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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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三井葉子詩集『灯色醗酵』・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
三井葉子

──三井葉子の詩・句──

      三井葉子詩集『灯色醗酵』・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                 ・・・・・・・・思潮社2011/07/30刊・・・・・・・・・・・

私の敬愛する三井葉子さんが新・詩集『灯色醗酵』(ひいろはっこう)を上梓された。
2010/06に詩集『人文』(じんもん)(編集工房ノア刊)を出されたばかりの矢つぎ早の刊行である。
いつも言っていることだが、三井さんの詩は、平易な言葉で綴られているのだが、中身は、なかなか読み解けない、難しいのである。
今回の、この詩集は今年になって体調検査のためにほぼ四週間入院されて無聊の日を過ごす中でまとめられたという。
私の旧知の詩も二、三あるが、おおよそは新作の書き下ろしである。
どの作品を引いたらいいのか、選ぶのに苦労するが、この本の「裏の帯」に載っている短い詩を、先ず引いてみる。

      夕凪・・・・・・・・・・・三井葉子

     海は
     凪をあそんでいる

     かすみ立ち かすみ消えるあの凪に誰か雑(ま)じることがあるのだろうか
     
     ことば、と、 わたしは呼んでみる

                                       
     たそがれひとり戸に立ち寄りて切なくきみを思はざらめや と
     
     わたしも外に出て
     戸口に立つことも覚えたのだ

     ことばは消えることができる
     わたしはなにを消したのだろう
     とぶように逃げて行く時(とき) に立ちはだかって
     失うものを
     あずけたのではないか
     ことばに

     ことばは消える
     ことばは抱きしめる

     そんな愉楽の
     夕凪の
     とき
     を

     ねえ
     誰か覚えてる?


      *三世紀中国の女詩人・子夜の作。『車塵集』(佐藤春夫訳)「思ひあふれて」より。

この本にはフランス文学者で文芸評論家の粟津則雄氏が、<「不思議な無欲」──『灯色醗酵』によせて> という「栞」を書いておられる。 引いてみよう。

<三井葉子さんの詩は、軽やかだが、軽くはない。それどころかそれは、時としておそろしく
重いものを垣間見せてくれるのだが、それがしつこく居すわって、あいまいな重苦しさ
を生み出すことはない。この重いものは、まるで自分の重さを恥じらってでもいるように、
たちまち身をひるがえして、ことばの流れのなかに溶け込んでゆく。そして、ことばのひとつ
ひとつに、あるいはくっきりとした、あるいは微妙な表情を与えることによって、その
軽やかな流れを、支え、推し進めるのである。  (中略)

もちろん、この日常は、ただのんびりと身を委ねて居られるようなたちのものではない。
一見何ごともないようだが、実はここかしこに、さまざまな驚異や飛躍や陥穽が待ち構え
ている。しかもそれらは、なかなか一筋縄で片付くような代物ではない。落し穴に気が付い
て飛びこえてみると、着地したところが本当の落し穴だったりする。そうかと思うと、対象
の謎めいた手触りが、触っているうちに、ごく平明な、あるあたたかさのしみとおもったもの
に変ってゆく。何かなまなましい情念が積め込まれたような気配が、一瞬にして、からりと
乾いた透明なものとなる。
こんなふうに言うと、三井さんの詩がいかにも巧みに巧んだものであるように思われるかも
知れないが、いや事実巧みに巧んだものであるにはちがいないが、そこには、巧みさという
ことに執したようなところはない。そういうことから発するあいまいな粘りといつたものは
いささかも感じられない。三井さんは、彼女自身の、また彼女を取り巻く人ひどの、欲求や
欲望や情念を、およそ斜に構えることなく虚心に迎え入れているが、そういう彼女の姿勢を
支えているのは、ある不思議な無欲である。この無欲は、何かを拒み、何かを否定すること
によって成立するものではない。進んでものにとらわれることによってものを奥底に向かっ
て突き抜けたときに生まれ出るものだ。三井さんの詩には、そういう無欲そのものを核と
することによってはじめて可能であるような、欲求や欲情がしみとおっていながらまことに
自由なことばの動きが見られるのである。 (後略) >

あと一、二篇、詩を引いておく。

     あいさつ・・・・・・・・・・・三井葉子

     なにしろはじめて行く家なのであいさつを考えている
     こんにちは
     も。なあ
     はじめましてというのも節がないし

     道端まではみ出している
     のうぜんかずら
     ちょっと枝を払ってやると姿がよくなるのにナとよその家の心配をしながら
     坂道

     五番地?
     六
     七がない。細道を曲がる

     汗拭いてやがて五月の町をゆく     葉子

     これはじぶんへのアイサツ。名刺を出すまえにもう、帰り支度である。
     名刺なんぞいつごろから使われるようになったんだろう。

     句はあいさつ。
     するとやっぱりもとは装飾か
     暑苦しくデコレーションしない装飾なのだ
     ハイクは世界でいちばん短い詩だと誰か言ったけれど。


        断 絶・・・・・・・・・・・三井葉子

      夜中にデンワのベルが鳴って
      いまから死ぬ
      と
                
      石原さんが言った

      わたしはちょっと考えたが
      仕方ないので
      どうぞ と言った

      彼はそのとき死ななかったがさくらのような雪のふる抑留地シベリアで
      凍っていたので、ときに解けたくなるのだ。

      でも

      凍っているからこそヒトとヒトとの間は断絶することができる。それこ
      そがわたしたちが共生できる基なのだと彼は言ったのだ

      夕焼け雲が解けながら棚引いている

      断絶も
      共生も
      もう わたしたちには用がないわね。


        *詩人・石原吉郎。
      
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「谷内修三の読書日記」① 「谷内修三の読書日記」②に詳しい書評があるので参照されたい。


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