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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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飢渇は屡々 魂を星に似せる/飢えは 年わかい隻眼の狼を 純粋にしていったのだ・・・・・・・・・・・・鈴木漠
鈴木漠③

  ──鈴木漠の詩──(4)

        天 狼・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠

     飢渇は屡々(しばしば) 魂を星に似せる
     
     古代中国の草原を あるとき はてもしれぬ飢餓が覆うた
     飢えは 年わかい隻眼(かため)の狼を 純粋にしていったのだ
     また幾夜かは皓々たる月明がつづき やがてその月の虧(か)けはじめる夜
     ついに彼の渇仰は頂点に達した 杳(くら)く永遠のようにけぶる地平線にむかって
     彼は疾駆しはじめた
     最後に──人々は 美しく恚(いか)りを燃やして 溶けて空間を 翔(か)けり行く
     悽愴な一頭のけだものを 目撃したのであった


     飢渇は屡々 魂を星の如くする
     古代中国の人々が 光度負(マイナス)一・六等のあの大輝星を「天狼」と名づけた由来は
     つまびらかにするべくもないが 何ものへともなく はげしく閃いた狼の忩怒は
     私の内なるなべての志向と渇仰の果てに つめたく いまも輝くのである
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処女詩集『星と破船』1958年濁流の会刊 に載るものである。
原本は見つからないので、掲出画像の『鈴木漠詩集』(現代詩文庫・思潮社2001/02/28刊)「初期詩篇」から引いた。
鈴木漠はWikipediaなどによると1936年徳島生まれというから、この詩集が出たとき彼は弱冠22歳ということになる。
このアンソロジーの巻末には彼の師とも言える前衛歌人の塚本邦雄が「いづくにか船泊(ふなはて)すらむ」という7ページ半にわたる解説の文を寄せている。
今ここに、それを引くことはしないが、先に掲出した「天狼」の詩も引用されている。
あと、塚本も引いているいくつかの詩を以下に載せておく。
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        風景のなかの人体図・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠

     風景のなかで人体は
     噴泉となって立ちあがり
     それからそのままで
     ほとんど涸れてしまっている
     それは粘土の骨格からなる
     一縷の望楼である
     あらゆる洪水の先触れとして
     まずやってくるだろう時間の
     断崖(きりぎし)を見張る哨兵である

第五詩集『風景論』1977年書肆季節社刊より
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        坩堝(るつぼ)について・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠

     坩は土の器
     堝は磁器
     けだし錬金術師の俤(おもかげ)は
     蒼白として土人形に似るであろう
     はじめて火事を目撃した夜の
     甘美な怖れと呪縛と

     坩堝は発熱する
     たとえば水を掬いあげる掌のかたち
     火がそれを願望したなら
     すでにそこに坩堝はある
     これはまた幻想の茂み
     どんな主題をも錯綜させる
     抽象された物質の火を責めるために
     自身はどんな火に抱かれるのか

     樅のなかにひそむ火
     麦わらの火
     本を焦がしあらゆる記憶を焚く火
     ここでは坩堝を
     もっと熱するための炎が必要か?
     娘たちが跳び越える夏至の火?
     木の太腿を擦りあわせ
     ふいごに汗をしたたらせる火?

     坩堝の奥は夜の庭園
     これはまた火の食事
     けれどこころしなければならない
     坩堝の飽食するときを
     叡智を煮る仕事に倦む日日を
     虚空を裂き大地を割って
     地獄からの悪意がふいに
     眼の前に直立するであろう必至の刻を

     弁証法の螺旋階段をかけ昇るばかりではない
     火を汲む愚かな容器のかたち
     火もまた輪廻の器をめぐるのだ
     終りのない遍歴を旅人は続けているのだろうか
     風はあくまで青いのに?
     坩堝が冷めるまでの
     つかの間を
     山は移し終えられただろうか?
     星は微塵となっただろうか?

第六詩集『火』1977年書肆季節社刊より
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        井 筒・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠

     心の種を播き
     いつか茂らせる ことばの
     ささやかな果樹園
     見えない水脈(みお)を掘りあてる
     婚姻とは
     真新しい井桁を組むことだ
     流れ来(きた)り 流れ去る
     すべてのもの
     ときに地表にあふれ出て
     泉は澄んだ笑い声をたてる
     本来は無一物たるべく
     若い夫と妻の組みあわせ
     婚姻とは
     家具調度の倹(つま)しいたたずまい
     夏の終りには
     精いっぱいにかがやく洗濯物
     都市であれば その平面上に積む
     田舎のイリュージョンを
     丘の起伏や野火などを
     できるだけ原初的に
     かつは音楽的に!
     齲歯の位置ほどにも
     相互にずれる遠近感の中へ
     西風の呼気
     潅木と腐葉土の匂いを
     与えられた小さな秩序に
     かてて加えるならば
     深井に映る星
     嬰児の
     愛くるしい笑顔をこそ

第九詩集『妹背』1986年書肆季節社刊より
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メタファを駆使してあるので、慣れない人にはわかり難いかも知れない。
たとえば『妹背』の中の一連などは、この頃、彼が結婚したことが判る。仔細に読み解いてもらいたい。
     
          
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