FC2ブログ
K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
202005<<123456789101112131415161718192021222324252627282930>>202007
重たげなピアスの光る老いの耳<人を食った話>を聴きゐる・・・木村草弥
E880B3E38394E382A2E382B91.jpg

   重たげなピアスの光る老いの耳
     <人を食った話>を聴きゐる・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。
この歌の前には

   一つ得て二つ失ふわが脳(なづき)聞き耳たてても零すばかりぞ・・・・・・・・・・・木村草弥

というのが載っているので、一体として鑑賞してもらいたい。
この歌については私が兄事する米満英男氏が同人誌「かむとき」誌上に批評文を書いていただいた中で触れて下さった。
リンクにしたWebのHPでもご覧いただけるので読んでもらえば有難い。
敢えて、ここに書き抜いてみよう。

 <何とも言えぬユーモア、あるいは洒脱な語り口からくる、本音に近い発想の楽しさを湛えている作品を抜き出して みよう。・・・・・車内で見た<老婦人>であろう。
隣の老人の語る<人を食った話>、つまり人を馬鹿にした話を  じっと聴いている。そしてその話をまた作者自身も、思わず聴いてしまう>

というのである。場面設定については読者によって違っていて、よいのである。
米満氏の批評は、私がユーモアないしは皮肉を込めて描きたかったことを、ほぼ書いていただいたと思う。
この歌で私が表現したかったのは<人を食った話>というのが眼目である。
その米満氏も亡くなって寂しくなった。 ご冥福をお祈りしたい。

ピアスその他の装飾品を身にまとうのは古代の風習であった。
今でも未開な種族では、こういう装飾品をどっさりと身につける習俗が残っているが、文明世界でも、この頃は装飾品が大はやりである。
耳ピアスどころか、ボディピアスとか称して臍のところにピアスはするわ、鼻にするわ、脚にはアンクレットというペンダント様のものを付けるなど、ジャラジャラと身にまとっている。
中には、ヴァギナのクリトリスの突起にピアスをするようなのも見られる。
こんなものをしてセックスのクライマックスの時に支障がないのかと、余計な気をもんだりする始末である。

私の歌にも描写している通り、この頃では老人も耳ピアスなどは普通になってきた。
最初には違和感のあったものが、このように一般的になると、そういう気がしないのも「慣れ」であろうか。




フェロモンを振りまきながら華やぎて粧ひし君が我が前をゆく・・・木村草弥
androstanアルファ・アンドロスタンディオール

   フェロモンを振りまきながら華やぎて
     粧(よそほ)ひし君が我が前をゆく・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
この歌にいう「君」とは誰でもよいが、残念ながら私の妻のことではない。

フェロモンというのは、ファーブルの「昆虫記」にも登場する古くから知られる物質であって、昆虫などが雄とか雌を誘引するのに分泌するホルモンである。
今では害虫を駆除する農薬の代わりに、このホルモンが実用化されている。
茶の葉を害するチャカクモンホソガというのが居るが、この駆除にホルモンが開発され実用化されている。
農薬は人間にも害を及ぼすが、こういう生物農薬と言われるものは何らの害もないので有益である。
従来の学説では、人間には器官の退化によりフェロモン効果はないとされてきたが、最近の研究により、
人間にも、その器官の存在が認められため、ここ2、3年の間にフェロモンが急速に脚光を浴びてきた。
フェロモンは鼻の中にある「ジョビ器」という器官で感知するため、本来は匂いとは無関係の物質である。
写真①はヒトフェロモンと称される物質アルファ・アンドロスタンジオール誘導体の模式図である。

この頃では「フェロモン系女優」というような形容詞を使われるようになって来たが、実験の結果では、確かにヒトフェロモンは有効らしいが、人間は、もっと他の、たとえば映像とか視覚とかいうものに左右されることが多いので一筋縄ではゆかないものであろう。

img1007648379.jpg

写真②は、そういうフェロモン香料化粧品の宣伝に使われているものである。
これも、いわゆる「イメージ広告」である。実際の効果とは関係がない。
最近の研究成果を見ると、いろいろ興味ふかいことが載っている。

ナシヒメシンクイという害虫の小さな蛾の雄が出すフェロモンにエピジャスモン酸メチルMethyl epijasmonateというのがあるが、
これは面白いことに、香水の女王と呼ばれるジャスミン香の主要な香り成分でもある。
写真③は、そのフェロモンの模式図。
jasmone.gif

