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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(8月)月次掲示板
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東日本大震災から九年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
011紅蜀葵
 ↑ 紅蜀葵(こうしょっき)

八月になりました。
今月は鎮魂と非戦の誓いの月です。

 天保の時代に顕微鏡をうたいたる短歌が話題 話しつつ行く・・・・・・・・・・・・・・・佐佐木幸綱
 戦ひを中に措きたる九十年辛くも生き得し吾ここに在り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 清水房雄
 思ふべしネルソン・マンデラ九十五歳の顔を作りし人間の世を・・・・・・・・・・・・・・米川千嘉子
 くすり服むたびにおもへり一兵の柊二が師より賜びし「薬」を・・・・・・・・・・・・・・・・・ 武田弘之
 むき出しの額に銃弾撃たれしをだれか写しぬだれかを憎む・・・・・・・・・・・・・・・・ 中川佐和子
 野鳥らは地球の地震察知するや ふと思ひつつこゑを仰げり・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 松阪弘
 釘ぬきに抜かるる釘の鈍き音に浮かび来父の太き親指・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・時田則雄
 わりなけれわりなけれどもわが目交をひるがへり過ぐるを蝶も時も・・・・・・・・・・ 照屋眞理子
 ファシズムの影濃くなりてすでにわが帰る国にはあらず日本は・・・・・・・・・・・・・・・ 渡辺幸一
 炎熱の路面は白く明るめりいゆく生類の影一つなし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 春日真木子
 手花火の賑はひ聞けば遠き日のわが子のすがた目にうかびくる・・・・・・・・・・・・・・小野雅子
 人は人を亡くせしのちも生きてゆく死とはさういふものにしあれば・・・・・・・・・・・・・・雨宮雅子
 榛原は拝原ならむ樹とわれの祈りひびかひ空にしたたる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 萩岡良博
 いちじくのジャム食みをれば口中に粒々と鳴る母もありなむ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・櫟原聰
 降るものは迅しうるはし隕石も人間もつひにまたたきの塊・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・喜多弘樹
 海にかへる子亀のやうだはだか児は這ひ這ひをしてうれしさうなり・・・・・・・・・・・・・小谷陽子
 材木を切る職人の肌脱ぎの汗 唐獅子の彫り物綺麗・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 藤原龍一郎
 見せられたままを信じる素朴さを昭和のどこかに置き忘れけり・・・・・・・・・・・・・・・武藤ゆかり
 耳奥のリンパのゆらぎ朝床に人となるべくかたちひき寄す・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 久我田鶴子
 ときをりは怪しげなれど蜻蛉は蜻蛉らしきふるまひに飛ぶ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 阪森郁代
 すさまじい愛の言葉は憎しみに見える角度を持つかたつむり・・・・・・・・・・・・・・・・・ 千種創一
 水母より西へ行かむと思ひしのみ・・・・・・・・・・・・藤田湘子
 滝壺をやがて去る水青き真昼・・・・・・・・・・・・・・・・・山本勲
 ナガサキ全滅の報耳にあり夏野 ・・・・・・・・・・・・・舛田瑤子
 昭和史の影の張りつく八月よ・・・・・・・・・・・・・・・ 中島伊都
 菜殻火の昨日へ続く母郷かな・・・・・・・・・・・・・・・藤原月彦
 古書店に昼寝中てふ手書き札・・・・・・・・・・・・・・・・ 金子敦
 夏服のほんのぼたんの掛け違ひ・・・・・・・・・・・・ 津野利行
 福助に届く団扇の余り風・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 杉山久子
 古本に昭和を嗅ぎぬ蝉時雨 ・・・・・・・・・・・・・・・ わだようこ
 黄身潰す朝の儀式やかなかなかな・・・・・・・・・・ 榎本祐子
  影踏みに影のあつまる長崎忌・・・・・・・・・・・・・・河西志帆
 しばらく遠出鳥の手紙をふところに・・・・・・・・・・・ 小池弘子
 桐は実に奇数は次の数を待つ・・・・・・・・・・・・・・ 折勝家鴨
 ひらひらと落ちる信じているものは・・・・・・・・・・・・月波与生
 鬼灯の赤きがうれし誰か来る・・・・・・・・・・・・・・・・市堀玉宗
 大海を呼ぶ指笛の飛び魚ら・・・・・・・・・・・・・・・・・豊里友行
 台風圏四角くたたむ明日の服・・・・・・・・・・・・・・・ 柏柳明子
 マスカットとサラダボールの接地面・・・・・・・・・・・・・神山刻
 夏うぐいす自己陶酔のありにけり・・・・・・・・・・・・・平山圭子
 猫が触れゆくしずかな柱夏の家・・・・・・・・・・・・・森央ミモザ
 あんたがたどこさ翡翠がうしろにも・・・・・・・・・・・・森田緑郎
 逃げ水のどこにも逃げ場なき瓦礫 ・・・・・・・・・・・・有村王志 
 旅楽し京に浪速に鱧尽し・・・・・・・・・・・・・・・・・・ハードエッジ
 空蝉や脳に沁みたる未完の詩・・・・・・・・・・・・・・吉田透思朗
 夏山に雨の襞なす無辺なり・・・・・・・・・・・・・・・・・佐藤紀生子
 鬼百合やひとり欠伸はを手添えず・・・・・・・・・・・ 川崎千鶴子
 竜神の潟辺に住んで盆踊り・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 舘岡誠二
 金曜日炎帝の吹くトランペット・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 佃悦夫
 遠ざかる漢(おとこ)のごとく八月も・・・・・・・・・・・・・ 柚木紀子
 抑止力てふ恐ろしき大夕焼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鈴木幸江
 熱帯夜言葉出て行く歯の透き間 ・・・・・・・・・・・・・・・ 水上啓治
 体臭や向日葵の海ぎらぎらす・・・・・・・・・・・・・・・・佐々木義雄
 星の寿命の最後は爆発合歓の花・・・・・・・・・・・・・・・高橋明江
 辞儀交す乳房の気配百日紅・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今野修三
 かたつむりあしたは海へゆくつもり・・・・・・・・・・・・ 北村美都子
 スーパームーン蛍袋は墓標です・・・・・・・・・・・・・・・・河原珠美
 秋さがす拾った言葉はポケットに・・・・・・・・・・・・・・・・石山一子
 熱帯夜おのれ自身がお荷物で・・・・・・・・・・・・・・・・・・市原正直
 なみなみと水を花瓶(けびょう)に原爆忌・・・・・・・・・・北畠千嗣
 日盛りのマネキンの指空つかむ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・盛蓉子
 糠床に一本の釘秋に入る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桑田佳穂
 口中のガレの葡萄が熟れてくる・・・・・・・・・・・・・・・・・ 岩根彰子
 炎天のくわわと山羊の糞小山・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木牛後


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★─My Works─★
著書──
 歌集 『茶の四季』 (角川書店刊)
 歌集 『嘉木』 (角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』 (短歌新聞社刊)
 歌集 『嬬恋』 (角川書店刊)
 歌集 『昭和』 (角川書店刊) 
 歌集 『無冠の馬』 (KADOKAWA刊)
 歌集 『信天翁』 (澪標刊) 
 詩集 『免疫系』 (角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』 (角川書店刊)
 詩集 『修学院幻視』 (澪標刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
◆第七歌集『信天翁』、第六歌集『無冠の馬』、第三詩集『修学院幻視』は、下記のところで買えます。   
お求めはamazonをはじめオンライン書店や、一般書店からの取次ぎでお願いしたい。
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◆私の「旧作」は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。amazon「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。

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永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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佐田公子主宰「覇王樹」1141号掲載『信天翁』書評・・・木村草弥
佐田_NEW

信天翁_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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──書評──

     佐田公子主宰「覇王樹」1141号掲載『信天翁』書評・・・・・・・・・・木村草弥

「未来山脈」に所属する著者の第七歌集。
著者にはその他詩集三冊、紀行歌文集三冊がある。
著者は文語定型・歴史的仮名遣いも口語自由律も熟し、九十歳を越えてさらに旺盛な創作意欲を持つ人である。
「あとがき」で<本来、短歌は一首で自立する文芸である。
しかし、この本の私の作品は十行あるいは十二行からなる「短詩」のような形態を採っている。
だから短歌ではなく「散文の短詩」として読んでもらって結構である。>と述べ、
また「この一巻は親しい人たちを失った喪失と諦念の書である」とも述べる。
  ・一病を持ちては永きたそがれか野の豌豆の花の白さや
  ・〈信天翁〉描ける青きコースターまなかひに白き砂浜ありぬ
  ・その昔「自由律」というだけで刑務所にぶち込まれた俳人が居る
  ・北原白秋に「時局」を諭され前田夕暮は自由律から定型に復帰した
  ・自由というだけで何でや?今どきの若者よ、それが時代の狂気なのだ
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「覇王樹は」は大正八年に橋田東聲が創刊した古い結社である。
いろいろ変遷があって、今は佐田公子氏が主宰しておられる。
紹介は、私の意図を汲みとった的確なもので、有難く拝受する。
「書評」有難うございました。


蟻の列孜々と励みし一日は日の昏れたれば巣穴に戻る・・・木村草弥
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    蟻の列孜々(しし)と励みし一日は
      日の昏(く)れたれば巣穴に戻る・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
この歌の前に

   ひたすらに地に生くるもの陽炎(かぎろ)ひて蟻の行列どこまでつづく

というのがあり、これも一体として鑑賞してもらいたい。

私は子供の頃、昆虫少年でもなかったが、内向的な性格で、蟻の行列などをじっと見ていて飽きなかった。
蟻を捕まえてガラス瓶に入れておくと巣穴を作るようになり、瓶のガラス越しに蟻道が見えたりして面白かった。
女王蟻がいないと正式には巣穴とは言えないが、少年の頃は、そんなことは知らなかった。
女王蟻がいなくても巣穴は作るのだろうか。それは習性だろうか。

蟻の列の途中に昆虫の死骸を置いておくと、蟻たちが相談するように寄ってきて、やがて、その餌を巣穴に運びはじめる。
たくさんの蟻が群がって、中には巣穴とは逆の方に引っ張るものも出たりするのも微笑ましい光景だったが、そんな混乱も乗り越えて、結局は餌はいつの間にか巣穴に引かれてゆくのだった。
掲出した私の歌では夜になると蟻は活動をやめるようになっているが、実際は餌になる獲物があれば、蟻は夜も活動をやめないらしい。
私の歌が間違っているのである。念のために書いておく。


夏の季語として「蟻」はあるので、歳時記から句を引いておく。

 蟻の道雲の峰よりつづきけん・・・・・・・・小林一茶

 蟻台上に飢ゑて月高し・・・・・・・・横光利一

 青だたみ蟻の這ひゐる広さかな・・・・・・・・小島政二郎

 木陰より総身赤き蟻出づる・・・・・・・・山口誓子

 這ひ渡る蟻に躑躅は花ばかり・・・・・・・・中村汀女

 大蟻の雨をはじきて黒びかり・・・・・・・・星野立子

 蟻殺すしんかんと青き天の下・・・・・・・・加藤楸邨

 ひとの瞳の中の蟻蟻蟻蟻蟻・・・・・・・・富沢赤黄男

 蟻の屍をありのひとつがふれて居る・・・・・・・・西尾桃支

 蟻の列しづかに蝶をうかべたる・・・・・・・・篠原梵

 蟻入れて終夜にほへり砂糖壺・・・・・・・・森澄雄

 一匹の蟻がビルより降りて来る・・・・・・・・葛西たもつ

 しづけさに山蟻われを噛みにけり・・・・・・・・相馬遷子

 蟻の道遺業はこごみ偲ぶもの・・・・・・・・雨宮昌吉

 蟻の列切れ目の蟻の叫びをり・・・・・・・・中条明




松村信人の詩「ナカタニを呼べ」・・・木村草弥
イプリス_NEW

       松村信人の詩「ナカタニを呼べ」・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・イプリスⅡ31号所載・・・・・・・

この松村信人の詩は、先年上梓された『似たような話』(思潮社刊)と、よく似た手ざわりの作品である。


          ナカタニを呼べ     松村信人

   西成の居酒屋で友人と飲んでいるとき
   隣席のチンピラ風の男に因縁をつけられた
   友人は腕つぷしが強い
   相手はまずいと察したのかちよっと顔を貸せと奥の部屋に連れて行った
   奥座敷には兄貴分と思われる男と若い女が飲んでいた
   私らの姿を認めたとたん一気に険悪な雰囲気になった
   友人が突然
   ナカタニを呼べ 呼んで来い
   凄い形相で私を戸口の方へ押しやった
   暑気の残る店外に慌てて飛び出したものの
   ナカタニがどこにいるのかわからない
   仕事柄の捌きを得意としているのだろうが
   どうして良いかわからず右往左往
   ともかく公衆電話をさがす
   慣れない場所でもたついていると
   店から若い店員が息を切らせて駆け寄ってきて
   何とかおさまりましたとの報告

         ・・・・・・・・・

   友人は依然として消息不明
   今でも西成に足を踏み入れると
   どこかにナカタニが見張っているような気がする
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『似たような話』とよく似た手ざわりの作品である。
このプロットが面白い。
松村氏の作品は、こういう手ざわりのものが多い。だから「似たような話」なのであろう。





「イプリス」掲載・冨上芳秀の詩「聖なる夜の世界」・・・木村草弥 
イプリス_NEW

──冨上芳秀の詩──(9)

        冨上芳秀の詩「聖なる夜の世界」・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・イプリスⅡ31号所載・・・・・・・・

