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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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鹿島茂『 蕩尽王、パリをゆく―薩摩治郎八伝 』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

   鹿島茂『 蕩尽王、パリをゆく―薩摩治郎八伝 』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
・・・・・・・・・新潮選書2011/11/25刊・・・・・・・・・・・・・

↓ はじめに新潮社のHPに載る、この本に関する「編集者のことば」を引いておく。
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 クラシックカーにも高級車と大衆車があったことを御存知ですか。たとえば、車の大量生産方式を確立したフォード、今でもアメリカ自動車業界でビッグスリー2位のメーカーですが、1908年から販売開始、1910年代から20年代にかけて国民車「T型フォード」を生産していました。その数は1927年までに1500万台。安価に買えるよう、部品を統一化し、形は直線的、つまり、板をはり合わせたようなデザインで、外装もペンキの乾きがいい、黒のエナメル仕立ての一色だけでした。一方、同じビッグスリーの一角を占めるクライスラーは、当初から先進的エンジンシステムを導入し、のちに流線的なボディーを取り入れるなど、高級車メーカーとして、フォードの対極にあるような自動車ブランドの名声を誇っていました。そのクライスラーのボディーを純銀製に仕立てて、1928年、カンヌの自動車エレガンス・コンクールでグランプリを獲得した日本人がいました。薩摩治郎八とその妻、千代子です。木綿で巨利を得た貿易商の家に生まれた治郎八は、ロンドンに留学した後、全盛期のパリに移り、正真正銘の「セレブ」として、パリの社交界で夫人とともに注目の存在となります。グランプリの後、この「純銀の車体に淡紫の塗り」を施した特製自動車を駆ってパリ市内を凱旋した二人の誇らしげな表情が今も目に浮かぶようです。「生活と美を一致させようとした」人生を送った一代の蕩児・薩摩治郎八の人生をこの本でたどって、節約とかエコとかとは無縁の「散財の美学」に、たまにはあなたも浸ってみませんか?
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     金は使うためにある! 大富豪の華麗にして波乱万丈の生涯

     昭和初期、正真正銘の「セレブ」として、パリの社交界で輝いた日本人がいた。
     木綿で巨利を得た貿易商家に生まれ、ロンドンに留学。
     コナン・ドイルや「アラビアのロレンス」、イサドラ・ダンカン、藤田嗣治といった著名文化人と交流し、
     自分の財布からフランス政府にパリ日本館を寄贈した「東洋のロックフェラー」の決定的評伝。

↓ 新潮社の読書誌「波」2011年12月号より 書評を引いておく。
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      ロンドンでコナン・ドイルと出会った日本人     新井清司

 シャーロック・ホームズ、コナン・ドイルの書誌を作り始めていたとき、神田神保町の古本屋の店頭で薩摩治郎八『ぶどう酒物語』(村山書店)という本に出会った。この中で薩摩治郎八は、ロンドンのサヴェージ・クラブでコナン・ドイルに会ったと書いていた。それまでは、ドイルに会った日本人について触れている文献を見たことがなかったが、ドイルと直接会った日本人がいたのだ。これがきっかけで薩摩治郎八について調べ始めることになった。1974~1975(昭和49~50)年のことである。
 薩摩治郎八は1920(大正9)年、19歳でロンドンに渡り生活を始める。その後パリに生活の拠点を移して活躍をしているのだが、資料が限られているため調査は一向にはかどらず今に至っている。ロンドン時代を調べるためにも薩摩治郎八の全体像を知らなくてはならないだろう。薩摩治郎八の全体像を知ることは、不明な点も多く難しいものと思われるが、とりあえず、薩摩治郎八書誌を作成しようと考えた理由である。
 薩摩治郎八は1901(明治34)年4月13日に神田駿河台鈴木町で生まれた。この頃、駿河台の家の東隣は加藤高明邸(岩崎家別邸)、西隣は原田男爵邸であった。1920年10月、19歳のときロンドンに向けて旅立った。一応、オックスフォード大学への留学が目的である。その後、予定していたハンプシャー州ホイットチャーチのハービー老牧師邸に移ったが、ここでの生活は、若い治郎八にはあまりにも退屈だったようだ。治郎八本人によると、田舎の生活に耐えられず、ロンドン日本協会の創設者の一人、アーサー・ディオシーの紹介で、リッチモンドのノックス博士邸に移ることになったという。
 薩摩治郎八をコナン・ドイルに紹介したのは、このアーサー・ディオシーである。ディオシーの足跡を知ることが、治郎八とドイルの関係を探ることになると思われる。ディオシーは1920年のクリスマスから翌年3月頃まではフランスのニース、4月~5月は日本から皇太子(後の昭和天皇)の訪英がありロンドンに、6月には静養のためハンプシャー州リスに滞在していることが分かっている。薩摩治郎八の業績については、遺品の整理が進んだこと、そして最近は、村上紀史郎『「バロン・サツマ」と呼ばれた男』(藤原書店)、小林茂『薩摩治郎八』(ミネルヴァ書房)などが出版され研究が一段と進んできているが、薩摩治郎八とドイルの邂逅の日時はまだ特定されていない。コナン・ドイルとの関連に限れば、薩摩治郎八のロンドン時代については、ディオシーの足跡を含めさらに調査が必要であるといえるだろう。本書は、「歴史探偵」の立場からドイルと薩摩の邂逅の可能性を多面的に分析する新たな試みといえよう。  (あらい・せいじ コナン・ドイル研究家)
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鹿島茂/カシマ・シゲル

1949年横浜市生れ。1973年東京大学仏文科卒業。1978年同大学大学院人文科学研究科博士課程修了。現在明治大学国際日本学部教授。19世紀フランスの社会・小説が専門。古書コレクターとしても知られる。1991年『馬車が買いたい!』でサントリー学芸賞、1996年『子供より古書が大事と思いたい』で講談社エッセイ賞、1999年『愛書狂』でゲスナー賞、『職業別パリ風俗』で読売文学賞評論・伝記賞を受賞。近刊に『パリが愛した娼婦』『渋沢栄一』。

「立ち読み」もできるので、お試しあれ。

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