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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(11月)月次掲示板
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東日本大震災から九年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
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十一月になりました。
いよいよ冬に入ります。文化の香りも。

 国と国揉み合ふあはひ七十年なほ裸なり従軍慰安婦・・・・・・・・・・・・・・・・・・川野里子
 歳をいへばはやはや一期一会ぞと思へど心ふらふら遊ぶ・・・・・・・・・・・・・馬場あき子
 あれは秋の死のくるめきか澄みのぼる鳥を目守りき点となるまで・・・・・・・・・長岡千尋
 にすぎてるあなたとわたし鍋の中にくだけてゆける牡蠣のはらわた・・・・・・・薮内亮輔
 しづかなる寒きあしたをよしとして目覚めたりけりわが幸せや・・・・・・・・・・・・・宮 英子
 歩み来し最後の一歩をここに止め死せるカマキリ落ち葉の上に・・・・・・・・・・北沢郁子
 あっけなく終わるものありおとろえず残る執あり花の場合も・・・・・・・・・・・・・・小高 賢
 句の中の戦後間もなき青空よ 林檎も雁も晩秋の季語・・・・・・・・・・・・・・・佐佐木幸綱
 黄昏の底に落としてしまいたるしろがねの鍵をさがしやまずも・・・・・・・・・・・ 秋山律子
 晩秋の沼の面の水馬は微かな光の輪を踏みて立つ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三井修
 走るしかないだらうこの国道がこの世のキリトリセンとわかれば・・・・・・・・・・・山田 航
 日常の貌保ちつつ足早に歳月は去り再びあはず・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・石川恭子
 からすうりの赤きが枝に二つ三つ裏山の冬の木はやわらかし・・・・・・・・・・・・ 斎藤芳生
 結論を述べる男の強張りし眉間の皺の歳月の溝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前川佐重郎
 晩秋の長い林道ゆくうちに獣めきたる禁漁区かな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・武藤ゆかり
 夜明けには雲が山まで下りてきて仙人のごとく湯浴みすわれは・・・・・・・・・・・・・櫟原聰
 この手紙あさつてあなたに触れむゆゑつつしみふかきことばと紅葉・・・・・・・・小谷陽子
 路地裏にひとり老婆はあきなひす 明石のたこ焼きあつあつの十・・・・・・・・久我田鶴子
 馬もわれも髪なびかせて佇めり天動説をうべなふごとく・・・・・・・・・・・・・・・・・・阪森郁代
 薄明に目をひらきあふときのため枕辺に置く秋の眼鏡を・・・・・・・・・・・・・・・・・石川美南
 風邪薬、封を開ければ白い霧、あなたのふるさとが遠いこと・・・・・・・・・・・・・・千種創一
 十一月あつまつて濃くなつて村人・・・・・・・・・・・阿部完市
 干蒲団男の子がなくてふくらめり・・・・・・・・・・・・藤田湘子
 十一月いづくともなき越天楽・・・・・・・・・・・・・・・滝沢和治
 花野にて死因問ふ人振り払ふ・・・・・・・・・・・・・ 吉川千早
 難民はムンクの叫び冬が来る・・・・・・・・・・・・山上樹実雄
 念仏の里の日和よ蕎麦は実に・・・・・・・・・・・・・ 市堀玉宗
 木の実落つ靴は並べて脱いでおく・・・・・・・・・・ 河西志帆
 鳥渡る野にはればれと膝頭・・・・・・・・・・・・・・・ 折勝家鴨
 ボールペンの先端は珠鳥渡る・・・・・・・・・・・・・・・ 金子敦
 身を寄せて十一月の水餃子・・・・・・・・・・・・・・・ 津野利行
 黄落や一つ鏡に二人いて・・・・・・・・・・・・・・・・・ 福嶋素顔
 嫌われたらしい句点のない手紙・・・・・・・・・・・・ 月波与生
 夜歩けば朱き月影たぷたぷと・・・・・・・・・・・・・・赤野四羽
 猿を見て人を見て秋風の中・・・・・・・・・・・・・・きくちきみえ
 目礼を交はしてゆける水の秋・・・・・・・・・・・・・小林すみれ
 紅葉するさくら卵の中の街・・・・・・・・・・・・・・・・・ 福田若之
 秋の薔薇行けばどこまで同じ町・・・・・・・・・・・・・上田信治
 木星に似る喉飴を舐めて秋・・・・・・・・・・・・・・・三島ちとせ
 色町の音流れゆく秋の川・・・・・・・・・・・・・・・・・・生駒大祐
 サングラス誰そ彼の世に紛れたる・・・・・・・・・・・中塚健太
 秋雨やふるえるわかめとコンドーム・・・・・・・・・・・・榊陽子
 菊を見て菊のひかりを見て菊を・・・・・・・・・・・・・小池康生
 向き合はない道路標識秋の暮・・・・・・・・・・・・・・加藤御影
 酒蔵はピートの香り蔦紅葉・・・・・・・・・・・・・・・・・栗山麻衣
 ネクタイのキリンこぼれて秋の電車・・・・・・・・・・ わだようこ
 小鳥来る解体される給水塔・・・・・・・・・・・・・・・・・倉田有希
 逆光に町のありたる刈田道・・・・・・・・・・・・・・・・・・杉原祐之
 しぐるるや紅き表紙の「遊女考」・・・・・・・・・・・・・利普苑るな
 秋冷をただよう雲の飛行船・・・・・・・・・・・・・・・・・・工藤定治
 菊焚くや綺麗な灰もおのづから・・・・・・・・・・・・ハードエッジ
 団栗のこつんと撥ねる目を醒ます・・・・・・・・・・・・きしゆみこ
 一線に野焼の炎空濁す・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前北かおる
 銀匙のくもり訝る秋思かな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・片岡義順
 サンダルの斜めに減りし夜の秋・・・・・・・・・・・・・・・・岬光世
 銀杏のにほひたつ道キャンパスへ・・・・・・・・・すずきみのる
 道一つ違えたかしら穴惑・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桑田佳穂
 ドラえもんの青を探しにゆきませんか・・・・・・・・・・石田柊馬
 不安10粒サハラ砂漠で砂になる・・・・・・・・・・ 四ツ屋いずみ
 白菜は立派それほどでもないぼくら・・・・・・・・・・・ 小西昭夫
 山手線は里芋の煮転がし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 岩根彰子
 山羊の匂いの白い毛糸のような性・・・・・・・・・・・ 金原まさ子
 初雁や大曲りして天塩川・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鈴木牛後


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★─My Works─★
著書──
 歌集 『茶の四季』 (角川書店刊)
 歌集 『嘉木』 (角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』 (短歌新聞社刊)
 歌集 『嬬恋』 (角川書店刊)
 歌集 『昭和』 (角川書店刊) 
 歌集 『無冠の馬』 (KADOKAWA刊)
 歌集 『信天翁』 (澪標刊) 
 詩集 『免疫系』 (角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』 (角川書店刊)
 詩集 『修学院幻視』 (澪標刊)
 詩集 『修学院夜話』 (澪標刊)
 エッセイ集 『四季の〈うた〉─草弥のブログ抄』 (澪標刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

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浜江順子詩集『あやうい果実』・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

      浜江順子詩集『あやうい果実』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・思潮社2020/09/30刊・・・・・・・・

この詩集が恵贈されてきた。
浜江氏とはメールのやりとりなどの交流があるだけである。
私の詩集を送ったりしたのみで、浜江氏からの詩集を頂いたのは初めてである。
私は『闇の割れ目で』の帯文を書いている入沢康夫が短評を書いた山陰の同郷の詩人・渡部敬直と同じ三井葉子の会に同人として席を置いていたことがあるような間接の関係があるに過ぎない。
私は詩人と「自称」しているだけの人間で、現代詩作家たちと切り結ぶような作品は書けない。
今回、私のブログ本『四季の〈うた〉─草弥のブログ抄』を送ったのに対する返礼の意味で、初めて詩集を贈呈されたものであろう。

浜江順子 著書
詩集
『プールで1000m泳いだ日』 1985年 詩学社
『内在するカラッポ』 1990年 思潮社
『奇妙な星雲』 1993年 思潮社
『去りゆく穂に』 2003年 思潮社
『飛行する沈黙』 2008年 思潮社 第42回小熊秀雄賞
『闇の割れ目で』 2012年 思潮社 第9回日本詩歌句賞
『密室の惑星へ』 2016年 第8回更科源蔵文学賞

詩誌「hotel第二章」、「歴程」同人
日本現代詩人会、日本詩人クラブ 会員

これ以外の生年月日などの略歴は一切ない。
最近は女の作家の場合、歌人も含めて、こういうことが多い。
作家というのは「自分をさらけ出す」存在だと私などは思うのであり、作家というのは、いわば「カミングアウト」した存在であるべきだと、私などは思うのだが、いかがだろうか。
文芸作品も「時代」と深く切り結ぶものだという点からすると、同時時代から隔絶することは出来ない。
著者からのメールによると、アンソロジーなどには明記してあると言い、1948年生れということなので付記しておく。

この本の「帯」裏に、同じ著者によって、として
『去りゆく穂に』─浜江順子の破天荒な詩的想像力は、その遠い未来の望見からもたらされたかのごとくだ。─野村喜和夫・帯
『飛行する沈黙』─収録されている全作品において意識の集中に切れがない。─辻井喬「選考の感想」あさひかわ新聞
『闇の割れ目で』─ここに集められているのは、全て、先鋭的な幻想力と逞しい造形力とに支えられた作品群だ。─入沢康夫・帯
『密室の惑星へ』─浜江順子の、最も際立った特質は、一言にして言えば、「批評」ということになるだろう。このような特質をつよく実感させる詩作品は、そう、ざらにあるものではない。─天沢退二郎・帯

これらのキャッチコピーが載っているので紹介しておく。
この本の「あとがき」で著者は、こう書いている。

<『あやうい果実』は、すべて新型コロナウイルス発生以前に書いたものである。いま読むと、なぜか現在の状況に符合するようなところもあるのは不思議といわざるをえない。・・・・・菌やウイルスなどの感染症により、地球上の人人の多くがその命を奪われ、いまや我々が手にできるものは、まさにあやういとしかいいようがない。・・・・・
そんな死が今余りにも無残な状態で世界を席巻し、死の尊厳が失われているように感じる。『あやうい果実』は、さまざまな死を見詰め、詩にしたものだ。リアルに描くことは避けた。・・・・・>

これらの言葉は、この本を要約したものとして、極めて的確なものである、と言えるだろう。敢えて紹介する次第である。
短い作品を一つ採り上げておく。

      ボッチの沼へと      浜江順子

  少し尖ったボッチを押すと
  小宇宙はどんより痛い灰色を
  噛み殺しながらくねっている
  死は棒状になって
  雲がかった妙な音楽とともに
  変形ドーム状の小さな宇宙を
  ひとり支配してみせる
  ぬめっとした赤い舌には
  もう教えてもらいたくない
  ちっぽけな扁形の宇宙は
  なにやら沼へとやすやすと変容し
  何もかも呑み込もうとしている
  知らぬものか
  どこかで心臓の音も
  かすかに共鳴している
  ボッチはピッチを速めて
  鋭角な感覚を有している
  どこに飛ぼうとしているのか
  遠くに愉快な鳥たちの声もこもっているのに
  太陽はつまらぬ青の円筒になろうとしている
  ボッチの沼は近い
-------------------------------------------------------------
掲出した画像だが、スキャンすると元の色が再現できない。
題字の文字は、本当は「金色」である。スキャンすると黒色になってしまうので了承されたい。
この絵はカンディンスキー「白い縁のある絵」が原画である。

私の「詩」の理解は萩原朔太郎や三好達治などの「近代詩」、現代であれば大岡信や谷川俊太郎、三井葉子などのところ、までである。
考えてみれば、みんな私と同年代の作家たちであることに気づく。
だから私は、自分自身を「現代詩人」と名乗ることに躊躇する。敢えて、そのことを書いて、この文章を終わる。
有難うございました。                                 (完)



いくたびか冷たい朝の風をきって私は落ちた/ 雲海の中に・・・・・・/微光の中を静かな足で歩んでいた・・・大岡信
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      さむい夜明け・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大岡信

     いくたびか冷たい朝の風をきって私は落ちた
     雲海の中に・・・・・・
     となかいたちは氷河地帯に追いやられ
     微光の中を静かな足で歩んでいた

     いくたびか古城をめぐる伝説に
     若い命がささげられ
     城壁は人血を吸ってくろぐろとさび
     人はそれを歴史と名づけ蔦で飾った

     いくたびか季節をめぐるうろこ雲に
     恋人たちは悲しくめざめ
     いく夜かは
     銀河にかれらの乳が流れた

     鳥たちは星から星へ
     おちていった
     無法にひろがる空を渡って
     心ばかりはあわれにちさくしぼんでいた

     ある朝は素足の女が馳けさった
     波止場の方へ
     ある朝は素足の男が引かれてきた
     波止場の方から

     空ばかり澄みきっていた
     溺れてしまう 溺れてしまうと
     波止場で女が
     うたっていた

     ものいわぬ靴下ばかり
     眼ざめるように美しかった
-------------------------------------------------------------------------
この詩は、学習研究社『うたの歳時記』冬のうた(1985年12月刊)に載るものである。
「いくたびか」という詩句の3回のルフランなども詩作りの常套手段とも言えるが、この一篇で「初冬」の「さむい夜明け」の、さむざむしさを表現し得たと言えるだろう。



埴輪の目ほんのり笑ふ土こねし古墳時代の庶民が笑ふ・・・群馬県・熊沢峻
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      埴輪の目ほんのり笑ふ
           土こねし古墳時代の庶民が笑ふ・・・・・・・・・・・・群馬県・熊沢峻


この歌は、角川書店「短歌」2018年十月号の題詠「土」に載るものである。
この歌に照応するものとして、当該画像を引いてみたが、いかがだろうか。
どこの場所からの出土品か知らない。
かなり壊れた状態で出土したらしく、欠けた部分を復元した跡が、なまなましい。

ここには、中西洋子氏選による作品が載っているので、そのうちの、いくつかを引いておく。

 手を合はせ祈りしままによみがへる土偶が月の光を宿す・・・・・青森県・木立徹
 凍てし土に転びて泣きしわが顔の涙も洟も凍りし大陸・・・・・埼玉県・中門和子
 黒土の下層に眠る関東ローム天地返しにさむる万年・・・・・神奈川県・滝沢章
 ふるさとの共同墓地の墓じまい土葬の祖母の土を拾いき・・・・・神奈川県・大和嘉章
 土の匂ひやがて濃くなる気配あり東南東から雨雲ちかづく・・・・・千葉県・渡辺真佐子
 病院のベッドで雨をながめてる氷雨村雨時雨土砂降り・・・・・茨城県・小野瀬寿
 緑陰の土のしめりにふり返る夏の夕ぐれ 訪問者はだれ・・・・・茨城県・吉川英治
 ひんやりと湿った土に胸をあて蜥蜴のように眠りたき昼・・・・・京都府・山口直美
 耕せば畝に蜥蜴のはね上がる目鼻をもたぬ土神様よ・・・・・大阪府・北井美月
 南天は小さな白き花散らす泥土に未知の星図ひろげて・・・・・秋田県・長尾洋子
 白土の茶碗の欠片累々と久々利荒川豊蔵の庭・・・・・岐阜県・三田村広隆
 田には田の一枚一枚名がありき亡母は土の違ひを知りき・・・・・和歌山県・植村美穂子
 知らぬ間に更地になった一画の土は初めて夏の風知る・・・・・福岡県・原口萬幸
 白蓮の散りたるのちも香りつつ腐れつつ土に還らんとする・・・・・北海道・土肥原悦子



山の神留守のあけびを採りにけり・・・浅井紀丈
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  山の神留守のあけびを採りにけり・・・・・・・・・・・・・・・浅井紀丈

