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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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『修学院夜話』評・・・冨上芳秀
詩遊_NEW

修学院夜話_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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         『修学院夜話』評・・・・・・・・・・・・冨上芳秀 
            ・・・・・「詩遊」No.68「詩についてのメモ 19」所載・・・・・・・・

木村草弥詩集『修学院夜話』(二〇二〇年十一月一日刊、澪標)木村草弥は、一九三〇年生まれで、来年の二月には、九十一歳になるという年齢の歌人であり、詩人である。
驚くほど元気で、パソコンなども自在に使いこなし、エネルギッシュにブログなどを常に更新している。
博覧強記、柔軟な思考、みずみずしい感性で書かれる文章は、魅力的である。
〈老来、雑駁な生活に終始しているので、短歌の韻律に馴染めないので、最近は専ら散文詩である〉とこの詩集の「あとがき」に書かれているが、木村草弥は歌人として出発し、今も現役の歌人として活躍している。
最近、メールで送っていただいたのだが、角川書店「短歌」誌二〇二〇年十二月号に掲載された「聖玻璃」という十二首の短歌は実にすばらしいものである。

    ・葡萄摘むアダムの裔(すゑ)の青くさき腋窩あらはに濃むらさきなす
    ・聖玻璃の御堂の藍に身をおけば地中海恋ふる瞼(まなぶた)も青
    ・地中海あまりに青し薔薇までの距離とわが死の距離を想ふも
    ・誰がための葬(はふ)りの鐘か薔薇窓の不死鳥(フェニーチェ)の彫り翳る聖堂
    ・腋萌えてなほ少年期を出でざれば百合は朝けをまだ封印す
    ・かの魂の空洞(カベルネ)を埋めよ濃あぢさゐ彩(いろ)七色に身を染めて 夏
    ・古典辞典(レキシコン)みてゐる室に雷ひびき刺青図譜の革表紙光(て)る
    ・展翅さるる緋蝶の羽根に血の蔓が青く流るるまぼろしを見つ
    ・マルキ・ド・サド像の鼻梁をよぎる罅(ひび)みつつしをれば春雪しきる
    ・サドの忌の美術館(ミユゼ)に観るなる少年の緑衣に並ぶ金釦の列
    ・爪彩るをみながレモン垂らしつつエウロパの宴短か夜なりし
    ・コロナ禍の襲来いかに凌(しの)ぎしやエウロパの佳人いまだ文(ふみ)来ず

 この若々しい新鮮な感覚は短歌ではあるが、詩として一もすぐれたものである。
最新の歌集『信天翁』((二〇二〇年三月一日刊、澪標)については、「ジジイの覗き眼鏡8」(「詩的現代」三十三号、二〇二〇年六月十五日刊)で短歌と詩のボーダーに位置するものと捉えたが、
この十二首は短歌にして、鮮烈な詩であり、そのポエジーは青年のものではないかと私は感動した。
『修学院夜話』の「あとがき」には〈『修学院幻視』を出してから丸二年経った。/今回その後編をだすことになった。ここに至るまでに様々あったので、その経緯を書いておきたい。旧稿は、原資料の数が多すぎて著作権に触れるということで断られた。/もう数年前のである。そんなことで放置してあったが、原稿を半分に減らし、他の新作を加えて『修学院幻視』を上梓したのである。したがって原稿が残っているので、愛着もあり残りの原稿を今回出す決心をした〉と『修学院夜話』上梓の経緯を記している。
『修学院夜話』は私にとっては、批評の対象とすることはむつかしい。というのは、『修学院幻視』に比べて、詩人木村草弥があまり出てこないからである。
博覧強記の人、木村草弥が語る内容は、興味深いものである。しかし、『修学院夜話』が『修学院幻視』の資料の数が多かったので、割愛したものの拾遺であったのなら、資料が多く載せられているのも、納得できることである。その資料がそのまま掲載されていても、著作権に触れるとは思わない。
「『後水尾院御集』恋の歌」「後水尾院の側近 中村通村の歌」など、多くが資料とその通釈であっても別に問題はない。
〈後水尾院については、近衛家に伝わる『陽明文庫』の資料や禁裏の近くに居た僧侶の日記など、資料が多いと言えるだろう。/これは私の詩であって、論文ではないので、なるだけ平易にしたいのだが、説明しないと分かりにくくなるので、最低限にして資料を引きたい。//それらの資料を読んでいると「儲君(ちょくん)」という今では聴き慣れない単語が出て来る/これは、元はと言えば中国古代の漢代に発する制度だということである。儲君=皇太子と考えていいのだが、どっこい複雑である。//皇太子は、必ずしも在位中の天皇の長男を指すとは限らない。/歴史的に皇位は、長幼の序を重んじつつ、本人の能力や外戚のの勢力を考慮して決定され、/長男であれば必ず皇太子になれるとは限らなかった。―後略―〉
木村草弥自身が、〈これは私の詩であって、論文ではない〉と述べている。私は本人が詩であると言えば、詩であるという立場であるから、この詩に異論を唱える気はない。
頻繁に行われる改行は木村草弥の詩であるという気持ちの表れである。〈論文ではない〉というのは、論文似ているという自覚である。
確かに、この作品は、木村草弥の興味にしたがって、言葉を紡ぎだし、後水尾院を中心にその周りの世界を資料に従って説明していく。
だから、木村草弥が出ていないというのは、語弊がある。
木村草弥の興味の赴くところが資料に従って語られてはいるが、木村草弥自身の肉体や心(感情や思い、自身の存在に対する考察)が語られることはない。
この作品にとっては、資料の内容を語ることが大切なのである。資料の世界についてほとんど知らない私がこの作品を批評の対象に出来ないのは、そういう訳である。
私は木村草弥の語る言葉に、未知の知識を与えられ、感心するばかりである。
何篇かの散文詩が、初めの方にあるが、資料を語る旺盛な探求心に比べて淡白であった。





