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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(7月)月次掲示板
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東日本大震災から九年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
after006ヒマワリ
↑ 向日葵 (ヒマワリ)

七月になりました。
梅雨が明けたら、輝く夏が始まります。


 月ほそくうすく見ゆるを子は言ひて獣あまた載る絵本をひらく・・・・・・・・・・・・・・・・・大口玲子
 三振りを五振りに七味で気合ひ入れ狐も狸もわれも目覚めよ・・・・・・・・・・・・・・・・・川野里子
 熊鷹の一羽を鴉の群れが追ふ集団的自衛権の行使かあれは・・・・・・・・・・・・・・・・真鍋正男
 耳、鼻に綿詰められて戦死者は帰りくるべしアメリカの綿花・・・・・・・・・・・・・・・・・・・吉川宏志
 さはあれど比喩は間接の域を出ずまして暗喩は奢りが臭ふ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・来嶋靖生
 風渡る聖河のほとり人と人睦みて大悲分けあえるとぞ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・谷岡亜紀
 「安寧」の意味など今日は訊いてくる佐藤かおりに何がありしか・・・・・・・・・・・・・・・・森山良太
 糸吐きて繭を裡よりつくり出す蚕の声きこゆ夏白き昼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桜野ムツ
 能登の海真白にかがやく初夏は来ぬあな瑞々と立山の藍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三井健二
 立ちて百日紅坐りては見る千年紅われ息長にその紅を吸ふ・・・・・・・・・・・・・・・・・春日真木子
 エゾイチゲの花が咲いたと妻が言ひさうかと花を覗きにゆきぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・時田則雄
 つと視野を過ぎし蛍のかの夜よりこの世を夢と思ひ初めにき・・・・・・・・・・・・・・・・・照屋眞理子
 その身美しきこと知りゐるや知らざるや黒揚羽無心に舞ふ夏の朝・・・・・・・・・・・・・・ 石川恭子
 まさかそんなとだれもが思ふそんな日がたしかにあつた戦争の前・・・・・・・・・・・・・・永田和宏
 譫妄の父泣き語る戦ひの空をほととぎす啼きてわたれり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・萩岡良博
 夕月夜美しかりし夢の中しづかにゐたる浴衣の女・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 櫟原聰
 抗へる詩型にあらず。松の木の脂ほどの勁き泪欲しけれ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・喜多弘樹
 いちまいの小さな地図を拾ひたり葉脈むすうに透けたる葉つぱ・・・・・・・・・・・・・・・・ 小谷陽子
 「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」ON AIR最中にて湾岸戦争勃発したる・・・・・・・藤原龍一郎
 易占に猫の安否を問うている愚かなること限りなけれど・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・武藤ゆかり
 ごろすけほう あ、いや、ごろごろわあおおわ 俺が何者かなんてどうでも・・・・・・ 久我田鶴子
 千夜も一夜も越えていくから、砂漠から獏を曳き連れあなたの川へ・・・・・・・・・・・・・ 千種創一
 小余綾(こゆるぎ)の急ぎ足にてにはたづみ軽くまたぎぬビルの片蔭・・・・・・・・・・・  阪森郁代
 真青な中より実梅落ちにけり・・・・・・・・・・・・・・・・・ 藤田湘子
 人類の旬の土偶のおっぱいよ・・・・・・・・・・・・・・・・ 池田澄子
 かなしからずや殻の中まで蝸牛・・・・・・・・・・・・・・・山田露結
 まなうらに新樹流れてひっそり寝息・・・・・・・・・・・・わだ ようこ
 平和な夢だ平和は夢だ鳴かぬ蝉・・・・・・・・・・・・・・・瀬川泰之
 つまみたる夏蝶トランプの厚さ・・・・・・・・・・・・・・・・・高柳克弘 
 水の面に蜂の垂り足触れにけり・・・・・・・・・・・・・・・ 村上鞆彦
 裏庭のカンナ淫らに変声期・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤原月彦
 噴水はまこと大きな感嘆符・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 金子敦
 夏の夜や口を開けば覗き込む・・・・・・・・・・・・・・・・・津野利行
 軍艦島かごめかごめでいなくなり・・・・・・・・・・・・・・ 河西志帆
 月見草躰しずかになりにけり・・・・・・・・・・・・・・・・・・折勝家鴨
 匙入れて葛饅頭のひとゆらぎ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 市堀玉宗
 脱皮せぬままに蟹のアポストロフィ・・・・・・・・・・・・・ 月波与生
 語り部と呼ばれ青芒のごとし・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 杉山久子
 黒揚羽旅は罅より始まりぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・冨田拓也
 全身を触覚にしてシャワー浴ぶ・・・・・・・・・・・・・・・・北大路翼
 囀りやサラダの御代わりは自由・・・・・・・・・・・・・・・・越智友亮
 緑蔭や脇にはさみて本かたき・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤田哲史
 ががんぼは腕立て伏せして老いてゆく・・・・・・・・・・・・・永井幸
 枇杷甘く合はせ鏡に溺れけり・・・・・・・・・・・・・・・・・・外山一機
 急用のわたしが走る雉走る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小池弘子
 夏橙その手ざわりの過去を言う・・・・・・・・・・・・・・・・ 伊藤淳子
 屋根裏に蛇這う音の昭和かな・・・・・・・・・・・・・・・・奥山津々子
 蕗十杷漬け置く桶の水の色・・・・・・・・・・・・・・・・・・五十嵐義知
 モナリザの微笑の先の水羊羹・・・・・・・・・・・・・・・・・・矢野玲奈
 夏木立つばさもちちふさも楽器・・・・・・・・・・・・・・・・・中村安伸
 避暑家族鳥とも違ふ会話して・・・・・・・・・・・・・・・・・・田中亜美
 大ぶりの蜘蛛の巣いい仕事してるなあ・・・・・・・佐々木香代子
 耳朶染まる多肉植物むんむんと・・・・・・・・・・・・・・・・榎本祐子
 こゑふたつ同じこゑなる竹の秋・・・・・・・・・・・・・・・・ 鴇田智哉
 撫でるごとトマト湯むきす子は遠し・・・・・・・・・・・・・・森岡佳子
 さざなみ今もすこしずつ砂になる・・・・・・・・・・・・・・・・・高梨章
 恋愛が模型の丘に置いてある・・・・・・・・・・・・・・・・・福田若之
 岩礁の苔のぬめりの深き夏・・・・・・・・・・・・・・・・・・・石井薔子
 山の蛾のひとり網戸に体当たり・・・・・・・・・・・・・・・・・ 山田仁
 あられもなき五体ありけり大夕焼・・・・・・・・・・・・・・・・ 秦夕美
 竹は秋の夢二の女猫を抱き・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 桑田佳穂
 ハッカ飴ゴールはみんな正解さ・・・・・・・・・・・・・・・・岩根彰子
 でで虫やきのふのこともはや虚(うつけ)・・・・・・・・・・ 七風姿
 牛糞の苦さを漱ぐリラの風・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木牛後


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 歌集 『嬬恋』 (角川書店刊)
 歌集 『昭和』 (角川書店刊) 
 歌集 『無冠の馬』 (KADOKAWA刊)
 歌集 『信天翁』 (澪標刊) 
 詩集 『免疫系』 (角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』 (角川書店刊)
 詩集 『修学院幻視』 (澪標刊)
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「人間の労苦は風のやうなもの」ギルガメッシュ叙事詩はわが胸を打つ・・・川口美根子
320px-Hero_lion_Dur-Sharrukin_Louvre_AO19862ギルガメシュ像
 ↑ ライオンを捕らえたギルガメシュ像
450px-Queen_of_the_Night_(Babylon)イシュタル像
 ↑ イシュタル神のレリーフ
川口_NEW

──エッセイ──再掲載・初出2018/07/02

     「人間の労苦は風のやうなもの」
          ギルガメッシュ叙事詩はわが胸を打つ・・・・・・・・・・・・・・川口美根子

                ・・・・・風心社2002/10/20刊・・・・・・・

   ギルガメッシュはバビロニア神話の半神半人の英雄。ウルクの王。
  その活躍を謳う叙事詩はBC二〇世紀頃に原型が成り、楔形文字文学
  史上最大の作品として知られる。ギルガメッシュは「初めの男」と称
  されるように、この叙事詩は天地創造の物語として理解できる。
   叙事詩には次のようなくだりがある。
    ギルガメッシユは言った。
    「イシュタルよ!私はお前と聖託の契りを結ぼう。
    我が妻よ!私は頭の黒い若者の上にあって、旭日のように輝き、
    我が大地と共にこれらを照らすであろう」 みどりの大地に花が
    咲いた。エンキドゥとイシュタルは喜んだ。三人の眼下には光の
    少女ピドライと雨の少女タルライが軽やかに舞った。紫の小さな
    花《天の鍵》が丘の下まで一面に咲いていた。
  ベルリンのペルガモン博物館にバビロン遺跡から発掘された「イシ
  ュタルの門」がある。これは女神イシュタルを頌め讃える門である。
                         木村草弥    城陽

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ギルガメッシュ叙事詩 ← については、ここを参照されたい。

これは川口美根子さんの何番目かの歌集『天馬流雲』 (短歌研究社2001/11刊)の附録として刊行されたものである。
川口さんの歌について「未来」の同人たち110人が一人二首づつ評の文章を寄せたものである。

私は先日来、膨大な蔵書の処分をして来たが、詩歌関係の本は、北上市の日本詩歌文学館に段ボール21個にして寄贈した。
川口さんの本も、もちろん、その中に含まれている。
したがって、歌集そのものは今は私の手元には無いが、この「附録」の本だけは手元に残した。

川口さんの読書や見分は旺盛なもので、このギルガメッシュについての歌は、その旺盛な読書を想像させるものである。
私も、その頃は、まだ若かったし、好奇心旺盛な「読書人」だったので、他の人は採り上げそうにない、この歌を選んで文章にした。
ギルカメッシュの本も図書館に貰われていったので手元には無い。

その川口さんも、ご主人の死後、すっかり呆けられて、妹さんの世話で施設に入っておられたが、いつの間にか亡くなられたようで「未来」の広告からも名前が消えて久しい。
川口さんには「未来」マリオン集在籍中は、歌作りの初歩から教えてもらった。
今日、歌集も何冊も上梓できたのも川口さんのお蔭である。川口さんの、ご冥福をお祈りする。
この本が見つかった機会に、敢えてブログに採り上げる次第である。この頃は私はまだブログもやっていなかった。ブログを始めたのは2004年からである。

この本に執筆したのは、もう一件あるが、それは、また後日のこととする。


食べるたび生はあかるみ食べるたび死は近づきぬかなた万緑・・・小谷陽子
IMG_0050万緑

     食べるたび生はあかるみ食べるたび
           死は近づきぬかなた万緑・・・・・・・・・・・・・小谷陽子


この歌は角川書店「短歌」誌2018年六月号に載る「月のぼり来む」12首の中のものである。
新緑の今の季節に照応するものとして引いてみた。
この一連からアトランダムに引いてみる。

     身のことは身にまかせよと身がいへりはつなつひとは酸つぱい野生

     病める日もこの世しののめ日のひかり差してほのぼの生きてゐるなり

     のぞいてもぼんやりわたしが映るだけ井戸の底ひもひとの瞳も

     ひとが逝きひとが生まるるこれの世にたつたひとつの月のぼり来む

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小谷陽子さんは「ヤママユ」所属で昭和27年生まれの大阪の方である。
著書として歌集『ふたごもり』(砂子屋書房刊)がある。 詳しくは知らない。
ひらがなを多用した歌づくりが独特である。
前登志夫の「草木蟲魚」の心に沈潜した域を表白しようとしたように思われる。
佳い歌群である。 恣意的な引用をお詫びする。
私はお会いしたことはないが、歌集を進呈したり、また小谷さんから頂いたりする仲である。


