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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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高尾恭子歌集『裸足のステップ』・・・木村草弥
恭子_NEW

──新・読書ノート──

       高尾恭子歌集『裸足のステップ』・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・現代短歌社2020/06/27刊・・・・・・・・

この本が恵贈されてきた。表紙の固いドイツ装の小ぶりの瀟洒な本である。
作者は「地中海」誌に所属する大阪の人である。
「地中海」大阪支社に居られるから私も存じているし、お会いしたこともあるかも知れないが、深い付き合いはない人である。
年賀状は差し上げているし、今回の私の歌集『信天翁』もお送りしたが、返信の記録はない。
とにかく、こまめに交信をするような人ではないようである。
この本にも「あとがき」に来歴は書かれているが「略歴」などは一切ない。とにかく「言葉少ない」人である。
「あとがき」や「帯」文の久我田鶴子によると、京都生まれの大阪人だという。
大阪で三十八年間、高校国語教員をやって来られた。2014年に定年退職されている。
「あとがき」には、こう書かれている。

<定年が近づいた頃から、一つの区切りとして歌集を出したいという思いはあった。
 しかし、退職すると月日はあっという間に過ぎてゆき、歌集のことは先延ばしになってしまった。
 ・・・・・とりわけ、点字図書館の音訳ボランティアは、今では生活の大きな部分を占めるようになった。
 ひょんなことから始めたバルーンアート、自然観察会の活動等々、・・・・・人生の第二ステージは私の行動半径や交友関係を広げていった。
 ところが新型コロナウイルスで私の生活も激変した。・・・・・歌集作りに着手することにしたのだ。・・・・・
 私が短歌に出会ったのは二十代半ばである。
新任として赴任した府立高校の先輩教員小西美智子氏は「地中海」大阪支社の同人で、当時の大阪支社長奥田清和氏に紹介され「地中海」に入った。
しかし数年後仕事と家庭の両立だけで精一杯になり、長い長い空白のあと、・・・・・学校が週休二日制になり、第四日曜日の歌会に出掛ける精神的余裕が生まれてから、もう一度短歌を始めることになった。
 ・・・・・二〇〇〇年から二〇二〇年までの372首を選び出した。あらためてふり返ってみると、ありふれた一市民の生活を詠んだものばかりである。
 平明な詠いぶりに表れているように、実生活も気負わず自然体で歩みたいと心がけてきた。
 「和して同ぜず」を座右の銘に、〈裸足のステップ〉を軽やかに踏みながら。>

長い引用になったかも知れないが、この文章に、この本の要約が尽くされていると言えるからである。
以下、歌を引きながら鑑賞していきたい。
歌集の題名は、巻末に「裸足のステップ」の一連があり、
   *纏足のようなパンプスぬぎすてし女こぞりて現在を駆けゆく
   *沖縄は梅雨明けという爪赤く染めて裸足のステツプを踏む
の歌から採られている。
作者の詠いぶりも選歌も几帳面なものである。「和して同ぜず」を座右の銘と言われるように実践しておられるのである。

章建ては、Ⅰ Ⅱ Ⅲ になっているが、経時的になっているかは分からない。

   *焼きたてのパンを抱えて闊歩する「おおきに毎度」の声ひびく町
   *あつあつのチヂミほおばりカンサハムニダ鶴橋市場の迷路にあそぶ
   *自由軒の暖簾くぐれば横向きに織田作之助老いて腰かけている
   *夕暮れの水掛不動は異形めき関東煮みたいな大阪ミナミ
   *高層のビルに変わった下町をチンチン電車が寝ぼけて走る
   *見はるかす〈あべのハルカス〉大陸の嚏うつりて雲居にかすむ

巻頭の「大阪点景」に載る歌である。この本の巻頭に、作者は今の大阪のラフスケッチを描いてみせた。
「関東煮かんとだき」とは「おでん」のことである。今の若い人たちは知らないかもしれない。

   *ままごとのように暮らした茨木の三軒長屋に灯りが見える
   *ふりかえる日は銀の匙 ポン菓子の砲台黒くあの角に待つ
   *うつむいた子の背を押すドラえもん耳かじられし傷がうずける
   *夕風が子を取ろ子取ろと吹きすざびぐらりと揺るる朱の一輪車
   *スタートのピストルかわいた音はなつ十月十日の空青かりき

