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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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草弥の詩作品「ヤコブの梯子」・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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180px-Nasa_space_elev.jpg

草弥の詩作品<草の領域>──(52)

    ヤコブの梯子(はしご)・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

 或る日。
外がやかましいので出てみると
地上から一本の軌道が
エレベータを載せて
天上の宇宙静止軌道の宇宙ステーションまで
伸びていた

それは
まるで「ジャックの豆の木」のように
亭々と立っていた
上の端は雲にかかって
よくは見えない高さだった。

──────────────────────
彼─ヤコブは夢を見た。
見よ。
一つの梯子(はしご)が地に向けて立てられている。
その頂(いただき)は天に届き、見よ、
神の使いたちが、その梯子を
上り下りしている。

 (旧約聖書・創世記28章12節)
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 或る朝。
お釈迦さまが極楽を歩いていた時に、
蓮池から遥か下の地獄を ふと覗くと
罪人の犍陀多(カンダタ)が居た。
カンダタは生前さまざまの悪事の報いで地獄に
落されていたのだが、小さな蜘蛛を助けたことがあった。
そこで お釈迦さまは地獄の底のカンダタを極楽への
道へ案内するために、一本の蜘蛛の糸を
カンダタに下ろす。
カンダタは極楽から伸びる蜘蛛の糸を見て喜び、
これで地獄から脱出できると思った。
そして 細い蜘蛛の糸を伝って何万里もある距離を
上り始めた。
ところが糸を伝って上る途中で、ふと下を見ると
数限りない地獄の罪人たちが自分の下から続いて来る。
このままでは細い蜘蛛の糸は重みで切れて落ちてしまう。
カンダタは「この蜘蛛の糸は俺のものだ。お前たちは
一体誰に聞いて上ってきた。下りろ、下りろ」と喚く。
自分だけ地獄から抜け出そうとするカンダタの
無慈悲な心がお釈迦さまには浅ましく思えたのか、
次の瞬間、蜘蛛の糸はカンダタのぶらさがっている所から
ぷつりと切れて愚かなカンダタは再び地獄に落ちてしまった。
 芥川龍之介の見た夢の出来事である。

軌道エレベータの着想は
宇宙旅行の父─コンスタンチン・ツィオルコフスキーが
1895年に、すでに自著の中で記述している。

静止軌道上の人工衛星から地上に達するチューブを垂らし
そのケーブルを伝って昇降することで地上と宇宙を往復するのだ。
全体の遠心力が重力を上回るように、反対側にも
ケーブルを伸ばして上端とする。
軌道エレベータを建設するために必要な強度を持つ
カーボンナノチューブが発見されたことにより実現したのだった。

 或る日。
大きな宇宙ゴミ(スペースデブリ)が
軌道エレベータに衝突して
ケーブルが切断され
何百人もの人が死んだ。
切断されたケーブルは、まだ修復が済んでいない。

(2009/01/14作)
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初めての記事である。所属しているDoblogがデータベースサーバのハードディスクに障害を起して復旧に時間がかかるというので、どうしようもなく、複数の予備サイトとして立ち上げるものである。
ここのシステムに慣れていないので、うまくアップできるか心もとないが、FC2の皆さん、よろしく。
私にとってFC2は、まんざら縁がないわけではなく、私のWebのHP「木村草弥の詩と旅のページ<風景のコスモロジー>」はFC2にお世話になっているからである。

掲出の画像は、NASAによる軌道エレベータの想像図である。
軌道エレベータについては←リンクに貼ったWikipediaが詳しい。
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(4月2日追記)
この詩『ヤコブの梯子』を、三井葉子さん主宰の季刊誌『楽市』に投稿しておいたら、このたび
4月1日発行の『楽市』65号に掲載されて、4月2日に届いた。

楽市

あいにく誤植があって、はじめから5行目の「天上」が「天井」になっている。これは完全な「変換」ミスだが、仕方ないかと思う。
「合評会」が五月下旬に大阪であるというが、どうするか、まだ未定である。
まあ、こういう具合に詩人たちとの新しい交友が始まるのも、悪くはない。
以上、ご報告まで。
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(4月19日追記)
三井葉子さんから連絡があって、私の詩が「谷内修三の読書日記」4/12付けに採り上げられているというので、さっそく検索してみた。
以下は、当該部分のコピーである。
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木村草弥「ヤコブの梯子(はしご)」ほか
2009-04-12 09:54:13 | 詩(雑誌・同人誌)木村草弥「ヤコブの梯子(はしご)」、渡辺兼直「達磨 暁(キョウ)斎の眼力を睨む」、三井葉子「からす」ほか(「楽市」65、2009年04月01日発行)

 木村草弥「ヤコブの梯子(はしご)」はさまざまな「語り直し」である。


 或る日。
外がやかましいので出てみると
地上から一本の軌道が
エレベータを載せて
天上の宇宙静止軌道の宇宙ステーションまで
伸びていた

それは
まるで「ジャックの豆の木」のように
亭々と立っていた
上の端は雲にかかって
よくは見えない高さだった。


 このあと、「聖書」から「ヤコブの梯子」が引用され、つづいて芥川龍之介「蜘蛛の糸」が要約される。さらにつづいて、


軌道エレベータの着想は
宇宙旅行の父-コンスタンチン・ツィオルコフスキーが
1895年に、すでに自著の中で記述している。

静止軌道の人工衛星から地上に達するチューブを垂らし
そのケーブルを伝って昇降することで地上と宇宙を往復するのだ。
全体の遠心力が重力を上回るように、反対側にも
ケーブルをのばして上端とする。
軌道エレベータを建設するために必要な強度を持つ
カーボンナノチューブが発見されたことにより実現したのだった。


