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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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深爪を剪りし疼きや花石榴・・・鈴木真砂女
zakuro2石榴花

zakuro8.jpg

    深爪を剪りし疼きや花石榴・・・・・・・・・・・・・・鈴木真砂女

私の歌にも

  梅雨空にくれなゐ燃ゆる花ありて風が点せる石榴と知りぬ・・・・・・・・木村草弥

という私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものがである。

ザクロは3メートルほどの高さになる落葉樹で、細長い艶のある葉が対生している。梅雨の頃に赤橙色の六弁の花が咲く。肉の厚い筒型の赤い萼がある。

zakuro5石榴落花

写真②が落花である。先に書いたように厚い筒型のガクであるのがお分かりいただける。
八重咲きや白、薄紅、紅絞りなど色々あるらしい。
中国から古くに渡来してきたもので、花卉として育てられてきたが、原産地はペルシアだという。
梅雨の頃に咲く印象的な美しい花である。
ザクロと言えば、花よりも「実」が知られているが、実は徳川時代から食べるようになったという。
ザクロは種が多いことから、アジアでは子孫繁栄、豊穣のシンボルとされてきた。
実を煎じた汁でうがいをすると扁桃腺炎にいいと言われる。

zakuro3石榴実

zakuro9.jpg

写真③④がザクロの実である。この中には朱色の外種皮に包まれた種がぎっしりと入っている。
種は小さく外種皮を齧るように食べるのだが、甘酸っぱい果汁を含んだものである。果皮は薬用になる。
実が熟してくると実の口が裂けて種が露出するようになる。実が熟するのは8、9月の頃である。

以下、歳時記に載る石榴の花を詠んだ句を引いて終わる。
花は夏の季語だが、実は秋の季語である。

 花柘榴また黒揚羽放ち居し・・・・・・・・中村汀女

 花柘榴病顔佳しと言はれをり・・・・・・・・村山古郷

 ざくろ咲き織る深窓を裏におく・・・・・・・・平畑静塔

 妻の筆ますらをぶりや花柘榴・・・・・・・・沢木欣一

 花柘榴の花の点鐘恵山寺・・・・・・・・金子兜太

 掃いてきて石榴の花が目の前に・・・・・・・・波多野爽波

 花石榴階洗はれて鬼子母神・・・・・・・・松崎鉄之介

 花石榴子を生さで愛づ般若面・・・・・・・・鍵和田柚子

 妻の居ぬ一日永し花石榴・・・・・・・・辻田克巳

 黄檗の寺の駄犬や花ざくろ・・・・・・・・阿片瓢郎



向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ・・・前田夕暮
23ひまわり②

     向日葵(ひまはり)は金の油を身にあびて
        ゆらりと高し日のちひささよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・前田夕暮


前田夕暮は明治44年「詩歌」を創刊、自然主義短歌を唱えて若山牧水と共に、明治末期歌壇に一時代を画したが、
大正に入るや一転、この歌のように対象のもつ生命感を鮮やかに描くことに力を傾けるようになる。
「金の油を身にあびて」には、太陽さえも小さく見えるほどの盛んな向日葵の花への讃歌がある。
この歌の「ゆらり」の個所には傍点が打たれている。
昭和3年休止していた「詩歌」を復刊し、新感覚派風の口語自由律短歌を提唱、たとえば
  「冬が来た。白い樹樹の光を体のうちに蓄積しておいて、夜ふかく眠る」
のような方法で歌を詠んだ。
戦時下に定型歌に復帰、平明で好日的な歌風を貫いたが、振幅の大きい作歌生涯を送ったと言える。
昭和26年没。
この歌は大正3年刊『生くる日に』所載。以下、夕暮の歌を少し引く。
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秋の朝卓の上なる食器(うつは)らにうすら冷たき悲しみぞ這ふ

君ねむるあはれ女の魂のなげいだされしうつくしさかな

木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな

初夏の雨にぬれたるわが家の白き名札のさびしかりけり

夕日のなかに着物ぬぎゐる蜑(あま)乙女海にむかひてまはだかとなる

自然がずんずん体のなかを通過する──山、山、山

野は青い一枚の木皿──吾等を中心にして遥かにあかるく廻転する

戦ひに敗れてここに日をへたりはじめて大き欠伸をなしぬ

チモールに病めるわが子を嘆かへる吾ならなくに坂道くだる

ともしびをかかげてみもる人々の瞳はそそげわが死に顔に

一枚の木の葉のやうに新しきさむしろにおくわが亡骸は

枕べに一羽のしとど鳴かしめて草に臥(こ)やれりわが生けるがに

雪の上に春の木の花散り匂ふすがしさにあらむわが死顔は
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6首目7首目の歌は自由律短歌の時期のもの。
終りから4首の歌は最晩年のもので、自分の「死に顔」を詠むという特異なものである。
掲出した歌と3首目の歌は夕暮の代表作として、よく引用されるものである。
いまは多磨霊園に眠っている。
ネット上から記事と写真を載せておく。
maedayuugure前田夕暮墓

