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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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国末憲人『サルコジ―─マーケティングで政治を変えた大統領』・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

  国末憲人『サルコジ―─マーケティングで政治を変えた大統領』・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・・新潮選書2009/05/25刊・・・・・・・・・

     大柄な美男子でエリート、落ち着いた家父長で文化人、ワインの造詣も深い――。
     ニコラ・サルコジは、そんなフランス大統領イメージをことごとく覆す存在だ。
     すべてが型破りなこの男が、なぜ大統領に選ばれたのか。
     マーケティング技術を活用し、大衆の視線を常にひきつけるその政治手法を、
     気鋭のジャーナリストが解き明かす。

新潮社の読書誌「波」2009年6月号より書評を引いておく。
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    激変したフランス大統領のイメージ     西川 恵

 フランス大統領のサルコジは、同国の歴代指導者の中では突然変異ともいえる特異な人物である。
 現役の大統領で離婚・再婚を経験したのは彼だけで、恋人とのデートなどプライベートな姿をメディアに平気で晒す。公私混同が甚だしく自己顕示欲も強い。
友人の富豪の別荘でバカンスを過ごしたかと思うと、ジョギング姿でエリゼ宮(大統領官邸)を出入りするところを、構わずカメラマンに撮らせる。
 日常でも、せこせこと動き回り、あらゆることに口を出し、ひと時もじっとしていない。
ドゴールやミッテランなど、国民を束ねる落ち着いた国父的な指導者像に親しんできたフランス人はとまどいを隠さない。
 一昨年五月、「過去との断絶」を掲げて大統領に当選した背景には、エネルギッシュで、前例を覆すのを厭わない彼なら、閉塞状況を打破するのにはうってつけとの思いが有権者にあった。あれから二年。
私が知る大方のフランスのビジネスマンや官僚は「改革には彼のような人間も必要なのだろうが、個人的には好きではない」と異口同音に言う。
 著者も辛辣だ。「傲慢で、金満で、仕事一筋。しかも冗談が通じない。歴代フランス大統領でこれほどヤボな人物があっただろうか」。
しかし同時に、一見、わがままで、むら気の多い人間に見えながら、そこに周到な計算と策略を読む。
 例えばメディアに頻繁に露出し、次々に新しい政策を打ち出すやり方。これを単に「イメージ戦略」と捉えるのでは本質を見誤るという。
ブレア前英首相の右腕としてメディア戦略を取り仕切ったアラスター・キャンベル氏の「自分の手法の継承者はサルコジ」との言葉を引きながら、メディアから課題を設定される前に、自分から課題を繰り出し、主導権を握るサルコジの戦略をあぶりだす。
 これとの関連で興味深いのは、十八世紀のフランス啓蒙時代に使われ、今は死語となっている「ポピュラリズム」という言葉について、フランス知識人による理論化の試みが行われているとの指摘だ。われわれがよく使うポピュリズムは大衆迎合主義と訳され、移民や犯罪問題で恐怖感を煽る極右政党の専売特許になっている。
 しかしサルコジがポピュリスト的な性格を持ちつつも、極右政党などと異なるのは権力を実際に握っていることだ。
メディアや世論に先回りしてテーマを設定できるのもそのためで、ニュースを自ら作り出し、用意した回答に世論を誘導していく。
こうした政治手法をポピュラリズムと呼ぼうというのである。将来、一つの政治用語となるかも知れない。
 自ら土俵を設定し、仕切る。これはビジネスに取り組む経営者の感覚に近く、本著の「マーケティングで政治を変えた大統領」のサブタイトルもここからきている。
ビジネスは同業者との争いを制し、利益を上げるのが目的で、そのために手段を選ばず、有能な人物を登用し、無能な人間を切って捨てる。
サルコジはビジネスの論理を深く理解し、マーケティング理論を実践している国家経営者だと著者は言う。
 元妻セシリアとの出会い、W不倫、離婚と、スキャンダルを活用するサルコジ。エリゼ宮内のセシリア派と反セシリア派の側近たちの綱引き。
元モデルのカーラ・ブルーニとの再婚の裏話とメディア対策……。
本書はサルコジの周りに集う人間模様をも活写し、それがフランスの社会、内政、外交にどのように投影されているかを明らかにしていく。
 しかし本書がフランスものの枠を超えた広がりをもち得ているのは、「マーケティング政治」を昨今の世界の政治潮流のなかに位置づけているからだろう。
 著者は、ビジネスの世界で「商品からブランドへ」「ブランドからストーリーへ」という転換が起きているように、政治の世界でも「政策から人物へ」「人物からストーリーへ」といった流れがあると指摘する。冷戦終結でイデオロギーが意味をもち得なくなった今日、「大きな理想」に代わって人人を結集させるのが「ストーリー(物語)」で、「マーケティング政治」の内実がここにある。
 例えばアメリカのブッシュ前大統領が、ビンラディンを、世界征服を目論む邪悪な存在と描くことで自らの戦いを劇的にしようとしたように、サルコジも自らを主人公とするさまざまな「ストーリー」を紡ぐことに抜群の才を発揮してきた。パリ郊外のヌイイ市長のとき、幼稚園に立てこもった爆弾男を説得して解決に導いた武勇伝。セシリアとの離婚劇、カーラ・ブルーニとの恋愛劇も物語の一部にした。著者によると、最近はこの才に一層磨きがかかっているという。
 さて肝心の改革にサルコジは成功するのだろうか。これに関して著者は懐疑的だ。
「(ストーリーテリングは)政権が何かを成し遂げようとするための努力でなく、政権を存続させるという自己目的のための作業」と手厳しい。
サルコジという一個の人間を通して、現代政治と政治指導者のありようを考えさせる、見晴らしの利いた一冊である。(にしかわ・めぐみ 毎日新聞専門編集委員)
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国末憲人の、この本を読んでおきながら、当然このブログに載せたと思い込んでいたのだが、
今回、彼のミシュランの本を載せたので、「載せ忘れ」に気づき、急遽、載せておく。お許しあれ。

「立ち読み」も出来るのでお試しあれ。


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