「あけび」は漢字では「通草」と書く。
雑木林などに生える落葉の蔓低木である。栽培のものもあるかも知れないが、野生のものであろう。
今ではアケビなんて言っても、知る人も少ないし、むかし食べたときは甘くておいしかったが、いまなら食べても美味とは思わないのではなかろうか。
写真①が熟して果皮が裂けた実である。黒い実のまわりの白い果肉を食べる。

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アケビは春4月に写真②のように花を咲かせる。
名前の由来は、裂けた「開け実」が転じてアケビになったと言われている。
果肉は甘くて、山の味覚として賞味されたが、果皮のことは、私は何も知らなかったが、干しアケビや塩漬けにしたりするらしい。
山形地方には春の彼岸の決まり料理として干しアケビを食べる習慣があるらしい。
また秋の彼岸には、先祖がアケビの船に乗って来るという言い伝えから仏壇に供え、あとキノコ類を詰めて焼いて食べるという。

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夏に写真③のように緑色の若い実になり、秋になって熟して、果皮は紫色に熟して、果皮が縦に裂けて果肉が見えるようになる。
茎は「木通」モクツウ、果実を「肉袋子」ニクタイシと言うらしい。漢方では生薬として使われるし、蔓は籠などを編み、葉や茎は草木染の染料となる。
俳句にも詠まれているが、カラスなどが食べているのを見て、そこにアケビがあることが判明したりするらしい。
写真④は果皮が裂ける前のアケビの実である。

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以下、俳句に詠まれる句を引いて終りたい。

 鳥飛んでそこに通草のありにけり・・・・・・・・高浜虚子

 むらさきは霜がながれし通草かな・・・・・・・・渡辺水巴

 主人より烏が知れる通草かな・・・・・・・・前田普羅

 垣通草盗られて僧の悲しめる・・・・・・・・高野素十

 通草食む烏の口の赤さかな・・・・・・・・小山白楢

 夕空の一角かつと通草熟れ・・・・・・・・飯田龍太

 滝へ行く山水迅き通草かな・・・・・・・・山口冬男

 採りたての通草を縁にぢかに置く・・・・・・・・辻田克己

 もらひ来し通草のむらさき雨となる・・・・・・・・横山由

 通草垂れ藤の棚にはあらざりし・・・・・・・・富安風生

 何の故ともなく揺るる通草かな・・・・・・・・清崎敏郎

 あけびの実軽しつぶてとして重し・・・・・・・・金子兜太

 通草熟れ消えんばかりに蔓細し・・・・・・・・橋本鶏二

 山の子に秋のはじまる青通草・・・・・・・・後藤比奈夫

 あけびの実親指人差指で喰ふ・・・・・・・・橋本美代子

 通草手に杣の子山の名を知らず・・・・・・・・南部憲吉

 口あけて通草のこぼす国訛・・・・・・・・角川照子

 山姥のさびしと見する通草かな・・・・・・・・川崎展宏

 のぞきたる通草の口や老ごころ・・・・・・・・石田勝彦

 八方に水の落ちゆく通草かな・・・・・・・・大嶽青児

 一つ採りあとみな高き通草かな・・・・・・・・嶋津香雪

 あけび熟る鳥語に山日明るくて・・・・・・・・・福川ゆう子

 あけびなぞとりて遊びて長湯治・・・・・・・・阿久沢きよし




鈴木漠の詩「おたくさ」Ⅲ-6・・・木村草弥
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──鈴木漠の詩──(16)

      鈴木漠の詩「おたくさ」Ⅲ-6・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・・「おたくさの会」2020/11/30刊・・・・・・・・・

        詩 巻貝      在間洋子

  深く深く沈む悲しみに
  貝は螺旋を育てていった

  美しい生き方であったか
  美しくは生きられなかったか

  ひと掬いの水に溶け去った日日が
  のこしていった亡骸は
  ひとの創った塔に似ている

  ひとは悲しみを祈りに変え
  祈りは憧るるこころとなって
  きりきりと空を指す
----------------------------------------------------------------------------- 
      立待   シャンソン

巴里祭や古レコードの唄が好き         鈴木 漠 (夏)
  新世の夏七月十四日(カトルーズ・ジュイエ)   三木英治 (夏)
まだ若い上寿未踏と嘯いて           永田圭介 (雑)
  マロニエの実の道も知らずに        涸沢純平 (秋)

望の夜に大河小説読み耽る           梅村光明 (月)
  募る愁思を晴らす文言             赤坂恒子 (秋)
愛してるジュヴゼーム私のあなたと掻き口説き     英治 (恋)
  接吻ベーゼの名残胸に抱きしめ             漠 (恋)

行く年が背負うてをりぬ悔いと夢         赤坂恒子 (冬)
  ラヂオ聴きつつマフラーを編む        鈴木恒子 (冬)
懐メロでタイムカプセル弾け飛び         永田康子 (雑)
  記憶の空も初茜して                  圭介 (新年)

海の香に訛自慢のろくでなし               英治 (雑)
  天井桟敷通ふ人々                   光明 (雑)
花篝燃えよ陽がまた昇るまで            東條士郎 (花)
  善かれ悪しかれ径はうららか             圭介 (春)

  囀る声に導かれをり                   執筆 (春)

2020年7月首尾  ファクシミリ
*立待形式。 岡本春人創案「唇待」のヴァリエーション。
*実存主義の歌姫ジュリエット・グレコ、2020年9月逝去。

この一連は七月がフランスのパリ祭であることに因んで面白く催された。フランス語の「ルビ」も的確である。秀逸。 



白鳥はその閉じた壮麗な翼をゆっくりとふるわせ/自分のうえに、柔らかな光の陰の白いテントを張った・・・オルダス・ハックスリー
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    白 鳥・・・・・・・・・オルダス・ハックスリー・・・・『レダ』より

      白鳥はその閉じた壮麗な翼をゆっくりとふるわせ

      自分のうえに、柔らかな光の陰の白いテントを張った

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この詩は、ジェイナ・ガライ『シンボル・イメージ小事典』(社会思想社・現代教養文庫、中村凪子訳1994年)に「白鳥」という項目のはじめに載るものである。
原題はJana Garai THE BOOK OF SYMBOLS である。

シンボル事典

この本については先に採り上げた。図版②にその写真を出しておく。
以下、この項目の全文を長いが引用する。
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詩人のシンボルであり、詩人のインスピレーションの源であり、ウェルギリウスとアポロンの魂そのものである白鳥は、美しい姿と優雅な動きが忘れがたい印象を与える。
ウェヌス(ヴィーナス)は水に映った白く柔らかく、ふくよかな自分の体を見て、白鳥を自分の鳥とした。
そこで白鳥は、官能的な裸身を持ち、しかも貞節な処女というイメージで詩にうたわれた。
しかし、白鳥はいま一つ別の意味をもつ。
水にさしのばされる力強く長い首は男性としての意図をもつものとされ、両性を表わす二重の意味をもつことによって、白鳥は満たされた欲望を象徴するようになった。
この不思議な両性具有という相反する二つの性質のゆえに、白鳥は神話のなかではもっとも深い尊敬の念をもって扱われ、また呪術的な意味をもつものとされた。
騎士も、そしてまた処女も、ともに白鳥の羽をまとって変身する。ユピテルは白鳥となってレダのもとへ飛び、ローエングリーンはエルザのもとへ飛ぶのである。
ケルト神話によればケールはある年ケルトの乙女に、次の一年は白鳥に姿を変えて、貴公子アンガスを誘惑する。
瀕死の白鳥が歌うという神秘の歌は、プラトンやアリストテレスさえ信じたが、いま一つ欲望の充足という隠された意味をもち、その欲望は死を代償とするものであった。
王家の紋章、あるいは居酒屋の看板に、竪琴とともに描かれた白鳥をしばしば見るが、これは白鳥の歌についてさらに深い説明を与えている。
竪琴の音は熱情的でもの悲しく、地上の苦しみへの哀歌を奏でる。
情熱的な白鳥はこの切々とした旋律と結びついて、詩人の悲劇的な死や、芸術に身を捧げた人びとのロマンティックな自己犠牲の精神を象徴するのである。
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 ↑ コレッジョの絵 (ベルリン 絵画館)
西洋の絵に見られる「レダ」には必ず白鳥が共に描かれる。
これはギリシア神話に由来するが、上に書かれたことが頭に入っていれば、その絵が象徴する意味が、理解できるというものである。
しかも、それが「両性具有」という深い二重の意味を胚胎している、と知れば、絵画といえども、なおざりには見過ごせない、ということである。

今しも、白鳥が日本に避寒のために飛来しはじめているらしい。越冬地では、しばらく優雅な白鳥の姿が見られるのである。
歳時記に載る白鳥の句も多いので、少し引いて終わる。

 一夜吾に近寝の白鳥ゐてこゑす・・・・・・・・・・橋本多佳子

 白鳥といふ一巨花を水に置く・・・・・・・・・・中村草田男

 白鳥見て海猫見て湖に安寝する・・・・・・・・・・角川源義

 亡き妻を呼び白鳥を月に呼ぶ・・・・・・・・・・石原八束

 八雲わけ大白鳥の行方かな・・・・・・・・・・沢木欣一

 霧に白鳥白鳥に霧というべきか・・・・・・・・・・金子兜太

 千里飛び来て白鳥の争へる・・・・・・・・・・津田清子

 白鳥のふとこゑもらす月光裡・・・・・・・・・・きくちつねこ

 写真ほど白鳥真白にはあらず・・・・・・・・・・宇多喜代子

 白鳥のこゑ劫(こう)と啼き空(くう)と啼く・・・・・・・・・・手塚美佐

 白鳥の黒曜の瞳に雪ふれり・・・・・・・・・・鈴木貞雄

 白鳥の野行き山行きせし汚れ・・・・・・・・・・行方克己

 白鳥の大きさ頭上越ゆる時・・・・・・・・・・吉村ひさ志

 白鳥の仮死より起てり吹雪過ぐ・・・・・・・・・・深谷雄大

 白鳥の岸白鳥の匂ひせり・・・・・・・・・・小林貴子

 白鳥の首の嫋やか冒したり・・・・・・・・・・福田葉子

 群青をぬけ白鳥の白きわむ・・・・・・・・・・蔵巨水

 白鳥の頸からませて啼き交す・・・・・・・・・・小谷明子


『四季の〈うた〉─草弥のブログ抄』私信と評・・・山本孟
四季_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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      『四季の〈うた〉─草弥のブログ抄』私信と評・・・・・・・・・・・山本孟

拝復。「四季の〈うた〉」受取りました。
このたびの本は、あなたの詩魂と多くの詩歌人との火花の出るような美しい結晶、そんなアンソロジーですね。
俳句の引用が、平井照敏編の歳時記であると明記されていましたが、私も常にそれを使っています。大そううれしく思いました。
御本の内容は、歌壇、俳壇の裏話があり、あなたの制作の裏話にも及んでいて大層おもしろく読みました。
特に「私の本の本題は言葉乞食」と謙遜しておられますが、私には「言葉の宝石を発掘し貯え、そして詩として輝かす業師」と見えます。
卒寿にして、この集大成は誰も及ばないでしょう。
コロナ禍の世、どうぞお体に注意して活躍して下さい。 草々。
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畏敬する山本先生から私の制作意図を的確に突いた手紙をいただいた。作者冥利に尽きる、というものである。
国語、国文学の専門家として、畏怖して教えてもらった人である。
今年、長年連れ添った令夫人を亡くされ、お寂しいと思うが、お力落しなく消光されるよう祈っています。
多くの私信の中から敢えて紹介する次第である。有難うございました。




おもざしの思ひ出だせず貴船菊・・・飯名陽子
aaoosyumei秋明菊大判

    おもざしの思ひ出だせず貴船菊・・・・・・・・・・・・・・・・・飯名陽子

この花は「秋明菊シュウメイギク」と言うのだが、音数が多いので俳句などでは、掲出句のように「貴船菊キブネギク」と五音で詠まれることが多い。
ただし「菊」と名がついているが、キク科ではなく、キンポウゲ科アネモネ属の植物である。 念のため。
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事典には、次のように載っている。

■シュウメイギク キンポウゲ科アネモネ属
学名:Anemone hupehensis var. japonica(=Anemone japonica)
 別名:キセンギク(貴船菊),キブネギク(貴船菊)
 花期:秋

白く見えるのは花ではなく,萼です。花(萼)が散った後,黄色くて丸いものが残っているのもおもしろいです。葉は根本に大きいのがあり,花をつける茎には小さな葉しかありません。

中国と日本の本州、四国、九州に分布します。日本のものは古い時代に中国から渡来したという説が有力になっています。
大型の多年草で高さ0.5~1.0mになり、9~10月頃に咲くので秋明菊といいます。また、京都市北部の貴船に多く見られることから貴船菊(キセンギク・キブネギク)の別名があります。
花は紅色の八重咲で5~7cm位です。

1844年にフォーチュンにより、中国の上海からイギリスに送られ、1847年にアネモネ・ビィティフォリア(ネパール原産で30~90cmの多年草。白花、ピンク花等があり、シュウメイギクに似ている)と交配され、多くの園芸品種ができました。日本ではその後、一重で白花、ピンク花が知られていました。しばらくこの3種類(八重・紅色、一重・白、ピンク)しか栽培されていなかったのですが、近年、ピンクの矯性品種や、濃紅一重、白八重など、徐々に増えてきています。
また、この仲間(アネモネ属)は、花びらに見えるものは花びらではなく、萼片が花弁状になったもので花弁はありません。
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俳句にも詠まれていると思ったが、歳時記にも、少ししか載っていない。

 露霜にしうねき深し貴船菊・・・・・・・・・・・・我里

 菊の香や垣の裾にも貴船菊・・・・・・・・・・・・水原秋桜子

 観音の影のさまなる貴船菊・・・・・・・・・・・・阿部みどり女

 貴船菊一茎活けし直指庵・・・・・・・・・・・・右城暮石

 貴船菊活けて鏡にみどり差す・・・・・・・・・・・・岡本差知子

 山水を厨に引くや貴船菊・・・・・・・・・・・・坂巻純子

 寺の田も水を落とせり貴船菊・・・・・・・・・・・・大岳水一路

 こと艸にまじりてのびし貴船菊・・・・・・・・・・・・山本竹兜

 水をゆく真白なる雲貴船菊・・・・・・・・・・・・竹下白陽

 夕月に細き首のべ貴船菊・・・・・・・・・・・・関木瓜

 秋明菊カレーを食べし息に触れ・・・・・・・・・・・・大林清子
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「秋明菊」ということで掲出句を選びはじめたが、「キブネキク」という5音が俳句作りには適しているので、圧倒的に「貴船菊」の例句が多いので、ご了承を。


角川「短歌」誌2020/12月号掲載作品「聖玻璃」12首・・・木村草弥
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聖玻璃_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
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         聖玻璃        木村草弥
          ・・・・・・・角川書店「短歌」誌2020/12月号掲載・・・・・・

