
──新・読書ノート──
三田完『 モーニングサービス』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
・・・・・・・・・・新潮社2012/01/20刊・・・・・・・・・
浅草は観音裏、昭和の香りを色濃く残す喫茶店「カサブランカ」。
美味いコーヒーと亭主夫妻の人柄に惹かれ、今日もまた、風変わりな客たちがやってくる。
芸者の大姐さん、吉原の泡姫、秘密を抱えた医大生……
それぞれの複雑な事情がカップの湯気に溶け、そっと飲み干せば少し力が湧いてくる。
疲れた心がじんわり温もる人情連作集。
この本は新潮社の読書誌「波」誌上に連載されたもので、毎号、私は 楽しく読んできた。その単行本化である。
「波」 2012年2月号より書評を引いておく。
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生き生きと描かれた浅草の人情歳時記 やすみりえ
物語の中心となるのは喫茶「カサブランカ」。
常連さんが集い、現代の浅草の片隅でなんとかつぶれずに営業している古いお店である。ここに毎日集う顔ぶれは年齢も職業もさまざまで実に個性的な人ばかり。
そんなお客達に毎日、五百円のモーニングセットを作っているのが親からこの店を譲り受けた富子。そして珈琲を淹れるのが夫の士郎。アラ還世代の夫婦で切り盛りしながら、この浅草でずっと暮らしている。
それにしても今の世の中、毎朝どれくらいの数の人が喫茶店でモーニングセットを食べているのだろう。ちなみに「カサブランカ」では開店から朝十一時までオーダー可能。日頃モーニングサービスに縁の無い私は随分と朝が長いのだなあと感じてしまう。
もちろん私にも家の近くにお気に入りのカフェはいくつかある。けれど、そこはどちらかというと「一人になるため」にお茶を飲みに来ているような客層だ。都会の気ままが席を埋めているような場所。そこでは「カサブランカ」のように入り口の扉が開いた瞬間、常連さん達がいっせいに振り向くことなんて一切無い。
ゆっくりとモーニングサービスを楽しむお客同士の会話からは、下町ならではの雰囲気が生き生きと立ちのぼってきて読者はつい引き込まれてしまうだろう。カウンターでは挨拶がわりに満開の隅田川の桜や、初夏の三社祭の準備の話題が出てきて、それはまるで浅草の歳時記を眺めているようでもある。
浅草というと私には、句の仲間と出掛けることの多い場所である。いわゆる吟行をしに行くのにちょうど良い場所とも言える。句の題材になりそうなものが溢れているから、吟行会に向いているのだと思う。外国人観光客、修学旅行生、下町グルメ、賑やかな通りや路地。その景色の向こうには東京スカイツリーもお目見えして新旧入り混じる面白いエリア。吟行途中、和装雑貨屋に紛れ込み、句を詠むよりも買い物に夢中になってしまう事もしばしばなのだけれど。
さて小説に話を戻そう。喫茶「カサブランカ」のお客のひとり、芸歴四十五年の澄江姐さんの存在が特にいい。ユニクロのジャージを着てモーニングサービスを食べにくる、面倒見がよくて情の厚い女性だ。芸者であるこの人物にしてみても、普段着にユニクロを着ていてミスマッチなイマドキが織り交ぜられている。現代の浅草の町と同じなのである。
彼女にはちょっと驚く色恋絡みの過去があるのだが……。
ひと夜の月の おぼろなここち
愛想と知れば 袖の露
こんなもんぢやい こんなもんぢやい
浮世の風を ふうわりと
鈴八節の家元でもある澄江姐さんが三味線に乗せて披露した古曲の文句がこれまた粋。登場人物それぞれの過去には、男女の巡り合わせや、縁の不思議が絡み合っていて切ない。
若い世代の登場人物ではオネエ系の医大生、ヒカルがユニーク。心に闇を抱えながらも本来の純粋さのおかげで愛されるキャラクターだ。「カサブランカ」のお客となったばかりだが、面倒見の良い澄江姐さんに気に入られてオンナノコとして修業中なのだ。
以前、三田完さんの『俳風三麗花』を読んだことがある。昭和初期の東京を背景に、俳句を通して友情を育む娘たちの恋模様が綴られた物語だった。「句会」というひとつの集いの場をふんだんに登場させ巡り合わせや縁の妙味を見事に描き切った作品で、これも私の好きな一冊である。 (やすみ・りえ 川柳作家)
三田完/ミタ・カン
1956(昭和31)年、埼玉県浦和市生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。2000(平成12)年「櫻川イワンの恋」で第80回オール讀物新人賞を受賞、デビュー。2007年『俳風三麗花』が第137回直木賞候補となる。その他の著書に『乾杯屋』『当マイクロフォン』『草の花』など。
「立ち読み」も出来る。 お試しあれ。
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