桔梗やきりりと辛き飛騨の酒・・・草間時彦
yun_448桔梗本命

  桔梗やきりりと辛き飛騨の酒・・・・・・・・・・・草間時彦

桔梗(ききょう)あるいは漢字の音読みにして「きちこう」とも発音される。
この時彦の句ではキチコウの読みである。

キキョウ科の多年草で「秋の七草」の一つであるから、俳句では秋の季語となるが、実際には六月中旬には咲きだすところが多い。
青みがかった紫のものが多いが、栽培種も多く、白、紫白色、二重咲きなどいろいろである。
矮性の小さな種類もあるが、在来の50センチくらいの高さで、紫色のものが一番ふさわしい。

kikyou4キキョウ白

この句は旅に出て、飛騨の地酒を口に含んでの寸感であろうか。
私も老来、日本酒を嗜むことが多い。ビールなどは夏場しか飲まないようになった。

「万葉集」にいう「あさがお」は桔梗のこととされている。

小林一茶の句に

 きりきりしやんとしてさく桔梗かな

というのがあるが、きっぱりと、すがすがしい野性味のある花と言えるだろう。
私の歌にも桔梗を詠んだものがあるが、昨年に採り上げたので遠慮して、歳時記に載る句を引いて終わる。

yado33kikyouキキョウ矮性

 桔梗の紫さめし思ひかな・・・・・・・・高浜虚子

 仏性は白き桔梗にこそあらめ・・・・・・・・夏目漱石

 かたまりて咲きし桔梗のさびしさよ・・・・・・・・久保田万太郎

 桔梗の花の中よりくもの糸・・・・・・・・高野素十

 桔梗やまた雨かへす峠口・・・・・・・・飯田蛇笏

 桔梗には鳴る莟あり皇子の墓・・・・・・・・平畑静塔

 桔梗いまするどき露となりゐたり・・・・・・・・加藤楸邨

 桔梗一輪死なばゆく手の道通る・・・・・・・・飯田龍太

 桔梗挿す壺の暗さをのぞいてから・・・・・・・・桂信子

 桔梗やおのれ惜しめといふことぞ・・・・・・・・森澄雄

 おもかげをさだかにしたり白桔梗・・・・・・・・細見綾子

 技芸天桔梗花びら露むすび・・・・・・・・沢木欣一

 誰やらの死をたとふれば桔梗かな・・・・・・・・石原八束

 桔梗や男も汚れてはならず・・・・・・・・石田波郷

 百本の桔梗束ねしゆめうつつ・・・・・・・・藤田湘子

 桔梗の色を見てゐる麻酔の前・・・・・・・・宮岡計次

 桔梗咲く母のいのちのあるかぎり・・・・・・・・小桧山繁子
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写真③は矮性のキキョウである。




黄檗の寺の駄犬や花ざくろ・・・阿片瓢郎
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   黄檗の寺の駄犬や花ざくろ・・・・・・・・・・阿片瓢郎

ザクロは3メートルほどの高さになる落葉樹で、細長い艶のある葉が対生している。
梅雨の頃に赤橙色の六弁の花が咲く。肉の厚い筒型の赤い萼がある。

zakuro5石榴落花

写真②が落花である。先に書いたように厚い筒型のガクであるのがお分かりいただける。八重咲きや白、薄紅、紅絞りなど色々あるらしい。
中国から古くに渡来してきたもので、花卉として育てられてきたが、原産地はペルシアだという。
梅雨の頃に咲く印象的な美しい花である。
ザクロと言えば、花よりも「実」が知られているが、実は徳川時代から食べるようになったという。
ザクロは種が多いことから、アジアでは子孫繁栄、豊穣のシンボルとされてきた。実を煎じた汁でうがいをすると扁桃腺炎にいいと言われる。

zakuro3石榴実
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写真③がザクロの実である。この中には朱色の外種皮に包まれた種がぎっしりと入っている。
種は小さく外種皮を齧るように食べるのだが、甘酸っぱい果汁を含んだものである。果皮は薬用になる。
写真④のように実が熟してくると実の口が裂けて種が露出するようになる。実が熟するのは8、9月の頃である。

私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に

  梅雨空にくれなゐ燃ゆる花ありて風が点(とも)せる石榴(ざくろ)と知りぬ・・・・・・・・・・・木村草弥

というのがある。降りみ降らずみの梅雨空に紅く点もる一点景である。


以下、歳時記に載る石榴の花を詠んだ句を引いて終わる。
花は夏の季語だが、実は秋の季語である。

 花柘榴また黒揚羽放ち居し・・・・・・・・中村汀女

 花柘榴病顔佳しと言はれをり・・・・・・・・村山古郷

 ざくろ咲き織る深窓を裏におく・・・・・・・・平畑静塔

 妻の筆ますらをぶりや花柘榴・・・・・・・・沢木欣一

 花柘榴の花の点鐘恵山寺・・・・・・・・金子兜太

 深爪を剪りし疼きや花石榴・・・・・・・・鈴木真砂女

 掃いてきて石榴の花が目の前に・・・・・・・・波多野爽波

 花石榴階洗はれて鬼子母神・・・・・・・・松崎鉄之介

 花石榴子を生さで愛づ般若面・・・・・・・・鍵和田柚子

 妻の居ぬ一日永し花石榴・・・・・・・・辻田克巳

 
上目つかひ下目つかふも面倒なり遠近両用眼鏡ままならず・・・木村草弥
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     上目つかひ下目つかふも面倒なり
            遠近両用眼鏡ままならず・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第五歌集『昭和』(角川書店)に載るものである。

私は小学校の最終年度から眼鏡をかけている。
近眼は五十歳頃までは、どんどん「近眼」は進行するもので、しかも四十代半ばからは「老眼」も加わってくるから厄介である。
私は左目が特に視力がなく、0.05ぐらいしかない。右目は0.1ぐらいであろうか。
ところが近眼は老化につれて、どんどん緩くなり、その逆に老眼はどんどん進む、というのが曲者である。
「遠近両用眼鏡」を使っていると、物を読む場面によってメガネを使い分けなければならない。
新聞やパソコン画面を見たりするときには、画像②に出したような「老眼用のタマ」の入ったメガネは不自由である。
こういうときには「老眼が全面に入った」メガネが楽である。首を振らなくても目玉を動かすだけで端の方も読める。
だから私は眼鏡を四つ持っている。外出用のチタンフレームの軽いもの。普通の「老眼用のタマ」の入ったフレームの丈夫なもの。陽ざしのきついときの屋外用の度つきのサングラス。
それと先に挙げた「老眼が全面に入った」メガネ、の四つである。
近眼の度数と左右のアンバランスと、いちいちレンズ調節が必要だから、レンズだけで五万円はかかる。物入りである。
度数をきっちり合わせ過ぎると肩が凝ったりするから度数は緩めの方が、いい。
ものすごく細かい字をみるときには「近眼」者は、メガネを外して目を近づければいいから簡単である。

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この一連には、こんな歌がつづいている。

   先の世も来る世も儚(はか)な躓きて現(うつつ)に返る老眼鏡は

   もはや視力矯正かなはぬ目借り刻(どき)ねむりの刻と思ふたまゆら
・・・・・・・・木村草弥

いかがであろうか。


身籠りて子の手花火をまぶしがる・・・遠藤とみじ
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   身籠りて子の手花火をまぶしがる・・・・・・・・・・・・・・・遠藤とみじ

さて、私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)にも次のような歌がある。

   手花火が少し怖くて持ちたくて花の浴衣(ゆかた)の幼女寄り来る

   手花火の匂ひ残れる狭庭には風鈴の鳴るほど風は通らず
・・・・・・・・・・・木村草弥

一体として鑑賞してもらいたい。

この頃では、線香花火というような単純なものよりも、ロケット花火のような派手なものが好まれるようだが、危険も伴い、音も高く「幼女」向きではない。
私の歌のように手花火を「持ちたい」気持ちはあるが、といって「怖い」という幼女の心理状態を、少しは表現できたかと思っている。
線香花火はパチパチと弾けた後に赤い火の玉が夕日のように、しばらく残っているのが面白い。
手花火は幼い頃の郷愁の火の色と言えるだろう。
掲出した句は、里帰りか何かで「身籠った」娘か何かの感情を巧く捉えて句にしている。

以下、手花火を詠んだ句を引いて終わる。

 手花火に妹がかひなの照らさるる・・・・・・・・山口誓子

 手花火のこぼす火の色水の色・・・・・・・・後藤夜半

 手花火の声ききわけつ旅了る・・・・・・・・加藤楸邨

 手花火を命継ぐごと燃やすなり・・・・・・・・石田波郷

 手花火に明日帰るべき母子も居り・・・・・・・・永井龍男

 手花火にらうたく眠くおとなしく・・・・・・・・中村汀女

 手花火のために童女が夜を待ち待つ・・・・・・・・山口浪津女

 手花火にうかぶさみしき顔ばかり・・・・・・・・岡本眸

 
海へ出る砂ふかき道浜木綿に屈めばただに逢ひたかりけり・・・木村草弥
e0016267_815090浜木綿

  海へ出る砂ふかき道浜木綿(はまゆふ)に
     屈めばただに逢ひたかりけり・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。 初出は同人雑誌「かむとき」に発表したもの。

浜木綿の歌としては、古くは「万葉集」巻4(歌番号496)に柿本人麻呂の

   み熊野の浦の浜木綿ももへなす心は思へどただに逢はぬかも

という有名な歌があり、浜木綿の歌と言えば、この柿本人麻呂のものが本意とされてきた。
私の歌も、この人麻呂の歌を多分に意識した歌作りになっている。
この一連15首を全部再掲する。なお、この歌はWeb上でもご覧いただける。

       神の挿頭(かざし)・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

  失せもののいまだ出でざる夜のくだち和紙の吸ひゆくあはき墨の色

  海へ出る砂ふかき道浜木綿に屈めばただに逢ひたかりけり

  わだつみの神の挿頭(かざし)か浜木綿の嬥歌(かがひ)の浜ぞ 波の音を聴け

  ぞんぶんに榎の若葉空にありただにみどりに染まる病む身は

  昂じたる恋のはたてのしがらみか式子の墓の定家葛の

  そのかみの恋文は美(は)し暮れがたの朴の花弁の樹冠に光(て)れる

  蝦夷語にてニドムとぞ言ふ豊かなる森はしろじろ朴咲かせけむ

  くちびるを紫に染め桑の実を食みしも昔いま過疎の村

  よき繭を産する村でありしゆゑ桑摘まずなりて喬木猛る

  桑実る恋のほめきの夜に似て上簇(じやうぞく)の蚕の透きとほりゆく

  絹糸腺からだのうたに満ちみちて夏蚕(なつご)は己をくるむ糸はく

  桑の実を食みしもむかし兄妹(きやうだい)はみんなちりぢり都会に沈む

  六地蔵の導く墓にとべら咲き海鳥の来て石碑(いしぶみ)穢す

  海女のもの脱ぎすててありとべらなる白花黄花照り翳る昼

  節分(しんねん)にとべらの枝を扉(と)に挿せる慣はしよりぞトビラと称(よ)べる


季節くれば花を求めて飛んでゆく美しき翅よ うす青き蝶・・・木村草弥
image013ヒメシジミ
 
    季節(とき)くれば花を求めて飛んでゆく
       美しき翅よ うす青き蝶・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌も、先に挙げた歌のつづきに載るもので私の第二歌集『嘉木』(角川書店)所載。

私の歌に「美しき翅よ うす青き蝶」と詠ってあるので「ヒメシジミ」という蝶の写真を出しておく。
以下に触れる「尺取虫」とは無関係であるから念のため。

Geometrid_caterpillar尺取虫

私の手持ちの写真を活用して書いてみる。
写真の虫は「尺取虫」と言われるもの。
尻尾を木に固定して、頭を上げ、草木に取り付いたら、尻尾を持ち上げて半分くらいのところに持ってゆき、着地したら、また頭を持ち上げて前に進む。
という動作を繰り返して進む。
掲出した写真は、この虫の移動する(進む)様子を二つの画面で見られるので、うまく撮れていると思う。
「尺取り」とは寸法を取るという意味だが、人間が手を使って長さを計ったりするときの指の使い方を考えてもらうと判りやすいと思う。うまい命名だ。
この虫は「擬態」が巧妙で、取り付く草木の色にも合わせる「保護色」になっているので、よく観察しないと食害に気づかないことが多い。

aomusi-komayubatiアオムシコマユバチ
aomusi-komayubati3コマユバチ成虫

先に書いた普通の青虫──モンシロチョウの幼虫(大根やアブラナなどに着く)の天敵として「アオムシコマユバチ」(青虫小繭蜂)というのがいて、
これが青虫の幼虫の体に卵を生みつける。青虫の体内で卵は孵り、虫の体を食べて成長する。
そして時期がくると青虫の体外へ出て、サナギになる。二番目の写真が、その状態である。
三番目の写真が「アオムシコマユバチ」の成虫である。
小さな蜂であるが、人間にとっては「益虫」ということになる。
こういう「天敵」を利用して、大量に「サナギ」を量産し、それを「生物農薬」として販売するというのが、現実に農作業の分野では、やられている。
農薬を使うわけではなく、かつ自然界の生き物を利用しているので生態系を破壊することもない。
これからは益々こうした研究は進んでゆくものと考えられる。結構なことである。


