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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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山口謡司『日本語の奇跡』<アイウエオ>と<いろは>の発明・・・木村草弥
日本語の奇跡

──新・読書ノート・初出Doblog2008/03/03──(再掲載)

  山口謡司『日本語の奇跡』<アイウエオ>と<いろは>の発明・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・・・・・・・・・・新潮新書2007年12月刊 ・・・・・・・

「日本語」にこだわるものとして、漢字カナまじり文という世界でも特異な表記法を築き上げた先人たちの叡智と努力を、こうして判りやすく体系的に一冊にまとめた、最近でのヒット作として、先ず喜んでおきたい。
カタカナやひらがな、漢字を巧みに組み合わせることで、素晴らしい言葉の世界を創り上げてきた日本人。
先師先達のさまざまな労苦の積み重ねをわかりやすく紹介しつつ、これまでにない視野から日本語誕生の物語を描く。
著者の山口謠司は1963年長崎県生まれ。大東文化大学大学院、フランス国立高等研究院人文科学研究所大学院に学ぶ。ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て、大東文化大学文学部准教授。 現在、教授。

ここでネット書店BK-1 の、この本の紹介に載る「オリオン」という人の書評を貼り付けておきたい。
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 『堤中納言物語』に、ある貴人からの贈り物への返礼として、カタカナで和歌を書き送った(虫めづる)姫君の話が出てくる。
 本居宣長の門人伴信友は、この一篇に寄せて、「さて其片仮名を習ふには五十音をぞ書いたりけむ。いろは歌を片仮名に書べきにあらず」と記した(『仮名本末』)。
和歌をカタカナで書いてはいけない。草仮名すなわちひらがなで書かなければならないというのだ。
 ここに、この本で書きたかったことの淵源がある。著者は、あとがきでそう述べている。
 伴信友がカタカナを五十音図に、ひらがなをいろは歌に対応させたことを敷衍して、著者は本書で、日本語を培ってきた二つの世界を腑分けしてみせた。
すなわち、〈アイウエオ〉という「システム」(日本語の音韻体系)を支える世界と、〈いろは〉という「情緒」(言葉に書きあらわすことが出来ない余韻)を支える世界。
 それは同時に、日本という国家を支えてきた二つの要素に対応している。
外来の普遍的な思想(たとえば儒教、仏教)や統治制度(たとえば律令制)と、「国語」としての日本語でしか伝えられない「実体」とでもいうべきもの(たとえば民族性、もののあはれ)。
 著者は「システム」と「情緒」を、空海の業績に託して、「情報」と「実」とも言いかえている。
《空海が持ち帰ってきたものは、情報より「実」とでもいうべき意識ではなかったか。言ってみれば、借り物ではない世界を実現する力である。
 むろん、それまでの日本に「実」というものがなかったわけではない。
しかし、「世界」とは中国であり、「普遍の伝達」とは中国の模倣とイコールであった。「実」という意識はまだ薄かったであろう。(略)
 「実」という意識は、あるいは、芸術家が模倣を繰り返す修行時代を抜けだし独創の境地に立った地点と似ているとでも言えようか。
模倣は本来、「実」を必要とはしない。模倣によってあらゆる技術を身につけようとするときの条件は、いかにして「実」を捨てられるかである。
しかし、捨てようと思えば思うほど、目の前の壁となって「実」は大きく姿をあらわしてくる。
そして、いかにして「実」を捨てられるかともがき続ける修行のなかで、最後の最後に幻のように残った「実」こそが、まさしく独創の足場となるのではなかろうか。
 折りしも日本では、本当の意味での独創が始まろうとしていた。日本語において、それは〈カタカナ〉と〈ひらがな〉へとつながってゆくのである。》
 こうして著者は、漢字伝来から(鳩摩羅什による仏典漢訳の方法に倣った)万葉仮名の創造を経て、漢字の簡略化によるカタカナの、また、そのデフォルメ(草書体)を利用したひらがなの発明へ、そして、十世紀前半と目されるいろは歌の誕生(作者不詳)へと説き及んでいく。
 また、空海によるサンスクリット語の伝来に端を発し、十一世紀後半を生きた天台僧明覚による(子音と母音を組み合わせた)日本語の音韻体系の解明から本居宣長へ、そして「情緒よりシステムの構築を必要とした」明治時代、大槻文彦による五十音配列の『言海』と至る五十音図誕生の物語を語っていく。
《〈いろは〉と〈アイウエオ〉の両輪によって情緒と論理の言語的バランスを取ることができるこのような仕組みの言語は、日本語以外にはないだろう。あらゆる文化を吸収して新たな世界を創成するという点で、それは曼荼羅のようなものだと言えるかもしれない。 我々はそうした素晴らしい日本語の世界に生きているのである。》
 この末尾に記された言葉がどこまで真実のものでありうるのか。それは、千年をはるかに超える日本語探求の歴史の重みを踏まえた、これからの言語活動の質にかかっている。
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ここに紹介した「オリオン」氏の書評だけからは、少し判りにくいかも知れない。
この本の「帯」には