巻頭の次の項目の歌である。この辺のところは多分に経時的であるようだ。

   *本当は瞳があったはずなのに少女はモジリアニの絵に閉じこもる
   *質問が詰問となり煮つまったカレーのような放課後の室
   *紙飛行機とばさんほどに一行の退学届を少女は持ち来
   *はつ夏の緑まぶしく引きこもる汝のメールに絵文字をおくる
   *学校の前まで来たと俯きて少女は細き肩ふるわせる

思春期の若者は揺れ動いている。反抗期でもある。彼らと交わりながらの教師の生活は尊いものである。
何十年の出来事を、この一巻に圧縮したので、歌の「推移」も、すばやい。

   *肩書をはずせば人は線と面さやさやとして花ちらす風
   *花散らす口縄坂の風にのる背さびしき織田作之助の影
   *下二段活用おぼえる子ら乗りてそういえば考査の始まる七月
   *泣かしたり苛められたり遠き日を秘めおりトンボのちびた鉛筆
   *鉛筆を器用に削る友ありき今ならクラスのヒーローとよぶ
   *とびっきりの御褒美だったカルピスの水玉模様はじけ散る夏
   *水饅頭つるりと食めば子を産みし遠き五月の朝すがすがし
   *行水に汗を流せばぽんぽんをはたきくれたり祖母といた夏
   *浜田さんが五分遅れて来てくれそうな曽根歌会の戸外は晴れて
   *上書きのできぬ言の葉あたためて『暗黒物質』の宙めぐりたし

ここに「浜田昭則」氏の名前と著書が出てくる。私にも懐かしい人である。ここに書かれるように浜田氏は、いつも遅刻してくる人だった。
物理学徒でありながら、競馬とビールの好きな人だった。そんな人柄を表すように「動脈瘤解離」で急死された。
私は酒に弱かったので、酒好きな先輩歌人のお相手をするために浜田氏に同席をお願いして阪急百貨店脇で酒席を共にした記憶が甦る。

   *ゆく年と来る年つなぐ梵鐘を父は聞いたか逝きてしまいぬ
   *今触れた父の冷たさ一本の樹より寂しく元朝に立つ
   *しろがねのハモニカひとつ静かなり今は主なきベッドのかたえ
   *生きもののはずむ五月よ好物の鰻どんぶり父に手向けぬ
   *かなしみは忘れた頃に 一〇〇〇メートル平泳ぎしながら泣きぬれている
   *復員の後を余生とながらえて父は末期のひと声あげき
   *父逝きて語りつがれぬ戦あり雨後の送り火ひとすじ点る
   *文章にすれば二枚に足らぬとぞ死線を越えし父の自分史

ここに父親との別れが描かれている。これらの歌を、どうしても収録したかった、と「あとがき」にある。

   *骨董の市に見つけし鉄瓶をはるかにたどる祖母のぬくもり
   *しかられて祖母の蒲団にもぐりこむ黒い膏薬貼った手ぬくし
   *ここだけの内緒話をつめこんだ寄木細工の祖母の針箱

ここに祖母との思い出が淡々と詠まれている。佳い歌群である。

熊野古道や志摩半島や沖縄への羇旅の歌にも佳いものがあるが省く。

   *ひとり居の母の飯炊く時分かと八頭芋の皮あつく剥く
   *脈絡のなき日は遠し我楽多と母が捨てにしグリコのおまけ
   *足し算が引き算になる母の日々ひとすじ庭の白梅かおる
   *浅漬けの柚子大根をたずさえて日に日に遠し母の棲む家
   *口だけになっても母は毒を吐くカーネーションの一輪赤し
   *不意打ちにデイサービスは嫌いやと母の視線がまっすぐ伸びる
   *底冷えの京の町屋に蓬髪の母は流離の灯りをともす
   *身に合わぬ母の大島ふるさとの取っ手壊れし箪笥にしまう
   *辛口のお伽話の終章を母は小筆の草書にちらす
   *「健ちゃんは車掌になったか」問う母が古い写真の真ん中に居る
   *べとついた母の茶碗を洗いつつ寺山修司ほどに憎めず
   *堀川の土手の桜を仰ぎみる「もう帰ろう」と母の言うまで
   *息ほそき母のいのちよ如月の淡雪しろく片肺に降る
   *六月の母の暦の明るさよ三色ペンのゴミ収集日

