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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(2月)月次掲示板
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東日本大震災からまもなく十年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
2009.02.28ポンポン山の福寿草
↑ 高槻ポンポン山の福寿草(藤目俊郎氏撮影)

今年も、はや二月になりました。 
「二月は逃げる」と言われて早く経ちます。

 月日は行くにまかせて微かなる身なれば過ぎゆく人も追はずに・・・・・・・・・・・・・・北沢郁子
 樹でありし時間とその後の観音としての時間といずれが長き・・・・・・・・・・・・・・・・・・三井修 
 詩の幾つ今も諳じてゐることの証とも賢治に拠りし疾歴・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 黒松武蔵
 澤地さんと同じ引揚げ同じ齢同じプラカード掲げ立つ今日・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 水野昌雄
 ひとつずつ孤立し咲ける梅の花古木の持てる力あつめて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・玉井清弘
 にんげんのもつ寂寞のかげとしも雲仰ぎたり寒の朝焼け・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 松永智子
 部屋隅に鉢に年経しゴムの木はしづかに床に古葉を落す・・・・・・・・・・・・・・・・・小林サダ子
 わさび菜の黄色の花の咲きはじめちひさなむぞか蜂が来てゐる・・・・・・・・・・・・恒成美代子
 紫に凍てし茜を統べ終えてひとり光を放ちゆく月・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 清原日出夫
 そりやぁあなたの齢にわれも達したり史の享年には十年余・・・・・・・・・・・・・・・・・・楠田立身
 「日が長くなった」と語り自転車の鍵をはずせば五時のサイレン・・・・・・・・・・・・ 藤原龍一郎
 木の芽咲け木の芽裂けよといなびかりひらめき春雷とどろきにけり・・・・・・・・・・・・萩岡良博
 それぞれの表情もてる埴輪の眼いよよ暗くて雪降り出す・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・櫟原聰
 鎮魂の時は来るらし夜のおどろ山坂はしる雪けぶりはも・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 長岡千尋
 アスファルトの割れ目割れ目に根を張りて小錦草の今年の錆朱・・・・・・・・・・・・・・ 真中朋久
 ひとつぶの種にも
あることの形にこもる意志を思えり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・武藤ゆかり
 用心の仕方がいかにも貂らしく摺り足ぎみに雪上をゆく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 久我田鶴子
 さかしまに地下線見ゆひるがへる風の背(そびら)に真裸の月・・・・・・・・・・・・・・・・・阪森郁代
 鉄を食ふ鉄バクテリア鉄の中・・・・・・・・・・・・・・・ 三橋敏雄
 冬枯や熊祭る子の蝦夷錦・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 正岡子規
 あかつきに雪降りし山神還る・・・・・・・・・・・・・・・・ 藤田湘子
 滴りてしんがりの透く氷柱かな・・・・・・・・・・・・・・・宮崎玲奈
 ふたつみつ咲き初む梅やアラビア語・・・・・・・・・・薮内小鈴
 如月の空如月の永久歯・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤井なお子
 双眼に虚無あふれしめ冬埴輪・・・・・・・・・・・・・・・藤原月彦
 春寒や子規全集の一書欠く・・・・・・・・・・・・・・・・栗田やすし
 川幅に音たちあがる雪解川・・・・・・・・・・・・・・・・・ 松岡隆子
 ヒヤシンス奈落の蓋は下にあく・・・・・・・・・・・・・・・河西志帆
 うぐひすや半紙の帯の濃紫・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・金子敦
 クロッカス眠れば記憶ちりぢりに・・・・・・・・・・・・・・折膝家鴨
 雪の夜はいとあはれなる妻の臍・・・・・・・・・・・・・・市堀玉宗
 着ぶくれて土竜の穴をのぞきこむ・・・・・・・・・・・・・杉山久子
 悴んで犬にやさしくされてをり・・・・・・・・・・・・・・・・ 津野利行
 つべこべつべこべつべこべと刻む・・・・・・・・・・・・・筒井祥文
 踏絵なほマリアの笑みを残しけり・・・・・・・・・・・・・千葉喬子
 さかさまの壺が母系にふさわしい・・・・・・・・・・・・・平岡直子
 恋猫が写楽顔して戻りけり・・・・・・・・・・・・・・・・・・西池冬扇
 下駄箱に死因AとBがある・・・・・・・・・・・・・・・・・・・飯田良祐
 パンに耳うどんに腰や冬うらら・・・・・・・・・・・・・・・千坂希妙
 舟歌に乗せるショパンじゃない右手・・・・・・・・・・・月波与生
 梅咲いて暗峠明るうす・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・塩川雄三
 爪先を辺境と思ふ霜柱・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・青島玄武 
 ストーブの近く雲母の棚の冷え・・・・・・・・・・・・・・・青本瑞季
 塞ぎたる北窓と仮面の指紋・・・・・・・・・・・・・・・・・・青山青史
 冬帽のてつぺんどうしても余る・・・・・・・・・・・・・・・・・大塚凱
 さらさらと音より乾き干若布・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・今本まり
 関節に冬日をこぼしカルテット・・・・・・・・・・・・・・加藤絵里子
 勝独楽の立ちたるままを鷲摑む・・・・・・・・・・・・・・仮屋賢一
 隣人に挨拶をする梅日和・・・・・・・・・・・・・・・・・・・北川美美
 あかあかとてのひら舞へり雪兎・・・・・・・・・・・・・・・加藤御影
 描きかけの消防車なり出動す・・・・・・・・・・・・・・・・小池康生
 括られて苦しまぎれの花舗の梅・・・・・・・・・・・・・・吉岡雅文
 忘却といふ身勝手や春の風邪・・・・・・・・・・・・・・ 吉田光政
 探梅や寄り来る猫の縞模様・・・・・・・・・・・・・・・・利普苑るな
 けふよりはびつこの黒き恋の猫・・・・・・・・・・・・・・きしゆみこ
 巫女赤く神主白く梅見頃・・・・・・・・・・・・・・・・・・ハードエッジ
 二ン月の谷や小さく鳥も見え・・・・・・・・・・・・・・・・・・・堀下翔
 サポーターたり土手一面のいぬふぐり・・・・・・・・・・青木玲子
 熊の湯は谷の深雪に五六軒・・・・・・・・・・・・・・・・前北かおる
 早梅や湯島の岡の暮れなづむ・・・・・・・・・・ ・・・・・ 杉原祐之
 冬光の膨らむほとり膝近く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・岬光世
 折紙のはじめに三角天に鶴・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 桑田佳穂
 探鳥の探梅行となりにけり・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤原千賀子
 交代の守衛の背中冬ざるる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・森紀子
 月欠けてレノンは呼んでいるレノン・・・・・・・・・・・・・ 岩根彰子
 農道をひたひた歩き春遠し・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木牛後


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むめがかや昼寝の猫の耳立てて・・・高島征夫
「のろ」誌

hana565_1_ume紅梅

──高島征夫の句より──2009/04/20
 
        むめがかや昼寝の猫の耳立てて・・・・・・・・・・・・高島征夫

「むめ」は「梅」のことである。蕪村の句などにも、こういう用法がある。
高島征夫氏から、まとめて新作を送ってもらったことがある。
これらは、その中から季節の句を引っ張りだしたものである。
海辺で詠んだ句などが見られるが、征夫氏は心臓に持病を抱えておられたらしく、鎌倉の海辺に仮寓を構えておられたらしい。
以下の句の中で、私が惹かれたものに★を打っておいた。

    わかわかし沖の大波春の余波

    佐保姫の裳裾きらめき沖に立つ

    雪起こしとぞ咲けるなり春の海

    春雨もいまだし風の寒かりき

    むめがかや昼寝の猫の耳立てて

    シベリアの春は遠かり月の牙

   ★朧月グラプトペタルムといふは何

    不思議なる春の浅きにラベンダー咲く

    旅芸人雨の椿をみつめをり

    小鬼らが嬉しさうなり仏の座  (「獐のろ」誌2005年5月号所収)

    ぬきんでて雨に山茱萸ひかるかな

   ★啄める福良雀よ春まだし

    2009・02・28

   ★水仙の透きとほるなり海眼下  (「獐のろ」誌2005年4月号所収「百句」より)

    不作なる年もありけり若布刈る

   ★沈丁花書かねばならぬ結び文  (「獐のろ」誌2005年4月号「百句」初出句改案)

    啓蟄や朝陽あふぎつ出でて来い

   ★春潮や犬総身の武者震ひ  (2007年3月12日)

    ヒヤシンス海の色なる少年愛

    航跡の白さすぐ消ゆ春の海  (「獐のろ」誌1993年5月号所収)

    ミモザとかアカシアとかフランス花祭

   ★ときどきはポコと音たて春の水  (「獐のろ」誌2005年5月号所収)

    仮想空間伝搬春の朧かな

    治にあれば乱とぞ鳶春の潮

    脳内の電位の波よ春の波

    兄と共荷車押せる春あらし  (「獐のろ」誌1999年5月号所収)

    ねはんにし浮世に近く波に乗る

    人知れず咲きにし思ふ花杏

   ★春は曙血圧計をしかと見る  (2009年3月14日「獐のろ」句会出句

    吹かれつつぺダルは重し花辛夷  (「獐のろ」誌2003年5月号所収)

    クレソンの花はたまさか野に遊ぶ



日にちから風にちからや牡丹の芽・・・大嶽青児
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     日にちから風にちからや牡丹の芽・・・・・・・・・・・・・・・・大嶽青児

牡丹の花は四月から六月にかけて咲くが、牡丹の芽は例年だと一月下旬から二月中旬には芽を出すようになる。
この頃には色々の木や草が芽吹いてくる。
牡丹はキンポウゲ科の落葉低木で中国原産だが、たいへん寒さには強く、晩冬、早春の今の時期に芽を覗かせる。
まだ辺りが枯れ一色の中に、その赤みがかった明るい芽は印象的であり、一種の潔さを感じさせる。

写真①のような芽は、三月頃に成長した芽らしい芽になったものである。

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今の時期では、まだ芽が出始めたもので、せいぜい写真②の程度である。↑

「起てば芍薬、坐れば牡丹・・・」という譬えがある通り、日本でも豪華な花とされるが、中国では古来、牡丹の花が国を代表するものとして珍重される。
写真①と写真②との間に

    折鶴のごとくたためる牡丹の芽・・・・・・・・・山口青邨

というような時期があるのであるが、写真③のような芽である。↓
35753092_v1291497006牡丹の芽

俳句の世界では、「春先の、その逞しい炎のような芽の勢い」を賞するのである。
いわば春の勢いの象徴とも言えよう。
以下、牡丹の芽を詠んだ句を引いて終わる。

 牡丹の芽或ひと日より伸びに伸ぶ・・・・・・・・菅裸馬

 ゆるがせにあるとは見えぬ牡丹の芽・・・・・・・・後藤夜半

 牡丹の芽ほぐるるは刻かけて待つ・・・・・・・・安住敦

 牡丹の芽当麻の塔の影とありぬ・・・・・・・・水原秋桜子

 牡丹の芽一つ二つを雪つつむ・・・・・・・・山口青邨

 咲かねばならず待たねばならず牡丹の芽・・・・・・・・加藤楸邨

 牡丹の芽萌えむとすなりひたに見む・・・・・・・・加藤楸邨

 牡丹の芽すでに紅糸をほぐしたる・・・・・・・・安住敦

 ゆつくりと光が通る牡丹の芽・・・・・・・・能村登四郎

 うごくかと思ひ見てゐる牡丹の芽・・・・・・・・斎藤玄

 人ごゑの遠巻きにして牡丹の芽・・・・・・・・岸田稚魚

 牡丹の芽青ざめながらほぐれけり・・・・・・・・加藤三七子

 よろこびのきわまるときの牡丹の芽・・・・・・・・高橋沐石

 南面の仏の視座に牡丹の芽・・・・・・・・北沢瑞史

 牡丹の芽まだ火の匂ひなかりけり・・・・・・・・坂本俊子

 むきだしの力を見せて牡丹の芽・・・・・・・・青柳照葉

そして五月になれば ↓ のような見事な牡丹の花ざかりとなるのである。

botan142牡丹



詩に痩せて二月渚をゆくはわたし・・・三橋鷹女
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       詩に痩せて二月渚をゆくはわたし・・・・・・・・・・・・・・・・三橋鷹女