ここで掲出した歌が載る個所の歌を全部ここに採録しておく。

       標本室 ・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

  温室に緑を育て蝶を飼ふ少年の日よ記憶のはたて

  青虫がひたすら茎をのぼりゆく新芽の色の何とおいしさう

  季節(とき)くれば花を求めて飛んでゆく美しき翅よ うす青き蝶

  展翅板にうす青き翅と触角が固定されゆく指先を見つ

  感性の両眼をつき刺し飛び去るは標本室の昏き二十五時

  原色昆虫図鑑の中に引かれたるアンダーラインの蝶とびたちぬ

  いつだつて夢と現(うつつ)はうりふたご追伸のやうに思ひ出づるも



入浴剤こよひは「有馬」あすは「別府」せめては家居の夜々を楽しむ・・・木村草弥
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     入浴剤こよひは「有馬」あすは「別府」
          せめては家居の夜々を楽しむ・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第五歌集『昭和』(角川書店)に載るものである。

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暑くなってくると、夏場は私は専ら「シャワー」派である。
毎朝、散歩で大汗をかくので、帰るとすぐにシャワーを浴びる。
私は自宅では、日中はクーラーをつけない主義であり、「節電」でやかましい今どきの生活を実践しているようなものである。
これは私が「体」のことを考えての処置であって、昼間には出来るだけ汗を出すことに留意している健康法である。
だから夏場は、汗をかいたら一日に三回ぐらいもシャワーを浴びることがある。
その代り、夜は宵のうちから寝室はクーラーを利かし、ぎんぎんに冷やしておく。就寝時にはクーラーを半時間または一時間後に「切る」タイマーにして寝る。
これでほぼ朝まで快適に寝られることが実証済みである。

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ところで、私のようなシャワー派ではなく「浴槽」に浸からなければ嫌だという人も多い。
私の知人にも何人も居る。
そういう人たちが愛用するのが、画像にも挙げた「入浴剤」なのである。
有名な温泉地、たとえば別府などに行くと、「湯の花」という温泉成分の粉を売っているが、それを商品にしたのが、これらのものなのだ。
私の知人などは夏場から浴槽に、これを入れている。
風呂に浸かると、どうしても汗をかくので、体のほてりを取るのに苦労するから、私は夏場はシャワーなのである。
さあ、あなたは今年の夏は、どちらで乗り切るのであろうか。


守宮かなし灯をいだくときももいろに・・・服部京女
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   守宮かなし灯をいだくときももいろに・・・・・・・・服部京女

はじめにお断りしておく。掲出の写真はネット上でeco.gooの「ようちゃんの風景」2003/5/24から拝借したものである。
この写真はガラスに張り付いた守宮を撮ったものだが、グロテスクな感じを与えないので、丁度よいと思う。

そろそろ夜にガラス窓などに「ヤモリ」の姿が見られるようになってきた。
守宮は主に人家に棲み、壁や天井、ガラスなどに張り付いて明りに寄ってくる虫を捕らえて食べている爬虫類である。
指には吸盤があって、どんなところにも留まることができる。
体の色は環境によって変化するらしいが、私は夜に家で見かけるので灰色の時しか知らない。
毒はなく、害虫を捕らえる有益な生き物と居えよう。

ガラスに張り付いている場合は、守宮の腹の中の様子が少し透けて見えるので興味ふかい。
呼吸に応じて喉がひくひくと動くところなど面白い。
それにガラスに張り付いている場合は裏面から見えているわけで、守宮の目からは、こちらは見えないので、彼は気がつかないから、ゆっくり観察できる。
名前の由来は、だいたい家の中に居るので「家守」の意味で、この名がついたと言われている。
鳴声が嫌だと言われるが、私はまだ聴いたことがない。
守宮は家の壁や地下の暗いところに10個ほどの卵を生む。これは私は一度みたことがある。

この句は、ヤモリが外灯の笠なんかに張り付いているときには、ヤモリの体が灯に透けて「ももいろ」に見える、という設定が秀逸である。
「かなし」は「愛しい」「いとしい」に通じるだろう。

以下、守宮を詠んだ句を引いて終わる。

 河岸船の簾にいでし守宮かな・・・・・・・・飯田蛇笏

 壁にいま夜の魔ひそめるやもりかな・・・・・・・久保田万太郎(カルカッタの飛行場にて)

 硝子戸の守宮銀河の中に在り・・・・・・・・野見山朱鳥

 灯を待てる守宮雌を待つごときかな・・・・・・・・阿波野青畝

 芭蕉葉に二重写しの守宮かな・・・・・・・・阿波野青畝

 獄いたるところに守宮の夫婦愛・・・・・・・・大喜多冬浪

 静かなるかせかけ踊守宮鳴く・・・・・・・・高浜年尾

 膝に蒲団はさみて寝るや守宮鳴く・・・・・・・・沢木欣一

 守宮ゐて昼の眠りもやすからず・・・・・・・・上村占魚

 昼守宮鳴く経蔵に探しもの・・・・・・・・能仁鹿村

 玻璃に守宮眠れぬ夜の星遠く・・・・・・・・長島千城



宮沢肇詩論集『一本の葦』・・・木村草弥
宮沢_NEW

──新・読書ノート──

       宮沢肇詩論集『一本の葦』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・待望社2020/07/20刊・・・・・・・・

詩人の宮沢肇氏から、この本が贈られてきた。宮沢さんの詩は、詩「邂逅」は、このブ゜ログで紹介したことがある。リンクになっているのでアクセスされたい。

宮沢肇
詩誌「地球」 「未開」 「風」各同人を経て、現在「花」 「佐久文芸 火映」に作品を発表。
1959年 詩集『雄鶏』
1964年 詩集『青春寓話』
1982年 詩集『仮定法の鳥』
1991年 詩集『鳥の半分』 第32回中日詩賞
1996年 詩集『帽子の中』 第8回長野県詩人賞
1997年 『宮沢肇詩集』
2000年 『朝の鳥』
2003年 詩集『分け入っても』 第3回現代ポイエーシス賞
2009年 詩集『舟の行方』 
2015年 詩集『海と散髪』 
1988年 合唱組曲作詞『望月の駒』 三木稔作曲
1996年     〃    『おとめの泉』 太田桜子作曲
2012年 共著エッセイ『信濃追分紀行』 第2回秋谷豊千草賞
日本現代詩人会。 日本文芸家協会所属。
世界芸術文化アカデミー(W .A...A. C.)の終身会員    など

輝かしい詩歴の持ち主であられる。
この本は、一応「詩論集」と書いたが、120ページほどの小冊子である。

「目次」は
Ⅰ 詩人への手紙
     J・シュペルヴィエル
     土橋治重さんの花と禅
     石原武兄の原郷
     一本の葦から想像力へ
     深層につながる詩語を求めて
Ⅱ 詩想片言
     石ころの詩
     故に、詩在り

ここでは「石ころの詩」の冒頭(1)の文章を引いておく。
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すでに存知の人も多いと思うが、まど・みちおさんに、「石ころ」という詩がある。
1979年『風景詩集』に収められている。先ずその全篇を書き写しておきたい。

  夏の まひる
  とある 道ばたの
  小さな石ころが ひとつ
  消えました
  通りがかった
  雲の影が
  ふと 包んで
  持って行ったのでした

  その夜
  世界中の 岩山たちが
  嵐のように 叫び合いましたが
  おとむらいだったでしょうか
  お祝いだったでしょうか


  人の耳には
  ただ そのあたりに
  コオロギの声が 一りん
  小さく光って
  咲いているきりでした

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この詩から(2)ではポーランドのノーベル賞詩人に話は続き、(10)まで詩論がつづくのでした。
「詩論」を手作業で入力し直すというのは不可能なので、ほんのさわりの部分だけ紹介した無礼をお許しいただきたい。
高邁な詩論集を賜り有難うございました。 これにて「紹介」といたします。      (完)






青虫がひたすら茎をのぼりゆく新芽の色の何とおしいさう・・・木村草弥
030917kityou2黄蝶幼虫

   青虫がひたすら茎をのぼりゆく
     新芽の色の何とおしいさう・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るもので、歌作りとしては、「青虫の目」になって作っている。

予めお断りしておく。
こんな虫の写真を何枚も見せられて、気持ちが悪いという人は、無理して見てもらって体調を崩されては、私の意にそぐわないので、即刻みるのを中止してほしい。

青虫と言っても、ものすごい種類がある。
一番はじめに載せたのは、一般に「青虫」と呼ばれるもの、成虫は「モンシロチョウ」などの幼虫である。
掲出写真のものは「黄蝶」の幼虫。
この種類は皮膚に「毛」がなく、そんなに気持ち悪くはない。

aomushi青虫②

二番目の写真の虫は、もう「青虫」と呼ぶのは、はばかられる。
写っている植物はパセリなどの匂いの強い「香草」類で、これにつく虫は「アゲハチョウ」類のものである。
この写真の虫は長さ5センチ、太さ1.5センチにもなる摑むのも怖いような大きな虫。
小鳥も食べない。ホトトギスなどは好んで食べるという。
蝶や蛾は卵を産んで、孵化して、その葉を食べる対象植物が、予め蝶の種類ごとに決っているのである。
いまアゲハチョウと言ったが、同じ属の幼虫でも、子細に観察すると姿かたちが少しづつ違っているものである。
かんきつ類の木につくもの、山椒の木につくもの、香草につくもの、など皆少しづつ違いがある。
それにアゲハチョウ系の虫は触ると角のようなものを出し、特有の嫌な匂いを出す。
油断すると小さな木や草など数日で坊主にされてしまう。孵化したての頃の幼虫は、みな黒い色をしている。

a-1s青虫アゲハ①

三番目の写真の虫がアゲハチョウ類の幼虫の一般的な形と色である。
もちろん先に書いたように、食べる植物によって虫の種類が少しづつ違っている。

四番目の虫は、クロアゲハの「終齢」期のもの。
kuroageha3クロアゲハ幼虫終齢

私は、特別に「昆虫少年」だったわけではないが、田舎に住んでいれば、こんな虫をいちいち怖がっていては暮らせない。
こういう虫たちとも、自然の付き合いをしてゆくのが「田舎暮らし」というものである。

kuroageha4クロアゲハ蛹

五番目の写真はクロアゲハの幼虫が成育して「サナギ」になったもの。
この中でじっとしていて、その間に「変態」する準備が進み、殻を破って出て成虫の「蝶」の姿になるのである。

以上、手元にある写真を並べて解説してみた。
ただし、私のは学習して専門的に正しく集積した知識ではないので「虫」に詳しい方は、ぜひ間違いを指摘してほしい。よろしくお願いする。


銀漢やどこか濡れたる合歓の闇・・・加藤楸邨
img70合歓の花本命

     銀漢やどこか濡れたる合歓の闇・・・・・・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

合歓(ねむ)の木はマメ科ネムノキ属。
北海道を除く日本および東アジアから南アジアに広く分布し、山の浅いところに見かける落葉高木。
「ねむの木」というのは夜、羽状複葉の葉がぴったりと合わさるからで、眠るように見える。
葉の付け根の細胞に水分が少なくなるからという。七月ころ牡丹刷毛のような、先がほんのり紅い花を開く。
今となっては少し時期が過ぎたかも知れない。
刷毛のようなところが雄しべで、花弁や萼はその下にある。
花は夕方開花し、日中は萎む。
芭蕉の句に

 象潟や雨に西施がねぶの花

というのがあるが「西施」というのは中国の女で異国に嫁いだ悲運の人。この句はそれを踏まえており、夜咲き、昼つぼむ花は悲運の女性を象徴する。
葉が逆に夜閉じ、昼ひらくのも面白い。「ねむ」という名は、この葉の習性から名づけられたものである。