『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』評・・・冨上芳秀
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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      『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』評・・・・・・・・・・冨上芳秀
             ・・・・・・「詩遊」No.68所載「詩についてのメモ 19」・・・・・・・・

木村草弥著『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』(二〇二〇年十二月一日刊、澪標)の帯文には
〈2004年2月から十数年書き綴ったK―SOHOYA POEM BLOG その中から珠玉の131篇 草弥の〈うた〉の華よ、はばたけ-〉とある。
これは帯文の性質上、このような文章になっているが、本文中の「はしがき」の要点から抜き出しているので木村草弥自身の手になるものと推察できる。
実際、私もそのブログを拝見して、精力的に毎日のように書かれていることがわかる。
ブログという性質上、記述としても、わかりやすく、『修学院夜話』の資料の説明が論文に近い客観的な記述ではなく、より自由に自分の意見を述べているので、木村草弥という詩人の生身の姿が感じられるように思われる。
短歌や俳句を紹介しながら、自分の感想を述べている。私などは、その道に暗いから、知らない短歌や俳句を教えてもらうのは、大いに勉強になる。
例えば「ルノアールの女に毛糸編ませたし 阿波野青畝」という一文がある。俳句をタイトルにしてその句について語るのである。
〈「毛糸編む」というのが冬の季語である。/この頃では、昔のように毛糸を編む人を余り見かけなくなったが、「ニット手芸」は相変わらず盛んで、亡妻の学友であった人は、今やニットサロンを経営し、NHKの趣味講座の先生をするなど大活躍している。この頃では男のニットの先生も出てきたりしている。/この句は、ルノアールの絵に出てくる豊満な女の人に毛糸を編ませてみたい、という、いかにも男の人らしい句である。//この句については亡妻との間の会話について、私には哀しい思い出がある。/もう二十年も前の今ごろ、食事も録に摂れずの最悪期から食欲も出て、体力も戻りかけた時期に、私がこの句を見つけて、病院に行って妻に見せたら、これが大変気に入ったらしく、いろんな人に、この句を披露していた姿を思い出す。/妻の死後、家の中を整理していたら、妻の仕事部屋にしていた二階の南向きの陽のよく当たる部屋に、未使用の毛糸玉がたくさん出てきた。私の娘たちも仕事に忙しくて、毛糸編みなどはしないし、捨てるのも忍びないので、そのままにしてある。/こういう遺品というものは、見るのも辛いものである。/昔は私たち兄妹の着るセーターは、みな母の手編みだった。着込んだセーターは解いて皺を伸ばし、また編み直して新しいセーターに仕立てたものだった。/亡妻も編み機を使って私のセーターも手作りだった。(後略)〉こうした記述をブログとして発表したのである。
これを木村草弥は詩と言っていないので、本人が詩と言えば詩であるという私の考え方からはこの文章を詩であるとは言わないが、この話をテーマにいい生活詩が書けるような気がする。
ここには、生身の木村草弥が息づいている。〈このブログはヴァーチャルなもので、私が死んだら消え失せてしまうので、何とかして「紙媒体」として残したかった〉(「はしがき」)とあるように、現代においてはブログで発信し、書物にするというのが、いいような気がする。
来年、二月には、九十一歳になるという木村草弥のエネルギッシュな活躍がますます期待できる。私もその姿に勇気づけられ、見習わなくてはいけないと思う。
〈やっておきたいことは、ほぼやり終えた心境である〉と書いておられるが、まだまだ書いておいてほしいことがある。それは、これまでの人生の自伝的なエッセイである。
本当の仕事はまだ、これからなのでないだろうかと若輩の身でありながら、大先輩にお願い申し上げる次第である。
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畏敬する冨上氏が、自身が発行する詩誌で、この評を載せていただいた。
この「詩についてのメモ 19」には、前の本についても書かれているので、項を改めて載せる。
有難うございました。



