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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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帚木蓬生『蛍の航跡―軍医たちの黙示録』・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

     帚木蓬生『蛍の航跡―軍医たちの黙示録』・・・・・・・・・・・・木村草弥
          ・・・・・・・・新潮社 2011/11/22刊・・・・・・・・・・・

     もう二度と、祖国の地を踏むことはできないのだろうか――。
     将官の精神鑑定を行った「私」も、密林を彷徨い逃げる「私」も、
     抑留され疑心に囚われた「私」も、元はただの医学生だった。
     マニラ、ラバウル、ビルマ、ニューギニア、そしてシベリア――。
     故郷から遠く離れた戦地で、若き十五人の軍医たちが見た「あの戦争」の深遠なる真実。
     現役医師の著者、入魂の「戦争黙示録」ここに堂堂完結!

このブログでも何回も採り上げてきた著者の本である。
先ず、新潮社の読書誌「波」2011年12月号より、下記の記事を引いておく。
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     帚木蓬生『蛍の航跡―軍医たちの黙示録―』刊行記念特集
            【インタビュー】「遺言三部作」を書き終えて・・・・・・・・・・帚木蓬生

『蠅の帝国』と『蛍の航跡』あわせて千八百枚で、三十人の軍医が体験した「あの戦争」を描けたことは、貴重な体験でした。もし軍医を主人公にした長編小説を書いていたら、これほどたくさんの戦地を取り上げることはできなかっただろうし、私の体ももたなかったのではないかと思います。短編の集積だったからこそ、一編書き終えるたびに、気持ちを切りかえて、書き続けることができました。
 すべてを書き終えたあとで、地域ごとに作品を分類しました。七月に刊行した『蠅の帝国』には、主に日本国内と満州の軍医を描いた作品が収められており、『蛍の航跡』には、南方諸島、シベリアなど故国から遠く離れた戦地が舞台のものが入っています。
 三十編のなかで、最初に書き上げたのは「抗命」です。「震える月」(『風花病棟』所収)を書くときにインパール作戦について調べた経験があり、主人公が私と同じ精神科医でもあるので、書きやすいかもしれないと感じたのです。最後に書いたのは「下痢」でした。二編とも『蛍の航跡』に収録されています。
 三人称や神の視点ではなく、一人称の「私」という視点を採用したのは、現在進行形で戦地の状況を描写できると思ったからです。登場する軍医は、教育の背景も出身地も違う別人格ですが、全員に、自分だったらどう選択し、行動しただろうかという私自身の思いが投影されているといってもいいでしょう。
 状況の悲惨さという意味では、『蛍の航跡』の方が『蠅の帝国』を上回るかもしれません。シベリアで、自分がどこにいるのか判らないまま家畜同然に扱われたり、参謀が部屋の中で練り上げた作戦に従って不毛な行軍をさせられたり。そして、熱帯の厳しい気候、マラリア、餓死への恐怖。ニューギニアに派遣された軍医の記録を読み、「地獄」以外の言葉が思い浮かびませんでした。さきほど名前をあげた「下痢」は、ニューギニアの山中行軍を描いた作品です。
『蠅の帝国』刊行後、先輩医師や東大剣道部時代の同期、読者の方からもたくさんのお手紙をいただきました。長くお付き合いをしていたにもかかわらず、その先生が海軍依託学生であったことを初めて知ったり、作中のエピソードを補完する情報を教えられたりして、驚きました。「蠅の街」で、京都帝国大学原子爆弾症調査班が広島県で遭難したことを書いたのですが、いまも現地では慰霊祭が催されており、参拝しているOBの方もいらっしゃるそうです。埋もれかけていた記憶を掘り起こすことができたのかなあと、それだけでも書いた意義があったのかもしれないと、胸が熱くなりました。
「若い先輩医師」たちが、徒手空拳で患者を治療しなければならなかったときに感じたに違いない苦悩と辛酸はどれほどのものだっただろうか。戦争さえなければ、教育、研究、臨床の場で、どれだけの成果を上げることができたのか。そのふたつを考えながら、書き進めていきました。記録を残すことができなかった軍医たちもたくさんいたわけです。墓場まで自分の見たことを持っていこうと決め、口をつぐまれた方。そして、日本に戻ってくることもできず、戦死した方。そういった方たちが感じた無念はいかばかりだったのかを、執筆中、何度も想像しました。
 もうひとつ頭の中にあったのが、「医学史」で取り上げられることのない普通の医者たちが、命令によって送り込まれた場所で、いかにして全力を尽くしたのか。それを書き残しておかなければならないという使命感です。その意味でこの二作は、軍医たちに捧げた「鎮魂記」であると同時に「医学史外伝」でもある。そう自負しています。
 白血病の闘病中に書きあげた『水神』、病床で書き始め退院後に脱稿した『ソルハ』、そして再発を恐れながら執筆を進めた『蠅の帝国』と『蛍の航跡』の「軍医たちの黙示録」。これだけは残しておかなければならないと、祈りながら書いたこの「遺言三部作」を完結させることができ、素直に嬉しく思っています。退院して三年経ちました。これからはもう遺言ではなく、一年一年、生きられたことを記念する意味で、新しい小説を紡いでいきたいと思っています。書きたいテーマは、たくさんありますから。 (ははきぎ・ほうせい 小説家)
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前著『蝿の帝国』について、「波」2011年8月号より 引く。