 聖なる夜の世界    冨上芳秀

幼い頃から夜が好きだった。夜はいつも私の部屋にやって来るが、
姿はいつも違っている。大きな男であったり、薄汚れた老人であっ
たり、白い乳房の美しい女であったり、小さな健気な男の子であっ
たり、乾いた涙で無理に笑っている女の子であったりする。夜はい
つも無言で私の側に立っているだけだから私の方も話しかけたり、
追い払ったりすることはない。この頃、夜は血管の中に入って、真
っ赤な血を黒く汚しながら、ゆっくり流れてゆく。遠い昔のかなし
い思い出を語っている長い物語だ。誰も知らないし、知りたくもな
い白々しいウソの物語だ。夜は、あらゆる醜いものを聖なる物語に
かえる。鬼は仏様の仮面をかぶって、やさしい女を誑かす。仏様は
鬼の仮面をかぶってかわいい子どもをむさぼり喰う。仏様だってた
まには血の滴る肉を喰いたかろう。「いいのだよ、さあ、私を抱い
て思う存分、欲望の果てに行くがよい」と女になった鬼は仏様の身
体を男にする。鬼は新しい終わりのないかなしい物語を楽しそうに
語りながら闇のなかで大声で笑っている。「では、今度は、私が女
になろう」と仏様は光輝きながら狎れた仕草で鬼を抱いた。



      蝸牛の角の争い

紀元前三百六十九年ころから現在に至るまで、触氏はカタツムリの
左の角の上にいて、ことごとくカタツムリの右の角の上にいる蛮氏
と争っている。二千三百八十九年間も争っている触氏と蛮氏の連綿
と続く運命の戦争を荘子は語ったが、人間の生命は短く、物語の生
命は長い。しかし、人間という種が、種としての生命を生き継いで
いく限り同じように続くのである。触氏と蛮氏は同じカタツムリの
身体を根拠にしているので勝負はけっしてつかない。カタツムリが
梅雨の雨に濡れているアジサイの緑色の大きな葉っぱの上をゆっく
りと這って行く。カタツムリの歩みは遅い。触氏は白いアジサイの
花の唇を舐めながら、蛮氏がピンクのアジサイのツンと尖ったウス
クレナイの乳首を触っているのをにらんでいる。触氏はやわらかな
白い腹を滑るように這いながら浅くくぼんだ臍の中にゆっくりと肉
を動かせたが、すぐに嫉妬に狂った蛮氏がつややかな黒い陰毛の林
をぬるりとした肉ですり抜け、紫色のアジサイの谷に舌を這わせる
のを幻視していた。触氏は白い尻のまるみ枕して、青いアジサイの
さわやかな匂いを胸に吸い込んだ。やがて蛮氏は紫色のアジサイの
細くくびれた腰のあたりを角の肉を伸ばしたり縮めたりしてくすぐ
って花を小刻みに痙攣させるにちがいないと思うと触氏は怒りがこ
みあげてきて、またミサイルを空に向けて蛮氏を威嚇した。こうし 
て、触氏と蛮氏は二千三百八十九年間の争いを今も続けている。花
の華やかなガクのウスミズイロのアジサイのヒカリを抜け、いつ
ものようにカタツムリはアジサイの緑色の大きな葉っぱの上をゆっ
くりと歩いているところである。


         食指動く

楚人、黿(げん)を鄭の霊公に献ず。公子宋と子家と、将に入りて見えんと
す。子公の食指動く。以て子家に示して曰く、他日、我此くのごと
く、必ず異味を嘗めり、と。入るに及び、宰夫、将に黿(げん)を解かんと
す。相ひ視て笑ふ。公、之を問ふに、子家以て告ぐ。大夫に黿(げん)を食
せしむるに及びて、子公を召し、而れども与えざるなり。子公怒り
て、指を鼎に染め、之れを嘗めて出ず。/―『春秋左氏伝・宣公四
年』―/私は中学生の頃、老荘思想に染まった。老子、荘子、列子
などは私の非才をよく慰めたものであったが、他の諸子百家もよく
読んだ。墨子、韓非子、孫子などにも及んだ。しかし、、まじめな私
は孔子、孟子はもちろん身を修するために親しんだ。ただ非才な
る故、しばしば挫折を味わった。『春秋』は孔子の著なれど断片的
で不可解なること現代詩の如くであった。魯の左丘明はそれを憂い、
三十巻の注釈書を著した。むろん中学生であるから解説本を読んだ 
に過ぎないと思うが、食指動くというのもその中のエピソードであ
る。人差し指が動いたから、美味しい物が食べられるというのは奇
妙な話だ。黿(げん)とはスッポンのことである。贈られたスッポンの料理
を宋に食べさせなかった霊公も変だ。指を鼎に突っ込んで舐めたと
いうのも変な話だ。食指というのは人差し指ではなく、男根だとし
たらどうだ。おい、いい加減にしろ、そんな解釈をしたやつは。紀
元前から現代まで一人もいないぜ。ああ、朝に道を聞かば、夕べに
死すとも可なりだ。私はやはり、荘周の生まれ変わりだったのだな。
わははははは。


      浜辺の読書

灰色の広々とした砂浜が広がっていました。海はずーっと向こうの
方で、終日、白い波が牙をむくように打ち寄せていました。青空と
白い雲とギラギラした太陽が、頭上で輝いている誰もいない砂浜で
した。一本の大きなビーチパラソルの影で、男がひとり木の椅子に
座って、机に分厚い本を拡げて読んでいるのでした。男は時々、声
をあげて楽しそうに笑ったり、急に真顔になって、ぽろぽろ涙を流
したりしています。男が顔をあげると、裸の女がゆっくりと歩いて
くるのが見えました。真っ白いまぶしいほどの肉体の熟れた裸の女
が、微笑みながら近づいてくるので、男はアッと言って目を見張り
ました。急に走り出すと女は男の傍をすり抜けました。甘い女の匂
いが、男の心を騒がせましたが、その後ろから女を追って、真っ黒
い毛の生えた獣のような男が追っていくのが見えました。その出来
事は、一瞬のように思いましたが、たちまちものすごいスピードで、
二人の姿が遠くに小さく見えました。追いついた男が女を押し倒し
ました。けれど、再び女は起き上がり、逃げていきました。何度か、
その情景は繰り返されましたが、いつの間にか、二人とも男の眼前
から消えていました。男は、何事もなかったかのように、また机の
上の本を読み始めました。
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いつもながらの冨上芳秀の詩の世界の展開である。
専ら「散文詩」のぎっしりと詰まった作品である。面白いプロットなどを、楽しんでもらいたい。





細見和之詩集『ほとぼりが冷めるまで』・・・木村草弥
細見_NEW

──新・読書ノート──

       細見和之詩集『ほとぼりが冷めるまで』・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・澪標2020/08/01刊・・・・・・・・

細見氏は季刊詩誌「びーぐる」の山田兼士など四人の編集同人の一人である。
Wikipediaに載る経歴を下記しておく。

細見 和之
(ほそみ かずゆき、1962年2月27日 – )は、日本の詩人、京都大学教授、大阪文学学校校長。専門はドイツ思想、特にテオドール・アドルノ。
兵庫県、現在の丹波篠山市生まれ。丹波篠山市在住。兵庫県立篠山鳳鳴高等学校、大阪大学文学部卒業、同大学院人間科学研究科博士課程満期退学。2007年「アドルノの場所」で大阪大学から博士(人間科学)。
大阪府立大学講師、助教授、教授を経て、2013年5月より自分の詩に曲を付けはじめるとともに、高校時代のバンド仲間とtheチャンポラパンbandを結成、丹波篠山市を中心に大阪でもライブ活動も行ない、ソロでの展開をふくめて活動を模索している。2014年から大阪文学学校校長兼任。2016年4月から京都大学大学院人間・環境学研究科総合人間学部教授。

著書
単著
『沈むプール――詩集』(イオブックス, 1989年)
『バイエルの博物誌』(書肆山田, 1995年)
『アドルノ――非同一性の哲学』(講談社, 1996年)
『アイデンティティ/他者性』(岩波書店, 1999年)
『言葉の岸』(思潮社, 2001年)、第7回中原中也賞候補
『アドルノの場所』(みすず書房, 2004年)
『言葉と記憶』(岩波書店, 2005年)
『ポップミュージックで社会科』(みすず書房, 2005年)
『ホッチキス』(書肆山田, 2007年、第13回中原中也賞候補)
『ベンヤミン「言語一般および人間の言語について」を読む――言葉と語りえぬもの』(岩波書店, 2009年)
『「戦後」の思想――カントからハーバーマスへ』(白水社, 2009年)、第7回日本独文学会賞
『永山則夫――ある表現者の使命』(河出書房新社, 2010年)
『家族の午後――細見和之詩集』(澪標, 2010年)、第7回三好達治賞受賞
『ディアスポラを生きる詩人 金時鐘』(岩波書店, 2011年)、第3回鮎川信夫賞候補
『闇風呂』(澪標, 2013年)
『フランクフルト学派』(中公新書, 2014年)
『石原吉郎――シベリア抑留詩人の生と詩』(中央公論新社, 2015年)
『「投壜通信」の詩人たち <詩の危機>からホロコーストへ』岩波書店、2018

私は『家族の午後』や『「投壜通信」の詩人たち <詩の危機>からホロコーストへ』などを読んだことがある。

細見さんの詩は何も難しいことのない身辺に取材したものである。
今回の本には全部で28編の作品が載っている。
その中から二つの作品を引いておく。

       宴のような時間──三井葉子さん追悼

  王朝風の美人
  それが三井さんから
  誰もが受けていた印象でした
  私が大阪文学学校に入学したとき
  あでやかな和服姿の三井さんがいらして
  金時鐘さんがあろうことか
  「三葉虫 ! 」などと声をかけられると
  三井さんがキッと睨まれて
  川崎彰彦さんがアハハハと笑ってらした
  それは、それは、美しい宴のような時間でした
  海外に長期滞在したことのない私にとって
  思えば文学学校は留学先でした
  ドイツ語が話されるのでもない
  フランス語が話されるのでもない
  けれども、普段とは違う日本語がたえず飛び交っている
  かけがえのない別世界──
  三井さんもそこで
  私が聞いたことのない日本語を話されていました
  私が読んだことのない日本語を書かれていました

  三井さんが亡くなって
  あらためて気づいたことがふたつありました
  三井さんの第一詩集『清潔なみちゆき』が一九六二年
  私が生まれた年に出版されていたこと
  そして、三井さんの本名が「幸子」であったこと
  三井さんは幸子というもうひとりの女性をひそめて
  私が生きてきただけの年月
  詩を書いてこられたのでした

  ──それかって一瞬のことや
  三井さんはきっとそう言われるでしょうね
  三井さん
  ひとの結びつきは難しい・・・・・
  ですね
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三井さんと少しだけ関わりのあった私として、この詩を引いておいた。

        夕暮れは不意に訪れて

  以前、家族座という詩を書いた
  私と妻、ふたりの娘が目に見えない力で挽き合って
  ひとつの星座を象っているイメージ
  近くで父母の星があることを私は想定したいなかった

  父が亡くなって
  母と妻の折り合いが悪くなった
  私と妻のあいだで口喧嘩が絶えなくなった
  娘たちは大好きだったクラブをやめた

  父の引力が全体を引き締めてくれていたのか
  アインシュタインによれば
  そもそも引力とは時空の歪みに過ぎないのだが・・・・・

  家族の夕暮れは不意に訪れるものなのだ
  星は宇宙にちりぢりに散らばって
  どんな形だったかもう誰にも分からない
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細見さんの詩は極めて分かりやすいものだが、内面に詩情を湛えている。 
第7回三好達治賞を受賞した『家族の午後』も、そんな分かりやすい作品だった。
この本は版元の「澪標」松村信人氏からいただいた。 

  

 

忽然としてひぐらしの絶えしかば少年の日の坂のくらやみ・・・佐藤通雅
higurasi04ヒグラシ雄

    忽然としてひぐらしの絶えしかば
         少年の日の坂のくらやみ・・・・・・・・・・・・・・佐藤通雅


この歌は、佐藤通雅『襤褸日乗』(1982年刊)に載るもので、「角川現代短歌集成」第三巻から引いた。
佐藤通雅については ← ここに詳しい。

「ひぐらし」はカナカナカナと乾いた声で鳴く。だから、「かなかな」とも呼ぶ。夜明けと夕方に深い森で鳴く。
市街地や里山では聞かない。 鳴くのは写真①のヒグラシの雄。
この声を聞くと、いかにも秋らしい感じがするが、山間部に入ると7月から鳴いている。
海抜の高度や気温に左右されることが多いようだ。
『古今集』に

    ひぐらしの鳴く山里の夕暮は風よりほかに訪ふ人もなし

という歌があり、ひぐらしの特徴を巧く捉えている。『和漢三才図会』には「晩景に至りて鳴く声、寂寥たり」とあるのも的確な表現である。

この、「角川現代短歌集成」第三巻には「ひぐらし」や「つくつくぼうし」などを詠んだ佳い歌がたくさん載っている。
いくつか引いてみよう。

  たゆたへる雲に落ちゆく日の在処遠ひぐらしの声きこゆなり・・・・・・・・・・・松村英一

  大方は決りしわれの半生とひぐらしの鳴く落日朱し・・・・・・・・・・・武川忠一

  かなかなの今年のこゑよあかときの闇にとほればわれは目覚めぬ・・・・・・・・・・・上田三四二

  蜩は響き啼きけり彼の国のジャムもリルケも知らざりしこゑ・・・・・・・・・・・宮柊二

  ひぐらしの昇りつめたる声とだえあれはとだえし声のまぼろし・・・・・・・・・・・平井弘

  ひぐらしのおもひおもひのこゑきけり清七地獄すぎてゆくころ・・・・・・・・・・・小野興二郎

  木をかへてまた鳴きいでしひぐらしのひとつの声の澄み徹るなり・・・・・・・・・・・岡野弘彦

  樹の下の泥のつづきのてーぶるに かなかなのなくひかりちりばふ・・・・・・・・・・・森岡貞香

  寂しくばなほ寂しきに来て棲めと花折峠のひぐらしぞ澄む・・・・・・・・・・・青井史

  魔の笛のごとく鳴きつぐ茅蜩の声を率きゆく麦藁帽子・・・・・・・・・・・安藤昭司

higurasiヒグラシ雌
 ↑ ヒグラシの雌は鳴かないが、念のために写真を出しておいた。

ひぐらしを詠った俳句も多いので、以下に引いて終りにする。

 蜩や机を圧す椎の影・・・・・・・・正岡子規

 面白う聞けば蜩夕日かな・・・・・・・・河東碧梧桐

 ひぐらしに灯火はやき一と間かな・・・・・・・・久保田万太郎

 かなかなの鳴きうつりけり夜明雲・・・・・・・・飯田蛇笏

 ひぐらしや熊野へしづむ山幾重・・・・・・・・水原秋桜子

 蜩やどの道も町へ下りてゐる・・・・・・・・臼田亞浪

 蜩や雲のとざせる伊達郡・・・・・・・・加藤楸邨

 ひぐらしや人びと帰る家もてり・・・・・・・・片山桃史

 川明りかなかなの声水に入る・・・・・・・・井本農一

 蜩や佐渡にあつまる雲熟るる・・・・・・・・沢木欣一

 蜩の与謝蕪村の匂ひかな・・・・・・・・平井照敏


これを聴くと勇気が出ると「フィンランディア」を聴いて妻は手術へ・・・木村草弥
嬬恋

800px-Sibelius-puolisot_kesäiltana_kasvitarhan_penkillä,_1940-1945,_(d2005_167_6_101)_Suomen_valokuvataiteen_museoベリウスと妻アイノ
 ↑ ヤルヴエバーでのシベリウスと妻アイノ 1940年代はじめ (Wikipediaより)