以下、歳時記に載る句を引く。

 うつくしき蛇が纏ひぬ合歓の花・・・・・・・・松瀬青々

 総毛だち花合歓紅をぼかし居り・・・・・・・・川端茅舎

 雲疾き砂上の影やねむの花・・・・・・・・三好達治

 黒髪を束ねしのみよ合歓挿さな・・・・・・・・佐々木有風

 合歓の花夜は蠍(さそり)座を掲げたり・・・・・・・肥田埜勝美

 合歓咲いてゐしとのみ他は想起せず・・・・・・・・安住敦

 合歓の花底なき淵の底あかり・・・・・・・・中川宋淵

 合歓の花沖には紺の潮流る・・・・・・・・沢木欣一

 どの谷も合歓の明りや雨の中・・・・・・・・角川源義

 風わたる合歓よあやふしその色も・・・・・・・・加藤知世子

 花合歓に夕日旅人はとどまらず・・・・・・・・大野林火

 花合歓や補陀落といふ遠きもの・・・・・・・・角川春樹

 葉を閉ぢし合歓の花香に惑ひけり・・・・・・・・福田甲子雄

 花合歓の下を睡りの覚めず過ぐ・・・・・・・・飯田龍太

 合歓咲けりみな面長く越後人・・・・・・・・森澄雄

 花合歓の夢みるによき高さかな・・・・・・・・大串章

 日本に小野小町や合歓の花・・・・・・・・辰巳あした

 合歓の花不在の椅子のこちら向く・・・・・・・・森賀まり

 紅刷毛かピエロの睫毛か合歓の花・・・・・・・・関容子




仏桑華あかあかと咲く城跡の日だまり小さきイグアナが陽を浴ぶ・・・木村草弥
20070321013714イグアナ

   仏桑華(ハイビスカス)あかあかと咲く城跡の
      日だまり小さきイグアナが陽を浴ぶ・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るもので、メキシコのユカタン半島のマヤの遺跡で作ったものである。
ただし自選60首には入れてないのでWeb上ではご覧いただけない。

hibiscusハイビスカス①

ハイビスカスにも色々の改良種があり、色もさまざまなものがあるようだ。
しかし、何と言っても真紅のハイビスカスがメキシコの大地には、似つかわしい。
「ハイビスカス」は学名をHibiscusと言い、学名通りに呼ばれているもの。
アオイ科フヨウ属と言い、「仏桑華」というのは葉が桑の葉に似ているからという和名である。
三番目の花は改良種のピンクのものである。

hibiscus7ハイビスカス③

ハワイでは州の花とされ、レイにされる。
インドが原産地とされるようで、暑いところでは、地中海沿岸、東南アジア、南太平洋など広範な地域に分布する。
熱帯性気候にマッチした鮮やかな花である。

   ハイビスカス子は沖縄の娘を愛す・・・・・・・・・・森信子

というようなハイビスカスにぴったりの句も生れたりする。

「イグアナ」と一口に言っても、さまざまな種類があるらしい。
メキシコのユカタン半島に棲息するイグアナは、恐ろしげな姿はしていない。
灰緑色をしていて、変温動物なので日向で日光浴をしていたりするのが見受けられる。私の歌に詠んである通りのものである。
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以下、私の歌集に載る「マヤ」にまつわる一連の歌を再録する。

       マヤの落暉・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

   はるばるとユーラシアより来しマヤ人も蒙古斑持つと知れば親しも

   マヤ人は「暦の民」なり一年を三六五・二四日割りいだしたる

   蝸牛(カラコル)と呼ばるる円き天蓋の天文台跡半ば崩えをり

   仏桑華(ハイビスカス)あかあかと咲く城跡の日だまり小さきイグアナが陽を浴ぶ

   日本より三ヶ月経て此処に着きし支倉常長が見しアカプルコ

   トゥルムとは城壁の意なり群青のカリブの海に白く映えゐる

   神殿を西向きに建てしは落日が次の日も昇れと祈りしならむ

   ───マヤはBC3世紀にはすでにゼロの概念を発見してゐた──
   マヤ編める二十進法は十進法より大き数計算すばやく可能

   ユカタンは石灰土壌「セノーテ」は地下水脈の湧きいづる井戸

   午後四時ゆプラサ・メヒコは闘牛を見んと集へる六万の人

   巨大なるすり鉢なせるコンクリート赤きマントに牛突っ込めり

   信篤きインディオ、ディエゴ見しといふ褐色の肌黒髪の聖母

   カトリック三大奇蹟の一つといふグアダルーペの聖母祀れり

   聖母の絵見んと蝟集の群集をさばくため「動く歩道」を設置す


蛸壺やはかなき夢を夏の月・・・松尾芭蕉
007タコツボ

   蛸壺やはかなき夢を夏の月・・・・・・・・・・・・・・・・・・松尾芭蕉

芭蕉は貞享5年(1866年)4月20日、兵庫から須磨、明石へ脚を伸ばした。その夜は須磨に泊ったが、これは、その時の旅に基づく句。
「明石夜泊」と題があるのは、月の名所である明石に泊ったことにして詩情を深める芭蕉一流の「虚構」。


写真は、現在の蛸漁に使われる「タコツボ」である。
昔は瀬戸物製の壺型のものであったが、今ではプラスチック製で、重しに、底にセメントが深く塗りこめてある。
下の写真は、そのタコツボに長いロープをつけて結わえて、何百個と漁船で沈めにゆく。
tako1たこつぼ

芭蕉の句に戻ると、句も最終的に元禄3、4年に至って、この形に定まったと言われている。
明石の浦は蛸の名産地。激しい明石海峡の流れにもまれて、明石の蛸は、よく身が締まっていて、旨い。
その海底で何も知らずに蛸壺に入り夏の夜の短夜の月光のもと、はかない夢を結んでいる蛸。
その命も、また、はかない夢である。
そこには無常の命の「あはれ」があるが、また達観した目で眺めれば、一種の「をかし」の気分も湧いて、この句の忘れ難い複雑な味わいも生れる。
『笈の小文』所載。
先に書いたように、この芭蕉の句は、場所も、季節も変えて作られている。
文芸表現というものは、こういう「虚構」をさりげなく、巧みに取り込みながら、いかにも真実らしく作品を仕上げるか、というのが文芸作者の本領である。
この句の場合、考証に値いする日記などの裏づけがあるので、このように解明されている。

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蛸壺の話から、いま思い出したことがある。
昔、地方へ茶の売り込みに出張していた頃。
鉄道もSLがまだ健在だった頃、移動時間も今とは倍も三倍もかかって各地の得意先を廻っていたので、何泊も「宿屋」に泊った。
今のようにビジネスホテルがあるわけでもなく、旅費を節約するために、いわゆる「商人宿」というところにも泊った。
家庭的な雰囲気の宿で、常連さんというのが決っていて、身の廻りのものを置いている人もいた。
そんな同宿者の中に「蛸壺のセールスマン」という人もいたのである。
私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)の中に、次のような歌がある。ただしWeb上では、ご覧いただけない。

  秋草にまろべば空も海に似て泊り重ねし波止の宿おもふ

  秋草の波止場の旅籠(はたご)に蛸壺のセールスマンと泊りあはせし
・・・・・・・・・・・・木村草弥

第四歌集に入れてあるが、実際に制作したのは、もう随分まえのものである。
今となっては、なつかしい思い出の1ページになってしまった。
詳しい話は聞かなかったが、漁協などを廻って蛸壺の注文を取っていたのだろう。
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いま歳時記を繰ってみたが、「蛸」という季語は、僅かに山本健吉のものに夏の季語で「章魚」として載っているだけである。

 章魚突の潜(かづ)けり肢体あをくゆれ・・・・・・・・草堂

 章魚沈むそのとき海の色をして・・・・・・・・占魚

 祭の蛸祭の蛸と呼んで行く・・・・・・・・寒月

 章魚干せば天の青さの炎ゆるなる・・・・・・・・まもる

関東では、どの程度、蛸を賞味するのか知らないが、真蛸の旬は夏で、関西では殊に6、7月の祭の頃に鱧(はも)と並んで賞味する。
「酢たこ」など、あっさりして、さっぱりして美味なものである。
もっとも今では海外産のものが一年中でまわり、わが家では、よく食する。



順礼は心がすべて 歩きつつ自が何者か見出さむため・・・木村草弥
サンチアゴ標識
 ↑ サンチアゴ遍路の標識

     順礼は心がすべて 歩きつつ
          自(し)が何者か見出さむため・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第五歌集『昭和』(角川書店)に載るものである。

遍路道標識
 ↑ 遍路道標識

この歌の一連は、以下のようなものである。

       順 礼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
            ──PILGRIM TEMPUS VERNUM──

  春くれば辿り来し道 順礼の朝(あした)の色に明けてゆく道

  銀色の柳の角芽さしぐみて語りはじむる順礼の道程

  順礼は心がすべて 歩きつつ自が何者か見出さむため

  目を閉ぢて耳を傾け感じ取る生きてゐることに理由は要らぬ

  丈高き草むらの道 その愛がまことのものと順礼は知る

  わが巡りに降るに任せて降る雨よそのまま過(よぎ)るに任せゐる雨

  雨のなき一日(ひとひ)を恋ふる心根に春は音なく来る気配する

  日と月と星と大地と火と水と時だげが知る「道」はいづこへ

  サンチアゴ・デ・コンポステーラ春ゆゑに風の真なかに大地は美(は)しく

  北、南、東に西に順礼が帰りゆく道 交はる道と道

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サンチァゴ帆立貝の巡礼者
 ↑ サンチァゴ帆立貝の巡礼者 

この歌をつくるきっかけの旅は2008/05/10~05/22に行ったものだが、詳しくは こちらの紀行文を読んでもらいたい。
この旅ならびに、この歌に込めた私の「想い」なども、この紀行文には詳しく書いてあるので、ぜひご覧いただきたい。

私は妻が死んだ後に「四国八十八か所」遍路も経験したが、「なぜ人は洋の東西を問わず遍路の旅を歩くのだろうか」という問いがなされる。
それは前にも書いたことがあるが、要は、掲出した私の歌のように「自分が何者かを一度みつめるための旅」と言っていいかと思う。
その「きっかけ」は何でもいいのである。 私の場合は直接的には、妻の死であったが、同行した後の二人の人の思いが、どうであったか、は詳しくは聞いていない。
私の場合は、この紀行文のはじめのところにも書いておいたが、亡・親友のフランス文学者・田辺保から「遍路道」の本を貰ったりして予備知識があった。
なお、私の歌の一連の「副題」として掲げた<PILGRIM TEMPUS VERNUM>というラテン語の意味だが、「春の季節の巡礼」とでも訳せるところである。

写真の説明をしておくと、三番目のリュックにつけられた「ホタテ貝」は、サンチアゴ巡礼者が身につける「標識」なのである。
かの地では、これを付けている人は巡礼者として敬意を持って遇されるということである。
四国遍路が「杖」と「白衣」を纏うのと同じ扱いである。




閑林に独り座す草堂の暁/三宝の声一鳥に聞こゆ/一鳥声有り 人心有り /声心雲水倶に了了・・・空海
tropicalscreech-owl-1コノハズク

    後夜に仏法僧の鳥を聞く・・・・・・・・・・・・空海

        閑林に独り座す草堂の暁

        三宝の声一鳥に聞こゆ

        一鳥声有り 人心有り

        声心雲水倶に了了

この詩は、真言宗の開祖・空海(弘法大師)の詩文集『性霊集』巻十の漢詩・七言絶句「後夜に仏法僧の鳥を聞く」である。
(原文は漢字ばかりの詩、訓み下しにして漢字かなまじりにした)

「後夜(ごや)」つまり未明=夜半から朝にかけて、の勤行中ブッポウソウと鳴く鳥声を聞いたのである。
ブッポウソウは仏と法と僧、いわゆる「三宝」を言う。
ブッポウソウと鳴く仏法僧という鳥がいると考えられていたが、姿を見た人がなく、長く、そう信じられて来た。
しかし近代になってブッポウソウと鳴くのは、実はコノハズクというフクロウ科の鳥であることが判った。
しかし、その鳴き声に三宝(仏・法・僧)を聞き取って尊ばれた。
空海が独り座して夜を徹して勤行する山中の夜明け、仏法僧の声に心は澄みわたる。
鳥声と人心、雲と水(大自然)は一体となり、一点の曇りもなく(了了)心眼に映る、と。
「倶」は「共に」の意味である。

空海は中国から「密教」を日本に伝え、天台宗の開祖・最澄とともに、南都仏教の政治介入を排したくて平安京を開いた桓武天皇を宗教の面から強力に支えた思想家・宗教者であった。
彼が書き残した文章も、いずれも特異なものに満ちている。
たとえば

    三界の狂人は狂せることを知らず。
    四世の盲者は盲なることを識らず。
    生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、
    死に死に死に死んで死の終りに冥し。────空海

この詩について詩人の富岡和秀氏は、次のように解説している。

 <この詩は、コスモロジーへの契機となる消滅の途方もない暗さを暗示しているように聞こえる。
   自らを含めて、あらゆる存在が消滅に向かっているとするならば、空恐ろしさも、また無限に近いと言えるだろう>