人間と蛾が同じ匂いに引きつけられるというのも興味ふかい話ではないか。

私の歌の関連で言うと、女の人に、いわゆる「フェロモン系」と言い得る人は確かに居る。
それがヒトフェロモンのせいばかりとは私は言わないが、そういう魅力たっぷりの人には男性を惹きつけるフェロモンのもろもろが濃厚に発散されているのだろう。
そんな意味で私がメロメロになった女性が(もちろん美貌である)我が前をゆくのであった。


古谷鏡子詩集『浜木綿』・・・木村草弥
浜木綿_NEW

──新・読書ノート──

      古谷鏡子詩集『浜木綿』・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・空とぶキリン社2020/06/10刊・・・・・・・・

この本が贈られてきた。私には未知の人であるが高階杞一氏の指示によるものだろう。
巻末に載る略歴などから書いておく。

古谷鏡子
東京都生まれ
東京女子大学日本文学科卒
日本現代詩人会員

著書
詩集
『声、青く青く』 花神社 1984年
『眠らない鳥』   〃   1991年
『発語の光景』   〃     2000年
評論集
『詩と小説のコスモロジィ─戦後を読む』 創樹社 1996年
『命ひとつが自由にて─川上小夜子の生涯』 影書房 2012年
『パウル・クレーへ─気ままな旅を』 沖積舎 2016年

この本の「あとがき」に
<たぶんこの本は、私にとって最後の詩集、というか、「詩のようなもの」の集成の最後の本になりましょう。
 ・・・・・「詩とは何か」という問いは、終始、私のなかにあり、その答えはまだ見えていません。
 ただ散文と異なって、論理を超えて遠くに飛ぶことができる、というのがいまの私にとって「詩のようなもの」の魅力なのかもしれない、と思っています。
 「言葉」 「そして」 「六分儀」 「きょうは詩人」という小さい雑誌ながら、詩歴の長い詩誌の友人たちの助けを受けて、ようやくここまで辿り着いたと、かれらに深く感謝しています。>

と書かれている。作者は謙虚な人であるらしい。
この後に続けて装幀の星野美智子さんのことが書かれて、日本におけるリトグラフ技法の第一人者だと謝意を表されている。

これらの記載から古谷氏は、かなりの詩歴と評論の書き手であるらしい。若くはないだろう。
以下、詩を見てみよう。

          街角     古谷鏡子

   街角。 まちかどという語のひびきが
   あなたを今ここから連れだそうとしている どこか遠いところ
   あなたの近辺に街角はない
   蔦草のからまった垣根 白い小花が咲きみだれ
   「あのコンビニの角を左にまがって」とひとがいう

         ・・・・・・・

   街角。 を探してあなたは古都にゆく 日常は捨てる
   林のなか きっちりと寺院の庭を仕切って瓦屋根の土塀がつづく
   土塀は直角にまがり くずれない 土に菜種油をまぜて築いたので
   少しずつ壁土の色は変化していると解説書にある 時空を超え
   その土塀の色の変りようをだれが見届けるというのだろう

   街角。 あなたにその答えはまだ見えてこない
-------------------------------------------------------------------------
巻頭の作品の抄出である。
詩頭と終わりとに「街角。」を置くなどの詩形を熟知した練達の作者、とみえる。
この本の題名が採られた作品を引いてみよう。

         浜木綿    古谷鏡子

   はまゆうの鉢があった

   ものごころついたころには あるときには
   日当たりのよい広縁に あるときは 小さな庭の片隅に
   家移りするたびに車に揺られ
   いつもはまゆうの鉢があった

         ・・・・・・・

   どのような所縁 どのような筋道をたどって
   そのひとのもとに届いたか もうだれも知らない
   だが
   そこにはいつもはまゆうの鉢があった

   古歌にいう
    み熊野の浦の浜ゆふ百重なす心は思へど直にあはぬかも
   よろづひとの葉のむかしからの到来品「浜ゆふ」
   そのひとのこころの行方を知るすべはない もはや

           ・・・・・・・・・

   散華という美名のもとに
   どれほど多くのひとが荒野にからだを曝したか
   重々しく桜花が垂れ 花びらの散りしくなか
   そのひとの死が帰ってくる 引きちぎられた

