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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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「猫」・・・・・・・・・詩集『月に吠える』より・・・・萩原朔太郎
k0655黒猫

  猫・・・・・・・・・・・・・・・・・・・萩原朔太郎

 まつくろけの猫が二疋(ひき)、

 なやましいよるの家根のうへで、

 ぴんとたてた尻尾のさきから、

 糸のやうなみかづきがかすんでゐる。

 「おわあ、こんばんは」

 「おわあ、こんばんは」

 「おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ」

 「おわああ、ここの家の主人は病気です」

─────詩集『月に吠える』より──────

この詩は有名なもので、よく引用されるものである。
この詩は、春先の今の時期の、うるさい「恋猫」騒動の様子を詠んだもの。
原文では「みかづき」のところには傍点「・・・・」が打たれている。
最終のフレーズの「ここの家の主人は病気です」という人を食ったようなナンセンスな虚無的な雰囲気が、当時の精神風土を反映しているだろう。
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萩原朔太郎についてWikipediaの記事を引いておく。

萩原朔太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう、1886年(明治19年)11月1日 ~ 1942年(昭和17年)5月11日)

生涯
群馬県東群馬郡北曲輪町(現:前橋市千代田町)に、開業医の父・密蔵と母・ケイの長子として生まれる。旧制県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)の在学中に『野守』という回覧雑誌を編集して短歌を発表した。1907年第五高等学校に入学し、翌年第六高等学校に転校するが、チフスで中退。1910年・1911年の2度慶應義塾大学予科に入学するが、どちらも短期間で退学した。

1919年5月に上田稲子と結婚し、葉子と明子の2女をもうけるが、1929年6月に離婚。1938年4月、大谷美津子と再婚するが、1年余りで離婚した。昭和15年(1942年)「帰郷者」で透谷賞受賞。1942年に急性肺炎で死去。享年56。

詩の他には、比留間賢八にマンドリンを習いマンドリン倶楽部を作るなど音楽も志し、手品も楽しむというハイカラな面も持ち合わせていた。また、大のミステリーファンとして知られており、実作こそしなかったものの、江戸川乱歩の著した「パノラマ島奇譚」に対し、いち早く激賞の評論を書いたのは有名な話である。

また、作曲もいくつか試みており、室生犀星の詩による合唱曲『野火』、マンドリン曲"A Weaving Girl"(機織る乙女)などが残されている。

長女萩原葉子も作家であり、葉子の息子である演出家の萩原朔美は孫にあたる。

朔太郎の妹愛子は、詩人佐藤惣之助の妻。

作品
北原白秋に師事し、1917年2月刊行の処女詩集『月に吠える』で全国に名を知られるようになった。続いて1923年1月に『青猫』を刊行。これは『月に吠える』と並ぶ朔太郎の代表作とされている。

この他、『蝶を夢む』、『萩原朔太郎詩集』、それらを集成した『定本青猫』がある。これらの作品は、口語体によって書かれ、高村光太郎と共に「口語自由詩の確立者」とされる。一方、実生活は2度の離婚や窮乏に苦しんだ。1933年6月に刊行された『氷島』では、漢文調の文語体に立ち帰り、寂寥と懐疑の情を訴えている。この作品を巡っては、評価は好悪まったく二分されている。最後の詩集は、散文詩をまとめた『宿命』であった。

著作
生前に発表されたもののみを、下にまとめた。全集は現在までに5度出版されている。1986年から89年にかけて、筑摩書房から出版されたもの(全15巻および補巻)が最も新しい。

詩集
月に吠える 角川文庫
蝶を夢む
青猫 集英社文庫
純情小曲集
萩原朔太郎詩集(第一書房版)復刻版もある。
氷島
定本青猫
宿命
「詩集」は新潮文庫、ハルキ文庫(旧角川文庫)、岩波文庫がある

アフォリズム集
新しき欲情
虚妄の正義
絶望の逃走
港にて

小説
猫町 清岡卓行編で岩波文庫

随筆
詩論と感想
純正詩論
廊下と室房
詩人の使命

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この年譜では「群馬県」出生となっているが、彼の父の出身地は大阪の八尾である。
現在、ここには、父・密蔵の兄弟の子─つまり甥っ子の「萩原隆」氏が住んで居られ、詩人の三井葉子さんと懇意になさっている。隆氏はやはり医師である。隆氏は子供の頃から、無頼であった朔太郎を引き合いに出して「あんなグータラな人間にはならないように」と育てられたという。
隆氏には三井さんの紹介でお会いして、いろいろ話を聞いてみたいと思っている。


コメント
コメント
No title
Sohyaさま、
Doblogが大変なことになっているとか。
もし、復旧しないようでしたら、こちらのURLと交換しましょう。慣れるまでいろいろとわからないことがあったら是非、何でもお聞きください。

この黒猫の写真、うちのフィリックスにそっくりです。可愛いですね。
2009/02/17(火) 14:12:26 | URL | 美爾依(みにー) #HfMzn2gY [ 編集 ]
お言葉 身に沁みます
■ミニーさま。
さっそくご覧いただいたのですね。
ブログをやりはじめて丸5年経ちました。
その間に書いた記事と交友は、大変なものです。
フランクやあなたが居た頃のDoblogは「知的」だったですね。
ドブでの交友のリンクもドブに置いてあるので、アドレスが判らずアクセスも出来ません。
あなたのアドレスも判らなかったのですが、共通の知人でFC2に居る人のところから判明したのです。
「テンプレート」のいいのが無くて困っています。
デザインテンプレートにしたらいいのですが、ソフトの数字の羅列を読み込むのが嫌で、「既成」のものを何点か試しています。私のテンプレートを制作してくれませんか。
「猫」の件。
私は基本的には猫嫌いですが、猫を扱った作品を採り上げたので、ツールとして載せたまでです。
では、また。
2009/02/17(火) 14:37:35 | URL | sohya #- [ 編集 ]
No title
朔太郎は郷土の詩人として良く取り上げられますが、
私は、余り好きでは有りませんでした。
北曲輪町は群馬県庁の有る利根川沿いです。
冬は川風を受けて五月蠅く騒々しい地形です。

