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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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津田清子句集『無方』・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
無方

──新・読書ノート──

    津田清子句集『無方』・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
          ・・・・・・・・編集工房ノア刊1999/10/20初版2000/08/10二刷・・・・・・・・・・

私は俳句の実作者ではないが、同人誌「かむとき」に居たときに、主宰者がジャンル横断的な催しをされたときに俳人や川柳人たちと多少の交流はあったし、
私自身も「短詩形」文芸としてジャンルを幅広く捉えているので、このブログでも、俳句はたくさん採り上げてきた。
津田清子さんには、先に書いた催しの際に一度だけお会いしたことがあるが言葉も交したことがない。
お会いしたのは、時期的にみると、この句集は既に出ていたようであり、出席者がこの句集について触れているからである。

この句集『無方』は角川文化振興財団主催の「蛇笏賞」を得られたもので、この賞は俳人としての第一人者たることを証する立派な栄誉である。
以下、一読して私の気に入った句を拾ってみる。

         「砂漠」
   はじめに神砂漠を創り私す

   わが砂漠出発点か終点か

   己が根の深さどこまで砂漠の木

   砂漠の木 I DO NOT KNOW 日本人

   自らを墓標となせり砂漠の木

   山羊もまた妊り砂漠彷徨へり

   砂漠に立つ正真正銘津田清子

   女には乳房が重し夜の砂漠

   砂漠戒第一条眼を瞑るべし

   砂漠戒第二条耳塞ぐべし

   犬子供鶏カティツーラ明易し    *カティツーラ──黒人居住区

          「旅の符」 

   島の春女の声で鳴く鴎

   海うらら貝泳ぐ足はばからず

   雲の峯わたしは海に会ひにゆく

   鬼百合よカンナよ海を知ってゐるか

   海の虹呪縛の箍を弛めつつ

   足出してヤドカリすぐに歩きたがる

   流木を乗り捨てにして神の旅

   秋風の砂に溺るる女靴

   水平線傾けて月上りくる

   恋めきて傾く月の涼しさよ

   砂山に遊ぶ三日月ほどの恋

   水澄むや過去証すもの何かある

   夕鵙や黙って死んでゆくほかなし

   霧昏しけものの勘をとり戻す

   山葵田の水の系列縦社会

   足跡は謎の未来図雪の駅
     
   苜蓿(うまごやし)ロシヤの船の着く港

         「倭国逍」

   脚見えて夕立移る真神原

   猿石と並べば涼し大望なし

   天武帝朱鳥元年冬霞

   領巾(ひれ)振るは額田女王か冬蝶か

   杉桧蛍ちりばめ夜は恋す

   蛍火の点りて男消えて女

   水取や奈良の鴉の変声期

   はんざきは倭に老いて海知らず

   ビルに囲まれ杣木谷冬景色

   的ならず雪礫樹に命中し

   蜜蜂もげんげも故郷失へり

       「春」

   鴉の巣どこからも見え悪びれず

   桜咲くほか廃村の主張なし

   田の畦は閾のごとし蝶躓く

       「夏」

   あめんぼも蛙も村を出る気なし

   青葦原わが方舟は水浸きたり

   毛虫にも東西南北あり急ぐ

        「秋」

   いちじくは熟れて方舟つなぎ留む

         「冬」

   冬椿朝念暮念観世音

   雪の野を小股に歩みゆきし獣

   過去未来現在(いま)切株に雪積る

   金魚であることも忘れて冬を越す

   誘惑に負け滝壺に浮く黄葉
 

この句集については、ネット上に「無方」――アフリカ・ナミブ砂漠という下記のような書評が出ているので紹介しておく。
このサイト「炎環」は、石寒太氏のもの。
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         「無方」――アフリカ・ナミブ砂漠

旅に出たいと思う。日常からほんのすこし抜け出して、異国の大地からエネルギーを貰いたいと思う。第34回蛇笏賞受賞句集『無方』は、アフリカ・ナミブ砂漠での連作から始まる。

太陽は四季咲の花砂の国

無方無時無距離砂漠の夜が明けて

砂漠の木自らの影省略す

自らを墓標となせり砂漠の木

津田清子氏は大正九年奈良生まれ。二十代で前川佐美雄に短歌を学ぶが、のちに橋本多佳子の七曜句会に出席、多佳子の美しさと俳句表現の直截さに魅かれ師事。「天狼」遠星集にも投句、若くして頭角をあらわす。

『無方』は『七重』以降ほぼ十年間の作品を纏めた句集であるが、この『七重』あたりから津田氏の句境に変化が見られるとする見方も多い。それは、「師系は大事にしても師風に盲従しなかった」(飯田龍太氏評)津田氏が、「ある時期から、それまでの右に山口誓子、左に橋本多佳子という縛りがとけて、自在の句境を見せはじめた」(宇多喜代子氏評)ということなのであろうか。

あめつちのいのちさみどり薺粥

砂山に遊ぶ三日月ほどの恋

枇杷五つ盛られて最後まで五つ

ところで前掲の砂漠の句は、ほとんどが無季俳句である。有季定型を基本とする「天狼」で学んだ津田氏であるが、この『無方』の無季俳句については次のように語る。

「無季の俳句を作ろうとか有季の俳句を作ろうとか、そうじゃなくて、俳句のほうが先にあるんですよ。季語よりも。俳句のなかに季語以上の哲学があったら、それを無理におさえつけてまで季語を入れなくてもいいと思う」

