加わり、1938年(昭和13年)歯科医をやめる。
1939年(昭和14年)総合誌『天香』を創刊。この年、初の句集『旗』を発表。
1940年(昭和15年)京大俳句事件が起こる。特別高等警察により治安維持法違反で検挙される。句作活動中止を条件に起訴猶予となった。
1942年(昭和17年) 東京から神戸に移り、特高警察の監視下で「三鬼館」に雌伏。
1945年(昭和20年)太平洋戦争終結とともに再び句作活動を再開。
1947年(昭和22年)9月1日、石田波郷、神田秀夫らとともに現代俳句協会を設立。
1948年(昭和23年) 山口誓子を擁して「天狼」を創刊、編集長となる。第二句集「夜の桃」を刊行。「激浪」主宰。春、30年ぶりに帰郷する。「激浪」の発行所を津山市上之町、室賀達亀方に置く。
1948年(昭和23年)大阪府枚方市に転居。香里病院に勤務。
1951年(昭和26年) 第三句集「今日」刊行。
1952年(昭和27年)俳誌『断崖』を発刊、主宰。
1956年(昭和31年) 角川書店の総合誌「俳句」編集長になる。翌年辞職。
1960年(昭和35年) 還暦祝賀会。
1961年(昭和36年) 俳人協会設立発起人になる。10月、胃癌の手術。
1962年(昭和37年) 第四句集「変身」を刊行。4月1日61歳で逝去。8日、角川書店で俳壇葬。5月27日、関西追悼祭。28日、遺骨を津山市成道寺に納める。墓句樽銘は山口誓子筆。第二回俳人協会賞を贈られる。「断崖」は108号で終刊。
1977年(昭和52年) 随筆「神戸・続神戸・俳愚伝」を改題「冬の桃」(毎日新聞社刊)を出版し、小林桂樹主演でNHKテレビでドラマ化「冬の桃」(早坂暁脚本、全7回)が放送される。
郷里の津山市では1992年より「西東三鬼賞」を授与している。

人物評
歯科医師の傍ら、句作活動を行っていた。トレードマークは、口髭とベレー帽であった。ダンスやゴルフが趣味で、女性にも人気があったという。また7ヶ国語が堪能であったといい、「ダンディ」という言葉がよく似合う人柄であった。
斬新でユーモアに富んだ句を多く残している。本人曰く、「三鬼」の号は「サンキュー」から採ったと冗談半分で語っていたそうである。

句集・作品集

変身
夜の桃
三鬼百句
今日
西東三鬼句集
神戸・続神戸・俳愚伝
など
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彼の代表作として私が選んだものを引いて終わる。

   聖燭祭工人ヨセフ我が愛す

   右の眼に大河左の眼に騎兵

   梅を噛む少年の耳透きとほる

   道化師や大いに笑ふ馬より落ち

   厖大な王(ワン)氏の昼寝端午の日

   機関銃低キ月輪コダマスル

   逆襲ノ女兵士ヲ狙ヒ撃テ!

   塹壕の壁を上りし靴跡なり

   主よ我もよふけに家にかへらざり

   国飢ゑたりわれも立ち見る冬の虹

   寒灯の一つ一つよ国敗れ

   中年や独語おどろく冬の坂

   おそるべき君等の乳房夏来る(きたる)

   赤き火事哄笑せしが今日黒し

   黒蝶は何の天使ぞ誕生日

   逃げても軍鶏に西日がべたべたと

   くらやみに蝌蚪の手足が生えつつあり

   モナリザに仮死いつまでもこがね虫

   やわらかき蝉生まれきて岩つかむ

   暗く暑く大群集と花火待つ

   つらら太りほういほういと泣き男

   凶作の刈田電柱唸り立つ

   木瓜の朱へ這ひつつ寄れば家人泣く

   春を病み松の根っ子も見あきたり・・・・・・・(絶筆)



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