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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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古暦雑用帖にまぎれけり・・・・・・・・・・・・・・・・正岡子規
暦

   古暦雑用帖にまぎれけり・・・・・・・・・・・・・・・・・正岡子規

今日は1月15日いわゆる「小正月」である。7日までを「松の内」というが、昔は「小正月」までが、お正月だった。
戦後の一時期、この日が「成人の日」となったことがあるが、近年では「成人の日」は移動休日になって、「第二月曜日」が、この日となって、何だか締まりのない休日になってしまった。
私の地方では、1月14日の夜に町内の者が寄って「日待講」を催し、小正月の朝を迎え、当日の朝に「注連飾り」や「古暦」、神社や寺院の「お札」などを持ち寄って「とんど」という焚火を焚いて、それらを燃やしたものである。
「小正月」には「小豆かゆ」を炊いて、その中に鏡餅の固くなったものを刃物で細かく切って食べたものである。

掲出した子規の句は、無用になった昨年の「暦」が、うち捨てられて粗末に扱われる様を、うまく描いている。

    古暦吹かるるや三輪の町はづれ・・・・・・・・与謝蕪村

この蕪村の古句は大和の三輪明神の町はずれの風景を心象ふかく描出している。三輪山を御神体とする「三輪」ならではの心象である。他の町の名には置き換えがたいものである。

    一日もおろそかならず古暦・・・・・・・・高浜虚子

この句も「古暦」への、なみなみならぬ愛着を盛っている。今は「古暦」になったとは言え、旧年中は、さんざお世話になった暦なのである。
現代は、こういう「暦」などにも世話になることはないが、昔は何事をするにも「暦」にはお世話になったのである。農事なども旧暦でする方がぴったり来たものらしい。

    大安の日を余しけり古暦・・・・・・・高浜虚子

この句は、まだ正月前の暮のことであろう。年内に、まだある「大安」の日のことが気になって「古暦」を捨てられずに居る、という意味であろうか。

    古暦日々の消えゆくたしかさに・・・・・・・・井沢正江

光陰矢のごとし、というが「日々の消えゆくたしかさ」という把握の仕方が秀逸である。

    古暦ひとに或る日といふ言葉・・・・・・・・長谷川照子

歳月というものは水の流れのようで、堰き止められるものではないが、人は誰しも「或る日」というのを記憶に留めたがるものである。そんな心象に迫るものとして非凡である。

    古暦焚く束の間の焔なりけり・・・・・・・・菊地久城

この句も「古暦」に多分の愛着を示して、それを燃やした後になっても「束の間の焔」というところに未練を残していて忘れがたい。
みなさん、いかがだろうか。


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