
こめかみのわびしき日なり毀誉褒貶(きよほうへん)
かしましき日の暮れなむとする・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載せたもので、自選60首にも採っているのでWeb上でもご覧いただける。
「うた作り」というのは、連作として、はじめから作るものもあるが、ある程度ばらばらに作った歌を、後から一定の小章名のもとにまとめる、ということもする。
この歌を含む一連を後で引用するが、その中では、掲出の歌は、どちらかと言うと異質かも知れない。
しかし、この歌の持っている雰囲気は、季節で言うと、やはり「秋」のもので、決して気分の浮き立つ春のものではないし、まして夏のものでもない。
私の、この歌は歌会で、私の他の歌のことで「的を射ていない」ような批評を小半日聴かされて、うんざりした気分の時の作品である。咄嗟に出来た歌かと思う。
以下、この歌を含む一連を引く。
雌雄異株・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
なきがらを火の色つつむ頃ほひか盃を止めよ 声を絞れよ
須勢理比売(すせりひめ)恋せし色かもみぢ散る明るむ森を遠ざかりきぬ
いつか来る別れは覚悟なほ燃ゆる色を尽して蔦紅葉せる
こめかみのわびしき日なり毀誉褒貶かしましき日の暮れなむとする
・・・・・・・・・・・聖武帝の皇子・安積王 17歳で744年歿
わがおほきみ天知らさむと思はねばおほにそ見ける和豆香蘇麻山
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(大伴家持・万葉集第三・476)
秋番茶刈りゆく段丘夭折の安積(あさか)親王葬られし地(つち)
このあたり黄泉比良坂(よもつひらさか)といふならむ通夜のくだちに文旦を剥く
・・・・・・・・白鳳4年(676年)役行者42歳厄除けのため・・・・
役小角(えんのをづぬ)の開きし鷲峰山金胎寺平城(なら)の都の鬼門を鎮めし
無住寺に人来るけはひ紅葉に視界がよくなつたといふ声聞こゆ
日おもてにあれば華やかもみぢ葉が御光の滝に揺るる夕光(ゆふかげ)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・正安2年(1300年)建立の文字・・
宝篋印塔うするる文字のかなたより淡海の湖(うみ)の見ゆる蒼さや
つくばひの底の夕焼けまたひとり農を離るる転居先不明
いくたび病みいくたび癒えし妻なるか雌雄異株の青木の雌木
古唐津で茶を飲むときにうら悲し妻が横向き涙を拭きぬ
厨べの灯が万両の実を照らすつねのこころをたひらかにせよ
億年のなかの今生と知るときし病後の妻とただよふごとし
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この一連の舞台回しになっている金胎寺は京都府南部の山間部にあり、聖武天皇が一時造営された恭仁京のすぐ近くであり、平城京の鬼門にあたる北東に位置している。
だから、ここに役行者(えんのぎょうじゃ)が、この寺を建てたことになっている。
鷲峰山は高山というのではないが、この辺りでは最高峰ということになっている。
もっとも当地では「じゅうざん」と発音する。「じゅうぶざん」では言いにくいからである。
ここは昔、「行者」が修行したところで、今でも「行者道」と称するところがあり、このサイトでは写真入りで詳しく書いてあるから参考になる。「東海自然歩道」の一部になっているらしい。
ついでに言うと有名な「関が原」も地元では「せがら」と呼んでいるのと同様の扱いである。
この一連は、舞台回しにかかわらず、小章名の通り、私としては妻との間の心の揺れを描いたものが中心になっている。
歌というのは一連として鑑賞してもよいし、一首づつ単独で鑑賞してもらっても、よい。
この一連などは一首づつ、あるいは「一塊」の歌群を別々に鑑賞してもらっても、よい。
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