 「夢」を、コンスタンチン・ツィオルコフスキーの夢が「スペースシャトル」という形で実現に近づいているいま、その彼の夢と重なり合うものを、「ジャックと豆の木」「聖書」「蜘蛛の糸」と重ねてみる。
 そうすると、そこに、人間の想像力の不思議さが見えてくる。
 ひとは、どれだけ突飛なこと(?)を考えようと、どこかでつながっている。なぜ、ひとは、そんなふうにして重なり合うのか。
 そのことを木村は、「解説」しようとはしない。そこが、おもしろい。
 木村は「解説」のかわりに、「重ね合わせ」をていねいにやる。人間のことばは、常に、誰かの語ったことばの語り直しであるということを知っている。語り直す時、そこはなんらかの個人の思い、体験がしのびこみ、ずれができるのだが、そのずれの存在が逆に、離れているものを引き寄せる。ずれているから重ならないのではなく、ずれているから重なっている部分があることがわかる。ずれが増えるたびに、重なり合う部分もまた増えるのである。(注・下線部は草弥)
 私は不勉強なので木村の詩を読むのははじめてなのだが(だと思う)、とてもていねいな思索をもとにことばを動かしていく詩人なのだと思った。新しい哲学を作り上げるというよりも、すでに語られた哲学を、ていねいに自分自身のものに消化して、ことばを鍛える詩人なのだと思った。

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私の詩に関する部分のみ引用した。
的確な評をいただき感謝申し上げる。
こういう的を射たコメントを貰うと、作者冥利に尽きる。
余談だが、ネット上に載る記事によると、谷内修三氏は「読売新聞西部本社編成部」に所属されているようである。詩集があちこちから送られて来るようで、それらの詩集などを読み込んで、毎日、精力的にブログに記事を書いておられる。
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これも三井葉子さんからの連絡によるのだが、「楽市」に載った私の詩をご覧になった「杉山平一」氏から「若き日の詩集」(自注)という、アンソロジーに載った文章のコピーと手紙を託された。
そのコピーの全文を下記に貼り付けておく。

  秋晴・・・・・・・・杉山平一

 夏の日 綺麗な麦藁帽子(かんかん)をかむつて 詩よ
 きみはやつて来た 僕達は色々話をした
やがて別れる時が来た 忽ちきみは透明なエ
スカレエタアに乗つて麦藁帽子を銀色にふ
り乍らゆるゆるゆるゆる青空にのぼつて行
つた

 この秋の日 僕もきみのエスカレエタアを
踏みあてたやうな気がする 見上げる紺青の
深みに 動きも見えぬ程たかくたかく飛行機

が一台 ちひさな十字架のやうであつた ゆ
るゆる登つて行つてきみに逢へさうだ 僕の
全身を支へてゐる血管の枝々は 一枚一枚葉
を散し乍ら 一斉に青空へもつれる梢とな
りつつあつた
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 若き日の詩集/(自注)

この「秋晴」という作品を取上げたのは忘れない思出があるからである。
私が「四季」に投稿していたとき、すでに同人扱いになっていた立原道造さんが、
同じ学年の大学生と知って驚き、やがて「四季」の集りで知り合い、同じ美学の
講義にくるようになり親しくなったある日、一しょに歩いていると「きみ、この間の詩
よかったね」といい、つづけて、「あの梯子で天へ昇ってゆくやつ」といってくれた。
私は彼に畏敬に近い感じをもっていただけに、大変うれしかった。
エスカレーターと気どっているのに梯子といったのも、ヤコブの梯子を思わせて負けた
と思った。当時、神戸の三の宮の駅に阪急電鉄が長いエスカレーターをつけたのに
感激して使ったのだった。
空たかく飛行機が十字架のように見えたのも感激だったが、立原さんにほめられたのが、
忘れられない思出である。
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私のような無名の人間の詩だから、普通なら無視されるところを、有名な詩人である三井葉子さんの主宰誌である「楽市」に載せてもらった縁で、関西詩壇の重鎮である杉山平一氏から詩のコピーと手紙をいただき感謝して、御礼申し上げる。

コメント
コメント
「語り直し」
この記事を読んで、

詩の世界では「語り直し」ということがあるのを知りました。
浅学ながら、歌や俳諧でのいう「本歌取り」ということに近いように思います。がどうなのでしょう。似て非なるもののようでもあります。

表現する者にとって最良の読者を持つということは幸せなことと思っています。批評を得てさらに作物が深くなるということなのでしょう。

コメントありがとうございました。
2009/04/23(木) 12:13:34 | URL | 結城音彦 #GCA3nAmE [ 編集 ]
お読みいただき有難うございます
■結城さま。
さっそくお読みいただき有難うございます。
この人は「批評家」として稀有な人でして、普通は「語り直し」というような「批評語」を使う人は、余り居りません。「本歌どり」「本句どり」とも、ちょっと違いますね。
しかし、今回の場合、この評は極めて的確なもので感謝に堪えません。
記事にも私が書いた通り、こういう批評をいただくと、作家冥利に尽きます。
では、また。
2009/04/23(木) 13:32:38 | URL | sohya #- [ 編集 ]
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