FC2ブログ
K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
202005<<123456789101112131415161718192021222324252627282930>>202007
踏まれながら花咲かせたり大葉子もやることはやつてゐるではないか・・・安立スハル
oobako04大葉子

   踏まれながら花咲かせたり大葉子(おほばこ)も
     やることはやつてゐるではないか・・・・・・・・・・・・・・・・安立スハル


安立さんは私を短歌の道に引き入れてくれた恩人である。宮柊二創立の有力な短歌結社「コスモス」の幹部であられた。
この歌のように歌の作り方も独自の詠み方をする人で自在な心情の持ち主であったが、先年亡くなられた。

オオバコあるいはオンバコともいうが、この歌のように踏まれるような路傍に生える雑草で、花の終わったあとの茎を双方からからませて草相撲をしたものだった。

oobako05オオバコ花

写真②はオオハゴの穂と花である。
私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に

  おんばこの穂を引抜きて草角力(すまふ)したるもむかし夕露しとど・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

という歌があるが、子供の頃は、こうして遊んだものであった。昔の遊びは素朴で単純なものであった。
この草は「車前草」とも書かれる。この命名の由来は往来の踏まれるような所にもかまわず生える強い草であるからだろう。
この草を詠んだ句は多くはないが、それを引いて終わりたい。

 車前草に蹄痕ふかし五稜郭・・・・・・・・富安風生

 おほばこの花の影あり草の上・・・・・・・・星野立子

 湖畔にて車前草の露滂沱たり・・・・・・・・富安風生

 近ぢかと路よけあふや車前草鳴る・・・・・・・中村草田男

 話しつつおほばこの葉をふんでゆく・・・・・・・・星野立子

 車前草に夕つゆ早き森を出し・・・・・・・・室生とみ子

 踏まれつつ車前草花を了りけり・・・・・・・・勝又一透

 車前草の葉裏くぐりに蛇去りぬ・・・・・・・・青木可笑

 車前草の花かかげたり深轍・・・・・・・・高木良多

 車前草の花引抜きて草角力・・・・・・・・大崎幸虹
----------------------------------------------------------------------------
安立スハルが自歌集『この梅生ずべし』の「あとがき」で、こんなことを書いている。 以下引用。

『歌集名「この梅生ずべし」は源義朝の言葉です。私の家にこんな記録が残されて居ります。
 平治の乱に敗れた源義朝が、再挙を計ろうとして京都を脱し東国に赴く途中、美濃の国の五郎右衛門という百姓の家に、しばらく身を匿したことがありました。平氏の追求があまりに手きびしかったからです。五郎右衛門はその家にしばらく義朝をかくまいながら懇に面倒をみたのですが、やがて追手の勢いも衰えたので、義朝はふたたび東国を指して出立することとなりました。
 出立の日に義朝は、虎口の難を逃れ得たことを謝し、五郎右衛門に一振の刀を与えて、「源氏が世に栄えるときがきたら、この刀を持参せよ、必ず恩賞をとらすであろう。今は追ってくる敵もなく、安心してこの地を立つことが出来る。これを祝して『安立(あんりゅう)』を其方の苗字とし、以後安立五郎右衛門と名のるように」と云い残しました。
 義朝は更に安立家の紋所も考案しました。義朝は食事のとき、佩刀の笄を箸の代用としたのですが、茶碗の上に笄を置いた形を安立家の紋所とすればよいといって、「丸に笄の行違い」という風変わりな紋所を考案したのです。
 その日の膳には梅干しが添えてあったのですが、義朝は殊のほかこれを悦んで食べ、「この梅生ずべし」と言いながらその梅干しの種を庭に投げました。「この梅生ずべし」とは、源家の再興を念じていた義朝が、その希求をこめて云った言葉かと思います。義朝の立ち去ったのち、不思議なことに、この梅干の種が芽を出し、やがて枝を伸ばし、的樂たる花を咲かせたのです。安立家ではこれを有難がって家木とし、極めて鄭重に扱いました。その木の寿命が尽きて枯れてしまうと、今度は幹を切り取って家の中に持ちこみ、「古木さま(こぼくさま)」と称して子々孫々に伝えました。この古木さまなるものは、私も名古屋の本家の仏間で見たことがありますが、昭和二十年に戦災で焼失しました。
 安立五郎右衛門には娘がひとり居りましたが、義朝の去ったあと、この娘に義朝の子が生まれました。女の子だったそうですが、その子が長じたとき、これに養子を迎えてあとを嗣がせたところ、また女の子が生れ、その女の子にも女の子が生れるというふうに、しばらくは女子を通じて家系がつづいたとかいうことです。』
引用終り:筑摩書房編輯 「この梅生ずべし」『現代短歌全集 第十五巻』筑摩書房、1981年、136P以下


copyright © 2020 Powered By FC2ブログ allrights reserved.