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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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今泉恂之介『子規は何を葬ったのか』・・・・・・・・・・・・木村草弥
子規0001

──新・読書ノート──

    今泉恂之介『子規は何を葬ったのか』・・・・・・・・・・・・木村草弥
            ・・・・・・・・新潮選書 発売日:2011/08/25・・・・・・・・・・

正岡子規というと俳句・短歌革新の人として世上喧伝されている。
俳句では「ホトトギス」、短歌では「アララギ」が一世を風靡していた頃は、神様のように言われていた。
しかし、今日では余りにも強引、我田引水に過ぎたのではないかと見直しがなされている。
この本は、その一端にに触れたものである。

     「月並で見るに堪えず……」巨星・子規の一言が、百年の歴史を封印した!

     「俳句不毛の時代」とされてきた江戸後期から幕末明治。
     だが意外にも「名句好句」の数々が! 松山藩家老奥平弾正、最後の幕臣中島三郎助、
     土方歳三、漂泊の俳人井上井月らの秀句。庶民が詠んだ暮らしの喜び。
     ミレーの絵画にも似た一瞬の情景……。近代俳句の改革とは何だったのか。
     子規の功罪を問い、俳句文芸の豊穣を再発見する。

以下、新潮社の読書誌「波」九月号に載る書評を引いておく。
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     子規が見逃した「天才」俳人たち・・・・・・・・・・・・・出久根達郎

 次の句の作者は誰か、おわかりだろうか?
「よき敵ぞ梅の指物するは誰」「更衣同心衆の十手かな」「枚をふくむ三百人や秋の霜」
 蕪村、と目星をつけられたかたが多いのではあるまいか。では、次の句は? 「初夢や金も拾はず死にもせず」「猫も聞け杓子も是へ時鳥」「一大事も糸瓜も糞もあらばこそ」
 これはもう間違いなく一茶だろう。そう思われたかたがいても不思議ではない。俳句の作者を当てるくらい、むずかしいことはない。
 私たちは句集を読む場合、作者の名前で読んでいる。まず蕪村や一茶の名が頭にあり、彼らの作品と信じて楽しんでいる。前記の句も作者不明なら、おそらく興味は半減するだろう。蕪村の句だから、色彩があり物語が展開するのである。一茶の句だから、おかしみがあり、俗語がきいていて親しみやすいのだ。有名な作者だから、作品が輝いている。これって、考えてみると、妙な話であるまいか。
 膨大な量の俳諧を分類研究し、与謝蕪村を発掘、写生俳句を提唱して俳句革新をなしとげた正岡子規は、小林一茶からのちの俳句は、おおむね卑俗で古くさく、見るに耐えない、と言った。一茶から子規の時代まで、およそ百年ある。この百年の間は、愚作の時代だ、と子規は断じた。どうでもいい作品群を、「月並調」という絶妙の造語で一刀両断したのである。私たちは子規の鑑識眼に喝采し、その評価を適確と信じた。以後ずっと、信頼度に揺るぎは無い。
 果して、本当にそうだろうか。一茶以後、子規以前の百年間に詠まれた句のすべてが、駄句か。非凡な俳人は一人も生まれなかったか。疑問を抱いた著者は、子規が分類作業の過程で撥ね除けた作品を、改めて検証してみた。というのが本書で、検証のプロセスを、あたかも推理小説のように興味深く、丹念に例を挙げて書いている。一句ずつ解釈つきだから初心者にもわかりやすいし、作句入門の効能もある。本書の一端を紹介する。
 井月、という俳人がいる。つげ義春が漫画で採りあげているほど現代では有名だが、大正期に芥川龍之介が紹介するまでは、信州の一地方でのみ知られる放浪の飲んだくれにすぎなかった。井月の句を収集し自費出版したのは、芥川の知友の下島勲である。井月に惚れこんだ芥川は、下島に更なる収集をうながした。その結果、一千以上の句が集められた。ところが井月作と思っていた佳句の二割近くが、他人の作と判明した。つまり井月クラスの句を詠む人たちが、信州の一地方に何十人もいたのである。むろん、子規は知らなかった。
 そうそう、忘れるところだった。冒頭の句の作者である。蕪村でも一茶でもない。全部、夏目漱石の発句である。     (でくね・たつろう 作家)