         ・・・・・・・・

   そこにはいつも浜木綿の鉢があった

---------------------------------------------------------------------------
コロナウイルスの跳梁で、人々は蟄居を強いられ、街は息を潜めていた。
そんな空気に浸るように、この本が届いた。
「練達」の詩人は騒がない。 ひたすらに静謐である。
そんな敬意と共に、この詩集を読み終わった。
「最後の詩集」などと言わずに、また佳い作品を見せて欲しい。
ご恵贈有難うございました。快い余韻の中に居ることをお伝えして鑑賞を終わる。       (完)



白菖蒲過去なくて人生きられず・・・稲垣きくの
img_203065_50018109_9白菖蒲

     白菖蒲過去なくて人生きられず・・・・・・・・・・・・・・稲垣きくの

「花菖蒲」はアヤメ科の多年草。「ノハナショウブ」の栽培変種で、観賞用に水辺・湿地に栽培され、品種が多い。
先日、カキツバタについて書いたところで、それらの違いについて触れておいた。
江戸時代から多数の品種が作られ、広く栽培されて、菖蒲園には愛好家がつめかけたという。
hanasyobu1429ss菖蒲田本命③

hanasyobu1418ss菖蒲田本命④

先日、カキツバタのことを載せたBLOGで、関連として菖蒲あやめのことを書いたところで、菖蒲は6月にならないと咲かないと言ったが、これは間違いで、
5月中旬からそろそろ咲き始めるということである。
菖蒲田が満開になり田一面が花で埋まるのが5月下旬から6月上旬にかけてのことである。
私の住む辺りでは豊富な地下水を利用して各種の花卉栽培が盛んだが、5月中旬には「菖蒲まつり」が開催され、来会者に花菖蒲3本づつがプレゼントとして配られるという。
掲出する写真はいずれも菖蒲あやめである。色や柄もいろいろのものがある。私などは、やはり紫色が好きだが、これは各人の好みだろう。
hanasyobu1468ss菖蒲田本命②

私より二つほど年長の花卉栽培専業農家の人が居て、先日の端午の節句には菖蒲をたくさん戴いた。
これは露地のものではなく、ビニールハウスによる促成栽培のものである。
栽培農家としては蕾のうちに出荷し、花屋ないしは消費者の手元についてから花が開くようにするのが普通であるので、
私の方に戴いたのも、もちろん蕾のものであった。花が開いてからは開花期は短く二日ほどで萎れてしまう。
こういう端午の節句の菖蒲とか、お盆の蓮の花とかいう、期日の決まったものは期日に合せて出荷しなくてはならず、それまで花を保存するために
「冷蔵庫」を設置するなど多くの投資が必要である。
一時的に花を切る必要があるので、その時は臨時に人を増やして雇うこともあり、なかなか端(はた)から見て羨むほど楽な仕事ではないらしい。
こういう一時的な需要の集中する花は、その日が過ぎると、とたんに花の相場は大きく下がるのである。
この辺に農家としても経営的な手腕が求められるのである。
hanash花菖蒲

俳句にもたくさん詠まれているが少し引いておきたい。

 夜蛙の声となりゆく菖蒲かな・・・・・・・・水原秋桜子

 花菖蒲ただしく水にうつりけり・・・・・・・・久保田万太郎

 花菖蒲紫紺まひるは音もなし・・・・・・・・中島斌雄

 雨どどと白し菖蒲の花びらに・・・・・・・・山口青邨

 菖蒲剪つて盗みめくなり夕日射・・・・・・・・石田波郷

 菖蒲見に淋しき夫婦行きにけり・・・・・・・・野村喜舟

 黄菖蒲の黄の映る水平らかに・・・・・・・・池内たけし

 花菖蒲ゆれかはし風去りにけり・・・・・・・・高野素十

 菖蒲髪して一人なる身の軽さ・・・・・・・・田畑美穂女

 京へつくまでに暮れけりあやめぐさ・・・・・・・・田中裕明

 花菖蒲水のおもてにこころ置く・・・・・・・・加納染人

 白菖蒲空よりも地の明るき日・・・・・・・・中村路子

 ほぐれそめ翳知りそめし白菖蒲・・・・・・・・林翔

 咲きそめて白は神慮の花菖蒲・・・・・・・・藤岡筑邨

 てぬぐひの如く大きく花菖蒲・・・・・・・・岸本尚毅

 花菖蒲どんどん剪つてくれにけり・・・・・・・・石田郷子

 菖蒲田のもの憂き花の高さかな・・・・・・・・糸屋和恵
-------------------------------------------------------------------
「菖蒲しょうぶ」と「あやめ」は厳密には区別されているらしい。
アヤメは野生のものを指し、菖蒲は栽培種を指すらしい。「属」が同じものか違うのか、などは判らない。一応お断りしておく。