後の空海の漢詩は、極めて哲学的で、かつ宗教的であって難しいが、じっくりと熟読、玩味するならば、われわれに多くの示唆を与えてくれていると思うのである。
面白おかしく、この世を生きるばかりが人生ではない。時に、人生に頭を打ち、ふかく自他を見つめ直すことも必要である。
なぜなら、生あるものは必ず滅ぶことを知るのが、人というものであるからだ。
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俳句では「仏法僧」「三宝鳥」「木葉木莵」などで詠まれている。ブッポウソウと鳴くのはコノハズクだと判ったのは、昭和10年のことだと言われている。
愛知県の鳳来寺山でのNHKの録音がきっかけだという。三宝鳥の鳴き声は、ギャー、ゲアであるという。写真はコノハズク。

 杉くらし仏法僧を目のあたり・・・・・・・・・・杉田久女

 仏法僧鳴くべき月の明るさよ・・・・・・・・・・中川宋淵

 仏法僧こだまかへして杉聳てり・・・・・・・・・・大野林火

 木葉木莵月かげ山をふかくせる・・・・・・・・・・山谷春潮

 仏法僧青雲杉に湧き湧ける・・・・・・・・・・水原秋桜子



仏桑花真紅の声を挙げて基地・・・山田みづえ
hibiscusハイビスカス①

     仏桑花真紅の声を挙げて基地・・・・・・・・・・・・・山田みづえ

仏桑花(ぶっそうげ)とは「ハイビスカス」のことである。
この前の戦争では多くの人が敗戦国民として戦勝国に支配されて辛酸をなめたのである。
その頃、戦争は南の国で行なわれたので、南方系の植物──ハイビスカスに想いは繋がるのであった。
何年か前の春に沖縄本島に旅した。
以前にも訪れたことがあるが、今では激戦地だった南部の丘に「平和の礎(いしじ)」や記念館の立派なのが出来て、国内外の戦没者の名に拝して戦争の悲惨さに想いを馳せたのだった。
ここにも「ハイビスカス」は赤く色あざやかに咲いていた。
「基地」が沖縄の広い面積を占有し今も騒音その他に悩まされている。
この句の「真紅の声を挙げて基地」というのが内地人である我々の心に突き刺さる。

歳時記の句を引いて終わる。

 仏桑花爆心に咲き喪の季節・・・・・・・・下村ひろし

 口笛は幼くかなし仏桑花・・・・・・・・塚原麦生

 海の紺ゆるび来たりし仏桑花・・・・・・・・清崎敏郎

 島人の血はかくも濃し仏桑花・・・・・・・・青柳志解樹

 ひめゆりの塔に火種の仏桑花・・・・・・・・井口荘子

 天に入る熔岩原風の仏桑花・・・・・・・・古賀まり子

 仏桑花咲けば虜囚の日の遠き・・・・・・・・多賀谷栄一

 仏桑花咲く島に来る終戦日・・・・・・・・北沢瑞史

 ひめゆり塔声を挙げゐる仏桑花・・・・・・・・田口一穂

 仏桑花供華としあふれ自決の碑・・・・・・・・岩鼻十三女





照屋眞理子句集『猫も天使も』・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

        照屋眞理子句集『猫も天使も』・・・・・・・・・・・木村草弥
                 ・・・・・・角川書店2020/07/15刊・・・・・・・・・

この本が贈られてきた。照屋さんは昨年七月十五日に亡くなられた、という。ご夫君の手による遺句集ということである。
私は著者のことは何も知らなかったのだが、第三歌集『恋』が角川書店から送られてきて、私は → 照屋眞理子第三歌集『恋』書評を、2013/04/29に、このブログに書いた。
詳しくは当該「書評」を見られたい。リンクになっている。
私は一昨年、終活の意味も込めて蔵書を、すべて「日本現代詩歌文学館」などの図書館に寄贈したので、照屋さんの本も今は私の手元には無い。
残っているのは先に挙げた拙ブログの記事だけである。
いま読み返してみると、ネット上に載る記事などを引いて、よく書けていると思う。

照屋眞理子さんは、こういう人である。
1951年生まれ。成城大学文芸学部卒業。句誌「季刊芙蓉」代表。塚本邦雄氏に短歌俳句を学ぶ。
1980年サンデー毎日代表現代百人一首塚本邦雄賞、1981年短歌研究新人賞次席。
歌集『夢の岸』、『抽象の薔薇』、『夢』。 句集『月の書架』、『やよ子猫』。

画像でも読み取れると思うが、書評家として名高い東郷雄二氏が 7ページに及ぶ「序文」を書いておられる。
また、「玲瓏」同人である尾崎まゆみ氏が「時の流れ」レール・デュ・タン と題して2ページの文章を書いておられる。
   〈時の流れ〉終の一滴馨りたち掌上軽し一壜の虚無   第一歌集『夢の岸』所載
この歌は、いかにも才女だった照屋眞理子さんの歌らしい才気煥発の作品であり、塚本邦雄「玲瓏」門下らしいもので、この歌を選択された尾崎まゆみ氏の手腕に感嘆する。
リンクに引いた私の書評にも書いた通り、私は彼女の作品に詳しくはなく、贈呈された本を通じて知るのみである。
まして私は俳句は作らない一介の素人であるが、少し句を引いてみたい。

この本は、伝統的な「部立て」に従って編集されている。
「目次」を引いてみよう。

序       東郷雄二
虹二重




新年


十五分
時の流れ     尾崎まゆみ

「虹二重」の章は、「季刊芙蓉」120号(最終号)令和元年六月に載る一連である。

     サンタ・マリアマリア風光る

     春浅し束ねて細き母の髪

     陽炎に置かむと母を連れ出しぬ

     ちりめんを猫とわけあふ朝餉かな

     握つてはだめ桜貝こはさぬやう

     春は曙ちかぢかと猫の鼻

     こんな日に遺言書かなむ山笑ふ

     かの世かも知れぬ目覚や大朝寝

     大瑠璃の声降る朝や神います

     信ずれば起こる奇跡や虹二重

全句を引いてみた。この一連は主宰される俳句結社「芙蓉」を休刊される際のものであるから、作者の想いが籠っていると言っていいだろう。
彼女がクリスチャンかどうかは知らないが、「サンタ・マリア」という呼び掛けは無信心の者は、先ずしないのではないか。
「こんな日に遺言書かなむ」とかいう措辞も示唆的である。彼女は恐らく体調不良から「神の恩寵」を求めていたのではないか。私にはそんな遺書めいた表現に見える。
以下、俳句には素人である私の目に止まった句を列挙して終わる。

     忘れずよ父を送りし日の春泥

     立春大吉けふの地球の踏みごこち

     たらちねの歩幅小さき犬ふぐり

     生死何とも知れぬものなり桜東風

     ばか野郎こんな若葉の日に逝くな

     夕焼がきれいとそれだけの電話

     またの名は蛍この世を夢と言ふ

     江ノ電は水母に逢ひに行く電車

     御器齧眞砂女苦手と囁きぬ

     黒猫を入れて全き木下闇

     コクトーの耳がここにも夏逝く日

     リルケヘッセ漱石太宰休暇果つ

     夕星や芙蓉はけふを閉づるころ

     母刀自やさやかに子の名忘らるる

     少年の躰よく寝る神の留守

     蛍田といふ駅木枯に灯る

     たたまれて褻に帰りゆく金屏風

     ヨゼフてふ父のかなしみクリスマス

     パン種の寝てゐる隙を毛糸編む

     北風のロヘルとシャヘルよく笑ふ

     猫どちは猫の御慶の鼻寄せて

     楽浪の滋賀にもとほる絵双六

     アスパラガスみどり二十歳の恋もまた

     湯たんぽや斯く母も母恋ひにしか

     雪女郎恋して溶けてしまひけり

     師系塚本邦雄柘榴を火種とし

そして、巻末の一句は、これで畢っている。

     わたくしを捨てに銀河のほとりまで

才気煥発な一生(よ)を照屋眞理子さんは、自在に、かつ賢明に、猫と共に生き抜かれた。お疲れさまでした。ゆっくりとお休みください。
ご恵贈に感謝いたします。有難うございました。                (完)



ものなべて光らぬもののなかりけり<のれそれ>は海を光らせて 夏・・・木村草弥
800px-LeptocephalusConger.jpg
 ↑ レプトケファルス幼生

      ものなべて光らぬもののなかりけり
          <のれそれ>は海を光らせて 夏・・・・・・・・・・木村草弥

                   *のれそれ─魚の穴子の稚魚

この歌は私の第五歌集『昭和』(角川書店)に載るものである。
原文では「のれそれ」の部分は「傍点」を振ってあるのだが、ここでは出来ないので<>で囲んだので、ご了承を。

Wikipediaに載る記事を引いておく。
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レプトケファルス
レプトケファルス(Leptocephalus、「レプトセファルス」とも)は、ウナギ目、カライワシ目、ソコギス目など、カライワシ上目の魚類に見られる平たく細長く透明な幼生で、大きさは5 cm前後かそれ以下から1 mを超す場合もある。ウナギやアナゴ、ハモなどのウナギ目のものが有名でウナギは成長後にはレプトケファルス期の約18倍、アナゴは約30倍の大きさになる。

概要

ウナギの場合、産卵場所の南方の海で孵化した仔魚は、レプトケファルスに成長し、さらに日本沿岸まで黒潮に乗って北上してから変態してシラスウナギと呼ばれる稚魚に成長し、河川などの淡水に上って成魚になる。変態時にゼラチン質の体が脱水収縮して体組織の濃縮が起こるため、変態の前後で体は小さくなる。

また、多くの魚類で口の奥に向いている歯が、レプトケファルスでは前方に向いており、様々な動物プランクトンを与えてもほとんど捕食しないことから、食性が謎に包まれていた。その後、海で採集したレプトケファルスの胃の中からオタマボヤ類が植物プランクトンを採食するために分泌する、ゼラチン質の使い捨て式フィルターである包巣の残骸が見付かった。これをきっかけに、オタマボヤ類の廃棄された包巣などに由来するマリンスノーを摂食していることが判明し、これを模した人工飼料で飼育できることも明らかになった。ハモのレプトケファルスではエビのすり身、ウナギのレプトケファルスではサメの卵黄を原料とした人工飼料による餌付けが成功している。

のれそ~1
090515-2のれそれ

のれそれ
マアナゴのレプトケファルスは、高知県などでのれそれと呼ばれ、食用にされる。主に生きたまま土佐酢、三杯酢などにくぐらせて、踊り食いにされることが多い。大阪などの消費地でものれそれと呼ばれることが多いが、兵庫県淡路島では洟垂れ(はなたれ)、岡山県では「ベラタ」と呼ばれている。

巨大なレプトケファルス

1928年から1930年にかけてデンマークの調査船ダナ号による海洋調査が行われた。1930年1月31日、そのダナ号によってセント・ヘレナ島付近で1.8 mもある非常に大きなレプトケファルスが捕獲され、大きな反響を呼んだ。それまで知られていたウナギ類のレプトケファルスは成長後には数十倍の大きさになることから、この巨大なレプトケファルスが成体になった場合には体長が数十mにもなると予想され、伝説のシーサーペント(大海蛇)の正体がこれで判明した、と報じる新聞もあった。その後も巨大なレプトケファルスの標本はたびたび採取されたが、その成体の姿は謎のままだった。

事態が好転したのは最初の発見からおよそ30年後のことだった。1960年代半ばになって、偶然にも変態途中の巨大レプトケファルスが採取されたのである。そしてその身体の特徴は、この幼生がソコギス目魚類の仔魚である可能性を強く示唆していた。あらためて詳細な調査と研究が行われた結果、
ソコギス目魚類もレプトケファルス期を経て成長する。
そのためウナギ目とソコギス目には近い類縁関係が認められる。
ウナギ類はレプトケファルス幼体からの変態後に大きく成長する一方で、ソコギス類はレプトケファルス期において成体サイズまでの成長を行い.変態後はほとんど成長しない。

などの事実が判明した。それまで見つかった巨大レプトケファルス標本も再調査の結果、ソコギス目魚類の幼体であることが明らかになり、シーサーペントは再び伝説上の存在となった。

その後、同じくレプトケファルス期を持つことがわかったカライワシ類などと共に、これらの仲間はレプトケファルス期を持つことを共通形質とするカライワシ上目という分類群にまとめられている。
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私の歌は、この 「のれそれ」を食べるところを描いたものではないが、「旬の食べ物」として下記のような記事が出ている。 ↓