 

『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』私信と評・・・三浦好博
四季_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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     『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』私信と評・・・・・・・・・・三浦好博(「地中海」元編集委員)

新年あけましておめでとうございます。
『四季の〈うた〉』を頂戴してから随分と時間が経ってしまいました。
京都新聞に写真入りの書評が出ておりまして、草弥様のお顔をしっかりと拝見させていただきました。
『四季の〈うた〉』には夏や冬の何倍もの春や秋の〈うた〉に力が注がれていますのは、勅撰和歌集などの歌合わせにもある「春」と「秋」のそれぞれの趣と共通するものがあるのかも知れませんね。
私が持っている歳時記は小さなもので、それにも例句はそれなりにありますが、これとは別に「花の大歳時記」(角川出版、秋山庄太郎、森澄雄監修)で美しい沢山の写真と俳句を楽しんでおります。
『四季の〈うた〉』は万葉集や、古今新古今和歌集を初めとする勅撰和歌集などの古典や近現代短歌、歳時記よりの古い俳句や近現代俳句、更には洋の東西の近現代詩など、短詩型全般の膨大な引用等を縦横無尽に駆使して紡ぎ出したエッセイになっておりまして、一度読んだだけでは惜しいような作りになっております。
佐藤祐禎の『青白き光』は原発事故のある前に私も読んでおりました。その予言が的中してしまったと事故の後思ったものです。
鈴木真砂女は千葉の出身で才能豊か、瀬戸内寂聴と同じく奔放な方でしたね。橋本多佳子などと私好みの句を取り上げて下さって喜ばしいです。
これらに限らず、草弥さんの艶っぽいうたが随所に出て来てこれも嬉しいです。映画『ベニスに死す』の映画の美意識も何か共通していて嬉しいです。
アテルイの項、私も東北出身で、都からの被征服者の末裔としてアテルイに、又、その二百年後の「前九年の役」「後三年の役」など藤原氏の戦いに大変興味がありました。東北の至る所に坂上田村麻呂や八幡太郎義家の像が建っていて、被征服者が何故にかような像を建てているのか疑問でしたが、建てさせられたのだと思いました。吉川宏志の歌は弱者を意識していて好感を持っています。
ベルリンの二度目のツアーの時のウィルヘルム教会の件で私の名前を入れて戴き恐縮です。
角川短歌集成では草弥さんのうたも散見されますね。私は歌会では、参加者の作品の主題となる歌語について、この角川短歌集成の5つの分冊から調べて「このような短歌があるので参考にされたい」を、歌の批評と合わせて発言するのを常としています。
このメールを書きながらも、「YouTube 」で音楽をかけながらやっています。長いものでは6時間のクラシックメドレーがありますね。水瓶座のひとは芸術家に多く、それだけ感覚感情が鋭く深いのでしょうか。私の好きなモーツアルトやシューベルト、それに大江健三郎やチェーホフなどなど。その代わり出鱈目なところもあるそうですね。草弥さんも水瓶座ですか。
ハマナスの花は千葉の隣りの茨城の海岸でも見られます。函館の立待岬は石川啄木の墓がある処で、啄木を訪ねて北海道のあちこちを回った時に寄りました。海霧は当地でも夏は普通に見られます。
以上、大変雑な読後感になってしまいました。これからもこの『四季の〈うた〉』を横に置いて、歌会の時の参考にしたいと思います。
大変ありがとうございました。       2021年1月2日     三浦好博
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敬愛する三浦氏から懇篤な評をいただいた。心より御礼申し上げます。
「花の大歳時記」(角川出版、秋山庄太郎、森澄雄監修)は私も愛用しておりました。
そのメールの中で、私の本の中で「地中海」編集委員とあるが「元・編集委員」と訂正せよ、と書いてある。
三浦氏の後任は、ここでも採り上げた大阪の高尾恭子さんだとのこと。ここに記しておきます。



