FC2ブログ
K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
202004<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>202006
山口謡司 『てんてん』 『日本語を作った男 上田万年とその時代』・・・木村草弥
てんてん_NEW

てんてん裏_NEW
 ↑ 「てんてん」裏表紙

──新・読書ノート──

    山口謡司 『てんてん』 ・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・角川選書2012/01/25刊・・・・・・・

今回、山口謡司関連の本として四冊の本を古本で買い求めた。いずれも新本同様だが安価なものである。
私は読書の習慣として、何か読みたいと思ったら、集中して読んで解明したい主義である。
こういうやり方をすると身につきやすいと思うからである。
しかし学問的、体系的なことは、素人の人間にはなかなか難しい。
ましてや「日本語」の成り立ちについてということになると、表記する文字の無かった上古から始まるからである。
もう二十年近く前から「日本語倶楽部」として、何とか迫ろうと努力してきた人間として「蟷螂の斧」であるかも知れないし、周囲をぐるぐる回るだけかも知れないが、お許しを。

先ず、「大東文化学院」というのは、どういう学校なのかということである。Wikipediaには詳しく載っている。  ↓

大東文化大学は、大正期における日本の政治・経済・社会・文化の近代化の過程で見られた西洋偏重の傾向を是正し、漢学を中心とする東洋文化の振興を図ろうとする木下成太郎による「漢学振興運動」を発端として、1923年(大正12年)の帝国議会衆議院本会議において可決した「漢学振興ニ関スル建議案」に基づき設立された大東文化学院にはじまる。
漢学(特に儒教)を中心として東洋の文化を教授・研究することを通じて、その振興を図ると共に儒教に基づく道義の確立を期し、更に東洋の文化を基盤として西洋の文化を摂取吸収し、東西文化を融合して「新しい文化の創造」を目指す、と定められている。1985年(昭和60年)に制定された。
そして、2008年(平成20年)9月には、創立百周年に向けた基本計画「中期経営計画(CROSSING2023)」を策定。この中で、これからの21世紀における時代のあるべき姿を提言し、建学の精神を「多文化共生を目指す新しい価値の不断の創造」と現代的に読み替え、掲げている。
初代総長は平沼騏一郎であった。

私の言いたいのは、そういう大学だからこそ、山口謡司が専門的に取り組んでいる「書誌学」「文献学」の研究は処を得ていると思うのである。
彼の勤務先の大東文化大学文学部中国文学科を検索すると、学生たちと談笑する山口の写真が使われている。人気がある彼だから宣伝効果もあるのであろう。

この本は単純にというか、乱暴に言うと「てんてん」すなわち「濁点」が、いつから文字の上で表記されるようになったか、を解明したものである。
この本の「おわりに」で
<言語の歴史は、人間の歴史であると教えてくださったのは我が師・亀井孝である。そして、日本語における濁音ならびに濁点について、大胆な発想と大きな言語学的な視野で臨んだのも亀井師であった。
師の論文「かなはなぜ濁音専用の字体をもたなかったのか──をめぐってかたる」が書かれてからすでに四十年がたつ。
二十五年前、この論文に出会い、助言をいただく機会を得てから、幾度となく読み返した。以来、日本語における濁点の意味と「てんてん」という記号の不思議さが脳裏から離れることはなかった>書かれている。

亀井孝 ← とは、こういう人である。アクセスされたてい。
「共編著」の項目に「日本語の歴史 全7巻別巻」があるが、私はこれを買って読んだことがあるが、専門的で難しい本だった。
このWikipediaの記事に「弟子」として山口の名前が載っているのに留意されよ。

万年_NEW

      『日本語を作った男 上田万年とその時代』・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・集英社インターナショナル2016/02/29刊・・・・・・・・・

