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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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古谷鏡子詩集『浜木綿』・・・木村草弥
浜木綿_NEW

──新・読書ノート──

      古谷鏡子詩集『浜木綿』・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・空とぶキリン社2020/06/10刊・・・・・・・・

この本が贈られてきた。私には未知の人であるが高階杞一氏の指示によるものだろう。
巻末に載る略歴などから書いておく。

古谷鏡子
東京都生まれ
東京女子大学日本文学科卒
日本現代詩人会員

著書
詩集
『声、青く青く』 花神社 1984年
『眠らない鳥』   〃   1991年
『発語の光景』   〃     2000年
評論集
『詩と小説のコスモロジィ─戦後を読む』 創樹社 1996年
『命ひとつが自由にて─川上小夜子の生涯』 影書房 2012年
『パウル・クレーへ─気ままな旅を』 沖積舎 2016年

この本の「あとがき」に
<たぶんこの本は、私にとって最後の詩集、というか、「詩のようなもの」の集成の最後の本になりましょう。
 ・・・・・「詩とは何か」という問いは、終始、私のなかにあり、その答えはまだ見えていません。
 ただ散文と異なって、論理を超えて遠くに飛ぶことができる、というのがいまの私にとって「詩のようなもの」の魅力なのかもしれない、と思っています。
 「言葉」 「そして」 「六分儀」 「きょうは詩人」という小さい雑誌ながら、詩歴の長い詩誌の友人たちの助けを受けて、ようやくここまで辿り着いたと、かれらに深く感謝しています。>

と書かれている。作者は謙虚な人であるらしい。
この後に続けて装幀の星野美智子さんのことが書かれて、日本におけるリトグラフ技法の第一人者だと謝意を表されている。

これらの記載から古谷氏は、かなりの詩歴と評論の書き手であるらしい。若くはないだろう。
以下、詩を見てみよう。

          街角     古谷鏡子

   街角。 まちかどという語のひびきが
   あなたを今ここから連れだそうとしている どこか遠いところ
   あなたの近辺に街角はない
   蔦草のからまった垣根 白い小花が咲きみだれ
   「あのコンビニの角を左にまがって」とひとがいう

         ・・・・・・・

   街角。 を探してあなたは古都にゆく 日常は捨てる
   林のなか きっちりと寺院の庭を仕切って瓦屋根の土塀がつづく
   土塀は直角にまがり くずれない 土に菜種油をまぜて築いたので
   少しずつ壁土の色は変化していると解説書にある 時空を超え
   その土塀の色の変りようをだれが見届けるというのだろう

   街角。 あなたにその答えはまだ見えてこない
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巻頭の作品の抄出である。
詩頭と終わりとに「街角。」を置くなどの詩形を熟知した練達の作者、とみえる。
この本の題名が採られた作品を引いてみよう。

         浜木綿    古谷鏡子

   はまゆうの鉢があった

   ものごころついたころには あるときには
   日当たりのよい広縁に あるときは 小さな庭の片隅に
   家移りするたびに車に揺られ
   いつもはまゆうの鉢があった

         ・・・・・・・

   どのような所縁 どのような筋道をたどって
   そのひとのもとに届いたか もうだれも知らない
   だが
   そこにはいつもはまゆうの鉢があった

   古歌にいう
    み熊野の浦の浜ゆふ百重なす心は思へど直にあはぬかも
   よろづひとの葉のむかしからの到来品「浜ゆふ」
   そのひとのこころの行方を知るすべはない もはや

           ・・・・・・・・・

   散華という美名のもとに
   どれほど多くのひとが荒野にからだを曝したか
   重々しく桜花が垂れ 花びらの散りしくなか
   そのひとの死が帰ってくる 引きちぎられた

         ・・・・・・・・

   そこにはいつも浜木綿の鉢があった

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コロナウイルスの跳梁で、人々は蟄居を強いられ、街は息を潜めていた。
そんな空気に浸るように、この本が届いた。
「練達」の詩人は騒がない。 ひたすらに静謐である。
そんな敬意と共に、この詩集を読み終わった。
「最後の詩集」などと言わずに、また佳い作品を見せて欲しい。
ご恵贈有難うございました。快い余韻の中に居ることをお伝えして鑑賞を終わる。       (完)



