
黄落を振り返り見る野のたひら
野はゆく年の影曳くばかり・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
本年も師走終盤に突入して、はや旬の半ばを越えた。
辺りを見回してみると、落葉樹の木々はあらかた葉を落とし、先日までは赤や黄の「紅葉」をつけて照り映えていたのが、足もとにたっぷりと落葉の絨緞を敷き詰めたようになっている。
おかげで、野末は見晴らしがよくなって木々の根元まで陽が射すようになった。
「冬至」も先日22日に済んで、一年中で一番昼が短く、夜が長い頃である。

「紅葉散る」というのが「冬」の季語である。
紅葉し、かつ散り始める晩秋から、紅葉散るの冬へ、季節は確実に動いてゆく。美しく散り敷くこともあり、土まみれになって貼りついていることもあり、
紅葉の在りようも、人生に似て、さまざまである。
写真は「散り敷く」紅葉である。これらはネット上で、piita3氏のページから拝借したものであり、場所は京都郊外の「勧修寺」である。
ここに名を記して御礼申し上げる。

『夫木和歌抄』に
秋暮れし紅葉の色に重ねても衣かへうき今日の空かな
という歌があるが、これは初冬の紅葉を詠ったものである。秋用の衣から、冬用の着物に「衣替え」するのも、憂いことである、と詠まれている。
昔の人は、こういう「痛ましい」感じのもの、「あわれ」の思いの強いものに拘ったのであった。
『古今集』に
山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり・・・・・・躬恒
という歌があるが、落葉となる紅葉のはかなさが中心のイメージと言える。
夕映に何の水輪や冬紅葉・・・・・・・・渡辺水巴
冬紅葉冬のひかりをあつめけり・・・・・・・久保田万太郎
美しく老ゆるも死ぬも冬紅葉・・・・・・・松井草一路
などの句は「冬紅葉」という季語の名句といえるだろう。
以下、「紅葉散る」「木の葉」などの句を引いて終る。
紅葉散るや筧の中を水は行き・・・・・・・・尾崎迷堂
尽大地燃ゆるがごとき散紅葉・・・・・・・・赤星水竹居
紅葉散るしづけさに耳塞がれつ・・・・・・・・岡田貞峰
今日ありてかたみに紅葉ちるを踏む・・・・・・・・藤野基一
木の葉ふりやまずいそぐなよいそぐなよ・・・・・・・・加藤楸邨
木の葉散るわれ生涯に何為せし・・・・・・・・相馬遷子
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