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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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春の鳶寄りわかれては高みつつ・・・・・・・・・・飯田龍太
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     春の鳶寄りわかれては高みつつ・・・・・・・・・・飯田龍太

鳶が二羽、春の空に舞う。寄り合ったかと見ると、たちまち別れ、次第に空の高みへと、せり上がってゆく。
まるで何かに押しあげられるように上昇気流に乗って。
春を迎えて求愛の飛翔だろうか。
この句の中七以下を細かく区切ってみると、「寄り」「わかれては」「高み」「つつ」のようになるが、いずれも鳶の刻々の動きを言葉で具象化してゆく表現。
作者がいかに対象の動きを細かく文節化する才能に恵まれているかが判る。
そして、その細分化された対象の動きを一気に力強い詠み方で合体させるとき、句全体はきびきびした律動を与えられる。昭和28年刊『百戸の谿』所収。

飯田龍太は2007年二月下旬に亡くなった。
飯田龍太は飯田蛇笏の4男として誕生。「雲母」主宰を勤めるが、もう十数年も前に自分の結社も解散した。
潔いと言えよう。日本芸術院会員。

この句は自分でも好きだったらしく、自選80句の一番はじめに採っている。以下、自選句から、少し抽出する。

 紺絣春月重く出でしかな

 いきいきと三月生る雲の奥

 強霜の富士や力を裾までも

 大寒の一戸もかくれなき故郷

 雪の峰しづかに春ののぼりゆく
 
 秋冷の黒牛に幹直立す

 晩年の父母あかつきの山ざくら

 夏の雲湧き人形の唇(くち)ひと粒

 雪山のどこも動かず花にほふ

 手が見えて父が落葉の山歩く

 あをあをと年越す北のうしほかな

 春暁の竹筒にある筆二本

 白い肌着のなかの膚(はだへ)の小六月

 かたつむり甲斐も信濃も雨のなか

 貝こきと噛めば朧の安房の国

 冬の雲生後三日の仔牛立つ

 存念のいろ定まれる山の柿

 去るものは去りまた充ちて秋の空

 鹿の子にももの見る眼(まなこ)ふたつづつ

 なにはともあれ山に雨山は春

 雲雀野や赤子に骨のありどころ

 毛毬つく毬より小さき手毬唄

 枯蟷螂に朗々の眼あり

 涼風の一塊として男来る
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20070227at15c飯田龍太

よく知られていることだが、ここで彼の略歴を紹介しておく。

飯田龍太
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

飯田 龍太(いいだ りゅうた、1920年7月10日 ~ 2007年2月25日)は日本の俳人、随筆家、評論家。戦後における俳壇で新鋭的な俳人として一躍注目を集める。俳人・飯田蛇笏(武治)の四男。

経歴
1920年、山梨県東八代郡五成村(現・笛吹市境川町)に生まれる。1927年(昭和2年)に境川尋常小、1933年(昭和8年)には旧制甲府中学(現山梨県立甲府第一高等学校)へ入学し、1940年(昭和15年)に國學院大學文学部国文科へ進む。折口信夫を尊崇し、句作に親しむ。右肺浸潤のため一時休学し、右肋骨にカリエスが発症したため療養生活を送り、1947年(昭和22年)には大学を卒業、卒業論文は「芭蕉の悲劇性の展開」。

その後は句作を活発に勤しみ、俳句と俳人に囲まれた環境にあったため父の句会に加わり、故郷の境川村で蛇笏主宰の俳誌『雲母』の編集に参加。1951年から山梨県立図書館に司書として勤務。1954年8月には第一句集『百戸の谿』を出版。1957年には現代俳句協会賞を受賞するなど巷から次第に実力を認められていく。当世的な感覚から生み出される叙情味あふれた句は、多くの人間を惹きつけた。

兄たちは若くして次々と亡くなり、1962年には父の蛇笏が死去し、300年続く大庄屋飯田家の家督を継いだ。
作家の井伏鱒二に私淑し、交友もあった。郷土山梨での文芸活動にも携わり、やまなし文学賞や山梨県立文学館の創設、山梨日日新聞の文芸欄の選者などを務めた。2007年2月25日、肺炎のため甲府市内の病院で死去。享年86。

年譜
1940年 國學院大学入学。
1947年 國學院大学卒業。
1949年 第二回山梨県文学賞受賞。
1954年 第一句集『百戸の谿』を出版。
1957年 現代俳句協会賞を受賞。
1959年 第二句集『童眸』を出版。
1962年 父の没後、俳誌『雲母(うんも)』の主宰を継承し、俳句に勤しむ。
1968年 第四句集『忘音』にて、第20回読売文学賞受賞。
1981年 日本芸術院賞、恩賜賞受賞。
1983年 紫綬褒章受賞。
1984年 日本芸術院の会員になる。
1992年 蛇笏没後30年を期に、俳誌『雲母』を900号目で廃刊。
2007年 肺炎のため死去。享年86。
毎日俳壇選者をつとめる。著作に『山居四望』などがある。

著作
句集『百戸の谿』(1954)
句集『童眸』(角川書店,1959)
句集『麓の人』(1965)
句集『忘音』(牧羊社,1968)
句集『春の道』(1971)
随筆集『無数の目』(1972)
句集『山の木』(1975)
句集『涼夜』(立風書房,1977)
随筆集『思い浮かぶこと』(中央公論社,1978)
『今音』(句集,1981)
『山居四望』(随筆集,1984)
句集『山の影』(立風書房,1985)
『飯田龍太文集』(筑摩書房,1988)
句集『遅速』(立風書房,1991)
『飯田龍太全集』(角川書店,2005)



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