本名・前田洋造 (1883-1951・明治16年-昭和26年)
昭和26年4月20日歿 69歳 (青天院静観夕暮居士) 多磨霊園
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魂よいづくへ行くや見のこししうら若き日の夢に別れて

木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな

若竹は皐月の家をうらわかき悲しみをもてかこみぬるかな (収 穫)

沈思よりふと身をおこせば海の如く動揺すなり、入日の赤さ

ムンヒの「臨終の部屋」をおもひいでいねなむとして夜の風をきく

向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちいささよ

我がこころの故郷つひにいづかたぞ彼の落日よ裂けよとおもふ (生くる日に)

蜜蜂のうなりうづまく日のもとをひっそりとしてわがよぎりたり

ひたむきに空のふかみになきのぼる雲雀をきけば生くることかなし (原生林)
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昭和26年、前年よりの仰臥生活が続くなか、1月には主治医が急逝し「自然療法」に入った。
死期を感じた夕暮は遺詠「雪の上に春の木の花散り匂ふすがしさにあらむわが死顔は」他を遺し、4月20日午前11時30分東京・荻窪の自宅「青樫草舎」で死を迎えた。
自らの死をも清々しく客観的に歌った彼の自我意識は最後まで醒めていた。
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ゴーギャン・ゴッホなど印象派からの強烈な刺激をうけ、外光や色彩に多くの影響がみうけられる彼の歌は、数回に及ぶ作風転換にもかかわらず一貫してみずみずしく清新なものであった。いまその塋域に立つと、赤や黄や白い供花の間から碑面を光らせている主の清らかさが偲ばれる。

「空遥かにいつか夜あけた木の花しろしろ咲きみちてゐた朝が来た」



とうすみはとぶよりとまること多き・・・富安風生
ookawaオオカワトンボ

      とうすみはとぶよりとまること多き・・・・・・・・・・・・・・・・富安風生

生れたばかりの蜻蛉が、まだ飛び立つには不安な姿を、じっと水辺の草にとめている。その辺りでは、水草が川水に揺られてなびいているのだった。
「トウスミトンボ」は水辺に居る蜻蛉で、この句はそんな生態をよく捉えている。
季語としては「蜻蛉生る」が夏の季語であり、単なる「蜻蛉」は秋の季語であることに注意したい。
蜻蛉は春から成虫が飛びはじめるが、秋になるとアキアカネ(アカトンボ)など大量に集団で群れて飛ぶのが、よく人目につくので、蜻蛉は秋の季語とされたのだろう。
蜻蛉の種類もたくさんあるが、掲出の写真のものは「オオカワトンボ」という。主に水辺を棲息域とする飛翔力の弱い蜻蛉である。
アキアカネやオニヤンマなどの種類は、かなりの距離を楽に移動する。
なお蛇足だが、トンボには羽根を広げて止まるのと、羽根を閉じて止まる、の二種類がある。
カワトンボの種類は写真のように羽根を閉じて止まる。アキアカネなどは羽根を広げて止まる。

私の敬愛するTokira氏の記事によると、最近では「オオカワトンボ」の呼称を「ニホンカワトンボ」と統一されたという。
詳しくは「日本産トンボ標本箱」を参照されたい。

以下、歳時記に載る「蜻蛉生る」の句を少し引く。
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 蜻蛉生れ覚めざる脚を動かしぬ・・・・・・・・・・・・中村汀女