★「のれそれ」というのは穴子の稚魚です。
春から秋が旬になります。生で三杯酢などで食べます。身は細長く平たく透き通っています。
高知市付近ではノレソレ、高知県西部ではタチクラゲと呼ばれることもあります。地引網を引くと、ドロメは弱いのですぐにペタッと網にくっついてくるのですが、ノレソレは、そのドロメの上にのったり、それたりしながら網の底に滑っていきます。
この「のったり、それたり」という地引網の中の様からこう言われているようです。
高知はもちろん、四国では一般的な酒の肴、珍味なのですが、全国的にはあまり一般的ではないようですね。県外から赴任された方でこの味にはまる人も多いようです。

【召し上がりかた】
●自然解凍(急ぐときは流水解凍)して生を三杯酢で召し上がっていただくのが一般的です。生しらす(どろめ)はたまり醤油におろしショウガとネギをいれて食べたりもします。
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春先の時期に捕獲して急速冷凍してあり、価格も100グラム1200円くらい、と、さほど高いものではない。




土鈴ふる響きおもはせ驟雨きて梅雨あけ近しと知らすこのごろ・・・木村草弥
shirohige広重白雨

    土鈴ふる響きおもはせ驟雨きて
       梅雨あけ近しと知らすこのごろ・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
掲出の写真①は広重の「白雨」と題するもので、白雨とは俄か雨や夕立のことである。激しく降る雨を太い線で描いてある。

20050622231029.1土鈴辰

写真②は「土鈴」(どれい)で、これは辰をかたどったもので太った辰でユーモラスである。
土鈴とは、この中に粘土の玉が入っていて、振るとごろごろという野太い音がする。
この写真のもののように干支に因んだみやげ物などにされている。

今ごろになると梅雨末期に入ってきて、各地で集中豪雨が起きたりするが、梅雨入りと梅雨明けの大まかな目安として、どちらも雷が鳴ることが多い。
気象庁の発表よりも、この雷雨の方を目安にしている人が多い。それは、掲出した私の歌の通りである。

俳句の季語にも「梅雨入り」「梅雨明け」というのがある。
以下、歳時記に載る「梅雨明け」の句を引いて終わる。

 ばりばりと干傘たたみ梅雨の果・・・・・・・・原石鼎

 葭原に梅雨あがるらし鰻筒・・・・・・・・石田波郷

 梅雨去ると全き円の茸立つ・・・・・・・・西東三鬼

 梅雨あけの雷とぞきけり喪の妻は・・・・・・・・石田波郷

 梅雨明の天の川見えそめにけり・・・・・・・・加藤楸邨

 梅雨明けし各々の顔をもたらしぬ・・・・・・・・加藤楸邨

 梅雨明けぬ猫が先づ木に駈け登る・・・・・・・・相生垣瓜人

 梅雨明けのもの音の湧立てるかな・・・・・・・・・本宮銑太郎

 梅雨明けや胸先過ぐるものの影・・・・・・・・吉田鴻司

 子の目にも梅雨終りたる青嶺立つ・・・・・・・・谷野予志



藤原光顕の歌「捨てた本20首」・・・木村草弥
たかまる_NEW

──藤原光顕の歌──(47)

      藤原光顕の歌「捨てた本20首」・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・「たかまる」No.118/2020.7掲載・・・・・・・・
       

           捨てた本     藤原光顕

   最後まで聞き役でおればよかったひとことが尾をひいてうろつく
   三日探して出てこぬ本は捨てたとする捨てた本ばかり探すこの頃
   ランタナの五本が庭を占拠してたしかに過ぎた五年あれから
   グーグルで呼び出すわが家は正面をわずかに逸れて玄関がある
   思い出したのにはわけがあったはず中原中也引っ張り出してくる
   「あの人はワシもわからん」賛辞を書きながらケロッと言った柳原一郎
   怪我のことか年齢のことか杖なしで歩く頑張り褒められている
   褪色の付箋びっしりはさまれて出てきた一書 どう読んだのか
   『宇宙の「果て」に何があるのか』三年経ってまた出発する
   カタカナばかりの買い物メモ財布に入れてイズミヤへ行く
   何兆年先地球みたいな時空があって何兆年先を想像している生物がいて
   新開地通りの北の川べりの夕焼けのバラックの群れ 五十年前
   あの三畳だってけっこうドラマチックだった東川崎町のアパート
   あと二年でガラケー終わる通知がくる二年ならたぶんこっちも終わる
   一円貨を九つちゃんと並べていく ちゃんとじいさんらしくゆっくり
   茶が三毛に変わったようだが三匹が今日もわが庭の見回りに来る
   チラッと視てゆうゆうと庭を過ぎる猫「OK、今日も異常なさそう」
   常識に沿って探せばたいていのものは出てくる 大丈夫まだ
   庭が視える 道路から声が聞こえる そんな恩寵へ今朝も覚める
   こんな仕切りの中にも人は住んでいて白々と初夏の日差しを反す
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コロナウイルス跳梁騒ぎの自粛の中でも藤原氏は、お元気のようだ。
熱心な投稿者だった「二葉由美子」さんが亡くなった、と巻末に特集で書かれている。
人の世には「別れ」がつきものである。  合掌。
向暑の折から御身ご自愛ください。






           
おのづから陥穽ふかく来しならむ蟻地獄なる翳ふかき砂・・・木村草弥
arijigoku-su13蟻地獄

    おのづから陥穽(かんせい)ふかく来しならむ
        蟻地獄なる翳(かげ)ふかき砂・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

掲出の写真は見難いかも知れないが、画面に四つほど「蟻地獄」のすり鉢状の凹みが見えると思う。

arinotiwosutta2蟻地獄幼虫

写真②は、この蟻地獄の持ち主である「ウスバカゲロウ」の幼虫(左側)と、右側は食べた「獲物」の殻である。というのは捕らえた虫の体液を吸い取るのが、この幼虫の食事の仕方なのである。用済みの虫の殻は顎の力で巣の外に放り飛ばしてしまう。写真は、もちろん判りやすいように巣からつまみ出して並べてみたものである。

この蟻地獄は寺院や神社などの雨の掛からない軒下(縁側の下など最適)の砂地に穴を掘る。
この虫の生態については内外で詳しく観察している研究者が居て、ネット上でもエッセイなどが載っている。因みに英語ではAnt-lion という。
そのうちの三輪茂雄氏のエッセイMedical Pharmacy.Vol.20.May.114-115(1986)をもとに少し書いてみよう。

蟻地獄の陣地構築はどうするのか。
彼は先ず大きな輪を描きながら後ずさりしてゆく。その輪の直径は次第に小さくなり、最後に中心に潜り込んで完成する。陣地の斜面の角度は、いわゆる「安息角」。もし蟻などの獲物が斜面に足を突っ込むと、安定が崩れて地獄の底へ転落する。湿度の変化によって「安息角」が変化するので、ときどき修正することも忘れない。
頭にあるハサミは、よく見るとスリバチの底にぐっと広げ、斜面の下端を器用に支えている。だから、このハサミのセンサーで斜面に起る微妙な変化を感知できるのである。
粒ぞろいの砂がある場所ならともかく、一見、とても陣地が作れそうにもない荒地でも、整地作業する。つまり粒ぞろいに整地するのだ。アメリカの動物学の雑誌に、この陣地構築に関する論文が出た。(An1m.Behav.30巻、P651.1982)「アントライオン幼虫の陣地構築に関するバイオフィジックス」。
この整地作業の際に彼は砂の粒を揃えるのに「風力分級」という作業をする。「風力分級」というがニュートン域と層流域の中間域が丁度よいのである。

三輪氏は「<風力分級の極意をアリジゴクに学ぶ>など考えても見なかったことである。これもバイオの時代なのだろうか」と書いている。つまりアリジゴクは整地作業の時に砂を顎の力で刎ね飛ばすのだが、その際に「風力分級」という物理学を応用するというのである。
風力分級だのニュートン域だのと言われても、私にはチンプンカンプンなので、興味のある方は更に突っ込んでみてもらいたい。

アリジゴクはウスバカゲロウの幼虫であるが、これにも色々の種類がいるようで、水中で幼虫期を過ごす種類などは成虫になって2、3時間で死ぬものがあるから(その前に婚姻飛翔 nuptial flightという集団行動を取る)カゲロウは短命で儚いもの、という先入観があるが、このアリジゴクの幼虫と成虫に関しては、そうでもなかった。
このアリジゴクのウスバカゲロウは2、3週間生きるそうである。しかも幼虫期であるアリジゴクの期間が2、3年であることを考えると、かなり長命な昆虫ということである。

このアリジゴクは捕らえた虫の体液を吸うと、先に書いたが、体液を吸ったあとは、穴の外へボーンと放り投げて捨てる。また非常に変った体の構造をしていて、肛門がない。成虫になってから2、3年分の糞を一度に放出するらしい。
成虫のウスバカゲロウの活動期は7、8月の真夏である。

以上、専門的な記述をネット上に載る研究者の記事から紹介した。

私は内向的な性格の子供で、もちろん以上のような難しいことは知る由もなく、縁側の下で繰り広げられる蟻地獄の狩の様子を、じっと見つめるばかりであった。
アリジゴクの幼虫の成長につれて、すり鉢の穴の直径は大きくするようであった。直径1センチくらいのものが、3センチくらいにも大きくなるようであった。
そういう少年期の記憶が、後年になって、このような歌に結実したと言えるだろう。

掲出するのが遅くなったが、ウスバカゲロウの成虫の写真を出しておく。
usubakaウスバカゲロウ

俳句にも蟻地獄という夏の季語はあり、歳時記には結構多くの句が載っている。それを引いて終わる。

 蟻地獄ほつりとありてまたありぬ・・・・・・・・日野草城

 蟻地獄見て光陰をすごしけり・・・・・・・・川端茅舎

 蟻地獄みな生きてゐる伽藍かな・・・・・・・・阿波野青畝

 蟻地獄寂寞として飢ゑにけり・・・・・・・・富安風生

 むごきものに女魅せられ蟻地獄・・・・・・・・滝春一

 蟻地獄かくながき日もあるものか・・・・・・・・加藤楸邨

 蟻地獄群るる病者の床下に・・・・・・・・石田波郷

 蟻地獄孤独地獄のつづきけり・・・・・・・・橋本多佳子

 わが心いま獲物欲り蟻地獄・・・・・・・・中村汀女

 蟻地獄すれすれに蟻働けり・・・・・・・・加藤かけい

 蟻地獄女の髪の掌に剰り・・・・・・・・石川桂郎
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先に書いた水生のウスバカゲロウのことだが、この種類は私の本題とは直接には関係がないので、ここに「余談」として書いておく。
ウスバカゲロウと言えば、実生活には、むしろ、この水生のウスバカゲロウの方が関係があるかも知れない。
というのは盛夏になると特定の川沿いの道路なんかに、この水生のウスバカゲロウやトビケラの群れが密集して飛び車の運転も出来ないようになるような光景が出現する。翌朝には道の上に層をなして死骸が重なっているのである。虫の油でスリップ事故なども起る。
これは先に書いた「婚姻飛翔」nuptial flightという雄と雌のウスバカゲロウが交尾を求めて群れるのである。こういう集団発生があちこちで見られる。
余談ではあるが、念のために書いておく。
トビケラの種類も日本でも数百も居ると言い、そのうちのどの種類であるかは判らない。水生のカゲロウとトビケラは、極めて近縁の昆虫であるらしい。
「群飛」して婚姻飛翔するのは先に書いた通り、本当である。
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この記事を元にして私の第二詩集『愛の寓意』(角川書店)に「風力分級」の題にして「詩」として載せた。
風力分級という非日常的な題なので、多くの人から注目されたようだ。一言触れておく。


砂浜にひと叢さかる豌豆は縋るものなし 虚空に蔓を・・・木村草弥
hamaendou01浜豌豆

  砂浜にひと叢(むら)さかる豌豆は
    縋るものなし 虚空に蔓を・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。

「浜豌豆」は海岸の砂浜に生える草で5月頃から見られるようになる。日本は縦に長いから北へゆくほど遅い時に見られる。
どうも日本の固有種らしく、学名はLathyrus japonicus という。白と紫の可憐な花である。
名前の通り、マメ科の多年草で海岸に生える。丈が50センチほどになるというが、その海岸の風その他の条件によって異なる。
先は蔓になるのは、私の歌の通りである。
砂浜の植物は、潮の波打ち際には生えない。いくらか離れたところに叢を作るようにかたまっているのが通常である。
何ら縋るものがないので、私は「虚空に蔓を」と表現してみた。それは私自身の心象の表白でもあろうか。
写真②は、その実である。
hamaendou04ハマエンドウ実

