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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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詩と連句「おたくさ」Ⅲ─5・・・鈴木漠
おたくさ_NEW

──鈴木漠の詩──(15)

      詩と連句「おたくさ」Ⅲ─5・・・・・・・・・・・・・鈴木漠
             ・・・・・・おたくさの会2020/07/31刊・・・・・・・・

 詩  鈴木 漠
     時雨の美学
         わが恋は松をしぐれの染めかねて真葛が原に風騒ぐなり    慈圓

  満目蕭条たる山野に草を朽ち
  降りみ降らずみの雨に濡れる枯木
  時雨は侘びや寂びの極致
  時雨を愛した芭蕉の忌日は時雨忌

  さりながら芭蕉の高弟其角
  青楼で語らう「あれ聞けと時雨来る
  夜の鐘の音」とゆらめく紙燭の朱も

  其角に親灸した蕪村にも艶冶な意義
  時雨の句が遺されている「老いが恋
  忘れんとして時雨かな」馴染みの芸妓
  と別れる未練がましさが色濃い

  時雨を侘びの象徴とする常識への懐疑
  花や紅葉の対極に時雨を置かんと乞い

    * 自由律によるソネット交叉韻の試み。
     押韻形式は abab/cdcd/efef/ef

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  ソネット平坦韻
          植村光明 捌き
 
        立 夏

  犬猫も主も在家*夏来たる        土井 幸夫 (夏)  a
   涼風に湧けエラン・ヴィタル*     鈴木  漠   (夏)   a
  寄せ返す波頭に心有るごとく      赤坂 恒子 (雑)  b 
    瓢箪作り秘伝繙く           梅村 光明  (秋)   b 

  こんにちは顎のしゃくれしお月さん   三神あすか (月)   c
   新酒土産に会議解散          在間 洋子  (秋)   c
  時空超え仮想の旅を楽しまん      中沢 あき  (雑)   d
    恋の成就に贈るギヤマン*      安田 幸子  (恋)   d

  縁側で友と語らふ日向ぼこ        福永 祥子  (冬)   e
    箱橇遊び斜面でこぼこ         中林ちゑ子 (冬)   e
  優しさが白亜の城を青く染め        森本 多衣 (雑)  f

   春の詩を書くペン先細め             幸夫 (春)  f
  花塗れ紙面閉ざさば即栞         辻   久々 (花)  g
    供養の鐘の響くをりをり        東條  士郎 (春)  g

二〇二〇年五月満尾   ファクシミリ おたくさ連句塾
ソネット平坦韻。押韻形式は aabb/ccdd/eef/eeg
* 在家。小池東京都知事が提唱した ステイ・ホーム。
     エラン・ヴィタル。哲学用語で「生命の躍動」。
     ギヤマン。 ダイアモンドの意。
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鈴木漠氏から、これが届いた。
全部で十二篇の作品が載っている。
健康を回復されたようで、喜ばしい。
益々の、ご健詠を。有難うございました。



 
    

  
暦には立秋とある今日の午後黍の葉鳴らす風吹きいでぬ・・・筏井嘉一
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     暦には立秋とある今日の午後
           黍の葉鳴らす風吹きいでぬ・・・・・・・・・・・・・筏井嘉一


今日は「立秋」である。
しかし、今年の暑さはどうだろう。朝の最低気温が28度を示していたりして、いいかげんにせぇ、という気分だ。
今朝も熱帯夜は免れがたく、南をゆく台風の余波で湿気の多い蒸し暑さである。
これからも暑さは続くだろう。今日以後は暑くても「残暑」と言わなければならないが、まだまだ酷暑真っ盛りという昨今である。嗚呼!