 葡萄摘むアダムの裔(すゑ)の青くさき腋窩あらはに濃むらさきなす

 聖玻璃の御堂の藍に身をおけば地中海恋ふる瞼(まなぶた)も青

 地中海あまりに青し薔薇までの距離とわが死の距離を想ふも

 誰がための葬(はふ)りの鐘か薔薇窓の不死鳥(フェニーチェ)の彫り翳る聖堂

 腋萌えてなほ少年期を出でざれば百合は朝けをまだ封印す

 かの魂の空洞(カベルネ)を埋めよ濃あぢさゐ彩(いろ)七色に身を染めて 夏

 古典辞典(レキシコン)みてゐる室に雷ひびき刺青図譜の革表紙光(て)る

 展翅さるる緋蝶の羽根に血の蔓が青く流るるまぼろしを見つ

 マルキ・ド・サド像の鼻梁をよぎる罅(ひび)みつつしをれば春雪しきる

 サドの忌の美術館(ミユゼ)に観るなる少年の緑衣に並ぶ金釦の列

 爪彩るをみながレモン垂らしつつエウロパの宴短か夜なりし

 コロナ禍の襲来いかに凌(しの)ぎしやエウロパの佳人いまだ文(ふみ)来ず
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かねて角川書店「短歌」編集部から投稿依頼のあった私の作品12首が掲載された雑誌が本日発売となり公開されたので披露しておく。
前回「cogito,ergo sum」が掲載されたのが2019/6月号だったから丁度一年半ぶりである。
この12首欄は巻頭作家の欄に次ぐもので、本来、結社の主宰クラスが招待されるところであり、一匹狼の私にとっては破格の待遇である。
名誉なことなので有難くお受けして、今回の掲載となった。これには安いが原稿料がいただける。有難いことである。
この作品の中で書いてある「サド」の忌日は十二月二日である。念のために書き添えておく。




草むらにみせばやふかく生ひにけり大きな月ののぼるゆふぐれ・・・木村草弥
misebaya4ミセバヤ紅葉

   草むらにみせばやふかく生(お)ひにけり
     大きな月ののぼるゆふぐれ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

今日は「紅葉」を採り上げることにする。
写真①は「みせばや」の紅葉である。ミセバヤは別名を「玉の緒」とも言う。この細かい、丸い葉が薄紅色に紅葉する様子は、あでやかなものである。
「ミセバヤ」については2009/10/06に載せたので参照されたい。

いよいよ11月も終わりになって、いろんな木や草が紅葉の季節を迎える。
写真②は「夏椿」の紅葉である。
natutubaki6夏椿紅葉

ナツツバキというのは「沙羅の木」として梅雨の頃に禅寺などの庭で「落花」を観賞する会が行われる木であるが、もみじの季節には、また美しい紅葉が見られるのである。
緑の季節には落花に儚さを感じ、紅葉の季節には、くれないの葉の散るのを見て、人の世の無常に涙する、という寸法である。
「夏椿」については2009/06/20に載せたので参照されたい。

①と②に、平常は余り見ることの少ない草と木の紅葉を出してみた。
いかがだろうか。
写真③は普通の「カエデモミジ」の紅葉である。
aaookaede01カエデモミジ

「紅葉」は、また「黄葉」「黄落」とも書く。
京都は紅葉の季節は一年中で一番入洛客の多い時期だが、今年は秋が急速らやってきて、冷たい日々があり、紅葉も順調なようである。

以下、紅葉を詠んだ句を引いて終りたい。

 山門に赫つと日浮ぶ紅葉かな・・・・・・・・飯田蛇笏

 障子しめて四方の紅葉を感じをり・・・・・・・・星野立子

 夜の紅葉沼に燃ゆると湯を落す・・・・・・・・角川源義

 紅葉に来文士は文を以て讃へ・・・・・・・・阿波野青畝

 近づけば紅葉の艶の身に移る・・・・・・・・沢木欣一

 紅葉敷く岩道火伏神のみち・・・・・・・・平畑静塔

 すさまじき真闇となりぬ紅葉山・・・・・・・・鷲谷七菜子

 やや傾ぐイエスの冠も紅葉す・・・・・・・・有馬朗人

 恋ともちがふ紅葉の岸をともにして・・・・・・・・飯島晴子

 城あれば戦がありぬ蔦紅葉・・・・・・・・有馬朗人

 天辺に蔦行きつけず紅葉せり・・・・・・・・福田甲子雄

 黄葉はげし乏しき銭を費ひをり・・・・・・・・石田波郷

 黄葉樹林に仲間葬りて鴉鳴く・・・・・・・・・金子兜太

 へくそかづらと言はず廃園みな黄葉・・・・・・・・福田蓼汀

 黄落や或る悲しみの受話器置く・・・・・・・・平畑静塔

 黄落の真只中に逢ひえたり・・・・・・・・・小林康治

 黄落や臍美しき観世音・・・・・・・・堀古蝶

 ゆりの木は地を頌め讃へ黄落す・・・・・・・・山田みづえ

 黄落やいつも短きドイツの雨・・・・・・・・大峯あきら



やはらかき身を月光の中に容れ・・・桂信子
450-20051109115426129満月

    やはらかき身を月光の中に容れ・・・・・・・・・・・・桂信子

秋は月が美しい。空気が澄んでいるからである。
今日は「月光」の句を採り上げる。 

桂信子は、大正3年大阪市生まれの俳人。
以前にも採り上げたことがあるが、結婚して2年にして夫と死別。
女盛りの肉体の「いとおしさ」「わりなさ」が「やはらかき」の一語にこもっているようだ。
澄んだ光をまるで大きな器のように溢れさせている秋の月。
その中に歩み入る成熟したひとりの女性。孤独感を根にして、みずみずしい心と体の揺らぐ思いを詠みすえている。『月光抄』昭和24年刊所収。2004/12/16死去。行年90歳。

以前にも採り上げた句と重複するかも知れないが桂信子の句を少し引く。

   ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ

   クリスマス妻のかなしみいつしか持ち

   閂(かんぬき)をかけて見返る虫の闇

   ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜

   ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき

   衣をぬぎし闇のあなたにあやめ咲く

   窓の雪女体にて湯をあふれしむ

   ゑんどうむき人妻の悲喜いまはなし

   ひとり臥てちちろと闇をおなじうす

   暖炉ぬくし何を言ひ出すかも知れぬ

   虫しげし四十とならば結城着む

   寒鮒の一夜の生に水にごる

   さくら散り水に遊べる指五本

   きさらぎをぬけて弥生へものの影

   忘年や身ほとりのものすべて塵

   地の底の燃ゆるを思へ去年今年


しら露も夢もこのよもまぼろしもたとへていへば久しかりけり・・・和泉式部
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izumi和泉式部画探幽

──和泉式部<恋>のうた鑑賞──四題

   ■しら露も夢もこのよもまぼろしも
     たとへていへば久しかりけり・・・・・・・・・・・・・・・・和泉式部


今回は、和泉式部の<恋>の歌を四つ採り上げる。
はじめの歌は、前書に「露ばかりあひそめたる男のもとへ」とある。
ある男と一夜を共にした。しかし実に短い逢瀬だった。
それに比べると「白露」も「夢」も「現世」も「幻」も、すべてなお久しいものに思えるという。
白露以下すべて「はかない」瞬時の譬えである。それさえも「たとへていへば」久しく思われるほど、夢のごとくに過ぎた情事だったのだ。
「たとへていへば」という表現は平安朝とも思えぬ大胆な言い回しで、男の歌人でもこれほどの斬新な用法はなし得なかった。
相手に贈った歌で、文語の中に突然として口語を入れたような表現だが、これがぴたっと決まっている。天性の詩人の作である。

     ■黒髪の乱れも知らず打伏せば先づ掻き遺りし人ぞ恋しき・・・・・・・・・・・・・・和泉式部

「浮かれ女(め)」とまで戯れに呼ばれたほどの和泉式部は、また人一倍悲しみの深さを知っていた女でもあった。
激しい情事のあとの一情景を思い出して詠ったと思われる、この歌でも、相手がすでに儚くなっている人だけに、移ろう時間の無惨さが一層鮮烈だ。
足かけ五年ほど続いた年下の恋人・敦道親王の死を悲しんで詠んだ挽歌の中の一首で、黒髪の乱れも知らず打ち伏していると、いとしげに髪の毛を掻きやってくれたあの亡き人と生きて、肌身に接していた折の濃密な感覚、そして時間が、永遠に失われてしまったことへの痛恨を詠っている。
表現の率直さが、そのまま詩美を生んでいる。

     ■とことはにあはれあはれはつくすとも心にかなふものかいのちは・・・・・・・・・・・・・和泉式部

平安女流歌人の中でも随一の天性の「うたびと」であった和泉式部は、なかんずく恋のうたびとであった。
恋の「あわれ」をこの人ほど徹底して生き、かつ歌った人は稀だろう。
その人にして、こういう歌があった。
これは、男からたまには「あはれ」と言って下さい、その一言に命をかけています、と言ってきたのに答えた歌。
恋のあわれとあなたは言うが、かりにあわれを永久に尽してみても、限りある人間の身で、この心の無限の渇きを癒すことなど出来るのでしょうか。心はついに満たされはしないのです、というのである。
情熱家は反面、驚くほど醒めた人生研究家でもあった。

     ■つれづれに空ぞ見らるる思ふ人天降り来ん物ならなくに・・・・・・・・・・・・・・・和泉式部

「つれづれに空ぞ見らるる」は何も手につかず、恋の想いが鬱屈して、ふと気がつけば空を見ているといった状態。
特定の相手が今はいないということかも知れないが、また相手がいても少しも自分のもとへは訪れては来てくれない日々の憂鬱というものも、当時は男性の「通い婚」という結婚形態では、しばしばあった。
平安女流文芸に最も一般的な恋の想いも、そこにあったとさえ言える。
和泉式部は恋多き女性だったから、そういう気分も、またよく知っていたのである。
彼女の恋愛と、そこから生じる思想には、散文には盛り切れぬ濃厚な気分の反映があった。

「和泉式部」については、10/1付けのBLOGで詳しく書いたので、参照してもらいたい。

なお、これらの歌は『和泉式部集』『後拾遺集』『和泉式部続集』から拾った。
ここに掲げる図版は狩野探幽が百人一首のために描いた「和泉式部」像である。



家毎に柿吊るし干す高木村住み古りにけり夢のごとくに・・・久保田不二子
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     家毎に柿吊るし干す高木村
        住み古りにけり夢のごとくに・・・・・・・・・・・・・久保田不二子


「高木村」は長野県諏訪郡下諏訪町高木。作者の久保田不二子は同地で生まれ、昭和40年79歳で没した。
同じ高木村の久保田家の養子・俊彦、つまりアララギ派歌人の島木赤彦と結婚し、みずからも「アララギ」に参加している。

彼女は本名・ふじの、であり、赤彦(旧姓・塚原俊彦)はもともと彼女の姉・うた、と結婚したのだが、明治35年に死去したため、義妹の「ふじの」と再婚したものである。
赤彦の上京中は一緒に東京に出て暮らしたこともあるが、赤彦は病を得て帰郷、そこで病没した。
彼女は生涯の大部分を、この故郷で過ごすことになる。
「吊るし柿」は初冬の山村の風物詩、その柿がいたる所に吊るされている故郷の村で「住み古りにけり夢のごとくに」と詠んでいる。
「夢のごとくに」というところに、若くして赤彦と死別して79歳まで故郷に生きつづけた感慨が出ている。調べは滑らかだが、思いは深い。
『庭雀』所載。

参考までに赤彦の旧居・「柿蔭山房」 ← のリンクを貼っておくので参照されたい。

私が敬慕する自由律歌人で、同じ下諏訪町にお住まいの光本恵子さんにお聞きしたところ、下記のようなメールをいただいたので転載しておく。 ↓

< 久保田不二子については、先妻(うた)の子である政彦を育て、さらに自分(不二子)と赤彦との間に3男2女を育てた。政彦は1917年に十八歳で死去。
不二子との長男の建彦には、私の夫の垣内敏広が伊那北高校時代に漢文の先生として習ったと言っています。
次男の夏彦さんには私もお目にかかったことがあります。
赤彦は先妻のうたさんのことをあまりに愛していたので、再婚した不二子さんは哀しい思いをされたようですね。
二人で養鶏所をなさっていたころはよかったのでしょうか。
まあ赤彦は大正15年に50歳で亡くなり、不二子さんは昭和40年(1965年)まで長く生きられたので、子供様は教師として、お母様を守ったのでしょうね。
高木は我が家から割と近いです。昔の甲州街道筋にあり、赤彦の暮らした柿蔭山坊は多くの人が今も訪ねます。またお出かけください。私がご案内させて戴きます。 >

島木赤彦については ← を参照されよ。

「吊るし柿」と言っても、さまざまな柿の形がある。写真②は丸い形の柿である。

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私の方の南山城地方の柿は「鶴の子」柿といって大振りでない砲弾形の柿である。
専門的に作る農家では竹や杭で骨組みを立ち上げ、菰などで周りを囲い、風通しは良くした素通しの「柿屋」というものに柿を吊るさずに、藁で編んだ菰や莚の上に平らに並べて干す。
柿を剥く時に、柿の「蔕」(へた)も取り去る。「古老柿」ころ柿と称している。
冷たい風が吹きすぎるようになると、順調に白い粉のふいた干し柿になるが、気候が暖かいと、よい製品が出来ないという。
自家消費の場合は量が限られているので、納屋の窓の外などに「吊るし柿」にして陽にあてることが多い。
以下、吊るし柿を詠んだ句を引いて終りにしたい。

 吊し柿すだれなしつつ窓を占む・・・・・・・・和知清

 吊し柿作りて老婆いつまで生く・・・・・・・・長井哀耳

 干柿を軒に奥美濃雪を見ず・・・・・・・・塩谷小鵜

 甘柿の粉を吹く風の北となる・・・・・・・・梅田久子

 軒端より起れる恵那や柿を干す・・・・・・・・大橋桜坡子

 干柿や同じ日向に猫がゐて・・・・・・・・榎本虎山

 夜空より外しきたりぬ吊し柿・・・・・・・・八木林之助

 干柿の緞帳山に対しけり・・・・・・・・百合山羽公


どんぐりの拾へとばかり輝けり・・・藤野智寿子
d0056382_20162867クヌギの実

      どんぐりの拾へとばかり輝けり・・・・・・・・・・・・・・・・藤野智寿子 
  
団栗ドングリは、本来は櫟クヌギの実のことを指すが、一般的には落ちる木の実を言うようである。
時には樫の実のように「常緑樹」の実も含められるが、せいぜい譲っても、クヌギと同属の落葉樹、コナラ、ミズナラ、アベマキ、カシワなどまでに留めた方がよいだろう。
掲出写真のように、クヌギの実は丸い。
P1070816-11クヌギ青実
↑ 写真①はクヌギの実の青いものである。実の周りにトゲトゲの萼で包まれている。

写真②は、そのクヌギの新芽である。
ha02クヌギ新芽

雑木林の典型的な木である。昔は、この木でタキギ薪を作った。
今では燃料としての用途はなくなり、コナラなどの木とともに椎茸栽培の「ホダ木」に使われるに過ぎない。
こういう雑木はほぼ十数年のサイクルで伐採され、伐採された株元や落ちたドングリから次の世代が芽を出して、更新して新しい雑木林が出来るという循環になっていたのである。
こういう人の手の加わった人工林を「里山」という。

mizunara582ミズナラ実
↑ 写真③はミズナラの実である。
『和漢三才図会』に「槲(くぬぎ)の木、葉は櫧子(かし)の木に似て、葉深秋に至りて黄ばみ落つ。その実、栗に似て小さく円きゆゑに、俗呼んで団栗と名づく。蔕(へた)に斗ありて、苦渋味悪く食すべからず」とある。

小林一茶の句

     団栗の寝ん寝んころりころりかな

は、その実の可愛らしさを、よくつかんでいる。

konara4コナラ青
↑ 写真④はコナラの青い実である。

いま広葉樹の森が有用でないとかの理由で伐採され、面積が減少しているので、復活させようとドングリ銀行なるものを提唱して団栗を大量に集めて、森を作る運動がおこなわれている。
針葉樹の森は生物の生きる多様な生態系から見て、単純な森で、多様性のある生態系のためには広葉樹の森が必要であると言われている。
常緑樹である樫(かし)の木も広葉樹であり、常緑か落葉かは問わず、広葉樹には違いはないし、樫の木にもドングリは生るのである。
↓ 写真⑤はマテバシイの葉である。この木からも団栗が採れる。
ha03マテバシイ葉
mi02マテバシイ

