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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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詩人たちの詠った3.11──アンソロジー詩篇・・・・・・・・・・・・・木村草弥
手帖
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 ↑ 東電・福島第一原発3号機の爆発の写真。

     詩人たちの詠った3.11──アンソロジー詩篇・・・・・・・・・・・・・木村草弥 

世界を震撼させた東日本大震災・大津波は九ヶ月経った今でも大きな傷痕を私たちの心の中に残している。
今回の事件に際して詩人たちは、どう詠ったのか。
現代詩手帖「現代詩年鑑2012」に載る作品からアトランダムに引いてみた。 ご覧ください。

     言葉・・・・・・・・・・・谷川俊太郎 

    何もかも失って
    言葉まで失ったが
    言葉は壊れなかった
    流されなかった
    ひとりひとりの心の底で

    言葉は発芽する
    瓦礫の下の大地から
    昔ながらの訛り
    走り書きの文字
    途切れがちな意味

    言い古された言葉が
    苦しみゆえに甦る
    哀しみゆえに深まる
    新たな意味へと
    沈黙に裏打ちされて
    ──「朝日新聞」5月2日 

     死者にことばをあてがえ・・・・・・・・・・逸見庸 

    わたしの死者ひとりびとりの肺に
    ことなる それだけの歌をあてがえ
    死者の唇ひとつひとつに
    他とことなる それだけしかないことばを吸わせよ
    類化しない 統べない かれやかのじょだけのことばを
    百年かけて
    海とその影から掬(すく)え
    砂いっぱいの死者にどうかことばをあてがえ
    水いっぱいの死者はそれまでどうか眠りにおちるな
    石いっぱいの死者はそれまでどうか語れ
    夜ふけの浜辺にあおむいて
    わたしの死者よ
    どうかひとりでうたえ
    浜菊はまだ咲くな
    畦唐菜(アゼトウナ)はまだ悼むな
    わたしの死者ひとりびとりの肺に
    ことなる それだけにふさわしいことばが
    あてがわれるまで
    ──「文学界」6月号

     短い暮らし・・・・・・・・・・・和合亮一

    二時間だけの帰宅が許されるなら
    私は何をするだろう

    玄関先の靴をそろえる
    茶の間で泣く
    祖母の写真を鞄に入れる
    持って行きたい本を選んでやめる
    パソコンのスイッチを入れてみる

    洗面所の鏡に顔を映す
    汗と涙で目元が濡れている
    お風呂場に
    お湯を溜めてみようか
    トイレの水を流してみようか
    冷蔵庫を開けてみると
    いろんなものが冷たくなっている

    電話 通じる
    父と母に電話したくなる

    寝室では 布団に寝転がる
    目を閉じる 放射能の吐息

    風
    潮鳴り
    窓 雲間に光
    普通の暮らし

     二時間の終わり
    ──詩集『詩の邂逅』6月

      地上・・・・・・・・・・・・渋谷卓男

     その眼は
     国が廃墟に変わるのを見た人の眼だ
     地平を埋める瓦礫の上に立ち
     くりかえされる復興と破壊とを
     すべて見届ける人の眼だ

     その眼は
     故郷に無数の亡骸を埋めた人の眼だ
     一人の喜びと悲しみとを
     誰もが忘れたあとも
     みな記憶し続ける人の眼だ

      泣け
      なぜと問うな
      足もとの土に手を置き
      赤子となって涙を流せ

     その人は一輪の花を捧げ持つ
     未だ咲かぬ
     咲くべき時を待ち
     永遠にふくらみつづける一輪のつぼみ
     その花だけを灯りのように掲げ
     眼を上げた人がいま
     ひとけの絶えた地上を歩きはじめる
     名は知らない けれど
     少し前を行くうしろすがたを
     私たちは生まれる前から知っている
     ──「冊」43号 6月     

     記憶の目印 四編 ・・・・・・・・・安水稔和

      声──気仙沼 おなり穴

     揺れて崩れて燃えて流れて
     波とともに押し入ってきたもろもろ
     家も車も船までも。
     闇の奥から聞えてくるのは
     せめぎあう水の声
     水底を漂い歩く人の声。
      *神明崎五十鈴神社下の岩屋。

      岩の根──唐桑半島 折石

     折れて立つ岩が
     ふたたび折れて
     折れてそれでも。
     それでも立っているかしら
     泡立つ波のあいだに
     波の下から直に。
      *明治二十九年三陸大津波で折れた柱状の岩。

      一本の木──陸前高田 高田松原

     押し倒されて
     引きちぎられて根こそぎ
     なにもなくなった浜に。
     それでも立っている
     人のねがいの一言のように
     たったひとりで。
      *長さ二キロの浜に七万本の松が続く名勝。

      波のむこうに──広田半島 椿島

     風の日には波をかぶり
     霧の日には姿を消し
     凪の日にはぽっかりと
     岬の先に浮いていた島よ。
     椿咲くあの小さな島は
     今。
      *太平洋岸の椿の自生地の北限。
     ──「詩人会議」7月号

      わが亡霊たち・・・・・・・・・・・平林敏彦

     水のなかでむすばれた手が
     ふいに ほどけていく
     あれはだれの指
     声をあげる
     すでにこの世のことではなく

     ひとは
     ながく みじかい一期を生き
     かすかな水しぶきをあげ
     ゆくえも知れず消えていく
     死の影をつれ
     寄るべないその場所へ
     ほの暗い水路を浮き沈みしながら
     亡霊たちがながされている
     あとになり さきになり
     ただ生きさらばえた傷あとを
     さらになぶり

     ときにはにぎやかに
     ひしめき 通りすぎていく
     青ざめたうなじや二の腕に
     怨みつらみの痣をつけ
     いぎたなく重なり合って
   
     日はすでに落ち
     暮した町も 家族の名も
     塵にまみれたくさくざの記憶
     かわした言葉の一片すら
     あらまし忘れかけて

     だが亡霊たちはながれていく
     死ぬためについやした生涯の
     そのときどきの いじましい善意や
     まぎれもない殺意の
     後始末もつけられずに
     
     むなしいあらがいに生きはぐれ
     まれには死がかがやいて見えたあの日
     荒磯にくくられ
     いのちのきわでふるえていた生身を
     息がとまるまで抱きしめてくれたのは
     だれだったのか

     還るべきその場所へ
     亡霊はながされ
     水のなかでふれていた手が
     ふいにほどけ
     中有につながれた糸も断たれて
     生死のあわいをつたい
     さきになり あとになり
     未明の河口にむかって

     亡霊たちよ
     はげしく打ち寄せる波
     その深みにおちてむらがり
     すべてが終わるたまゆらのとき
    
     ひとかげもない
     冥い水辺にほのめく   
     あえかな
     火薬のけむり
     ──「火の鳥」24号、9月
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なるべく判りやすい、現実感のある作品を選んでみたが、いかがだろうか。
未曾有の、こんな惨禍を前にしては、私たちは言葉を失うが、それでも詩人たちは黙っていることが出来ずに、また「機会詩」としても詠ってきたのである。
映像として圧倒的な迫力のある「悲惨」を目の前にしては「言葉」は、とかく色あせる。
「機会詩」として掲げる所以である。


     
  
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