「未来山脈」掲載作品2020/06「ロマネスク」・・・木村草弥    
光本_NEW

tournus_philibert001_2サン・フィリベール教会
↑ サン・フィリベール教会
tournus_philibert007_2ナルテックス
↑ナルテックス 
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


──「未来山脈」掲載作品──(30)

      「未来山脈」掲載作品「ロマネスク」・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・2020/06掲載・・・・・・・・

       ロマネスク      木 村 草 弥

   堂内は深い闇だった。先ず「ナルテックス」に入る

   玄関間とも洗礼者志願室とも訳される

   ここはディジョンとリヨンを結ぶ《黄金街道》の中間点

   トゥールニュというソーヌ川沿いのサン・フィリベール教会

   初期ロマネスクの名刹である。とりわけナルテックスと

   身廊の巨きな円柱が傑作とされている

   岩窟のように無骨な粗石造りの地下祭室(クリュプタ)も佳い

   この地で布教し殉教した聖ヴァレリアヌスを祀る祭室

   もとは地下の霊と交わろうとしたケルトの聖所だった

   紀元前、トゥールニュはケルトのアエドゥイ族の集落だった



栗咲くと森のいきものなまめける・・・能村登四郎
kuri2栗の雄花

     栗咲くと森のいきものなまめける・・・・・・・・・・・・・・・能村登四郎

栗の花が濃艶に匂う頃となった。
私の歌にも、こんなのがある。

     をとこにて栗の花咲く樹下にゐる鬱情の香の満つる真昼を・・・・・・・・・・木村草弥

この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。

「栗の花」というと少し説明が必要だろう。
栗の花は、ちょうど男性のスペルマの臭いと同じ香りを発する。だから栗の花というと、文学的には「精液」あるいは「性」の暗喩として使われることが多い。
栗の花が咲くのは梅雨前のむせかえるような時期で、男性のスペルマのような特有の青臭い臭いを甘たるくしたような臭いは、嗅いだ人でないと理解できないかも知れない。
だから、私の歌も、そういう「喩」を前提にした歌作りになっている。この歌の収録される項目の名が「フェロモン」というのから察してもらいたい。
掲出した能村登四郎の句も、同様な「喩」を含んでいるのである。

写真②は図鑑から拝借したものだが、雄花と雌花を一緒に見ることが出来る。字で説明してあるのでわかり易い。雌花の棘のようなものが、のちに栗のイガになる。
kuli2栗の花

栗咲くと面のすさぶ翁かな・・・・・・・・飯島晴子

栗咲く香血を喀く前もその後も・・・・・・・石田波郷

栗の花ふり乱すなり多佳子の忌・・・・・・・・平畑静塔

栗の花ねつとりと粥噴きこぼれ・・・・・・・・橋間石

まどろめばあの世の栗の花匂ふ・・・・・・・・滝春一

ここに引用した五つの句などは、掲出句とともに、先に書いた「栗の花」の意味する「喩」のイメージで作られていることは、間違いない。
このような「イメージ」「喩」については西欧文学でも同じことであって、向うでは、もっと徹底していて、それらを「イメージ小辞典」として一冊の本にまとめられていたりする。

以下、栗の花を詠んだ句を引いて終わる。

 栗の花脚の長さは尚ほ仔馬・・・・・・・・中村草田男

 栗咲けりピストル型の犬の陰(ほと)・・・・・・・・西東三鬼

 ゴルゴダの曇りの如し栗の花・・・・・・・・平畑静塔

 赤ん坊に少年の相栗の花・・・・・・・・沢木欣一

 花栗のちからかぎりに夜もにほふ・・・・・・・・飯田龍太

 栗の花匂ふとき死はみにくいもの・・・・・・・・桂信子

 栗咲く香この青空に隙間欲し・・・・・・・・鷲谷七菜子

 中年や栗の花咲く下を過ぐ・・・・・・・・神蔵器

 栗の花より栗の実がうまれけり・・・・・・・・平井照敏

 父いまもゴッホを愛し栗の花・・・・・・・・皆吉司

 老人に花栗の香の厚みかな・・・・・・・・橋本郁子



copyright © 2020 Powered By FC2ブログ allrights reserved.