<日本人が創り上げた たぐい稀な言葉の世界!
 かつてない視野から描く日本語誕生の壮大な物語。>

とある。そして「帯」の裏面には

 ○淵源としてのサンスクリット語
 ○万葉仮名の独創性
 ○空海が唐で学んできたこと
 ○<いろは>の誕生
 ○妙覚、加賀で五十音図を発明す
 ○藤原定家と仮名遣い
 ○さすが、宣長!

が挙げられているが、これらは「目次」に書かれているものである。
私が部分的に知っていることが、この本によって体系的に知らせてもらって有難かった。
私たちが「表意文字」「表音文字」などと、簡単に言い過ぎてしまっていることも、この本では「表意記号」「表音記号」と書かれていて、その方が的確な言い方である。
これに関連していうと、第二章「淵源としてのサンスクリット語」に、このことが書かれている。

<ひらがな><カタカナ>と我々が何げなく使っている「言い方」だが、第七章「仮名はいかにして生まれたのか」に詳しく書かれている。
なぜ「仮名」なのか。ここには、こう書かれている。

<どうして「仮」という言葉がついているのか。当時、「仮名」は別に「借字」(しゃくじ)という呼称もあったが、これは「漢字を借りる」という意味である。
「仮」の意味が分かれば、「借」という字がつけられた意味も理解できるだろう。
漢字は、奈良時代以来、別名で「真名」(まな)と呼ばれていた。
「真」とは「中身がいっぱいに詰まっている」という意味を本来持つ漢字であり、「仮」とは「中身のない見せかけの」の意味である。>
中国伝来の漢字を使って「日本語」の表記を、どうしてゆくか、を考えて、漢字の「音」(おん)を利用するだけではなくて、「漢字を簡略化する」「漢字の一部を利用する」などして<カタカナ>が考案され、全体をデフォルメした草書体(当時は「草仮名」と呼ばれていた)を利用して<ひらがな>が、新しい我が国独自の文字となっていったのである。因みに<ひらがな>という呼称が起こったのは江戸時代になってからである。
漢字の意味や発音を捨て去った「見せかけ」の部分を使うからこそ、我が国独自の文字は「仮名」という名称で呼ばれることになったのである。

著者も「あとがき」で<書き足りない・・・・・。稿を終えての思いはそれに尽きる。>と書くように、「新書」というページ数の制約もあるので仕方がないのだが、この本に肉付けした内容豊富な一冊を、著者には、ぜひお願いしたいものである。
日本語にこだわる人には必読の一冊である。よく売れていて12/20の初版から、すぐに1/15には2刷が出ている。私の買ったのは2刷のものである。
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この本の「続編」に当たる本も出ていて、私も採り上げているので、後日アップすることにする。






「ら」抜き言葉のこと・・・木村草弥
(再掲載) 初出・2007/06/02のDoblog

──★日本語倶楽部★──(2)
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        「ら」抜き言葉のこと・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

日本語が乱れていると言って、よく例にあげられるのが「ら」抜き言葉である。
もう二十年以上も前になるが、或る短歌結社の全国大会の班別歌会で、地方ではかなり威張っている人が、この「ら」抜き言葉に触れて、何かの機会に国語学者の金田一春彦氏に、そのことを言ったら金田一さんは、たいして取り合わなかった、と憤慨して話した。
私は、そのとき司会者をしていたが、「金田一さんは寛容ですからね」と言ったら、私まで攻撃の対象にされてしまったことがある。