──草弥の<非>季節の詩歌──

      これを聴くと勇気が出ると「フィンランディア」
                を聴いて妻は手術へ・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)の巻末に近い「妻のメモ」という一連に載るものである。
この本の「あとがき」に私は、こう書いている。
<今回の歌集の期間は四年間だが、私的には激動の時だっと言える。
 第一には妻・弥生が二年つづけて大病をしたこと。二〇〇〇年八月には心臓の感動脈バイパス四本の九時間にわたる大手術をした。・・・・・>
心臓の冠動脈は、狭窄の場所によっては急性の心筋梗塞を起こして命を落とすことになる。
普通はステントを入れて狭窄を広げる措置がとられるのだが、場所によっては、それが不可能な場合がある。
そんな時にはバイパス手術が必要になる。妻の場合は、それだった。
先ず、そんなことを詠んだ当該箇所の一連を引いておく。

          妻のメモ      木村草弥

     これを聴くと勇気が出ると「フィンランディア」を聴いて妻は手術へ

     妻の手帖に遺書メモあり「あちこち連れてもらつて有難う」と

     妻のメモ「今しばらくあなたの世話をしたいと思つてゐました」

     数々の危険の可能性を挙げたインフォームド・コンセントの所為(せゐ)だ

     手術中──かういふ時しか血族が顔をそろへることがない控室

     九時間の手術に耐へ妻は冠動脈バイパス四本をつないだ

     お互ひに待つてゐる人があることの幸せ支へ合つて生きようね

     「弥いちやん」と妻を愛称で呼ぶこともなくなつたかな、ふと思ひ出す

     生き死にの病を超えて今あると妻言ひにけり、凭れてよいぞ

     水にじむごとく夜が来て燃ゆるてふスノーフレーク白き花なり

     ムスカリの傍(かたへ)に置ける愛の詩集湖(うみ)より吹ける風はむらさき

煩を厭わず全文を書き出してみた。
妻が手術を受けたのは、当地、南山城地方では一応、基幹病院として知られる病床500床ほどのところだったが、心臓バイパス手術をするには一旦心臓を切り離してやる。
その間は別の機械で血液を循環させ、呼吸も人工心肺で行うのである。バイパスが繋がれば、止めてある心臓に電気ショックを与えて、動かすのである。
私の親友が受けた最新鋭の国立循環器病研究センターなんかは心臓を動かしたまま手術するらしい。

私の歌の一連に詳しく出ているので、事情は判明するから繰り返さないが、そういうことである。
九時間もの間、待っている間に妻の病室の枕頭机の引き出しを開けてみたら、妻が日記にしている手帖が出てきたという訳である。
これを見た私は、思わず「泣いた」。妻の心情を思うと涙が出て仕方がなかった。妻は死を覚悟したのだろう。
甘い、と思われるかも知れないが、敢えて私は、すべてを甘受する。 まあ、そういうことである。
妻亡き今となっては、これも強烈な思い出として、私の身につきまとわっている。

シベリウスの「フィンランディア」のYou-Tubeもネット上で聴けるので聴いてみてもらいたい。 → 「フィンランディア」
『フィンランディア』 (Finlandia) 作品26 は、フィンランドの作曲家ジャン・シベリウスによって作曲された交響詩。
シベリウスの作品の中でもっとも知名度が高いもののひとつである。1899年に作曲され、1900年に改訂された。

『フィンランディア』が作曲された1899年当時、フィンランド大公国は帝政ロシアの圧政に苦しめられており、独立運動が起こっていた。
シベリウスが作曲した当初の曲名は「フィンランドは目覚める」 (Suomi herää) で、新聞社主催の歴史劇の伴奏音楽を8曲からなる管弦楽組曲とし、その最終曲を改稿して独立させたものであった。
フィンランドへの愛国心を沸き起こすとして、帝政ロシア政府がこの曲を演奏禁止処分にしたのは有名な話である。初演は1900年7月2日、ヘルシンキで行われた。
フィンランドは北欧の小国だが、帝政ロシア時代に属国としてロシアに支配されていた時期があり、その抵抗の曲が、これである。
チェコのスメタナの「わが祖国」と同様の扱いのものである。
音楽好きで、大学の時は聖歌隊として、後にはコーラスの一員として歌っていた亡妻の思い出の一端として敢えて載せておく。

二番目に掲出した写真のことで付記しておく。 (Wikipediaより引用)
1957年9月20日の夜、シベリウスはアイノラにて91年の生涯を閉じた。死因は脳内出血だった。
彼が息を引き取ったその時、マルコム・サージェントの指揮による彼の交響曲第5番がヘルシンキからラジオ放送された。
また時を同じくして開催されていた国連総会では、議長でニュージーランド代表のレスリー・マンローが黙祷を呼びかけ、こう語りかけた。
「シベリウスはこの全世界の一部でした。音楽を通して彼は全人類の暮らしを豊かなものにしてくれたのです。」
同じ日にはやはり著名なフィンランドの作曲家だったヘイノ・カスキが永眠しているが、彼の死はシベリウスの訃報の陰に隠れてしまった。
シベリウスは国葬によって葬られ、アイノラの庭へと埋葬された。
妻アイノ・シベリウスはその後12年間を同じ家で暮らし、1969年6月8日に97歳で夫の後を追った。彼女も夫の側に眠っている。



激雷に剃りて女の頚つめたし・・・石川桂郎
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  激雷に剃りて女の頚(えり)つめたし・・・・・・・・・・・・石川桂郎

石川桂郎については前に少し書いたことがある。

俳人風狂列伝

『俳人・風狂列伝』(昭和48年角川書店刊)という11人の「風狂」の俳人を書いたものだが、先にも書いたように本人自身が、かなり、だらしなかったらしい。
私の付き合っていた高島征夫氏の父君・高島茂氏が新宿西口で「ぼるが」という居酒屋を営んでおられたのだが、彼・石川桂郎の酒の上の失敗や金銭的な「尻拭い」を、かなりされた、と聞いた。
かなり名の知られた俳人だが、女にだらしなく、金銭的にも俳句の友人たちに迷惑をかけたらしい。 「無頼」の徒と呼ばれる。
本職は「床屋」だった。だから掲出のような句があるのである。

Wikipediaに載る記事によると下記のように載っている。
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石川桂郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石川桂郎(いしかわ けいろう、1909年8月6日 ~ 1975年11月6日)は東京出身の俳人、随筆家、小説家、編集者。本名は一雄。

経歴
東京市芝区三田聖坂の理髪店の息子として生まれる。御田高等小学校卒。家業の理髪店の仕事をしながら、俳句を作りはじめ、1934年杉田久女に入門。1938年ごろ、石田波郷の『鶴』の同人となる。また、横光利一にも師事する。

父の死後に店主となっていた理髪店を、文具店とするが、店員が次々に召集されて人手不足となり廃業。工場・工事関係など様々な職を転々とする。また、1942年には、理髪店時代を描いた小説『剃刀日記』を発表。

戦後は水原秋桜子主催の『馬酔木(あしび)』に参加。また、いくつかの出版社に勤務した後、1953年から1958年まで雑誌『俳句研究』(俳句研究社)の編集に携わる。1960年には自らの俳誌『風土』を創刊して主宰。

また、1946年から鶴川村能ヶ谷(現・町田市能ヶ谷町)に居住し、以降、その地で過ごした。

様々な俳人たちの風狂ぶりを描いた読売文学賞受賞作『俳人風狂列伝』でも知られるが、桂郎自身も酒食と放言を好む、風狂の人であった。

1975年11月6日、食道癌のため死去。

受賞等
1951年 第1回俳人協会賞 『含羞』
1955年 第32回直木賞候補 『妻の温泉』
1973年 第25回読売文学賞・随筆紀行賞 『俳人風狂列伝』
1975年 第9回蛇笏賞 『高蘆』以後の作品
著作
句集
含羞 琅玕洞, 1956
石川桂郎集 八幡船社, 1968
竹取 牧羊社, 1969
高蘆 牧羊社, 1973
四温 角川書店, 1976
石川桂郎集 手塚美佐編 俳人協会, 1994
随筆・小説
剃刀日記 協栄出版社, 1942(のち、創元文庫・角川文庫)
妻の温泉 俳句研究社, 1954
俳人風狂列伝 角川書店, 1973(のち、角川選書)
残照 角川書店, 1976
面会洒舌 東門書屋, 1978
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「雷」を「いかづち」と言うが、これは元は「いかつち」で、「いか(厳)」「つ(の)」「ち(霊)」の意味であり、「いかめしく、おそろしい神」の意であった。
だから古くから「いみじう恐ろしきもの」(枕草子)とされてきた。
そんなことを考えながら、以下の雷雨の句を見てもらいたい。
雷は「はたた神」とも言う。

 はたた神過ぎし匂ひの朴に満つ・・・・・・・・川端茅舎

 夜の雲のみづみづしさや雷のあと・・・・・・・原石鼎

 はたた神下りきて屋根の草さわぐ・・・・・・・・山口青邨

 赤ん坊の蹠(あなうら)あつし雷の下・・・・・・・・加藤楸邨

 遠雷や睡ればいまだいとけなく・・・・・・・・中村汀女

 遠雷のいとかすかなるたしかさよ・・・・・・・・細見綾子

 遠雷やはづしてひかる耳かざり・・・・・・・・木下夕爾

 真夜の雷傲然とわれ書を去らず・・・・・・・・加藤楸邨

 鳴神や暗くなりつつ能最中(さなか)・・・・・・・・松本たかし

 睡る子の手足ひらきて雷の風・・・・・・・・飯田龍太

 大雷雨国引の嶺々発光す・・・・・・・・鬼村破骨



突張つてゐる蟷螂を応援す・・・片桐てい女
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      突張つてゐる蟷螂を応援す・・・・・・・・・・・・・・・・・片桐てい女

「かまきり」蟷螂(トウロウとも音読みで発音する)は、頭は逆三角形、眼は複眼で上辺にあり、下辺の頂点が口である。
前胸に前翅後翅があり、後翅で飛ぶことが出来る。前脚が鎌のようになっていて、獲物を鋏み込んで捕らえる。
動くものには飛びつく性質があり、自分より大きなものにも飛びかかる。
「蟷螂の斧を振るう」という古来の表現そっくりの習性である。
掲出の片桐てい女の句は、そういうカマキリの生態の特徴を巧みに表現している。この句の場合は蟷螂=「とうろう」と訓(よ)む。
010909m02かまきりイラガ食べる

写真②はカマキリが「イラガ」の幼虫を捕まえて食べようとしているところ。
菜園などをやっているとよく分るが、カマキリは害虫をもりもり食べてくれる益虫である。
写真の「イラガ」は毒を持っており、それに刺されると痛くて皮膚が腫れあがるが、カマキリには、そんな毒も役に立たない。
もりもりと片端から食べつくしてしまう。雄と雌が交尾する時も、交尾の最中でも雄の頭や胸を食べながらやることがある。
交尾が終ると雄は体全部が食べられてしまう。
img021かまきり雌

写真③は交尾が済んで腹に卵をたくさん抱えた雌である。産卵は秋が深まってからであるが、それまで、もりもりと虫を捕らえて食べる。
雄は、もう雌に食べられて居ないが、雌の命も一年かぎりである。木の枝などに、泡のような卵胞の中に卵をきちんと、たくさん産む。
そのまま冬を越して、初夏に小さなカマキリの子供が、わっと集団で孵化する。
いかにカマキリといえども、幼いうちは他の鳥などについばまれて食べられ、生き残ったものが八方に散って虫を捕らえて大きくなるのである。
幼い小さなカマキリは、いとおしいような健気な姿である。
写真④のカマキリは、まだそんなに大きくない頃のものである。
b332ec94786d68072a29e1505c142c4dかまきり

以下、蟷螂を詠んだ句をあげておきたい。

 風の日の蟷螂肩に来てとまる・・・・・・・・篠原温亭

 かりかりと蟷螂蜂の を食む・・・・・・・・山口誓子

 蟷螂のとびかへりたる月の中・・・・・・・・加藤楸邨

 かまきりの畳みきれざる翅吹かる・・・・・・・・加藤楸邨

 蟷螂は馬車に逃げられし御者のさま・・・・・・・・中村草田男

 胸重くあがらず蟷螂にも劣る・・・・・・・・大野林火

 挑みゐし青蟷螂の眼なりけり・・・・・・・・石塚友二

 蟷螂の腹をひきずり荷のごとし・・・・・・・・栗生純夫

 蟷螂の枯れゆく脚をねぶりをり・・・・・・・・角川源義

 蟷螂の祷れるを見て父となる・・・・・・・・有馬朗人

 いぼむしり狐のごとくふりむける・・・・・・・・唐笠何蝶

 蟷螂の天地転倒して逝けり・・・・・・・・古館曹人

 秋風や蟷螂の屍骸(むくろ)起き上る・・・・・・・・内藤吐天



指呼すれば、国境はひとすぢの白い流れ。/ 高原を走る夏季電車の窓で、/貴女は小さな扇をひらいた。・・・津村信夫
s_comm_a1711b扇子朝顔図

       小 扇・・・・・・・・・・・・・・・・津村信夫
          ・・・・・・嘗つてはミルキイ・ウエイと呼ばれし少女に・・・・・

     指呼すれば、国境はひとすぢの白い流れ。

     高原を走る夏季電車の窓で、

     貴女は小さな扇をひらいた。

この詩は『さらば夏の光りよ』という津村信夫の詩集の巻頭に載るものである。

この本は奥付をみると昭和23年10月20日再版発行、京都の八代書店刊のものである。
戦争直後のことで紙質は悪く、表紙もぼろぼろになってしまった。
こんな名前の出版社は今は無い。
その頃は紙が不足していて、紙の在庫を持っている会社を探して、とにかく出版にこぎつける、というのが多かったらしい。
私は、この年には旧制中学校を卒業してフランス語を学びはじめた頃である。18歳になったばかりの少年だった。
この短い詩は暗誦して愛読した。

