
朝の少女に捧げるうた・・・・・・・・・・・・大岡信
おまえの瞳は眼ざめかけた百合の球根
深い夜の真綿の底から
朝は瞳を洗いだす そして百合の球根を
おまえの髪はおまえの街の傾いた海
光の輪が 無数のめまいと揺れている海
おまえの潮の匂いだって嗅げるのだ ぼくは
おまえの腕は鉄のように露を帯びる
おまえの脚は車軸の速さで地下道を抜ける
おまえのからだの曲線は光の指に揉まれているが
そのいたずらがいつもおまえを新しくする
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つい昨日に、佐佐木幸綱の青春の歌を引いたが、この大岡信の詩も、彼の青春まっただ中を歌った詩と言ってよい。
ただ、この「少女」というのが、ここに描かれる色々のものの比喩になっているのだが、「今どきの」少女というイメージとして比較するとミスマッチな面もあろうか。
今どきの少女というのは一種の「怖さ」が付きまとうから悲しい。
大岡や私のような世代が少女に抱いていたイメージというのは「新鮮な」ものだった。
大岡信の詩については、何度も引いてきたので、ここでは余り多くのことを喋るのは止めにしたい。
大岡信は2003年度文化勲章受章者である。
朝日新聞朝刊に長い間連載してきた「折々のうた」が執筆を打ち切りになって感慨ふかいものがある。
ここで大岡の別の詩の一部を引用しておく。
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春のために(後半の一部)・・・・・・・・・・・大岡信
ぼくらの腕に萌え出る新芽
ぼくらの視野の中心に
しぶきをあげて回転する金の太陽
ぼくら 湖であり樹木であり
芝生の上の木洩れ日であり
木洩れ日のおどるおまえの髪の段丘である
ぼくら
新しい風の中でドアが開かれ
緑の影とぼくらとを呼ぶ夥しい手
道は柔かい地の肌の上になまなましく
泉の中でおまえの腕は輝いている
そしてぼくらの睫毛の下には陽を浴びて
静かに成熟しはじめる
海と果実
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掲出の詩と、後に引用した詩とは、ほぼ同じような心象の詩になっていることが判るだろう。
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