もう二月も終わりに近づいてきたので「二月」「如月」「余寒」「冴え返る」などの季語に因む記事を急いで書くことにする。
二月とか如月とかを映像で示すのは、どうしてよいか判らない。
そこで写真には「冬の渚─砂浜に残る人の足跡」を掲出することにした。

掲出した三橋鷹女の句は、季語として二月という言葉はあるけれども、極めて観念的な句で、そこがまた、類句を超えていると思って出してみた。
「詩に痩せて」というところなど、今の私のことを言っているのではないか、とドキリとした。

 うすじろくのべたる小田の二月雪・・・・・・・・松村蒼石

 竹林の月の奥より二月来る・・・・・・・・飯田龍太

 雪原の靄に日が溶け二月尽・・・・・・・・相馬遷子

 枯れ伏せるもののひかりの二月かな・・・・・・・・遠藤悠紀

 山彦にも毀れるひかり二月の樹・・・・・・・・速水直子

 二月果つ虚空に鳩の銀の渦・・・・・・・・塚原岬

「二月」という季語を使った句を挙げてみた。
「如月」というのは陰暦の二月のことであるから、陽暦では二月末から三月に入るだろう。
「衣更着」の字を宛てるのは、寒さが戻って衣を更に着るからで、「きぬさらぎ」を誤って「きさらぎ」と使ったのだという。
したがって、この言葉は「余寒」のあることを念頭に置いて使うべきだという。

 きさらぎのふりつむ雪をまのあたり・・・・・・・・久保田万太郎

 如月や十字の墓も倶会一処(くゑいつしよ)・・・・・・・・川端茅舎

 きさらぎの水のほとりを時流れ・・・・・・・・・野見山朱鳥

 きさらぎやうしほのごとき街の音・・・・・・・・青木建

 きさらぎは薄闇を去る眼のごとし・・・・・・・・飯田龍太

二十四節気あるいは季語の上では「立春」以後は「春」である。
だから、立春以後、まだ残る寒さを「余寒」という。「冴え返る」という季語も、そういう時に使う。
「春寒」という季語と違うのは、力点が残る寒さの方にあるのである。

 鎌倉を驚かしたる余寒あり・・・・・・・・高浜虚子

 鯉こくや夜はまだ寒千曲川・・・・・・・・森澄雄

 余寒晴卵を割つて濁りなし・・・・・・・・青柳菁々

二月の終わりを「二月尽」という。この「尽」というのは毎月の終わりの日に使える。
もうすぐ三月だという季節感が盛られている季語である。

 ちらちらと空を梅ちり二月尽・・・・・・・・原石鼎

 束の間のかげろふ立てば二月尽・・・・・・・・森澄雄

 風邪の眼に雪嶺ゆらぐ二月尽・・・・・・・・相馬遷子

 よべの雨に家々ぬれて二月尽・・・・・・・・内田百閒



芝点の茶事の華やぎ思ひをり梅さき初むる如月の丘・・・木村草弥
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      芝点(しばたて)の茶事の華やぎ思ひをり
            梅さき初むる如月の丘・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るもので、自選にも採っているのでWeb上のHPでもご覧いただける。

掲出の写真は野外で茶をたてる時に使う「野点(のだて)セット」というもので、この携帯用のものの中に茶をたてる最低必要なものが入っている。
「芝点」と称して芝に毛氈を敷いて茶会をやる時には、もう少し道具類を用意するのが普通である。
寒い風の吹く季節をやり過ごして、うららかな春になると、家の中ではなく、野外に出て「野点(のだて)」をやりたくなる。芝生の上でやるのが「芝点(しばたて)」である。
「芝点」では「旅箪笥」などを使って茶を点てるのが普通である。
その由来についてWEB上では、次のような記事が出ているので貼り付けておく。

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<旅箪笥(写真②)は桐木地・ケンドン扉・鉄金具の鍵付きの小棚で、小田原出陣の折、陣中にて茶を点てる為に、利休居士により創案されたものだそうです。
道具を中にしまって背中にしょって出掛けたのでしょうか。

旅箪笥を使って「芝点て」の稽古です。
準備は地板に水差しを、2枚ある棚板の下方に棗と茶碗を飾り、上方の棚の左端の切り込みに柄杓を掛け、柄杓の柄の元に蓋置を飾り、ケンドン扉を閉めます。
建水だけを持ち手前座に入り、扉を開け(この開け方もなめらかに静かに行います)道具を取り出しお茶を点てるのですが、棚板の1枚を抜き出し、
その上に棗・茶筅を置く「芝点て」は、花見時の野点の光景が目に浮かぶ様な気がします。その雰囲気を楽しむ為か旅箪笥はよく釣り釜とあわせられるそうです。
特に季節を選ぶ棚ではないと言われますが、その風情から早春~春に用いられることが多いそうです。風炉との取り合わせはないそうです。>
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上の記事にあるように、本来は野外で点てるのを、後世になると、「芝点」と称して家の中でお点前をするようになったものであり、ここまで来ると、「先ず茶道の作法ありき」という気がして嫌である。
私が「芝点」というのは文字通りの芝生の上での野点である。
私の歌は、梅が咲き初めた如月の丘に居て、もうしばらくすると芝点の時期がやって来る、楽しみだなあ、という感慨である。

以下、掲出の歌につづく一連の歌を下に引いて、ご覧に入れる。

      野 点

   芝点の茶事の華やぎ思ひをり梅さき初むる如月の丘・・・・・・・・・・木村草弥

   毛氈に揃ふ双膝肉づきて目に眩しかり春の野点は

   野遊びの緋の毛氈にかいま見し脛(はぎ)の白さよ無明(むみやう)のうつつ

   香に立ちて黒楽の碗に満ちてゐる蒼き茶の彩(いろ)わが腑を洗へ




冷えまさる如月の今宵「夜咄の茶事」と名づけて我ら寛ぐ・・・木村草弥
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    冷えまさる如月の今宵
       「夜咄(よばなし)の茶事」と名づけて我ら寛ぐ・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るもので、「夜咄の茶事」という11首からなる一連のはじめの歌である。
WebのHPでも自選に採っているので、ご覧いただける。

「夜咄の茶事」というのは伝統的な茶道の行事で、作法としても結構むつかしいものだが、私たちは、歌にも「寛ぐ」と書いたように略式にして楽しんだものである。
千利休などが茶道の基礎を固めはじめた頃は、茶道は、もっと融通無碍の自由なものであった。
それが代々宗匠の手を経るに従って、それらの形式が「教条主義」に陥ってしまった。
そういう茶道界の内実を知る私たちとしては、そういう縛りから自らを解放して、もっと自由な茶道をめざしたいと考えた。
だから先人にならって「番茶道」を提唱したりした。
利休語録として有名な言葉だが、

  「茶の湯とはただに湯を沸かし茶をたてて心静かにのむばかりなる」

というのが、ある。これは、まさに先に私が書いた利休の茶道の原点なのである。

この「夜咄の茶事」の一連は、私にとっても自信と愛着のあるものなので、ここに引用しておく。

     夜咄の茶事・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

   冷えまさる如月の今宵「夜咄の茶事」と名づけて我ら寛ぐ

   風化せる恭仁(くに)の古材は杉の戸に波をゑがけり旧(ふる)き泉川

   年ごとに替る干支の香合の数多くなり歳月つもる

   雑念を払ふしじまの風のむた雪虫ひとつ宙にかがやく
   
   釜の湯のちんちんと鳴る頃あひの湯を注ぐとき茶の香り立つ

   緑青のふきたる銅(あか)の水指にたたへる水はきさらぎの彩(いろ)

   恭仁京の宮の辺りに敷かれゐし塼(せん)もて風炉の敷瓦とす

   アユタヤのチアン王女を思はしむ鈍き光の南鐐(シヤム)の建水

   呉須の器の藍濃き膚(はだへ)ほてらせて葩餅(はなびらもち)はくれなゐの色

   釉薬の白くかかりて一碗はたつぷりと掌(て)に余りてをりぬ

   手捻りの稚拙のかたちほほ笑まし茶盌の銘は「亞土」とありて


渦巻ける髭と春くる郵便夫・・・高島征夫
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↑ ゴッホ、郵便配達夫ルーラン
  
       渦巻ける髭と春くる郵便夫・・・・・・・・・・・・・高島征夫

この句を載せたら、作者がさっそくご覧いただいて、この句にまつわる「自句自註」を知らせていただいた。
それを下記する。

 【この句は『獐』(一九九四年三月号)に載っているからその年の立春頃の作である。十年前(2004年現在)の作品ということになる。
この句を一読、誰でも「ゴッホ」を連想するかもしれない。事実、「ゴッホの絵に、郵便配達夫ルーランがある。
碧い鳥打帽をかぶって、青い服を着て正面を向く顔中髯だらけのような彼は、威厳すら感じられる。これを人は髯のルーランと呼んで親しんでいる。
渦巻ける髯はゴッホの描く麦畑でもあり、糸杉でもある。髯の郵便夫が春を呼んでいるようでもある。」という撰評を師・高島茂から貰った。
 出来上がったものはすでに作者の手を離れているから、こういうことを言うべきではないのだろうが、正直なところ、作者はこの時、それをまったく意識していなかったのである。
 そういう意味で思い出の深い句となった。】
(自註:『獐』2004年4月号「150号記念特集」のための草稿より)
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この記事は、2009/04/19付で載せた「高島征夫自選百句2005」という旧記事の一部である。
高島征夫氏とはネット・サーフィンの際に知り合い、私の第一詩集『免疫系』(角川書店刊)の出版の打ち合わせのために上京したとき、お父上・高島茂ゆかりの新宿の酒場「ぼるが」で友人たちと歓談したときはじめて会った。
その征夫氏も亡くなられて久しい。
ようやく春めいてきたので、この句を思い出して、出してみた。





  
春浅き耳洗ふとき音聴こゆ・・・林 桂
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      春浅き耳洗ふとき音聴こゆ・・・・・・・・・・・・・・・林 桂

「春浅き耳」を「洗う」という言葉の捉え方が何とも独特で、快い。

私の歌に

    さらさらとまたさらさらと崩れゆく砂の粒粒春をふふめり・・・・・・・・・・木村草弥

というのがある。
この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
「風二月」という言葉があるように、二月も半ばを越すと季節は確実に春に向かって進んでゆく。
二十四節気に「雨水」というのがあり、先日二月十八日がそうだった。
雨水」とは、これからは一雨ごとに春に向かってゆくという意味の節気である。

私は子供の頃から内向的な性格で、砂や虫をじっと見ているというようなことが多かった。
もっと季節が進んで暖かくなると、家の縁側の下の砂地に、すり鉢形の「蟻地獄」があったりした。
これは「ウスバカゲロウ」の幼虫が、このすり鉢形の砂の斜面に蟻などの虫が差し掛かると、下から砂をさらさらと掻いて、すり鉢の底に引きずり込んでパクリと頂戴するという仕掛けである。
そんなのを、何するというのでもなく、また昆虫少年というのでもなく、ただ、じっと見つめていたものである。
ただ、今の季節では、そういう光景には早く、さらさらと崩れてゆく砂の粒粒に春の足音を私は、見たのであった。
「ふふむ」というのは「含む」の動詞の古い形である。
この歌のつづきに