以下、団栗を詠んだ句を引いて終りたい。

 団栗を掃きこぼし行く箒かな・・・・・・・・高浜虚子

 雀ゐて露のどんぐりの落ちる落ちる・・・・・・・・・橋本多佳子

 団栗に八専霽(は)れや山の道・・・・・・・飯田蛇笏

 樫の実の落ちて駆けよる鶏三羽・・・・・・・・村上鬼城

 団栗を混へし木々ぞ城を隠す・・・・・・・・石田波郷

 孤児の癒え近しどんぐり踏みつぶし・・・・・・・・西東三鬼

 団栗の己が落葉に埋れけり・・・・・・・・渡辺水巴

 しののめや団栗の音落ちつくす・・・・・・・・中川宋淵

 どんぐりが乗りていやがる病者の手・・・・・・・・秋元不死男

 抽斗にどんぐり転る机はこぶ・・・・・・・・田川飛旅子

 どんぐりの坂をまろべる風の中・・・・・・・・甲田鐘一路

 どんぐりの頭に落ち心かろくなる・・・・・・・・油布五線

 どんぐりの山に声澄む小家族・・・・・・・・福永耕二

 
草紅葉ひとのまなざし水に落つ・・・桂信子
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      草紅葉ひとのまなざし水に落つ・・・・・・・・・・・・・桂信子

草紅葉クサモミジは野草や低木が初冬になって色鮮やかに色づくことを、こう形容する。特別に「草紅葉」という名の草や木がある訳ではない。
写真①のような鮮やかな場所は、どこにでもあるものではない。オトギリソウ、オカトラノオ、トウダイグサなどは特に美しい。

草紅葉を、古くは「草の錦」と呼んだが、『栞草』には「草木の紅葉を錦にたとへていふなり」とある。
けだし、草紅葉の要約として的確なものである。
そして、その例として

  織り出だす錦とや見ん秋の野にとりどり咲ける花の千種は

という歌を挙げている。霜が降りはじめる晩秋の、冷えびえとした空気を感じさせる季語である。

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秋芳台のように草原と露出した岩石のコントラストが見られる所の草紅葉が趣があって面白い。(写真②③)
この季語は、小さく、地味で目立たない草が紅葉することによって、集団として錦を織り成す様子を表現しているのである。
その結果として、「荒れさびた」感じや「哀れさ」を表すのである。
古来、詩歌にたくさん詠まれてきたが、ここでは明治以降の句を引いておく。

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 猫そこにゐて耳動く草紅葉・・・・・・・・高浜虚子

 くもり日の水あかるさよ草紅葉・・・・・・・・寒川鼠骨

 帰る家あるが淋しき草紅葉・・・・・・・・永井東門居

 草紅葉へくそかつらももみぢせり・・・・・・・・村上鬼城

 大綿を逐うてひとりや草紅葉・・・・・・・・渡辺水巴

 内裏野の名に草紅葉敷けるのみ・・・・・・・・水原秋桜子

 たのしさや草の錦といふ言葉・・・・・・・・星野立子

 草紅葉磐城平へ雲流れ・・・・・・・・大野林火

 絵馬焚いて灰納めたり草紅葉・・・・・・・・吉田冬葉

 白根かなしもみづる草も木もなくて・・・・・・・・村上占魚

 山芋の黄葉慰めなき世なり・・・・・・・・百合山羽公

 鷹の声青天おつる草紅葉・・・・・・・・相馬遷子

 菜洗ひの立ちてよろめく草紅葉・・・・・・・・小野塚鈴

 草もみぢ縹渺としてみるものなし・・・・・・・・杉山岳陽

 酒浴びて死すこの墓の草紅葉・・・・・・・・古館曹人

 吾が影を踏めばつめたし草紅葉・・・・・・・・角川源義

 良寛の辿りし峠草紅葉・・・・・・・・沢木欣一

 屈み寄るほどの照りなり草紅葉・・・・・・・・及川貞

 学童の会釈優しく草紅葉・・・・・・・・杉田久女

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2008年初夏に旅した「能取湖畔のサンゴ草の紅葉」 ← も有名なところなので、ここにリンクに貼っておく。

木村草弥『四季の〈うた〉─草弥のブログ抄─』 (全)
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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     木村草弥『四季の〈うた〉─草弥のブログ抄─』 (全)

   「帯」表面   ↓

      2004年2月から十数年書き綴った
         K-SOHYA POEM BLOG
        その中から珠玉の131篇
      草弥の〈うた〉の華よ、はばたけ!


   「帯」 裏面   ↓

  ・太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
   次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。   三好達治

    ・梅白し死者のログインパスワード   折勝家鴨
    ・桔梗や男も汚れてはならず       石田波郷
    ・雪の日の浴身一指一趾愛し     橋本多佳子

  ・ひととせを描ける艶の花画集
        ポインセチアで終りとなりぬ    木村草弥
 

     はしがき
この本は私のブログK-SOHYA POEM BLOGの抄出である。
私がブログをやるようになった「いきさつ」などを書いておきたい。
二〇〇一年九月にニューヨークの高層の世界貿易ビルが、イスラム過激派の攻撃を受け、乗っ取られた民間航空機が二機ビルに突入して炎上し崩壊する事件が起こり、世界中が震撼した。
この事件をきっかけに一般市民が「私にも発言させろ」と、そのツールとして利用し始めたのが少し前に考案されたブログなのである。
プログラミングに不慣れな人でも、既成のフォームを使えば誰でも文章が簡単に打てるようになった。
日本では二〇〇三年の秋頃、富士通が「ココログ」を有料で始めたばかり。
私は二〇〇三年秋にアメリカのblogspotというサイトを利用し始めた。
日本語は西欧語と違って特殊なので、ワードプロセッサによる変換を行う必要があり、そんな変換が巧く行かなくて、私の打った文章が「文字化け」を起こし、それが二度三度と続くので放棄した。 二〇〇四年になって、他のところもブログをやり始め、私はNTTのやっていたDoblogに拠って二〇〇四年二月から本格的にブログを始めた。
どういう形態のブログにするか考えて、朝日新聞連載の大岡信の「折々のうた」、同じ大岡信が学習研究社から出した「うたの歳時記」全五巻を参照して、詩・短歌・俳句という「短詩形」の文芸を扱うのに特化して執筆している。自作も多めに採っている。
途中、二〇〇九年にNTTのホストサーバーが障害を起こし、結局廃止されたので、アメリカはラスベガスに本拠を置くFC2に移り現在に至っている。FC2はアメリカ籍ではあるが、やっているのは大阪の日本人らしい。
私のブログ執筆は文章を書くトレーニングにもなり、私は、それらを「草の領域」と名づけて保存して来て、ここからは私の歌集、詩集など数冊が誕生している。
以来、十数年にわたって書いてきた。もちろん重複や再掲載もあるが総数は数百件になるだろう。
この本では「古今和歌集」以来の伝統に即して、季節毎の「部立」を採ることにしたが、季節分類はアバウトなのでお許しいただきたい。
もとより拙いものではあるが総数131篇となる。
この本では多くの「俳句」を引いてあるが出典は河出書房新社刊の平井照敏編『歳時記』に拠る。
平井本は例句や出典、古典の記載も詳しく、よく出来た本だった。
平井照敏は元々はフランス文学専攻だが俳句に転向、加藤楸邨の「寒雷」編集長を務めた。
「俳句は世界一短い詩」が持論だった。
元のブログでは見やすくするためにカラー画像を入れたり、YouTubeの画や音楽が聴けたり、また関連記事の「リンク」を貼ることも出来たが、この本では不可能である。
そんなことでヴィジュアル的には無味乾燥したものになるが仕方ない。
この本を書くに当って 光本恵子『人生の伴侶』
               三井修エッセイ集『雪降る国から砂降る国へ』を参照した。
このブログはヴァーチャルなもので、私が死んだら消え失せてしまうので、何とかして「紙媒体」として残したかったので、今回何とか念願を果たせて幸運だった。
同好の人たちの閲覧をお願いしたい。
私は来年二月で満九十一歳となる。
一応、元気にはしているがいつ死ぬか分からない昨今である。
今年は溜まっていた原稿を歌集・詩集二冊にして上梓した。今回の本で三冊目になる。
やっておきたいことは、ほぼやり終えたという心境である。

   私の珠玉の詩・歌・句の〈うた〉の華(はな) よ、はばたけ!

     目次

   新年                       
閑         大岡信        ログインパスワード  折勝家鴨
老いざまは     安住敦      砂丘律          千種創一
老いの愛  飯田蛇笏         少年は星座の本    木村草弥
人日の日もて   稲畑汀子     芝点の茶事      木村草弥
蝋梅が咲く 青柳志解樹        人生は遍路      玉井清弘
凍仏小にして  鈴木六林男     石ばしる垂水     志貴皇子
かなしみの    坪野哲久      ルノアルの女    阿波野青畝 
干鮭も空也の   松尾芭蕉     一二輪まこと     木村草弥
冷えまさる    木村草弥      詩に痩せて      三橋鷹女
雪        三好達治       白い手紙が       斎藤史
つらら落つる   木村草弥     菜の花や       与謝蕪村
                      水滴のひとつ     住宅顕信
                      水あふれゐて      森澄雄
 



浅田高明氏亡   木村草弥      花衣ぬぐや     杉田久女
三月十一日の   佐藤祐禎      はねず色の     木村草弥
鮭ぶち切って   赤尾兜子       げんげ田に     木村草弥
妻消す灯     木村草弥       アダージェット     木村草弥
花冷や     鈴木真砂女       うらうらに     大伴家持
なで肩の     木村草弥
水取りや     松尾芭蕉        
春潮の      坪野哲久       暗闇を泳ぐ     佐藤弓生
生きる途中   鳥居真理子      からころも     在原業平
妻抱かな    中村草田男      享けつぎて     木村草弥
群れる蝌蚪     宮柊二       ががんぼの     木村草弥
長年のうちに  安立スハル      万緑の中や    中村草田男
チューリップ   木村草弥       しぼり出す    鈴鹿野風呂
ねがはくは    西行法師       重たげなピアス   木村草弥
『体内飛行』   石川美南       イシュタルの門   木村草弥
うすべにの    木村草弥       鶴首の瓶の     木村草弥


虹消えて      三橋鷹女      おのづから     木村草弥
『嬬恋』感応    米満英男        のれそれは     木村草弥
国家の無化     木村草弥       蛸壺や      松尾芭蕉
エロイ、エロイ   木村草弥       海へ出る     木村草弥
『アホバカ考』    松本修       陽が射せば    木村草弥
はじめに言葉    木村草弥      木槿のはな    三井葉子
     秋                 てのひらの    永田和宏
秋来ぬと      藤原敏行      百日草ごうごう    三橋鷹女
白丁が「三の間に」 木村草弥     あの父の八月   直江裕子
玉の緒の      木村草弥      雷鳴の一夜の   木村草弥
北天の雄アテルイ  木村草弥    けふありて    秋元不死男
「女の栽培」     冨上芳秀      その背中ふたつ  前登志夫 
『信天翁』書評    梓志乃       老後つて     木村草弥
『雪降る国から』   三井修      みづがめ座    木村草弥             
向日葵は      前田夕暮      つつつつと    清崎敏郎            
蝙蝠や       平畑静塔       小扇       津村信夫              


突つ張つて    片桐てい女       ある晴れた日に   安住敦
フィンランディア  木村草弥       竹杭が      木村草弥
忽然として     佐藤通雅       牧神の午後    木村草弥
夏の終り       大岡信        かすがのに    会津八一
妻の剥く梨の    木村草弥       こめかみの    木村草弥
はまなすの丘    木村草弥       幻影       中原中也
おしろいばな    木村草弥       萩の花/尾花    山上憶良
スカラベが     木村草弥        夕日       高田敏子
クールベの     木村草弥       菊の花      高田敏子
傷み         大岡信        
八十の少年      高島茂       な       谷川俊太郎
月下美人      木村草弥       真実とは     木村草弥
桔梗や       石田波郷        AIBOに    木村草弥
『嘉木』書評   春日真木子       秋暮れて     木村草弥
あらざらむ     和泉式部        菊の香の     木村草弥
むらさきしきぶ   木村草弥       死後は火を    木村草弥


ひととせの     木村草弥
ペン胼胝の     木村草弥
妥協とは      木村草弥
明るい日暗い日   木村草弥
水昏れて      木村草弥
伊勢からの     坪内稔典
がんがんと鉄筋   高柳重信
詩「邂逅」      宮沢肇
京訛やさしき    木村草弥
詩「寓話」      柴田三吉
恋ともちがふ    飯島晴子
草紅葉        桂信子
ひととせを     木村草弥
雪の日の浴身   橋本多佳子
Wikipediaについて   木村草弥


     ここに「掲出」する作品は、当該の詩・歌・句など「見出し」のみとする。
                 

            新 年         

           閑           大岡信
      ハツ春ノ
      空ニタチマチ湧キイデテ
   
   ■老いざまはとまれ生きざま年初め    安住敦

   ■老いの愛水のごとくに年新た     飯田蛇笏
    
    ■人日の日もて終りし昭和かな     稲畑汀子

   蝋梅が咲くとろとろととろとろと  青柳志解樹

    凍仏小にしてなほ地にうもれ 鈴木六林男

   かなしみのきわまるときしさまざまの
      物象顕ちて寒の虹ある       坪野哲久

   干鮭も空也の痩せも寒の中        松尾芭蕉

   冷えまさる如月の今宵
    「夜咄の茶事」と名づけて我ら寛ぐ   木村草弥

         雪             三好達治
     太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
     次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

   つらら落つる朝の光のかがやきが
      横ざまに薙ぐ神経叢を       木村草弥        


         春

   折勝家鴨句集『ログインパスワード』
      *梅白し死者のログインパスワード  折勝家鴨

   千種創一歌集『砂丘律』
     *瓦斯燈を流沙のほとりに植えていき、
        そうだね、そこを街と呼ぼうか  千種創一

   少年は星座の本に夢みてゐる
      オリオンの名をひとつ覚えて    木村草弥

   芝点の茶事の華やぎ思ひをり
         梅咲き初むる如月の丘    木村草弥
 
   人生はすなわち遍路 しみじみと
        杖を握りて山を越えゆく    玉井清弘

   石ばしる垂水の上のさ蕨の
      萌え出づる春になりにけるかも   志貴皇子

   ルノアルの女に毛糸編ませたし     阿波野青畝

   一二輪まことに紅濃き梅の花
     かなしきかなや若き死者のこゑ    木村草弥

   詩に痩せて二月渚をゆくはわたし     三橋鷹女

   白い手紙がとどいて明日は春となる
     うすいがらすも磨いて待たう      斎藤史

   菜の花や月は東に日は西に        与謝蕪村

   水滴のひとつひとつが笑っている顔だ   住宅顕信

   水あふれゐて啓蟄の最上川         森澄雄
  
   太宰治研究者の浅田高明氏が亡くなった  木村草弥

   三月十一日の悲劇を忘れないために    木村草弥
     *いつ爆ぜむ青白き光を深く秘め
      原子炉六基の白亜列なる  佐藤祐禎

   鮭ぶち切って菫ただようわが夕餉     赤尾兜子

   妻消す灯わが点す灯のこもごもに
      いつしか春となりて来にけり    木村草弥

   花冷や箪笥の底の男帯         鈴木真砂女

   なで肩のたをやかならむ真をとめが
      パットの肩をそびやかし過ぐ    木村草弥

   水取りや氷の僧の沓の音         松尾芭蕉

   春潮のあらぶるきけば丘こゆる
      蝶のつばさもまだつよからず    坪野哲久

   生きる途中土筆を摘んでゐる途中    鳥居真理子

   妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る     中村草田男

   群れる蝌蚪の卵に春日さす
      生れたければ生れてみよ       宮柊二

   長年のうちに短くなりし分われらは
         食みしやこの擂粉木を   安立スハル
  
  チューリップはらりと散りし一片に
       ゴッホの削ぎし耳を想ひつ    木村草弥

   ねがはくは花のもとにて春死なむ
         その如月の望月のころ    西行法師
 
     石川美南歌集『体内飛行』      木村草弥

   うすべにの行く手に咲ける夕ざくら
       父なる我の淡きものがたり    木村草弥

   花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ      杉田久女

   はねず色のうつろひやすき花にして
       点鬼簿に降る真昼なりけり    木村草弥

   げんげ田にまろべば空にしぶき降る
        架かれる虹を渡るは馬齢    木村草弥

   散文詩・アダージェット         木村草弥

   うらうらに照れる春日にひばりあがり
        心かなしもひとりし思へば   大伴家持

          夏

   暗闇を泳ぐ生きものだったから
     まなこむをなくしたのねペニスは   佐藤弓生

   からころも/着つつなれにし/妻しあれば
     はるばる来ぬる/旅をしぞおもふ   在原業平

   享けつぎて濃く蘇るモンゴル系
      ゐさらひの辺に青くとどめて    木村草弥

   ががんぼの五体揃ひてゐし朝       平山邦子

   万緑の中や吾子の歯生えそむる     中村草田男

   しぼり出すみどりつめたき新茶かな   鈴鹿野風呂

   重たげなピアスの光る老いの耳
     〈人を食った話〉を聴きゐる     木村草弥

   イシュタルの門の獅子たち何おもふ
       異国の地にぞその藍の濃き    木村草弥

   鶴首の瓶のやうなる女うたふ
     〈インパラディスム〉清しき声音   木村草弥

   虹消えて了へば還る人妻に        三橋鷹女

   木村草弥歌集『嬬恋』感応        米満英男

   〈国家の無化〉言はれしも昔せめぎあひ
       殺しあふなり 地球はアポリア  木村草弥

   「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」
     声高くイエス叫びて遂に息絶えぬ   木村草弥