03170022草軽鉄道

写真②は、復元された「草軽鉄道」の車両の内部である。
詩の中で「夏季電車」と書かれているのは、恐らく、この鉄道であろうと思われる。草軽とは草津と軽井沢の地名であろう。

この本の「年譜」の中で、彼の兄・津村秀夫は、こう書いている。

・・・・・時に、良家の一少女を恋し、これを自ら「ミルキイ・ウエイ」と呼ぶ。詩作「小扇」及び「四人」に掲載せる散文詩風の手記「火山灰」はすなはちその記念なり。総じて『愛する神の歌』の中の信濃詩篇を除く他の作品は、おほむねこの少女への思慕と、若くして逝ける姉道子への愛情をもとにして歌へるものといふべし。・・・・・

室生犀星に師事したことがあるが、彼を識るようになったのも、夏の軽井沢であると書かれている。

この詩の「国境」というのは「くにざかい」と読むのであろう。
この詩は、極めてロマンチックな雰囲気に満ちたもので、この本を読んだ頃、私は、こういうロマンチックな詩が好きだった。
津村信夫は昭和19年6月27日に36歳で病死する。
若くして肋膜炎を患うなど療養に努めてきたが、晩年には「アディスン氏病」と宣告されたというが、私には、この病名は判らない。

この詩の二つあとに、こんな短い詩が載っているので、それを引く。

        ローマン派の手帳・・・・・・・・・・津村信夫

     その頃私は青い地平線を信じた。

     私はリンネルの襯衣の少女と胡桃を割りながら、キリスト
     復活の日の白鳩を讃へた。私の藁蒲団の温りにはグレ
     ーチェン挿話がひそんでゐた。不眠の夜の暗い木立に、
     そして気がつくと、いつもオルゴオルが鳴つてゐた。
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この詩も題名からしてロマンチックである。
津村信夫は、私の十代の青春とともにあった記念碑的な名前である。

(追記)
「現代詩手帖」2012年9月号は「杉山平一」特集をしているが、その中に

   国中治「杉山平一という複合体」─<近代>を体現する方法

という5ページにわたる文章が載っている。
その文章の末尾に、杉山最後の詩集『希望』から

     花火が

     パラソルをひらいた

     その下に きみ

という短詩を引き、

<この詩の隣にはぜひ津村信夫「小扇──嘗つてはミルキイ・ウエイと呼ばれし少女に」(『愛する神の歌』所収)を置いてみたい。
 映画のモンタージュ技法を詩に適用した成功例として、杉山が青年時代から繰り返し言及・称揚してきた作品である。
<小扇>が花火の<パラソル>となって清楚に花開くまでの長い長い年月を、やはり想わずにはいられない。>

として、私が掲出した、津村の、この詩を置いて締め括りにしていることを書いておきたい。



この惑星の地軸が/少しばかり傾いているお蔭で/どんなに猛暑が続いても/こうして/この列島にも 秋がくる・・・坪井勝男
アンソロジー
↑ アンソロジー『詩と思想詩人集2012』(土曜美術社刊)← 538名の現代詩作家を集めたもの。
higurasi04ヒグラシ雄

      口 伝・・・・・・・・・・・・・・・・・坪井勝男

     この惑星の地軸が
     少しばかり傾いているお蔭で
     どんなに猛暑が続いても
     こうして
     この列島にも 秋がくる

     寒蝉(ひぐらし)が遠い記憶の谷間で鳴き始めると
     ぼくは背筋を伸ばして杜にゆく
     ヒトであることに疲れたら
     幹に凭れて
     樹に流れる いのちの水音でも聴いていよう

     この巨樹をめぐる陽光と風
     枝々のざわめきは
     屈折し重なり合ううちに
     言語を超えたコトバを投げかけてくる

     それは
     たぶん
     見知らぬ 親しい者たちからの口伝(くでん)なのだろう
     聞き取ろうと
     手を擦りながら
     風に耐えている

     千枚あまりの年輪を包む ひび割れた樹皮
     梢の方を見やる
     あ
     いま
     文脈を捉えたような気がする

---------------------------------------------------------------------------
この詩はアンソロジー『詩と思想詩人集2012』(土曜美術社2012/08/31刊)から引いた。

今年の猛暑は異常だし、今日も残暑というのも憚られるほど暑いが、季節というものは正直なもので、いつしか秋風が吹くようになる。
そういう推移を、この詩は、うまく詩にしている。
「早く涼しくなってくれ」という願いもこめて、この詩を出しておく。
この作者のことを検索してみると
1929年生まれ。詩集として『樹のことば』『見えない潮』などがあるらしい。アマゾンで買えるようである。



つつつつと浜昼顔の吹かるるよ・・・清崎敏郎
hamahiru021浜昼がお

     つつつつと浜昼顔の吹かるるよ・・・・・・・・・・・・・・清崎敏郎

「昼顔」は、およそ野生のもので、よく目にするものとしては「浜昼顔」であろうか。
ヒルガオ科の蔓性多年草で、各地の海岸の砂地に自生する。
砂の中に地下茎が横に走り、地上茎も長く伸びて砂の上を這い、丸くて厚く、光沢のある葉を互生する。
旺盛な繁殖力で、ときに広い面積に群生しているのを見かけることがある。
地域によって異なるが5、6月ごろ葉腋に長い柄を出し、淡い紅色の花を上向きに開く。

この清崎敏郎の句は、浜昼顔の生態をよく観察したもので、海辺に咲く浜昼顔を過不足なく描写して秀逸である。

私には昼顔や浜昼顔を詠んだ歌はないので、歳時記から句を引いて終わる。

 きらきらと浜昼顔が先んじぬ・・・・・・・・中村汀女

 浜昼顔咲き揃ひみな揺れちがふ・・・・・・・・山口草堂

 浜昼顔風に囁きやすく咲く・・・・・・・・野見山朱鳥

 はまひるがほ空が帽子におりてきて・・・・・・・・川崎展宏

 浜昼顔タンカー白く過ぎゆける・・・・・・・・滝春一

 浜ひるがほ砂が捧ぐる頂きに・・・・・・・・沢木欣一

 昼顔のあれは途方に暮るる色・・・・・・・・飯島晴子

 海高し浜昼顔に跼む吾に・・・・・・・・森田峠

 浜昼顔鳶が落とせし魚光り・・・・・・・宮下翠舟

 浜昼顔廃舟錨錆び果てぬ・・・・・・・・小林康治

 潮泡の音なく崩れ浜昼顔・・・・・・・・稲垣法城子

 天日は浜昼顔に鬱(ふさ)ぎつつ・・・・・・・・中村苑子

 浜昼顔島の空港影もたず・・・・・・・・古賀まり子

 風筋は浜昼顔を駈け去りし・・・・・・・・加藤三七子

 這ひながら根の消えてをり浜昼顔・・・・・・・・高橋沐石

 海鳴りや浜昼顔の引けば寄り・・・・・・・・下鉢清子

 浜昼顔に坐すやさしさの何処より・・・・・・・・向笠和子
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今日は暦の上では「処暑」である。暑さが止む頃ということだが、今年の暑さは、何だろうか。
<言うまいと思えど今日の暑さかな>という句の通りの心境である。
京都では「地蔵盆」の季節でもある。





そばの花山傾けて白かりき・・・山口青邨
sobaソバの花

    そばの花山傾けて白かりき・・・・・・・・・・・・・・・・山口青邨

私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)にも

  粟谷は山より暮れてゆく辺り夜目にも白く蕎麦(そば)の花咲く

  窯元へぬかるむ道のつづきけり蕎麦の畑は白とうす紅

  風かるき一と日のをはり陶土練る周囲ぐるりと蕎麦の畑ぞ
・・・・・・・・・・・木村草弥

という歌群が載っている。
私の住む辺りは大都会の近郊農村で、平地で、蕎麦は昔から栽培されるのを見たことがない。
ということは都会にも近く、かつ温暖で水の便もよく救荒作物である「ソバ」のようなものの世話になる必要のない土地だったということになろうか。

写真①は蕎麦の草を接写したものだが、蕎麦畑の全体像は写真②のようなものである。
buckwheat-6ソバ畑

ソバは夏蒔きと秋蒔きと2回時期があるらしいが、いずれにしても稔るのが早く、2~3カ月で収穫できるらしい。
荒地を厭わないので救荒作物として高冷地では広く栽培されたという。
写真③で「ソバの実」をお見せする。
buckwheat-5ソバの実

この写真は、まだ脱穀したばかりで色が白いが時間が経つと皮が黒っぽくなる。
この実を臼で挽いて出来るのが「ソバ粉」で、粉に少し黒っぽい色がついているのは、皮が混ざっているためである。

 蕎麦はまだ花でもてなす山路かな・・・・・・・・松尾芭蕉

 山畑や煙りのうへのそばの花・・・・・・・・与謝蕪村

 道のべや手よりこぼれて蕎麦の花・・・・・・・・与謝蕪村

 山畑やそばの白さもぞつとする・・・・・・・・小林一茶

というような昔の句にも詠まれているように、そのさりげない蕎麦の花の風景が愛(め)でられていたのである。
写真④はソバの花を接写したものである。
buckwheat-7ソバの花

今では「そば」と言えば食べるソバがもてはやされて、どこそこの蕎麦が旨いとか、かまびすしいことである。
しかし文芸の世界では「蕎麦の花」がもてはやされる。
食べる「そば」では実態を描きようがないからである。食べる「そば」は味覚の問題であって、文学、文芸上で描写する対象にはなり得ない。
仮に描写することが出来ても、そこから広がる世界、連想、想像を推し量ることには限界がある。

img_22ソバの草

以下、俳句に詠まれた作品を引用しておく。

浅間曇れば小諸は雨よ蕎麦の花・・・・・・・・杉田久女

 花蕎麦のひかり縹渺天に抜け・・・・・・・・大野林火

 蕎麦の花下北半島なほ北あり・・・・・・・・加藤楸邨

 蕎麦畑のなだれし空の高さかな・・・・・・・・沢木欣一

 山脈の濃くさだまりてそばの花・・・・・・・・長谷川双魚

 蕎麦咲きて牛のふぐりの小暗しや・・・・・・・・中条明

 山村といふも四五戸や蕎麦の花・・・・・・・・長沢青樹

 月光の満ちゆくかぎり蕎麦の花・・・・・・・・古賀まり子

 母にまだとる齢あり蕎麦の花・・・・・・・・村松ひろし


みづがめ座われのうちらに魚がゐてしらしらと夏の夜を泳げり・・・木村草弥
yun_1311エイ

     みづがめ座われのうちらに魚(いを)がゐて
          しらしらと夏の夜を泳げり・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。
西洋占星術でいう星座の分け方によると、私は2月7日生まれなので、「水瓶座」ということになる。
占星術については、2004年の夏にFrank Lloyd Wright 氏の発案で「インド占星術」を中心に10回ほど日本、中国、インドなどの暦などについて書いたことがある。
この頃では、週刊誌などにも「占い」「運勢」のページがあって、それらはいずれも西洋占星術の星座表に基づいている。書いてあることは、当り障りのないことで、さして「占い」とも言えないようなものだ。
しかし、一応は自分の星座表くらいは知っていても邪魔にはならない、という程度の代物かなと思う。
星座表は古代ギリシアで、ほぼ出来上がった。
ギリシア神話の「みずがめ座」Aquariusの由来というのは、こんなものだ。
・・・・・トロイの国にガニメデという羊飼いの美少年がいた。
天上から見た大神ゼウスは一目でガニメデを好きになってしまい、ゼウスは鷲に姿を変えてガニメデをさらってしまった。
みずがめ座は、この美少年ガニメデを表している、と言われる。・・・・・

「水瓶」についていうと「甕」という字も使うが、昔は今のように水道があるわけでもなく、水汲みも大変だったので、「水瓶」が使われた。
写真②のような大きなものなど、いろいろあったようだ。
yun_2245水瓶

私の歌だが、着想というか連想というのは単純なもので「みづがめ座」→「水」→「魚」ということから、このような歌が生れた。
魚の読み方「いを」は古語の読みである。
水瓶座とかいう季語はないので、もう少し先になるが「星月夜」の季語による句を引く。