 蜻蛉うまれ緑眼煌とすぎゆけり・・・・・・・・・・・・水原秋桜子 

 藺を伝ひ生るる蜻蛉に水鏡・・・・・・・・・・・・松本たかし

 草渡る風の蜻蛉を生みにけり・・・・・・・・・・・・龍橙風子

 蜻蛉生れてくらくらと水の上・・・・・・・・・・・・山上樹実雄

 水底より生れて蜻蛉みづいろに・・・・・・・・・・・・堀好子

 蜻蛉生れ雷迫る野を漂へり・・・・・・・・・・・・・中井眸史

 沢瀉に泉の蜻蛉生れけり・・・・・・・・・・・・根岸善雄

 糸とんぼ生れし歓喜水去らず・・・・・・・・・・・・勝部仇名草

 糸蜻蛉尾の先藍にして瀟洒・・・・・・・・・・・・福田蓼汀

 蜻蛉生(あ)れ水草水になびきけり・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

 萍(うきくさ)の動くがままに糸とんぼ・・・・・・・・・・・・八重九皐

 糸とんぼ可憐に交みさまよひ出る・・・・・・・・・・・・鈴木石夫

 糸とんぼ骨身けづりし彩なせり・・・・・・・・・・・・新谷ひろし

 流れゆくものに止まりて糸蜻蛉・・・・・・・・・・・・遠山りん子

 おはぐろや旅人めきて憩らへば・・・・・・・・・・・・中村汀女

 川蜻蛉木深き水のいそぎをり・・・・・・・・・・・・・能村登四郎

 ひたひたと水漬く板橋川とんぼ・・・・・・・・・・・・逸見嘉子


全長のさだまりて蛇すすむなり・・・山口誓子
sw-1upシマヘビ

  全長のさだまりて蛇すすむなり・・・・・・・・・・・・・・・・山口誓子

この句は山口誓子の昭和24年、50代に入る頃の作品である。
蛇は身をくねらせて前に進むが、その動く姿の中から「全長のさだまりて」という見どころを把握したところに、この句の非凡さがある。
それは、ここにおのずと表白された誓子壮年期の人生上の覚悟が感じられるからである。
この句を読む人は、あるいは一瞬、とまどうかも知れない。
しかし、じっと見つめるならば、蛇の一刻たりとも停止することのない全身運動が、全体としては見事に、かつ、いやおうなしに
「全長のさだまりて」進む運動なのだという発見に、深い意味を見出して、心を打たれるのではなかろうか。
昭和30年刊『和服』所載。

日本に棲む蛇にも無毒、有毒いろいろの種類がいるが、掲出の写真は「シマヘビ」という普通に棲息する無毒の蛇の図鑑に載るものである。
アオダイショウという蛇も一般的だが、蛇の写真というのは難しいもので、ほぼ保護色になっているから、
自然の中で撮った写真は、周りの植物などに紛れて写真的には、うまくない。やむなく図鑑から拝借した。
日本にいる蛇のうち、有毒のものはマムシ、ヤマカガシ、沖縄のハブなどである。
私の住む田舎などでは、マムシは普通に見られる蛇で、丁度いま頃がマムシの繁殖期で、草叢などに不用意に手などを入れると、噛まれたりする。マムシに関しては医院や保健所などに血清が常備されており、手当てが早ければ死ぬことはない。
マムシを捕まえるときは、首ねっこを押さえ、毒を持つ牙を折り取り、皮を剥いで、軒下などに吊るしてあった。これを焼酎に漬けると、いいマムシ酒になる。
みんな蛇を怖がるが、蛇は「巳(み)ーさん」と呼ばれて丁重に保護されて来た。
私の旧宅には大きな岩塊が庭にあり、その岩と土との間の隙間に大きなシマヘビが「主(ぬし)」として棲息していた。
毎年、巣をかけるツバメが大きくなると蛇が出てきて呑み込んでしまう事故などもあったが、蛇は「利殖」の神様として崇敬されていたので、駆除されることなく大切にされて来た。
蛇は大きくなるために「脱皮」するが、その抜け殻は財布などに入れて利殖のお守りにされた。
私の子供の頃は家ネズミなどもたくさん居たので、夜寝ていると、そういうネズミを求めて蛇が天井裏を、ずーずーと這う音がしたものである。
無毒の蛇は人間には、むしろ有益な動物であったと言えるだろう。
私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に

    春を挿す・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

 蛇(くちなは)はおのが脱皮を見せざりき蒼ざめし肌をまたその艶を

 巳(みー)さまは利殖の神のお使者ぞい粗末にすまじ石ぶつけまい


のような歌を作って載せた。この一連には、もっと多くの蛇の歌があったが、歌の数が多くなりすぎるので、この二首のみを収録した。
ただし『茶の四季』自選のなかには入っていないので、Web上では、ご覧いただけない。
ここに収録漏れの一連の歌を第二歌集『嘉木』(角川書店)に載せたので下記する。

 黐(もち)が枝に結はれし尻尾そのままに蛇の殻あり 奔り去る翳(かげ)・・・・・木村草弥

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歳時記に載る蛇の句を少し引いて終りにする。

 蛇逃げて我を見し眼の草に残る・・・・・・・・・・・・高浜虚子

 蛇の眼にさざなみだちて風の縞・・・・・・・・・・・・松林朝蒼

 水ゆれて鳳凰堂へ蛇の首・・・・・・・・・・・・阿波野青畝

 蛇去って戸口をおそふ野の夕日・・・・・・・・・・・・吉田鴻司

 蛇の衣傍にあり憩ひけり・・・・・・・・・・・・高浜虚子

 袈裟がけに花魁草に蛇の衣・・・・・・・・・・・・富安風生

 老斑の手にいま脱ぎし蛇の衣・・・・・・・・・・・・山口草堂

 蛇の衣いま脱ぎ捨てし温もりよ・・・・・・・・・・・・秋山卓三

 胞衣塚の草にまぎれて蛇の衣・・・・・・・・・・・・・大場美夜子


「未来山脈」掲載作品2020/07「最後の審判」・・・木村草弥    
未来_NEW

800px-Conques_doorway_carving_2003_IMG_6330コンクのサント・フォア聖堂のティンパヌム(タンパン)
 ↑ コンクのサント・フォア聖堂のティンパヌム(タンパン)

