FC2ブログ
K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
202007<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>202009
春日野の飛火の野守出でて見よ今幾日ありて若葉摘みてむ・・・・・・・・・・・・・・・よみ人しらず
nanakus2春の七草

   春日野の飛火の野守出でて見よ
    今幾日(いくか)ありて若葉摘みてむ・・・・・・・・・・・・・・・よみ人しらず


この歌は「古今集・春上巻」にある歌であるが、よみ人しらず、となっている。
奈良の春日野の飛火野の野守よ、外に出て野の様子を見ておくれ。あと何日したら若葉が摘めるだろうか。という歌である。
この歌は「古今集」に収められてはいるが、春日野周辺で暮らしている人々の実感が濃く出ている。
だから、古い時代の歌に属するだろう、と言われている。

ここで、若葉摘みに関する歌を、少しまとめて見てみよう。

 春日野に煙立つ見ゆをとめらし春野のうはぎ摘みて煮らしも・・・・・万葉集・巻10、作者不詳

この歌の「うはぎ」というのは「嫁菜」のことだという。
春の若草のいろいろを摘んで、煮て食べるのは、若々しい命を願い、長寿を祈る初春の大切な行事であったらしい。
奈良一帯に住んでいた万葉時代の人々にとっては、この歌の情景は、まことに親しみ深いものだった筈である。

 春日野の若菜摘みにや白妙の袖ふりはへて人の行くらむ・・・・・・・古今集・春上巻、紀貫之

「ふりはへて」は振り合う意と、わざと目立つようにの意とをかけて用いた言葉。
京都の都の生活者となっている平安貴族の一人たる貫之は、この歌を、すでに空想の中の美しい早春の情景として作っている。
古京奈良の春日野は、懐古の情をかきたてる地名となっていて、詩的空想の源泉としての「歌枕」になりつつあるのである。

 春日野に若菜つみつつ万代(よろづよ)を祝ふ心は神ぞしるらむ・・・・・古今集・賀、素性法師

これは素性の兄・藤原定国の40歳の賀宴にあたり、その邸の屏風絵を見て詠んだ作。
全くの空想の歌である。

このように見てくると、「若草」や「若菜」を詠んでも、時代、土地、人々の生活の違いによって、自然界との接し方、その表現方法にも、著しい違いがあるのが判る。
「古今集」の歌人たちも、京都盆地の自然を前にして、詠ったには違いないが、次第に、自然詠そのものよりも、自然の季節の推移から、「時の移ろい」という観念的なものを詩の主題にするようになったということである。

万葉の実景を重視する力強い歌が好きか、古今の観念的な、美意識の強い歌が好きか、人それぞれであろうが、あなたは、どう感じられるだろうか。

以下、季語「摘み草」の句を引いて終る。

 寝転んで若草摘める日南かな・・・・・・・・小林一茶

 摘草や嬋妍さして人の指・・・・・・・・山口青邨

 川上のむかうの岸に草摘める・・・・・・・・中村草田男

 さびしさに摘む芹なれば籠に満たず・・・・・・・・加倉井秋を

 蓬摘む一円光のなかにゐて・・・・・・・・桂信子

 蓬摘み摘み了えどきがわからない・・・・・・・・池田澄子

 万葉の風立つ蓬摘みにけり・・・・・・・・大嶽青児

 つくしんぼ遠(をち)の淡海にかざし摘む・・・・・・・・佐怒賀正美

 草摘めり蜂蜜いろの夕日浴び・・・・・・・・大関靖博

 車座のひとりが抜けて草を摘む・・・・・・・・古田紀一

 日の温みもろとも摘めり蓬籠・・・・・・・・永井芙美

 野洲川の一揆の跡や蓬摘む・・・・・・・・西村康子

 ひかり合ふまほろばと吾と蓬籠・・・・・・・・今井君江



コメント
コメント
春神事の名残
    Sohyaさま

 「菜摘」は、春神事の最も重要なものでした。「若水」と同じぐらい古い神事の名残だと申せましょう。飛鳥期には中国より「荊楚歳時記」が流入し大変重要視されました。それによって、宣長流に申せば「漢意(からごころ)」に沿った年中行事を行われるようになったようです。「菜摘」は小正月での重要な行事でしたが、カラクニの行事とワコクの「ケ」を祓う行事がないまぜになり、一種の新鮮な意味のある行事として定着していったのでしょう。3月3日の「雛祭り」は一般では「流し雛」が主流でしたが、「菜摘」とかけあわせて、雛祭りが終わった後、小川遊びとか、春山遊びとか、野々山遊びとか、今でも色々な地方には多く残っております。菜摘の行事は中国の「踏青(とうせい)」の行事に当たります。踏青とは野山に出て、青い草を踏み、川の流れで禊をし、酒を飲みかわし、穢れを祓うということです。日本式「お祓い」とそっくりで、踏青はやがて曲水の宴に変化していったのでしたが、国見の行事には菜摘は色濃く垣間見れます。その最も特異な行事は、「雛国見」であります。高台に、代理の人に見立てた人形に特別なハレの衣装を着せて、人と一緒に国見をします。その時菜摘をし、豊穣を祈り、ケガレを祓って、お祝いをします。この祝いは予祝の行事で、田遊び(注連縄をはった小さく四角い田圃と見立てた神田で、年間の農耕行事を模倣する)などの原型となったのでしょう。尚お雛様には桃の花を飾りますが、どこかモノ哀しいのは、実は早世した子供への供養の日でもあります。つまり桃の花に代わって、菜の花を飾ります。菜花はお灯明に使えますからその意味で、そのような習慣ができたのでしょう。菜摘は正月行事ですが、そのように雛の行事まで、民間では広さを増し敷衍していったものと思われてなりません。万葉集の最初の部分に国見の歌が出てきますが、私は万葉のそうしたパワーがいいと信じています。でもそれら幾多のことを考え合わせれば素性法師の予祝の心得はまんざら間違えではなかったかも。無論予祝とは秋の五穀豊穣のことであります。
 私は御室・仁和寺を発願された光孝天皇の「きみがため はるののにいでて わかなつむ わかころもてに ゆきはふりつつ」がいい歌だなぁと思っております。尚光孝天皇は55歳まで皇子でした。遅咲きの天皇ですが、若き頃から質素な暮らしぶりで、天皇になってからも質素で清潔な方だったとの伝承が残っています。又不遜にも長い文章を書かせて戴きまして、本当に失礼を致しました。
2013/03/24(日) 16:19:06 | URL | 硯水亭歳時記 #xxIaUQbE [ 編集 ]
「故事」についての薀蓄ありがとうございます
■松本さま。
お早うございます。
「故事」についての薀蓄ありがとうございます。
日本の宮廷のことについてお詳しいですね。
この貴コメントは、ここに出ておりますから、識者は覗いてくれるでしょう。
では、また。
2013/03/25(月) 05:49:42 | URL | sohya #- [ 編集 ]
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック
copyright © 2020 Powered By FC2ブログ allrights reserved.