   如月に幽(かす)かに水を欲るらむか祖(おや)ねむる地に雪うすらつむ・・・・・・・・・木村草弥

という歌が載っているが、この歌のように二月には雪の降る日もあるが相対的に雨は少ない時期であり、
先祖の眠る墓地に、うっすらと雪が積もる様が、祖先が水を欲しがっているかのようである、という歌である。
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掲出した写真は鳥取砂丘の砂浜のもの。かすかに「風紋」が見える。

寒さの中にも「春」が動いている様子を表す句を引いてみたい。

 春立ちてまだ九日の野山かな・・・・・・・・・・松尾芭蕉

 われら一夜大いに飲めば寒明けぬ・・・・・・・・・・石田波郷

 ブローニュに怒涛のごとく春来たる・・・・・・・・・・本井英

 渦巻ける髭と春くる郵便夫・・・・・・・・・・高島征夫

 立春の樹幹の水を聴きにゆく・・・・・・・・・・山本千舟

 立春へ笛吹きケトルのファンファーレ・・・・・・・・・・北川逸子

 白き皿に絵の具を溶けば春浅し・・・・・・・・・・夏目漱石

 空も星もさみどり月夜春めきぬ・・・・・・・・・・渡辺水巴

 春めくと百済観音すくと立ち・・・・・・・・・・和田悟朗

 バラ窓の真中に聖母春きざす・・・・・・・・・・福谷俊子

 春めくや波は光を巻きこみて・・・・・・・・・・飯尾婦美代

 兵馬俑軍団無言春寒し・・・・・・・・・・磯直道

 蓋開けて電池直列春寒し・・・・・・・・・・奥坂まや

 春めくや足の裏なる歩き神・・・・・・・・・・泉紫像

 うりずんのたてがみ青くあおく梳く・・・・・・・・・・岸本マチ子

 うりずん南風がじゆまる太き根を垂るる・・・・・・・・・・三原清暁

 美しき奈良の菓子より春兆す・・・・・・・・・・殿村莵絲子

 
地の意思を空に刻みて冬木立つ・・・馬場駿吉
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      地の意思を空に刻みて冬木立つ・・・・・・・・・・・・・・馬場駿吉

この馬場駿吉の句をコラージュとして借用して、私は
   
   <地の意思を空に刻みて冬木立つ>男ごころと言ふべし 冬木・・・・・・・・・・・木村草弥
                     *馬場駿吉

という歌を作ったことがある。もちろんコラージュであることを示すために *馬場駿吉 と明記してある。
馬場は名古屋市立大学病院の教授で医師であったが今は名誉教授で耳鼻科を専攻した、前衛的な俳句作者としても著名な人である。
馬場の句は「地の意思」を「空に刻み」という立体的な句作りが独特である。
このような他人の作品を、歌なり句なり詩の中などに取り込むのを「コラージュ」という。

私の歌も、それを採用している。
この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るもので、「阿音の形而上学」という13首からなる一連の中の一首である。
冬のきびしい空気の中に立つ冬木に「男ごころ」を読み取ったというのである。

「冬木」という冬の季語には、冬の間の、息をひそめたような木々を表わすものがあるのである。
以下、少し冬木の句を引いて終りたい。

 大空にのび傾ける冬木かな・・・・・・・・高浜虚子

 冬木中一本道を通りけり・・・・・・・・臼田亞浪

 夢に見れば死もなつかしや冬木風・・・・・・・・富田木歩

 つなぎやれば馬も冬木のしづけさに・・・・・・・・大野林火

 その冬木誰も瞶めては去りぬ・・・・・・・・加藤楸邨

 わが凭れる冬木ぞ空の真中指す・・・・・・・・八木絵馬

 みちのくの夕日あまねき冬木かな・・・・・・・・五所平之助

 猫下りて次第にくらくなる冬木・・・・・・・・佐藤鬼房

 冬木伐り倒すを他の樹が囲む・・・・・・・・武藤不二彦

 大冬木鹿の瞳何にうるほふや・・・・・・・・松野静子

 冬木の手剪られ切り口鮮しき・・・・・・・・稲垣きくの


水仙の香や一睡の夢の後・・・高橋謙次郎
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      水仙の香や一睡の夢の後・・・・・・・・・・・・・・高橋謙次郎

「水仙」はいろいろの品種があるが、日本水仙は12月頃から咲きはじめて、春先まで息の長いものである。
『山の井』に「霜枯れの草の中に、いさぎよく咲き出でたるを、菊より末の弟ともてはやし、雪の花に見まがひて」云々とあるのも、簡潔にして要を得た水仙の紹介である。
写真②は黄水仙である。

narsissus黄水仙

わが家の庭の一角にも1月中ごろから日本水仙が咲きはじめ、今も寒風の中に、けなげに咲いている。
水仙の集団的な自生地としては、越前海岸や淡路島南端などが有名で、観光バスを連ねて見物に大勢が来る。
水仙の球根は植えっぱなしでよく、変にいじくらない方がよい。数年に一度くらい掘りあげて植えなおしする程度でよい。
夏になると、地上部の葉は、すっかりなくなり、他の植物の陰に隠れてしまうが、寒くなると葉が地上に出てくる。
水仙は学名を Narissus というが、これはギリシア神話で美少年ナルシッサスが水面に映るわが姿に見とれ、そのまま花になってしまったのが水仙だという。
自己陶酔する人を「ナルシスト」というのも、これに由来する。
なお「水仙の隠喩」というのがあるので、「シンボル・イメージ」の世界では、こういう象徴的な捉え方をするので、参照してもらいたい。 

 水仙や白き障子のとも映り・・・・・・・・松尾芭蕉

 水仙に狐遊ぶや宵月夜・・・・・・・・与謝蕪村

のような古句があるが、この両句は、ともに水仙をじかに見て詠んだのではなく、「障子」を通して、障子に映る影からの印象を句にしている。
何分、水仙の咲く頃は厳寒だから、それも当然であろうか。

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以下、水仙の句を少し引いておく。

 水仙を剣のごとく活けし庵・・・・・・・・山口青邨

 海明り障子のうちの水仙花・・・・・・・・吉川英治

 水仙花紙に干しある餅あられ・・・・・・・・滝井孝作

 水仙や古鏡の如く花をかかぐ・・・・・・・・松本たかし

 水仙花三年病めども我等若し・・・・・・・・石田波郷

 水仙花眼にて安死を希はれ居り・・・・・・・・平畑静塔

 水仙の花のうしろの蕾かな・・・・・・・・星野立子

 水仙や捨てて嵩なす蟹の甲・・・・・・・・大島民郎

 水仙や老いては鶴のごと痩せたし・・・・・・・・猿橋統流子

 水仙花死に急ぐなと母の声・・・・・・・・古賀まり子

 牛追ふや磯水仙を手にしつつ・・・・・・・・山田孝子

 水仙やカンテラに似て灯はともり・・・・・・・・飴山実

 水仙のりりと真白し身のほとり・・・・・・・・橋本多佳子

 水仙の吾を肯へり熟睡せむ・・・・・・・・石田波郷

 水仙や時計のねぢをきりきり巻く・・・・・・・・細見綾子

 水仙やたまらず老いし膝がしら・・・・・・・・小林康治

 水仙のしづけさをいまおのれとす・・・・・・・・森澄雄

 抱かねば水仙の揺れやまざるよ・・・・・・・・岡本眸

 水仙は一本が佳しまして予後・・・・・・・・鈴木鷹夫

 奪ひ得ぬ夫婦の恋や水仙花・・・・・・・・中村草田男

 水仙は八重より一重孤に徹す・・・・・・・・西嶋あさ子

 水仙花私淑は告ぐることならず・・・・・・・・山田諒子

 水仙の切り口に夜の鮮しき・・・・・・・・野崎ゆり香

 日の果てに水仙立ち止れば岬・・・・・・・・吉田透思朗



小西亘『詩歌とめぐる 南山城・月ケ瀬』・・・木村草弥
小西①_NEW 
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↑ 「帯」裏 この本に書かれる項目が一覧で見られる

──新・読書ノート──

      小西亘『詩歌とめぐる 南山城・月ケ瀬』・・・・・・・・・・・木村草弥 
               ・・・・・・・「澪標」2021/03/03刊・・・・・・・・    

この本が贈呈されてきた。
敬愛する小西先生の労作である。ご上梓おめでとうございます。
先ず、今までの著書を一覧しておく。
1996年 『注釈青谷絶景』 (発行企画世話人会)
2004年 『月ケ瀬と斎藤拙堂』 (月ケ瀬村教育委員会・共著)
2012年 『青谷梅林文学散歩』 (城陽市観光協会)
2012年 『「月瀬記勝」梅渓遊記』 (「梅の月ケ瀬へ」編集委員会)
2013年 『相楽歴史散歩』 (山城ライオンズクラブ・共著)
2019年 『宇治の文学碑を歩く』 (澪標)

ここに挙げた本の中で、かつて私のブログに書いたものがある。 ↓
『青谷梅林文学散歩』 ← リンクになっているので読んでみてください。
『宇治の文学碑を歩く』       〃
また、小西氏は南山城の名士であられて、あちこちに文章を書いたり、講演したりなさっている。
その中で、下記 ↓
JA京都やましろ「やましろ探訪」南山城文学散歩⑪」の記事を見かけたので、読んでみてほしい。全部で⑫のシリーズものである。
赤字の部分は「リンク」になっているので、クリックして読んでください。

さて、本書のことである。 一見して「固い本」だなという印象である。
書かれる内容は図版②に出した「帯」裏 のようになっている。
私のような「感覚的な」人間の書くものと違って、理詰めの学術的な本である。
ここで、この本に同梱されてきた著者の挨拶文を貼り付けておく。      
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ここにも書かれているように、著者も、そのことは判っているようである。
私は最近「ものぐさ」に陥ってしまい、他人の文章を書き写すのがツライので、こうしてズボラをして「画像」としてお見せする始末である。お許しを。
     
ここでは、私の住む「青谷」に因んだ 「二、上田三四二 青谷梅林」に触れてみたい。

   満ちみちて梅咲ける野の見えわたる高丘は吹く風が匂ひつ    上田三四二

上田三四二の第一歌集『黙契』(昭和三十年刊)の歌である。
小西さんは、この「高丘」が当地の国立京都療養所(現・国立南京都病院)から見える「天山」てんやま、だとされる。
平成十四年にJR奈良線「山城青谷」駅前広場の一角に、この歌の歌碑が建てられた。
この世話をされた人々の中の幾人かと私は知り合いであり、短歌会でもご一緒したが、とかく世間の付き合いというのは難しく、主導されたK氏の金銭的なズサンさなどもあり、その人らとは私は深くは付き合わなかった。
もともと青谷には駅はなかった。村の人々は「長池」駅まで歩いていたのである。
梅の咲く時期のみ「臨時停車場」が設けられていたのだが、梅林保勝会などの運動で昭和八年に常設の「山城青谷」駅が開設されたのである。
駅のすぐ近くには「製材所」があり、そこを詠った三四二の歌もある。この製材所は今も盛業中である。
病院の官舎に住んでいた三四二が出かける時には一本道だから、必ず、この横を通って駅に行ったのだった。
三四二の本も何冊かあったのだが、蔵書整理をしたので今は私の手元には無い。
三四二については、このブログにも書いた。  → 「ちる花は」。リンクになっているのでお読みください。

この本には資料として『青谷小学校百年誌』のことに触れられているが、この本を編集した人A氏も独断専行の人で、私は意識して関わらなかった。
余計なことに終始したかも知れない。
読書好きの人間には興味深い本で、知らないことが一杯載っている。折々に繙いて読むことになるだろう。
多くの方々の閲覧をお願いしたい、と思う。 ご恵贈有難うございました。      (完)






亡き友も五指に余るや牡蠣すする・・・本多静江
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    亡き友も五指に余るや牡蠣すする・・・・・・・・・・・・・・本多静江

