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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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詩作品 「酒食日記」・・・冨上芳秀
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──冨上芳秀の詩──(10)

       詩作品 「酒食日記」・・・・・・・・・・・冨上芳秀
            ・・・・・・・「詩的現代」33号2020/06所載・・・・・・・・

冨上氏のメール文には、こう書かれている。
<「酒食日記」は寺島珠雄詩集『酒食年表』にちなんだもので、一種のオマージュです。
  いつもの詩とは違う日常生活詩を気まぐれに書いてみました。    冨上芳秀 >
 
添付ファイルで頂いたので全文を出しておく。

     詩作品 「酒食日記」     冨上芳秀

某月某日

最近、野菜料理に興味があって、昨日も、雨の中、「スーパーカクヤス」「スーパー丸八」
「関西スーパー」とを見て回った体力が衰えた私は自転車で走ったり歩いたりすることに
している。雨の日はスーパーマーケットで商品を見て回る。これも傘をささず歩く運動。
一時間ほど歩いたから、今日の運動は終わり。買ったのは、ビーツの葉付きの小さい玉が
二株、百五十円と葉付きの玉葱が一本、九十円。今しか食べられない玉葱の葉と赤いマジ
ックで書いてある。インターネットでレシピを調べた。一番簡単なのは、両方とも塩コシ
ョウで炒めること。鮮やかな緑と赤い茎、ビーツの球根は固いというので薄く切って、さ
らに拍子切りにした。玉葱の葉は柔らかくていい香りがする。ビーツは葉はもちろん炒め
ると茎も球根も柔らかく癖がなくおいしい。黒霧島の水割り。

某月某日

玉葱の葉も、ビーツもおいしかったので、もう一度買いに行った。この二つの野菜が欲し
いのだが、二百四十円をカード払いにするには気が引けるので、とろけるチーズ、京揚げ、
竹輪、ウィンナーソーセージを籠に入れ、奥にある野菜売り場に行ったが、玉葱の葉も、
ビーツもなかった。籠の中の物をすべて元に戻して何食わぬ顔で店を出た。夜、泡盛「千
年の響き」長期熟成の古酒は芳醇な香り。


某月某日

ビーツとリンゴの明るいピンクのジャムを作りたかったので、天満市塲に行く。ここは大
阪の江戸時代から続く青物市場で、複数の八百屋や魚屋などが「ぷらら天満」というビル
の中に入っている。「フレシコ青果」で葉付きではないけれど暗赤色のビーツを見つけた。
五個で百五十八円。葉ワサビ、九十八円だったので、三束、さっと茹で、塩を一つまみ、
袋に入れて揉んで、白だしにミリン、料理酒を入れて、冷蔵庫で一晩寝かす。つんと来る
ワサビの香りがたまらない。酒のつまみ。トレビスは葉が紫で葉脈や茎が真っ白のキャベ
ツに似たイタリア野菜、これが一玉、五十八円。その後、我が家のテーブルに野菜サラダ
が復活したきっかけになった。パセリが大きな袋にぎっしりで九十八円。ビヤグラスに活
けるとトトロの森のようだ。冷蔵庫で冷やした「どなん」はとろりと盃に盛り上がった。
六十度の花酒は一瞬、身体を痺れさせるようなパンチがある。後はブランデーの香りと甘
さが残る。


某月某日

一袋二百九十八円のリンゴ、サンフジを剥いて、ビーツ二個を短冊切りにして、グラニュ
ー糖で煮てジャムを作る。暗赤色のホコリのついたようなビーツは皮を剥くとルビーのよ
うに輝く。初めは白かったリンゴがやがて薄いピンクになる。それから、鮮やかなピンク、
さらに濃いピンクになったので、ビーツを入れすぎたかなと思ったが、もう少しドロッと
するまで煮詰めたいと思っていたら、女房が焦げ臭いと言った。慌てて止めたが、鍋の中
は水アメのようになって全体が焦げ臭い。もう少し早く火を止めるべきだったのだ。鍋は
まだぐつぐつと泡立って焦げ臭いので、慌てて大きなボウルに入れた。鍋の底は真っ黒に
焦げた砂糖分がこびりついてていた。まあ、食べましょうと女房が言ったので、サラダと
葉ワサビと菊芋の梅肉和えと酢味噌和え、マグロの煮付け、五百円のチリ産のフルボデイ
ーの赤ワイン、女房はお気に入りの馬路村酎ハイ。何とささやかで贅沢な食卓だろうと二
人で乾杯。それにしてもジャムはもったいないことをした。中華鍋の焦げを女房が金たわ
しで擦ってくれたようだが、あまりとれていない。夜中に水を流して酢を張って置いた。


