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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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乳房や ああ身をそらす 春の虹・・・・・・・・・・・・・富沢赤黄男
990930a虹

     乳房や ああ身をそらす 春の虹・・・・・・・・・・・・・富沢赤黄男

伊丹三樹彦の句を採り上げたので、先駆的な前衛俳句を採りあげたい。

富沢赤黄男(とみざわ・かきお)である。
私の尊敬する近藤英男先生が若い頃、彼に師事されていたという。
早稲田大学政治経済学部卒。応召して工兵将校として出征。戦後、詩人的才質と教養によって、実存的な、鋭い詩意識の「俳句詩」を創り出した。
句集に『天の狼』など。

掲出の句は、5音7音5音の間に空白を置くなど、実験的な句作りである。「乳房や」という切れ字を使った出だしからして、突飛である。
そして「ああ身をそらす」という中7が、一層センセーショナルで、初句を受けて、何やら曰くのありそうな、思わせぶりな句作りである。
そして下5が「春の虹」と来る。ここで、一種のどんでん返しの様相を呈する。
こういう句作りには、伝統俳句の側からは、激しい異論があろうが、現代詩から出発した私などから見ると、どうということもない。
現代詩の世界では、常識のことである。
以下、私の好きな赤黄男の句を書き抜いてみよう。

 ペリカンは秋晴れよりも美しい

 灯を消してああ水銀のおもたさよ

 冬天の黒い金魚に富士とほく

 蝶墜ちて大音響の結氷期

 椿散るああなまぬるき昼の火事

 蝶ひかりひかりわたしは昏くなる

 やがてランプに戦場のふかい闇がくるぞ

 三日月よ けむりを吐かぬ煙突(けむりだし)

 秋を匍ひ 柔毛(にこげ)のごとき日を嗅げり

 切株に 人語は遠くなりにけり

 蛾の青さ わたしは睡らねばならぬ

 寒い月 ああ貌がない 貌がない

 春雷は 乳房にひびくものなりや

 黒い手が でてきて 植物 をなでる

 男根の意識 たちまち驢馬啼き狂ひ

 草二本だけ生えてゐる 時間

 首のない孤独 鶏 疾走(はし)るかな

 くらやみを 鶏 くろい卵を生め


赤黄男独特の実存的な表現だが、「蝶墜ちて大音響の結氷期」や「男根の意識 たちまち驢馬啼き狂ひ」や
「草二本だけ生えてゐる 時間」などの句は赤黄男の代表作と言われている。
終わりの二句などは、現在、人々に恐怖を与えている「鶏インフルエンザ」の果てしない蔓延の様相を見るとき、
極めて今日的な、凄い句だと思うが、いかがだろうか。
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Web上に載る「ぴいぷる」私たちの街の人たち というサイトの記事を引いておく。
写真②は小平霊園に眠る赤黄男の墓。
tomizawakakio赤黄男の墓

富澤 赤黄男(とみざわ・かきお)(1902~1962)
新興俳句旗頭。カナダ、トロント大学が出版した英文の句集では、日本人俳句の代表的作家の一人として二十首の俳句とともに世界に紹介されている。 俳人富澤赤黄男は新興俳句旗頭として、また難解俳句で全国に知られている。目立つ身長であったせいか「一見とりつきにくい感じの人」とか、「ヴァイオリンを弾きながら波浮の港や影を慕いて等を歌われる抒情豊かな人」と、馴染みの人々は語っている。はたして「富澤赤黄男」とはどうのような人物だったのであろうか。
 赤黄男は俳句作りを「我流・自己流」がいいとしていた。それも厳しい自己問答・葛藤によって練り上げる姿勢を論じている。例えば目の前を飛ぶ蝶、赤黄男の眼から入って赤黄男の口から「蝶」と叫ばれる。
叫ばれた「蝶」は赤黄男の「思い」の代物としての蝶であって、実在の蝶ではないという。つまり赤黄男の肉体を通り抜けた俳句、厳しい自己問答・葛藤の洗礼を経て生まれたものが「赤黄男俳句」ということになる。定型は中味の必然において生まれる形式だとし、季語無用論を主張した。そういった俳句作りをしていたため「難解である」と言われるのであろう。それでは富澤赤黄男の俳句はただ難解であるから有名なのであろうか。

戦時中でも赤黄男は俳句を作り続けた。

 戞々(かつかつ)とゆき戞々と征くばかり

「蒼い弾痕」の第一句に収録されている戦争俳句である。戦争俳句は昭和13年頃より俳壇に流行した 。赤黄男の戦争俳句は他の俳人と比べて、実際に戦場での経験が作りだした赤黄男自身の肉体が感じられる俳句となっている。季語を使わず、独自の表現方法で戦争の状況を表している。
 「潤子よ、お父さんは小さな支那(しな)のランプを拾ったよ」の前書きで始まる「ランプ八句」という俳句も戦時中に作られた作品である。これは書き出しでも判るように愛娘潤子へ宛てたものである。殺伐とした野戦での心安らかな一時が故郷の娘を想うことだったのであろう。子煩悩だった赤黄男の一面である。また赤黄男には7歳離れた妹がいた。