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著者略歴
今泉恂之介/イマイズミ・ジュンノスケ

1937年東京生まれ。上智大学文学部独文科卒業後、日本経済新聞社に入社。運動部次長、社会部編集委員を経て、論説委員として朝刊コラム「春秋」を担当。その後、中国河南省鄭州大学客員教授、流通経済大学教授を務め、2007年、全国初となる俳句振興のNPO法人「双牛舎」を立ち上げ代表理事に。著書に、『兵馬俑と始皇帝』『追跡・則天武后』『関羽伝』(いずれも新潮選書)、『エンディングの研究』(サンライフ企画)など。


この本の目次
序章 未知の空間に出会うまで
はじめに/俳句の一大盛況期/子規の俳句収集と蕪村発見/「俳句分類」の正体を知る/類題句集編集を志す/ホトトギス派編の「俳諧歳時記」/百年という長さ
第一章 子規の言う「卑俗陳腐」とは
“口をそろえて”非難/月並調とは何か/芭蕉の句もけなす/「天保」と呼ばれる時代/成田蒼きゅうと桜井梅室/子規の収集にも限界
第二章 「近代俳句のあけぼの」
望外の書に出会う/膨大な資料を探る/俳句に二つのタイプがある/俳句第二芸術論
第三章 幕末伊予俳壇の二巨星
殿様も其角の弟子に/松山藩、朝敵となる/筆頭家老・奥平弾正の功績/その後の鶯居/俳句好きの御船手大船頭/子規、大原其戎を師とする/三津浜に生まれた俳句の世界
第四章 五稜郭決戦前の句会
土方歳三の俳句/心は清き水鏡/超大物・中島三郎助/奥羽越列藩同盟/蝦夷地函館の句会/木鶏・無外の両吟/歳三、壮絶な最期/中島父子、徹底抗戦の果てに
第五章 政治にもまれて
教導職登用試験/教林盟社と明倫講社/暗黒空間を覗く窓/幹雄、江戸に旅立つ/桜田門外の変に遭遇/神道寄りを鮮明に
第六章 美文調の敗北
俳句界を痛烈に批判/ライバル同士の面会/大宗匠に教えを垂れる/文体で時代に後れる/幹雄にも好句が
第七章 老鼠堂永機vs正岡子規
庵号と俳号/悠々たる人生/義仲寺の芭蕉二百回忌/辛口コラムとともに躍進/永機宗匠をこき下ろす/人気投票、旧派が上位を占める
第八章 宗匠の怪我の功名
「俳諧自在」という書/「綴り合わせ」とは/未知の空間の句、現る/好句も次々に
第九章 井上井月という俳人
伊那に現れた放浪の俳人/芥川龍之介と幻住庵記の書/井月さんの句を探す/芥川龍之介の自殺
第十章 井月の句、普通の人の句
別人の句が紛れ込む/正統的な句の数々/健全な俳句の世界が/長岡藩の運命/鶴の声聞く霞かな
第十一章 俳句維新へ、子規の戦い
伊藤松宇との出会い/子規のコラムが仲立ち/残された時間/文章大革命の時代/点取俳句の堕落/野望を託す/輝く女性の俳句
終章 主流はいずこに
本書に登場した人々の句/生活と人情の句/第二芸術論再考
あとがき

「立ち読み」もできる。お試しあれ。
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上に引いた出久根達郎の文章の中に書いてある「下島勲」こそ、芥川が死を前にして「辞世」の句を托した人である。
そのいきさつは下記のようなものである。

<昭和2年7月24日午後1時すぎ、芥川龍之介は伯母の枕元に来て、明日の朝下島さんに渡して下さいと言って、この句<水洟や鼻の先だけ暮れ残る>を書いた短冊を渡した、という。彼の辞世の句である。
短冊には「自嘲」と前書きしてあったことから、芥川の文業の終末を象徴せしめる凄絶な辞世の句となって了った。>

詳しくは私が2011/07/24に載せたこの記事を見てもらいたい。


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