某月某日

酢は効果がなかった。ひらめいたことがあった。少し水を入れた鍋を火にかけて、水がな
くなるまで熱した。それから氷を入れて急に冷やした。膨張係数の差で焦げに亀裂を入れ
て削ぎ落そうとしたのだ。スプーンでやってみるとこびりついた焦げはほとんど小さな点
が残っているだけになった。そのきれいになった鍋に昨日の水アメ状になったビーツとリ
ンゴのジャムを入れて焚いた。焼酎付けの梅の実見つけたので、それも加えた。焦げの色
がついて黒みがかっていたが、どろりとなった。昨日の失敗を繰り返さないように早めに
火を止めた。冷めたのを見るとジャムのようだ。舐めるとやはりジャムだ。焦げ臭くもな
い。「食べ物のことになると執念の人やね」と女房がほめてくれた。このジャムとハッサク
のママレードとオリゴ糖、今日のカスピ海ヨーグルトはできがいい。パセリの森の下で女
房は馬路村、私は赤霧島の水割り。水栽培のさつま芋の芽は深山幽谷の松のように繁り、
菊芋の芽も伸びた。
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冨上氏の詩は、その時々でヴァリエーションを替えて、さまざまのスタイルを取っている。
はじめに書いたように、この詩は、寺島珠雄詩集『酒食年表』にちなんだもので、一種のオマージュということである。
現代詩は、何でもあり、なのである。味わってみてもらいたい。




書評─木村草弥歌集『信天翁』・・・・・・・・・・・・・冨上芳秀
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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──冨上芳秀の詩──(9)

     書評─木村草弥歌集『信天翁』・・・・・・・・・・・・・冨上芳秀
              ・・・・・・「詩的現代」33号2020/06掲載・・・・・・・・

敬愛する冨上芳秀氏が標記の記事を執筆されたので、当該部分を抄出しておく。読みやすいように私の独断で改行した。
全文は、別項の記事を参照されたい。 → 「ジジイの覗き眼鏡」⑧

▼木村草弥歌集『信天翁』((二〇二〇年三月一日刊、澪標)の場合は、短歌と詩のボーダーの世界である。歌人、木村草弥の第七歌集である。
木村草弥のことを知ったのは第三詩集『修学院幻視』(二〇一八年十一月一五日刊、澪標)を送っていただいてからである。
その詩集に感動して「ジジイの覗き眼鏡5」(「詩的現代」三十号、二〇一九年九月七日刊)に書いた。お礼に詩集を送るとブログに紹介してくれるようになった。 K-SOHYA POEM BLOG には、豊かな体験と古今東西の文学に精通した学識に支えられた木村草弥の世界が展開されているので興味のある人はぜひ覗いてほしい。
守備範囲が広く、様々な文学作品について読みが深く鋭い。毎日これだけの内容のものを発信し続けることはすごい。
他者の作品に対する深く鋭い認識を示す木村草弥が自ら生み出す作品は当然、魅力的な物である。
『信天翁』は「Ⅰ 信天翁」 「Ⅱ 朝の儀式」 「Ⅲ cogito,ergo sum 」 三章から成り立っている。
「Ⅰ 信天翁」の冒頭には第一章と同じ「信天翁」というタイトルが付けられ短歌群が置かれている。

      一病を持ちては永きたそがれか野の豌豆の花の白さや
           稲田京子さん死去
      《信天翁(あほうどり)》描ける青きコースターまなかひに白き砂浜ありぬ
      黄蜀葵《知られぬ恋》の花言葉もつとし言ひてをとめさびしゑ
      まどろみのみどりまみれぞ松園の春画に見つる繁き陰毛(にこげ)は
           兄・木村重信死去
      吉凶のいづれか朱き実のこぼれ母系父系のただうす暗し
      もゆらもゆら夏の玉の緒ひぐらしの啼く夕ぐれはまうらがなしも
      庭の樹につくつくぼふしが来鳴きけり酷暑のふつと弛める夕べ
      つくつくよわが庭の樹に産卵せよ黐(もち)がよいかえ山茶花よきか
      また地上に出てくるときは七年先まみえむ日まで命やしなはむ
      向うより径(みち)の来てゐる柿畑自(し)が影曳きてさまよひにけり
      《馬耳東風》おそろしきかも十を聴き九を忘るる齢(よはひ)となりて
      村の見慣れた風景に眠つてゐる寓話をゆつくり呼びさましたらどうか