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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──「未来山脈」掲載作品──(31)
     
          「最後の審判」・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・・・2020/07掲載・・・・・・・

      最後の審判      木 村 草 弥

   フランス、コンクのサント・フォア教会の「タンパン」

   タンパンとは教会の扉の上部の半円形のアーチ部分

   キリストの上げた右手に神の国、

   下げた左手に地獄の有様が彫られている

   十二世紀初めから一一三〇年頃の作品である

   シトー会の聖ベルナールは先立つクリュニー会の華美さを嫌った
   
   イエス・キリストの清貧な生活に帰れ、ということである

   だが、そのシトー会にしてからが讃美歌合唱に血道をあげていた

   ロマネスクの時代は「ヨハネ黙示録」の時代と言われる

   『新約聖書』の最後を飾る歴史物語が定着していった

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ヨーロッパの「中世」を語ることは、なかなか難しい。ヨーロッパの周縁部からの蛮族─異教徒が何波にもわたって侵入し、大混乱に陥っていた。
当然、キリスト教界も混乱を極め、「終末思想」が支配した。
「最後の審判」というのがささやかれた。
蛮族の襲来を何とか乗り切った後は、また別の精神世界が展開するが、それは、また別の機会に。



三井修エッセイ集『雪降る国から砂降る国へ』・・・木村草弥
三井_NEW

──三井修の本──(7)

     三井修エッセイ集『雪降る国から砂降る国へ』・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・青磁社2020/06/26刊・・・・・・・・

いつもお世話になっている三井修氏が、今まであちこちに発表された文章をまとめて、初エッセイ集を出された。
恵贈されてきたので、さっそく読んでみた。300ページに及ぶ大部の本である。
エッセイは面白くて、読み出したら途中で止められない。
装幀は千種創一君の本『千夜曳獏』と同じ濱崎実幸で、独特の面白いものになっている。
カバーの紙の裏面は柄の模様刷りになっていて、それを半分、折り返して、図版に見られるような体裁になっているのである。
濱崎実幸氏は有名な装幀家らしく注目されている。
私も2004年からブログを書いているが、言わば詩歌句にまつわる「エッセイ」のようなものである。
だから機会があれば、その中から選んで一冊の本にして上梓したい気持は前から抱いている。
そんな意味から、大変参考になった。

目次を見てみよう。
故里のこと
しただみ
父のこと
能登の熊
能登の少年
父の短歌
わたしの原風景

故里の歌人たち
自然詠の復活に向けて 坪野哲久の歌に思うこと
哲久の父
・・・・・
大野誠夫と津川洋三
風土の歌人 岡部文夫
富山における木俣修  風土と時代と人生
信仰と科学  津川洋三の場合
雪の歌人  岡部文夫
・・・・・
坪野哲久と島木赤彦
岡部文夫歌集『雪天』

アラビア語圏で
自然体で
・・・・・
中東の小さな島で一人詠む─ バハレーン歌日記
・・・・・
短歌に「アラブの春」
雪降る国から砂降る国へ
アラビアを垣間見た二人
鹹き水
・・・・・

歌人論
田中栄さんのこと
「その時七十歳」
永田和宏の母の歌
光の歌人
華麗なる文学的転変
宮柊二の後記歌集における韻律性──リフレイン、対句表現の多用
高安國世
高安國世の創作語
死を見つめた歌人  青井 史
釈迢空の墓
折口春洋の歌
「あな」考  葛原妙子作品を中心に
ヨルダン河の彼方
「アララギ」転機の歌集
牛飼いの歌
左千夫の連作論
開会宣言
「私にとっての方代とは・・・・・親戚のオジサン」
水野昌雄の叙情性について

多く引きすぎたかも知れない。
出典が明示されていないので分からないが、北陸中日新聞の歌壇の選者などもなさっているので、あちらの新聞に載せられたものかも知れない。
ひとつ短い文章を引いてみよう。

     短歌に「アラブの春」

  海外詠はそれぞれの時代で主な担い手や主な発信地があった。かつてはモスクワ在住の駐在員
  夫人たちの投稿グループがあったし、国際結婚してヨーロッパに住む女性たちの活躍があったし、
  男性でも駐在員の歌や、刑務所のような特殊な環境で発信される短歌も話題を呼んだ。
   中東に関して言えば、約二十年ほど前バーレーンに在住した商社員の三井修、三年前までアブ
  ダビで日本語教師をしていた斎藤芳生などの先例はあったが、それらはあくまで点としての存在
  でしかなかった。それが最近、面としての動きを示し始めていることが注目される。
   今年に入って「中東短歌」という雑誌が創刊された。これは現在ヨルダン在住の二十五歳の千
  種創一(東京外大の「外大短歌」出身)を中心に、前述の三井修、斎藤を含む柴田瞳、町川匙、
  幸瑞の、何らかの形で中東に関わりのある六人が参加している。