冬の季節には「牡蠣」(かき)が美味なるものの一つである。
写真①は「焼き牡蠣」である。

フランス人も牡蠣をよく食べることは知られている。
Web上で見つけた「フランス落書き帳」というサイトによると、ボルドー(正確にはアルカッション)の牡蠣生産は有名らしい。
フランス国内需要の元になるチビ牡蠣の約70%を供給しているという。

a0008105_19524フランス牡蠣
↑ 写真②の、牡蠣9個、白ワイン、パン、海を見ながらのロケーションを含めて6ユーロ(約1000円)くらいだという。
(もっとも、これは産地で食べる値段であって、パリのそこそこの店で食べたら20ユーロ以上取られるらしい)
日本でも酢牡蠣にして食べるが、フランスでは生牡蠣にレモンをしぼって食べる。
また、この地方では焼いたソーセージと一緒に食べることも多いと言い、その場合は赤ワインとともに賞味するらしい。
私はオランダで「ムール貝」を食べたことがあるが、フランスで「牡蠣」を生食したことはない。

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↑ 写真③は「牡蠣フライ」だが、外食しても、家庭でも、この牡蠣フライが一番ポピュラーではないかと思う。
牡蠣は「海のミルク」と表現されるように、栄養素を豊富に含んでいる。出来れば、海の汚染されていない、きれいな海の産地のものが望ましいだろう。
写真①に載せた「焼き牡蠣」は適当に水分が飛んで、しかも海水のほのかな塩気が食欲をそそる。
先年の1月下旬に安芸の宮島に遊んだが、そこで「焼き牡蠣」を食べた。
目の前で網で焼いてくれて熱々を食べる。ふーふー言いながらの美味で2個で400円だった。

写真には載せないが土鍋での水炊きもおいしいものである。冬の季節には暖かい鍋物は、体が温まって、ほっこりした気分になる。
妻が元気な時は、家でも、よく食べたが、妻が亡くなった今では鍋物はほとんど姿を消した。

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↑ 写真④は牡蠣とホーレン草のクリームパスタである。
このように和風、洋風さまざまに料理は工夫できよう。今は年代によって料理の好みもさまざまであるから、ある料理法に固執する必要はないのである。
年配者向きには、牡蠣の使い残りで「牡蠣のしぐれ煮」なども喜ばれる。ご飯が少し余った時など、こんな佃煮も重宝なものである。
牡蠣雑炊なども水炊きの後のエキスの入った汁の活用として、おいしくいただける。
何だか、料理番組みたいになってしまったが、冬の味覚として私の大好きな食品である。

以下、牡蠣を詠んだ句を少し引いて終りたい。

 牡蠣はかる水の寒さや枡の中・・・・・・・・高浜虚子

 牡蠣鍋の葱の切つ先そろひけり・・・・・・・・水原秋桜子

 牡蠣の酢に和解の心曇るなり・・・・・・・・石田波郷

 だまり食ふひとりの夕餉牡蠣をあまさず・・・・・・・・・加藤楸邨

 牡蠣むきの殻投げおとす音ばかり・・・・・・・・中村汀女

 灯の下に牡蠣喰ふ都遠く来て・・・・・・・・角川源義

 母病めば牡蠣に冷たき海の香す・・・・・・・・野沢節子

 牡蠣好きの母なく妻と食ひをり・・・・・・・・杉山岳陽

 牡蠣そだつ静かに剛き湾の月・・・・・・・・柴田白葉女

 夕潮の静かに疾し牡蠣筏・・・・・・・・打出綾子

 牡蠣殻が光る鴉の散歩道・・・・・・・・藤井亘


赭土の坂をのぼれば梅の香はすがすがしかり肺を満たして・・・木村草弥
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   赭(あか)土の坂をのぼれば梅の香は
         すがすがしかり肺を満たして・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
私の住む「青谷」という所は鎌倉時代からの梅の名所である。
今では「城州白」という品種の梅が「梅酒」の原料としてピカ一であるとかで珍重されているらしい。
「梅」の歌は、私はいくつも作ったし、BLOGにも再三載せてきた。
特に2月19日は私たちの長姉・登志子の死んだ日であり、このこともBLOGに書いたことがある。

梅の花は、その香気と花の姿が万葉集の頃から愛でられた。その頃は「花」と言えば梅のことであった。
桜が花の代表のようになるのは「古今和歌集」になってからである。
それに、梅の花は花期が長く、桜のように、わっと咲いて、わっと散ることはないから趣がある。
私は梅の名所に住んでいるから言うのではなく、梅の方が好きである。

hana565_1_ume紅梅

紅梅は白梅よりも花の開花がやや遅いのが普通である。
濃艶な感じがする。
尾形光琳の「紅白梅図」の絵の紅梅、白梅の対照の美しさが思い出される。

梅の花は古典俳句にもたくさん作られてきた。

 梅が香にのつと日の出る山路かな・・・・・・・・松尾芭蕉

 むめ一輪一りんほどのあたたかさ・・・・・・・・服部嵐雪

 二もとの梅に遅速を愛すかな・・・・・・・・・与謝蕪村

などの句が、それである。
その香気、春を告げる開花の時期に、句眼がおかれている。
以下、梅を詠んだ句を引いて終わる。

 山川のとどろく梅を手折るかな・・・・・・・・飯田蛇笏

 梅一枝つらぬく闇に雨はげし・・・・・・・・水原秋桜子

 勇気こそ地の塩なれや梅真白・・・・・・・・中村草田男

 悲しめば鱗のごとく梅散りしく・・・・・・・・原コウ子

 梅も一枝死者の仰臥の正しさよ・・・・・・・・石田波郷

 てのひらを添え白梅の蕾検る・・・・・・・・大野林火

 梅白しまことに白く新しく・・・・・・・・・星野立子

 梅が香に襲はれもする縋られも・・・・・・・・相生垣瓜人

 梅咲けば父の忌散れば母の忌で・・・・・・・・安住敦

 梅挿すやきのふは酒のありし壜に・・・・・・・・石川桂郎

 梅二月ひかりは風とともにあり・・・・・・・・西島麦南

 静けさのどこか揺れゐて梅白し・・・・・・・・鷲谷七菜子

 月光に花梅の紅触るるらし・・・・・・・・飯田蛇笏

 うすきうすきうす紅梅によりそひぬ・・・・・・・・池内友次郎

 紅梅に雪かむさりて晴れにけり・・・・・・・・松本長

 伊豆の海や紅梅の上に波ながれ・・・・・・・・水原秋桜子

 一本の紅梅を愛で年を経たり・・・・・・・・・山口青邨

 紅梅の燃えたつてをり風の中・・・・・・・・松本たかし

 紅梅や熱はしづかに身にまとふ・・・・・・・・中村汀女

 梅紅し雪後の落暉きえてなほ・・・・・・・・西島麦南

 厄介や紅梅の咲き満ちたるは・・・・・・・・永田耕衣

 紅梅や一人娘にして凛と・・・・・・・・上野泰

 白梅のあと紅梅の深空あり・・・・・・・・・飯田龍太

 紅梅の紅のただよふ中に入る・・・・・・・・吉野義子

 紅梅の天死際はひとりがよし・・・・・・・・古賀まり子



凍蝶の越えむ築地か高からぬ・・・相生垣瓜人
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──京の冬の庭の句いくつか──

   ■凍蝶の越えむ築地か高からぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・相生垣瓜人

「凍蝶」については何度も書いた。最近にも載せたが、成虫のまま冬を越す蝶のことである。
写真①のムラサキシジミも、成虫のまま越冬することが知られている本州に棲む蝶である。
「築地」とは築地塀とも言うが、泥土を固めて作った塀で上に瓦を乗せてある。
京都の寺院の塀などは、みな築地造りである。
この句は、冬の季節の今、そんな築地を眺めながら、「凍蝶は、この庭のどこかで越冬しながら春を待ちこがねて、やがて春になれば、
この高くはない築地を越えてゆくのだろう」と思いをめぐらしているのである。
しみじみとした情趣のある句である。

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   ■如月の水にひとひら金閣寺・・・・・・・・・・・・・・・川崎展宏

俳句は17字と短いので語句を省略することが多い。この句も「ひとひら」ということについては何も書いてない。
この句の場合、「ひとひら」というのが、今の季節の梅の花びらが浮いているのか、あるいは水に映る金閣を花に譬えて「ひとひら」と言ったのか、
読者にさまざまに想像させる言外の効果をもたらすだろう。
何もかも言い切ってしまった句よりも、「言いさし」の句の方が趣があるというものである。

   春雪や金閣金を恣(ほしいまま)・・・・・・・・松根東洋城

   池にうつる衣笠寒くしぐれけり・・・・・・・・・名和三幹竹

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   ■寒庭に在る石更に省くべし・・・・・・・・・・・・・・・・・山口誓子

   梅天やさびしさ極む心の石・・・・・・・・・・中村汀女

   みな底の余寒に跼み夕送る・・・・・・・・・宮武寒々

これらの句は龍安寺で詠まれたものである。
写真③には雪の石庭を出してみた。
掲出の誓子の句は「石更に省くべし」という大胆なことを言っている。
この寺は臨済宗妙心寺派の古刹だが、応仁の乱の東軍の大将・細川勝元が創建したが応仁の乱で消失し、勝元の子・政元が再興したが
寛政9年(1797)の火災で方丈、仏殿、開山堂などを失い、現在の方丈は、西源院の方丈を移築したものという。
因みに、最初に掲出した相生垣瓜人の句は、ここ龍安寺で詠まれたものである。

kakura-nisonin35w愛新覚羅浩(嵯峨)家

  ■僧も出て焼かるる芝や二尊院・・・・・・・・・・・・・・・・五十嵐播水

   雪解(ゆきげ)水ここだ溢れて二尊院・・・・・・・・・波多野爽波

二尊院は嵯峨野の西の小倉山の山懐にある。
ここには正親町三条を源とする「嵯峨」家30代にわたる菩提寺で、写真④に掲出する嵯峨家の墓がある。
愛新覚羅浩という、元の満州国皇帝の弟に嫁いだ浩は嵯峨家の出身である。

    からくにと大和のくにがむすばれて永久に幸あれ千代に八千代に

昭和53年(1978)8月、日中平和友好条約が成立したとき、愛新覚羅浩が、わが身を顧みて、心からその喜びを歌に詠んだ。まな娘・慧生の23回忌であった。
小倉山というのは「百人一首」で知られるところである。

giouji1祇王寺

   ■祇王寺と書けばなまめく牡丹雪・・・・・・・・・・・・・・・高岡智照尼

    句を作る尼美しき彼岸かな・・・・・・・・・吉井勇

    祇王祇女ひそかに嵯峨の星祭・・・・・・・・・岡本綺堂

    声のして冬をゆたかに山の水・・・・・・・・・鈴木六林男

    祇王寺の暮靄(ぼあい)の水の凍てず流る・・・・・・・丸山海道

    しぐるるや手触れて小さき墓ふたつ・・・・・・・・・貞吉直子

「祇王寺」とは平家物語で知られる白拍子祇王ゆかりの寺である。寺というよりも庵であろうか。
平清盛の寵愛を受けていたが、仏御前の出現によって捨てられ、母と妹とともに嵯峨野に庵を結んで尼となった。
後に仏御前も祇王を追い、4人の女性は念仏三昧の余生を過ごしたという。
この庵は法然上人の門弟・良鎮によって創められた往生院の境内にあったが、
今の建物は明治28年に、時の京都府知事・北垣国道が嵯峨にあった別荘の一棟を寄付したものである。
所在は嵯峨鳥居本小坂町である。
この句の作者高岡智照尼については←ここを参照されたい。


ふと 胸が熱くなる そんな日があってもいい/そして なぜ胸が熱くなるのか/黙っていても 2人にはわかるのであってほしい・・・吉野弘
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──吉野弘の詩──(4)
  
