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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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至るところ蒸せ返る小便と汗の匂いに/否応なく鼻孔と肺と脳とを犯されながら・・・・・・・・・・・・四元康祐
四元康祐

──四元康祐の詩──(2)

   ニューヨーク サブウェイライド・・・・・・・・・・・・・・・四元康祐

   至るところ蒸せ返る小便と汗の匂いに
   否応なく鼻孔と肺と脳とを犯されながら
   時間を訊かれるたびに脅え頸筋を強張らせ
   眼の前で若い娘がホームから突き落とされるのを見て
   その視線をゆっくりとタブロイドの活字に戻す
   いけにえを捧げるべきどんな神が
   いると云うのかこの地底の祭壇に
   史上最高の富と文明が
   密林に勝る混沌と恐怖の上に成り立っていて
   白い人は白い膚を呪い
   老人は衰えた脚力を呪い
   女たちは突き出た乳房と尻に恥じ入って
   垂れかかる葉と蔓のように車両を充たす
   その呪いと恥の間を黒い若者がしなやかに歩いてゆく
   禁欲と勤勉で地上を律する膨大な法の体系も
   悪意がないと云うただそれだけのことを
   乗客たちに示す手立てを若者には与え得ないから
   彼もまた黒い膚を呪い盛り上がった筋肉に恥じ入って
   列車は耳を弄するきしみをあげてカーブを曲がり
   その一瞬人々は遥か頭上に広がる筈の夜空を
   かけがえのない恩寵のように思い浮かべる

四元康祐・詩集『世界中年会議』2002/09/30思潮社刊より
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四元康祐は、いま注目されている詩人である。
この本が出たとき彼はドイツのミュンヘンに住んでいたが、掲出の詩を書いたときはアメリカに居た。
この詩はニューヨークの地下鉄の様子を描写している。時は1980年代から1900年代にかけての頃のことである。
ニューヨークの街は荒れ果て、物騒で、特に地下鉄は怖かった。みんな見て見ぬ振りをして暴力がのさばっていた。
地下鉄だけでなく、地上でもメインストリートの脇道は立ち小便をやたらにするので「小便臭かった」。
それを改革したのが何とかいう市長だった。
その頃、私もアメリカに行ったことがあるが、他の都市も同様で、例えばロサンゼルスの有名な「サンタモニカ」の海岸なんかも、汚くて、まさに小便臭かった。

つづいて他の詩集から詩を引いておく。
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四元康祐②

     Beatrice,who?・・・・・・・・・・・・・・四元康祐

   第六の地獄から第七の地獄にいたる断崖を
   そろりそろりと
   ダンテが這い降りてゆく
   とうに死んでいるヴェリギリウス先生は気楽なものだが
   生身のダンテは細心の注意を払わねばならない
   自らが生み出した夢の中とて
   落ちれば死ぬのだ

   ダンテが必死で握り締めているもの
   なんとそれは
   言葉で編んだロープであった
   三行ごとに束ねられた透明な縄梯子
   喉の奥から吐き出された逆さまの「蜘蛛の糸」 
   足元から立ち昇る糞尿の匂いは
   筆舌に尽しがたいのに

   そんなにまでして会いたいのか
   愛しのベアトリーチェに
   地面に腹ばいになって裂目から呼びかけると
   こっちを見上げてダンテは答える
   ベアトリーチェって誰だい?
   俺はただ拾いにゆくだけだよ
   完璧な比喩を

   浮かばれないのはベアトリーチェの魂である
   ヴェルギリウス先生も
   浮遊したまま心を悩ませていらつしゃるが
   ダンテは構わずずんずんと降りて行く
   毒食らわば皿まで、と云ったかどうかは定かでないが
   この年ダンテ前厄
   「神曲」約三千六百行目に差し掛かった秋であった


・詩集『噤みの午後』2003/07/25思潮社刊より
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この詩集の題字は谷川俊太郎の筆による。

ダンテの「神曲」は、以前に鈴木漠の連句の紹介のときに触れたが「テルツァ・リーマ」という三韻詩の形式で書かれている。
この四元康祐の詩の「三行ごとに束ねられた透明な縄梯子」の部分は、それを踏まえている。
さりげなく書かれていても、「古典」を深く踏まえていることを知ってほしい。
彼の詩は、とても長いものが多いので、なるべく短めのものを選んで掲出した。

先に紹介したアンソロジー『四元康祐詩集』の解説に載る文章を引いておく。

   噤みの午後にダンテと出会う──四元康祐読解ノート    栩木伸明 (抄)

日本がバブル景気に沸いていた当時、日本企業のひとりの駐在員が、アメリカ東海岸の大学院で経営学修士号を取得した。
やがて月面(のようなところだったらしい、本当に)へ赴任して子育てをしたのちの転勤先は、旧大陸の、午後と週末に口を噤むことが定められた国だった。
周辺には独自の文化と歴史を誇る国が綺羅星のごとくに点在し、各国間の出入りは前世紀末からフリーパスになったので、
仕事の合間に美術館を訪れることが趣味になった。中年の呼び声を聞いたのちの人間にはふさわしいたしなみといえるだろう。
一番の愛読書はダンテの『神曲』だという。・・・・・・・
1991年、帯に谷川の推薦文をつけ、大岡の肝いりで第一詩集『笑うバグ』が発表された直後、高橋源一郎は朝日新聞の文芸批評にこう書いた──

「この詩にはぼくたちも登場している。だが、ぼくたちは自分がこの詩に登場していることを知らない。
なぜなら、ぼくたちは複雑なシステムの一部として登場していて、それがどういうシステムなのかぼくたちとにもわからないからだ。
かれはそれをはじめて言葉に変えた。・・・・・
流動する世界の中で自分の位置を確かめるために、かれは高い場所から俯瞰するように詩を書く。」

これは四元の詩にたいする最も初期のコメントのひとつだが、彼の詩が世界規模の後期資本主義経済のシステムという巨大な相手を前にして、
その全貌を視野におさめようとして十分引いた立ち位置から書かれていることを、的確に言い当てている。・・・・・


   
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