<「信天翁」>最後の一首を除き、文語定型の端整な短歌が並んでいる。
昔から短歌の連作というものがあるが、定型が一種の独立性を強く主張するため連作と云っても相互の関連性は強くない。
「信天翁」の世界について「あとがき」でこの部分の背景が語られている。

<妻・弥生の死後、十年間、私を支えてくれたケアマネジャー(正式には介護支援専門員という国家資格)の稲田京子さんが二〇一六年三月に死んだ。
その直後に私は突然、起居不能に陥り原因が判らず四苦八苦したが、幸い専門医の診断と処置により生還した。
その翌年、行動する学者として世界中を飛び廻っていた美術史家の次兄・重信が死んだ。
「影」として生きてきた私は大きなショックを受けたが、何とか立直りたいと思う。
そういう騒動を描いたものが巻頭に置いた「信天翁」の一連である。これは角川書店「短歌」誌二〇一七年九月号に載るもので、歴史的かなづかい、文語文脈で発表した最後のものである。敢えて、そのままで掲載してある。
それ以後、私は現代口語歌を標榜する「未来山脈」光本恵子・主宰のもとに拠って作品を発表している。だから、それ以後は「新かなづかい」を採用している。(以下略〉「あとがき」>
「信天翁」と次に紹介する「生存証明」との驚くほどの違いはここで明らかにされている。「生存証明」は現代口語歌であり、自由律の歌であることによって短歌的独立性が希薄である。
だから逆に、それによって、それぞれの歌の相互関係が強くなり、詩に近い自由な展開を成し遂げている。
       「門松は冥土の旅の一里塚目出たくもあり目出たくもなし」一休
       一休の狂歌を引いてM君から「年賀をやめる」とハガキ
       「小生、来年二月には九十歳となるので年賀欠礼」という
       「一休の狂歌が身に染みて感じられるようになりました」
       M君よ、それも分かるが年賀状は年に一度の「生存証明」なのだ
       まあ、君のしたいようにすればいいことだが淋しいねえ
       シルバー川柳にいう「誕生日ローソク吹いてたちくらみ」
       同じくシルバー川柳「入場料顔みて即座に割引かれ」
       朝鮮戦争反対のビラ撒きで米軍事裁判で有罪となり服役したM君
       そんな闘士のM・M君よ、大阪は築港の冬は冷たいか(「生存証明」)

この作品は一休の狂歌の引用、M君のハガキ、その内容の引用、それに対する感想、シルバー川柳の引用、それは九十歳になって年賀状をやめるというM君の行動の老いであるが、それは同じく九十歳になる木村草弥自身にも忍び寄っているのである。
最後に友人M君の現在に思いを馳せる。この自由なスタイルは短歌を並べたものというより詩そのものではないか。
私のこの見解は木村草弥の自覚するものでもある。
<本来、短歌は一首で自立する文芸である。しかし、この本での私の作品は十行あるいは十二行からなる「短詩」のような形態を採っている。
だから短歌ではなく「散文の短詩」として読んでもらって結構である。短歌として違和感を持ってもらっては困るので敢えて書いておく〉(「あとがき」>
私たちは九十歳になってなお果敢に詩の追及している木村草弥の姿勢を学ばねばならない。詩は何でもありなのである。
新しい文学の可能性は詩と隣接する文学ジャンルとのボーダーにあるからなんでもありという詩のアナーキーな本質の下に新しい文学を追求しなければならない。
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極めて的確な批評である。
長い引用までしていただき恐縮するが、このように書いていただくと、作者冥利に尽きる、というものである。有難うございました。
前にも書いたが、冨上芳秀氏は「大阪文学学校」で詩部門の講師というか、チューターをなさっている。
「詩的現代」は、愛敬浩一が編集する季刊誌であり、現代詩の世界で或る一定の地歩を有している雑誌である。
同人費を徴収しているとはいえ、厚さ2センチにも及ぶ立派な雑誌を定期的に刊行する営為に敬意を表したい。






