
夜の書庫にユトリロ返す雪明り・・・・・・・・・・・・・・・・安住敦
モーリス・ユトリロMaurice Utrilloは1883年12月26日にパリのモンマルトルに生まれた。母はスザーヌ・ヴァラドン、父のボァシヨーはアル中患者で、モーリスを認知しなかった。
1891年、スペインの美術評論家ミゲル・ユトリロの養子となった。
その後、母の住んでいたモンマニーで学校教育を受け、ロラン・カレッジに学んだ。
17、8歳の頃から飲酒癖が始まり、1901年にはアル中症状を起こして医療を受けた。
母は、その治療目的で彼に絵を描くことを教えた。初めは母の画風の影響を受け、その後ピサロのあとを追って印象画派に入った。
1907年に彼のいわゆる「白の時代」が始まることになる。
サロン・ドートンヌに出品したのは1909年が最初である。
年譜を見ると、その後、アル中毒症状で精神に錯乱をきたしたりして、精神病院に入れられたりして、その都度、母ヴァラドンは苦労したらしい。
51歳のとき、リュシーという年上の裕福な未亡人と結婚したが、これも母の肝いりであるが、ユトリロは年上の妻を母のように慕い、酒に溺れることもなく、ひたすら絵を描いて、しかも絵は高い値で売れたので、心身ともに安定した。
レジオン・ドヌール勲章という最高の栄誉まで貰って1955年に亡くなったが、72歳という若い頃や中年のアル中の時期には考えられないような歳まで生きたのだった。
ユトリロの絵は、今でも結構人気があるらしい。
私はユトリロには詳しくないので、掲出した絵がどこの風景なのか判らないが、見えているのは、モンマルトルの「サクレクール」寺院ではなかろうか。とすれば、モンマルトル風景ということになる。
安住敦の句は、おそらく「ユトリロ画集」かなんかだろう、見ていた画集を書庫に仕舞いにゆく景だろう。
明治以後の「雪」を詠んだ句を引いて終わりたい。
舞ふ雪や一痕の星残しつつ・・・・・・・・藤森成吉
降る雪や玉のごとくにランプ拭く・・・・・・・・飯田蛇笏
外套の裏は緋なりき明治の雪・・・・・・・・山口青邨
雪に来て美事な鳥のだまりゐる・・・・・・・・原石鼎
落葉松はいつめざめても雪降りをり・・・・・・・・加藤楸邨
みづからを問ひつめゐしが牡丹雪・・・・・・・・上田五千石
馬の眼に遠き馬ゐて雪降れり・・・・・・・・中条明
雪の水車ごつとんことりもう止むか・・・・・・・・大野林火
牡丹雪その夜の妻のにほふかな・・・・・・・・石田波郷
病む夫にはげしき雪を見せんとす・・・・・・・・山口波津女
深雪に入る犬の垂れ乳紅きかな・・・・・・・・原子公平
狂へるは世かはたわれか雪無限・・・・・・・・目迫秩父
雪あかり胸にわきくるロシヤ文字・・・・・・・・古沢太穂
雪国に子を生んでこの深まなざし・・・・・・・・森澄雄
雪明りゆらりとむかし近づきぬ・・・・・・・・堤白雨
雪片と耶蘇名ルカとを身に着けし・・・・・・・・平畑静塔
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