 
三日の朝フェリー二隻大口あけ・・・佐藤鬼房
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     三日の朝フェリー二隻大口あけ・・・・・・・・・・・・・・・佐藤鬼房

正月三が日のうちの最後の日であるから、元日の厳粛さや、二日の楽しさとは違った感慨で受け取られる日であろうか。
この日は、皇位の始まりを祝う元始祭として、明治初期から重要な日となった。

先に書いたが、2008年十二月中旬の南九州の旅には、往復に大阪南港→←志布志港のダイヤモンド・フェリーの「サンフラワー」を利用した。
私たちの乗ったのは「きりしま」号だった。姉妹船として「さつま」号があり、二隻で交互に運行している。
2018年に、これらの船は新造され、秋から就航している。画像は新しい船である。

さんふわわあ きりしま
新さんふらわあ きりしま
就航日 2018年9月15日
総トン数 約13,500トン
全長 192m
全幅 27m
喫水 6.8m
航海速力 23ノット
主機関 8,830kw×2基
旅客定員 709名(定員)
積載
車両数 大型トラック※
121台
乗用車 134台

いくつかの変遷を経て、目下は商船三井グループ に所属する。

掲出句の通り、大きなトラックや乗用車などを載せるために船は舷側と船尾の大口を開けているのである。
正月休みは一月三日までというところが多いので、翌四日か五日から仕事始めというところが多いだろう。

以下、一月三日を詠んだ句を引いて終る。

 籠居や三日のうちに思ふ顔・・・・・・・・石川桂郎

 静かに身を養ふに似て三日過ぐ・・・・・・・・松崎鉄之介

 三日の客羽衣舞うて失せにけり・・・・・・・・文挟夫佐恵

 水のごと一日二日三日過ぐ・・・・・・・・神蔵器

 ちりぢりに子が去り雪となる三日・・・・・・・・福田甲子雄

 山せみも川せみも来し三日かな・・・・・・・・大峯あきら

 長崎の坂動き出す三日かな・・・・・・・・有馬朗人

 三日はやもの書きといふ修羅あそび・・・・・・・・鍵和田秞子

 三日はや雲に映れる船渠(ドック)の灯・・・・・・・・藤木倶子

 風位また変り三日の船着場・・・・・・・・千田一路

 昼過ぎを立ち読みに出る三日かな・・・・・・・・坂本宮尾

 正月三日赤い実採りに山へ行く・・・・・・・・森下草城子

 たあいなく酔うて三日の過ぎにけり・・・・・・・・阿戸敏明

 広重の富士や三日の駿河湾・・・・・・・・田中きよ子

im_Silja_Symphony01シリヤ・シンフォニー
 ↑ シリヤ・シンフォニー号

ご参考までに、私がかつて乗船した北欧のバルト海のシリヤラインの船シリヤ・シンフォニー号 59900トンと比べると貧弱なのは言うまでもない。
このシリヤラインは車も乗せるが、多くの外国人を含む観光客を載せる客船としての機能が主であるから、おのずから設備が違う。
上記のリンクにアクセスしてもらえば、多くの姉妹船のことも書いてある。
もともとはフィンランドの船会社であったが、現在は、先年行ってきた、エストニア・タリンのフェリー会社が経営権を握っていて、会社名も「タリンクシリヤライン」というらしい。

これに比べて、今回利用したのは、あくまでも「フェリー」としての機能が主の船であるから、その違いは当然のことである。



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