
故郷の電車今も西日に頭振る・・・・・・・・・・・・・・・・平畑静塔
「西日」というのは一年中あるものだが、俳句の季語としては「夏」のものである。カッと照りつける西日が耐え難いものだからであろう。
それが「大西日」となると「秋」の季語となるから留意されたい。
平畑静塔は明治38年和歌山市生れの人。この句には「望郷」と前書きがある。
和歌山の市内電車の写真をkaresansui氏が検索して下さったので載せる。カラー写真のものは画像が出なかった。

二番目の写真は阪堺電車のもの。大阪や関西の人なら判るが他所の人のために少し説明する。
大阪市の南部の天王寺・阿倍野から堺の浜寺公園まで昔ながらの路面電車が今も走っている。阪堺電車という。
スピードはのろく、車体も寄せ集めで、いろいろあるらしい。
平畑の句の情景は、こんなところだろう。
路面電車は、さほど、なめらかな運転とは言えず、頭と尾っぽを振ってゴトゴト走っていた。この電車の行き先は「浜寺駅前」と読み取れる。

三番目の写真は京都市電の「サヨナラ」号の写真である。撮影場所は東山七条。近くの寺院の階段に多くの人が一杯坐って、名残を惜しんでいる。
私はこの路線を京都駅前から大学へ通っていた。ちょうど東山七条には、今の京都女子大があって女学生がたくさん乗り降りした。
写真の左手には国立博物館が、今もある。
七条通は加茂川を越えると上り坂になり、写真の電車はその上りで京都駅から来て高野方面へ向かうもの。
⑥という数字のプレートが見えるが、路線の番号で、⑥路線は高野から西向して烏丸車庫から烏丸通を南下して京都駅に至る。
私には懐かしい番号プレートである。

四番目の写真は京都市から郊外へ走る京福電車の北野線。丁度サクラの満開の中を「鳴滝─高雄口」の辺り。
この電車は最近の製造のもので2001型と書かれている。
京福電鉄とは、当初は福井と京都を結ぶ鉄道として計画されたが、結局は福井市近郊の路線と京都市内の北野線、嵐山線、比叡山鞍馬線として営業している。
京都では嵐電、叡電と呼んできたが、今では叡電は京阪電車系列に入って車両も新しくなった。
この岩倉、鞍馬山、比叡山へは観光の人はもちろん、沿線の宅地化によって人の乗り降りも増え、精華大学のキャンパスも出来たりして賑やかになった。
自動車の台数の多さや大気汚染の関係から諸外国では、この路面電車が見直され、「トラム」という名前で、
車体も低床式で老人や障害者にも優しく、形もスマートなものが出てきた。

五番目の写真はドイツのフランクフルトのトラムだが、この形は、まだ古いものに属する。
日本でもヨーロッパ製のデザインも素晴らしい車体を輸入してトラムを復活させる計画もあるらしい。
アメリカのダラスなどでも、一部の路線にトラムが走っている。
終わりになったが、平畑静塔の句は『月下の俘虜』(昭和30年刊)に載るもの。
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歳時記から「西日」の句を引いて終りにする。
銀座西日頸たてて軍鶏はしるなり・・・・・・・・・・・・加藤楸邨
西日中電車のどこか摑みて居り・・・・・・・・・・・・石田波郷
逃げても軍鶏に西日がべたべたと・・・・・・・・・・・・西東三鬼
西日照りいのち無惨にありにけり・・・・・・・・・・・石橋秀野
石垣に花嫁の影西日の鶏・・・・・・・・・・・・飯田龍太
交差路の影なき西日別れ易し・・・・・・・・・・・・野沢節子
おくれ来し吾に西日の席ありぬ・・・・・・・・・・・・内野たくま
つかみたる掌に何もなし西日中・・・・・・・・・・・・日下三風
ここまでは西日届かず懺悔台・・・・・・・・・・・・福永耕二
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