言語、あるいは言葉というものは揺れ動くものである。 今ある言語あるいは言葉あるいは表記というものは、時代とともに変化する。そういう点で専門の学者の方が寛容である。
見出しに挙げた「ら」抜き言葉も、何の原則もなしに「ら」抜きにされているわけではないのだ。
長野県─信州方言では「ら」抜きが一般的らしいが、たとえば「見ることが出来る」という可能動詞では「見れる」となる。
一方、誰かに「見つめられる」という意味の「受身動詞」では「ら」抜きではなく「見られる」となる。
このように規則性は、ちゃんとあるのである。

いま私は信州方言と言ったが、私は信州人でもなく、また信州と言っても木曾谷、佐久平、伊那谷その他縦に走る山脈によって隔てられた信州には一律にはゆかない違いがあるかと思う(間違いは指摘して下さい)が、これは信州出身のかなり影響力のある文化人の発言であるから当らずとも遠からずだと思う。
信州人は東京には多くの人が進出しており、文化人も多い。
だからというわけではないが、「ら」抜き言葉は、遠からず「許容」されて一般的になると、私は見ている。

辞書などを見てみると上古以来、日本語の使い方は、ものすごく変化して来た。
「ことわざ」「格言」的な言葉など本来の意味と違う意味に現在は使われているものが、たくさんある。
これについても「日本語倶楽部」のアンケートの対象にしても面白いので、ここで実例を挙げることは控えておく。
これらを、よく知るためには国語辞典ではなく「古語辞典」を紐解いてみると面白い。暇な何もすることがない時など、辞書は最高の友人になり得る。
よく言われることだが、文化人とか詩人とか歌人、俳人と呼ばれる人の机の脇には辞書が、でんと置かれて、ちょっとした疑問や物忘れなどの折に触れて彼らは辞書を引く。
素人に限って、そういう努力をしない。これが才能が開花するかしないかの分かれ道である、と。
その通りで恐れ入るが、いずれにせよ辞書には何千年の日本人の「日本語」に関する叡智が詰め込まれているのである。

私自身は駄目な男だが、私の同級生には仏文の教授や国語学の専門家や外国人に対する日本語教育のパイオニアなど、錚々たる友人がたくさん居るので、著書などを戴く機会も多いので勉強させてもらっている。

いずれにしても言葉は揺れ動くものだということを言っておきたい。その変化は先ず「発音」から始まる。
それが「表記」と矛盾してくる時に、例えば「新かなづかい」のような大掛かりな国語表記についての大変動が起きるのである。
これは何も日本語だけの問題ではなく外国などでもしょっちゅう起っていることである

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5/19.17:00追記
いま届いた「読売新聞(大阪)」夕刊を開いてみたら、金田一春彦先生が91歳で今日なくなられたという。文化功労者。
解説には、私が先に書いた通りの事が書いてある。すなわち「言葉は時代とともに絶えず変化する」が持論で、若者の「ら」抜き言葉などにも理解を示した、など。
早く書いておいてよかった。ご冥福をお祈りしたい。
5/20.追記
京都新聞は今朝の記事で大きく伝えた。先生は八ヶ岳の別荘に滞在中に倒れ、意識不明のまま甲府市の病院で、蜘蛛膜下出血のため死去された。
今日の記事には玉村文郎同志社大学名誉教授の話として、次のように書かれている。
<今春、東山七条の智積院に真言声明の研究に訪れられ、同席させて頂いた時にも、お元気だったので、突然の訃報に驚き、また残念でならない。新村出先生と春彦先生の父、京助先生は先輩後輩の関係で、新村出記念財団発足では春彦先生に陰に陽に助言いただき、発起人にもなって頂いた。同じ国語学の研究者として北京で一緒に滞在したこともあるが、幅広い方で、難しい専門の歴史的なアクセントの研究も一般の人に実に面白く上手に話された。>
見出しは「難しい話を面白く」とある。これこそ達人の真髄である。
この玉村文郎君は私の同級生で国語学と外国人留学生に対する日本語教育のパイオニアである。国語学の著書の他に『日本語学を学ぶ人のために』
『新しい日本語研究を学ぶ人のために』などの本がある。
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「日本語倶楽部」のことについて書いておく。前に所属していた「Doblog」は2007年にホストコンピュータが障害を起こして、結局、廃止された。
そこに居るときに同好の人たちと立ち上げたのが、この倶楽部である。私の書いた記事の第二回が、これである。
「日本語倶楽部」のキャプションも会員の誰かが作ってくれたものである。
今では記念碑的な、なつかしい記事である。
ここに再録しておくので読んでみてもらいたい。
私の書いた記事は全部で十回ほどあるが、機会をみて再録してみたい。



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