同感である。ただしこの場合、「季語以上の哲学」というところがポイントとなるが。

はじめに神砂漠を創り私す

髑髏磨く砂漠の月日かな

さて、蛇笏賞受賞句集『無方』は、新聞・雑誌に数多く取り上げられ話題となっているが、坪内稔典氏は「俳句」六月号の現代俳句月評で、その論調に一石投じている。そのタイトルも「えっ、津田清子の砂漠の句がよいって?」。

句も句集も、読者が千人いれば感じるところも千通り。肝要なのは、ひとの評価を鵜呑みにせずに自分の目で確かめること、と思う。(「炎環」2000年月号掲載)
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さらにネットを検索してみたら、こんなサイト「齋藤百鬼の俳句閑日」を見つけたので引いておく。
その齋藤百鬼氏だが 2011年7月11日に亡くなられたそうである。「死して閑日録を残す」である。 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


齋藤百鬼の俳句閑日
俳句に遊び遊ばれて


津田清子の結社論
2007年08月21日 | Weblog
お暑うございます。
昔仕えた社長から、天気のことを言うとこっぴどく叱られた。「暑いですねえ」「そんなことは言われなくてもわかっている、男は無駄なことは言うな!」
とは言っても、この暑さだ。口に出すことで、少しは免れるような気がするから言うのである。田所社長、許してたもれ。

「証言・昭和の俳句」では、女性の証言は概ね面白くない(僕にとっては)。そのなかで興味深かったのは津田清子さん。この方、誓子の系譜なので、どこか男っぽい。

 真処女や西瓜を喰めば鋼(はがね)の香
 蜘蛛飢ゑて樹と磔像を往来せる
 冬越す蝶荒地は母のごとく痩す
 ポケットの底抜けしまま卒業す
 溶鋼の火花を浴びて男壮(ざか)り
 栄螺にもふんどしがありほろ苦し
 髑髏(されこうべ)磨く砂漠の月日かな
 砂漠戒第一条眼を瞑るべし

一言で言えば、俳誌「圭」一党を率いる女傑なり。
俳壇のことはよく分からないが、このグループは他とは一味違うようなのだ。まず「沙羅」という結社をつくる。これは普通だ。

「沙羅の始まりは昭和四十六年七月です。沙羅という名前は誓子先生がつけてくださいました。私が主宰ということです。・・・十周年のときに来てくださった人が百五十人くらいで、そのあたりからどんどん増えてきたんです。俳句って同人を増やさないと経営がなりたたない。会員の会費は月三百円でも千円出せば、誰でもみな同人になれるのです。そのうち会も十五年目になってきますと同人が二百人近く、会員が三百人近くになってきまして、雑誌の経営は楽なんですが、句を見ていますと、もう頭に血が上がりそうなんです。こんなのを俳句やと思ってるのかってカッカッしてきて、句の選をするのがいやでいやで仕方ありません。
しかし同人になることは、みんなご機嫌です。同人に推薦するとき、「俳句がうまくなったからと違うんやで。沙羅の経営を助けるための同人ですよ」と引導を渡すのです。でもそんなことは忘れて、私は沙羅の同人やと胸を張るんですが、句の勉強はしないから俳句は堕ちるばかり。それで、これは一度、やめて解散しようと思いましてね。
やめるについては同人からも会員からもずいぶん反対されました。やめっぱなしというのはだめだと言うから、主宰なし、同人なしという圭を始めたんです。
・・・・
圭は一年経つと全員解散です。一年ごとに契約を更新します。それの繰り返し。四月号が出たときに「入会します」という通知を送ってこなかったら、その人はもう会員ではない。会費は全員平等で二万円ですから、私も二万円出しています。
・・・・・
いま圭は十三年の終わりです。十四期を募集して、おおかたお金は集まっています。俳句ができなくなったらやめたらいい。無理しないでよろしいって言うてるんです。やめて、三年ほどして入りたくなったら、また入ってきたらええやないのって。それで私の精神的負担はなにもない。本当に楽ですよ。
圭は大会を一度もしたことがないんです。大会の裏方さんは自分の俳句を犠牲にして走り回ってますよ。あんなのを見ますと心が痛んで、何の為の大会やと思うんです。褒美をもらったり賞をもらったりする人は華やかで喜びますけど、裏方さんがどんな苦労をしているかだれも知らないでしょう。私は俳句というのはもともと地味なものだと思ってるんです。
いつもみんなに、私が死んだら圭はやめなさいと言うてるんです。そして、私の生きてる間に誰かいい先生を見つけておきなさい。どっかへ行きたかったら行きなさい。そのかわり自選力をつけなさい。俳句のいちばんの欠点は先生に見てもらわないと俳句にならないと思ってること。そういう根性ではだめです。百人の人がだめだと言っても、この俳句は自分のために残さねばならんという俳句は残してええやないの。句集なんてそのためのもので、なにもほめてもらった句だけを句集に入れるんじゃない。自分のために句集を出すわけです。ですけど、そういう説は、なぜか世間に受け容れられないようです。
もつともつと自分というものを大事にしないといけない。・・・」

おっと、この方、いいこと言うてくれまんなあ。いちいち納得ですよ。とくに「自選力」には大納得です。一年こっきりで解散は、一期一会に通じまんなあ。「私は俳句というのはもともと地味なものだと思ってるんです。」うんうん。
最後に黒田杏子さんは「津田清子さんは大和の地母神である」としめくくっておりました。終わり。

 まだ咲いているのか夾竹桃のバカ/時実新子
 八月の蝉からからと完(おわ)りける/時実新子

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