       祝婚歌・・・・・・・・・・・吉野弘


   2人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい
   立派すぎないほうがいい
   立派すぎることは 長持ちしないことだと 気づいているほうがいい
   完璧をめざさないほうがいい 完璧なんて不自然なことだと
   うそぶいているほうがいい
   2人のうちどちらかが ふざけているほうがいい
   ずっこけているほうがいい
   互いに非難することがあっても 非難できる資格が
   自分にあったかどうか あとで 疑わしくなるほうがいい
   正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい
   正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと
   気づいているほうがいい
   立派でありたいとか 正しくありたいとかいう
   無理な緊張には 色目をつかわず ゆったり ゆたかに
   光を浴びているほうがいい
   健康で 風に吹かれながら 生きていることのなつかしさに
   ふと 胸が熱くなる そんな日があってもいい
   そして なぜ胸が熱くなるのか
   黙っていても 2人にはわかるのであってほしい
---------------------------------------------------------------------------
この詩は、吉野弘の作品の中でも、よく引かれるものである。
これは吉野が身内の結婚式に招待されたが、所用があって出られないので、式で、この詩を朗読してもらったというものである。
多少は説教ぽいところもあるが、心あたたまる詩である。



電車は満員だった。/別のとしよりが娘の前に/押し出された。/娘はどこまでゆけるだろう。/美しい夕焼けも見ないで。・・・吉野弘
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──吉野弘の詩──(3)

        夕焼け・・・・・・・・・・・吉野弘

   いつものことだが
   電車は満員だった。
   そして
   いつものことだが
   若者と娘が腰をおろし
   としよりが立っていた。
   うつむいていた娘が立って
   としよりに席をゆずった。
   そそくさととしよりが坐った。
   礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。 
   娘は坐った。
   別のとしよりが娘の前に
   横あいから押されてきた。
   娘はうつむいた。
   しかし
   又立って
   席を
   そのとしよりにゆずった。
   としよりは次の駅で礼を言って降りた。
   娘は坐った。
   二度あることは と言う通り
   別のとしよりが娘の前に
   押し出された。
   可哀想に
   娘はうつむいて
   そして今度は席を立たなかった。
   次の駅も
   次の駅も
   下唇をキュッと噛んで
   身体をこわばらせて-----。
   僕は電車を降りた。
   固くなってうつむいて
   娘はどこまで行ったろう。
   やさしい心の持主は
   いつでもどこでも
   われにもあらず受難者となる。
   何故って
   やさしい心の持主は
   他人のつらさを自分のつらさのように
   感じるから。
   やさしい心に責められながら
   娘はどこまでゆけるだろう。
   下唇を噛んで
   つらい気持で
   美しい夕焼けも見ないで。
--------------------------------------------------------------------------------
吉野弘の詩は、日常に見聞きすることを淡々と作品にしていて、サラーマンなどにも好評だった。
登場した場所もよかった。同人誌「櫂」の同人の川崎洋、茨木のり子や谷川俊太郎、大岡信などとの交友も有効だった。




恋すてふわが名はまだき立ちにけり人しれずこそ思ひそめしか・・・壬生忠見
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 ↑ 「歌合わせ」の書付(参照)
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 ↑ 「百人一首」の札─この歌が書かれている

──非季節の一首鑑賞──

     恋すてふわが名はまだき立ちにけり
              人しれずこそ思ひそめしか・・・・・・・・・・・・・壬生忠見


この歌は平安時代、宮中の清涼殿で「恋」を主題にした「歌合わせ」の際に、壬生忠見が「秘めたる恋心」を詠んだものである。
実は、この歌は、バレンタイン・デーのプレゼントとして或る人から贈られたチョコレート菓子に添えられたものである。
この菓子は「小倉山荘リ・オ・ショコラ」の製造で、ぴりっとした「柿の種」を色とりどりのチョコートでコーティングしたものである。
もともと、この会社は「あられ」菓子が専門で、その特色を生かして製作されたものである。
テトラ袋に7~.8個づつ個包装されて、食べるのにも簡便にできるようになっている。

壬生 忠見(みぶ の ただみ、生没年不詳)は、平安時代中期の歌人。右衛門府生・壬生忠岑の子。父・忠岑とともに三十六歌仙の一人に数えられる。

天暦8年(954年)に御厨子所定外膳部、天徳2年(958年)に摂津大目に叙任されたことが知られるほか、正六位上・伊予掾に叙任されたとする系図もあるが、詳細な経歴は未詳。

歌人としては天暦7年(953年)10月の内裏菊合、天徳4年(960年)の内裏歌合に出詠するなど、屏風歌で活躍した。
勅撰歌人として『後撰和歌集』(1首)以下の勅撰和歌集に36首入集。家集に『忠見集』がある。

逸話として
「天徳内裏歌合」で
     恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか(『拾遺和歌集』恋一621・『小倉百人一首』41番)
と詠み、
     忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで
と詠んだ平兼盛に敗れたために悶死したという(『沙石集』)。
なお、『袋草紙』では悶死まではしておらず、家集には年老いた自らの境遇を詠んだ歌もあり、この逸話の信憑性には疑問が呈されている。



橋爪さち子詩集『乾杯』 『薔薇星雲』 『愛撫』 『葉を煮る』・・・木村草弥
橋爪①_NEW
 ↑ 橋爪さち子第三詩集 第17回「詩と思想新人賞」受賞副賞として2008/11/30刊
橋爪③_NEW
↑ 橋爪さち子第四詩集 2012/06/20刊 
橋爪②_NEW
 ↑ 橋爪さち子第五詩集 コールサック社2015/10/15刊
橋爪④_NEW
↑ 橋爪さち子第六詩集 2018/10/25刊  記載のない本は、いずれも土曜美術社出版販売刊

     橋爪さち子詩集『乾杯』 『薔薇星雲』 『愛撫』 『葉を煮る』・・・・・・・・・木村草弥

橋爪さち子さんは付き合いのない未知の人だったが、私のブログ本などを買い求めてくださり手紙をいただいた。
そのことは昨日付けのブログに書いた。有難うございました。
そこで御礼とお返しにと彼女の本をアマゾンから古書で取り寄せた。
いずれも安価だが新本同様の本である。
なお著書として、これらの本の前に
詩集『時はたつ 時はたたない』 1986年
   『光る骨』 2002年       があることを書いておく。
「青い花」同人。日本現代詩人会、日本詩人クラブ、関西詩人協会 各会員
ネットを検索すると「国民文化祭わかやま2021」の投稿詩の審査員のところに名前が出ている。

彼女は「生年」などを一切書かない人であり、年齢などは判らない。京都府生れとだけ書いてある。
(追記) この記事を読まれて、本人からのメールで1944年生れ、とのことである。念のため付記しておく。
最近は歌人でも女の人で、こういう姿勢を採る人が多い。
「文芸表現者」は自分の作品を「見てもらいたい」願望から出発しているのだから、半ばカミングアウトしたような存在であるから、私なんかは、そういう態度には疑問を持つ。   
ただ凡その年齢は判る。これらの詩集の中で、繰り返して出てくる詩句に「父が十歳の時に四十歳で他界」したこと。「母が九十何歳」なんとか、という記述があるから若くはない。
 
詩作品を見てみよう。本の数が多いので、一冊につき題名を採られた詩を引くことにする。

乾杯』である。
こうしてスキャンすると黒くなってしまったが、題名の字などは「金箔」刷りであるから念のため。 

         乾杯

   私は老いた母を見舞った縁側で
   かさの薄くなった彼女をマッサージしながら
   ひとつの覚悟を思っていた

        ・・・・・・・・・・

   一九〇四年の七月 チェーホフは臨終の床で
   酸素吸入器の使用を拒否した 医師は何も言
   言わず大急ぎでシャンパンの用意をし チェー
   ホフとチェーホフの妻と医師は乾杯の辞なし
   の乾杯をした シャンパンなど実に久しぶり
   のことだな チェーホフはそう言ってグラス
   を空にし その一分後に呼吸を閉じた

       ・・・・・・・・・

   父の二倍の歳を生きた母は
        ・・・・・・・・
   降りそそぐ宇宙のいつくしみの
   万分の一のおこぼれを ただ
   心静かに享受する日びでもあるのだろう

   まるで陽光にささげる乾杯のように
   そのように
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薔薇星雲

         薔薇星雲

        ・・・・・・・・
   含羞
   ということばが脳をよぎった
   午後になると39度近い熱が出る日々の
   病巣とは無関係のわたしの胃は
   両手で伏せたいほど
   エロティックできれいだ

      ・・・・・・・・
   太い神経に居並ぶ内臓の群れのなか
   目眩がちな脳ばかりが滅入り焦り
   家に置いてきた星座図鑑の
   120頁を開けようとして
   届くはずのない腕を伸ばす

   NGC2237
   3600光年のかなた
   一角獣座 薔薇星雲の
   闇に萌える暗赤色の
   さみしい冷たさに触りたくて
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愛撫』  

        愛撫 

   太陽系を旅した小惑星探査機はやぶさは
   オーストラリアの草原の闇に
       ・・・・・・・
   小惑星イトカワのかけらを地球に運んだ

         ・・・・・・・・
   たぶんヒトは たぶんわたしは億年の昔
         ・・・・・・・
   宇宙に愛されたたった一日の記憶 その
   鮮やかな記憶の幻影に依って
   生きてみせるのかも知れない

        ・・・・・・・
   宇宙を抱きしめるように
   両の手で自分を抱きしめる
   胸のあわいの奈落あるいは暗黒がにおう

   小惑星イトカワは胃袋の形をしている                  
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葉を煮る

        葉を煮る

   十パーセント水酸化ナトリウムの水溶液に
   葉っぱを煮込み
   葉脈の栞をつくって
   無秩序な秩序に充ちた葉脈迷路を
   飽かずながめるのはすてきな作業です

        ・・・・・・・
   ──太古
   私は一本の樹でした
      ・・・・・・・
   神の坐する葉々を繁らせ
   枝々を太らせました

      ・・・・・・・
   すると 神は私を血染めの葉っぱにして
   人の肺腑に付着させたのです

       ・・・・・・・
   あの子に
   手作りの葉脈栞を渡したい
   私はありったけ夢中に手を突き出し
   突き出しました

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もっと作品を引きたかったが、お許しを得たい。
詩句の選択も的確で、詩才ゆたかな橋爪さんだと実感する。
若くはなくても、私なんかとはずっと若いから、これからも佳い詩を書いてもらいたいと思います。
鑑賞させていただき有難うございました。     (完)
  


        
今日は楽しいバレンタインデー。/あなたはチョコを貰いました?・・・木村草弥
chocotop02抹茶チョコ

──エッセイ──

   今日は楽しいバレンタインデー。
          あなたはチョコを貰いました?・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


写真①は宇治茶の茶問屋さん発売の「抹茶濃厚生チョコ」である。

今日2月14日は、女の人が男性にチョコレートを呉れる日とされている。
しかし、案外、なぜそうなったかを知る人は少ない。
「義理チョコ」なんていう奇妙な習慣まで出来てしまった。歴史的沿革をひもといてみよう。
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 バレンタイン・デーは、英語では「Saint Valentine’s Day」、訳せば「聖バレンタインの日」という意味です。
つまり、バレンタインというのは、人の名前なのです。どんな人だったかというと・・・。

 西暦3世紀のローマでのことです。皇帝クラウディウス二世(在位268-270)は、若者たちがなかなか戦争に出たがらないので、手を焼いていました。その理由は彼らが自分の家族や愛する者たちを去りたくないからだと確信するようになったクラウディウスは、ついに結婚を禁止してしまったのです。

 ところが、インテラムナ(イタリア中部にある町で、現在のテラモ)のキリスト教司祭であるバレンチノ(英語読みではバレンタイン)は、かわいそうな兵士たちをみかねて、内緒で結婚をさせていました。それが皇帝の知るところとなったから大変です。しかも、当時のローマでは、キリスト教が迫害されていました。皇帝は、バレンチノに罪を認めさせてローマの宗教に改宗させようとしましたが、バレンチノはそれを拒否しました。そこで、投獄され、ついには西暦270年2月14日に、処刑されてしまったということです。(269年という説もあります)。

Q) バレンタインデーはどのように始まったの?