立秋の歌としては、次の歌が古来、人口に膾炙してきた。

   秋来ぬと目にはさやかに見えねども風のおとにぞおどろかれぬる・・・・・・・・・・・・藤原敏行

この歌の詞書(ことばがき)に「秋立つ日によめる」とあるように、立秋の日に詠んだ歌である。
現実には、まだまだ暑い夏だが、二十四節気では、もう「秋」に入ることになる。
「風」のほんのかすかな「気配」によって秋の到来を知る。
この事実を詩にしてみせたことが、季節感に敏感な日本人の心に強くひびきあって、この歌を、今につづく有名な歌として記憶させて来たのである。
この歌は『古今集』巻4・秋の歌の巻頭歌である。
藤原敏行朝臣という人が権力的にはどういう地位にいた人か、私は詳しくないが、この一首で後世に名を残すことになった。

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『古今集』は「夏歌」の最後を凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の次の歌でしめくくっている。

  夏と秋と行きかふ空のかよひぢは かたへすずしき風やふくらむ

この歌には「みな月のつごもりの日よめる」の詞書がついている。
夏と秋とがすれ違う情景を空に一筋の季節の通路を想像して詠んだ歌である。
夏の終りの日に、片側の道から夏が過ぎ去ると、その反対側からは涼しい秋風が吹き始めてすれちがってゆくだろうか、と空想している歌であるが、
現実の季節はまだ暑さの中にあったろう。しかし暦の上では、すでに秋が来ている。

先に書いたように『古今集』の「秋歌」の最初は、それを受ける形で、掲出の藤原敏行朝臣の歌で始まるのである。
このように目に見えない風が、目に見えない秋を運んでやって来たのである。
この歌は実景を詠っているというよりは、むしろ「時の流れ」を詠っている。
こういう人間の「感性」の微妙な働きに対して、繊細に、敏感に耳目をこらす、こういう美意識が、古来、先人たちが大切にしてきた日本人の季節感なのである。
この美意識は、次の『新古今集』になると、ますます研ぎ澄まされ、危ういほどの言葉の結晶になってゆく。

  おしなべて物をおもはぬ人にさへ心をつくる秋のはつかぜ

西行法師の歌である。
「心をつくる」秋のはつかぜといった表現には、『万葉集』はもちろん、『古今集』にも見出されない、内面化された風であると言える。
次いで式子内親王の歌

  暮るる間も待つべき世かはあだし野の 末葉の露に嵐たつなり

こういう歌、こういう物の見方になると、風はもう作者の心象風景の中を蕭条と吹き渡っている無常の時そのものになっているとさえ言えるのである。

しかし『古今集』『新古今集』の、いわば虚構の美意識は『万葉集』には、まだあまり鮮明には見られない。
万葉の歌人たちは「秋」を意識する場合にも、現実に秋風に吹かれている萩の花、雁、こおろぎ、白露などの具体物を先ずみて、その目前の秋の景物を詠んだ。
 例えば

  秋風は涼しくなりぬ馬竝(な)めていざ野に行かな芽子(はぎ)が花見に

  この暮(ゆふべ)秋風吹きぬ白露にあらそふ芽子の明日咲かむ見む

  芦辺なる荻の葉さやぎ秋風の吹き来るなへに雁鳴き渡る


このように吹く秋風についても、詠う対象は風そのものではなく、野に咲く萩であり、遠ざかる雁の声を詠うのである。
susukiすすき原②

いずれにしても、日本の詩人は、季節の節目節目を、先ず敏感に感じ取らせるものとして、風を絶えず意識していた。
おそらく、それは、四方を海に囲まれ、気象条件も海に支配されている島国に住む民族として、風によって生活と精神生活の両面で左右されてきたということと無縁ではないだろう。

筏井嘉一の歌のことに触れるのが後になった。この歌は歌集『籬雨荘雑歌』(65年刊)に載るもの。

立秋に関する歌として

  十張のねぶた太鼓のつらね打ち夏跳ねつくせ明日は立秋・・・・・・・・・・・・布施隆三郎(『北斗のα』97年刊)

というものもある。青森在住の歌人なのであろうか。



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