 われの星燃えてをるなり星月夜・・・・・・・・高浜虚子

 子のこのみ今シューベルト星月夜・・・・・・・・京極杞陽

 星月夜生駒を越えて肩冷ゆる・・・・・・・・沢木欣一

 星月夜白き市門のあらびあ海・・・・・・・・角川源義

 寝に戻るのみの鎌倉星月夜・・・・・・・・志摩芳次郎

 星月夜小銭遣ひて妻充てり・・・・・・・・細川加賀

 中尊寺一山くらき星月夜・・・・・・・・佐藤棘矢

 鯉はねて足もとゆらぐ星月夜・・・・・・・・相馬遷子

 星涼し樅のふれあふ音かさね・・・・・・・・星野麦丘人

 星月夜ひとりの刻は沖を見る・・・・・・・・高橋淑子



咲き急ぐことなどはなし睡蓮の葉あひにひとつ莟のまろき・・・女屋かづ子
a0019858_2277睡蓮②

  咲き急ぐことなどはなし睡蓮の
      葉あひにひとつ莟(つぼみ)のまろき・・・・・・・・・・・・・・・女屋かづ子


この歌は睡蓮を詠っている。今さかりの時期を迎えている花である。
この作者については何も判らない。『角川現代短歌集成』③巻 から引いた。

掲出した写真の一番目、二番目のものは、いずれも「睡蓮」であり、素朴な可憐な蓮である。フランス人画家・モネの絵も、この蓮である。

a0019858_22541睡蓮

蓮には多くの種類があり、花を観賞するだけでなく、食用の「蓮根」として地下茎の部分を極端に太らせる品種改良したものなど、さまざまである。
鑑賞用の蓮にも古代の蓮「大賀蓮」のように古代の古墳から出た蓮の種から発芽させたものなど色々ある。
私の住む辺りは昔から地下水が豊富に「自噴」する地域として、その水を利用した「花卉」(かき)栽培が盛んで、海芋(かいう)──カラーや、花菖蒲などが栽培されるが、これらはお盆のシーズンの花として「花蓮」が水田で栽培され、夏の強い日差しの中にピンクの鮮やかな花を咲かせる。

a0019858_194529花蓮②

a0019858_191621花蓮

もちろん商品として出荷するものは「つぼみ」のうちに切り取り、葉っぱも添えて花市場に出荷される。摘採は太陽のあがる前の早朝の作業である。
月遅れ盆の8月上旬が出荷のピークであり、この時期には臨時に多くの人を雇って、早朝から作業する。

私の歌にも睡蓮、蓮を詠んだものがあるので下記に引いておく。
作歌の場面は、奈良の唐招提寺である。説明する必要もなく一連の歌の中に詠み込んであるので、歌を見てもらえば判ることである。
唐招提寺の一連の歌は「夢寐むび」と題して詠んでいる。
「夢寐」は、漢和辞典にも載るれっきとした熟語で「寐」=「寝」の字に同じである。
その後に引続いて「西湖」と題する一連から蓮に関するものを引用しておく。
私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。

  夢寐・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥 

睡蓮の咲くも閉づるも夢寐(むび)のうち和上の言ひし朱き蓮(はちす)よ

くれなゐの蓮は鑑真のために咲き朝日さしたり安心(あんじん)の池

結跏趺坐和上のおはす堂の辺の蓮に朝(あした)の日照雨(そばへ)ふるなり

<蓮叢を出て亀のゆく苦界あり>さわさわと開花の呼吸整ふ
           *丸山海道

くれなゐの蓮群れ戯(そば)ふ真昼間の風はそよろと池を包みぬ

睡蓮は小さき羽音をみごもれり蜂たちの影いくたび過(よ)ぎる

   西湖・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

<睡蓮の中に西施が舫(もや)ひ舟>西湖の蓮にわれ逢ひ得たり
               *堀古蝶

睡蓮の花閉ぢむとして水曇る金色の夕べ波立ちゆらぐ

睡蓮にぴりぴり雷の駆けゆけり花弁をゆらし騒だつ水面

声明(しやうみやう)に湖の明けゆく水面には岸にむかひて日照雨ふるなり

てのひらに蓮の紅玉包みたし他郷の湖を風わたりゆく

湖に真昼の風の匂ふなり約せしごとく蓮と向きあふ

手にすくふ水に空あり菖蒲田の柵に病後の妻と凭(よ)りゐつ

戻り来しいのち虔(つつ)しみ菖蒲田を妻と歩めば潦(にはたづみ)照る
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「日照雨」(そばえ)とは、陽が差しているのに小雨がはらはらと降ること。別名「きつねの嫁入り」などという。
「潦」(にわたずみ)とは俄か雨などで一時的に出来た水溜りのこと。


老後つてこんなものかよ二杯目のコーヒー淹れる牧神の午後・・・木村草弥
20110221_896756パンとシュリンクス ルーベンス
 ↑ ルーベンス筆「パンとシュリンクス」─カッセル州立美術館所蔵

     老後つてこんなものかよ二杯目の
             コーヒー淹れる牧神の午後・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第五歌集『昭和』(角川書店)に載るものである。

ご存じのように、この話「牧神の午後」のエピソードはギリシャ神話に発するが、有名になったのはフランスの作家・マラルメの詩による。
それに刺激されてドビュッシーの作曲があり、よく知られている。→ カラヤン指揮のドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」
私の歌は、それらを下敷きにしているのである。 以下、それらについて少しWikipediaの記事を引いておく。

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 ↑ ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」CDの一例
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『「牧神の午後」への前奏曲』 (ぼくしんのごごへのぜんそうきょく、仏:Prélude à "L'après-midi d'un faune")ホ長調 は、フランスの作曲家クロード・ドビュッシーが1892年から1894年にかけて作曲した管弦楽作品であり、彼の出世作である。

概要
この曲はドビュッシーが敬慕していた詩人 マラルメ の『牧神の午後』(『半獣神の午後』)に感銘を受けて書かれた作品である。" 夏の昼下がり、好色な牧神が昼寝のまどろみの中で官能的な夢想に耽る"という内容で、牧神の象徴である「パンの笛」をイメージする楽器としてフルートが重要な役割を担っている。牧神を示す主題はフルートソロの嬰ハ(Cis,C#)音から開始されるが、これは楽器の構造上、非常に響きが悪いとされる音である。しかし、ドビュッシーはこの欠点を逆手にとり、けだるい、ぼんやりとした独特な曲想を作り出すことに成功している。フランスの作曲家・指揮者ブーレーズは「『牧神』のフルートあるいは『雲』のイングリッシュホルン以後、音楽は今までとは違ったやり方で息づく 」と述べており、近代の作品で非常に重要な位置を占めるとされる。曲の終盤ではアンティークシンバルが効果的に使用されている。

この後、ドビュッシーは、歌曲集『ビリティスの3つの歌』(1898年)、無伴奏フルートのための『シランクス』(1913年)、ピアノ連弾曲『6つの古代碑銘』(1914年)などの作品で牧神をテーマにしている。また、ラヴェルのバレエ音楽『ダフニスとクロエ』(1912年初演)にも牧神(パンの神)が登場する。
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私の午後のコーヒー・タイムを「牧神の午後」になぞらえるような不遜な気は、私にはさらさら無い。
コーヒーを呑みながらドビュッシーの、この曲を聴いている、と受け取ってもらえば有り難い。
因みに、2012年はドビュッシー生誕150年の記念すべき年であったことを書き添えておく。
では、また。


その背中ふたつに割りて緑金の山のなだりを黄金虫翔ぶ・・・前登志夫
010704aokanabun1アオカナブン

  その背中ふたつに割りて緑金の
      山のなだりを黄金虫翔ぶ・・・・・・・・・・・・・前登志夫


この歌は『角川現代短歌集成』③巻から引いた。初出は『鳥総立』(03年刊)。前登志夫については ← に詳しい。

学校の夏休みが始まり、いよいよ少年たちの楽しい夏だ。今はまさに、そのさ中だ。
掲出の写真は樹の樹液に集る虫である。  写真①はカナブンである。コガネムシとも言う。
樹液は甘い香りがして、実際は酢と甘さとアンモニア臭と色々のものが混ざったものらしい。
とにかく、昆虫採集をして樹液の近くに居ると、体に樹液の匂いが沁みつくものである。

私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に

  少年は樹液饐えたる甘き香をにほはせ過ぎぬ露けき朝を・・・・木村草弥

という歌があるが、先に書いたような情景を描いているのである。

樹液の沁み出す樹の傷には、いろいろの虫が集ってくる。虫にも強弱があり、力の強いカブトムシなどはズカズカと樹液に到達するが、弱い虫は遠慮がちにオズオズと周辺から辺りをみながら近づいてくるから面白い。
写真②はカブトムシの雌雄である。
kb-kabu2カブトムシ

私は少年の頃は虚弱児で、活動的な子ではなかったが、田舎ですぐ近くには雑木林があるような環境だったから上級生に連れられて虫を捕まえに行ったりした。
水泳なんかも、上級生に無理に川に突き落とされて、溺れまいと必死で泳ぎを覚えたものである。
三番目はミヤマクワガタの雄である。
miyamatarouミヤマクワガタ

四番目の写真はミヤマクワガタの雌である。

040629miyamaミヤマめす

おおよそ昆虫は雄が大きく牙も大きい。少年の頃は何も知らずに牙の大きいのを源氏、小さいのを平家などと呼んでいた。 (昆虫の雄が大きい、というのは正確ではない。バッタ、イナゴ、カマキリなどは雄が小さく、雌が大きい)
樹液の出る傷のある樹が見当たらない場合は、上に書いたように樹液に似た液を作って樹の洞などに置いておくと虫が集ってくるものである。その辺は少年なりの知恵と言えようか。
蝉などは幾つもの種類が朝早くから、やかましく鳴いていた。あまり蝉採りなどはしなかった。蝉の名前が思い出せない小さな蝉でじーじーと鳴くのがうるさかった。
夏の終りに近づくとかなかなと蜩(ひぐらし)が鳴き出す。ツクツクボウシも秋口の蝉である。

先年、暑いさなかをゴルフしていたら、何年も年月を経た大きなポプラの木に羽化した蝉の抜け殻があり、木の周りに地下から幼虫が出てきた穴が、いくつもあった。
日本の蝉は地下に数年棲んでいるから、幼木にはまだ蝉は棲みつかない。
nokogirikun.jpg

五番目はノコギリクワガタという立派なクワガタで、体の色が赤銅色に光っているのが特徴。この虫が子供たちにも人気があった。
昔はクヌギ、ナラなどの雑木は薪として利用されたので数年の更新期を経て伐採された。そんなタキギとしての用途もなくなって、雑木林はうち捨てられた。クヌギやナラは数年で更新されるから再生するのであって、切られなくなっては雑木林は衰退するばかりである。
琵琶湖のほとりに住む今森光彦さんは琵琶湖周辺を丹念にカメラに収めてきた人だが、琵琶湖周辺でも棚田や雑木林は、もう殆ど見られなくなった。
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虫などにまつわる私の歌を少し引いてみる。
私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)から

     沙羅の寺(抄)・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

   楢の木の樹液もとめて這ふ百足(むかで)足一本も遊ばさず来る

   かたつむりの竹の一節越ゆるを見て人に会ふべき顔とりもどす

   蟻の国の事も知らずで箒もて掃くも殺すもガリバーの我




けふありて銀河をくぐりわかれけり・・・秋元不死男
natuama天の川②

        けふありて銀河をくぐりわかれけり・・・・・・・・・・・・・・・・・秋元不死男

「天の川」は一年中みえるが、春は低く地平に沿い、冬は高いが光が弱い。
夏から秋にかけて、写真のように起き上がり、仲秋には北から南に伸び、夜が更けると西の方へ向かう。
「銀漢」という表現もあるが「天の川」のことである。

天の川の句としては芭蕉の「荒海や佐渡に横たふ天の川」などの秀句がある。
不死男の句は或る「愛」を想像させて秀逸である。折りしも、月遅れのお盆であり、いろいろと偲ぶにはよい句である。

天の川は英語では「ミルキー・ウエィ」というが、これはギリシア神話の最高神ゼウスの妻・ヘラの乳が天に流れ出したものというところから由来する。
実際は、銀河系の淡い星たちの光が重なりあって白い帯となって見えるもの。
銀の砂のように美しく、七夕伝説とも結びついて「星合」の伝統となっている。
『万葉集』に山上憶良の歌

  天の河相向き立ちてわが恋ひし君来ますなり紐解き設(ま)けな

の歌が、古くからあり、美しさと星合の七夕伝説とが結びついてイメージされている。
以下、歳時記に載る天の川の句を引いておく。

 北国の庇は長し天の川・・・・・・・・・・・・正岡子規

 虚子一人銀河と共に西へ行く・・・・・・・・・・・・高浜虚子

 別るるや夢一筋の天の川・・・・・・・・・・・・夏目漱石

 天の川人の世も灯に美しき・・・・・・・・・・・・沼波瓊音

 草原や夜々に濃くなる天の川・・・・・・・・・・・・臼田亞浪

 銀河より聞かむエホバのひとりごと・・・・・・・・・・・・阿波野青畝

 天の川怒涛のごとし人の死へ・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

 遠く病めば銀河は長し清瀬村・・・・・・・・・・・・石田波郷

 妻と寝て銀漢の尾に父母います・・・・・・・・鷹羽狩行

 ちちははに遠く銀河に近く棲む・・・・・・・・・・・・上村占魚

 天の川逢ひては生きむこと誓ふ・・・・・・・・・・・・鷲谷七菜子

 乳足りて息やはらかし天の川・・・・・・・・・・・・石塚悦郎

Per_20080813_0414sペルセウス2008

この句とは直接の関係はないが、私はこんな歌を創ったことがある。
(第四歌集『嬬恋』所載)

わがいのちいつ終るべきペルセウス流星群の夜にくちづける・・・・・・・・・・・木村草弥

銀河からの連想であるが、今しもペルセウス流星群の活動の激しい時期である。






矢澤靖江歌集『音惑星』・・・木村草弥
矢澤_NEW

──新・読書ノート──

      矢澤靖江歌集『音惑星』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
            ・・・・・・本阿弥書店2020/06/21刊・・・・・・・

この本が恵贈されてきた。
矢澤さんの第二歌集ということになる。

矢澤靖江
1941年 埼玉県加須市生まれ
1995年 コスモス短歌会入会
2009年 歌集『月明かり雨』 (角川書店) 刊行
2015年 「灯船」創刊に参加

私のブログを調べてみたが、第一歌集『月明かり雨』の書評は無いようである。
私は一昨年、終活の意味を込めて、蔵書を日本現代詩歌文学館などに寄贈したので、手元にも本は無い。
恐らくハガキによる寸評で済ませたのであろう。
しかし、矢澤さんからは毎年年末に次年度の絵や彫刻などの芸術作品をカレンダーにしたものが贈られてくる。
国内外の有名作家のものなどであり、かなりの芸術作品の収集家であるらしい。カレンダーには「KAZEN」の名前が入っており、これが矢澤さんの会社だろうと思われる。
今もリビングの壁に、そのカレンダーが見える。