   松本修『全国アホバカ分布考』      木村草弥

   「はじめに言葉ありき」てふ以後われら
        混迷ふかく地に統べられつ   木村草弥


             秋        

   秋来ぬと目にはさやかに見えねども
      風の音にぞおどろかれぬる     藤原敏行

   白丁が「三の間」に身を乗りいだし
        秋のむ水汲むけふは茶祭 木村草弥
  
   玉の緒の花の珠ぼうと浮きいづる
      いで湯の朝をたれにみせばや    木村草弥

   北天の雄「アテルイ、モレ」伝説     木村草弥

   冨上芳秀の詩「女の栽培」ほか      木村草弥

   衰えぬ反骨の詩人の評魂『信天翁』評    梓志乃

   三井修エッセイ集『雪降る国から砂降る国へ』  木村草弥

   向日葵は金の油を身にあびて  
     ゆらりと高し日のちひささよ      前田夕暮

   蝙蝠や西焼け東月明の           平畑静塔

   おのづから陥穽ふかく来しならむ
         蟻地獄なる翳ふかき砂 木村草弥

   ものなべて光らぬもののなかりけり
      〈のれそれ〉は海を光らせて 夏   木村草弥

   蛸壺やはかなき夢を夏の月         松尾芭蕉

   海へ出る砂ふかき道浜木綿に
     屈めばただに逢ひたかりけり      木村草弥

   陽が射せばトップレスもゐる素裸が
      ティアガルテンの草生を埋む     木村草弥

      木槿のはな             三井葉子

   てのひらに蝉のぬけがら ぬけがらを
         残して人はただ一度死ぬ    永田和宏

   百日草ごうごう海は鳴るばかり       三橋鷹女

あの父の八月十五日の最敬礼        直江裕子

   雷鳴の一夜のあとの紅蜀葵
     まぬがれがたく病む人のあり      木村草弥

   けふありて銀河をくぐりわかれけり    秋元不死男

   その背中ふたつに割りて緑金の
      山のなだりを黄金虫翔ぶ       前登志夫

   老後つてこんなものかよ二杯目の
      コーヒー淹れる牧神の午後      木村草弥

   みづがめ座われのうちらに魚がゐて
       しらしらと夏の夜を泳げり     木村草弥

   つつつつと浜昼顔の吹かるるよ       清崎敏郎

 小扇               津村信夫
     嘗つてはミルキー・ウエイと呼ばれし少女に

   突張つてゐる蟷螂を応援す        片桐てい女

   これを聴くと勇気が出ると
   「フィンランディア」を聴いて妻は手術へ   木村草弥

   忽然としてひぐらしの絶えしかば
       少年の日の坂のくらやみ       佐藤通雅

       夏の終り              大岡 信

   妻の剥く梨の丸さを眩しめば
      けふの夕べの素肌ゆゆしき       木村草弥
  
   はまなすの丘にピンクの香は満ちて
         海霧の岬に君と佇みゐき     木村草弥

   おしろいばな狭庭に群れて咲き匂ふ
        妻の夕化粧いまだ終らず      木村草弥

   無防備にまどろむ君よスカラベが
       をみなの肌にとどまる真昼      木村草弥

   クールベのゑがくヴァギナの題名は
      「源」といふいみじくも言ふ      木村草弥

          痛み             大岡 信

   八十の少年にして曼珠沙華          高島 茂

   自が開く力に揺れて月下美人
    ひそけき宵に絶頂ありにけり        木村草弥

   桔梗や男も汚れてはならず          石田波郷

   「自己存在の起源を求めて」        春日真木子
     木村草弥歌集『嘉木』書評

   あらざらむこの世のほかの思ひ出に
     いまひとたびのあふこともがな      和泉式部

   才媛になぞらへし木の実ぞ雨ふれば
       むらさきしきぶの紫みだら      木村草弥

   ある晴れた日につばくらめかへりけり     安住 敦

   竹杭が十二、三本見えてをり
    その数だけの赤トンボ止まる        木村草弥

   牧神の午後ならねわがうたた寝は
     白蛾の情事をまつぶさに見つ       木村草弥

 かすがの に おしてる つきの ほがらか に
   あき の ゆふべ となり に ける かも  会津八一

   こめかみのわびしき日なり毀誉褒貶
      かしましき日の暮れなむとする     木村草弥

         幻影              中原中也

   萩の花/尾花 葛花/瞿麦の花/
    女郎花/また 藤袴/朝貌の花       山上憶良

        夕日               高田敏子

        菊の花              高田敏子


         

       な                 谷川俊太郎

   真実とはいかなる象なすものか
      檀のまろき実くれなゐ深く        木村草弥

   AIBOに尾を振らせゐし少年が
     新世紀に挑むロボットサッカー       木村草弥

   秋暮れて歯冠の中に疼くもの
    我がなせざりし宿題ひとつ          木村草弥

   菊の香のうごくと見えて白猫の
      音なくよぎる夕月夜なる         木村草弥

   死後は火をくぐるべき我が躯にあれば
       副葬の鏡に映れ冥府の秋        木村草弥

   ひととせの寒暖雨晴の巡り経て
        茶の実熟す白露の季に        木村草弥

   ペン胼胝の指を擦ればそのさきに
       言葉乞食が坐つてゐるよ        木村草弥

   妥協とは黙すことなり冬ざれの
       ピラカンサなる朱痛々し        木村草弥

   明るい日暗い日嬉しい日悲しい日
         先ずは朝を祝福して        木村草弥

   水昏れて石蕗の黄も昏れゆけり
      誰よりもこの女のかたはら        木村草弥

   伊勢からの恋文めいて枇杷の花         坪内稔典

   ■がんがんと鉄筋のびる師走かな        高柳重信

       詩「邂逅」               宮沢 肇

   京訛やさしき村の媼らは
   「おしまひやす」とゆふべの礼す        木村草弥

       詩「寓話」              柴田三吉

   恋ともちがふ紅葉の岸をともにして       飯島晴子

   草紅葉人のまなざし水に落つ          桂 信子

   ひととせを描ける艶の無花画集
    ポインセチアで終りとなりぬ         木村草弥

    ■雪の日の浴身一指一趾愛し         橋本多佳子

   Wikipediaについて               
    『浅田家文書』をめぐって  木村草弥   
  
             
 
返り咲く暴を老木も敢てせり・・・相生垣瓜人
IMGP0388aシャクナゲ返り花

      返り咲く暴を老木も敢てせり・・・・・・・・・・・・・・相生垣瓜人

「返り花」とは、小春日和に誘われて、春に咲く草木が季節はずれの花をつけることを言う。
主にサクラについて言うが、ツツジやヤマブキ、タンポポなどにも見られる。
掲出した写真は「シャクナゲ」の返り花である。
花がほとんど無い季節だけに、自然からの授かり物のように思える。
和歌、連歌の題にはないが、俳諧では盛んに詠まれたという。
この瓜人(くわじん)の句は「老木」の癖に「返り咲く」というような無謀(暴)なことをしたものだ、という意味だが、
この句を見つけたとき、わが身にひきつけて思わずドキリとした。
「返り花」は、はかないものであるが、それがまた文人たちに愛されたのだった。

相生垣瓜人は1898年兵庫県高砂市生れ。本名は貫二。東京美術学校製版科を卒業。浜松工業学校教師となる。俳句は水原秋桜子に師事。
角川書店の第10回「蛇笏賞」を昭和51年に『明治草』他で受賞。百合山羽公と俳誌「海坂」を発行する。1985/02/07に死去している。

ネット上を見ていたら下記のようなcogito,ergo sumという面白いサイトを発見したので貼り付けておく。 ↓
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藤沢周平と海坂(うなさか)
「三屋清左衛門残日録」を読んで藤沢周平作品の虜になり、「蝉時雨」「暗殺の年輪」等々、10数編を次々と読んだ。
今から既に十年以上前のこと。時代小説作品の裏に潜む人間性がたまらなく好きだった。

その藤沢周平の作品の舞台になっているのが出羽の国海坂(うなさか)藩。海坂藩は勿論架空の藩ではあるが、周平の生地に当たる山形県庄内地方を領してきた庄内藩を母型として作られた名前で、周平自身が「海辺に立って一望の海を眺めると水平線は緩やかな弧を描く。そのあるかなきかのゆるやかな傾斜弧を海坂と呼ぶと聞いた記憶がある。うつくしい言葉である」と述べている。

しかし彼が海坂藩と名づけた由来はもっと単純で、その昔彼が会員の一人として投句していた俳句雑誌の誌名「海坂」からとってきていると言うのが本当の所である。

俳誌「海坂」は、水原秋桜子主宰の俳誌「馬酔木(あしび)」の同人で俳句界最高の賞と言われる蛇笏賞を共に受賞した、百合山羽公(うこう)、相生垣瓜人(あいおいがき かじん)が中心となって発行された俳誌で、その伝統が今も生き続け今年の6月号で通巻710号を数える。

藤沢周平の、「海坂」会員として活躍していた時代の作品の一つに、

 天の藍流して秋の川鳴れり

があり、きりりとして美しい作品だと思う。
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以下、「返り花」「帰り花」「返り咲き」「忘花」「狂花」「狂咲き」などの句を引いて終わる。

 凩に匂ひつけしや帰花・・・・・・・・・・・・松尾芭蕉

 かへり花暁の月にちりつくす・・・・・・・・・・・・与謝蕪村

 あたら日のついと入りけり帰り花・・・・・・・・・・・・小林一茶

 真青な葉も二三枚返り花・・・・・・・・・・・・高野素十

 返り花三年教へし書にはさむ・・・・・・・・・・・・中村草田男

 返り花日輪さむく呆けたり・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

 死神のへつらい笑う帰り花・・・・・・・・・・・・橋間石

 帰り花身は荒草(いらくさ)の花ながら・・・・・・・・・・・・中村苑子

 返り花咲けば小さな山のこゑ・・・・・・・・・・・・飯田龍太

 返り咲く花はさかりもなく散りぬ・・・・・・・・・・・・下村梅子

 いのちには終りあるべし帰り花・・・・・・・・・・・・加藤三七子

 帰り花空は風音もて応ふ・・・・・・・・・・・・広瀬直人

 一度しか死ねぬとこそ知れ返り花・・・・・・・・・・・・折笠美秋

 返り花知己のひとりは国の外・・・・・・・・・・・・友岡子郷

 約束のごとくに二つ返り花・・・・・・・・・・・・倉田紘文

 返り花そは一輪がよかりけり・・・・・・・・・・・・渡辺恭子

 雑言のなかの金言返り花・・・・・・・・・・・・木内彰志

 眉墨で書き留む一句帰り花・・・・・・・・・・・・宮下みさえ





吾が贈りし口紅それは夢の色ほの明りつつ唇に映ゆ・・・木村草弥
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   吾が贈りし口紅それは夢の色
      ほの明りつつ唇に映ゆ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
「化粧」の一連の歌を採り上げたので載せておく。

亡妻は国産のものでは資生堂の化粧品を使っていたようだが、私が海外旅行の土産として買って帰った「シャネル」の製品も、よく常用していた。
香水やオーデコロンなどは「シャネル」の5番を愛用していた。マリリン・モンローがネグリジェ代わりに身につけて寝たというものである。
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以下に百科事典に載る記事を転載しておく。

 口紅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

口紅(くちべに、lipstick)とは、人が顔に着彩する目的で唇に塗るために使われる化粧品の一種である。

一般的に、ベニバナを原料とし、ワックスや顔料を溶かして型に入れ固めて作られるが、製品としての口紅にはこれらのほかにも色素、界面活性剤、酸化防止剤、香料など多数の成分が含まれる。

なお、口紅の訳語としてしばしば使われる「ルージュ(rouge)」とは、フランス語で赤という意味である。しかし、昨今では赤色でない口紅も存在するようになり、オレンジ系・ピンク系・ベージュ系など様々な色味に大別される。 唇に質感だけを加える半透明なグロスと呼ばれる物もある。

形状はスティック状の物が一般的で、フタをとり直接あるいは一旦口紅用の筆(リップブラシともいう)に取って唇に塗布する。スティック状でないものは直接唇には塗りにくいので、筆に取って塗布する。

なお、英語では「リップスティック(lipstick)」といい、略して「リップ」と呼ぶことがある。しかし、日本ではそのように略すと口紅より、主に唇の乾燥を防ぐために用いられる薬用リップクリームを連想させる。業界では、両方扱っているメーカーが多いために、この2つは使い分ける傾向にある。

歴史
約、7万年前に、悪魔などが口や耳などの穴から進入してこないよう、赤色の物を塗る習慣があったのが、始まりと言われている。これは、出土した当時の人骨の口などに赤色が付着している痕跡があったため判明した。別の説では、約、紀元前3000年の頃のエジプト人が使用されたと思われる口紅が発見され、約紀元前1200年頃のエジプトで、人々が目や唇に化粧している絵画も発見されている。

効果
現代において、化粧のうちでも重要な要素とされ、色、質感などが重要である。光沢も重要であり、光彩を放つパールやラメが混入されていることがある。
保湿機能などが付加され、冬期の乾燥した環境に使用できる製品も開発されている。
夏期には紫外線防止効果のあるものも選ばれる。

口紅にまつわるエピソード
男性が女性に口紅を贈る場合に、「少しづつ取り戻したい」などという気障な言葉が添えられることがある。
本来の意図と反して、ワイシャツなどに付着した口紅は、浮気の証左としての痕跡とされるが、満員電車などで意図せずにつく場合もある。
食器などに付着すると、成分の関係で落ちにくい汚れとなる。最近では付着しにくいものも多い。
口紅を塗る動作そのものを「紅を引く(べにをひく)」と表現することがある。
かつて春先の化粧品のキャンペーンやプロモーションの中心商品といえば、口紅であった。
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掲出の私の歌だが「口紅それは夢の色」なんて、甘ったるい表現で、今となっては冷や汗ものだが、これも亡妻の元気なときの仲のいい夫婦の一点景として大目に見てもらいたい。