その可憐さを愛でられて俳句にも詠まれているので、それを引いて終わる。

 はらはらと浜豌豆に雨来たる・・・・・・・・高浜虚子

 礁の上にいつく神あり浜豌豆・・・・・・・・富安風生

 浜豌豆雨はらはらと灘光る・・・・・・・・角川源義

 風落ちしとき松籟す浜豌豆・・・・・・・阿部みどり女

 夕日荒く浜豌豆に尾を引けり・・・・・・・・大野林火

 役立たぬ蛸壺隠し浜えんどう・・・・・・・・藤田美雄

 海光に牛踏み荒らすはまゑんどう・・・・・・・・庄司とほる

 浜豌豆陽にも風にも砂丘動き・・・・・・・・野沢節子

 遊子あり浜豌豆のむらさきに・・・・・・・・森田峠



詩作品 「酒食日記」・・・冨上芳秀
詩的_NEW

──冨上芳秀の詩──(10)

       詩作品 「酒食日記」・・・・・・・・・・・冨上芳秀
            ・・・・・・・「詩的現代」33号2020/06所載・・・・・・・・

冨上氏のメール文には、こう書かれている。
<「酒食日記」は寺島珠雄詩集『酒食年表』にちなんだもので、一種のオマージュです。
  いつもの詩とは違う日常生活詩を気まぐれに書いてみました。    冨上芳秀 >
 
添付ファイルで頂いたので全文を出しておく。

     詩作品 「酒食日記」     冨上芳秀

某月某日

最近、野菜料理に興味があって、昨日も、雨の中、「スーパーカクヤス」「スーパー丸八」
「関西スーパー」とを見て回った体力が衰えた私は自転車で走ったり歩いたりすることに
している。雨の日はスーパーマーケットで商品を見て回る。これも傘をささず歩く運動。
一時間ほど歩いたから、今日の運動は終わり。買ったのは、ビーツの葉付きの小さい玉が
二株、百五十円と葉付きの玉葱が一本、九十円。今しか食べられない玉葱の葉と赤いマジ
ックで書いてある。インターネットでレシピを調べた。一番簡単なのは、両方とも塩コシ
ョウで炒めること。鮮やかな緑と赤い茎、ビーツの球根は固いというので薄く切って、さ
らに拍子切りにした。玉葱の葉は柔らかくていい香りがする。ビーツは葉はもちろん炒め
ると茎も球根も柔らかく癖がなくおいしい。黒霧島の水割り。

某月某日

玉葱の葉も、ビーツもおいしかったので、もう一度買いに行った。この二つの野菜が欲し
いのだが、二百四十円をカード払いにするには気が引けるので、とろけるチーズ、京揚げ、
竹輪、ウィンナーソーセージを籠に入れ、奥にある野菜売り場に行ったが、玉葱の葉も、
ビーツもなかった。籠の中の物をすべて元に戻して何食わぬ顔で店を出た。夜、泡盛「千
年の響き」長期熟成の古酒は芳醇な香り。


某月某日

ビーツとリンゴの明るいピンクのジャムを作りたかったので、天満市塲に行く。ここは大
阪の江戸時代から続く青物市場で、複数の八百屋や魚屋などが「ぷらら天満」というビル
の中に入っている。「フレシコ青果」で葉付きではないけれど暗赤色のビーツを見つけた。
五個で百五十八円。葉ワサビ、九十八円だったので、三束、さっと茹で、塩を一つまみ、
袋に入れて揉んで、白だしにミリン、料理酒を入れて、冷蔵庫で一晩寝かす。つんと来る
ワサビの香りがたまらない。酒のつまみ。トレビスは葉が紫で葉脈や茎が真っ白のキャベ
ツに似たイタリア野菜、これが一玉、五十八円。その後、我が家のテーブルに野菜サラダ
が復活したきっかけになった。パセリが大きな袋にぎっしりで九十八円。ビヤグラスに活
けるとトトロの森のようだ。冷蔵庫で冷やした「どなん」はとろりと盃に盛り上がった。
六十度の花酒は一瞬、身体を痺れさせるようなパンチがある。後はブランデーの香りと甘
さが残る。


某月某日

一袋二百九十八円のリンゴ、サンフジを剥いて、ビーツ二個を短冊切りにして、グラニュ
ー糖で煮てジャムを作る。暗赤色のホコリのついたようなビーツは皮を剥くとルビーのよ
うに輝く。初めは白かったリンゴがやがて薄いピンクになる。それから、鮮やかなピンク、
さらに濃いピンクになったので、ビーツを入れすぎたかなと思ったが、もう少しドロッと
するまで煮詰めたいと思っていたら、女房が焦げ臭いと言った。慌てて止めたが、鍋の中
は水アメのようになって全体が焦げ臭い。もう少し早く火を止めるべきだったのだ。鍋は
まだぐつぐつと泡立って焦げ臭いので、慌てて大きなボウルに入れた。鍋の底は真っ黒に
焦げた砂糖分がこびりついてていた。まあ、食べましょうと女房が言ったので、サラダと
葉ワサビと菊芋の梅肉和えと酢味噌和え、マグロの煮付け、五百円のチリ産のフルボデイ
ーの赤ワイン、女房はお気に入りの馬路村酎ハイ。何とささやかで贅沢な食卓だろうと二
人で乾杯。それにしてもジャムはもったいないことをした。中華鍋の焦げを女房が金たわ
しで擦ってくれたようだが、あまりとれていない。夜中に水を流して酢を張って置いた。


某月某日

酢は効果がなかった。ひらめいたことがあった。少し水を入れた鍋を火にかけて、水がな
くなるまで熱した。それから氷を入れて急に冷やした。膨張係数の差で焦げに亀裂を入れ
て削ぎ落そうとしたのだ。スプーンでやってみるとこびりついた焦げはほとんど小さな点
が残っているだけになった。そのきれいになった鍋に昨日の水アメ状になったビーツとリ
ンゴのジャムを入れて焚いた。焼酎付けの梅の実見つけたので、それも加えた。焦げの色
がついて黒みがかっていたが、どろりとなった。昨日の失敗を繰り返さないように早めに
火を止めた。冷めたのを見るとジャムのようだ。舐めるとやはりジャムだ。焦げ臭くもな
い。「食べ物のことになると執念の人やね」と女房がほめてくれた。このジャムとハッサク
のママレードとオリゴ糖、今日のカスピ海ヨーグルトはできがいい。パセリの森の下で女
房は馬路村、私は赤霧島の水割り。水栽培のさつま芋の芽は深山幽谷の松のように繁り、
菊芋の芽も伸びた。
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冨上氏の詩は、その時々でヴァリエーションを替えて、さまざまのスタイルを取っている。
はじめに書いたように、この詩は、寺島珠雄詩集『酒食年表』にちなんだもので、一種のオマージュということである。
現代詩は、何でもあり、なのである。味わってみてもらいたい。




書評─木村草弥歌集『信天翁』・・・・・・・・・・・・・冨上芳秀
詩的_NEW

信天翁_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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──冨上芳秀の詩──(9)

     書評─木村草弥歌集『信天翁』・・・・・・・・・・・・・冨上芳秀
              ・・・・・・「詩的現代」33号2020/06掲載・・・・・・・・

敬愛する冨上芳秀氏が標記の記事を執筆されたので、当該部分を抄出しておく。読みやすいように私の独断で改行した。
全文は、別項の記事を参照されたい。 → 「ジジイの覗き眼鏡」⑧

▼木村草弥歌集『信天翁』((二〇二〇年三月一日刊、澪標)の場合は、短歌と詩のボーダーの世界である。歌人、木村草弥の第七歌集である。
木村草弥のことを知ったのは第三詩集『修学院幻視』(二〇一八年十一月一五日刊、澪標)を送っていただいてからである。
その詩集に感動して「ジジイの覗き眼鏡5」(「詩的現代」三十号、二〇一九年九月七日刊)に書いた。お礼に詩集を送るとブログに紹介してくれるようになった。 K-SOHYA POEM BLOG には、豊かな体験と古今東西の文学に精通した学識に支えられた木村草弥の世界が展開されているので興味のある人はぜひ覗いてほしい。
守備範囲が広く、様々な文学作品について読みが深く鋭い。毎日これだけの内容のものを発信し続けることはすごい。
他者の作品に対する深く鋭い認識を示す木村草弥が自ら生み出す作品は当然、魅力的な物である。
『信天翁』は「Ⅰ 信天翁」 「Ⅱ 朝の儀式」 「Ⅲ cogito,ergo sum 」 三章から成り立っている。
「Ⅰ 信天翁」の冒頭には第一章と同じ「信天翁」というタイトルが付けられ短歌群が置かれている。

      一病を持ちては永きたそがれか野の豌豆の花の白さや
           稲田京子さん死去
      《信天翁(あほうどり)》描ける青きコースターまなかひに白き砂浜ありぬ
      黄蜀葵《知られぬ恋》の花言葉もつとし言ひてをとめさびしゑ
      まどろみのみどりまみれぞ松園の春画に見つる繁き陰毛(にこげ)は
           兄・木村重信死去
      吉凶のいづれか朱き実のこぼれ母系父系のただうす暗し
      もゆらもゆら夏の玉の緒ひぐらしの啼く夕ぐれはまうらがなしも
      庭の樹につくつくぼふしが来鳴きけり酷暑のふつと弛める夕べ
      つくつくよわが庭の樹に産卵せよ黐(もち)がよいかえ山茶花よきか
      また地上に出てくるときは七年先まみえむ日まで命やしなはむ
      向うより径(みち)の来てゐる柿畑自(し)が影曳きてさまよひにけり
      《馬耳東風》おそろしきかも十を聴き九を忘るる齢(よはひ)となりて
      村の見慣れた風景に眠つてゐる寓話をゆつくり呼びさましたらどうか

<「信天翁」>最後の一首を除き、文語定型の端整な短歌が並んでいる。
昔から短歌の連作というものがあるが、定型が一種の独立性を強く主張するため連作と云っても相互の関連性は強くない。
「信天翁」の世界について「あとがき」でこの部分の背景が語られている。

<妻・弥生の死後、十年間、私を支えてくれたケアマネジャー(正式には介護支援専門員という国家資格)の稲田京子さんが二〇一六年三月に死んだ。
その直後に私は突然、起居不能に陥り原因が判らず四苦八苦したが、幸い専門医の診断と処置により生還した。
その翌年、行動する学者として世界中を飛び廻っていた美術史家の次兄・重信が死んだ。
「影」として生きてきた私は大きなショックを受けたが、何とか立直りたいと思う。
そういう騒動を描いたものが巻頭に置いた「信天翁」の一連である。これは角川書店「短歌」誌二〇一七年九月号に載るもので、歴史的かなづかい、文語文脈で発表した最後のものである。敢えて、そのままで掲載してある。
それ以後、私は現代口語歌を標榜する「未来山脈」光本恵子・主宰のもとに拠って作品を発表している。だから、それ以後は「新かなづかい」を採用している。(以下略〉「あとがき」>
「信天翁」と次に紹介する「生存証明」との驚くほどの違いはここで明らかにされている。「生存証明」は現代口語歌であり、自由律の歌であることによって短歌的独立性が希薄である。
だから逆に、それによって、それぞれの歌の相互関係が強くなり、詩に近い自由な展開を成し遂げている。
       「門松は冥土の旅の一里塚目出たくもあり目出たくもなし」一休
       一休の狂歌を引いてM君から「年賀をやめる」とハガキ
       「小生、来年二月には九十歳となるので年賀欠礼」という
       「一休の狂歌が身に染みて感じられるようになりました」
       M君よ、それも分かるが年賀状は年に一度の「生存証明」なのだ
       まあ、君のしたいようにすればいいことだが淋しいねえ
       シルバー川柳にいう「誕生日ローソク吹いてたちくらみ」
       同じくシルバー川柳「入場料顔みて即座に割引かれ」
       朝鮮戦争反対のビラ撒きで米軍事裁判で有罪となり服役したM君
       そんな闘士のM・M君よ、大阪は築港の冬は冷たいか(「生存証明」)

