FC2ブログ
K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
202007<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>202009
薄氷を揺すりせせらぐ野川かな/言葉はづみて摘む蕗の薹/果実盛る赤絵の皿もうららかに・・・・・・・・圭介・漠・英治
鈴木漠五

  ──鈴木漠の詩──(6)

          薄 氷(半歌仙)・・・・・・・・永田圭介・鈴木漠・三木英治

   春  薄氷(うすらひ)を揺すりせせらぐ野川かな         圭介

   春   言葉はづみて摘む蕗の薹                   漠

   春  果実盛る赤絵の皿もうららかに                英治

       碁盤に石の響き定まり                      圭

   夏月 冷奴くづして独り月涼し                      漠

   夏   蛍火舞ふは仮名文字のごと                   英

      世の外(ほか)のひかりこの世へ移しけり             圭

   恋   眩みて白き肌に入れ揚げ                     英

   恋  ひたすらに生くる証しの恋もして                  漠

   秋   ものの形のかげる秋風                       圭

   月  夜もすがら月の射しこむ廃屋に                   英

   秋   紅葉手折りて媼(おうな)歩み来(く)                漠

      あさきゆめいまあやかしの郷(さと)にあり              圭

   冬   狼遠く吠ゆるらしきを                         英

   冬  猟銃をほてる片頬(ほ)に当てしのみ                漠

       宮仕へ辞しはや十年(ととせ)経ぬ                 圭

   花  数奇者の衣を染めて花ふぶき                    英

   春   ポストへ落す春の音信                        漠

                                 圭介・漠・英治 各六句
                          1992年二月首 同年四月尾(文音)

  連句集『虹彩帖』鈴木漠・編 1993年11月書肆季節社刊より
-----------------------------------------------------------------
この本は「連句集」の三番目として刊行されたもので、この本には連句の形式の中で「歌仙」「半歌仙」のみ25件が収録されている。
当初は鈴木漠も、形式には、まだバラエティが無かった様子である。
先に紹介したようなソネット形式も何もない、からである。
この本には連衆として25人が参加されている。
この本の巻末に、鈴木漠が「虹のエクリチュール」という5ページの文章を書いている。一部を引く。

<近年、連句見直しの機運が高まるのに呼応するかのように、現代詩の分野でも、盛んに連詩の試みが行われるようになっている。
共同制作のメリット、その新鮮さなどが、あらためて注目されはじめているのであろう。・・・・・・
こと連詩に関しては、詩人たちの間でも、まだなお方法論の端緒すら見出し得ない状況だといってよいのではないか。・・・・・
自由詩(フリー・ヴァース)としての現代詩が書かれはじめて、すでに百年ちかい歳月が経過している。そして、それはそれなりに、現代の詩想や詩情を叙べるべき器として定着し、相当の成果を挙げてもきたのだったが、その黄金期はすでに過去のものになった、と私などは認識している。
もっと限定した言い方をすれば、活字文化の精粋としての現代詩、あるいは言語表現上のさまざまな制約から「自由」であるべき詩形式としての現代詩の役割は、1950、60年代を頂点として、ほぼ終わっただろうと感じているのである。
その背景、その要因には、何と言っても、情報メディアの革新が挙げられるであろうか。かつて活字一辺倒であったメディアが、いまや映像と音声を中心としたものへと様変わりしたなかで、文芸各ジャンルのそれぞれの在りようも、多様に変化せざるを得ない状況におかれていると言ってよい。・・・・・
袋小路へ向かいつつあるかに見える現代詩に、虹のエクリチュール、その七彩の言葉の富を回復することが出来るかどうか。
遠からぬ日の現代詩の滅びを予感しながら、なおしばらく、詩のトポスから連句の詩法との接点を模索し続けるほかはないと思い定めているのである。>

これは現代詩の実作者としての実感であろうか。
近年、「連句」に注力する彼の熱い思いを見知るのである。



コメント
コメント
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック
copyright © 2020 Powered By FC2ブログ allrights reserved.