A) ローマではルペルクスという豊穣(ほうじょう)の神のためにルペルカーリアという祭が何百年ものあいだ行われていました。毎年2月14日の夕方になると、若い未婚女性たちの名前が書かれた紙が入れ物に入れられ、祭が始まる翌15日には男性たちがその紙を引いて、あたった娘と祭の間、時には1年間も付き合いをするというものです。翌年になると、また同じようにくじ引きをします。

 496年になって、若者たちの風紀の乱れを憂えた当時の教皇ゲラシウス一世は、ルペルカーリア祭を禁じました。代わりに、違った方法のくじ引きを始めたのです。それは、女性の代わりに聖人の名前を引かせ、1年間のあいだその聖人の人生にならった生き方をするように励ますものです。そして、200年ほど前のちょうどこのお祭りの頃に殉教していた聖バレンチノを、新しい行事の守護聖人としたのです。

 次第に、この日に恋人たちが贈り物やカードを交換するようになっていきました。

Q) バレンタイン・カードの始まりは?

A) バレンチノは、獄中でも恐れずに看守たちに引き続き神の愛を語りました。言い伝えによると、ある看守に目の不自由な娘がおり、バレンチノと親しくなりました。そして、バレンチノが彼女のために祈ると、奇跡的に目が見えるようになったのです。これがきっかけとなり、バレンチノは処刑されてしまうのですが、死ぬ前に「あなたのバレンチノより」と署名した手紙を彼女に残したそうです。

 そのうち、若い男性が自分の好きな女性に、愛の気持ちをつづった手紙を2月14日に出すようになり、これが次第に広まって行きました。現存する最古のものは、1400年代初頭にロンドン塔に幽閉されていたフランスの詩人が妻に書いたもので、大英博物館に保存されています。

 しばらくたつとカードがよく使われるようになり、現在では男女とも、お互いにバレンタイン・カードを出すようになりました。バレンチノがしたように「あなたのバレンタインより」(From Your Valentine)と書いたり、「わたしのバレンタインになって」(Be My Valentine)と書いたりすることもあります。現在アメリカでは、クリスマス・カードの次に多く交換されているとか。

Q) どうしてチョコレートをあげるの?

A) 実は、女性が男性にチョコレートを贈るのは、日本独自の習慣です。欧米では、恋人や友達、家族などがお互いにカードや花束、お菓子などを贈ります。

 では、チョコレートはどこから出てきたかというと、1958年に東京都内のデパートで開かれたバレンタイン・セールで、チョコレート業者が行ったキャンペーンが始まりだそうです。そして、今ではチョコレートといえばバレンタイン・デーの象徴のようになってしまいました。クリスマスもそうですが、キリスト教になじみの薄い日本では本来の意味が忘れられて、セールスに利用されがちのようですね。

 自分の命を犠牲にしてまで神の愛を伝え、実践したバレンチノ・・・。今年のバレンタイン・デーは、そんな彼のことを思い出してください。
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layer4_118ロイズ生チョコ
写真②は北海道の「ロイズ」ROYCE’の「生チョコレート<山崎シェリーウッド>」1100円、である。
写真①のような抹茶を使った変り種(定価1100円)もいいが、私はオーソドックスに生チョコと行きたい。
数年前に「ロイズ」の生チョコをもらってから、すっかり、ここの贔屓になった。北海道では他にも「六花亭」のものも有名ではある。
ROYCE'と書いてロイズと読ませるのも印象に残る。

バレンタイン・デーには、何もチョコをあげるばかりが能ではない。
ネット上では、さまざまのギフトが載っている。中には男性下着を贈るというのがあり、なまめかしい「Tバック」を贈る人もあるらしい。
「一緒に旅行に行く」というギフトもあるというが、これなど、まさに本命中の彼氏であり、身も心も捧げようという、いじらしい女心の発露と言えるだろう。





木村草弥『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』私信と評・・・橋爪さち子 
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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      木村草弥『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』私信と評・・・・・・・・・・橋爪さち子(詩人)「青い花」同人

前略。
『詩遊』(冨上氏メモ)により御著『四季のうた』 『修学院夜話』を取り寄せ、とりわけ『四季のうた』の面白さに、とても沢山な事を学ばせていただきました。
とりわけ住宅顕信の事、津村信夫の〈小扇〉と杉山平一の〈パラソル〉のメタファなつながり。
宮沢肇のウィーンにおける“一茶”との「邂逅」、などとても美しく心に深く残りました。
その他、いっぱい木村様の引かれる俳句の数々に魅せられております。
どうか、お元気で、これからも多くを学ばせて下さい。
私は現代詩を少し書いている者です。太宰治の『パンドラ』も読みました。では、御礼まで。
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橋爪さんは全く付き合いのない未知の人であるが、突然ハガキをいただき、私の本を買っていただいたそうで恐縮している。
有難うございました。
「詩人住所録」によると大阪に住んでおられる人で詩集も何冊か出しておられる。
2008年 『乾杯』 第17回「詩と思想」新人賞受賞副賞として出版
2012年 『愛撫』
2015年 『薔薇星雲』
2018年 『葉を煮る』
などである。私の本を買っていただいたお返しにアマゾンから古書を買い求めたので、後日その評をブログに載せる予定である。
なおネットを検索してみたら、「国民文化祭わかやま」の投稿詩の審査員のところに、私の知る詩人と一緒に彼女の名前があることも付記しておく。




その意思に収監されたまま/私は、そのとき/ぼんやりと/冬の陽を浴びていた・・・吉野 弘
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──吉野弘の詩──(2)

     陽を浴びて・・・・・・・・・・・・吉野 弘

   冬の朝
   通勤時間をすぎた郊外電車の駅
   人影まばらな長いホームの
   屋根のないところで
   やわらかな陽を浴び
   私は電車を待っていた

   ひととき
   食と性とにかかわりのない時間
   消費も生産もせず
   何ものかから軽く突き放されていた時間

   何ものか
   私を遥かな過去から今に送り出したきたもの
   無機質から生命への長い道程(みちのり)
   生命の持続のための執拗な営み
   信じがたいほど緻密で
   ひたむきでひたすらであった筈の意思

   その意思に収監されたまま
   私は、そのとき
   ひたむきでもなく
   ひたすらでもなく
   食と性との軛(くびき)を思い
   ぼんやりと
   冬の陽を浴びていた
   逸脱など許す筈のない意思が
   見て見ぬふりをしているらしい、ほんのひととき
   あり余るやわらかな光を
   私は私自身に、存分に振舞っていた
   ホームで
   電車を待ちながら

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この詩のキーワードは「食と性」である。こういう言葉の選択の的確さが何とも言えず見事だ。
また「ひたむきでもなく、ひたすらでもなく」という、二字だけ変えたリフレインが利いている。
1983年花神社刊行の詩集『陽を浴びて』より。私の亡親友・宮田操の好きな詩人である。


「おこしやす」格子戸くぐれば梅一輪・・・戸田静雄
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──京の冬の句アラカルト──

     <■「おこしやす」格子戸くぐれば梅一輪・・・・・・・・・・・・・・・・・戸田静雄

立春も過ぎたので歳時記の上では、もう「春」だが、まだまだ寒いので「冬」の季語の句を、まとめて載せてみたい。
「梅」は厳密には春の季語だが、ここでは大目にみてもらおう。
「おこしやす」は「よくおいで下さいました」ということである。
「やす」とか「やして」とかいう接尾語が京言葉の特徴である。
「やす」と「やして」とは、ちょっとニュアンスが違う。「やす」は言い切りの形だが、「やして」は語尾の余韻の引いたような言い方である。
「おいでやす」は標準語の「いらっしゃい」にあたるが、「おいでやして」は「よくいらっしゃいました」とか「よく来てくれましたなぁ」とかの言い回しになるだろうか。
こういう言い方は若い人には、段々忘れられて、というか「言い回しが使いこなせなくなって」廃れる傾向にある。

kityou4黄蝶

    ■凍蝶の恋に終止符仁王門・・・・・・・・・・・・・・・・・中野英歩

「凍蝶」については後にも書くが、蝶の種類によっては成虫のまま冬を越すものがいくつかある。
↑ 写真に載せる「黄蝶」も、その中のひとつである。
凍蝶が恋をする筈もないが、作者の中の恋の思い出が「仁王門」と結びついているのだろう。
面白い、ふくらみのある句である。

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   ■冴えざえと宿に非常の縄梯子・・・・・・・・・・・・・・・・中田多喜子

「冴え」が冬の季語である。
普通、旅館や病院、ホテルなどには「非常階段」というのが設置されていて、緑色の避難経路の標識がある。
ただ小規模な建物の場合、非常の場合に備えて脱出口と縄梯子があるところもあるようだ。
この句は、そういう非常の時を想定する場合のさむざむとした印象を、うまく一句にまとめている。

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    ■酢茎買ふ京の言葉にさそはれて・・・・・・・・・・・・・・・・松下セツ子

京都の冬の味覚として千枚漬や「すぐき」がある。千枚漬は初冬のものであるが、すぐきは保存が利くので一冬中ある。

      柴漬の茶づけ旨きや冬の京・・・・・・・・星野茜

      冬紅葉余韻涼しき京ことば・・・・・・・・清水雪子

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    ■なはとびにおはいりやしてお出やして・・・・・・・・・・・・・・・・西野文代

「縄跳び」が冬の季語である。
この句は「京言葉」をうまく句に取り入れて成功しているだろう。
「おはいりやして」という京言葉は「お入りになってちょうだい」ということであり、「お出やして」とは「出てください」ということである。
丁寧語の「お」が頭についているのは、言うまでもない。

     漬茄子は一夜にかぎる京の宿・・・・・・・・務中昌己

     京ことば聞こゆる街の暖簾かな・・・・・・・・松井広子

     はんなりと京の言の葉あたたかし・・・・・・・・八木沢京子

後の二句の季語がどれか、何時の季語なのかは今わからない。
京言葉に「おおきに」という感謝を表す言葉がある。
標準語でいうと「有難うございます」ということだが、この言葉の語源は「大きく有難う」の「大きく」=「大きに」という表現のうち、
後の方の「有難う」以下が省略されたものである。
大阪弁でいう「まいど」=「毎度」が「毎度有難う」の後半が脱落したのと、同じことである。

いずれにせよ、今では大阪弁というより吉本芸能系のドハデな、かつ「下品な」大阪弁というより汚い「河内弁」が、
あたかも大阪弁ないしは関西弁かのごとく振舞っているが、残念なことである。
正式の大阪弁というのは「島の内」辺りのものが純粋のものであるが、それらは今では形が崩れてしまって無くなってしまったと言える。
「知ったかぶり」をして京言葉なり関西弁を乱用してもらいたくないものである。


あおくけぶった空から/紙鳩のように/冬のひかりがおちてきた・・・苗村和正
d0054276_19415167枯れ葦

     あおい朝の湖辺で・・・・・・・・・・・・・・・・苗村和正

     あおくけぶった空から
     紙鳩のように
     冬のひかりがおちてきた

     こんな朝の
     だれも通らない湖へかたむく道は
     むきたての木の実のように固くしめっている

     こどもは
     そのひかる道を 髪をゆさぶってかけてゆく

     きくきくと風をならす
     折れ葦の中に ああ めざめている
     ちいさな太陽
     遠い距離となった
     こどもとわたしの間に
     駱駝のかたちで垂れさがっている

     まぶしい風景の
     きれぎれの寒さ

     撓みながらうごく
     遠い湖の波のうえに
     しろくしきりにうごくものはなんだろう

     あかあかと
     染まって
     こどもは まだ はしっている

(北溟社刊『滋賀・京都 詩歌紀行』から)
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この詩に出てくる湖は「琵琶湖」である。
冬の琵琶湖に行く人は、観光客では、めったにないだろう。
枯れ葦も火を放って焼かれて、春の芽だちを促すようにされているだろう。
人も自然も、みな、来ん春の用意をしているのである。