矢澤さんは高野公彦に師事されているようで、今回も7首の歌が「帯」裏に引かれている。

   *風花のひかりはららぐ嵯峨ゆけばわれをめぐりてやさし木立は
   *サッカーのドリブル、フェイント、パス、シュート一筆書きのボールの軌跡
   *遮断機の上がりて渡りゆく足は線路のとほきひびきを跨ぐ
   *あかときを墨すり賀状書く夫よ木犀の香の中に明けゆく
   *レコードに針を落とせるたまゆらを刹那とおもひ永遠とおもふ
   *ぴちぴちと水の粒子にとびのつて光子あそぶ秋の噴水
   *東京に〈ほんとの空〉はないといふ 今はほんとの夜ももうない

そして、「帯」表には、小島ゆかりの文章が画像でも読み取れるだろう。
略歴に見える「灯船」というのは、どういうものだろう。ネット検索してみると、
『灯船』というのはコスモス短歌会の会員で昭和40年より以前に生まれ、発行当時80歳を上限に区切ったメンバーで構成された68名を同人とする結社内同人誌です。
昨年末現在で15号まで発行し、年四回批評会を行っています。 とある。

さて、今回の歌集のことである。
表紙カバーの絵は、イタリア人の彫刻家チェッコ・ボナノッテの≪「音」──微かな風が竹を吹き過ぐ≫、という作品らしい。
この本のために描いてくれたものという。
恐らく、収集家である矢澤さんの支援する彫刻家なのであろう。 趣のある面白い絵である。
「あとがき」にも書かれているが、作者のご夫君は二年前の六月に亡くなられた。
この本は、ご夫君の三回忌を記念して出された。「あとがき」末尾に、こう書かれている。

<第一歌集『月明かり雨』を誰よりも熱心に読んでくれた夫は、第二歌集を待ち望んでいてくれました。
 心をこめて亡き夫にこの歌集を捧げたいと思います。
 令和二年六月二十一日 夫・矢澤真司の三回忌に>

微笑ましい夫婦愛である。

この本には2014年から2019年までの476首が載せられている。
章分けはなく、項目名のみ84の体裁になっている。
「あとがき」に、こう書かれている。
<2018年二月に、私の突然の入院に続き、元気そのものだった夫に病気が見つかりました。
 三月の初めに入院することになった夫は、同じ病棟の一つ置いて隣の部屋でしたので、
 私は一日の大半を夫の部屋に出向いて過ごし、毎回の食事もいつも一緒にいただいておりました。
 私が退院するまでの十数日間は、お互いの身体の苦痛もそれ程なく、「恩寵のような時間ね」と言いながら様々なことを語り合いました。
 それは二人にとって懐かしい時間でありました。やがて私は退院し、夫は三ケ月余の入院のあと風のように逝ってしまいました。
 仕事を離れ、日常を離れた、いわば「何にも捉われない時間」──結婚生活は五十五年に及びましたが、このような時間を最後に共有できたことを大切に胸の奥にしまっています。・・・・・>

長い引用になったが、この本の肝が、ここにあると感じたからである。

歌集名の「音惑星」は
   ことばなき音惑星はさびしからむティラノサウルス折々吠ゆれど
から採られているという。これは作者の造語だという。見事な選択というべきだろう。
一巻は、淡々と描写され、何の力みもない。「音」という切り口で、この一巻を取りまとめてみせた、と言えるだろう。

歌を引きながら見て行こう。

   ■天壌に雪ふるあしたさざんくわは雪をかづきて雪より白し
   ■雨宮雅子この世に在さず冬の月さしくる庭の白きさざんくわ
   ■うす紅にひかりたたへて散り際のさざんくわにひと日細き雨ふる

巻頭に置かれる一連である。作者は雨宮雅子の心情に心寄せるらしい。雨宮雅子の歌を知る者には共感できるものがある。

   ■北西風吹く海暮れはてて蟹競りのこゑひびきをり三国港市場
   ■大きなる生色の月窓に光るタリンの夜空のスーパームーン
   ■軽井沢銀座うめゆく傘、傘、傘、雨宿りのわが視界を動く
   ■千曲川を来る春風は藤村に牧水に吹きしいにしへの風

国内外に旅されたらしいが、そうしいう羇旅の歌も、羇旅としては詠われていない。日常の歌の延長として、さりげなく詠われて好ましい。

   ■ヨーヨー・マのチェロの音澄みて透明な時間の中にわれは入りゆく
   ■上野にて第九聴き終へ午前零時とげぬき地蔵の初詣せり

音楽会などにも造詣が深いが、これも日常の一コマとして、さりげなく配されている。

ご夫婦お二人の日常を描いた歌は、愛情ふかく微笑ましい。
   ■乾杯はビールと夫は決めてゐて次のワインは私が決める
   ■焼鮎の頭と尻尾を夫が食べ骨抜きし身をわたしに呉れる

いよいよ、愛する夫との別れのシーンに入らなければならない。その前後の歌を引いておく。
   ■手術するか、しないか、迫りくる問ひの鋭き刃物に三日対峙す
   ■脚病めば歩み果敢なしいちやう散る本郷通りの凹凸を知る
   ■この世より滅びてゆかむ夫の呼吸見守りて三男二女の子らあり
   ■「臨終です」医師なる息子告げにけりこの寂寞を怺ふたまゆら
   ■病室より昨日も届きし夫のこゑ「おはよう、起きたよ、今日は何時来る ? 」
   ■朝早く日ごと届きし夫の電話失くなりて今朝のかなかなのこゑ
   ■七人の鍋が今では二人鍋夫は変はらず鍋奉行なり
   ■やはらかき新子食べれば夏来たり銀座の街に夫なきわれに

そして巻末の歌は、これである。

   ■子育ても思ひ出となり水底の石にゆらめく晩夏のひかり

ご子息たちは皆、立派に成人され、ご夫君の残された会社も順調のようである。
心安らかに余日を過ごされることを祈って、ご恵贈りの御礼としたい。雑駁な鑑賞に終始したことをお詫びする。有難うございました。    (完)






藪入や皆見覚えの木槿垣・・・ 正岡子規
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       藪入や皆見覚えの木槿垣・・・・・・・・・・・・ 正岡子規

薮入りとは、かつて商家などに住み込み奉公していた丁稚や女中など奉公人が実家へと帰ることのできた休日。
旧暦1月16日と旧暦7月16日がその日に当たっていた。7月のものは「後(のち)の藪入り」とも言われた。

藪入りの習慣が都市の商家を中心に広まったのは江戸時代である。
本来は奉公人ではなく、嫁取り婚において嫁が実家へと帰る日だったとされるが、都市化の進展に伴い商家の習慣へと転じた 。
藪入りの日がこの二日となったのは、旧暦1月15日(小正月)と旧暦7月15日(盆)がそれぞれ重要な祭日であり、嫁入り先・奉公先での行事を済ませた上で実家でも行事に参加できるようにという意図だったとされる。そのうちに、地獄で閻魔大王が亡者を責めさいなむことをやめる賽日であるとされるようになり、各地の閻魔堂や十王堂で開帳が行われ、縁日がたつようになった。
藪入りの日となると、主人は奉公人たちにお仕着せの着物や履物を与え、小遣いを与え、さらに手土産を持たせて実家へと送り出した。実家では両親が待っており、親子水入らずで休日を楽しんだ。また、遠方から出てきたものや成人したものには実家へ帰ることができないものも多く、彼らは芝居見物や買い物などをして休日を楽しんだ。
藪入りは正月と盆の付随行事であったため、明治維新が起き、太陰暦から太陽暦への改暦が行われると、藪入りも正月と盆に連動してそのまま新暦へと移行した。文明開化後も商家の労働スタイルにはそれほどの変化はなく、さらに産業化の進展に伴い労働者の数が増大したため、藪入りはさらに大きな行事となった。藪入りの日は浅草などの繁華街は奉公人たちでにぎわい、なかでも活動写真(映画)などはこれによって大きく発展した。
第二次世界大戦後、労働基準法の強化などにより労働スタイルが変化し、日曜日を休日とするようになると藪入りはすたれ、正月休み・盆休みに統合されるようになった。
藪入りの伝統は正月や盆の帰省として名残を残している。

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──中元ということについて──

もともとは、中国の「三元」という考え方があり、上元が1月15日。中元が7月15日。下元が10月15日と称した。
元というのは「はじめ」のことで、一年を三分して考えたのである。
本来は天の神を祀る中国の風習が、かの地でも、中元は節供にあたるものとなり、それが日本に入って贈答習俗と変わったのである。
「中元」という言葉自体が変化してしまい、「お中元」という贈答の中元になってしまった。

8月は、本当に行事が多くて、書くことはいろいろあるので、今回は「薮入り」と「中元」の二つを同時に書くことになった。
以下に「薮入り」と「中元」の句を引いて終りにしたい。

 薮入や皆見覚えの木槿(むくげ)垣・・・・・・・・正岡子規 

 薮入して秋の夕を眺めけり・・・・・・・・松瀬青々

 薮入り子の窺ふや萩薄・・・・・・・・松瀬青々

 薮入の姉の下駄履き野菊摘む・・・・・・・・南南浪

 薮入に実生の桐の育ちかな・・・・・・・・菊地赤水

 盆礼に忍び来しにも似たるかな・・・・・・・・高浜虚子

 盆礼やひろびろとして稲の花・・・・・・・・高野素十

 薮入や彩あでやかにアロハシャツ・・・・・・・・吉田北舟子

 中元や老受付へこころざし・・・・・・・・富安風生

 中元の使患者にまじり来る・・・・・・・・五十嵐播水

 母居ぬ町に手受けて中元広告紙・・・・・・・・中村草田男

 中元の新聞広告赤刷に・・・・・・・・上野泰

 中元や萩の寺より萩の筆・・・・・・・・井上洛山人



あの父の八月十五日の最敬礼・・・直江裕子
db21a112cc944aff6e3b61e7c5540d90敗戦日
 ↑ 敗戦後の「焼け跡」

       あの父の八月十五日の最敬礼・・・・・・・・・・直江裕子
             ・・・・・・俳句誌「京鹿子」2005.11掲載・・・・・・・・

今日は、昭和二十年八月十五日、日本はポツダム宣言を受諾、無条件降伏して、第二次世界大戦が終結した日である。
掲出した俳句は、ポツダム宣言を受諾して終戦とするという昭和天皇の「玉音放送」を聴いての光景の一コマであろう。
今になって、日本の敗戦は九月の戦艦ミズーリ艦上での降伏文書署名の日だ、とか、とやかく言われているが、これは正式の法律上でのことである。
当時、日本は天皇の統治する帝国だった。天皇は現人神アラヒトガミであり、「朕思う」の一言で、すべてが決する国だった。
だから終戦の勅語を発し「ポツダム宣言を受諾して」戦いを終わる、と宣言したのである。終戦の詔勅というものを、よく読んでみれば判る。
詳しくは、こういうことである。
8月14日の御前会議でポツダム宣言の受諾を決定し、終戦の詔書を出した(日本の降伏)。
同日にはこれを自ら音読して録音し、8月15日にラジオ放送において自身の臣民に終戦を伝えた(玉音放送)。
この放送における「堪へ難きを堪へ、忍ひ難きを忍ひ」の一節は終戦を扱った報道特番などでたびたび紹介され、よく知られている。

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昭和天皇は9月27日、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)を率いるダグラス・マッカーサーとの会見のため駐日アメリカ合衆国大使館を初めて訪問した。
最高権力者として昭和天皇には、最大の戦争責任があったのだが、占領軍は天皇の責任を不問にすることによって、戦後の日本統治を平和的に行う道を選んだのである。

その日も暑い日だった。当時、私は学徒動員され軍需工場で旋盤工をしていたが、その日は休みだったのか、家で、近所の大人に混じって放送を聴いた。
みな直立不動の姿勢で聴いていた。
掲出句は、そんな光景を巧く描いている。
言いたいことは色々あるが前に詳しく書いたので、→ 「それ」を読んでみてもらいたい。
敗戦あるいは終戦について詠まれた句を引いて、戦没者のご冥福を祈り、近隣諸国にはお詫びの一日としたい。

  堪ふる事いまは暑のみや終戦日・・・・・・・・及川貞

  朝の髪一つに束ね終戦日・・・・・・・・菖蒲あや

  木々のこゑ石ころのこゑ終戦日・・・・・・・・鷹羽守行

  いつまでもいつも八月十五日・・・・・・・・綾部仁喜

  高館は雨のくさむら終戦日・・・・・・・・石崎素秋

  敗戦記念日の手花火の垂れ玉よ・・・・・・・・三橋敏雄

  敗戦日少年に川いまも流れ・・・・・・・・矢島渚男

  敗戦忌燃えてしまった青年ら・・・・・・・・北さとり

  この空を奈落より見き敗戦日・・・・・・・・岡田貞峰

  初心ありとせば八月十五日・・・・・・・・小桧山繁子

  敗戦忌海恋ふ貝を身につけて・・・・・・・・山本つぼみ

  終戦忌声なき声の遺書無数・・・・・・・・以東肇

  海原は父の墓標や敗戦忌・・・・・・・・中村啓輔

  終戦忌何も持たずに生きてきて・・・・・・・池田琴線女

  荼毘のごと燃やす破船や終戦日・・・・・・・・野村久子





デュフィの海のやうなる空にさやぎ欅若葉は一会のさみどり・・・島田修三
bin070326191301009デュフィ「波止場」

      デュフィの海のやうなる空にさやぎ
         欅若葉は一会(いちゑ)のさみどり・・・・・・・・・・・・・・島田修三


梅雨が上って、いよいよ照りつける太陽の季節が巡ってきた。
青葉、若葉が萌える時期である。
この島田修三の歌は、そんな季節の一風景をトリミングして見事である。『シジフォスの朝』(砂子屋書房01年刊)
掲出した画像は、デュフィ「波止場」である。

ラウル・デュフィについてWeb上から記事を引いておく。

ラウル・デュフィ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ラウル・デュフィ(Raoul Dufy, 1877年6月3日 ~ 1953年3月23日)は、野獣派に分類される19世紀~20世紀期のフランスの画家。「色彩の魔術師」20世紀のフランスのパリを代表するフランス近代絵画家。