ここに母との思い出と確執などが表現されている。思えば「肉親」というものも寂しいものである。

   *右肩をいからせて子は発ちゆけり八重の桜のほわほわとして
   *段ボール五箱と発ちし子の部屋に欠けたドラえもんの貯金箱あり
   *新しきスーツ二着をひっさげて子は発ちゆけり熊谷という町
   *祝婚の三十九年目うしろから抱きしめられて夕日があかい
   *三角に手と手つなげばこれ以上小さくならぬ家族の単位
   *遠き日を三十一文字が記憶する いぶりがっこと炊きたての飯
   *がらんどうのオフィスに夫は息ひとつ吐いて四月の暦をやぶる
   *小説は読まない夫と四十年すこしは同じ夢をみている

ここに「子」と「夫」のことが書かれているが、作者は、そういう眷属のことは描かない人である。寡黙である。それも一つの生き方である。

   *ユリノキを仰ぐ朝の空たかく憲法九条ゆがんで映る
   *水あめのような歴史をふりかえり百田尚樹の言葉をこばむ
   *戦後レジーム脱却すなわち戦前がはじまっている 狼が来た

ここには現下の保守派の動向に批判的な作者の姿が見え、私は尊敬する。こういう時事を詠うことも歌人としては大切である。

いよいよ巻末に迫ってきた。

   *白内障のまなこ近づけ〈ぴ〉か〈び〉か迷いたり音訳録音
   *京うまれ大阪そだちを恃みつつアクセント辞典をボロボロにする
   *わたくしの声をだれかが待ちおらん 録音室の二時間あまり
   *着ぶくれたコートに挟まれ立ち飲みの卓に昭和のほおづえをつく
   *大阪のおばちゃんと括られ気がつけばヒョウ柄スカーフ三枚持てり

ここに作者の「今」が表現されている、と言っていいだろう。
巻末の歌は、先にも引いたが、
   *纏足のようなパンプスぬぎすてし女こぞりて現在を駆けゆく
   *沖縄は梅雨明けという爪赤く染めて裸足のステツプを踏む

で終わっている。何十年かの思いを、この一巻に込められた。
この後も佳い歌を詠んで、次歌集を期待したい。ご恵贈有難うございました。         (完)











山椒の脇すぎたれば葉ずれして匂ひたつなりすずやかなる香・・・木村草弥
W_sanshou4041山椒の花

   山椒(さんせう)の脇すぎたれば葉ずれして
     匂ひたつなりすずやかなる香・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
写真①がサンショウの花である。
山椒の匂いは葉から発するもので花そのものには匂いがあるかどうかは判らない。
掲出した歌の次に

      摘み取りし山椒の若葉を摺りこみて田楽豆腐の竹串ならぶ・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

という歌があるが、季節の木の芽として香り高く、重宝なものである。もちろん私の方には山椒の木がある。

sansyo-ao-zaru040617山椒の実

写真②が山椒の実である。
今その実が緑色に色づいて一杯なっているところである。
実は熟すると黒っぽくなるが、一般的には完熟させることはない。というのは青いまま採りいれて、山椒こんぶとか、佃煮とかに実を使うからである。
「山椒ちりめん」などちりめんじゃこと山椒を炊いて、よく乾かしたものは熱いご飯に載せると美味なものである。
山椒のぴりりと辛い成分は腐敗を防ぐ作用もあるらしい。日本人の生活の知恵である。

山椒の木は香りの強い木であるが、こういう香りの高い木の葉を好む虫がいるので始末が悪い。
アゲハチョウの類の蝶である。写真③はクロアゲハ蝶の雌である。

kuroageha-omoteクロアゲハ雌

この歌のつづきに

      山椒の葉かげに卵を生みゐたる黒揚葉蝶わらわらと去る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

という歌がある通りである。この幼虫自身も、つぶすと山椒の匂いがする。
大きな山椒の木になると多少食われても支障はないが、苗木の段階では、すっかり丸坊主にされてしまうことがある。
油断も隙もあったものではない。写真④はクロアゲハ幼虫の終齢期のもの。

kuroageha3クロアゲハ幼虫終齢

山椒の花、山椒の芽は俳句では春の季語である。
それらを少し引いて終わりたい。

 日もすがら機織る音の山椒の芽・・・・・・・・長谷川素逝

 芽山椒の舌刺す一茶の墓詣・・・・・・・・野沢節子

 朝夕に摘む一本の山椒の芽・・・・・・・・上村占魚

 芽山椒青年を摘む匂ひして・・・・・・・・星野明世

 花山椒煮るや山家の奥の奥・・・・・・・・松瀬青々

 風立てば山椒の花も揺らぎたる・・・・・・・・神津杉人

 誰か知る山椒の花の見え隠れ・・・・・・・・渡辺桂子



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