べに刷きてブラシにはつか残れるを目元にも刷く汝の朝化粧・・・木村草弥
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   べに刷きてブラシにはつか残れるを
     目元にも刷く汝(な)の朝化粧(けはひ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
私は男で化粧には弱いし、また、お化粧の仕方も時代とともに変遷するので、詳しいことは判らない。

以下に事典に載る記事を転載しておく。
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写真は化粧品会社のコマーシャルのサイトから

 化粧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

化粧(けしょう)とは、主に顔や体に白粉や口紅などの化粧品をつけて、人間が美しく粧うこと。祭礼など儀式の化粧や舞台用の化粧もある。メイクアップ、メイキャップ、メイクともいう。

古代
口や耳などの穴から悪魔などが進入するのを防ぐために、赤色の物体を顔面に塗りつけるという、約7万年前に行われていた習慣が始まりだと推測されている。このことは、出土した当時の人骨の口に付着していた赤色の顔料の痕跡から判明した。また、紀元前1200年代頃のエジプトでは、人々が目や唇に化粧を施している絵画も見つかっている。ツタンカーメンの黄金のマスクを例にとると、目の周囲にアイラインを施していることが見てとれる。当時のアイラインの原料は、紺色の鉱石であるラピスラズリであり、それを微細な粉にして液体に溶かして使用していた。現在でも中近東地域ではこのようなアイラインを日常に行っている。

中世ヨーロッパでは、顔に蜜蝋を塗り、その上に白粉を叩くという化粧方法が流行した。この化粧のはじまりはイギリスの女王エリザベス1世とされ、戴冠式などの教会の儀式で聖性を高める目的で行われた。また、貴族達もそれに倣うようになった。
この化粧の問題点は蝋が溶け、化粧が崩れるのを避けるために、冬や寒い日でも暖房に近づくことができなかったことである。
当時の白粉は白鉛などが含まれていたために皮膚にシミができやすかったとされる(鉛中毒)。これを誤魔化すために、付けボクロが一時期貴族の間で流行した。

日本では古代から大正時代に至るまで、お歯黒と呼ばれる歯を黒く塗る化粧が行われていた。
口紅は紅花を原料にしたものが使われていたが、極めて高価な品とされていた。また、江戸時代にはメタリックグリーンのツヤを持った口紅「笹色紅」が江戸や京都などの都会の女性に流行した。
日本の白粉は液状の水白粉であり、西洋と同じく主な成分に鉛を含んでいた。長期的な使用者には「鉛中毒」による死亡が多くみられ、戦後に規制されてからも、このような死者は後を絶たなかったといわれている。

舞台用
舞台で演技を行なう者は、通常より濃い化粧を行なう。目・眉・口などの顔のパーツや、鼻筋や頬など顔の陰影を強調し、離れた観客にも表情などが判りやすいよう、工夫がされている。また歌舞伎や京劇などでは「隈取」と呼ばれる独特の化粧を施す。表情や感情を伝える目的というだけでなく、隈取の種類によって役どころ(二枚目・悪役・娘役など)を見分ける一助としての役割を果たしている。
テレビ用
テレビ、特にCMやドラマなどでは、通常以上に顔の皮膚がアップで映るため、特にファンデーションやその下地に重点を置いた化粧がなされる。

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↑ 写真は「アカバナユウゲショウ」という花である。野草のように、どこにでも生えている花である。

私は先に2009/08/11に「化粧」について下記のような記事を載せたので、再掲しておく。

   私は化粧する女が好きだ
     虚構によって切り抜けるエネルギー・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この詩は私の第三歌集『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)に載せた「化粧」と題する一連の中の一行である。ただしWeb上では、ご覧いただけない。
以下、この一連を引いておく。

    化 粧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

   私は化粧する女が好きだ 虚構によって切り抜けるエネルギー

   虚構を持たない女なんて退屈な家政婦にしか過ぎない

   お化粧はゲームだ 化粧の濃い女の「たかが人生じゃないの」という余裕

   化粧はエロチックだ 女のナルシスムと決めつけてはいけない

   化粧する女は淋しがりやだ。化粧なしの素肌では不安なのだ

   素顔の女がいる「化粧をしなくても生きていける」勁(つよ)い女だろうか

   化粧台にむかう女を見るのは面白い、目をむいたり口をひんまげたり百面相

   女の体はお城である、中に一人の甘えん坊の少女がかくれている

   女の体はお城である、中に一人のセックス上手が住みついている

   旅をする 風変りなドレスを着てみる 寝てみる 腋の下を匂わせる女

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「化粧」を「虚構」と把握するのは、詩の上ならばこその表現である。詩の場合には、こういう極端な飛躍した物言いを、よくする。それが「非日常」ということである。

この一連を発表したとき、今はもう亡くなった人だが、関西に住む或る女性歌人から女性差別の思想だと、あらぬ攻撃を受けたことがある。
この一連の、どこに「女性差別」の思想があるというのだろうか。的外れもいいところである。
その人も、その後、言いすぎたと思ったのか、的外れの指摘だったと思ったのだろう。
一緒にお酒を飲みたい、などと手紙が来たが、私は深く傷ついたので、以後、絶交した。
詩の判らない人である。


 

ぎんなんのほろほろ熱し嵯峨野ゆく・・・文挟夫佐恵
image1銀杏の実

     ぎんなんのほろほろ熱し嵯峨野ゆく・・・・・・・・・・・・・文挟夫佐恵

銀杏(ぎんなん)の実の採れるシーズンになってきた。
関西では、大阪のメインストリートである御堂筋の街路樹にイチョウの木がたくさん植えられており、茂った枝を刈り込むのに邪魔になるギンナンの実のふるい落としが年中行事として行われるので、例年多くの人が手袋と袋持参で下で待ち構えている。一つの風物詩である。

事典には、次のように書かれている。
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ギンナンは、つややかで半透明の深い緑色、ねちねちした歯ざわり、香ばしい木の香りとほろ苦い野生の味。 都会に住む私たちへの自然からの贈り物です。

鎌倉の鶴岡八幡宮では、有名な大銀杏(おおいちょう)があるせいか、露店で焼きぎんなんを売っています。 アツアツの殻を苦労して割って中身を食べるのは最高ですね。

イチョウの種子。イチョウの木は古生代末期に出現。
今から一億5000万年前のジュラ紀には世界中に大規模な森林を作るほど栄えていましたが、 その後滅んだと欧米では考えられていました。
しかし日本に存在するという事が知られ、 ダーゥインはこれを「活きている化石」と呼びました。
樹皮のコルク質のおかげで害虫や火災にも強いのが特徴です。
コルク質に水を含んでいるので火事になると木から水を噴出すそうで、 大火の時に水を噴出して周りの人を救ったという水噴きイチョウの伝説が日本各地に残っています。
イチョウには雄の木と雌の木があり、10月頃に雌の木に実がなります。 オレンジ色の実の中の硬い殻に守られた胚乳がぎんなんです。

原産は中国。日本全国に植わっています。(ほとんどは人間が植樹したもの)
旬は 10月頃の採れたてから3ヶ月間ぐらいがおいしいです。半年も経つと実が縮み、 黄色くなって弾力も無くなって味が落ちてきます。
調理 ゆでる場合:まず、ペンチなどで殻を割って中身を取り出します。
薄皮が付いたまま、 浅い鍋にヒタヒタの水を入れてゆでながら、玉じゃくしの底で転がすようにして薄皮を剥いていきます。
焼く場合 :軽く殻に割れ目を付けておいて、フライパンで空炒りするかオーブントースターで焼きます。

食べ方 焼いたぎんなんをそのまま食べてもいいし、茶碗蒸しやガンモドキのパーツに欠かせません。
ぎんなんの入っていない茶碗蒸しは、食べる者の期待を裏切りますよね。

秋も深まり、山々が色付く頃、葉っぱが黄色い樹木がイチョウです。
その木の実を【ぎんなん】(銀杏)といって、木には、雄(オス)と雌(メス)があり、雄の木には実がなりません。
街路樹に植えられているところも少なくありませんが、実には独特の強烈なにおいがあるので 雄の木を用いているところが多いようです。
「イチョウの木なのに、何故か実が付かない。」という経験のある方もいると思いますが それは、きっと雄の木だからでしょう。

雄の木と雌の木の違いは、葉に切り込みが入っているのが雄の木で、入っていないのが雌の木だという説や、雄の木の枝は立ち、雌の木の枝は横に広がるという説がありますが、確かなところは分かっていないのが現状のようですので、花や果実で識別するのが良いでしょうね。

街路樹だけではなく、神社の境内とか、結構身近にある木なので、機会がありましたらよ~く観察してみてください。

イチョウの実 を取り出す?!
ぎんなんは、店に売っているような形のまま、木に実ってるわけではありません。
ぢつは、ぎんなんは種なんです!

地面に落ちた実を拾い、バケツのような容器の中で果肉を腐らせてから流水でよく洗い、中の種を取り出します。
(これは匂いがきつく、果肉の油脂が白くかたまり手が荒れる作業、ぎんなん作りでもっともきつい。)

取り出された種は、天気のいい日を選んで天日に干されて何日も何日もかけ、じっくりと乾燥していきます。
(毎日のように空とにらめっこ。晴れたら出して雨が降ったら引っ込めて…。)

仕上げは、居間の薪ストーブの横に広げておいて、最後の乾燥作業を行います。
(部屋の中に、キョーレツなぎんなんの香りが充満するのは、言うまでもありません。
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↑ 樹になるギンナンの実

ぎんなんは「茶碗蒸し」や「がんもどき」の中に入れたりする。
上の文章にもある通り、ギンナンの実の「果肉」は熟すと、とても臭いし、おまけにウルシかぶれのようなひどい症状を呈するので皮膚にじかに触れるのは危険である。
おいしい実を取り出すのが、ひと苦労である。

折角、嵯峨野の句を出したので、関連する句を少し引いておく。

 薮中にある四辻や嵯峨の秋・・・・・・・・・・・・・・・森桂樹楼

 嵯峨硯(すずり)摺つて時雨の句をとどむ・・・・・・・・・・・・・青木月斗

 残る音の虫や嵯峨野に母を欲り・・・・・・・・・・・・・・秋元不死男

 初紅葉日の斑を踏みし奥嵯峨野・・・・・・・・・・・・・・明石真知子

 お薄所望嵯峨野の茶屋の竹床几・・・・・・・・・・・・・・有木幸子


目覚むれば露光るなりわが庭の露団々の中に死にたし・・・宮柊二
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    目覚むれば露光るなりわが庭の
      露団々の中に死にたし・・・・・・・・・・・・・・・宮柊二


この歌は『忘瓦亭の歌』(1978年刊)に載るものである。
宮柊二とは、こんな人である。

宮 柊二(みや しゅうじ、1912年(大正元年)8月23日 - 1986年(昭和61年)12月11日)は、昭和時代に活躍した歌人。本名は宮肇(はじめ)。妻は同じく歌人の宮英子。

経歴
新潟県北魚沼郡堀之内町(現魚沼市)に書店の長男として生まれる。父は宮保治、俳号を木語といい俳句もやった。
1919年堀之内尋常高等小学校に入学。
1925年旧制長岡中学に入学し、在学中から相馬御風主宰の歌誌「木蔭歌集」に投稿を行っていた。
1930年に卒業後は家業を手伝う。
1932年に上京し東京中野の朝日新聞販売店に住み込みで働き、翌年北原白秋を訪ね、その門下生となり、歌作に磨きをかけた。
1939年日本製鐵入社。途中、兵役に応召し、中国山西省で足掛け5年兵士として過ごす。出征中に第1回多磨賞を受賞するが、授賞式には出られず父が代理出席した。
1946年処女歌集『群鶏』を刊行。
1953年にはコスモス短歌会の代表として、歌誌「コスモス」を創刊する。
1947年、加藤克巳、近藤芳美らと「新歌人集団」を結成。

生涯で13冊の歌集を刊行し、宮中歌会始の他、新聞・雑誌歌壇の選者をする。
1976年に第10回迢空賞を受賞
1977年に日本芸術院賞を受賞。
1979年堀之内町名誉町民の称号を贈られる。
1983年、日本芸術院会員。

一方で病(糖尿病や関節リウマチ、脳梗塞等。召集された時も疾患により一時入院していて、また晩年は、転倒して左大腿骨頸部骨折で手術を受けている)を患い、入退院を繰り返しながら、東京都三鷹市の自宅で急性心不全のため74歳の生涯を閉じる。

門下には島田修二、中西進、奥村晃作、高野公彦、桑原正紀、小島ゆかりなど。


さて、「露」のことである。 今しも明け方には、露がしとどに置いている季節である。

「露」を詠んだ文芸作品としては

     露の世は露の世ながらさりながら・・・・・・・・・・・・・・・小林一茶

という句が何と言っても、ピカ一であろう。
宮柊二の歌を掲出しながらではあるが、小林一茶のことに少し触れてみることを許されよ。

江戸後期の代表的俳諧師の一茶は、信州柏原から15歳の時に江戸に出て、奉公生活にも俳諧修業にも辛酸をなめた。
異母弟との13年にも及ぶ遺産争いが解決し、51歳で帰郷、妻帯した。三男一女を得たが、長男、長女、それに次男と次々に幼くて死に、妻をも失った。
この句は溺愛していた長女・さと が、1歳余で天然痘のため死んだ時のもの。
この世ははかない露の世という。そんなことはよく知っている。
よく知ってはいるが、知っていることが何になろう。くりかえし、くりかえし、私は悲しくてたまらないよ。ということであろうか。
『おらが春』所載だが、「露の世」というフレーズの繰り返しが秀逸であり、かつ痛切である。
「露」の句としては代表的な秀句として、よく知られている。
以下、「露」を詠んだ句を引いておく。

 露今宵生るるものと死ぬものと・・・・・・・・岡本松浜

 芋の露連山影を正うす・・・・・・・・・飯田蛇笏

 蔓踏んで一山の露動きけり・・・・・・・・原石鼎

 露の道高野の僧と共に行く・・・・・・・・池内たけし

 露けさの弥撒のをはりはひざまづく・・・・・・・・水原秋桜子

 落ちかかる葉先の露の大いさよ・・・・・・・・星野立子

 金剛の露ひとつぶや石の上・・・・・・・・川端茅舎

 露燦々胸に手組めり祈るごと・・・・・・・・石田波郷

 露の中つむじ二つを子が戴く・・・・・・・・橋本多佳子

 露の夜の一つのことば待たれけり・・・・・・・・柴田白葉女

 露の戸を敲く風あり草木染・・・・・・・・桂信子

 われもまた露けきもののひとつにて・・・・・・・・・・・・森澄雄

 牛の眼が人を疑ふ露の中・・・・・・・・・・・・福田甲子雄

 骨壷を抱きしこと二度露の山・・・・・・・・・・・・矢島渚男

 露の世の江分利満氏の帽子かな・・・・・・・・・・・・星野石雀

 「母」の字の点をきつちり露けしや・・・・・・・・・・・・片山由美子

 まるきものに乳房心根露の玉・・・・・・・・・・・・鳥居真里子


むらさきしきぶかざせば空とまぎれけり・・・草間時彦
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   むらさきしきぶかざせば空とまぎれけり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・草間時彦

この句に詠まれているのは「ムラサキシキブ」の実のことである。

私の第二歌集『嘉木』(角川書店)にも、秋の花のところに次のような歌がある。

  才媛(さいゑん)になぞらへし木の実ぞ雨ふればむらさきしきぶの紫みだら・・・・・・・・・・・・木村草弥

私宅にもムラサキシキブの小さい株が一つあるが、今年は太い虫(名前不詳だが、揚羽蝶の種類の毛のない毛虫)に、油断していたら、葉がすっかり食べられて、結局、実は一つもつかなかった。
事典を読むと、俗にムラサキシキブと呼ばれているものは正しくは「コムラサキ」というのが多いそうである。白い実のものもあるそうだ。 
ネット上から、下記の文章を載せておく。
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1734450コムラサキシキブ実
↑ コムラサキの実