       絨毯のすみであなたは火を守るように両手で紅茶をすする     千種創一
       朝明けはモスクも霧の中なりき砂塵と祈りの声はとけ合う      斎藤芳生

  更に「中東短歌」とは別に、シリアの首都ダマスカスで研究生活を送った柳谷あゆみの『ダマ
  スカスへ行く 前・後・途中』という歌集が出版された。

       過ぎるたびなにやらひとりになる カーブ、あれは海ではなくダマスカス

  これらの中東を巡る短歌の新しい動きは、あたかもここ数年のいわゆる「アラブの春」に呼応
  するかのような印象さえ与えるが、その前途は「アラブの春」同様、混沌としている。

もう一つ引いてみよう。

          わたしの原風景

      故郷の雪の夜に居ると思うまで月光盈ちて明るき砂漠       三井修

  雪深い北陸で生まれ育ったが、大学を出てから就職したら、アラピアに転勤になった。駐在中、
  よく夜の砂漠へドライブをした。夜の砂漠は街の灯火がないので、星空は実に凄まじい。プラネ
  タリウムで見るよりもはるかに多くの星が、文字通りビロードのような漆黒の空に犇めき合って
  いる。原始人が見た夜空とはこんなだっただろうと思う。
   「月の砂漠」という童謡もあったが、月夜の砂漠も素晴らしい。明るいが無彩色である。墨絵
  という感じとも違う。そのうち、これは故郷の能登の夜の光景と同じだと思うようになった。
  全ての輪郭が明瞭であり、全てが無彩色なのである。全てが静かで、全てが自らの存在を静か
  に主張しているのである。私はアラビアの砂漠に居ながら、少年となって故郷の能登の雪の夜に
  居るような錯覚に襲われた。これから家に帰れば、まだ若い父母が居て、明るい電灯が私を待っ
  ているようにさえ思えた。
   故郷で暮らしたのが十八年、東京に出てアラビア語を学んで以来、アラビアと付き合い始めて、
  かれこれ三十年以上、うち、アラビアに住んだのが述べ七、八年になる。最近は故郷に帰ること
  も少なくなった。たまに帰る機会があっても、大体冬以外の季節である。冬の能登にはもう何十
  年も帰っていない。

この本の題名になっている「雪降る国から砂降る国へ」の項目の歌も引きたいが4ページと長いので、引くのは勘弁願う。
ネット上にある文章なら、簡単にコピペしたら転載できるのだが、紙媒体だとスキャナするか、手入力するしかない。
スキャナも便利だが、どうしても「文字化け」するので修正に手間を食うのである。
業務用の大きなスキャナがあれば話は別であるが。
まだ全部を読んだ訳ではないが、ゆっくり読ませていただく。
ご恵贈有難うございました。 コロナウイルス跳梁で不自由極まりないが、どうぞ、ご自愛を。       (完)





  
戦争に遠くブーゲンビリア咲く・・・玉山翆子
img075ブーゲンビリア④

   戦争に遠くブーゲンビリア咲く・・・・・・・・・・・・・・玉山翆子

この句の詠まれた場所は、沖縄であろうか、それとも東南アジアのどこかの国であろうか。
いずれにしても、さる世界大戦の苦い思い出のまつわる土地に違いない。鎮魂の深い思いのこめられた重い句である。
その思いがブーゲンビリアという真紅の花とマッチしているというべきだろう。
もはや敗戦後75年の歳月が経とうとしている。
戦後生まれの人が人口の大半を占めるとは言え、さる世界大戦の悲惨な記憶は、語り継がれるべきであり、文芸作品とて同じである。
そういう意味で、この句の語る奥行きは深いものがある。

dsc00762ブーゲンビリア③

二番目の写真は沖縄のものである。
ブーゲンビリアはハイビスカスと共に熱帯を代表する花。よじ登る性質の潅木である。
大きく花びらのように見える部分は苞葉で、受粉の手伝いをするハチドリを呼び寄せるためという。
苞葉は果実になる時期まで残る。
ブーゲンビリアは原産地はブラジルと言い、19世紀フランスの戦艦がソロモン諸島からヨーロッパへ持ち帰った木で、
その時の艦長の名前がブーゲンビリアBougain villea だという。学名は、この名前のあとにglabra がつくだけ。
オシロイバナ科の木と言われ、和名はイカダカズラという。
ブラジル原産だと言いながら、艦長が19世紀にソロモン諸島から持ち帰ったということは、
すでに古くからポリネシア、ミクロネシア一帯には広く分布していたことになる。
ブーゲンビリアの本当の花は、この苞葉の中に黄白色の小さな花が、それである。
イギリスでは、ブーゲンビリアを「ペーパーフラワー」と呼ぶらしい。
いずれにしても改良種など、色も紫から黄色、ピンクなど極彩色の数々の色がある。
蔓性のよじ登る性質があるので人工的な形にしやすくタイ国などでは巧みに細工したアーチなどのガーデンが見られる。