水仙が咲いている/ほの白い清らかな星のかたちで/私の生をいたわり/静かな眠りへと誘ってゆく・・・高田敏子
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──高田敏子の詩──(20)再掲載・初出Doblog2006/02/02

       水仙・・・・・・・・・・高田敏子

      水仙が咲いている
      昨年の暮れから ずっと
      ひと月余り
      水仙の花は咲いている
      私の部屋の花びんに

      花は少し疲れて
      花びらのへりを少しちぢませて
      花は私を見ている
      夜 机の前に坐る私を
      家族の目のないときの
      誰にも知られない一人のときの私を
      少し疲れた花のやさしさで

      灯を消しても
      花の視線は私の上にあるのだった
      闇の中
      ほの白い清らかな星のかたちで
      私の生をいたわり
      静かな眠りへと誘ってゆく

(詩集『こぶしの花』から)



四つ葉は奇形と知ってはいても/多くの人にゆきわたらぬ稀なものを幸福に見立てる・・・吉野 弘
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──吉野弘の詩──(1)

       四つ葉のクローバー・・・・・・・・・・・ 吉野 弘

   クローバーの野に坐ると
   幸福のシンボルと呼ばれているものを私も探しにかかる
   座興以上ではないにしても
   目にとまれば、好ましいシンボルを見捨てることはない

   四つ葉は奇形と知ってはいても
   四つ葉は奇形と知ってはいても
   多くの人にゆきわたらぬ稀なものを幸福に見立てる
   その比喩を、誰も嗤うことはできない

   若い頃、心に刻んだ三木清の言葉
   <幸福の要求ほど良心的なものがあるであろうか>
   を私はなつかしく思い出す

   なつかしく思い出す一方で
   ありふれた三つ葉であることに耐え切れぬ我々自身が
   何程か奇形ではあるまいかとひそかに思うのは何故か

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この詩は詩集『陽を浴びて』に収録されているものである。
この詩もカトラン(ソネット)の形式に則ったものだが平易な言葉を使いながら、鋭い詩語となっている。
いましも、まだ風は冷たいが、もうすぐ春の野にクローバーが萌えいづることであろう。
季節に先駆けて、この詩を採りあげた。


枯蓮に昼の月あり浄瑠璃寺・・・松尾いはほ
15832784_org_v1291646405枯れ蓮
jyoururi12浄瑠璃寺①
 ↑ 浄瑠璃寺
09051537_522826a8b6dfa浄瑠璃寺・九体仏
 ↑ 浄瑠璃寺・九体仏

       枯蓮に昼の月あり浄瑠璃寺・・・・・・・・・・・・・・・・松尾いはほ

掲出句の背景として浄瑠璃寺の写真を出しておく。

普通、「ハス」は蓮根を採るための農作物だが、この頃では「生け花」用に「花蓮」が栽培されている。
私の方の近所でも花卉栽培農家があちこちに「蓮田」を作っている。
もっとも忙しい時期は、月遅れ盆の前10日間くらいである。お盆の行事に蓮の花を仏前に供えるからである。

「枯れ蓮」というのが冬の季語で、葉や蓮の実が残骸のように転がっているのが「あわれ」を催すというので、古くからの季語になっている。

以下、枯れ蓮を詠んだ句を引いておく。

 枯蓮の銅(あかがね)の如立てりけり・・・・・・・・高浜虚子

 蓮の骨日日夜夜に減りにけり・・・・・・・・青木月斗

 蓮枯れて水に立つたる矢の如し・・・・・・・・水原秋桜子

 湖の枯蓮風に賑かに・・・・・・・・高野素十

 枯蓮をうつす水さへなかりけり・・・・・・・・安住敦

 枯蓮のうごく時きてみなうごく・・・・・・・・西東三鬼

 ひとつ枯れかくて多くの蓮枯るる・・・・・・・秋元不死男

 白くさむく枯蓮の裾透きにけり・・・・・・・・草間時彦

 枯蓮の敵味方んく吹かれゐる・・・・・・・・清水昇子

 枯蓮(はちす)考へてゐて日が動く・・・・・・・・岸田稚魚

 枯蓮の折れたる影は折れてをる・・・・・・・・富安風生



 心拍の打つリズムを聴いている。/ああ!私のいのちのリズム!/ 1/f のいのちの揺らぎ!・・・木村草弥
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品<草の領域>──再掲載・私の誕生日に因んで

      「1/f の揺らぎ」・・・えふぶんのいちのゆらぎ・・・・・・・・木村草弥

   心拍の打つリズムを聴いている。
   ああ!私のいのちのリズム!
   あたたかい血のぬくもりがリズムを打っている
   時にはドキドキしたり
   落ち込んでぐったりすることもあるが─────。
   1/f のいのちの揺らぎ!

   ロウソクの炎が揺れている。
   今日は私のン十年の誕生日
   自分で買ってきたバースデーケーキのロウソクに
   火をつけて
   じっと見つめている。
   ハピーバースデー ツー ユウ!
   口の中で ぶつぶつと呟いてみる。
   ローソクの炎が揺れている。
   1/f の炎の揺らぎ!

   買って来た「物」についているバーコード。
   同じ太さの線が等間隔に並ぶというのではなく
   細かったり、太くなったりするバーコードの線のリズム!
   その線の間隔の並びが心地よい。
   もっとも バーコードとは言っても
   マトリックス型二次元コードは駄目!
   1/f のバーコードの線の揺らぎ!

   どこかで メトロノームが
   かちかちと リズムを刻んでいる
   ヨハン・ネポムク・メルツェルが発明した────。
   規則正しい、ということもいいことだが
   一斉整列、一心不乱、というのは嫌だ。
   強弱、弱強の、
   寄せては返す波のようなリズムの
   波動が欲しい!
   1/f のおだやかな波動の揺らぎ!

   杉板の柾目の箱を眺めている。
   寒い年、暑い年、
   雨の多い年、旱魃の年────
   それらの気候の違いが
   柾目の間隔に刻印されている柾目。
   等間隔ではない樹のいのちのリズム!
   1/f の樹の柾目の揺らぎ!

   そよ風が吹いている。
   小川のせせらぎが聞こえる。
   自然現象は
   時には暴力的な素顔を見せることもあるが─────。
   今は
   そよ風が吹き
   小川のせせらぎの音が心地よい!
   1/f の自然のささやきの揺らぎ!

   どこかで
   ラジオの「ザー」というノイズが流れている
   周波数が合わないのか─────。
   もう片方の耳には
   妻の弾くピアノの音の合間に
   かちかちというメトロノームの
   規則正しい音が聞こえる。

   そのラジオのノイズの「ザー」という不規則な音と
   メトロノームの規則正しい音とが
   いい具合に調和するような
   ちょうど中間にあるような
   1/f の調和したリズムの揺らぎ!

   私の体のリズムと同じリズムである
   <1/f の揺らぎ>に包まれて
   <1/f のやさしさ>に包まれて
   今日いちにち快適に過ごそう!

──(2006.02.07 私の誕生日に寄せて)──
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この作品は2008年刊の私の第一詩集『免疫系』(角川書店)に収録した。
本のカバー装は「レオナルド・ダ・ヴィンチ『ウイトルウイウス的人体図』」という有名な図像を拝借したものである。
これは<1/f えふぶんのいち>という言葉に触れて、私の詩作の感受性が一気に開花したものである。
因みに申し上げると「1/f 」とは音楽用語というよりは科学用語である。関心のある方は、お調べ願いたい。
「f」=freqency周波数の略称というか、記号である。
この詩が成功しているかどうか、は読者の判定に待つほかないが、いかがだろうか。

「1/f ゆらぎ」については、このWikipediaの記事に詳しい。  



寒林の栗鼠が落ちこむ空ま青・・・龍居五琅
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      寒林の栗鼠が落ちこむ空ま青・・・・・・・・・・・・・・龍居五琅

私は「裸木」という言葉が好きなのだが、この言葉の季語が無い。 たから、仕方なく「寒林」というのを引いておく。 

      裸木(はだかぎ)の蕭条と立つ冬の木よ われは知るなり夏木の蒼(あを)を・・・・・・・・・木村草弥

この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。
葉を落として粛然と立つ冬の木にも、緑の葉を茂らせた、華やかな夏木の季(とき)があるのである。
「冬の木よ、わたしはそれをよく知っているよ」という呼びかけである。冬木の姿を通して夏木を思い描いている歌である。

『栞草』に「夏木立は茂りたるをいひ、冬木立は葉の脱落したるさまなどいふべし」と書かれている。まさに簡潔にして要を得た言葉と言える。
俳句の季語としては「冬木」「寒木」「冬木立」「枯木」「寒林」などがあるが、この頃では「寒林」が多用されるという。
「枯木」という言葉は、葉を落としただけの冬木の表現としては適切ではない。文字通り「枯れた」木と紛らわしいからである。
掲出した私の歌のように冬木から夏木を連想するという意味では「枯木」は使いたくない。

いま「寒林」という季語を紹介したので、それを詠んだ句を引きたい。

 寒林の日すぢ争ふ羽虫かな・・・・・・・・杉田久女

 寒林の一樹といへど重ならず・・・・・・・・大野林火

 寒林を三人行くは群るる如し・・・・・・・・石田波郷

 寒林やとつくに言葉消えやすく・・・・・・・・石橋秀野

 寒林に日も吊されてゐたりしよ・・・・・・・・木下夕爾

 寒林の栗鼠が落ちこむ空ま青・・・・・・・・龍居五琅

 冬森を管楽器ゆく蕩児のごと・・・・・・・・金子兜太

 寒林に待つは若者眉根濃し・・・・・・・・星野麦丘人

 寒林の奥にありたる西の空・・・・・・・・鷲谷七菜子

 寒林の起ち上る夕日かな・・・・・・・・北野登

 寒林に海の匂ひがよぎりけり・・・・・・・・青木たけし



立春の風は茶原を吹きわたり影絵となりて鶸(ひは)たつ真昼・・・木村草弥
7d3f2449カワラヒワ

      立春の風は茶原を吹きわたり
            影絵となりて鶸(ひは)たつ真昼・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌の前に

      立春の茶畑の土にくつきりと生命線のごと日脚のびたり

という歌が載っている。これらは私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
普通、「ヒワ」と呼んでいるが正しくは「カワラヒワ」というらしい。写真がそれである。
漢字で書くと「鶸」という字で、スズメくらいの大きさで、羽を広げたときの鮮やかな黄色がめだつ鳥である。
この鳥は「留鳥」ということであり、繁殖期以外は集団で行動する。
私の方の茶園は木津川の河川敷にあり、今ころになると茶畑でよく見られる。

私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)の中にも

   野分のなか拝むかたちに鍬振りて冬木となれる茶畝たがやす

   固き芽の茶の畝耕し寒肥(かんごえ)を施(や)れば二月の風光るなり

という歌が載っている。これらも掲出歌と同じ時期を詠んだものである。

一昨日は「立春」だった。昔の人が「春立つ」と季節分けした日が来たのである。
今年は一月は、ずっと寒かった。
二月の声を聞くと、そんな寒さが嘘のように日中は最高気温も10度を越えて12、3度を示すようになった。
さすがに朝晩は寒く、田園地帯では、まだ結氷も見られる昨今である。
「大寒」が1月20日ころで、節分、立春というと名前とは裏腹に一年でも、最も寒い頃であるが、さすがに季節は争えないもので、
「光」が全くちがって来て、光量が豊かになってきたという実感がするのである。
これらは野良で、実際に日光を浴びたものでないと実感は出来ないかも知れない。
この頃になると「日の出」の時刻は冬至の頃に比べても十数分早くなった程度だが、
「日の入り」は、ずっと遅くなって、冬至の頃に比べると一時間半ほどは太陽が長く照っている。
「春の日は暮れそうで暮れない」という言葉が昔からある。
私の歌群は、そういう季節感を実生活に則して詠んだものである。

