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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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五木寛之『下山の思想』・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
下山の思想

──新・読書ノート──

     五木寛之『下山の思想』・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
          ・・・・・・・・・・幻冬舎新書2012/02/15刊第七刷・・・・・・・・・・・・・・

いまベストセラーとなっている話題の本である。
私は本来「へそまがり」で、ベストセラーには飛びつかないが、知人から頼まれてネット書店から取り寄せた。
よく売れているので、在庫切れかで一週間以上、入荷が遅れた。

以下、アマゾンの書評欄に載っているコメントを引いておく。ただし、これが最適だというつもりはない。
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   実りの多い豊かな「下山」とは何かを考えるきっかけとなる 2011/12/18 By su_aik

レビュー対象商品: 下山の思想 (幻冬舎新書) (新書)

著者は2008年に「林住期」という本を書いているが、本書でも今の日本は、この古代インドの人生を「学生期(がくしょうき)」「家住期(かじゅうき)」「林住期(りんじゅうき)」「遊行期(ゆぎょうき)」に分ける思想の中の「林住期」にあたると言っている。人生ではなく山登りを例に取れば、前半が「登山」であり後半が「下山」ということになる。国や世界も同様で、成長期としての登山があれば必ず成熟期以降としての下山がある。登山をすれば必ず下山しなければならないのに、これまで下山が深く考慮されたことはない。登山以上に重要なものにもかかわらずだ。
日本は戦後著しい経済成長を遂げて世界第二の経済大国になった。これは成長期、すなわち「登山」であるが、すでに経済成長のピークは過ぎ成熟期すなわち「下山」のプロセスに入っているのである。「下る」という言葉にはネガティブなイメージがつきまとうが、下山はそういうことではなく、実りの多い豊かな下山を続けるということである。そして更なる再出発のための準備を整える時期である。日本にとって実りの多い豊かな「下山」とは何か、新たな目標とすべき国はどのようなものかをを考えるきっかけとなる。
また、日本は東日本大震災と原発事故に見舞われたが、下山の途中に雪崩に遭ったようなものだ。これからも立ち上がらなければならないが、目指すものはかっての経済大国ではないはずだ。このようにかつての経済成長を目指すべきではないとい主張は他書(「成熟ニッポン、もう経済成長はいらない」など)にも多く見られ賛同できるものだ。
「おわりに」には、必ずしも暗い気持ちで下山の時代を見ているわけではなく、むしろ必死で登山をしているときよりも、はるかに軽い気持ちで下山について語っているつもりだ。伸びやかに明るく下山していくというのがいつわらざる気持ちだと書かれている。
ただし、最終章「ノスタルジーのすすめ」はページを埋めるために無理矢理追加されたような内容で違和感がある。
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     第二の敗戦を迎えた後、国民はどうするべきか 2011/12/19 By Secondopinion (Japan)

本書を読んで最初に感じたのは、本書の根底に流れるものは、著者が15年前に著した「生きるヒント」と同様の、「一見すると逆説的であるが、実は紛れもない真理」である。「生きるヒント」の中の一節、「モノだけ豊かな冷たい家庭に育つよりも、物質的な豊かさは今ひとつでも、家族ぜんぶが楽しく、和やかに、笑いながら毎日を送っているような家庭のほうが「幸福」だという立場も成り立つのです」は、戦後、計算可能な経済的効率だけを優先し、不確かなものの大きさ恐ろしさを無視してきたと説く本書の主張と合致する。

著者は現在おかれている日本の状況を、第二の敗戦と呼ぶ。国対国の戦争ではない、別の戦いに敗れようとしているのではないかと。

太平洋戦争の時、国民はこの戦争は負けると薄々感じていた。この国はこのままでは破産するのではないかと今の国民は思っているが、国民はそれを見て見ぬふりをしている。著者は、この第二の敗戦を迎えた後、国民はどうするべきかという命題に一つのわかりやすい模索を明示している。一旦は頂点を昇りつめた国の「下山」の仕方である。もう一度、経済的効率を求める国にするのか、自然の大きさに畏怖し心のあり方をもう一度問い直す国にするのか、それはこれからの国民にかかっている。

ここまでは星5つであるが、後半の「ノスタルジーのすすめ」が、おそらくは本書の構想以前に草稿されたものであろう、本書の趣旨とは全く沿わない。従って最終的に星3つである。
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この本のカバーの裏に、こう書かれている。

<どんなに深い絶望からも人は起ちあがらざるを得ない。
 半世紀も前に、海も空も大地も農薬と核に汚染され、
 それでも草木は根づき私たちは生きてきた。
 しかし、と著者はここで問う。
 再生の目標はどこにあるのか。
 再び世界の経済大国をめざす道はない。
 敗戦から見事に登頂を果たした今こそ、
 実り多き「下山」を思い描くべきではないかと。
 「下山」とは諦めの行動でなく新たな山頂に登る前のプロセスだ、
 という鮮烈な世界観が展望なき現在に光を当てる。
 成長神話の呪縛を捨て、人間と国の新たな姿を示す画期的思想。>

これは編集者の書いたことだが、要を得た「要約」と言えるだろう。

もう二年以上前になるが、この人の『親鸞』という小説が出た後に、京都市伏見区の龍谷大学で、
講演を聴いたことがある。
二時間近くの講演の間中、直立して、身じろぎもせず、雑談を交えることもなく、極めて「きまじめ」な姿で、
変に感心したことがある。
この人は浄土真宗の「門徒」であり、龍谷大学で聴講して学び直されたらしい。
「きまじめ」な人である。

この本の終り近くに「郷愁世界に遊ぶ楽しみ」という項目がある。

<「シャルル・トレネ、お好きですか」
 と、グラスをふきながら店のマスターがきく。
 「古いのが好きでね。ゲンスブールあたりになると、ちょっと──」
 「日本の歌手だとどの辺をきかれました?岸洋子とか──」
 「いや、そこまでメジャーじゃなくって、ちょこっとこぢんまりした店が似合いそうなシャンソン歌手が好きだったな」
 「たとえば?」
 「うーん、そうだね。小海智子とか、大木康子とか、そんな感じ」
 「しぶいなあ。」・・・・・・・・・・>

私は「下山の思想」とかいう話ではなく、こんな「くだり」の描写が好きである。
五木寛之が若い頃、PR誌編集者や作詞家などを遍歴していた頃の「郷愁」だろうが、ほのぼのしたものを感じて好きである。

この本は、折々に執筆されたエッセイを一冊にまとめたものである。
だから、首尾一貫した考えとして「下山の思想」ということになるが、一篇、一篇は独立して書かれたもので、
それが、それぞれとして面白い。
私は、バラバラに、それらのエッセイを堪能した、ことを書き添えておきたい。


     
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