俳句では、ブーゲンビリアという7音が邪魔をして詠まれる句は多くはない。歳時記でも載せていないものも多い。
以下、その数少ない句を引いてみる。

 ブーゲンビリアテラスに読める老夫婦・・・・・・・・・・古賀まり子

 ブーゲンビリア無口になるも旅疲れ・・・・・・・・・・鈴木真砂女

 ブーゲンビリア咲かせ北大植物園・・・・・・・・・・千葉仁

 日を秘めてブーゲンビリア棚をなす・・・・・・・・・・森田峠

 ブーゲンビリア紅き緑蔭なせりけり・・・・・・・・・・山崎ひさを

 ぶつかるはブーゲンビリアバス走る・・・・・・・・・・小路紫峡

 天界をブーゲンビリアまた紊す・・・・・・・・・・北登猛

 ブーゲンビリア民話は死より始りぬ・・・・・・・・・・曹人

 咲きのぼるブーゲンビリア椅子涼し・・・・・・・・・・伊都子



高尾恭子歌集『裸足のステップ』・・・木村草弥
恭子_NEW

──新・読書ノート──

       高尾恭子歌集『裸足のステップ』・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・現代短歌社2020/06/27刊・・・・・・・・

この本が恵贈されてきた。表紙の固いドイツ装の小ぶりの瀟洒な本である。
作者は「地中海」誌に所属する大阪の人である。
「地中海」大阪支社に居られるから私も存じているし、お会いしたこともあるかも知れないが、深い付き合いはない人である。
年賀状は差し上げているし、今回の私の歌集『信天翁』もお送りしたが、返信の記録はない。
とにかく、こまめに交信をするような人ではないようである。
この本にも「あとがき」に来歴は書かれているが「略歴」などは一切ない。とにかく「言葉少ない」人である。
「あとがき」や「帯」文の久我田鶴子によると、京都生まれの大阪人だという。
大阪で三十八年間、高校国語教員をやって来られた。2014年に定年退職されている。
「あとがき」には、こう書かれている。

<定年が近づいた頃から、一つの区切りとして歌集を出したいという思いはあった。
 しかし、退職すると月日はあっという間に過ぎてゆき、歌集のことは先延ばしになってしまった。
 ・・・・・とりわけ、点字図書館の音訳ボランティアは、今では生活の大きな部分を占めるようになった。
 ひょんなことから始めたバルーンアート、自然観察会の活動等々、・・・・・人生の第二ステージは私の行動半径や交友関係を広げていった。
 ところが新型コロナウイルスで私の生活も激変した。・・・・・歌集作りに着手することにしたのだ。・・・・・
 私が短歌に出会ったのは二十代半ばである。
新任として赴任した府立高校の先輩教員小西美智子氏は「地中海」大阪支社の同人で、当時の大阪支社長奥田清和氏に紹介され「地中海」に入った。
しかし数年後仕事と家庭の両立だけで精一杯になり、長い長い空白のあと、・・・・・学校が週休二日制になり、第四日曜日の歌会に出掛ける精神的余裕が生まれてから、もう一度短歌を始めることになった。
 ・・・・・二〇〇〇年から二〇二〇年までの372首を選び出した。あらためてふり返ってみると、ありふれた一市民の生活を詠んだものばかりである。
 平明な詠いぶりに表れているように、実生活も気負わず自然体で歩みたいと心がけてきた。
 「和して同ぜず」を座右の銘に、〈裸足のステップ〉を軽やかに踏みながら。>

長い引用になったかも知れないが、この文章に、この本の要約が尽くされていると言えるからである。
以下、歌を引きながら鑑賞していきたい。
歌集の題名は、巻末に「裸足のステップ」の一連があり、
   *纏足のようなパンプスぬぎすてし女こぞりて現在を駆けゆく
   *沖縄は梅雨明けという爪赤く染めて裸足のステツプを踏む
の歌から採られている。
作者の詠いぶりも選歌も几帳面なものである。「和して同ぜず」を座右の銘と言われるように実践しておられるのである。

章建ては、Ⅰ Ⅱ Ⅲ になっているが、経時的になっているかは分からない。

   *焼きたてのパンを抱えて闊歩する「おおきに毎度」の声ひびく町
   *あつあつのチヂミほおばりカンサハムニダ鶴橋市場の迷路にあそぶ
   *自由軒の暖簾くぐれば横向きに織田作之助老いて腰かけている
   *夕暮れの水掛不動は異形めき関東煮みたいな大阪ミナミ
   *高層のビルに変わった下町をチンチン電車が寝ぼけて走る
   *見はるかす〈あべのハルカス〉大陸の嚏うつりて雲居にかすむ

