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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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ながらみ書房「短歌往来」2020/五月号掲載『信天翁』書評
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 ↑「短歌往来」2020年五月号 掲載 『信天翁』書評

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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      ながらみ書房「短歌往来」2020/五月号掲載『信天翁』書評
             ・・・・・「短歌往来」─今月のスポット欄・・・・・・・・

▼木村草弥歌集『信天翁』(澪標・2000円 * )
齢九十を超えた歌人の矍鑠たる自由律短歌の世界。世の中に対する、とりわけ理不尽な権力に対する叛骨心はいささかの衰えもない。
集中末尾の一連の連作に、この歌人の面目躍如たるものがある。
・ユリシーズの時代には肉体が見事だというたげで英雄になれた
・今では貧弱な肉体の持ち主がコンピュータを操って巨万の冨をかせぐ
・むかし「若者よ体を鍛えておけ」という歌が流行った
・作者は獄中十数年という経歴の持ち主の詩人だった
・「美しい心が逞しい体に支えられる日がいつかは来る」
・と、その人は言った。ひろし・ぬやまという詩人だった
・その昔「自由律」というだけで刑務所にぶち込まれた俳人が居る
・デカルトは「cogito, ergo sum」(われ考える、ゆえに 我あり)と言った
・デカルトの研究者というだけで三木清は獄死した
・北原白秋に「時局」を諭され前田夕暮は定型へ復帰した
・香川進大尉は「自由律歌人」だからと陸士出の将校に殴打された
・「自由」というだけで何でや ? 今どきの若者よ、それが時代の狂気なのだ
一首ずつというのではなく、連作としてまとめて読むと、あたかも散文詩のような趣がある。
ある時期、「自由」は抵抗の象徴であり、反権力の砦であり、そのために軍国化する社会から官憲に目をつけられた。
著者の歌は淡々と事実を並べたのみだが、、かえって迫真力がある。怒りや悲しみ悔しみなどは読者に委ねられている。
しかし、歌集冒頭の一連の歌は文語旧仮名の作品で厳粛ですらあり、歌集タイトルともなった作品に思い入れも深かったのだろう。
・一病を持ちては永きたそがれか野の豌豆の花の白さや
・〈信天翁〉描ける青きコースターまなかひに白き砂浜ありぬ
・まどろみのみどりまみれぞ松園の春画に見つる繁き陰毛は
・吉凶のいづれか朱き実のこぼれ母系父系のただうす暗し
二首目は著者の妻亡きあとをケアマネージャーとして十年間支えてくれた稲田京子さんへの、四首目は美術史家であった次兄の重信への挽歌。
「これからの日々、わたしのしたいようにさせてもらいたい」」(あとがき)、それもいいだろう。
この世の中の矛盾や不条理を渾身の気概でもって歌い、告発してもらうのが自由律歌人の存在証明であると信じる。
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本誌が発行されたので、表紙の画像などをアップしておく。
名前を出してもいいと思うが、この記事の執筆者は、「ヤママユ」の喜多弘樹氏である。版元の澪標の松村信人氏とは若き日の詩人仲間の友人とのことである。
私の意図を的確に汲んで頂いた評で、有難く頂戴する。







夜ざくらは己が白さに耐へかねてほろほろ散りぬ 死を覚えゐよ・・・木村草弥
entry_24しだれ桜円山公園

   夜ざくらは己(おの)が白さに耐へかねて
     ほろほろ散りぬ 死を覚えゐよ(メメント・モリ)・・・・・・・・木村草弥


この歌の結句「死を覚えゐよ」のところには、「メメント・モーリ」という有名なラテン語の「警句」が「ふりがな」として付ってある。
この警句はヨーロッパの教会へゆくと壁画などとともに掲げてある。

メメント・モリのラテン語表記は memento mori であって、メメントとは、記憶する、覚えるという単語の命令形である。私は、それを覚えゐよ、と書いてみた。モリないしはモーリは「死」のことである。
この警句はヨーロッパ中世の頃にキリスト教会に掲げられるようになった。
この頃はペストその他の伝染病で多くの人が死んだ頃で「死」が日常的だった。
だから教会は人々に「死」ということに自覚的であるように求めた──つまり人間がいかに弱い、つまらない存在であるかを知れ、と言ったのである。

この警句は、藤原新也の写真文集の題名にも使われ、この本はよく売れた。

この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載せたものである。
自選にも採っているのでWebのHPでも、ご覧いただける。



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