この本が採り上げる上田万年 ← というのは、こういう人である。

この本は、いかにも書誌学者、文献学者らしい索引や出典に詳しいもので、厚さ五センチもある辞典のようなものである。
この本のカバー折り返し裏に、こう書かれている。

<明治維新を迎え「江戸」が「東京」となった後も、それを「とうきやう」とか「とうけい」と様々に呼ぶ人がいた。
 明治にはまだ「日本語」はなかったのである。
 「日本語」(標準語)を作ることこそが国(国家という意識)を作ることである──
 近代言語学を初めて日本に導入すると同時に、標準語の制定や仮名遣いの統一などを通じて「近代日本語」の成立にきわめて大きな役割を果たした国語学者・上田万年とその時代を描く。 >

この本の要約として極めて的確な文章である。 
因みに、この本で第29回和辻哲郎文化賞を受賞している。この賞は学術的な著作に贈られるもので、ふさわしいものと言えよう。

井上ひさしのシナリオに『國語元年』(こくごがんねん)というのがある。 ↓
1985年の6月8日から7月6日までNHK総合テレビの「ドラマ人間模様」枠で放送されたテレビドラマ。シナリオは中公文庫から『國語元年』として刊行されている。
1986年にこまつ座制作で上演された演劇。紀伊國屋ホールにて初演。戯曲は新潮文庫から『國語元年』として刊行されている。
いずれも井上ひさしによる脚本・戯曲で、明治初期にお国の土台、軍隊言葉に混乱がないようにと「全国統一話し言葉」作成を命じられたとある文部省官吏の苦闘を描いた作品である。

これなどは、上田万年の苦闘の「現実版」と言えるだろうか。

この本は、先に書いたように極めて文献的で難しいものだから、この本の章名を書き抜いておこう。

  第一章  明治初期の日本語事情
  第二章  万年の同世代人と教育制度
  第三章  日本語をどう書くか
  第四章  万年、学びのとき
  第五章  本を、あまねく全国へ
  第六章  言語が国を作る
  第七章  落語と言文一致
  第八章  日本語改良への第一歩
  第九章  国語会議
  第十章  文人たちの大論争
  第十一章 言文一致への道
  第十二章 教科書国定の困難
  第十三章 徴兵と日本語
  第十四章 緑雨の死と漱石の新しい文学
  第十五章 万年万歳 万年消沈
  第十六章 唱歌の誕生
  第十七章 万年のその後

先に書いた井上ひさしのシナリオのことは、この本の第一章と第十三章に引かれている。
とにかく著者の引用は「こまめ」であり、遺漏がない。
ネットを検索すると某氏が、この本には間違いが数十か所もあるから撤収せよ、とか「和辻哲郎賞」を辞退せよ、とか書かれているが、仮に間違いがあるとしても、再販などのときに訂正されるのが普通である。
ここには新村出の『広辞苑』が引き合いに出されているが、編集方針に異論の出るのは当たり前で、編集部はいちいち採り上げることはないのである。
私の友人の国語教師も異論を申しあげたと言っていたが、必要なものは後の版で修正されるのが普通である。
私の同級生で国語学者の玉村文郎は、いま「新村出記念財団」の代表理事を務めている。ここは広辞苑などから入る著作権料などを管理している。
その資金で公募で研究者に補助をしている。玉村君の前任は堀井令以知だった。堀井は私の住む村の出身である。それらのことは前にブログに書いた。
堀井の前任は金田一春彦だった。

周囲をぐるぐる回るばかりで本文に触れることは部分的にしか出来なかった。お許しを。
緻密な、ぶ厚い本を前にして、半ば茫然という心境である。


揉みあがる新茶の温み掌にとれば溢るる想ひ思慕のごとしも・・・木村草弥
P5020029-1-25f90.jpg

   揉みあがる新茶の温み掌(て)にとれば
     溢るる想ひ思慕のごとしも・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
半生を茶とともに過ごしてきた者として、今やたけなわの「新茶」シーズンを黙過することは出来ないので、今日は新茶のことを採り上げる。
写真①は製茶機から揉みあがって来たばかりの新茶である。
これは単なる植物の新芽というのではなく、飲料にする「茶」の元であるから、ここまで来るのに肥料をやったり害虫防除のために苦心したりと一年間の苦労が、
この新芽に凝縮しているのである。だから、掲出した歌のような「想い」になるわけである。
私の方の茶園は「玉露」「碾茶(抹茶原料の茶)」という高級な茶製造に特化してやってきたので、茶のうちで大半を占める「煎茶」製造とは違っているが、
製茶の過程そのものは一緒である。