白菖蒲過去なくて人生きられず・・・稲垣きくの
img_203065_50018109_9白菖蒲

     白菖蒲過去なくて人生きられず・・・・・・・・・・・・・・稲垣きくの

「花菖蒲」はアヤメ科の多年草。「ノハナショウブ」の栽培変種で、観賞用に水辺・湿地に栽培され、品種が多い。
先日、カキツバタについて書いたところで、それらの違いについて触れておいた。
江戸時代から多数の品種が作られ、広く栽培されて、菖蒲園には愛好家がつめかけたという。
hanasyobu1429ss菖蒲田本命③

hanasyobu1418ss菖蒲田本命④

先日、カキツバタのことを載せたBLOGで、関連として菖蒲あやめのことを書いたところで、菖蒲は6月にならないと咲かないと言ったが、これは間違いで、
5月中旬からそろそろ咲き始めるということである。
菖蒲田が満開になり田一面が花で埋まるのが5月下旬から6月上旬にかけてのことである。
私の住む辺りでは豊富な地下水を利用して各種の花卉栽培が盛んだが、5月中旬には「菖蒲まつり」が開催され、来会者に花菖蒲3本づつがプレゼントとして配られるという。
掲出する写真はいずれも菖蒲あやめである。色や柄もいろいろのものがある。私などは、やはり紫色が好きだが、これは各人の好みだろう。
hanasyobu1468ss菖蒲田本命②

私より二つほど年長の花卉栽培専業農家の人が居て、先日の端午の節句には菖蒲をたくさん戴いた。
これは露地のものではなく、ビニールハウスによる促成栽培のものである。
栽培農家としては蕾のうちに出荷し、花屋ないしは消費者の手元についてから花が開くようにするのが普通であるので、
私の方に戴いたのも、もちろん蕾のものであった。花が開いてからは開花期は短く二日ほどで萎れてしまう。
こういう端午の節句の菖蒲とか、お盆の蓮の花とかいう、期日の決まったものは期日に合せて出荷しなくてはならず、それまで花を保存するために
「冷蔵庫」を設置するなど多くの投資が必要である。
一時的に花を切る必要があるので、その時は臨時に人を増やして雇うこともあり、なかなか端(はた)から見て羨むほど楽な仕事ではないらしい。
こういう一時的な需要の集中する花は、その日が過ぎると、とたんに花の相場は大きく下がるのである。
この辺に農家としても経営的な手腕が求められるのである。
hanash花菖蒲

俳句にもたくさん詠まれているが少し引いておきたい。

 夜蛙の声となりゆく菖蒲かな・・・・・・・・水原秋桜子

 花菖蒲ただしく水にうつりけり・・・・・・・・久保田万太郎

 花菖蒲紫紺まひるは音もなし・・・・・・・・中島斌雄

 雨どどと白し菖蒲の花びらに・・・・・・・・山口青邨

 菖蒲剪つて盗みめくなり夕日射・・・・・・・・石田波郷

 菖蒲見に淋しき夫婦行きにけり・・・・・・・・野村喜舟

 黄菖蒲の黄の映る水平らかに・・・・・・・・池内たけし

 花菖蒲ゆれかはし風去りにけり・・・・・・・・高野素十

 菖蒲髪して一人なる身の軽さ・・・・・・・・田畑美穂女

 京へつくまでに暮れけりあやめぐさ・・・・・・・・田中裕明

 花菖蒲水のおもてにこころ置く・・・・・・・・加納染人

 白菖蒲空よりも地の明るき日・・・・・・・・中村路子

 ほぐれそめ翳知りそめし白菖蒲・・・・・・・・林翔

 咲きそめて白は神慮の花菖蒲・・・・・・・・藤岡筑邨

 てぬぐひの如く大きく花菖蒲・・・・・・・・岸本尚毅

 花菖蒲どんどん剪つてくれにけり・・・・・・・・石田郷子

 菖蒲田のもの憂き花の高さかな・・・・・・・・糸屋和恵
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「菖蒲しょうぶ」と「あやめ」は厳密には区別されているらしい。
アヤメは野生のものを指し、菖蒲は栽培種を指すらしい。「属」が同じものか違うのか、などは判らない。一応お断りしておく。



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