       【インタビュー】軍医たちに捧げるレクイエム      帚木蓬生

「軍医」に関する資料を集め始めたのは、九大精神科で医局長をしていた一九八七年頃からです。大学の図書館にある医学専門誌のエッセイ欄を調べて、そこに元軍医たちが「戦争」について書いたものを見つけるとコピーをとって段ボール箱に入れていきました。いつか何かの役に立つかもしれない、という程度の動機からです。翌年大学を去ってからも、週に一度は大学に通っていたので、収集を続けました。元軍医たちの書き遺した文章は、職業柄か、ディテイルまでしっかりと書きこまれた客観的なものが多く、資料としての強度がありました。
 二〇〇八年の五月から六月にかけて、一メートルほどの高さになっていた資料を、満州、樺太、インパール、フィリピン、広島、沖縄など地域別や、陸軍、海軍、陸海軍の航空隊など軍の編制別に分類したんです。その作業中に、「あの戦争」を軍医たちの目を通して、戦地別に描いていく短編群が書けるかもしれないと思い始めました。七月に白血病に罹患していることが分かり、実際に『蠅の帝国―軍医たちの黙示録―』の執筆を始めたのは入院生活が終わった二〇〇九年からです。
 調べる前は私もそうでしたが、どういう人間が軍医になったのかも、育成過程も、戦争中に軍医が果たさざるを得なかった役割も、いま知っている人はほとんどいないのではないでしょうか。おそらく、現役の医師たちも知らない。膨大な数の普通のお医者さんたちがあの戦争に駆り出されたにもかかわらず、医学史で取り上げられる軍医関連の題材は、慰安婦問題に関することか七三一部隊についてのものがほとんどです。生きてさえいれば、研究や地域の医療現場で元々志していた仕事を全うできたに違いない若い医師たちが、戦場で何を見て何を感じたのかを、医学者としての後輩である私が、人々の記憶から消え失せてしまわないように書き残しておかねばならない。そんな義務感が、書いているときにずっと心の中にありました。
 命令ひとつでどこへでも飛ばされるし、与えられた状況下で全力を尽くし続けても、補給が絶たれ薬も医療器具もなくなれば、何もすることができなくなる。兵站病院をたたみ撤退しなければならないときには、連れて逃げることのできない傷病兵に、手榴弾や毒薬を与えなければならない。亡くなった将兵の記録もとらなければいけない。もちろん軍医たちが死ぬことだってある。自殺をした軍医の記録もたくさんありました。どうして彼らは死ななければならなかったのかと、涙が出たこともあります。敗戦後に「軍医」からただの「医師」に戻った人たちも、自分だけが生き残ったことについての罪悪感なり、責任なりを背負って、医療に関わり続けたわけです。戦争で散った軍医たちの無念さとともに、生き残った軍医たちの複雑な感情にも思いを馳せながら書いたこの小説は、軍医たちに対するレクイエムでもあったのかもしれません。三十年を超える作家生活で、おそらく初めて「献辞」を入れました。捧げたのは、陸海軍の軍医たちに対してです。
 私自身が戦争を経験していないからこそ書けた、という側面もあるでしょう。資料に書かれた事実のひとつひとつが目新しく感じられました。ですから、書くときにも、読者もこのことは知っているだろうと筆を省くことができないんです。自分が知らなかった事実については、丁寧に描写してあります。戦争を知らない読者の方たちにも、この本に登場する十五人の軍医たちの目を通して、あの戦争の質がどういうものであったのかを感じ取っていただけるのではないかと思っています。
 今作で取り上げた戦地は、広島や沖縄、東京のほか、満州、樺太などいわゆる外地が主です。十一月には、同じく『軍医たちの黙示録』というサブタイトルがついた作品集を刊行する予定で、そちらでは、南洋諸島やシベリアなどに行った十五人の軍医を描きました。
 いまはふた月に一度、白血病が再発していないかどうか検査し、免疫力が落ちないよう、日々気を付けて生活しています。日本にいるお医者さんの半分でもこの本を買ってくださったら、軽く十万部突破しますから、そうなると私の免疫力もあがって、長生きできるんじゃないでしょうか(笑)。

帚木蓬生/ハハキギ・ホウセイ

1947年、福岡県生れ。東京大学仏文科卒業後、TBSに勤務。退職後、九州大学医学部に学び、現在は精神科医。1979年に『白い夏の墓標』を発表し直木賞候補となった。『三たびの海峡』で吉川英治文学新人賞、『閉鎖病棟』で山本周五郎賞、『逃亡』で柴田錬三郎賞、『水神』で新田次郎文学賞、『ソルハ』で小学館児童出版文化賞など数多くの文学賞を受賞。他に『臓器農場』『安楽病棟』『国銅』『千日紅の恋人』『インターセックス』『風花病棟』『やめられない―ギャンブル地獄からの生還―』『蠅の帝国―軍医たちの黙示録―』など多数の著作がある。

「立ち読み」も出来るので、お試しあれ。

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