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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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山口謡司 『〈ひらがな〉の誕生』 『文豪の凄い語彙力』・・・木村草弥
ひらがな_NEW

ひらがな裏_NEW
 ↑ 「ひらがなの誕生」裏表紙

──新・読書ノート──

      山口謡司 『〈ひらがな〉の誕生』・・・・・・・・・・・・木村草弥
                   ・・・・・KADOKAWA文庫2016/05/14刊・・・・・・・・

まとめて買った本を出版年月順に紹介してきたが、今日は最後の二冊を採り上げる。
この本の要約として本の裏表紙を掲げておいた。
日本人が大陸渡来の「漢字」に触れて、それを記述語として使い始めたが、中国から借りた漢字を用いた「万葉かな」で言葉を記した。
また漢字を読むために「カタカナ」を編み出した。
しかし日本人の心を書き表すためには新しい文字が必要となってきた。それが「ひらがな」である。
掲出したカバー裏に、第一章~第四章のタイトルが読み取れるだろう。

第四章の最後のところに「日本語の1000年」という項目がある。そこには、こう書かれている。

<言葉は時代を反映する。 万葉仮名が使われていた時代には、中国を中心とした漢字文化圏の中で成長していこうとする逞しい精神が『万葉集』の歌の中に色濃く映る。
 しかし、唐という強大な求心力を持った王朝が滅ぶと同時に、繊細で女性的な世界が出現する。
 漢字では書き表すことが出来ない、それこそが〈ひらがな〉が支えた時代であった。
 ・・・・・『万葉集』の時代にあっては、柿本人麻呂、山上億良、大伴家持などは、漢字を駆使して、漢詩では表せない日本の心を歌い上げようとした。
 そして、万葉の時代の最後の幕引きをしたのが、菅原道真だった。
・・・・・道真が亡くなり、漢字漢学の世界が薄れていくことによって、和歌の世界の紀貫之などの男性歌人に続いて、小野小町などの女性歌人の時代に移っていく。
 紫式部の『源氏物語』、清少納言の『枕草子』などの登場も女性作家によるものだった。
・・・・・道真が生きていた頃から、それから1000年後のことというと、1900年前後、明治時代に当たる。日本語にとっても、その変化は、現代日本語の基礎となったときであった。・・・・・>

極めて不十分ながら、この本の紹介とする。

       
文豪_NEW

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 ↑ 『文豪の凄い語彙力』 裏表紙

       『文豪の凄い語彙力』・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・さくら舎刊2018/04/07初版2018/09/08九刷・・・・・・

いよいよ最後の本である。
上にも書いたように、この本は良く売れたもので、私が買ったのは九刷である。半年ほどの間に増刷されたのである。
この本は、今までのように専門的なことを、びっしり詰め込んだものではなく、「語彙」と「作家」ごとに四ベージに短くまとめて記述されている。
だから、とても読みやすい。「文献学」らしくなく、取っつきやすい、のである。
図版にも出したが、一例として「正岡子規」の項をみてみよう。

   薫風くんぷう  薫風とつづけて風の名となす  正岡子規

ただ夏の風というくらいの意に用いるものなれば「薫風」とつづけて一種の風の名となすにしかず。
けだし蕪村の炯眼は早くこれに注意したるものなるべし。    正岡子規『俳人蕪村』

これらの文章に続いて、二ページ目には「爽やかな初夏の風」として、白居易の『長恨歌』や菅原道真の「東風こち」のエピソードなどが書かれている。
三ページ目には「季節をあらわす風の言葉いろいろ」が紹介され、四ページ目には正岡子規の略歴が載っているという具合である。  
ここに、さりげなく与謝蕪村のことが書かれているが、中世から近世にかけて、和歌というなら「古今和歌集」、俳人と言えば「松尾芭蕉」が称揚された。
そういう風潮を打破して、歌ならば「万葉集」俳人ならば「蕪村」を採り上げたのが正岡子規の功績なのである。
因みに「俳句」と名付けたのも子規である。子規は伝来したばかりのベースボールに熱中し「野球」と名付けたのも彼である。

こんな風に63項目の「語彙」と「作家」が載っている。もう一つ「漱石」を採り上げてみよう。

   出立 しゅったつ   出立の日   夏目漱石

出立の日には朝から来て、色々世話をやいた。
来る途中小間物屋で買って来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れて呉れた。
                                       夏目漱石『坊ちゃん』