画風
アンリ・マティスに感銘を受け彼らとともに野獣派(フォーヴィスム)の一員に数えられるが、その作風は他のフォーヴたちと違った独自の世界を築いている。デュフィの陽気な透明感のある色彩と、リズム感のある線描の油絵と水彩絵は画面から音楽が聞こえるような感覚をもたらし、画題は多くの場合、音楽や海、馬や薔薇をモチーフとしてヨットのシーンやフランスのリビエラのきらめく眺め、シックな関係者と音楽のイベントを描く。 また本の挿絵、舞台美術、多くの織物のテキスタイルデザイン、莫大な数のタペストリー、陶器の装飾、VOGUE表紙などを手がけ多くのファッショナブルでカラフルな作品を残している。

生涯
1877年 北フランス、ノルマンディーのル・アーヴルの港街に 貧しいが音楽好きの一家の9人の兄弟の長男として生まれる。父親は金属会社の会計係で、才能ある音楽愛好家。教会の指揮者兼オルガン奏者。母はヴァイオリン奏者。兄弟のうち2人はのちに音楽家として活躍。家計を助けるため14歳でスイス人が経営するコーヒーを輸入する貿易会社で使い走りとして働くためにサン・ジョセフ中学校を離れる。後にル・アーヴルとニューヨークを結ぶ太平洋定期船、ラ・サヴォアで秘書をする。
1895年 18歳のときに美術学校ル・アーヴル市立美術学校の夜間講座へ通い始めた。生涯愛したモチーフとなるル・アーヴルの港をスケッチ。右利きのデュフィは技巧に走り過ぎることを懸念し、左手で描いた。学校の友人フリエスらと共にアトリエを借り彼らとアーブル美術館でウジェーヌ・ブーダンを模写。ルーアン美術館でニコラ・プッサン、ジャン=バティスト・カミーユ・コロー、テオドール・ジェリコー、ウジェーヌ・ドラクロワを学ぶ。
1898年~99年 兵役 戦争から戻り病身でヴォージュ地方のヴァル・ダジョルに滞在
1900年 兵役の1年の後にル・アーブル市から1200フランの奨学金を得て23歳のときに一人故郷を離れパリの国立美術学校エコール・デ・ボザールへ入学。モンマルトルのコルトー街で暮らす。レオン・ボナのアトリエで学ぶ。ジョルジュ・ブラックと学友だった。印象主義の画家クロード・モネ、ポール・ゴーギャン、フィンセント・ファン・ゴッホ、カミーユ・ピサロなどに影響を受ける。
1902年 ベルト・ヴェイルを紹介されて、彼女のギャラリーにパステル作品を納入。
1903年 アンデパンダン展に出品。
1905年 アンリ・マティス、マルケと知り合い、アンドレ・ドラン、モーリス・ド・ヴラマンク、パブロ・ピカソなどの若いアーティストの作品をサロン・デ・ザンデパンダンを見てフォービズムに関心を向けリアリズムに興味を失う。
1906年 ベルト・ヴェイル画廊で個展を開く。
1907年 34歳の時に結婚。生活の為、木版画の制作を始める。
1908年 ブラックとレスタックで制作。セザンヌ風様式を採用。フォービズムから離れていく
1909年 フリエスとミュンヘンに旅行。
1910年 ギヨーム・アポリネール と親交を結ぶ
1911年 当時豪華王と呼ばれたファッション・デザイナーのポール・ポワレと知り合う。彼との仕事で木版刷りで布地のテキスタイルデザインをプティット・ユジーヌ工場で創る。アポリネールの動物誌の木版挿絵を制作。
1912年 フランスのシルク製造業を率いたリヨンのビアンキーニ・フェリエ商会とデザイナー契約を結ぶ。
1913年 南仏イエールに滞在。
1914年 第一次世界大戦が起こり陸軍郵便事業に従事。
1917年 翌年まで、戦争博物館の図書室員となる。
1918年 ジャン・コクトーの舞台デザインを手がける。
1919年 ヴァンスに滞在。
1920年 パリに戻りモンマルトルのジョルジュ・ブラックの近所に居を構える。
1922年 フィレンツェ、ローマ、シチリアに旅行。
1925年 「シャトー・ドゥ・フランス」シリーズが国際装飾美術展で金賞
1936年 ロンドンに旅行。
1938年 パリ電気供給会社)の社長の依頼でパリ万国博覧会電気館の装飾に人気の叙事詩をフレスコ画の巨大壁画「電気の精」を描く。イラストレーターと兼アーティストとしての評判を得る。多発性関節炎発症。ポール・ヴィヤール博士は、デュフィの主治医
1943年~44年第二次大戦中はスペイン国境に近い村に逃れて友人と共に暮らす
1945年 ヴァンスに滞在。
1950年~52年 リューマチのコーチゾン療法を受けるために米国のボストンへ。
1952年 ヴェネツィア・ビエンナーレの国際大賞を受賞。
1953年3月23日にフランス、心臓発作のためフォルカルキエにて死去。75歳没。ニース市の郊外にあるシミエ修道院墓地に埋葬される。

代表作
サンタドレスの浜辺(1906 年)(愛知県美術館)
海の女神(1936年)(伊丹市立美術館)
電気の精(1937年)(パリ市立近代美術館)長さ60メートル、高さ10メートルの大作
三十年、或いは薔薇色の人生(パリ市立近代美術館)

画集
小学館ウィークリーブック 週間美術館 ルソー/デュフィ 小学館
ユーリディス・トリション=ミルサーニ著 太田泰人訳 デュフィ 岩波世界の巨匠 岩波書店
島田紀夫 千足伸行編 世界美術大全集 第25集 フォービズムとエコールド・パリ 小学館
ドラ・ベレス=ティピ著 小倉正史訳 デュフィ作品集 リブロポート

収蔵
オルセー美術館
ポンピドーセンター
パリ市立美術館等の有名美術館
大谷美術館
国立西洋美術館
石橋財団ブリヂストン美術館
愛知県美術館
メナード美術館
三重県立美術館
島根県立美術館
大原美術館
ひろしま美術館
鎌倉大谷記念美術館
青山ユニマット美術館
ブリヂストン美術館
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島田修三は、こういう人である。

島田 修三(しまだ しゅうぞう、1950年8月18日 - )は、歌人、日本古典研究者、愛知淑徳大学学長。

神奈川県生まれ。歌誌「まひる野」所属。1975年横浜市立大学文理学部日本文学専攻卒業、1982年早稲田大学大学院博士課程中退。専攻は万葉集。
愛知淑徳大学文化創造学部教授、副学長を経て、2011年学長。短歌は窪田章一郎に師事。

受賞歴
2002年、『シジフオスの朝』で第7回寺山修司短歌賞受賞。
2008年、『東洋の秋』で第6回前川佐美雄賞受賞。
2009年、『東洋の秋』で第9回山本健吉文学賞短歌部門受賞。
2010年、『蓬歳断想録』で第15回若山牧水賞受賞。
2011年、『蓬歳断想録』で第45回迢空賞受賞。

著書
晴朗悲歌集 砂子屋書房 1991
離騒放吟集 砂子屋書房 1993
東海憑曲集 ながらみ書房 1995
風呂で読む近代の名歌 世界思想社 1995
古代和歌生成史論 砂子屋書房 1997
短歌入門 基礎から歌集出版までの五つのステージ 池田書店 1998
島田修三歌集 砂子屋書房 2000(現代短歌文庫)
シジフオスの朝 歌集 砂子屋書房 2001
「おんな歌」論序説 ながらみ書房 2006
東洋の秋 歌集 ながらみ書房 2007
蓬歳断想録 短歌研究社 2010
帰去来の声 砂子屋書房〈現代三十六歌仙〉 2013年
古歌そぞろ歩き 本阿弥書店 2017年





雷鳴の一夜のあとの紅蜀葵まぬがれがたく病む人のあり・・・木村草弥
011紅蜀葵

    雷鳴の一夜のあとの紅蜀葵(こうしよくき)
      まぬがれがたく病む人のあり・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載せたもので、
この歌のすぐ後に

   このひとと逢瀬のごとき夜がありただにひそけき睡りを欲りす・・・・・・・・・・・木村草弥

という歌がつづく。病身の亡妻に対する私の気持を詠み込んである。私自身にとっても愛着のある歌群である。

紅蜀葵は和名を「もみじあおい」という。アオイ科の多年草で、北米フロリダ地方の沼沢地が原産という。
日本には明治初期に渡来し、今では広く栽培される。
私の家にも、いつごろ来たのか、今の家に移った時も種を取っておいて蒔いたので毎年夏には、つぎつぎと真紅の花を咲かせる。
茎は数本かたまって直立し1メートルから2メートルに伸び、暑さが本格的になる7月下旬から9月になっても咲きつづける。
葉の形がモミジに似ていることからモミジアオイの名がついた。
鮮紅色の花の色と言い、長い雄しべと言い、どこか異国的な感じがする花である。
花は朝ひらいて夕方には、しおれる。次に咲く花は、蕾の先から少しはなびらの赤色が覗いて、明日あさに開花する。
咲き終わった実は次第に黒褐色になって丸い大粒の種が、ぎっしり入っている。この種が地面に落ちたものは、翌年芽をだすが、余分なものは抜き取られる。

俳句にも、よく詠まれているので、以下、紅蜀葵を詠んだ句を引いておく。

 引き寄せてはじき返しぬ紅蜀葵・・・・・・・・高浜虚子

 紅蜀葵肘まだとがり乙女達・・・・・・・・中村草田男

 花びらの日裏日表紅蜀葵・・・・・・・・高浜年尾

 踵でくるり廻りて見せぬ紅蜀葵・・・・・・・・加藤楸邨

 一輪の五弁を張りて紅蜀葵・・・・・・・・瀧春一

 侘び住みてをり一本の紅蜀葵・・・・・・・・深見けん二

 伊那へ越す塩の道あり紅蜀葵・・・・・・・・宮岡計次

 夕日もろとも風にはためく紅蜀葵・・・・・・・・きくちつねこ

 仏みて夜に日にいろの紅蜀葵・・・・・・・・菊地一雄

 紅蜀葵わが血の色と見て愛す・・・・・・・・岡本差知子

 紅蜀葵女二人して墓に狎れ・・・・・・・・竹中宏

 紅蜀葵籠屋編む竹鳴らしたり・・・・・・・・岡村葉子



心濁りて何もせぬ日の百日草・・・草間時彦
hyakun3百日草②

  心濁りて何もせぬ日の百日草・・・・・・・・・・・・・・・草間時彦


「百日草」は名前の通り夏の間、百日間も秋まで咲きつづける草花である。病気などにも罹らず極めて強い花である。

私の第二歌集『嘉木』(角川書店)にも

   百日を咲きつぐ草に想ふなり離れゆきたる友ありしこと・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

という歌がある。
私の歌は「花言葉」をネタに歌の連作を作っていた時のものであり、百日草の花言葉は「不在の友を想う」である。
花言葉のことだが、私の歌の「離れゆきたる友」というのは正確ではなく、私の方から何となく離れていった、というべきだろうか。
私の性癖として、友人、知人の何らかが鼻につくと身を引くところがあるのである。一種の潔癖主義というか、包容力のなさ、ということであろうか。

hyakun2百日草③

百日草に戻ると、この草は私の子供の頃からある草で日本の草のように思っていたが、外来種らしい。外国では「薬用」として栽培されていたという。
地味な花で、今では余り盛んに植えられては居ないようだ。

nichin6日日草

今では、これも秋まで百日以上も咲きつづける写真③の「日日草」が、これに取って代わるだろう。
極めて安価な草で、病気にも強く、広く植えられている。私の方でも植えている。
いま調べたところ「百日草」はメキシコ原産でキク科の一年草で、「日日草」は西インド原産でキョウチクトウ科の一年草という。
歳時記にも、両方とも載っているので、それらを引いて終わりたい。

 百日草ごうごう海は鳴るばかり・・・・・・・・三橋鷹女

 蝶歩く百日草の花の上・・・・・・・・高野素十

 これよりの百日草の花一つ・・・・・・・・松本たかし

 一つ咲き百日草のはじめかな・・・・・・・・瀬野直堂

 病みて日々百日草の盛りかな・・・・・・・・村山古郷

 朝の職人きびきびうごき百日草・・・・・・・・上村通草

 毎日の百日草と揚羽かな・・・・・・・・三輪一壺

 母子年金受く日日草の中を来て・・・・・・・・紀芳子

 働かねば喰えぬ日々草咲けり・・・・・・・・佐伯月女

 日日草なほざりにせし病日記・・・・・・・・角川源義

 紅さしてはぢらふ花の日日草・・・・・・・・渡辺桂子

 日日草バタ屋はバタ屋どち睦び・・・・・・・・小池一寛

 嫁せば嫁して仕ふ母あり日日草・・・・・・・・白川京子

 些事多し日日草の咲けるさへ・・・・・・・・・増島野花

 出勤の靴結ふ日ざし日日草・・・・・・・・鶴間まさし



プロ麻雀師・木村東平の残暑見舞ハガキ・・・木村草弥
東平_NEW

──雑文──

      プロ麻雀師・木村東平の残暑見舞ハガキ・・・・・・・・・木村草弥

私の従弟・木村東平から「残暑見舞い」ハガキが来た。
彼は私とは三つ下の年齢だが「日本プロ麻雀連盟」中部本部長八段である。
今は女の人の方がマージャンをやる人が多くて、

松坂屋友の会カトレア文化教室講師
中日文化センターレディス麻雀教室講師
名鉄カルチャースクールレディス麻雀教室講師
名古屋レディス麻雀教室主任講師
東華レディス麻雀教室主任講師
琥珀レディス麻雀教室主任講師

など多くのマージャン教室で教えている。
私の父の妹(叔母)の三男である。
いつも年賀状と暑中見舞いが来るが、文才豊かな彼の文章である。
その彼も新型コロナウイルスには苦しめられているようだが、頑張ってもらいたい。
画像に出したもので文面は読み取れよう。
若い時には直木賞作家・色川武大=麻雀作家・阿佐田哲也とつるんで飲み歩いていたらしい。
住所・電話などのプライバシーは削除した。



花火果て闇の豪奢や人の上・・・高橋睦郎
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(お断り) 今年は新型コロナウイルス騒ぎで各地の花火大会もすべて中止された。そんな関係から、この記事は「不用意」と言われるかも知れない。
敢えて画像だけでもという思いで載せたので、ご了承を。