巻頭の「大阪点景」に載る歌である。この本の巻頭に、作者は今の大阪のラフスケッチを描いてみせた。
「関東煮かんとだき」とは「おでん」のことである。今の若い人たちは知らないかもしれない。

   *ままごとのように暮らした茨木の三軒長屋に灯りが見える
   *ふりかえる日は銀の匙 ポン菓子の砲台黒くあの角に待つ
   *うつむいた子の背を押すドラえもん耳かじられし傷がうずける
   *夕風が子を取ろ子取ろと吹きすざびぐらりと揺るる朱の一輪車
   *スタートのピストルかわいた音はなつ十月十日の空青かりき

巻頭の次の項目の歌である。この辺のところは多分に経時的であるようだ。

   *本当は瞳があったはずなのに少女はモジリアニの絵に閉じこもる
   *質問が詰問となり煮つまったカレーのような放課後の室
   *紙飛行機とばさんほどに一行の退学届を少女は持ち来
   *はつ夏の緑まぶしく引きこもる汝のメールに絵文字をおくる
   *学校の前まで来たと俯きて少女は細き肩ふるわせる

思春期の若者は揺れ動いている。反抗期でもある。彼らと交わりながらの教師の生活は尊いものである。
何十年の出来事を、この一巻に圧縮したので、歌の「推移」も、すばやい。

   *肩書をはずせば人は線と面さやさやとして花ちらす風
   *花散らす口縄坂の風にのる背さびしき織田作之助の影
   *下二段活用おぼえる子ら乗りてそういえば考査の始まる七月
   *泣かしたり苛められたり遠き日を秘めおりトンボのちびた鉛筆
   *鉛筆を器用に削る友ありき今ならクラスのヒーローとよぶ
   *とびっきりの御褒美だったカルピスの水玉模様はじけ散る夏
   *水饅頭つるりと食めば子を産みし遠き五月の朝すがすがし
   *行水に汗を流せばぽんぽんをはたきくれたり祖母といた夏
   *浜田さんが五分遅れて来てくれそうな曽根歌会の戸外は晴れて
   *上書きのできぬ言の葉あたためて『暗黒物質』の宙めぐりたし

ここに「浜田昭則」氏の名前と著書が出てくる。私にも懐かしい人である。ここに書かれるように浜田氏は、いつも遅刻してくる人だった。
物理学徒でありながら、競馬とビールの好きな人だった。そんな人柄を表すように「動脈瘤解離」で急死された。
私は酒に弱かったので、酒好きな先輩歌人のお相手をするために浜田氏に同席をお願いして阪急百貨店脇で酒席を共にした記憶が甦る。

   *ゆく年と来る年つなぐ梵鐘を父は聞いたか逝きてしまいぬ
   *今触れた父の冷たさ一本の樹より寂しく元朝に立つ
   *しろがねのハモニカひとつ静かなり今は主なきベッドのかたえ
   *生きもののはずむ五月よ好物の鰻どんぶり父に手向けぬ
   *かなしみは忘れた頃に 一〇〇〇メートル平泳ぎしながら泣きぬれている
   *復員の後を余生とながらえて父は末期のひと声あげき
   *父逝きて語りつがれぬ戦あり雨後の送り火ひとすじ点る
   *文章にすれば二枚に足らぬとぞ死線を越えし父の自分史

ここに父親との別れが描かれている。これらの歌を、どうしても収録したかった、と「あとがき」にある。

   *骨董の市に見つけし鉄瓶をはるかにたどる祖母のぬくもり
   *しかられて祖母の蒲団にもぐりこむ黒い膏薬貼った手ぬくし
   *ここだけの内緒話をつめこんだ寄木細工の祖母の針箱

ここに祖母との思い出が淡々と詠まれている。佳い歌群である。

熊野古道や志摩半島や沖縄への羇旅の歌にも佳いものがあるが省く。

   *ひとり居の母の飯炊く時分かと八頭芋の皮あつく剥く
   *脈絡のなき日は遠し我楽多と母が捨てにしグリコのおまけ
   *足し算が引き算になる母の日々ひとすじ庭の白梅かおる
   *浅漬けの柚子大根をたずさえて日に日に遠し母の棲む家
   *口だけになっても母は毒を吐くカーネーションの一輪赤し
   *不意打ちにデイサービスは嫌いやと母の視線がまっすぐ伸びる
   *底冷えの京の町屋に蓬髪の母は流離の灯りをともす
   *身に合わぬ母の大島ふるさとの取っ手壊れし箪笥にしまう
   *辛口のお伽話の終章を母は小筆の草書にちらす
   *「健ちゃんは車掌になったか」問う母が古い写真の真ん中に居る
   *べとついた母の茶碗を洗いつつ寺山修司ほどに憎めず
   *堀川の土手の桜を仰ぎみる「もう帰ろう」と母の言うまで
   *息ほそき母のいのちよ如月の淡雪しろく片肺に降る
   *六月の母の暦の明るさよ三色ペンのゴミ収集日