watch-4茶の芽

写真②の上の方に黒い帯状のものが見えるが、これは「覆下園」といって高級茶を製造するために日光を遮断するものであり、
昔は「葦簾」の上に「菰」を敷き、稲藁をばら撒いていたが、今では化学繊維のクレモナという布を敷くように変っている。
この「日光遮断」というのは経験的な知恵として昔からやられてきたことなのだが、近年の研究で、こうすることによって茶の旨みである「テアニン」というアミノ酸系の化合物の含有が上がることが判ってきたのである。
こういう労働集約的な茶栽培は手間がかかる上に「玉露」というようなものは、世の中がせちがらくなって飲まれなくなり、今や茶の消費の主流は「煎茶」それも中級品以下のものに集中してしまった。その上にペットボトルに入った「緑茶ドリンク」の時代になってしまった。

watch-3茶園

写真③は大規模な煎茶園である。茶園の中に電柱のように立っているのは晩霜を防ぐための「防霜扇」というものである。
これは新茶時期に襲う晩霜を防ぐもので、その原理は冷気は地上の低いところにたまるが、地上5メートルくらいのところの空気は暖かいので、
その空気を地表に吹き付けて霜を防ごう、というものである。
詳しくはWikipedia─防霜ファンを参照されたい。

この頃では茶園栽培も機械化によって人手を省き、栽培面積を広げてコストを下げようとする規模拡大が進んでいる。
写真④のように茶園を跨ぐような「乗用型摘採機」が取り入れられてきた。

kabuse11乗用型摘採機

写真⑤に示すように、もっと大型の乗用型摘採機も導入されてきた。

p1_001_05乗用摘採機

世界的に茶というと「紅茶」のことだが、ロシアも紅茶を生産するが、ここはソ連の時代から茶栽培も大型の摘採機械を使ってきた。
(注・ロシア本体は寒帯なので茶の木は育たない。茶園のあるのはコーカサスと言われる地域─今のジョージアなどである。)
そのような趨勢が、日本でも緑茶生産に取り入れられてきたと言える。
いわゆる「トラクター」と称するものの一種である。
このくらいの機械になると乗用車などよりも遥かに高価なものだが、農作物の中では茶の価格は比較的に安定しているので、十分にペイすると思われる。

茶専門店にとって、先に書いたペットボトルの茶の普及が一番のガンなのである。
このペットボトルなどの「緑茶ドリンク」の流通は、茶専門店とは完全に別の販売ルートになっており、
自販機やスーパー、コンビニにメーカーから直接に流れるので、これが普及すればするほど茶専門店は苦境に陥る。
「緑茶ドリンク」が出回りはじめて、もう二十数年になるが、私は同じ歌集『嘉木』の中で「緑茶ドリンク」の題で詠んでおいたのでWebのHPでご覧いただける。

new_pro7a.gif

       緑茶ドリンク・・・・・・・・・・・・・木村草弥

  「おーい、お茶」缶ドリンクがごろりんと自販機の穴から出づる便利さ

  温めても冷たくしてもおいしおす緑茶ドリンクは春夏秋冬

  茶流彩々・爽健美茶・十六茶お茶専門店はあがつたりどす

  ビタミンC添加したれば酸化防止できると知りて茶ドリンク奔流

  ビタミンC添加の清涼感ありて若者は好む緑茶ドリンク

  勝敗は自動販売機の数で決まるルートセールスの車疾駆す

  流通の様変りして「茶葉」ならぬ「液体の茶」に苦しめられつ


のような歌を詠んでおいた。
この趨勢は年とともに強まり、今や緑茶ドリンクは日本茶流通の半分近くを占めるに至っている。
原料は、いずれも同じ茶葉であり、生産段階でドリンクパッカーが原料を多量に買い付けしようとするので、原料の奪い合いになり、ここでも専門店側は不利である。
茶業界にも、いろいろ悩みはあるのである。


copyright © 2020 Powered By FC2ブログ allrights reserved.