父の眸や熟れ麦に陽が赫つとさす・・・飯田龍太
2345ce88de1d51518c75ab54d1a23da7麦秋

    父の眸や熟れ麦に陽が赫(か)つとさす・・・・・・・・・・・・・・・飯田龍太

私の辺りでは昔は米の「裏作」として秋に種を蒔いて麦を栽培していたが、今では全く作られなくなった。
ここにも書いたが、2008年5月にスペインに行ったときには、かの地はちょうど麦秋の時期に入るところだった。
日本の何倍もの面積があるので、すでに麦の刈り取りの済んだところもあった。

   麦秋の中なるが悲し聖廃墟・・・・・・・・・・・・・・・水原秋桜子

という句を思い出していた。
写真②は、まだ青い麦である。
c0042797_1424114まだ青い麦

「麦秋」と言う言葉は趣のあるもので秋蒔きの麦が初夏の頃に黄色く熟れるのを表現している。
あいにく日本では梅雨の頃に麦秋が訪れるので、雨の多い年などは大変である。
雨が多くて刈り取りが遅れると立った穂のまま湿気で発芽したりするのである。
以前に地方に出張していた頃は車窓から麦刈りの風景などが見られたものである。
九州などでは麦刈りの時期も早いので梅雨までには済んでいるようである。
私の歌にも麦を詠ったものがあり「・・・熟れ麦にほふ真昼なりけり」というようなものがあったと思って歌集の中を探してみたが、
なにぶん歌の数が多くて見つけられず、掲出の龍太の句にする。

麦にはいろいろの種類があり、用途によって品種改良がされてきた。
小麦粉にするのは「小麦」である。ご飯にまぜて食べるのは「裸麦」である。ビール原料になるのは「大麦」で、専用のビール麦というのが開発されている。
因みに言うと「裸麦」は荒い石灰と一緒に混ぜて専用の臼で表面の固い殻を摺り落す。その際に麦の割れ目の筋が褐色に残る。
昔は、そのまま押し麦にして米飯と一緒に混ぜて炊いたが、今では、その筋に沿って縦にカットして米粒のような形に加工してあるから
一見すると区別がつかないようになっている。
他に「ライ麦」や家畜の餌にする「燕麦」などがある。
むかし軍部はなやかなりし頃、「陸軍大演習」になると、私の辺りの農村も舞台になったが、空き地には軍馬が臨時の厩舎を作って囲われたが、
馬に与えられた燕麦がこぼれて翌年に麦の芽が出て穂になったりしたものである。
参考までに言うと、馬に与える草などは地面に置いた餌箱に置かれるが、麦のような細かい粒のものは零れて無駄にならないように帆布のような厚い餌袋を耳から口にかけさせて食べさせるのである。
馬は時々頭を跳ね上げて、袋の中の麦粒を口に入れようとするので、多少は辺りに飛び散るのだった。

以下、麦秋を詠った句を引いて終わる。

 麦秋や葉書一枚野を流る・・・・・・・・・山口誓子

 いくさよあるな麦生に金貨天降るとも・・・・・・・・中村草田男

 麦熟れて夕真白き障子かな・・・・・・・・・中村汀女

 一幅を懸け一穂の麦を活け・・・・・・・・田村木国

 灯がさせば麦は夜半も朱きなり・・・・・・・・田中灯京

 麦笛に暗がりの麦伸びにけり・・・・・・・・山根立鳥

 少年のリズム麦生の錆び鉄路・・・・・・・・細見綾子

 麦の穂やああ麦の穂や歩きたし・・・・・・・・徳永夏川女

 褐色の麦褐色の赤児の声・・・・・・・・福田甲子雄

 郵便夫ゴッホの麦の上をくる・・・・・・・・菅原多つを

 麦は穂に山山は日をつなぎあひ・・・・・・・・中田六郎

 会ふや又別れて遠し麦の秋・・・・・・・・成田千空

 石仏に嘗て目鼻や麦の秋・・・・・・・・広瀬直人

 麦秋のいちにち何もせねば老ゆ・・・・・・・・関成美

 クレヨンの黄を麦秋のために折る・・・・・・・・林 桂

 麦の秋男ゆつくり滅びゆく・・・・・・・・立岩利夫

 麦秋や老ゆるに覚悟などいらぬ・・・・・・・・水津八重子

 一杯の水に底あり麦の秋・・・・・・・・吉田悦花

 麦秋の中に近江の湖をおく・・・・・・・・大高霧海






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