娘「葉子」箸・・・「刺草の家」を読みましたがあの様な
生き方でも生活出来た時代が羨ましいです。
2009/02/18(水) 13:18:51 | URL | ひなたぼっこ #- [ 編集 ]
あなたは群馬県の人ですか
■ひなたぼっこ様。
いらっしゃい!
あなたは群馬県の人ですか。
朔太郎のような無頼な生き方については嫌悪感を持つ人の方が多いのではありませんか。
私も余り好きではありません。
では、また。
2009/02/18(水) 13:53:29 | URL | sohya #- [ 編集 ]
こんばんは。
先日、萩原朔美さんが母葉子さんのことを書いた、
「死んだら何を書いてもいいわ」を読んだところです。
葉子さんはいっとき、婦人誌でよく取り上げられていました。
著作のことより、ダンスと猫のオブジェのほうが大きく取り上げられていたかもしれません。
2009/02/19(木) 00:54:24 | URL | emarch #- [ 編集 ]
朔太郎は「無頼」ですから
■emarchさま。
お早うございます。
コメント有難うございます。
記事にも書きましたが、朔太郎は「無頼」な男
ですから今の時代なら生きられないでしょう。
ランボー、ボードレールなどと同様のニヒリストで、
時代もまた良かったのでしょう。
朔太郎は好きではない、という人が多いですね。
あなたのサイトをリンクに貼っておきます。
時々見せてもらいます。コメントを残さないことが多いと
思いますが見ていますから。
では、また。
2009/02/19(木) 07:59:01 | URL | sohya #- [ 編集 ]
Sohya 様
やはり、親族からはグータラ者として厄介視されていたのですね。
少数派の私には文学・芸術を志す=放蕩という言葉が真っ先に思い出されます。
2009/05/07(木) 09:42:42 | URL | bittercup #- [ 編集 ]
「文弱の徒」と言いますから
■bittercupさま。
コメント有難うございます。
文中に書きました「萩原隆」氏とは電話で話しました。
三井葉子さんに電話したら、ちょうど隆氏が居られて
少し話しました。
私より五つほど上です。私の兄と同じ年の生まれですね。
文学などをやる人間は、「実業」の世界からは嫌われます。
つまり詩人や小説家などというのは「虚業」ですから。
今や「文学部」なんかに「男」は行きません。女の子ばかり。
私なんかも、言わばアウトローです。
萩原隆氏に会ったら、いろいろ話を聞いて記事にします。
今、彼からいただいた『朔太郎の背中』(2002年深夜叢書社)を
読み始めています。
では、また。
2009/05/07(木) 14:55:01 | URL | sohya #- [ 編集 ]
萩原隆さんについて
私は萩原隆さんを存じています。良く隆さんの主催されている"医師と歩こう"のハイキングでよく談笑いたします。”朔ちやんみたいにになったらあかんでー!!"と実母に言われながら幼少時から育てられた、と話してくださいました。因みに、”はぎはら”が正しい苗字ですよ!大方のお方は、”はぎわら”と呼んでいますが、間違いです。朔太郎さんは父祖の地 河内を大変誇りにされていたと、隆さんは言っておられます。河内の八尾南木の本の萩原医院は第十六代の開業医として隆さんが嗣いでおられます。小生も河内男として朔太郎さんを誇りにしております。パリでフランスの詩人達に朔太郎さんの詩を即興でフランス語で訳して、朗詠しましたら、大変素晴らしいと絶賛されました。朔太郎さんの詩は世界中で通用する普遍性を持っていると言われました。小生も同感です。
     一仏蘭西文学徒 藤田耕嗣
2010/11/15(月) 11:48:27 | URL | 藤田耕嗣 #LykJ7J7M [ 編集 ]
コメント有難うございます
■藤田さま。
はじめまして。
コメント有難うございます。
古い記事を、よく探し当ててくださいました。
こういうことがあるから「ブログ」を止められません。
というより、多くのサイトに私の記事が「引用」されるので、「与太な」ことは書けません。
詳しくはGoogleで「木村草弥」と検索してみてください。
あなたはフランス語にご堪能のようですが、私も学生の頃にはフランス語を学んでおりました。小松左京らと同級です。
「萩原」の読み方のこと。
よく判ります。人の姓の場合は注意しなければなりません。
ところで萩原隆氏が亡くなられたこと、もちろんご存じなのでしょうね。
私は詩誌「楽市」(三井葉子さん主宰)に入れてもらい、そこで彼と一緒に所属していました。合評会などで話し会食もしました。
昨年十二月に彼の著書『ザシキワラシ考』(編集工房ノア刊)の出版記念会が大阪上六のホテルでありましたのが最後の思い出です。
あの会には出られなかったのですか。
これを機会に、よろしくお付き合いください。
では、また。

2010/11/16(火) 06:49:25 | URL | sohya #- [ 編集 ]
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