ここに母との思い出と確執などが表現されている。思えば「肉親」というものも寂しいものである。

   *右肩をいからせて子は発ちゆけり八重の桜のほわほわとして
   *段ボール五箱と発ちし子の部屋に欠けたドラえもんの貯金箱あり
   *新しきスーツ二着をひっさげて子は発ちゆけり熊谷という町
   *祝婚の三十九年目うしろから抱きしめられて夕日があかい
   *三角に手と手つなげばこれ以上小さくならぬ家族の単位
   *遠き日を三十一文字が記憶する いぶりがっこと炊きたての飯
   *がらんどうのオフィスに夫は息ひとつ吐いて四月の暦をやぶる
   *小説は読まない夫と四十年すこしは同じ夢をみている

ここに「子」と「夫」のことが書かれているが、作者は、そういう眷属のことは描かない人である。寡黙である。それも一つの生き方である。

   *ユリノキを仰ぐ朝の空たかく憲法九条ゆがんで映る
   *水あめのような歴史をふりかえり百田尚樹の言葉をこばむ
   *戦後レジーム脱却すなわち戦前がはじまっている 狼が来た

ここには現下の保守派の動向に批判的な作者の姿が見え、私は尊敬する。こういう時事を詠うことも歌人としては大切である。

いよいよ巻末に迫ってきた。

   *白内障のまなこ近づけ〈ぴ〉か〈び〉か迷いたり音訳録音
   *京うまれ大阪そだちを恃みつつアクセント辞典をボロボロにする
   *わたくしの声をだれかが待ちおらん 録音室の二時間あまり
   *着ぶくれたコートに挟まれ立ち飲みの卓に昭和のほおづえをつく
   *大阪のおばちゃんと括られ気がつけばヒョウ柄スカーフ三枚持てり

ここに作者の「今」が表現されている、と言っていいだろう。
巻末の歌は、先にも引いたが、
   *纏足のようなパンプスぬぎすてし女こぞりて現在を駆けゆく
   *沖縄は梅雨明けという爪赤く染めて裸足のステツプを踏む

で終わっている。何十年かの思いを、この一巻に込められた。
この後も佳い歌を詠んで、次歌集を期待したい。ご恵贈有難うございました。         (完)











山椒の脇すぎたれば葉ずれして匂ひたつなりすずやかなる香・・・木村草弥
W_sanshou4041山椒の花

   山椒(さんせう)の脇すぎたれば葉ずれして
     匂ひたつなりすずやかなる香・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
写真①がサンショウの花である。
山椒の匂いは葉から発するもので花そのものには匂いがあるかどうかは判らない。
掲出した歌の次に

      摘み取りし山椒の若葉を摺りこみて田楽豆腐の竹串ならぶ・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

という歌があるが、季節の木の芽として香り高く、重宝なものである。もちろん私の方には山椒の木がある。

sansyo-ao-zaru040617山椒の実

写真②が山椒の実である。
今その実が緑色に色づいて一杯なっているところである。
実は熟すると黒っぽくなるが、一般的には完熟させることはない。というのは青いまま採りいれて、山椒こんぶとか、佃煮とかに実を使うからである。
「山椒ちりめん」などちりめんじゃこと山椒を炊いて、よく乾かしたものは熱いご飯に載せると美味なものである。
山椒のぴりりと辛い成分は腐敗を防ぐ作用もあるらしい。日本人の生活の知恵である。

山椒の木は香りの強い木であるが、こういう香りの高い木の葉を好む虫がいるので始末が悪い。
アゲハチョウの類の蝶である。写真③はクロアゲハ蝶の雌である。

kuroageha-omoteクロアゲハ雌

この歌のつづきに

      山椒の葉かげに卵を生みゐたる黒揚葉蝶わらわらと去る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

という歌がある通りである。この幼虫自身も、つぶすと山椒の匂いがする。
大きな山椒の木になると多少食われても支障はないが、苗木の段階では、すっかり丸坊主にされてしまうことがある。
油断も隙もあったものではない。写真④はクロアゲハ幼虫の終齢期のもの。

kuroageha3クロアゲハ幼虫終齢

山椒の花、山椒の芽は俳句では春の季語である。
それらを少し引いて終わりたい。

 日もすがら機織る音の山椒の芽・・・・・・・・長谷川素逝

 芽山椒の舌刺す一茶の墓詣・・・・・・・・野沢節子

 朝夕に摘む一本の山椒の芽・・・・・・・・上村占魚

 芽山椒青年を摘む匂ひして・・・・・・・・星野明世

 花山椒煮るや山家の奥の奥・・・・・・・・松瀬青々

 風立てば山椒の花も揺らぎたる・・・・・・・・神津杉人

 誰か知る山椒の花の見え隠れ・・・・・・・・渡辺桂子



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