この作品は一休の狂歌の引用、M君のハガキ、その内容の引用、それに対する感想、シルバー川柳の引用、それは九十歳になって年賀状をやめるというM君の行動の老いであるが、それは同じく九十歳になる木村草弥自身にも忍び寄っているのである。
最後に友人M君の現在に思いを馳せる。この自由なスタイルは短歌を並べたものというより詩そのものではないか。
私のこの見解は木村草弥の自覚するものでもある。
<本来、短歌は一首で自立する文芸である。しかし、この本での私の作品は十行あるいは十二行からなる「短詩」のような形態を採っている。
だから短歌ではなく「散文の短詩」として読んでもらって結構である。短歌として違和感を持ってもらっては困るので敢えて書いておく〉(「あとがき」>
私たちは九十歳になってなお果敢に詩の追及している木村草弥の姿勢を学ばねばならない。詩は何でもありなのである。
新しい文学の可能性は詩と隣接する文学ジャンルとのボーダーにあるからなんでもありという詩のアナーキーな本質の下に新しい文学を追求しなければならない。
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極めて的確な批評である。
長い引用までしていただき恐縮するが、このように書いていただくと、作者冥利に尽きる、というものである。有難うございました。
前にも書いたが、冨上芳秀氏は「大阪文学学校」で詩部門の講師というか、チューターをなさっている。
「詩的現代」は、愛敬浩一が編集する季刊誌であり、現代詩の世界で或る一定の地歩を有している雑誌である。
同人費を徴収しているとはいえ、厚さ2センチにも及ぶ立派な雑誌を定期的に刊行する営為に敬意を表したい。






父の眸や熟れ麦に陽が赫つとさす・・・飯田龍太
2345ce88de1d51518c75ab54d1a23da7麦秋

    父の眸や熟れ麦に陽が赫(か)つとさす・・・・・・・・・・・・・・・飯田龍太

私の辺りでは昔は米の「裏作」として秋に種を蒔いて麦を栽培していたが、今では全く作られなくなった。
ここにも書いたが、2008年5月にスペインに行ったときには、かの地はちょうど麦秋の時期に入るところだった。
日本の何倍もの面積があるので、すでに麦の刈り取りの済んだところもあった。

   麦秋の中なるが悲し聖廃墟・・・・・・・・・・・・・・・水原秋桜子

という句を思い出していた。
写真②は、まだ青い麦である。
c0042797_1424114まだ青い麦

「麦秋」と言う言葉は趣のあるもので秋蒔きの麦が初夏の頃に黄色く熟れるのを表現している。
あいにく日本では梅雨の頃に麦秋が訪れるので、雨の多い年などは大変である。
雨が多くて刈り取りが遅れると立った穂のまま湿気で発芽したりするのである。
以前に地方に出張していた頃は車窓から麦刈りの風景などが見られたものである。
九州などでは麦刈りの時期も早いので梅雨までには済んでいるようである。
私の歌にも麦を詠ったものがあり「・・・熟れ麦にほふ真昼なりけり」というようなものがあったと思って歌集の中を探してみたが、
なにぶん歌の数が多くて見つけられず、掲出の龍太の句にする。

麦にはいろいろの種類があり、用途によって品種改良がされてきた。
小麦粉にするのは「小麦」である。ご飯にまぜて食べるのは「裸麦」である。ビール原料になるのは「大麦」で、専用のビール麦というのが開発されている。
因みに言うと「裸麦」は荒い石灰と一緒に混ぜて専用の臼で表面の固い殻を摺り落す。その際に麦の割れ目の筋が褐色に残る。
昔は、そのまま押し麦にして米飯と一緒に混ぜて炊いたが、今では、その筋に沿って縦にカットして米粒のような形に加工してあるから
一見すると区別がつかないようになっている。
他に「ライ麦」や家畜の餌にする「燕麦」などがある。
むかし軍部はなやかなりし頃、「陸軍大演習」になると、私の辺りの農村も舞台になったが、空き地には軍馬が臨時の厩舎を作って囲われたが、
馬に与えられた燕麦がこぼれて翌年に麦の芽が出て穂になったりしたものである。
参考までに言うと、馬に与える草などは地面に置いた餌箱に置かれるが、麦のような細かい粒のものは零れて無駄にならないように帆布のような厚い餌袋を耳から口にかけさせて食べさせるのである。
馬は時々頭を跳ね上げて、袋の中の麦粒を口に入れようとするので、多少は辺りに飛び散るのだった。

以下、麦秋を詠った句を引いて終わる。

 麦秋や葉書一枚野を流る・・・・・・・・・山口誓子

 いくさよあるな麦生に金貨天降るとも・・・・・・・・中村草田男

 麦熟れて夕真白き障子かな・・・・・・・・・中村汀女

 一幅を懸け一穂の麦を活け・・・・・・・・田村木国

 灯がさせば麦は夜半も朱きなり・・・・・・・・田中灯京

 麦笛に暗がりの麦伸びにけり・・・・・・・・山根立鳥

 少年のリズム麦生の錆び鉄路・・・・・・・・細見綾子

 麦の穂やああ麦の穂や歩きたし・・・・・・・・徳永夏川女

 褐色の麦褐色の赤児の声・・・・・・・・福田甲子雄

 郵便夫ゴッホの麦の上をくる・・・・・・・・菅原多つを

 麦は穂に山山は日をつなぎあひ・・・・・・・・中田六郎

 会ふや又別れて遠し麦の秋・・・・・・・・成田千空

 石仏に嘗て目鼻や麦の秋・・・・・・・・広瀬直人

 麦秋のいちにち何もせねば老ゆ・・・・・・・・関成美

 クレヨンの黄を麦秋のために折る・・・・・・・・林 桂

 麦の秋男ゆつくり滅びゆく・・・・・・・・立岩利夫

 麦秋や老ゆるに覚悟などいらぬ・・・・・・・・水津八重子

 一杯の水に底あり麦の秋・・・・・・・・吉田悦花

 麦秋の中に近江の湖をおく・・・・・・・・大高霧海






ガラスを透く守宮の腹を見てをれば言ひたきことも言へず 雷鳴・・・木村草弥
photo54やもり

     ガラスを透く守宮(やもり)の腹を見てをれば
        言ひたきことも言へず 雷鳴・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


はじめにお断りしておく。掲出の写真はネット上でeco.gooの「ようちゃんの風景」2003/5/24から拝借したものである。
この写真はガラスに張り付いた守宮を撮ったものだが、グロテスクな感じを与えないので、丁度よいと思う。
この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。

守宮は主に人家に棲み、壁や天井、ガラスなどに張り付いて明りに寄ってくる虫を捕らえて食べている爬虫類である。
指には吸盤があって、どんなところにも留まることができる。
体の色は環境によって変化するらしいが、私は夜に家で見かけるので灰色の時しか知らない。毒はなく、害虫を捕らえる有益な生き物と言えよう。

ガラスに張り付いている場合は、守宮の腹の中の様子が少し透けて見えるので興味ふかい。
呼吸に応じて喉がひくひくと動くところなど面白い。
それにガラスに張り付いている場合は裏面から見えているわけで、守宮の目からは、こちらは見えないので、彼は気がつかないから、ゆっくり観察できる。
名前の由来は、だいたい家の中に居るので「家守」の意味で、この名がついたと言われている。
鳴声が嫌だと言われるが、私はまだ聴いたことがない。
守宮は家の壁や地下の暗いところに10個ほどの卵を生む。これは私は一度みたことがある。

私の歌のことだが「何々していると」という条件句と、後のフレーズとには厳密な繋がりはない、と受け取ってもらいたい。
文芸作品というものは論理的ではないことが多い。
「こうしたから、こうなる」というものではないのである。まして結句に「雷鳴」というフレーズがある、などが、それである。

以下、守宮を詠んだ句を引いて終わる。

 河岸船の簾にいでし守宮かな・・・・・・・・飯田蛇笏

 壁にいま夜の魔ひそめるやもりかな・・・・・・・久保田万太郎(カルカッタの飛行場にて)

 硝子戸の守宮銀河の中に在り・・・・・・・・野見山朱鳥

 灯を待てる守宮雌を待つごときかな・・・・・・・・阿波野青畝

 芭蕉葉に二重写しの守宮かな・・・・・・・・阿波野青畝

 獄いたるところに守宮の夫婦愛・・・・・・・・大喜多冬浪

 静かなるかせかけ踊守宮鳴く・・・・・・・・高浜年尾

 膝に蒲団はさみて寝るや守宮鳴く・・・・・・・・沢木欣一

 守宮ゐて昼の眠りもやすからず・・・・・・・・上村占魚

 守宮かなし灯をいだくときももいろに・・・・・・・・服部京女

 昼守宮鳴く経蔵に探しもの・・・・・・・・能仁鹿村

 玻璃に守宮眠れぬ夜の星遠く・・・・・・・・長島千城



蝙蝠や西焼け東月明の・・・平畑静塔
koumori4アブラコウモリ

   蝙蝠や西焼け東月明の・・・・・・・・・・・・・・・・・平畑静塔

日本で人家近くで見られる蝙蝠(こうもり)は「アブラコウモリ」(イエコウモリ)と呼ばれるもので、掲出する写真は、いずれも、これである。
アブラコウモリは東アジアの人家に棲む小型のヒナコウモリ科の哺乳類。日本でもっとも普通に見られる住家性の蝙蝠。

koumori6アブラコウモリ

写真②は蝙蝠の口。
アブラコウモリは翼をひろげた長さが20センチほど。翼のように見えるのが股間膜。これで羽ばたいて飛ぶ。体長は約5センチ、前腕長3.2~3.5センチ、体重6~9グラムという。
普通は木造、プレハブなどの建物の羽目板の内側や戸袋などに棲みついたりするらしい。

先年、わが家の二階の南東角の窓のシャツターの下に大量の糞がうず高く堆積しているのを見つけた。
このシャッターケースに蝙蝠が住み着いていたのである。この窓は平常は開け閉めしないので、言わば死角になっていて気付かなかったものである。
さっそく追い払う手立てを取ったのは、言うまでもない。

鉄筋コンクリートの住宅の外に開孔する排気管の中に棲みついたりするらしい。この種類は洞窟や森林には棲まない。
夕方、街中や川の上を集団で飛びまわって飛びながら蚊や羽虫を食べている。
ツバメかと思って、よく見ると尻尾がないのでコウモリだと判る。

koumori8アブラコウモリ

私が、このイエコウモリに初めて出会ったのは戦争末期に米軍の焼夷弾爆撃から街を守るために防火帯として広い道路を作るというので人家を強制的に壊した、いわゆる「疎開道路」という政策のために京都駅南側の人家の引き倒しに動員された時である。
人家に潜んでいたイエコウモリを学友の誰かが捕まえて掌の中に包んでいたのである。掴んでみると哺乳類だから暖かかった印象が第一である。
コウモリは人には聞こえない周波数の高い声を出してレーダーのように使って、障害物を巧みに避けるという。

蝙蝠は俳句などでは「かはほり」というが、これは蚊を欲するゆえと言い、この「かわほり」が転じてコウモリとなったという。
姿や習性から気味悪い動物と思われがちだが、虫などを食べる有益な動物だということである。
とは言え、住み着かれると臭いし、衛生的に悪いので、立ち退いてもらうに越したことはない。
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掲出した平畑静塔の句のことだが、「西焼け東月明の・・・・・・・」と言われるような気象条件の日というのは年間に何日もあるわけではない。
つまり、西の空は夕焼けで、東の空には明るい月が昇ってくる、という条件である。
私も調べてみたわけではないが、関心のある方は「暦」で調べていただきたい。
季節は変わるが、

  <菜の花や月は東に日は西に     与謝蕪村>

という句がある。この句の季節は早春ということだが、条件的には同じ情景、である。
この句を引いたときにも書いたことだが、年間何日もあるわけではない。
平畑静塔の句は、この蕪村の句を念頭において作られたのは確かだろうと思われるので、念のために、敢えて書いておく。

以下、歳時記に載る蝙蝠の句を引いて終わる。

 かはほりやむかひの女房こちを見る・・・・・・・・与謝蕪村

 かはほりや仁王の腕にぶらさがり・・・・・・・・小林一茶

 蝙蝠に暮れゆく水の広さかな・・・・・・・・高浜虚子

 蝙蝠やひるも灯ともす楽屋口・・・・・・・・永井荷風

 歌舞伎座へ橋々かかり蚊食鳥・・・・・・・・山口青邨

 蝙蝠に稽古囃子のはじめかな・・・・・・・・石田波郷

 三日月に初蝙蝠の卍澄み・・・・・・・・川端茅舎

 かはほりやさらしじゆばんのはだざはり・・・・・・・・日野草城

 鰡はねて河面くらし蚊食鳥・・・・・・・・水原秋桜子

 蝙蝠や父の洗濯ばたりばたり・・・・・・・・中村草田男

 蝙蝠に浜のたそがれながきかな・・・・・・・・山下滋久

 妻の手に研ぎし庖丁夕蝙蝠・・・・・・・・海崎芳朗



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