 ムラサキシキブとコムラサキ
朝から冷たい雨の降る休日は、先日本屋の店先で見つけた毎日新聞社発行の「東京の自然」のページを繰って過ごす一日になりました。 「コムラサキの小さな秋」と題した項には、コムラサキがムラサキシキブと呼ばれることが多く、その名前に混乱があるとあり、千代田区大手町の北の丸公園でも「ムラサキシキブ」と名札を付けられた植物が、コムラサキのようだったと紹介しています。

牧野植物図鑑に「優美な紫色の果実を才媛紫式部の名をかりて美化したものである」
と牧野博士は述べています。 コムラサキは実のつきがが良いことから最近では生け
垣用に多く植えられているようですので、こうした記事を読むと、私達がムラサキシ
キブと称し果実の美しさを愛でているものには意外にコムラサキが多いような気がし
てきました。

   ムラサキシキブ最も早く実を持てど最も早く鳥の食い去る・・・・・・・・・・・・・土屋 文明

以前に発行された「趣味の園芸」11月号(NHK)に「ムラサキシキブとコムラ
サキ」と題して、園芸店でムラサキシキブを買ってきて楽しんでいたらこれは「コ
ムラサキ」だといわれたが、どう違うのかとの問があり答えが載っています。
回答では、園芸店ではコムラサキを通りが良いのでムラサキシキブとして売っている
ようだとの前談から、日本にはムラサキシキブ属(クマツヅラ科)のものには数種が
あり、このうち園芸店では、コムラサキ、ムラサキシキブ、シロシキブ(正確には白
実のコムラサキ)の三種が良く売られていること、そしてわりにコンパクトに仕立て
られて実つきが良く見栄えがするという点でコムラサキに人気があると記してます。
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Callicarpa20japonica20f_20albibacca20m1白式部
 ↑ 「白式部」と呼ばれる白いムラサキシキブ

別の事典には、次のような記載がある。

学名:Callicarpa japonica
 別名:ミムラサキ(実紫),コメゴメ
 花期:夏

 山野に生える落葉低木です。庭などに植えられて「ムラサキシキブ」と呼ばれるのはコムラサキ(小紫)のことが多いと思います。コムラサキに比べて実のつき方がまばらで,素朴な感じです。
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murasakisikibuL3ムラサキシキブ花

写真③はムラサキシキブの花である。6月頃に咲き始める。花言葉は「聡明」。

俳句にも多く詠まれているので引いておく。

 冷たしや式部の名持つ実のむらさき・・・・・・・・・・・・長谷川かな女

 うち綴り紫式部こぼれける・・・・・・・・・・・・後藤夜半

 渡されし紫式部淋しき実・・・・・・・・・・・・星野立子

 うしろ手に一寸(ちよつと)紫式部の実・・・・・・・・・・・・川崎展宏

 胸焦がすほどの詩欲し実むらさき・・・・・・・・・・・・・小沢克己

 地の冷えの色に出でてや実紫・・・・・・・・・・・・林 翔

 実むらさきいよいよものをいはず暮れ・・・・・・・・・・・・菊池一雄

 眼(まなこ)よりこぼれて紫式部かな・・・・・・・・・・・・鈴木鷹夫

 倖あれと友が掌に置く実むらさき・・・・・・・・・・・・石田あき子

 室の津の歌ひ女の哀実むらさき・・・・・・・・・・・・志摩知子

 寺に駕籠寺領にむらさきしきぶかな・・・・・・・・・・・・嶋野国夫

 月光に夜離れはじまる式部の実・・・・・・・・・・・・保坂敏子

 休日は眠るむらさき式部の実・・・・・・・・・・・・津高里永子

 ゆづり合ふ袖摺坂や実むらさき・・・・・・・・・・・・由木まり

 象牙玉小粒かたまり白式部・・・・・・・・・・・・石原栄子



妥協とは黙すことなり冬ざれのピラカンサなる朱痛々し・・・木村草弥
aaoopirakaピラカンサ本命

     妥協とは黙(もだ)すことなり冬ざれの
          ピラカンサなる朱(あけ)痛々し・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るもので自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。

ピラカンサはPyracantha と言うが、誤ってピラカンサスと書かれているものもあり、私も原作はピラカンサスと間違って歌集にも載せたが、
塚本邦雄氏の文章を読んで、間違いに気付き、改作した。
ピラカンサは写真②のように5月はじめ頃、このように白い花をたくさんつける。

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ピラカンサは樹高せいぜい2メートルまでの低木で、枝にはバラのように鋭いトゲがたくさんついている。
写真のように晩秋になると真っ赤な実がびっしりと生るが、野鳥たちの冬の絶好の餌となり、冬中には、すっかり食べ尽くされてしまう。
補足して書いておくと、ピラカンサ=「火+トゲ」を意味するギリシア語からの造語、と言われている。
ピラカンサはバラ科の常緑低木。中国が原産地だが、日本へは明治中期に、フランスから輸入されたという。
高さ1、2メートルで刺のある枝を密生し、葉は革質で厚い。庭木としてよく見られるが、生垣になっている場合が多い。
晩秋に球状の実が黄橙色に色づいて枝上に固まって着く。だんだん赤橙色になり、冬になっても、その色を失わない。
南天なども、そうだが、冬ざれの中の「赤」は冬の一点景とは言え、却って「痛々しい」感じが、私には、するのである。
この歌の一つ前には

  沈黙は諾(うべな)ひしにはあらざるを言ひつのる男の唇(くち)の赤さよ・・・・・・・木村草弥

という歌が載っているので、これと一体のものとして鑑賞してもらえば、ビジネスマンの人などにも、共感してもらえるのではないか。
そういう、生々しい「人事」の歌である。

いま歳時記を開いてみたが、ピラカンサの句は殆ど載っていない。
僅かに、次の一句だけが見つかったが、これも「ピラカンサス」と誤って使われている。

 界隈に言葉多さよピラカンサス・・・・・・・・・・・・森澄雄




松林尚志詩集『初時雨』・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

      松林尚志詩集『初時雨』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・砂子屋書房2020/11/22刊・・・・・・

この本が恵贈されてきた。
松林氏との「なれそめ」や著書その他については前著『山法師』の時に詳しく書いたので、お読みいただきたい。

松林氏は私と同年の1930年生れである。
私あての私信で「終活のつもりで本にまとめている」とあったが、豊富な読書量と「詩」と「句」と「論」にわたる真摯な執筆活動であり、敬服するばかりである。
掲出した画像でも読み取れると思うが、郷原宏の書くように「碁」の打ち手としても名手らしい。一芸に秀でた人は、「多芸」でもあるようだ。

作品に当たってみよう。
この本の題名が採られた詩を引いてみる。

   初時雨

  うそ寒い時雨が押し包むように訪れている
  足音を忍ばせ ひたひたと限りない遠さから寄せてくる
  私はかき抱くように布団にくるまったまま耳を澄ましている
  私の魂だけがいそいそと旅支度を始め 漂泊の旅に出る
  初老のさびしさをかきたてるようにあてどない旅に出る
  ひび割れた欅の幹を濡らし
  枯れた葦を濡らし
  朽ちた白壁を濡らし
  降るともなく降る時雨のように訪れる
  枯野の犬を濡らし
  旅人の蓑と笠を濡らし
  懐かしい歌枕を濡らし
  語られぬ言葉を濡らし
  しんしんと訪れ しんしんと去ってゆく
  まつわりつく存在の衣裳をどこまでも脱ぎ捨ててゆき
  寂寥が魂を透きとおらせるまで
  私はさまよう

     みのむしの得たりかしこし旅しぐれ    芭蕉

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詩作の常道だが、「濡らし」のルフランが見事に効いている。
このⅡという章には、この作品のように、俳人たちの句が末尾に置かれている。
それらの俳句は、詩の本文と照応して、的確である。
俳人として一家を構えて奮闘される松林氏ならではのことである。

巻末近くに「相武病院にて 95・11・10瀧春一先生を見舞う」という作品があるが、「あとがき」の中に、こう書かれている。
<瀧春一先生は俳誌「暖流」を主宰していた俳人で、私は先生のお宅で下宿生活を送っている。先生は脳梗塞で倒れられ、・・・この年に九十五歳でお亡くなりになっている。・・・・・>
松林氏の俳句との「えにし」は、その時に始まったのであった。
また詩人・村野四郎とのなれそめも書かれていて、松林氏が詩人、俳人として現在おられることの原点が判って、すとんと腑に落ちるものがあった。

あと一篇だけ作品を引いておく。

     早 春

  海はおびただしい死者を洗い清めてどこまでも碧い
  早春の寒さに身を引締めて果てしなく拡がり
  地鳴りのような轟きをこもらせる
  おどろおどろしく押し寄せてくるあの音に耳を傾けよ

  岬へと大地がせり出す岩礁地帯
  波をかぶっては漆黒の巌が現れる
  うがたれた眼窩の奥の暗闇に眼をこらせ

     ・・・・・・・・

  海は原始の生命を育んでどこまでも碧い
  さかしらな人間を寄せ付けない豊穣の海
  しなやかに鷗舞い 魂遊ぶ 果てしない海
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この詩は、作者が喀血して療養している時の作品か。「あとがき」の記述から、ふと、そなんことを思った。

とりとめもない文章になったが、この辺で終りにしたい。
「終活」などとおっしゃらずに、これからも佳い詩句を、ものして頂きたい。有難うございました。    (完)



柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺・・・正岡子規
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     柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺・・・・・・・・・・・・・・・・正岡子規

この句は多くの人の口に愛唱されるもので広く知られている。今や「古典」となった感じがある。

この句については、下記のようなエピソードがあるのである。

     < 正岡子規は夏目漱石に俳句を教えていたそうで
       漱石は、愛媛の新聞に俳句を投稿しています。

          鐘つけば銀杏ちるなり建長寺

       この漱石の作品を讃えようとして感謝と友情の印に
       子規が作った作品が

          柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

       下敷きとなる句があったとは面白いもんです。 >

このいきさつについては、ネット上に次のような記事がある。引いておこう。
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坪内稔典氏いわく

「鐘をついたらはらはら銀杏が散るというのは,これ,寺の風景として平凡です。はっとするものがありません。」
「「柿くへば鐘が鳴る」は意表を突く。あっと思うよ。」
(『俳人漱石』坪内稔典(岩波新書,2003年))

 正岡子規自身,次のように書いています。

「柿などヽいふものは従来詩人にも歌よみにも見離されてをるもので,殊に奈良に柿を配合するといふ様な事は思ひもよらなかつた事である。
余は此新たらしい配合を見つけ出して非常に嬉しかつた。」
(「くだもの」明治34年)

 坪内稔典氏いわく

「子規の代表句は,漱石との共同によって成立した。それは愚陀仏庵における二人の友情の結晶だった。」

 「愚陀仏庵」とは,松山における漱石の住まいのことです。子規は,ここに50日余り暮らしていました。つまり,漱石と子規がいっしょに住んでいたのです。
 「柿くへば…」は,子規が松山から東京へ帰る途中,奈良に立ち寄ったときに作られました。この奈良行きが,子規にとっては最後の旅となりました。この後7年間,子規は病床に伏し,ついには亡くなるのです。
 この旅の費用を貸したのが漱石でした。つまり,「柿くへば…」は,元ネタも費用も漱石に頼っているわけです。

「個人のオリジナリティをもっぱら重んじるならば,子規の句は類想句,あるいは剽窃に近い模倣作ということになるだろう。だが,単に個人が作るのではなく,仲間などの他者の力をも加えて作品を作る,それが俳句の創造の現場だとすれば,子規のこの場合の作り方はいかにも俳句にふさわしいということになる。」
(『柿喰ふ子規の俳句作法』坪内稔典(岩波書店,2005年))
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学校の教科書にもでてくるこの著名な句には「法隆寺の茶店に憩ひて」と前書きがついています。
明治二十八年十月、病後の体を休めていた松山を立って、子規は上京の途につきます。
途中須磨・大阪に寄って奈良に入りました。大阪では腰が痛み出し歩行困難になりましたが医師の処方で軽快し、念願の奈良に赴いたのです。
このときの腰痛は、脊椎カリエスによるものだったようですが、本人は、リウマチと思っていました。
奈良の宿で「晩鐘や寺の熟柿の落つる音」とまず詠みました。奈良という古都と柿との配合に子規は新鮮さを感じたようです。
この句の改案が上掲の「柿くへば」です。この鐘の音は実際には東大寺の鐘だったようですが、翌日法隆寺に行って、
東大寺とするより法隆寺とした方がふさわしいと思って、そう直したということです。
子規は写生の唱導者ではあっても事実通りの体験に固執したわけではないのでした。
評 者 村井和一  「現代俳句協会」のホームページより
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松尾芭蕉の「虚構」の句作りについては前に書いたことがある。
「リアリズム馬鹿」には堕したくないものである。

「柿」は日本原産と言われるが、16世紀にポルトガル人によってヨーロッパに渡り、その後アメリカ大陸にも広まった。
今では世界中「KAKI」で通用する。学名もDiospyros Kaki という。
パーシモンはアメリカ東部原生の、ごく小さなアメリカガキを指すので、日本の柿とは種が違う。
パーシモンというと、ゴルフをやる人には懐かしい名前でウッドクラブのヘッドには、このアメリカガキの硬い木が使われて来た。
今ではメタルウッドが全盛だが、パーシモンで打った時の打球音は特有の響きがあった。Powerbiltという名器があった。
柿は日本原産とは言うが、一説には、氷河期が終わった後に、中国から渡来したらしく、縄文、弥生時代の遺跡から種が出土し、時代が新しくなるほど量が増えるそうだ。
今のような大きな柿は奈良時代に中国から渡来したらしい。
中国では3000年前から柿があったそうで、BC2世紀の王家の墓から多数の柿の種が出土している。その頃は干し柿として保存していたようだ。

以下、柿を詠んだ句を引いて終る。

 よろよろと棹がのぼりて柿挟む・・・・・・・・高浜虚子

 渋柿のごときものにては候へど・・・・・・・・松根東洋城

 我が死ぬ家柿の木ありて花野見ゆ・・・・・・・・中塚一碧楼

 柿の竿手にして見たるだけのこと・・・・・・・・池内たけし

 雲脱ぐは有明山か柿赤し・・・・・・・・水原秋桜子

 柿を食ふ君の音またこりこりと・・・・・・・・山口誓子

 柿日和浄明寺さまてくてくと・・・・・・・・松本たかし

 渋柿たわわスイッチ一つで楽(がく)湧くよ・・・・・・・・中村草田男

 柿啖へばわがをんな少年の如し・・・・・・・・安住敦

 朝の柿潮のごとく朱が満ち来・・・・・・・・加藤楸邨

 柿食ふや命あまさず生きよの語・・・・・・・・石田波郷

 柿の種うしろに吐いて闇ふかし・・・・・・・・秋元不死男

 柿うまし鶫の嘴あとよりすすり・・・・・・・・皆吉爽雨

 八方に照る柿もぐは盗むごと・・・・・・・・中川輝子

 吊鐘の中の月日も柿の秋・・・・・・・・飯田龍太

 柿の冷え掌にうけて山しぐるるか・・・・・・・・鷲谷七菜子

 少しづつ真面目になりて柿を食ふ・・・・・・・・山田みづえ



杜鵑草人恋ふ色に咲きいでし・・・轡田幸子
aaoohototoホトトギス花

   杜鵑草(ほととぎす)人恋ふ色に咲きいでし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・轡田幸子

私宅に杜鵑草(ほととぎすそう)の鉢植えが一つある。恐らく妻が誰かにもらって植えたものであろう。
一年中めだたない草で、毎年10月中ごろから11月にかけて花をつける。
今年も10月18日頃からぼつぼつと花をつけはじめた。