 足袋はいてつつましき娘となりにけり

女学生時代の妹粽は豊かな家庭にありながら乗り物を使わず、徒歩で名坂越えの通学をしていた。その姿を思い詠んだ句であろう。まさに妹を見る兄の愛情である。妻清に対する俳句もある。

 氷砂糖かりかり噛んで風邪の妻
 風邪の妻梅酒に酔ふてゐたりけり

「妻にも戦時中は苦労をかけておりますよ。着物の賃縫いをしたり、或る時は駅に新聞を売りに出たりしました。」と、感謝といたわりの情があふれていた。

記念すべき赤黄男の初の句集『天の狼』の初版は昭和16年で、この年は昭和12年以来の日中戦争が、ついに太平洋戦争と発展した忌まわしい年である。文壇では治安維持法違反容疑で新興俳句作家が検挙され、すべての新興俳句作家は拠点を失う時世であった。初版では字句を歪めまたは差し控えて発表していたが、10年後再版するにあたって生来どおりに戻した。この間赤黄男は苦難と悲痛の時代を過ごし、羞恥と後悔を感じていた。再版『天の狼』の赤黄男が本来の姿なのである。

赤黄男は「俳句は詩である」と主張した。どのように解釈するかは百人百様であってよいのである。ましてや赤黄男の超現実化した俳句においてはなおさらであろう。幾多の波にも信念を曲げることなく、自分の俳論を貫きとおした俳人であった。赤黄男の俳句精神が集約されていると思われる一部を紹介する。

復習・・・
踏切にて、列車は僕を拒止し傲然(ごうぜん)と駆け抜けた。が、彼奴、レールを取残して行った。そこで僕は、意地にでもこのレールを横切らねばならない。
(『雄鶏日記』より)


--------略歴--------
明治35年(1902年) 7月14日愛媛県川之石村(川之石琴平)に父岩生、母ウラの長男として生まれる。
本名正三。
大正9年(1920年) 宇和島中学を卒業後、鹿児島の第七高等学校の受験の際、同宿の受験生との腕相撲で腕を折って受験に失敗。
大正15年(1926年) 早稲田大学を卒業した後、国際通運東京本社に就職。

昭和3年(1928年) 26歳、喜多郡の酒造家菊池愛太郎の次女清(きよ)と結婚し、大阪東成区生野町に移住
昭和5年(1930年) 父が病気で眼を病み医者をやめ、川之石木材株式会社を経営。それを手伝うために帰郷、地元の国立第二十九銀行へ入社。郷土の俳句同好会『美名瀬吟社』に入り俳句を始める。
昭和7年(1932年) 俳号を「蕉左右」と改め、後に「赤黄男」と改号。
昭和10年(1935年) 俳詩『旗艦』が創刊され、その中で「新興俳句昭和の問題」を執筆するなど各誌に寄稿。水谷砕壺、日野草城、西東三鬼らと共に新興俳句家として俳壇にその名を知られる。
昭和13年(1938年) 戦争俳句が俳壇に流行。翌年、『旗艦』に「ランプ」を発表。『俳句研究』の「新鋭16人集」に作品「蒼い弾痕」を寄稿。
昭和16年(1941年) 安住敦のすすめで句集「天の狼」出版
昭和20年(1945年) 終戦。43歳。翌年から意欲的に数々の俳句雑誌に執筆、作品発表。昭和23年(1948年)詩論「モザイック詩論」発表。昭和27年(1952年)句集「蛇の声」刊行。翌年、『薔薇』に「クロノスの舌」を執筆。以後終刊まで随時発表
昭和36年(1961年) 体の調子を悪くする。句集「黙示」刊行
昭和37年(1962年) 60歳。3月7日永眠

昭和62年(1987年) 『郷土の偉人の灯を消すことは郷土の恥である』と、第1回富澤赤黄男顕彰俳句大会を開催。以後毎年赤黄男の忌日前後に開催
平成5年(1993年) 琴平公園に富澤赤黄男句碑広場が完成。句碑には胸像のレリーフとともに赤黄男直筆の句が刻まれ、そばに俳句ポストが設けられている。
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参考:教育委員会文庫5 郷土の俳人富澤赤黄男(保内町教育委員会)
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今日4月15日は亡妻・弥生の祥月命日である。満五年経ったことになる。
来年は「七回忌」ということである。来年にはささやかでも法事をしなければならないだろう。
冥福を祈りたい。

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