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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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詩と連句「おたくさ」Ⅲ─4・・・鈴木漠
おたくさ_NEW

──鈴木漠の詩──(14)

      詩と連句「おたくさ」Ⅲ─4・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠
                 ・・・・・・おたくさの会2020/04/30刊・・・・・・・・

「後記」によると、鈴木漠氏は、昨年十月半ばに脳梗塞を発症して、今年の三月末まで、およそ五か月半のリハビリテーション入院をされた、という。
年末年始も病院のベッド暮らしだったという。
しかし、こうして機関誌が出せたのだから、幸運というべきだろう。おめでとう、と申し上げる。
これは「凶」の方だが、「吉」の方は回顧展を昨年の二月から五月にかけて兵庫県公館で、十二月から今年の二月まで徳島県立文学書道館で催された。
「その間、世間では新型コロナウイルスの猛威が始まっていたらしい」と書かれている。
そんなことで、今回の冊子はページ数も少なく薄っぺらい。ご自愛専一にお願いしたい。

画像でも読み取れると思うが、表紙には「短詩」が載っている。

      詩・在間 洋子     ありんこのわたしに


   飛べという

   そんなに地面を這っていないで
   こんなに広い大空を

   羽をください その羽に
   シャボン玉色のこころをのせて
   舞い上がる

   ふわふわふわふわ 高く高く
   風の向こうの あの向こう

   目覚めるとやっぱりありんこ
   空から見えない菓子の屑
   在るとも知らない小石の欠けら
   それがなんとも大問題


      賜餐 笈    梅村光明 捌き

     お遍路の笈にサルトル、サザエさん    土井 幸夫 (春)
      桜吹雪の実存を問ひ            鈴木   漠   (春)
     もてなしを粋に感じる花の宴         梅村 光明 (花)

ウ     酒肴愛でつつ句帳開かず         在間 洋子 (雑)
     湯上りのの縁に薮蚊の付きまとふ     森本 多衣 (夏)
       はだけた浴衣うるむ黒髪         辻  久々 (夏恋)

ナオ  ままならぬ恋の闇路に迷ひつつ       三神あすか (恋)
      駐在の窓初紅葉せり             藤田 郁子 (秋)
     につこりと笑まふ眉月ネオン街        赤坂 恒子 (月)

ナウ   鎌をざつくりいれて豊作            安田 幸子 (秋)
    炊きたての白米碗に命延ぶ           中林ちゑ子 (雑)
      暦の果ての跡残すのみ            東条 士郎 (冬)

   2020年3月  満尾 ファクシミリ  おたくさ連句塾


     現代詩歌の冒険  徳島の詩人・歌人・俳人たち
        ・・・・・徳島県立文学書道館   さあ、言葉の海へ   2019./12/14~2020/2/29・・・・・・・

     飢渇は屡々 魂を星に似せる     鈴木 漠

     晩冬の東海道は薄明りして海に添ひをらむ かへらな   紀野 恵

     何もかも散らかして発つ夏の旅    大高 翔

     背骨を愛されたことのない女は
     水を飲むときののけぞりかたが下手だ     清水恵子  


     桃色の炭酸水を頭からかぶって死んだような初恋     田丸まひる

     わたくしの瞳になりたがつてゐる葡萄    野口る理

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最後に掲出した、表紙裏に載る企画は、とても面白い。
それぞれ徳島を代表する詩歌人たちである。
紀野恵氏は短歌結社「未来」の選者。大高翔氏は若手の高名な俳人。野口る理氏は期待される詩人。
そしてベテランの詩人・連句作歌の鈴木漠氏である。

鈴木漠氏も、病を超えて活躍されることを期待して、今号の紹介を終える。 有難うございました。



藤目俊郎氏撮影「芥川クサフジ」・・・木村草弥
IMG_20200510_150406藤目クサフジ

       藤目俊郎氏撮影「芥川クサフジ」・・・・・・・・・・・・・木村草弥

高槻市に住む友人・藤目俊郎氏から美しい画像を送って来られたので披露する。
大きな画像なのだが取り込めないので縮小した。
メールには、こう書かれている。  ↓

<私の散歩コース、芥川の堤防の一段内側に降りた草地では、毎年今頃この景色が見られます。
10m以上にわたって二か月くらい咲き続けます。
しかも鶯が住んでいて、歩くとさえずりを聞かせてくれます。
このところ急に暑くなりシャツを濡らして歩いているのですが、ホット気が休まります。>

有難うございました。


享けつぎて濃く蘇るモンゴル系ゐさらひの辺に青くとどめて・・・木村草弥
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   享けつぎて濃く蘇るモンゴル系
     ゐさらひの辺に青くとどめて・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。

よく知られていることだが、いわゆる「モンゴリアン」という人種のお尻には尾骶骨の上の方に、特有の「蒙古斑」という青い「あざ」の模様が幼少期には見られる。
大きくなると、それは薄れて見えなくなる。
ハンガリー人なども源流はモンゴリアンと言われているが、その後白人との混血も進んでいるのだが、今でも「蒙古斑」は見られるのだろうか。
現在の南北アメリカ大陸に渡ったネイティヴ・アメリカンは、ずっと昔にベーリング海峡を渡って辿り着いたモンゴリアンだと言われているが、そう言われているからには、
この「蒙古斑」が彼らにも認められるということなのだろうか。

念のために申し添えると「ゐさらひ」というのは「尻」のことを指す「やまとことば」古語である。
お尻というところを「いさらい」と言えば、何となく非日常化して来るではないか。
これは「おむつ」というところを「むつき」と言い換えるのと同様のことである。いわば「雅語」化するのである。
これらは詩歌の世界においては常套的な手段である。

ずっと昔に、うちの事務所にいた子育て中の事務員さんと雑談していて、話がたまたま「蒙古斑」のことになったところ、
その人は真顔になって「うちの子には、そんなアザはない」と反論して来たことがある。
われわれ日本人はモンゴリアンといって必ず「蒙古斑」があるのだと説明したことである。もちろん人によってアザの濃淡はあるから気づかなくても不思議ではない。

この辺で、終わりにする。



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