
石塀小路・・・・・・・・・・・・・・・松山妙子
くの字くの字に
折れ曲がった路地
石畳を囲むようにそびえる石の塀の上を
紫の煙が這う
忍者がひょっこり
とびだしてきてもおかしくない
ここは東山のふもと石塀小路
路地のさきにぽつり
狭い路地 どんつき折れると またぽつり
狐火のように門灯がともる
ゆれるあかりのあいまに
しずかにきこえる三味線の音
海底深く 船底深く
乙姫さまに案内された 龍宮城
鯛や平目に杯を傾け 杯をかさね
ゆれるこころ
ゆれるゆどうふ
ゆれるゆげ
酔いがまわった足取りで
石畳のように角張った
とうふのかどなぞりながら
本当のかえりみちさがしている
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この詩は、日本詩歌紀行2.『滋賀・京都 詩歌紀行』という本(著者・日本詩歌句協会、発売・北溟社)に載るものである。
名前の通り、詩・歌・句の地名によるアンソロジーである。
私も要請があって3首の歌が載っている。
「石塀小路」というのは、京都の東山山麓の「路地」のことである。「路地」を京都では、長く伸ばして「ろーじ」と発音する。
写真①は、この路地の入り口に掲げられる路地の門灯である。
↓ 写真②は石塀小路入り口。 写真③は石塀小路の一部。 写真④は明りの入った夜景。



近くには「高台寺」などもあり、「清水寺」にも近い。
「三年坂」(産寧坂と書かれることもある)「二年坂」など清水寺かいわいの土産物屋の多い通りは、すぐそこである。
三年坂の辺りの、「売らんかな」の雰囲気とは違って、写真③に見るような昔の趣を伝える、落ち着いた通りである。
石塀小路が出来たのは比較的最近のことで、大正時代の初期の頃だ。
石塀小路の土地は、当初は圓徳院のの所有地だったが、明治時代になって税金を納める必要が出てきたため、
圓徳院庭園の一部を取り崩して、通り抜けの道を造った。
↓ 写真⑤は圓徳院の外壁だが、この赤レンガは外国から輸入して築いた壁で、レンガが珍しい当時としてはモダンな雰囲気を作った。

石塀小路に入る路地には、はじめに掲出したガス燈のような電灯が掲げられていて、すぐにわかる。
ここが、 現在のような姿に完成したのは、昭和になって、しかも戦後になって京都から市電が廃止されるようになり、市電に使われていた石畳をここに敷いたことからのようである。
石塀小路が出来た頃には現在のように旅館や飲み屋さんはなかったが、東山を舞台とした映画ロケが盛んにされた頃から、
映画関係者を目当てとした旅館や飲食店などが建ち並び、現在のような姿になった。
今でもここの旅館を愛する映画関係者も多く、ここから夜には祇園に繰り出す事も多いようだ。
地元の方も町並みを大切に保存されている。
八坂神社から南に歩き、石塀小路を目指して歩くと、大きな建物があるわけではないので、探し出すのに少し時間がかかる。
しかし、小路に入ると石畳の道が続き、町の雰囲気はガラッと変わる。
自動車の乗り入れ制限があるので、閑静な雰囲気があり、ゆったりとしてそぞろ歩きが出来る。
石畳なので夏場の照り返しがきつくなく、アスファルトの道を歩いているときの、うだるような感じがない。
それぞれのお店を覗いてみると、一見料金が高そうなところが多そうなのだが、意外とリーズナブルなところもあるが、
人気の観光スポットなので、早くから予約を入れないとなかなか泊まったりすることは難しそう。
しかし一見さんお断りが無いので、早い時期から予約すれば、宿泊できるらしい。
この通りは特別な許可がないと、自動車の通行が出来ないこともあり、町の情緒を楽しむのにゆっくりと歩くことが出来る。
通りの雰囲気もさることながら、少し足を伸ばすだけで、高台寺や八坂の五重塔に行くことが出来るので、京都東山観光をするにははずせまないところ。
料亭などの、しっとりした商売もあるし、旅館なども風情がある。
私は、別にお金をもらったわけではないので、個々の紹介はしない。ネット上で検索されたい。
「詩」にも書かれているが、「湯豆腐」は京都の冬の食べ物として、絶好のものではないかと思う。京都は「水」がいいので、おいしい豆腐がある。
この詩は、さほど巧い作品ではないが、最終連の
石畳のように角張った
とうふのかどなぞりながら
というくだりは、秀逸である。
この「松山妙子」という作者のことは、私は何も知らない。
地図を貼り付けようとしたら、重くて重くて、まるでフリーズ状態になって他の記事の入力もまならないので削除した。
ネット上では「石塀小路」と検索すると多くの記事が出ているので各自調べられよ。
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コメント
「石塀小路」ですか。
12月の8日にこの近くに宿をとって、高台寺や圓徳院をたずねました。
残念!この小路は見逃しました。
週刊文春の新年号の小林信彦さんの連載に、「パンドラの匣」のことが取り上げられていて、
・・・木村庄助という人の闘病日記をネタにしたらしい。と、短い記述がありました。
お兄さまはまだ若いままで、この平成にも生きていらっしゃるのですね。
12月の8日にこの近くに宿をとって、高台寺や圓徳院をたずねました。
残念!この小路は見逃しました。
週刊文春の新年号の小林信彦さんの連載に、「パンドラの匣」のことが取り上げられていて、
・・・木村庄助という人の闘病日記をネタにしたらしい。と、短い記述がありました。
お兄さまはまだ若いままで、この平成にも生きていらっしゃるのですね。
■emarchさま。
お早うございます。
お元気で新年をお迎えになりましたか。
週刊文春の新年号の小林信彦さんの記事は
私は知りません。
重信兄にも見せたいので、
当該の記事のコピーをいただけませんか。
あなたの旧記事は読みました。
では、よろしく。
よろしくお願いいたします。
お早うございます。
お元気で新年をお迎えになりましたか。
週刊文春の新年号の小林信彦さんの記事は
私は知りません。
重信兄にも見せたいので、
当該の記事のコピーをいただけませんか。
あなたの旧記事は読みました。
では、よろしく。
よろしくお願いいたします。
2011/01/06(木) 07:41:00 | URL | sohya #- [ 編集 ]
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