K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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卯の花の/にほふ垣根に/時鳥/早も来鳴きて/忍音もらす/夏は来ぬ・・・・・・・・・・・・・佐佐木信綱
hototogisu_1_qvgaホトトギス


      卯の花の
    にほふ垣根に
    時鳥(ほととぎす)
    早も来(き)鳴きて
    忍音もらす
    夏は来ぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・佐佐木信綱


一般に小学唱歌として知られている、佐佐木信綱作詞の「夏は来ぬ」である。
この唱歌は五番まであるが、たとえ二番以下は忘れてしまっていても、この一番の歌詞は歌えるという人が多いだろう。
この唱歌を小学校で習った頃は「ホトトギス」が「ハヤモキナキテ シノビネモラス」という辺りの意味は、よく判らないのに、
妙に快く入ってくる語感には魅力を感じたものだった。
佐佐木信綱は明治、大正、昭和三代にわたって、歌人として、また早稲田大学で歌学者として巨大な業績を積み上げた人だが、
この「夏は来ぬ」を作詞した当時は、弱冠24、5歳の青年だった。
この詩については諸家の研究によって、鎌倉時代末期女流歌人の第一人者・永福門院の歌

  ほととぎす空に声して卯の花の垣根もしろく月ぞ出でぬる

という歌の「本歌取り」であると言われている。
若き日の信綱は、小学生のための唱歌の作詞を依嘱された時、この古典の秀歌を踏まえて、それに新しい息吹を吹き込むことを考えたのであろう。
彼は、それを見事に実現した。それは、原和歌の57577ではなくて、
詩として575775という音数律にしたところに新鮮な歌謡としてのリズムを産出し得ている。

永福門院の生きた昔は、鳥の分類も厳密ではなかったから、郭公や筒鳥、十一(古名では慈悲心鳥ともいう)というようなホトトギス科の鳥と混同されていたことも多かったらしい。
「古今和歌集」の夏の歌は34首であるが、そのうち時鳥を詠んだもの28首で9割近い多さである。

ここで、平安時代の頃のホトトギスを詠んだ歌を少し抽出しておく。「古今和歌集」の巻頭歌に

 わがやどの池の藤波さきにけり
    山郭公(やまほととぎす)いつか来鳴かむ・・・・よみ人しらず


「わがやど」の「やど」に「宿」の字を宛てるのは間違いで、意味としては「屋外」(やど)─つまり「庭」のこと。
平安朝の貴族の邸宅は、寝殿造りの家屋に庭という様式だった。庭には池が造られ、そこに松や藤などの四季折々の花や樹木を植えて楽しんだのである。
「藤波」とは藤を波になぞらえたもので、藤の花盛りを指す。
ホトトギスは渡り鳥だが、昔の人は、季節になると「山」から下りて里へ来るものと考えていたので、ヤマホトトギスと呼び習わした。
それは花を追って里へやって来るということは、花である女を慕って通ってくる男のイメージに重なる、という訳である。

 郭公まだうちとけぬしのびねは来ぬ人を待つわれのみぞ聞く・・・・・・・・白河院

「時鳥」の初音、すなわち「しのびね」が、来る筈なのにやってこない人を心待ちにしている、人知れぬつらい思いとイメージにおいて重なり合っていることは言うまでもない。
訪れてくる恋人を待ちに待っている女心を余情にした「恋歌」と読めるものである。

 聞かでただ寝なましものを時鳥なかなかなりや夜半の一こゑ・・・・・・・・相模

 いかにせむ来ぬ夜あまたの時鳥待たじと思へば村雲の空・・・・・・・・藤原家隆


「時鳥」と「恋」を連想させて、歌人たちが好んで詠ったのも、これで判るだろうか。

最後になったが「卯の花」の写真を出しておく。

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