20090215085526ヒワ群舞
↑ 掲出した私の歌の場面を写真にすると、こういう写真になる(撮影はM.N氏)。

以下、ヒワを詠んだ句を引いて終わる。 なおヒワは秋の季語である。

 鶸鳴くや杉の梢に日の残り・・・・・・・・柏後

 砂丘よりかぶさつて来ぬ鶸のむれ・・・・・・・・鈴木花蓑

 鶸渡り群山こぞり山を出づ・・・・・・・・相馬遷子

 北の空暗し暗しと鶸が鳴く・・・・・・・・飯田龍太

 鶸渡る建てしばかりの墓の辺を・・・・・・・・飯田龍太

 大たわみ大たわみして鶸わたる・・・・・・・・上村占魚

 鶸渡る比叡へ流るる霧に乗り・・・・・・・・鈴間斗史

 つと飛びし真鶸高らに天がける・・・・・・・・今牧茘枝

 鶸渡る雨の峠の草伝ひ・・・・・・・・堀口星眠

 さざめきのありて真鶸の枝うつり・・・・・・・・斎藤夏風

 群れし鶸田の土を舐め木に散りぬ・・・・・・・・城取信平

 風と来てオロフレ山に鶸の声・・・・・・・・長谷川草洲

 

風 吹いてゐる/木 立ってゐる/ああ こんなよる 立ってゐるのね 木/ああ こんなよる・・・吉原幸子
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8c12b04f8c3cad2f1dab9bf7a231e2bb吉原幸子

       風 吹いてゐる/木 立ってゐる/ああ こんなよる 立ってゐるのね 木/ああ こんなよる・・・・吉原幸子                

吉原幸子が死んで十九年になる。
2012年11月に彼女の『全詩』集が新たな資料も加えて新装刊行された。
先ずWikipediaに載る彼女の概略を引いておく。
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吉原 幸子(よしはら さちこ、1932年6月28日 ~ 2002年11月28日)は、日本の詩人。

東京・四谷生まれ。四人兄妹の末っ子。三陽商会の創業者、吉原信之は実兄。兄姉の影響で幼い頃から萩原朔太郎や北原白秋の詩に親しむ。高校時代には演劇・映画に熱中(演劇部の同級生に女優の荻昱子、朗読家の幸田弘子、二年後輩に宝田明がいた)、また国語教師の詩人那珂太郎の奨めで校内文芸誌に詩作を発表した。一浪の後、1952年(昭和27年)、東京大学文科二類に入学。在学中は演劇研究会に在籍し、サルトルやブレヒトなどの現代劇に出演。1956年(昭和31年)、東大仏文科卒業。初期の劇団四季に入団、「江間幸子(えま さちこ)」の芸名で第6回公演のアヌイ作『愛の條件 オルフェとユリディス』(音楽・武満徹)にて主役を務めるも同年秋に退団。1958年(昭和33年)、黒澤明の助監督であった松江陽一と結婚、一児をもうけるが1962年に離婚。同年、那珂太郎を通じて草野心平を紹介され、歴程同人となる。

1964年(昭和39年)5月、第一詩集『幼年連祷』を歴程社から350部自費出版。思潮社社主の目にとまり、第二詩集『夏の墓』を思潮社から出版。またこの年、吉行理恵、工藤直子、新藤涼子、山本道子、村松英子、山口洋子、渋沢道子ら同世代の女性詩人と8人でぐるーぷ・ゔぇが(VEGA,ベガ)を起ち上げ、1968年の休刊まで詩誌を刊行。1965年(昭和40年)、『幼年連祷』で第4回室生犀星詩人賞を受賞。1974年(昭和49年)、『オンディーヌ』『昼顔』で第4回高見順賞受賞。この頃より諏訪優、白石かずこ、吉増剛造らと共に、詩の朗読とジャズのセッション、舞踏家山田奈々子との舞踏公演など、詩と他分野のコラボレーションを手がけるようになる。1983年(昭和58年)7月、新川和江と共に季刊詩誌『現代詩ラ・メール』(思潮社, 書肆水族館)を創刊。1993年の通巻40号を以て終刊するまで広く女性詩人や表現者の活動を支援した。輩出したラ・メール新人賞の受賞者には小池昌代、岬多可子、高塚かず子らがいる。

1990年頃から手の震えなど身体の変調を来し、1994年にパーキンソン症候群と診断される。1995年(平成7年)、新川和江によってまとめられた最後の詩集『発光』を出版。同年第3回萩原朔太郎賞を受賞。2001年(平成13年)に自宅で転倒し入院。翌2002年11月28日、肺炎で死去。

生前に「私にはふたつ秘密があるの」と語っていた秘密のひとつはレズビアンであったというもので、作品の中でそのことを抽象的に表しているが、本人の口から公式には発表されていない。

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詩集
幼年連祷 歴程社 1964(自費出版)
幼年連祷 思潮社 1964
夏の墓 思潮社 1964
オンディーヌ 思潮社 1972
昼顔 サンリオ出版 1973
吉原幸子詩集 思潮社 1973 (現代詩文庫)
魚たち・犬たち・少女たち サンリオ出版 1975
夢 あるひは… 青土社 1976
夜間飛行 思潮社 1978
新選吉原幸子詩集 思潮社 1978(新選現代詩文庫)
吉原幸子全詩 I, II 思潮社 1981
花のもとにて春 思潮社 1983
吉原幸子 中央公論社 1983(現代の詩人 12)
恋唄 沖積舎, 1983(現代女流自選詩集叢書)
ブラックバードを見た日 思潮社 1986
樹たち・猫たち・こどもたち 思潮社 1986
新編 花のもとにて春 思潮社 1988
発光 思潮社 1995
続・吉原幸子詩集 思潮社 2003(現代詩文庫), 新選吉原幸子詩集の改訂版
続続・吉原幸子詩集 思潮社 2003(現代詩文庫)
吉原幸子全詩 I, II, III 思潮社 2012
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風 吹いてゐる
 
木 立ってゐる

ああ こんなよる 立ってゐるのね 木

風 吹いてゐる 木 立ってゐる 音がする

よふけの ひとりの 浴室の

せっけんの泡 かにみたいに吐きだす

にがいあそび  ぬるいお湯

なめくぢ 匍ってゐる

浴室の ぬれたタイルを

ああ こんなよる 匍ってゐるのね なめくぢ

おまへに塩をかけてやる

するとおまへは ゐなくなるくせに そこにゐる

  おそろしさとは

  ゐることかしら

  ゐないことかしら

また 春がきて また 風が吹いてゐるのに

わたしはなめくぢの塩づけ

わたしはゐない

どこにも ゐない

わたしはきっと せっけんの泡に埋もれて

流れてしまったの

ああ こんなよる

                           (吉原幸子 「無題」より)
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よく引かれる詩である。
冒頭の三行ほどは、部分的に引くと「短詩」としても自立する。
これは彼女が学んできたフランス詩のジュール・ルナールの詩などを想起させる。
ルナールの詩は、こんなものである。

◇ ジュール・ルナール(岸田国士訳)



長すぎる。





二つ折りの恋文が、花の番地を捜している。


詩は削ぎ落して短いほど、鋭くなる。私も少年のころ、これらの詩に触れて、心ふるえたものである。
彼女は詩作品は、全部「旧かな」で書いたと言われているが、きわめて我流である。
旧カナでは、促音、拗音などでも字を小さくしないのが伝統的だが、彼女の場合には新カナ表記のように、小さく書く。 例 →「立ってゐる」。
だから我流という所以である。
文学作品だから、これが間違いだとは言い切れないが、これが短歌、俳句という伝統的な領域ならば、結社の主宰者などによって直されるだろう。
また彼女の詩集の題名にもなっているが『夢 あるひは』というのがあるが、この「あるひは」というのは勘違いによる誤用である。
これは「或いは」英語でいうと「or」の意味だと思われるからで、文語だから「あるひは」だろうという間違った類推によるもので、あちこちで見られる。
「あるいは」は──「あり」の連体形「ある」+間投助詞「い」+係助詞「は」──から成るもので、「あるひは」とするのは「い」の意味が不明になったための誤用、
と古語辞典に明記してある。 これらは日本語表記の約束事であるから、一定のルールの下で使ってもらわないと困る。
私が、彼女の誤用と断定するのは他のところで「或る日」という用法があって、彼女の使い分けが明確だからである。念のために言っておく。
他の詩も二、三引いてみる。
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   -小ちゃくなりたいよう!

   -小ちゃくなりたいよう!

 

 ひどく光る太陽を 或る日みた

 煙突の立ちならぶ風景を 或る日みた

 失ったものは 何だったらう

 失ったかはりに 何があったらう

 せめてもうひとつの涙をふくとき

 よみがへる それらはあるだらうか

 もっとにがい もっと重たい もっと濁った涙をふくとき

 

  わたしの日々は鳴ってゐた

   -大きくなりたいよう!

   -大きくなりたいよう!

 

  いま それは鳴ってゐる

   -小ちゃくなりたいよう!

 

 空いろのビー玉ひとつ なくなってかなしかった

 あのころの涙 もうなけなくなってしまった

 もう 泣けなくなってしまった

 そのことがかなしくて いまは泣いてる   (吉原幸子 「喪失」より)

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 雲が沈む

 そばにゐてほしい

 

 鳥が燃える

 そばにゐてほしい

 

 海が逃げる

 そばにゐてほしい

 

 もうぢき

 何もかもがひとつになる

 

  指がなぞる

  匂はない時間の中で

  死がふるへる

 

 蟻が眠る

 そばにゐてほしい

 

 風がつまづく

 そばにゐてほしい

 

 もうぢき

 夢が終る

 

 何もかもが

 黙る                    (吉原幸子 「日没」)

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 大きくなって

 小さかったことのいみを知ったとき

 わたしは”えうねん”を

 ふたたび もった

 こんどこそ ほんたうに

 はじめて もった

 誰でも いちど 小さいのだった

 わたしも いちど 小さいのだった

 電車の窓から きょろきょろ見たのだ

 けしきは 新しかったのだ いちど

 

 それがどんなに まばゆいことだったか

 大きくなったからこそ わたしにわかる

 

 だいじがることさへ 要らなかった

 子供であるのは ぜいたくな 哀しさなのに

 そのなかにゐて 知らなかった

 雪をにぎって とけないものと思ひこんでゐた

 いちどのかなしさを

 いま こんなにも だいじにおもふとき

 わたしは”えうねん”を はじめて生きる

 

 もういちど 電車の窓わくにしがみついて

 青いけしきのみづみづしさに 胸いっぱいになって

 わたしは ほんたうの

 少しかなしい 子供になれた  (吉原幸子 「喪失ではなく」)

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 純粋とはこの世でひとつの病気です

 

 ゆるさないのがあなたの純粋

 もっとやさしくなって

 ゆるさうとさへしたのが

 あなたの堕落

 あなたの愛  (吉原幸子 「オンディーヌ」より)

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 あのひとは 生きてゐました

 あのひとは そこにゐました

 ついきのふ ついきのふまで

 そこにゐて 笑ってゐました

 

 あのひとは 生きてゐました

 さばのみそ煮 かぼちゃの煮つけ

 おいしいね おいしいねと言って

 そこにゐて 食べてゐました

 

 あたしのゑくぼを 見るたび

 かはいいね かはいいねと言って

 あったかいてのひら さしだし

 ぎゅっとにぎって ゐました

 

 あのひとの 見た夕焼け

 あのひとの きいた海鳴り

 あのひとの 恋の思ひ出

 あのひとは 生きてゐました

 あのひとは 生きてゐました      (吉原幸子 「あのひと」より)
 
 

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