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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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藤原光顕の歌「雑詠20首」・・・木村草弥
たかまる_NEW

──藤原光顕の歌──(47)

     藤原光顕の歌「雑詠20首」・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・「たかまる」No.117/2020.4掲載・・・・・・・・・

          雑詠     藤原光顕

   冬の陽を全身に浴び赤ずきんの庭のこびとさん齢とったなァ
   夕焼けの町外れには野原があって野原にはたいてい土管があった
   そう言えばと過ぎてふりむく いつの間に消えてしまったブランコ一基
   崖っぷちの家は冷たい雨だった その後すぐに届いた訃報
   二十何年前の少女の煩ささでセーラームーンは起きろと騒ぐ(おもちゃみたいな目覚まし時計)
   今しばし生きてみよとや 財布カードガラケー救心鍵 そっくり戻る
   写真一枚一目でわかる原節子 八十五歳の証しのようで
   一度だけ逢ったけったいな『釜の詩人』裏町の二階座敷の裸電球
   なんとなくちょっと怖かった あの眼がわからなかったあの頃
   ≪癌宣告 神は冷雨の街を賜う≫あれはT氏を詠ったのだったが
   生温いところで生きてるんじやねえよ 見事な激辛女子の消え際
   兵隊さんはへいたいさんでは変換不可ただへいたいで入力すべし
   三匹の猫が順番に庭に来て顔を見て帰る 確かめるように
   冷たい雨が午後になる また読み返す宮崎信義歌集「梅花忌」
   念のためみたいに鏡の顔を見るたぶん昨日と変わらないはず
   宇宙の果てまで見たホーキングどんな時空へ消えたのだろう
   転居歴15回ならワシの勝ちやと笑った一郎 あの世は住みよいか柳原一郎
   きょうも一日よく喋りました 独り言ばっかりだったけれど
   原稿の催促一件 寒い午後のパソコン画面閉じる
   神様もほろ酔いあたりが好きそうで話が合ってお休みなさい
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いつもながらの光顕ぶし。 お元気そうで何よりです。
「太鼓山日記」によると、一月に家族と台湾へ行って来られたらしい。
立派なものである。
私はパスポートは失効し、足に自信がないので、遠出は無理である。
もっとも、藤原さんは私とは五歳も若い。私も五年前には海外に行っていたのだ。
私の第七歌集『信天翁』の広告も出していただいて有難うございます。では、また。


外にも出よ触るるばかりに春の月・・・中村汀女
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     外(と)にも出よ触るるばかりに春の月・・・・・・・・・・・・・・中村汀女

この句は昭和21年敗戦間もない時期のもの。
霞むような春の真ん丸い月が、わが身に触れんばかりに間近に昇って来た一瞬の驚きと喜び、それが思わず人に呼びかける句になって、心の弾みを、よく伝えている。
ハ行のフルルとハルの音の響きあいも快い。作者の代表作として、よく知られる句である。昭和23年刊『花影』に載る。

中村汀女は明治33年熊本生れの人。文化功労者にも選ばれた。
季節の句としては

 恋猫に思ひのほかの月夜かな

 ゆで卵むけばかがやく花曇り

 引いてやる子の手のぬくき朧かな

 蟇歩く到りつく辺のある如く

 滴りの思ひこらせしとき光る

 いつしかに座も満ち積むか春の雪

などが見られるが、以下に季節を問わずに好きな句を引用して終りにしたい。

 とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな

 稲妻のゆたかなる夜も寝べきころ

 芝を焼く美しき火の燐寸かな

 水打ちてよごせし足の美しく

 音もなくひとりめぐれる火蛾もあり

 秋の蝶黄なり何かを忘れよと

 しばらくは露の桔梗に座をまかす

 秘めごとの如く使へる扇かな

 汗ばめる母美しき五月来ぬ
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以下、Web上に載る記事を転載しておく。

中村汀女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中村 汀女(なかむら ていじょ、明治33年(1900年)4月11日 ~ 昭和63年(1988年)9月20日)は、日本の俳人。本名、破魔子。称号は名誉都民、熊本県熊本市名誉市民。

熊本県出身。熊本県飽託郡画図村(現熊本市江津1丁目)に斉藤平四郎・テイの一人娘として生まれる。

大正元年(1912年)、熊本県立高等女学校(現熊本県立第一高等学校)に入学。大正7年(1918年)、同校補習科を卒業。大正9年(1920年)に熊本市出身の大蔵官僚・中村重喜と結婚。以後、夫の転勤とともに国内各地を転々とする。

昭和9年(1934年)ホトトギス同人となり、最初の句集『春雪』を発表。戦後の昭和22年(1947年)には俳誌『風花』を創刊した。

有名な俳句では「外にも出よ 触るるばかりに 春の月」などがある。また、汀女は杉田久女に憧れていて、ファンレターも出していたらしい。


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