事典には、次のように載っている。
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ホトトギス(杜鵑) ユリ科 

 学名:Tricyrtis hirta
 花期:秋

 鳥の名前を持つ花は他に,サギソウ(鷺草),キジムシロ(雉筵)などがありますが,全く同じというのは他に思い当たりません。
もっとも,鳥の方は不如帰と書くようです。花の点々が不如帰の羽の模様(胸)に似ているということです。
 高原の日陰で夏~秋に見られます
 よく庭や花壇に植えられるものはタイワンホトトギスです。色も紫,白,黄色などがあります。
 ホトトギスは,葉の付け根に一つないし二つ花がつくものです。
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hototo10ホトトギス接写

写真②は「接写」である。
他の事典によると、ホトトギス属は東アジアにしか原生しておらず、このうちの大半が日本に自生し、固有種も多く、日本の特産的植物と言われているらしい。
花名は、この花の斑紋が鳥のホトトギスの胸毛の模様に似ていることに由来する。
「杜鵑草」と書いて、単に「ほととぎす」と読むのが正式らしい。
花言葉は「永遠にあなたのもの」。
以下、これを詠んだ句を引いて終る。

 時鳥草顔冷ゆるまで跼みもし・・・・・・・・・・・・岸田稚魚

 はなびらに血の斑ちらしてほととぎす・・・・・・・・・・・・沢木欣一

 夜をこめて咲きてむらさき時鳥草・・・・・・・・・・・・後藤比奈夫

 杜鵑草濡れて置かるる講の杖・・・・・・・・・・・・皆川盤水

 水に映りて斑をふやす杜鵑草・・・・・・・・・・・・檜紀代

 杜鵑草日差衰へはじめたる・・・・・・・・・・・・児玉輝代

 かすかなる山姥のこゑ杜鵑草・・・・・・・・・・・・小桧山繁子

 古のそばかす美人杜鵑草・・・・・・・・・・・・吉沢恵美子

 紫の斑の賑しや杜鵑草・・・・・・・・・・・・・轡田進

 杜鵑草遠流は恋の咎として・・・・・・・・・・・・谷中隆子

 死ぬ日まで男と女油点草・・・・・・・・・・・・中原鈴代

 この山の時鳥草活け手桶古る・・・・・・・・・・・・野沢節子

 ほととぎす草今日むなしき手をのべぬ・・・・・・・・・・・・八木林之助

 時鳥草三つ四つ母のうすまぶた・・・・・・・・・・・・水谷文子



山茶花は咲く花よりも散つてゐる・・・細見綾子
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     山茶花は咲く花よりも散つてゐる・・・・・・・・・・・・・・細見綾子

私の家の前栽の生垣の一番西の端にあるサザンカが咲き始めた。4、5日前から咲きはじめたと思ったら、もう一斉に咲いて満開に近い。
サザンカにも遅速はあり、この木は例年一番早い。亡妻などは「あんまり早く咲きすぎる」と文句を言っていた。
というのは今なら菊などの花の彩りもあるからで、冬が深まって周りに花の色がない時に咲いてほしい、という願いである。
サザンカは「山茶花」と書くが字の通りに発音すれば「サンザカ」となるが発音し難いので、いつしかサザンカとなったという。
原産地は日本で、学名を Camellia sasanqua というが、ここでも日本の発音通りの命名になっている。
椿科というけれど椿との違いは、ツバキは花が落ちる時にはボテッと全部一緒に落ちてしまう(このことから斬首刑を連想するのか、武士は椿の花を嫌ったという)が、
サザンカは花びらが一枚一枚づつばらばらに落ちる。
サザンカは長崎の出島のオランダ商館に来ていた医師ツンベルクがヨーロッパに持ち帰り西欧で広まったという。
なお、学名の前半の Camellia は椿のことで17世紀にチェコスロバキアの宣教師 Kamell カメルさんの名に因むという。
サザンカはさまざまに改良され、もともとは5弁の茶の花に似ている花だったが今では色も花弁の枚数も多様である。

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写真には色々のものを載せてみた。
和漢三才図会』には「按ずるに、山茶花、その樹葉花実、海石榴(つばき)と同じくして小さし。その葉、茶の葉のごとく、その実円長、形、梨のごとくにして微毛あり。・・・・・およそ山茶花、冬を盛りとなし、海石榴の花は、春を盛りとなす」とある。
的確な表現である。なおサザンカは正式には「茶梅」と書いて「さざんくわ」と読むのが正しいという。
サザンカは茶に近いものであるから、この説は了解できる。

ここでネット上に載る記事を引いておく。
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サザンカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

サザンカ

分類
界: 植物界 Plantae
門: 被子植物門 Magnoliophyta
綱: 双子葉植物綱 Magnoliopsida
目: ツバキ目 Theales
科: ツバキ科 Theaceae
属: ツバキ属 Camellia
種: サザンカ C. sasanqua

学名
Camellia sasanqua
和名
サザンカ
英名
Sasanqua

サザンカ(山茶花)は、ツバキ科の常緑広葉樹。秋の終わりから、冬にかけての寒い時期に、花を咲かせる。野生の個体の花の色は部分的に淡い桃色を交えた白であるのに対し、植栽される園芸品種の花の色は赤から白まで様々である。童謡「たきび」(作詞:巽聖歌、作曲:渡辺茂)の歌詞に登場することでもよく知られる。漢字表記の山茶花は中国語でツバキ類一般を指す山茶に由来し、サザンカの名は山茶花の本来の読みである「サンサカ」が訛ったものといわれる。

自生地
日本では野生種は山口県から九州および四国、沖縄である。なお、ツバキ科の植物は熱帯から亜熱帯に自生しており、ツバキ、サザンカ、チャは温帯に適応した珍しい種であり、日本は自生地としては北限である。

品種
園芸品種は花の時期や花形などで3つの群に分けるのが一般的。サザンカ群以外はツバキとの交雑である。

サザンカ群
サザンカ Camellia sasanqua Thunb.

カンツバキ群
カンツバキ (寒椿) は、サザンカとツバキ C. japonica との種間交雑園芸品種群である。

カンツバキ Camellia sasanqua Thunb. ’Shishigashira’(シノニムC. x hiemalis Nakai,C. sasanqua Thunb. var. fujikoana Makino)

ハルサザンカ群
ハルサザンカ Camellia x vernalis (Makino) Makino
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サザンカは古来よく詠まれて来た花で芭蕉一門の連句などにも、よく登場する。
以下、サザンカを詠んだ句を引いておく。

 霜を掃き山茶花を掃く許りかな・・・・・・・・高浜虚子

 無始無終山茶花ただに開落す・・・・・・・・寒川鼠骨

 花まれに白山茶花の月夜かな・・・・・・・・原石鼎

 山茶花やいくさに敗れたる国の・・・・・・・・日野草城

 山茶花のこぼれつぐなり夜も見ゆ・・・・・・・・加藤楸邨

 山茶花の散るにまかせて晴れ渡り・・・・・・・・永井龍男

山茶花のくれなゐひとに訪はれずに・・・・・・・・橋本多佳子

 山茶花の咲きためらへる朝かな・・・・・・・・渡辺桂子

 山茶花の咲く淋しさと気付きたる・・・・・・・・栗原米作

 白山茶花地獄絵のごと蜂群るる・・・・・・・・高木雨路

 さざんくわにあかつき闇のありにけり・・・・・・・久保田万太郎

 さざん花の長き睫毛を蘂といふ・・・・・・・・野沢節子

 山茶花の落花並べば 神遊び・・・・・・・伊丹三樹彦

 不忠不孝の人山茶花の真くれなゐ・・・・・・・・飯島晴子

 山茶花の咲きて病ひの淵に入る・・・・・・・・保坂敏子


茶畑はしづかに白花昏れゆきていづくゆ鵙の一声鋭し・・・木村草弥
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──初出・Doblog2008/11/24を再編集──

  茶畑はしづかに白花昏れゆきて
        いづくゆ鵙の一声鋭し・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


昨日、十一月七日は二十四節季では「立冬」であった。
暦の上では、この日から「冬」ということになる。

今が茶の花の咲き始めるシーズンである。
この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)の巻頭を飾る歌である。
WebのHPでも載せているのでご覧いただける。

私は半生を「茶」と共に過ごしてきたので、これに対する思いいれは尋常なものではない。
だから、第一歌集の名を「茶の四季」とした所以である。
茶の樹はツバキ科としてサザンカなどと同じ種類の木である。晩秋から初冬にかけて花をつける。
お茶の花は主に茶樹の下の方に咲く。茶の株の上部に花が咲くようだと、その茶園はあまり管理が良いとは言えない。
植物の花や実がつく状態とは葉や茎があまり育たない状態である。
お茶は「葉」を収穫する作物だから、花や実は、むしろ好ましくない。一般に「剪定」をすると花つきは良くない。

写真②の茶樹は、まだ幼木で仕立て中なので花が多くついている。
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茶の木はツバキ科の常緑低木で、原産地は中国南部の雲南省辺りと言われている。
今でも雲南省の奥地の西双版納(シーサンパンナ)に母木という巨木の茶の木があるという。
私は雲南省の昆明までは行ったことがあるが、奥地には行かなかったので、まだ見ていない。

茶の花は秋から初冬にかけて新梢の葉腋につく。白く五弁の香りの高い花で、花の中心に黄色の雄蕊がある。
受粉した雌蕊は果となり、一年がかりで翌年の秋に丸い種を包んだ実になるのである。
茶の木は古来、関東から九州にいたる山地に自生する山茶の木があったらしいが、葉を採って「茶」にして飲用することを知らなかったらしい。
中国の宋から茶の種と製法を持ち帰ったのは「栄西禅師」であると言われている。

私の歌集の巻頭の歌につづいて

  たはやすく茶の花咲くにあらざらめ酷暑凌ぎて金色の蘂(しべ)

というのがあるが、この金色の蘂が、とても印象的な花である。

  茶の花のわづかに黄なる夕べかな・・・・・・・・与謝蕪村

の句の描くところも、同じ風雅を伝えるものである。

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写真③は茶の実である。これは昨年の初冬に花が咲いて、一年かけて実になったもので植物の中でも息の長いものである。
この実を来春に蒔けば発芽して茶の木になる。
こういうのを「実生」(みしょう)というが、他の茶樹の花粉と交雑して雑種になるので、栽培的には「挿し木」で幼木を育てるのが一般的である。
今はやりの言葉で言えば「クローン」である。
写真の実の形からすると、実は4個入っている。この実の形が三角形なら実は3個ということになる。
初冬になると、外皮が割れて、中の実が地面に落ちる。
物を作るというのは生産的で、収穫の時期など心が浮き立つものである。
掲出した歌のつづきに以下のような歌がつづいているので引いてみる。

    茶の花・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

  茶畑はしづかに白花昏(く)れゆきていづくゆ鵙の一声鋭し

  酷暑とて茶園に灌(そそ)ぎやる水を飲み干すごとく土は吸ひゆく

  たはやすく茶の花咲くにあらざらめ酷暑凌ぎて金色の蘂(しべ)

  ひととせの寒暖雨晴の巡り経て茶の実(さね)熟す白露の季に

  白露してみどりの萼(がく)に包まるる茶の樹の蕾いまだ固しも

  川霧の盛りあがり来てしとどにぞ茶の樹の葉末濡れそぼちゆく

  初霜を置きたる茶の樹に朝日さす葉蔭に白き花ひかりつつ


先にも書いたように私の半生をかけた「茶」のことでもあり、また第一歌集でもあるので「茶」についての歌は非常に多い。
また季節に合わせて私の「茶」にまつわる歌を採り上げたい。

茶の花を詠んだ句も古来多いが、明治以後の句を少し引いておく。

 茶の花に温かき日のしまひかな・・・・・・・・高浜虚子

 茶の花におのれ生れし日なりけり・・・・・・・・久保田万太郎

 こもり居や茶がひらきける金の蘂・・・・・・・・水原秋桜子

 茶の花のとぼしきままに愛でにけり・・・・・・・・松本たかし

 はるかなこゑ「茶の花がもう咲いてます」・・・・・・・・加藤楸邨

 茶の花やアトリエ占むる一家族・・・・・・・・石田波郷

 茶の花のほとりのいつも師の一語・・・・・・・・石田波郷

 お茶の花類句の如く咲きにけり・・・・・・・・佐野青陽人

 茶の花やさみしくなれば出てありく・・・・・・・・鈴木守箭

 茶の花をときに伏眼の香と思ふ・・・・・・・・飯田龍太

 茶が咲いて肩のほとりの日暮かな・・・・・・・・草間時彦

 茶の花を心に灯し帰郷せり・・・・・・・・村越化石

 お茶の花しあわせすぎてさみしくて・・・・・・・・北さとり

 茶の花や母の形見を着ず捨てず・・・・・・・・大石悦子

 茶が咲いて三年味噌の目覚めけり・・・・・・・・立川華子

 蕊含み切れず茶の花開きけり・・・・・・・・榑沼清子



肥後六花──肥後菊その他について・・・木村草弥
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──エッセイ──

     肥後六花──肥後菊その他について・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

「肥後六花」というのは季節順に「肥後椿」「肥後芍薬」「肥後花菖蒲」「肥後朝顔」「肥後菊」「肥後山茶花」を指す。
肥後──熊本の藩主・細川家8代の細川重賢公の時代に薬草園が作られ、藩主の命によって植物の品種改良が行われ、その結果うまれたのが、これらの花である。

掲出写真は「肥後菊」である。
以下、季節の順に花の写真を出してゆく。

b0066409_147257肥後椿

↑ 写真②は「肥後椿」である。
ツバキについては寒い頃にいろいろの品種のものを紹介したことがある。そのうちの一つに、この「肥後椿」があるということである。

b0066409_1481022肥後芍薬

↑ 写真③は「肥後芍薬」である。大きな豊かな花が特長である。
古来、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」と表現されるように花の代表とされてきた。これから転じて、美人の形容に使われたりした。

b0066409_1485176肥後花菖蒲

↑ 写真④は「肥後花菖蒲」である。
この花も彩りと言い、花の大きさと言い、豪華な花という感じがする。
この辺のところに藩主の派手好みが出ているというべきだろう。
ネット上に、この「肥後六花」のことも載っているが、細川家・現当主の元首相の細川護煕氏が談話を寄せて書いている文章が見られる。
細川護煕氏は今、伊豆で陶芸制作三昧の日々を送っているが、その伊豆の屋敷というのが、母方の近衛公のものであるという。
臍の緒を切ったのが高貴な生まれとは言え、優雅な世界である。

b0066409_1492581肥後朝顔

↑ 写真⑤は「肥後朝顔」である。
この朝顔も大輪で、たっぷりとした、あでやかな雰囲気を湛えている。色はいろいろあるらしい。

順番からすると、この花の後に「肥後菊」が来るのであるが、一番はじめに出しておいた。色についてはさまざまあるようである。
今の時代は海外との交流が、過剰とも思えるほどに激しく、日々あたらしい品種のものが導入されてくるが、昔は花の種類も多くはなく、
品種改良も重点的にやられたと言えようか。だから丹精の結果、花が豪華である。

b0066409_1503929肥後山茶花

↑ 写真⑥は「肥後山茶花」である。
この花もボカシ入りの大きなものである。

これで「肥後六花」と呼ばれるものを一渡り紹介したことになる。
季節としてはまだ寒い気候の「ツバキ」から、初冬の花「サザンカ」まで、ほぼ二ヶ月おきに一年を経過したことになる。
花は花ながら、こういう季節感というものを古人は、大切にしたのである。
終わりに、サザンカの句をひとつ引いて終る。

    山茶花の咲き散り呉須の手塩皿・・・・・・・・田口一穂


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