読み方次第でさまざまな意味に
「しゅったつ」 「いでたち」などの読みの違いなどに触れて、明治二十年、文部省は、尋常小学校の「読本」に「しゅつたつ」という読み方を定めた、という。

極めて雑駁な不十分の紹介ながら、このり辺で終りにする。
後日、何か書き加えることがあるかも知れない。



葉桜の翳る座敷に滴りの思ひをこらし利茶をふふむ・・・木村草弥
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   葉桜の翳(かげ)る座敷に滴りの
     思ひをこらし利茶(ききちゃ)をふふむ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


一昨日、新茶の審査のことを書いたので、その関連として、今日は「利茶」のことを書いてみる。
掲出の歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店刊)に載る歌である。
Web上のHPに収録した自選50首にも入っているので、アクセスしてもらえば、見ていただける。
「ふふむ」は「含む」の古い形の言葉である。

「利茶」とは、茶の審査と同じ意味だが、「ききちゃ」という言葉は古くから茶業界では使われて来たものである。
動詞にすると「茶を利(き)く」と言う。「利茶」の適当な写真がないので古い抹茶碗を出しておく。

茶の購入─仕入れに当っては神経を使うことは、一昨日書いた。
普通、茶の審査には事務所の一角に「拝見場」というものがあり、ここは幅3、4メートルぐらいで、前後左右みな黒色に塗った場所で、採光は天窓式になった天上のガラス窓からの一方的なものになっている。
審査対象の茶その他を載せる広い台も真っ黒で、見やすいように、腰をまっすぐに伸ばしてみる適当な高さになっている。
これは審査対象の茶を見誤らないように、余計な乱反射光を避けるための知恵である。
昨日も言ったが、こういうやり方は、イギリスの紅茶審査の「拝見場」と同じ構造になっているので、日本が近代になって、かの地の進んだやり方を取り入れたものと思われる。ガスこんろがあり、大薬缶に、しゅんしゅんと沸騰する湯をたぎらせ、精妙なグラム数を計れる秤で茶を計り、審査対象の茶10点20点を横に並べて、磁器の真っ白い審査茶碗に茶を入れ、熱湯を注いで、すぐに小さな網杓子で湯にひたる茶の葉を嗅ぎ、茶碗の中の「水色」を見、匙で掬って滲出液を口に含んで「味」をみる。熱湯で滲出したものだから、熱い。啜るようにして、バケツに吐き出す。何でも「比較」しなければ品質の優劣などは判らないから、必ず、複数の茶を審査する。この場合に「格見本」と言って、審査の基準になる茶が必要である。その「格見本」の茶と比較して、この茶は渋いとか、水色が悪いとか、製造段階での欠点(茶の芽の保管が悪くて「むれ香」がするとか、燃料の重油や薪の煙などが混入する「煙臭」がするとか)も、この「嗅ぐ」ことで瞬時に判定する。茶の製造時期は季語でいう「青嵐」の時で、風のために煙突からの逆流で作業場に煙が紛れ込むことがあるのである。茶は湿気や匂いを極めて吸収しやすい難しい商品である。
茶農家あるいは茶仲買業者が持ち込む見本を、こうしてシーズンには毎日、審査する。
会社によって、仕入れの審査日を限定しておくこともある。
この「仕入れ」関係の仕事を身につけるのに、最低10年はかかる。
売る方は原価がわかっていれば、一定の「口銭」を上乗せするだけだから、そんなに難しくないがーー。

掲出の歌の場面だが、通常、座敷で茶の審査をすることはないが、父が体調を崩して隠居所で長く静養していたので、その座敷で朝食までに鉄瓶一杯の湯を空っぽにしてしまうほど、茶好きだった。
父のように茶商としてたたき上げてきた人にとっては拝見場であろうと、座敷であろうと、茶の利茶を誤ることはなかった。
そんなことで、この歌の情景描写が生まれたと考えてもらっても、よい。情景的に、何となく絵になっているではないか。
同じ『茶の四季』から「野点」(のだて)と題する歌を引いておく。

      野点・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

  芝点(しばだて)の茶事の華やぎ思ひをり梅咲き初むる如月の丘

  毛氈に揃ふ双膝(もろひざ)肉づきて目に眩しかり春の野点は

  野遊びの緋の毛氈にかいま見し脛(はぎ)の白さよ無明のうつつ

  香に立ちて黒楽の碗に満ちてゐる蒼き茶の彩(いろ)わが腑を洗へ




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