     花火果て闇の豪奢や人の上・・・・・・・・・・・・・・・・・・高橋睦郎

夏の風物詩と言えば、何といっても「花火」だろう。花火は何となく「はかない」。それは華やかにパッと咲いては消えてゆくからである。

この句は、挙がる花火そのものを詠むのではなく、花火の終った後を詠んで「闇の豪奢」と言っている。味わい深い。
高橋睦郎については、リンクにしたWikipediaの記事に詳しい。
花火という季語は元来は秋のものであったというが、やはり夏がふさわしく、今では夏の季語として定着している。
花火大会というと昔から東京の隅田川の両国の花火大会が有名でカギヤ、タマヤという花火師がいたらしく、花火が揚がるたびにタマヤ、カギヤの掛け声がかかったという。

tamura花火①

関西では、PL花火大会、琵琶湖花火大会、7月25日の天神祭の後、8月はじめに大川で挙行される花火大会などが有名である。
花火は火薬を使用するので花火師に危険は、つきものである。
今ではテレビなどの映像で知るだけでも、みんな会社組織になっている。国際的に活躍している人たちも多い。
日本の花火は一つ一つが芸術的に出来ているが、外国のものは数にまかせて一度にたくさん打上るものが多い。
日本の二尺玉、三尺玉などの単発の芸術作品もいいが、外国の数で押す手法と混合するのも、よいのではないか。

bg01花火③

ここに掲げた写真は、いずれもWeb上から拝借したものだが、これだけ鮮明に花火を撮るのは難しい。これらの写真は、よく撮れている。

ootutu②尺玉打上筒

四番目の写真には「尺玉打上筒」の説明がある。私は初めてお目にかかるもので、その大きさに改めてびっくりする。
今では打上げはコンピュータ制御で操作するらしいが、その制御に至る準備が大変だろう。
昔は打上げの際の爆発事故で目や手足を損傷した花火師もいた。今でも花火工場の爆発事故などもある。
打上げの際の華やかさに比べて、花火の製造や準備は地味なもので、ご苦労が偲ばれる。
であるから、花火を見る際には、それらのご苦労に対して、一瞬でも心を致したい。
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以下、花火を詠んだ句を古今を通じて引いてみたい。

 小屋涼し花火の筒の割るる音・・・・・・・・・・・・宝井其角

 物焚いて花火に遠きかかり舟・・・・・・・・・・・・与謝蕪村

 宵々の花火になれて音をのみ・・・・・・・・・・・・高浜虚子

 空に月のこして花火了りけり・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

 子がねむる重さ花火の夜がつづく・・・・・・・・・・・・橋本多佳子

 ねむりても旅の花火の胸にひらく・・・・・・・・・・・・大野林火

 花火あがるどこか何かに応へゐて・・・・・・・・・・・・細見綾子

 半生のわがこと了へぬ遠花火・・・・・・・・・・・・三橋鷹女

 童話読むことも看とりや遠花火・・・・・・・・・・・・及川貞

 黒き蔵王全し花火一瞬に・・・・・・・・・・・・杉本寛

 犬の舌したたかに濡れ揚花火・・・・・・・・・・・・荒谷利夫

 死にし人別れし人や遠花火・・・・・・・・・・・・鈴木真砂女

 陣痛の牛ゐて花火音ばかり・・・・・・・・・・・・今井聖

 花火の夜兄へもすこし粧へり・・・・・・・・・・・・正木ゆう子

 大空のうつろに割れし花火かな・・・・・・・・・・・・前田野生子

 大花火沖の暗さを見せにけり・・・・・・・・・・・・平松荻雨

 海峡に色をこぼして揚花火・・・・・・・・・・・・岩崎慶子

 とめどなく空剥がれ落つ大花火・・・・・・・・・・・・田山康子

 亡き妻に花火を見せる窓あけて・・・・・・・・・・・・野本思愁
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六番目の大野林火の句だが、私の第三歌集『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)の中で、「辞世」①というコラージュ風の作品として

  「ねむりても旅の花火の胸にひらく」冬の花火ってさみしくていいもんだよ・・・・・・・・木村草弥
                 *大野林火

という歌を作ったことがある。こういうコラージュの手法は絵画の世界では市民権を得ているが、歌の世界では、なかなか理解を得られず苦労した。



てのひらに蝉のぬけがら ぬけがらを残して人はただ一度死ぬ・・・永田和宏
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  てのひらに蝉のぬけがら ぬけがらを
      残して人はただ一度死ぬ・・・・・・・・・・・・・永田和宏


この永田和宏の歌は「蝉のぬけがら」を見た目から「人間の生死」にまつわる死生観に話を振って秀逸である。
この歌は『角川現代短歌集成』③巻 から引いた。初出は『風位』(03年刊) 永田和宏については ← に詳しい。

私の第二歌集『嘉木』(角川書店)にも、次のような蝉の抜け殻を詠んだ歌がある。

  空蝉は靡ける萱(かや)にがつしりとすがりて残る 青蝉よ翔べ・・・・・・・・・・・木村草弥

写真の蝉はアブラゼミかと思う。
二番目の写真から三枚つづけてアブラゼミの羽化の様子を載せる。
ll0021.kuma羽化①

二番目の写真は地中から這い出てきて、羽化するために足場をがっしりと固めた様子。
地中から這い出て来るのは目撃者によると夜8時頃からという。
羽化の途中は蝉の肌も弱く、敵に襲われたら一発でアウトなので慎重らしい。
羽化に失敗するのが、いくつもあるらしい。
一番目の写真のように葉っぱにすがって羽化するのもあり、地中から出て来た環境なりに羽化する足場を探すらしい。
いよいよ羽化がはじまり、幼虫の背中が割れて蝉が外に半身を乗り出した様子。
ll0031.kuma羽化②

この姿勢から下の方にのけぞり、全身が外に出た後、足で殻に捕まって、のけぞり姿勢を正し、ゆっくりと時間をかけて羽や全身を伸ばす。
羽にも血液が流れ、蝉の成虫の羽の大きさと色になってゆく。
この姿勢の時間は一晩をかけて、ゆっくりと行われる。こうしてアブラゼミならアブラゼミなりの大きさと色に変わってゆくのである。
昆虫の場合には「変態」という用語を使うこともあるが、蝶や蝉など羽が生えて空を飛ぶものには「羽化」という言葉がふさわしい。
ll0011.kuma羽化③

四番目の写真では、羽化が終った蝉が抜け殻から離れたところに静止しており、右側に抜け殻が見えている。写真で見るかぎり、まだ体の色はアブラゼミにはなり切ってはいない。
朝になれば羽化した蝉は餌(樹液など)や配偶者を求めて飛び立たなければならないから、それまでに全身を成虫の体にしておかなければならない。
蝉の成虫の命はせいぜい10日か2週間と言われている。地中で木の根から樹液を吸って生きる数年の期間のことを考えると、誠にはかない命と言うべきだろう。
その故に日本人は古来から多くの詩歌に詠んできたのである。
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以下、私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載る一連の歌を引用する。
これらはWeb上のHPでもご覧いただける。

     青蝉よ翔べ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

   別離とは白き紙かも夏逝くといのちの影をうつしてゐたり

   かるかやにすがりて羽化を遂げし蝶あしたの露にいのち萌え初む

   空蝉は靡ける萱(かや)にがつしりとすがりて残る 青蝉よ翔べ

   青蝉は野仏の耳をピアスとし脱皮の殻を残しゆきけり

   野仏の遠まなざしのはたてなる笠置山系に雲の峰たつ

   <汗匂ふゆゑにわれ在り>夏草を刈りゐたるとき不意に想ひぬ

   ひたすらに地に生くるもの陽炎(かぎろ)ひて蟻の行列どこまでつづく

   罪いくつ作り来しとは思はねど差しいだす掌(て)に蟻這はせをり

   蟻の列孜々(しし)と励みし一日は日の昏れたれば巣穴に戻る

   呵責とも慰藉(いしゃ)ともならむ漂白の水に漉かれて真白き紙は

   翔べるものわが身になくて哀しめば蜻蛉(あきつ)は岸の水草を発つ

   身も影もみどりとなりて畦(あぜ)渉る草陽炎の青田つづける

   法師蝉去(い)んぬる夏を啼きゆくははかなきいのちこそ一途なれ





むずかしいことに/飽いて/どうしてもカンタンにしたい/では/イチニのサン・・・三井葉子
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──三井葉子の詩──

       木槿のはな・・・・・・・・・・三井葉子

     むずかしいことに
     飽いて

     どうしてもカンタンにしたい

     では
     イチニのサン
     わたしたちは肉体のはずかしさを手で拭って
     拭っても
     また垂れている紐のくちをへの字にして
     東の角を曲がる

     すると
     白いフェンスに
     木槿のはなが咲いているのでした。

この詩は、三井葉子詩集『草のような文字』(1998年5月深夜叢書社刊)に載るもの。

三井さんには、こんな俳句もある。

   ひらひらと逝きたまひしをむくげ咲く・・・・・・・・三井葉子

という三井さんの句を載せた。三井さんは俳句も作られているのである。句集も二冊出しておられる。
この句は誰か判らないが「逝きたまひし」と尊敬語になっているので、親しい目上の人の死に際して作られたものだろう。

いま、たまたま開いてみた詩集の中に、この詩を見つけたので載せてみた。
三井さんの詩は、使われている言葉自体は何でもないのだが、「詩」としては、とても「難しい」と、よく言われる。
<非>日常である詩句の典型であろう。
そこらに転がっている言葉を拾ってきて、<非>日常の詩句に仕立てる。
意味があるようで、無さそうで、それが三井さんの詩の特徴である。

例えば、この詩の 第二連の

   では
   イチニのサン

なんていうところが、それである。思いつきで付けられた詩句である。

「詩」は意味を辿ってはいけない。詩句に脈絡は無いのである。
詩人によって発想は、さまざまであり、詩句に起承転結のある人もあれば、「意味的」に辿れる人もある。私の詩などは、どちらかというと辿れる方である。
三井さんの場合は、「辿れない」典型であろう。だから、よく「難しい」と言われる所以である。
詩は、声に出して朗読してみるとよい。
この詩も短いから何度でも朗読できよう。
すると、この詩一編が、不思議な趣をもって立ち上がり、或る「まとまり」となって知覚できるだろう。
そうなれば「詩」の鑑賞として一歩近づけた、と言える。
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韓国では、この木槿ムクゲの花が「国花」になっている。韓国語で言うと「ムグンファ」と発音するが漢字で書くと「無窮花」となる。
次々と咲き継いでゆくので、この名前になったのだろう。日本名のムクゲもこの漢字から来ていると、私は思う。「木槿」は漢名だろう。
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今日は8月9日。長崎にプルトニューム原爆が落とされた。
太平洋戦争の末期だが、8月6日には広島にウラン原子爆弾が落とされ、市街が灰燼に帰した上に、数万人の人が放射線により死んだ。
今や戦後生まれの人が日本人の大半を占めて、戦争を知らない人々が殆どであるが、戦中派の一人として、この日は語り継がれるべきだと思う。
さすがの日本軍閥も敗戦を受け入れるきっかけになった両日である。
私は、その頃、軍需工場に動員され、旋盤工としてロケット砲弾の部品を削っていた。
あれから、もう75年が経つ。






藤原光顕の歌「また春がきて25首」・・・木村草弥
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──藤原光顕の歌──(48)

      「また春がきて25首」・・・・・・・・・・・・木村草弥
          ・・・・・・「芸術と自由」誌No.320/2020.08掲載・・・・・・・・

        
           また春がきて       藤原光顕

   出色の出来の一語にこだわって春の手前の一日暮れる
   オッ春の風や今のは、気がつけばまだ空いていた心のすきま
   小人とか原始人らと家裏の羊歯退治して また春が来る
   時ところかまわず何にでも躓くそんなバランスで今年の花を見ている
   何年もしょぼくれていた庭の薔薇いっきょに咲けば予兆のようで
   何を思いあぐねていたのだったか気がつけば庭の椅子が夕焼けている
   このままに醒めなくていい 春暁の目覚まし消してまた眼を閉じる
   夢の散歩はいつも垂水のうら山で今夜はすすきの原に分け入る
   ふきのとうの苦さふくめば戦中戦後のふるさとの風 谷間の風
   過ぎる窓の一つ一つの人生をあの人は言う 旅の車窓の
   夕刊も読まないままで寝てしまうどうせ似たような朝刊がくる
   神の民なんていつまで酔ってるか 縦に組まれた新聞読んで
   コロナが連れてきたカタカナ語わかってもわからなくても 怖い
   立ち止まってしばらく顔を向けてやる 時々監視カメラと遊ぶ
   極端な音痴ですから君が代は畏れおおくて ホントなんです
   コロナ禍も大型連休も生き延びて朝からまちがえず薬をのんで
   夕食と並べ食卓におくチェックメモ 内服三種 目薬三種
   一杯半の焼酎で今夜はとりあえず・・・ 八十五年の長さ短さ
   この一杯あたりから心地よい酔いに若いあの日が見えたりしたり
   焼酎一合=短歌一首はまとめること成果はともかく一合は飲む
   明日があるということにして読みさしの本に栞を挟む今夜も
   港の灯も京の外れもごちゃまぜでまァええやないか何かが揺らぐ
   誰も彼もあっさり消えてしまっただれもかれも笑顔をのこして
   ひっかかる いつものようにさりげなく言ったつもりのさよならなのに
   何万年か何兆年かさよならは宇宙をいつまで漂うのだろう
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梓志乃さん編集の季刊誌「芸術と自由」が届いた。
巻頭に藤原光顕氏の連作が載っている。
彼の主宰する「たかまる」誌と比べると、こちらの方が作品的には整っている。緊張感が違うのだろうか。
一連は、自由律とは言っても、日本の伝統的な五、七という「音数律」に、ほぼ沿った形になっている。
美しい歌群と言えるだろう。
私は酒が呑めなくなったので辞めたが、藤原さんは、お好きらしい。私より五歳も若いから当然か。
面白い一連を読ませていただいた。有難うございました。




  
 
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