
今日の逢ひいや果ての逢ひと逢ひにけり
村々に梅は咲きさかりたり・・・・・・・・・・・中野重治
今日逢うのが最後、と思いつつ恋人に逢った。村々は梅の真っ盛りだった、の意味である。
「逢ひ」という言葉を三回繰り返すルフランの効果が、すばらしい。
この歌の他に
相よりてくらやみのなかに居りしかば吾が手かすかに人の身に触れつ
風吹けばただに逢はんと手をのべつ心かよふといへどせつなく
などの歌も並んでいる。
掲出した歌は大正12年に四高の校友会雑誌に発表した恋歌の一首。
後のプロレタリア作家として著名な中野重治の若い頃の歌である。
この頃の室生犀星や窪川鶴次郎らとの交遊のさまは小説の初期代表作「歌のわかれ」にうかがわれる。
『中野重治全集』から。

後年のプロレタリア作家あるいは評論家として戦争中は投獄されたり、執筆禁止を食らったり、という境遇からは、想像できないような、真っ当な、伝統的な詠いぶりである。
『中野重治詩集』などに見られるような政治性、プロパガンダ性の強い詠いぶりとは、大違いである。
そういう時期もあった、という見本として引いておく。
作者は戦後、参議院議員として政治活動にも携わった人である。
掲出写真は中野重治の墓である。
彼の墓というよりも「中野家」の墓であり、彼の故郷の村の「太閤さんまい」だと書かれている。詳しくは、このリンクの記事を読んでもらいたい。
彼の夫人は新劇俳優の原泉だった。
他に「中野重治記念文庫」や「Wikipedia」などに詳しく出ているので参照されたい。
中野重治の著作で注目すべきものは、ほぼ戦前に出つくしていると言ってよい。
『詩集』にせよ『歌の別れ』にせよ『斎藤茂吉ノオト』にせよ、特高警察の厳しい監視の中にありながら書かれたものである。
戦後の政治活動などは、文学者らしい偏狭な拘りは見られるものの、彼の執筆者としての生涯からすると蛇足みたいなものである。
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