
菊の香のうごくと見えて白猫(はくべう)の
音なくよぎる夕月夜(ゆふづくよ)なる・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載せたものである。
今や「菊」真っ盛りのシーズンだが、あちこちで「菊花展」が盛んであるが、菊という花は、どことなく、うら淋しい気分がするものである。
私は第一歌集『茶の四季』(角川書店)に
一の峯二の峯越えて詣づれば秋の奢りの菊花百鉢・・・・・・・・・・・・木村草弥
という歌を載せたが、これなども心底からの明るい歌とは言い難い。それは「秋」という季節の持つ性格から来るものであろう。
掲出の歌の前後の歌を引いておきたい。
残 菊・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
身めぐりに祝ふべきこと何もなし水引草の花あかけれど
ひようろりと残んの菊と成り果てて庭のかたへに括られてゐつ
菊の香はたまゆら乳の香に似ると言ひし人はも母ぞ恋しき
菊の香のうごくと見えて白猫(はくべう)の音なくよぎる夕月夜なる
白菊に対ひてをればわが心しづかなりけり夕茜して
嵯峨菊が手花火のごと咲く庭に老年といふ早き日の昏(く)れ
「菊」というのは、春の桜と並びたつ秋の花とされる。中国から渡ってきたもので日本でさまざまに改良されてきた。
私は菊作りは、しない。春の挿し芽にはじまり、朝夕の水遣り、それも天候、降雨を勘案して、やらなければならないし、葉を虫に食われたり、欠いたりしてはならない。
茎立ちの寸法も重要な審査項目となる。
これでは、私のような旅行好きとは両立しない。以前は多い時には年間50日くらいは海外に出かけていたが、今では国内旅行が主で、こまぎれの旅をするばかりである。
十月末に近所に住む菊作りの友人が、見事な三本たちの菊二鉢を持ってきてくれた。
玄関に飾ってあるが、花も、もうそろそろ終りである。 有難いことである。
菊を詠んだ句を少し引いて終りたい。
黄菊白菊其の外の名はなくもがな・・・・・・・・服部嵐雪
有る程の菊なげ入れよ棺の中・・・・・・・・夏目漱石
かにかくに明治は恋し菊膾・・・・・・・・富安風生
国原や到るところの菊日和・・・・・・・・日野草城
菊白く死の髪豊かなるかなし・・・・・・・・橋本多佳子
白菊とわれ月光の底に冴ゆ・・・・・・・・桂信子
白菊や暗闇にても帯むすぶ・・・・・・・・加藤知世子
菊の棺とともに焼かれしわが句集・・・・・・・・平井照敏
| ホーム |